サブメニュー

●週刊「世界と日本」コラム

外部各種イベント・セミナー情報

  • 皆様からの情報もお待ちしております

お役立ちリンク集

  • お役立ちサイトをご紹介します

Coffee Break

  • 政治からちょっと離れた時間をお届けできればと思いご紹介します

東京懇談会録

  • ※会員の方向けのページです

●時局への発言ほか

明治維新150年チャンネル

  • 2018年、平成30年は明治維新からちょうど150年。
  • お知らせ

    ●会員専用コンテンツの閲覧について
    法人会員及び個人会員、週刊・月刊「世界と日本」購読者の方で、パスワードをお忘れの方はその旨をメールにてご連絡ください。その際に契約内容が分かる内容を明記ください。折り返し、小社で確認後メールにてご連絡します。

    パスワードお問い合わせ先

    tokyo@naigainews.jp

マスメディア批判

株価のバブル期越え
けん引役は海外投資家

 

果実を投資と賃上げに

不十分な米株高との関連性

 

 2月22日、日経平均株価がバブル期最高値の3万8915円を越え、3万9000円台を記録した。全国紙は、当日のオンライン版や翌日の社説でこぞってこれを取り上げた。テレビ放送でもニュースとして即時報道した。株価は23日以降も上昇基調にある。

 この場合、一般読者がマスメディアに期待するのは、株価上昇の要因は何か、バブル期との違いは何か、株価上昇は経済にどう影響するかといった論点の解説であろう。

 日本の年初来の株価上昇は「主要国の中でトップ」で、その「けん引役は海外投資家の買い」である(ブルームバーグ2/22)。これを補足する形で、日経(2/22電子版社説)は、世界で稼ぐ企業によるけん引、海外投資家による日本株の再評価、半導体関連等の日本企業の台頭などが株価上昇の要因であるとした。さらに産経(2/23主張)は、中国経済の停滞に伴う海外投資家の中国から日本への資金移動、値上げの浸透や円安による海外収益の改善等による企業業績の向上に加え、「東証が昨年、資本効率や株価を重視した経営改革で企業価値を高めるよう要請した」結果、「企業の自社株買いや増配、企業間で株式を持ち合う政策保有株の売却などが進んで海外投資家にも好感された」と解説した。

 バブル期との違いについて、日経(同上)、朝日(2/23社説)やテレ朝NEWS(2/22)は、企業業績の改善や企業の純利益の増加を挙げ、NHK NEWS WEB(2/21)は、「今回は企業が変革するなか、海外と比べた日本株の出遅れを修正するため買いが入っていて、バブルの時とは違う」ので「今後も株価の上昇基調は続く」という日本証券業協会・森田会長の言葉を紹介した。

 経済への影響について、東京(2/23社説)は、「株高だけが際立ついびつな構造」だとし、同日の別の記事では、株高の「高揚感は金融業界や投資家らを除くと、広く行き渡って」おらず、「日本株上昇の恩恵は海外投資家に集まる」と冷めた解説をした。他紙も似た問題意識から、「民間主導の力強い経済の実現」(産経同上)につなげるには、株高や企業業績の果実を家計や働き手に広く行き渡らせるべきだ(毎日2/25社説、朝日同上、日経同上、東京同上)とした。より正確には、「積極的な国内への投資と賃上げに努めることが不可欠」というべきだろう(読売2/23社説)。

 株高についてのマスメディアの論調は総じて相互補完的で類似していたが、米国株式市場との関連性にもっと触れても良かったのではないか。例えば、日経平均のバブル期越えとほぼ同時に、米国半導体企業エヌビディアの株価時価総額が、アップル、マイクロソフトに次ぐ第3の2兆ドル越えを達成した。「マイクロソフトとアップルの時価総額は2社で東証全体に匹敵する」(日経同上)現状で、さらにエヌビディアの株価が米国市場をけん引する。こうした米国株式市場との関連性についても言及してほしかった。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2264・2265号

 

米大統領予備選始まる
ヘイリー敗北も闘争心

 

トランプ連勝も苛立ち不安

米国民主主義は瀕死の危機

 

 11月の米大統領選候補者を選ぶ共和党予備選挙は、序盤戦でトランプ前大統領が2戦2勝。読売新聞1月17日付朝刊は《共和党のトランプ化を改めて印象づける結果》と報じた。

 ただし23日のニューハンプシャー(NH)州ではトランプ氏の「弱点」や「本選への不安」の報道も目に付いた。毎日新聞1月25日付朝刊によれば、出口調査でトランプ氏は保守派の70%の支持を得たが、穏健派は25%、無党派層は38%とヘイリー元国連大使を大きく下回った。

 興味深いのは本人の苛立ちだ。勝利集会なのに《彼女は勝ったようなことを言っているが、負けたんだと強調。SNSに「妄想だ」と書き込んだ》(読売25日朝刊)には苦笑した。前回大統領選の自分のことではないか。

 苛立ちや不安の正体にはネットメディアの分析の方が格段に鋭い。在米ジャーナリストの高濱賛氏曰く。

 《トランプ氏は裁判のことで頭が一杯》(JBpress)なのだ。刑事事件4、罪状91を抱えて裁判費用は巨額、トランプ・党挙げてのヘイリー氏への撤退圧力も資金を温存したいからだろう。

 そのヘイリー氏は「負けたのに」闘志満々。資金もまだ潤沢という。ただ2月24日のサウスカロライナ(SC)州は地元ながらトランプ氏勝利の予想で、たとえ続けても順当なら15州が競う次の3月5日のスーパーチューズデーで、トランプ氏で決着、バイデンVS.トランプの公算が高まっている。

 昨年末以来、マスメディアで「もしトラ(もしトランプ氏が再選されたら)」へ備えの論議が氾濫するのもこうした情勢の反映だろう。

 日本はどうするのか。まずはトランプ氏とのパイプ作りというわけで、安倍晋三元首相の出番がもはや叶わぬことから、自民党の麻生太郎副総裁の1月初旬の訪米に俄かに注目が集まった。

 朝日新聞1月17日付朝刊によれば《トランプ氏との接触を水面下で模索していたことがわかった。今回は実現しなかったものの、麻生氏とトランプ氏の接触を模索する動きは続きそうだ》。トランプ陣営からも複数ルートで麻生氏側に接触の打診があったという。気に食わぬ欧州より対日重視ということか。

 産経新聞1月17日付朝刊は《この1年、日米同盟に磨きをかけ、隣国の挑発が激化する東アジアに力の空白を生まぬよう米国をつなぎ留める積極外交に注力すべきだ。それが本当の備え》と断じた。

 もっとも「もしトラ」までにはまだ幾つものハードルがある。裁判はもとより、共和党上院議員49人中3分の1強は未だ“抵抗勢力”だし、トランプ党の結束が固まれば固まるほど穏健・無党派層離反のジレンマもある。

 グッドルーザー(良き敗者)に、勝者にも劣らぬ拍手を贈る米大統領選の民主主義の健全さと明るさは、「報復」を公言するトランプ氏の登場で瀕死の危機にあると言わざるを得ない。その意味で日経1面コラム「民主主義を問う1年」(1月17日付)は一読に値する。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2263号

 

民主集中制の時代錯誤
異論認める自由さ肝要

 

共産党に初の女性新委員長

〝長期低落〟から脱却なるか

 

 在任期間じつに23年の志位和夫委員長が退き、田村智子政策委員長が日本共産党の新委員長に就任した。女性委員長は初めて。4年ぶりに開かれた党大会(1月18日閉会)で決まった。

 志位氏は空席だった議長に就任。小池晃書記局長は続投する。後任の政策委員長は山添拓参院議員。

 時あたかも日本航空の次期社長に、客室乗務員出身の鳥取三津子氏が就任するニュースなども伝えられ、日本もいよいよ女性を含む「多彩なトップ」が活躍する時代になりつつあるのか、などとやや前向きな気分に浸りたくもなったけれど、各紙社説を読む限り、少なくとも共産党に関する限り、どうやらそれも高望みらしい。

 読売社説「共産党新委員長 世代交代で党勢拡大できるか」(1/19)は冒頭で、「幹部の世代交代と女性党首の登用という新機軸で、党勢を立て直す狙いがあるのだろう」と述べた直後に、「だが、社会主義・共産主義への変革を目指す路線を保ったまま、支持を広げるのは容易ではあるまい」と、楽観を直ちに否定する。

 現在「共産党は党勢の後退が著しい。党員数はピーク時の半分の25万人に減り、機関紙『赤旗』の読者も1980年には355万人いたが、今は85万人に落ち込んだ」。そのことと、全党員の投票で党首を選ぶことを求める著書を出版した古参の党員を「党の規約に違反した」として除名するような、閉鎖的・権威主義的な党体質とが無関係とは到底思われない。世代交代と女性起用は、そんなイメージを乗り越える最後の試みだろう。

 しかし、「党の綱領は今も日米安全保障条約の廃棄を掲げ」、自衛隊についても「当面容認」しつつ「将来的に解消する方針」を維持する姿勢が、「世論の大勢から乖離しているのは明らか」。党大会では「野党共闘の再構築」決議も採択されたが、果たしてそんな共産党の基本理念を受け入れてなお共闘する政党があるのか、と結ぶ。

 産経主張「共産委員長交代 革命党の体質変わらない」(同)、日経社説「新党首で共産党は変わるのか」(1/21)もほぼ同じ。

 朝日社説「共産党新体制 党を開く変革伴わねば」(1/19)と毎日社説「共産新委員長に田村氏 開かれた党へ体質刷新を」(同)は、ともにタイトルに「党を開く」「開かれた党」と同じ言葉を使っているのが注目された。「民主集中制」などという異論を認めず多様性を排除する党の体制が、よほど時代の流れからかけ離れた、内向きで閉鎖的ものと映るのだろう。

 ついでに言い添えると、共産党指導部の東大偏重は歴史的にも顕著で、歴代委員長をみても初代宮本顕治氏(在任12年)、2、4代不破哲三氏(計16年)、それに志位氏とみんな東大卒だ。東大以外の卒業生で委員長を務めたのは在任2年の3代村上弘氏のみである。今どき東大神話でもあるまいが、もしあるとしたら、早大卒の田村新委員長には大いに変革を期待したい。

(本郷 一望)週刊「世界と日本」第2262号

 

ウクライナ支援で結束
プーチン氏の茶番会見

 

毎日・朝日の熱い主張

露・中・北朝鮮を批判

 

 最近、ウクライナを支援してきた西側諸国内部に「支援疲れ」のほころびがみられる。

 NATO(北大西洋条約機構)加盟国では、米国の共和党、ハンガリーのオルバン政権、スロバキアのフィツォ政権がウクライナ支援に否定的だ。EU(欧州連合)では、12月14日の首脳会議で、ウクライナのEU「加盟交渉を始めることを決めた」が、「ウクライナへの巨額の資金支援はハンガリーの反対によって合意できなかった」(日経12/15)。米国では、来年秋の大統領選挙も絡んで、「バイデン政権が求める追加の予算を野党・共和党が拒んでいる」(毎日12/19社説)。

 そうした中で、12月19日、G7財務相・中央銀行総裁会議がオンラインで開催され、ウクライナ支援が議論された。「議長を務めた鈴木俊一財務相は終了後に・・・、日本政府として総額45億ドルの追加支援を行う用意がある」と述べた(共同12/20)。

 全国紙では、ウクライナ支援問題を毎日と日経が社説で取り上げた。毎日(12/19)は、「他国に武力侵攻して領土を奪い取ることは明白な国際法違反」で、「ロシアの侵略行為は決して許されるものではない」として、「支援の継続によってウクライナへの団結の力を示すことが、独裁国家の横暴を許さない国際社会をつくることになる」と力強い。日経(12/4)も、「法の支配という国際秩序が根底から崩れること」を阻止するために「ウクライナ問題を埋没させず支援続けよ」と主張した。他紙は社説でこの問題を取り上げていないが、12月14日に2年ぶりで開催されたロシアのプーチン大統領の会見を徹底批判したことで間接的にウクライナ支援を支持した。

 朝日(12/18社説)は、来年3月の大統領選への立候補表明を「独裁延命が目的の茶番」と批判、産経(12/16主張)は、会見自体が「侵略を正当化する茶番」だと批判した。読売(12/18社説)は、「侵略を成功させてはならない」とし、「国際社会は結束を強めるべきだ」と主張した。

 毎日も「侵略正当化する茶番劇」(12/17社説)と書き、日経(12/12社説)も大統領選出馬を「侵略と独裁を正当化する」ものと厳しく批判した。

 このように、プーチン氏会見を茶番で侵略と独裁の正当化であると徹底批判し、ウクライナ支援での結束を強調した点で全国紙が珍しく(?)結束した。すると当然ながら、中国や北朝鮮の独裁政治も批判の対象とならざるをえない。

 やや驚きだったのは、毎日(12/19社説)が、北朝鮮のICBM発射が国連安保理決議に「違反する挑発行為であり、断じて容認できない」とし、「日米韓の連携をさらに強めなければならない」と主張し、朝日(12/13社説)が、低投票率の香港区議選は「公正な選挙と呼ぶに値しない」と批判したことだ。読売(12/17社説)が「強権的な中国式統治では、香港住民の信任は得られまい」と書いたことが控えめにみえるほど、毎日と朝日の主張は熱かった。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2261号

 

キッシンジャー氏死去
ウクライナ報道の埋没

 

光る田久保忠衛氏のキ氏論評

報道消えても事態は消えず

 

 ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が11月29日、100歳で死去した。

 極秘訪中による米中和解への道筋、ベトナム和平、米ソ・デタント(緊張緩和)による軍備管理条約の締結など華やかな外交活動を反映し、ニュース記事はもちろん社説も全国紙では朝日新聞が12月2日付、毎日新聞は12月1日付、日本経済新聞も12月1日付で取り上げた。

 ただ報道も論説も現実主義外交の指摘やその光と影と言った型通りで予想の範囲の内容に終始し、親中姿勢や日本核武装論など問題も多い対中・対日外交論への批判の筆は鈍く、違和感を覚えた。

 その中にあって時事通信の元ワシントン支局長でもあった田久保忠衛氏の産経新聞12月7日付「正論」の論考は光っていた。

 訃報で内外の論評に目を通した田久保氏は、幾つかの例外は別にして日本の新聞の大方が、キッシンジャーを米中国交樹立実現の主役であるかのような書き方をしているのは俗論と断じ、《対中外交正常化を思案し、実行に移させた主役は大統領ニクソンであり、この点でキッシンジャーは脇役だった》とした。

 まさに正論である。対中外交のシナリオの書き手はニクソン、キッシンジャーはあくまで密使だ。ニクソンのウォーターゲート事件による失脚や、キッシンジャーの派手な言動も加わってのことだが、主客転倒してはいけない。その危うさの問題提起は貴重だ。ニクソンの対中外交で博士号を取得された同氏ならではと感じた。

 マスメディアに欲しいのも、このような厚みと深掘りの精神だ。そうでないと俗論が歴史になりかねない。

 筆者の本欄はこれが今年最後だが、もう1つの問題点を指摘しておきたい。国際ニュースの賞味期限というか寿命の短さだ。10月にイスラエルとハマスの軍事衝突が勃発すると、アッという間にウクライナ戦争報道は後方に追いやられ、ミャンマー内戦報道に至っては表舞台から消えて更に久しい。

 その意味で日経12月5日付社説「ウクライナ問題を埋没させず支援続けよ」はタイムリーだった。米国は野党共和党が支援に反対し、《欧州では大衆迎合のポピュリスト政党への支持が広がり、団結が揺らいでいる》。

 そして今、ウクライナの反転攻勢の失敗説さえ欧米では報道されている。事実はどうなのか。越年必至のウクライナ戦争はどこへ向かうのか。報道も正念場である。

 ミャンマー報道も然りだ。10月下旬からの軍と少数民族や民主派武装勢力の衝突は当初、無視も同然だった。12月に入り軍劣勢という衝撃的事態に、漸く不十分ながらも報じられている。しかし少数民族3勢力の連携は何(誰)が可能にさせたのかをはじめとして疑問や謎は多い。

 来年2月で権力奪取から3年となる軍政は、基盤強化とは逆に土台から揺らぎ始めたのだろうか。これまた見解の分かれるところだ。報道は消えても、事態は消えない。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2260号

 

アルゼンチン大統領選
右派ミレイ氏を選出

 

危機は克服できるか

試されるリバタリアン改革

 

 11月19日、アルゼンチンで「大統領選挙の決選投票が行われ、中央銀行の廃止などその過激な主張から『アルゼンチンのトランプ氏』といわれている右派の下院議員、ミレイ氏が勝利」した(NHK NEWS11/20)。「ミレイ氏は中国との関係凍結を訴えており、親中路線だった現政権の外交方針を大きく転換する見通しだ」(読売11/20)。

 南米アルゼンチンの動向が注目されることは多くないが、右派のミレイ氏勝利のニュースはどの全国紙も取り上げ、日経は11/26社説でも取り上げた。

 ミレイ氏がトランプ氏に例えられるのは、「米国のトランプ前大統領の主張に共感」しているからである(読売11/20)。トランプ氏も早速祝福の言葉を投稿した。ミレイ氏勝利には、サリヴァン米大統領補佐官、ブラジルのルラ大統領、コロンビアのペトロ大統領、チリのボリック大統領らがコメントを寄せたほか(BBC NEWS11/20)、岸田首相も祝辞を発出した(外務省11/21)。コメント内容は祝福一辺倒ではなく、ペトロ大統領のように、「ラテン・アメリカにとって悲しいことだ」という否定的反応もみられた(上記BBC NEWS)。

 ミレイ氏は、「右派リバタリアン(自由至上主義者)」として、「中銀廃止に加え、経済のドル化、国営石油会社YPFなどの民営化」といった「抜本的な改革を掲げてきたが、導入へ向けては大きな障壁に直面している」(ロイター11/26)。

 とはいえ、ミレイ氏勝利は、「年間インフレ率が140%を超え、5人に2人が貧困にあえぐなかで、アルゼンチン国民が伝統的な政治と経済危機にうんざりしている」ためだ(上記BBC NEWS)。国際決済銀行(BIS)の統計によると、中央銀行の政策金利は、21年末38%から22年末75%、23年11月末133%へと驚くべき上昇だ。誰が見ても常軌を逸したインフレ率や政策金利は、従来の経済政策の破綻であり、抜本的改革が必要なことは明らかだ。

 この点に関して、トランプ氏とは違って、ミレイ氏が経済学者であったことに注目すべきだ。なぜなら、中銀廃止論は、1974年ノーベル経済学賞受賞者で自由主義者のハイエクが70年代に主張した有名な議論だからだ。ハイエクは、政府による通貨の独占的発行を批判し、民間による競争的通貨体制を主張したことで有名で、この主張に同調する論者は皆無ではない。

 また、リバタリアンを自由至上主義者と表現するメディアの扱いには注意が必要だ。代表的なリバタリアンとして知られ、無政府主義的資本主義(アナルコ・キャピタリズム)を提唱したD・フリードマンは、多数の実例を挙げて、公共サービスを政府よりも民間がやったほうが効率的に提供できることを示した(『自由のためのメカニズム』勁草書房)。ミレイ氏は、こうした思想系譜に属すると見るべきであり、右派のポピュリスト(Newsweek11/28)といった程度の理解では不適切だ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2258・2259号

 

一帯一路10年の蹉跌
印・中東・欧州経済回廊

 

中ロ首脳の空疎な自画自賛

米、中東戦略立て直せるか

 

 10年前の華々しい発足から大いなる様変わり。巨大経済回廊「一帯一路」フォーラム(北京、10月17日〜18日)は151と参加国は多いが、首脳級は24カ国に減り、脱退が伝えられるイタリアの姿はなかった。

 全国紙の社説も専(もつぱ)ら中ロ首脳会談に焦点を当て、その蜜月ぶりを《力の信奉では平和導けぬ》(毎日新聞10月21日付)、《世界の安定を乱す》(読売新聞同19日付)、《連携は看過できない》(日本経済新聞同22日付)と異口同音に批判した。

 プーチン大統領の「(一帯一路は)非常に発展している」との称賛は空々しく、読売は《ロシアが中国に従属している実態を映している》と断じた。

 現実を自分に都合よく歪曲する点では、習近平国家主席も同じだ。朝日新聞19日付は《習氏が会談冒頭で、ウクライナ侵攻などないかのように経済関係を自賛したのにも驚く》とした。現実無視はウクライナ情勢だけではない。会談はガザ危機が深まる最中に行われたのに、仲介の労は取らず、公平性なき傍観者に終始した。

 一方肝腎の「一帯一路」自体の報道はいかにも通り一遍だった。今後は「量から質へ」(習主席の基調演説)と言えばもっともらしいいが、台所事情が巨大インフラなどもはや許さないのだろう。

 しかし参加国の多さや、途上国との共同建設を謳(うた)う構想はなかなかのものだし、「一帯一路」は終わっていない。質への方向転換の内実がどのような道筋を辿(たど)るのか、むしろ一層注意深く、きめ細かいフォローが必要だ。

 このことは遡(さかのぼ)ること約1カ月、9月の20カ国・地域首脳会議(G20サミット)でバイデン米大統領が発表した「インド・中東・欧州経済回廊(IMEC)」と併せ考える時、一層重要性を増す。

 IMECはひと言で言えば、米国が一帯一路に対抗して打ち出した鉄道と港湾のインフラ投資構想で、日経9月18日付社説は《米国は中東戦略の立て直しを迫られており、今回の構想はその一手だろう》と見る。

 産経新聞9月12日付「水平垂直」欄によれば、バイデン大統領は「経済回廊を築く」とのフレーズを会議で繰り返したという。意気込みは、IMECがグローバルサウス(GS)への関与策だからだ。

 ただそれが実を結ぶか否かは、大統領選を控え、《国内政治にも大きく左右されることになる》(同紙)との指摘はその通りである。想定外のガザ危機も加わり、今はIMECどころではなくなった。

 しかしこのまま水泡に帰すものでもあるまい。フォーブス誌9月11日(電子版)によれば、関係者は向こう60日以内により綿密な計画を立て、スケジュールを設定する予定というから、やはりフォローが重要だ。

 一帯一路が先行し、IMECが追う形だが《果たしてこのプロジェクトはどこまで現実のものになり、ゲームチェンジャーになりうるだろうか》(TBS NEWS DIG9月12日、電子版)との問いは興味深い。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2257号

 

迅速だった当時の政府
歴史の教訓を活かせ

 

石油危機50年の教訓とは?

中東緊迫で世界経済揺らす

 

 1973年10月6日、シリア軍とエジプト軍がイスラエルへの攻撃を開始し、第4次中東戦争が勃発した。これが発端となり、石油危機が世界を襲った。

 あれからちょうど50年経った今年10月7日、ハマスが突然イスラエルを攻撃、中東情勢は一気に緊迫した。読者諸氏が本稿を目にする頃の情勢を予想することは難しいが、石油危機再来への懸念が広がっていることは確かだろう。特に日本は、原油の中東依存度が50年前より高くなっているだけに、影響は大きい。

 今回の事態は50年前との共通点が多い。ただ一方で相違点もあり、両面からの分析が必要だ。その観点から、全国紙5紙の各電子版(10/1〜10/22)で、「石油危機」と「50年」の両方をキーワードに記事検索してみた。

 ヒットした記事件数が最も多かったのは日経で、21本だった。「エネルギー選択の時 石油危機50年」と題する5回の連載をはじめ、社説(10/8)では「(日本は)石油危機後、省エネや原発、天然ガスの導入など成果を上げたが、時間の経過とともに危機感を忘れてはいまいか」と指摘、「石油危機の経験を今こそいかせ」と主張している。同感である。

 日経以外の各紙の記事検索では、朝日が12本だったものの、毎日6本、読売3本、産経2本(いずれも同一記事の重複ヒット分を除く)と、量的には物足りない印象だ。

 その中で、朝日の「『列島改造は諦める』角栄が直面した石油危機 元秘書官92歳の回想」(10/17)が目を引く。当時の田中角栄首相の秘書官だった小長啓一氏へのインタビュー記事で、政権の動きや米国とのやり取りが語られている。

 同記事では少し触れられている程度だが、実は当時の政府の対応は現在の我々がイメージする以上に素早かった。田中内閣は第4次中東戦争勃発からわずか1カ月余り後の11月16日には、総需要抑制と石油消費節約を柱とする緊急対策をまとめた。

 筆者は当時、日経の松山支局に赴任したばかりで、11月25日に本州四国連絡橋の3ルート同時起工式が大々的に行われる予定になっていた。ところがその5日前になって突然「凍結」が決まったのだ。地元が大騒ぎになったことを今でもよく覚えている。

 田中首相のトップダウンによる決定だった。このような迅速な対応とそれを受けた官民一体の取り組みで、日本はインフレ乗り切りと省エネに総力を挙げた。

 その結果、第二次石油危機(1979年)では打撃を最小限にとどめて欧米より早く立ち直り、省エネ大国となったのだった。

 これらは単なる“過去の出来事”ではない。日経の社説が指摘するように、こうした歴史の教訓を活かすことが何よりも必要なのだ。メディアは、その教訓をもっと深掘りし、現在の危機を乗り越える知恵を結集する役割を果たすべきである。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2256号

 

中国EVシフトの影響
中国のリチウム戦略

 

日本の土鍋生産に打撃

欧州のしたたかな戦略

 

 中国の自動車市場では、急激なEV(電気自動車)シフトが生じている。23年上半期の中国国内自動車生産は1310万台(前年同期比6・1%増)、うちEVを含む新エネルギー車が361万台(同35%増)を占めた(中国国家統計局データ)。EVシフトに伴って、日系メーカーが苦戦を強いられる一方、比亜迪(BYD)を筆頭に中国勢が勢力を伸ばしている。実際、23年第2四半期の世界EV市場シェアは、テスラが21・7%で1位、BYDが16・2%で2位、GAC(広州汽車集団)アイオンが6%で3位となった(TESLA News8/19)。

 こうした中国でのEVシフトは、日本の地場産業に思わぬ影響を及ぼしている。

 「三重県の地場産業『四日市萬古焼(ばんこやき)』」は、ペタライト(葉長石)と呼ばれる鉱石を配合して土鍋を作り、今では「土鍋の国内シェア8割を占めるまでに成長した」。ところが、EV用のリチウムイオン電池の需要急増と価格高騰から、ペタライトに含まれるリチウムに注目した「中国企業が、世界有数のリチウム埋蔵量を誇るジンバブエの鉱山を買収し、日本向けの輸出がストップした」(毎日9/21)。まさに「EVの風、土鍋作れず リチウム争奪 中国、原料囲い込み」(毎日9/25)という状況だ。ただし、リチウムイオン電池の需要拡大が粘土価格を高騰させ、窯業全体に打撃を与える可能性についてはすでに日経(6/9)が指摘していた。今後は、代替原料を使った土鍋の生産も避けられない。

 東洋経済オンラインによると(22年2/25、情報源は財新)、22年2月にジンバブエの鉱山を買収したのは「国有非鉄金属大手、中国有色鉱業集団」傘下の中鉱資源集団で、同社は「カナダのリチウム・セシウム鉱山や、ザンビアの銅山および鉄鉱山などの権益をすでに保有している」。天斉鋰業や贛鋒鋰業などの中国リチウム大手も、オーストラリア、アルゼンチンやチリでのリチウム資源開発に参画を企ててきた。

 中国のEVシフトに対し、EUは、中国製EVが「中国政府による補助金を受けて人為的に安く抑えられており、EU製のEVが価格競争で不利に立たされている」として中国製EVを排除する動きを見せている(PRESIDENTオンライン9/26)。その一方で、欧州自動車メーカーは、部品調達、コストや納期の優位性から「完成車の輸出拠点としての中国の優位性が急速に高まった」として、「中国で生産し、世界各地に輸出する動きが相次いでいる」(東洋経済オンライン9/22)。

 日本の対応はどうか。「西村経済産業大臣はアフリカ中部のコンゴ民主共和国を訪問し、電気自動車のバッテリーの製造に欠かせないコバルトなどの重要鉱物の資源探査やビジネス交流」を今後進めていくという(NHK NEWS WEB8/11)。商社や政府系機関が相当頑張っているとはいえ、政府には明確で持続的な経済安全保障戦略を示してほしいものだ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2255号

 

BRICS・G20拡大問題
中印の主導権争い激化

 

理念なき結集は限界と読売

分断の橋渡し役求める朝日

 

 米中対立や世界の分断、格差が深まる中、合従連衡が盛んだ。

 中でも様々な憶測を呼んだのが、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの新興5カ国(BRICS)が8月に首脳会議でサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、イラン、エジプト、エチオピア、アルゼンチン6カ国の加盟を認めたこと。加盟国は一挙倍増の勢いだが、反米あり、産油国、経済危機国ありでバラバラ感も増大した。

 全国紙の評価は総じて否定的で今後にも懐疑的だ。読売新聞8月30日付社説「理念なき結集には限界がある」は《多国間協力体としての存在感を示すことは困難だ。逆に、足並みの乱れが露呈するのではないか》という。

 拡大を主導した中国の習近平国家主席は「拡大は歴史的だ」と自画自賛したが、1カ国を除いて中東アフリカへの集中は、日本経済新聞8月26日付社説によれば《米国の指導力が衰えた地域で影響力を広げたい中国の意図がにじむ》。

 にじむどころか中国は3月に仇敵同士のサウジとイランの国交正常化を仲介し、揃ってBRICS入りさせた。産経新聞9月4日付主張は《中国には新興・途上国との連携を強化し、米欧への対抗軸にしたいとの思惑がある。ロシアも同様だ》と指摘し、《米欧への対抗姿勢が、逆にBRICS内の不協和音を増大させかねないと知るべきだ》と批判した。

 不協和音は既に現実で、《ブラジルのルラ大統領は、「BRICSは新興国・途上国の組織化が目的で米国やG7に対抗するためのものでない」と述べた》(同紙)。また日米豪印(クアッド)の枠組みの一員、インドも米の対抗軸は望まず、習主席の拡大路線にも反対、南アのラマポーザ大統領が仲を取り持った。

 習主席は9月9、10日の20カ国・地域首脳会議(G20サミット)を発足以来、初めて欠席。理由は、議長国インドに花を持たせたくない、不動産バブルの破綻や経済悪化など国内事情、G20よりBRICS重視—など憶測を呼んだ。

 しかし拡大に反対したインドがG20ではアフリカ連合(AU)加盟を諮り、賛成を得たのは意趣返しか。中印は新興国や途上国の取り込みに主導権争いを激化させそうだ。

 朝日新聞9月9日付社説は《「先進国対新興・途上国」に「中ロ対日米欧」。この絡み合った分断の橋渡し役となり、G20を本来の姿に戻せるか。看板としてきた全方位外交の真価が問われる》とG20の今後に期待。また毎日新聞8月26日付社説は《拡大したBRICSは世界に壁を作るのではなく、平和と安定にこそ力を尽くすべきである》とBRICSに注文をつけた。

 だが両紙の期待も希望もないものねだりの感は拭えない。

 上海協力機構(SCO)も7月の首脳会議でイランの加盟を認め、発足時の5カ国は今や9カ国に拡大した。さらにBRICS、SCOともウエイティング・リストには20を超す国々が並ぶ。対立と分断が深まる悪しき連鎖がむしろ強いのである。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2254号

 

処理水放出への反応
安全性と必要性は容認

 

中国政府の非科学的批判

中国側の理不尽な迷惑行為

 

 8月24日、「多核種除去設備(ALPS)で大半の放射性物質を取り除いた」(東京8/23社説)処理水の海洋放出が始まった。処理水は、福島第1原発内に貯蔵されてきたもので、放出は今後約30年間続くとされる。

 8月の全国紙社説では、処理水の問題が何度か取り上げられた。社説の焦点は2点で、1つは放出の決定や実施に関わり、もう1つは放出に対する中国の反応や対応に関わる。

 放出決定・実施に関わる論点は3点だ。

 第1は、関係者の理解を十分に得ないまま処理水を放出したという批判である(毎日・朝日・東京8/23)。

 第2は、政府の決定が「科学的な安全性や必要性」に基づき、IAEA(国際原子力機関)の「国際的な安全基準に合致」(日経8/22)することだ。日経のほか、8月23日付けの産経・読売・毎日はこれを積極的に認め、朝日も「計画通りに運用される限り、科学的に安全な基準を満たすと考えられる」と書いた。容認の背景には、「福島の復興や廃炉を進めるには政治決断が必要」(日経8/22)という認識があった。

 第3は、中国などの非科学的批判や風評被害への対応だけでなく、安全対策や対話など、政府と東電の責任と役割を求めるものだ。

 一方、処理水放出に対する中国の動きに関わる論点は3点だ。

 第1は、中国政府が2年前から非科学的な批判を続けてきた上に水産物の全面禁輸に踏み切ったことである。

 非科学的批判の一例は、IAEAの見解の無視(日経8/29)、核汚染水の呼称(日経8/24、産経・読売・毎日8/26)だ。全面禁輸については、理不尽(日経8/24)、科学無視の暴挙(産経)、不当な措置(読売)、科学的な論拠に基づかない(毎日)、筋が通らぬ威圧(朝日)であるとして批判的だ(日経を除き8/26)。特に、「日本の水産品すべてが輸入禁止ならば、(北太平洋などで)中国漁船が捕った魚などの取引も全面的に禁止しなければ、筋は通らない」と書いた朝日の主張は論理的で痛快だ。

 第2は、処理水放出後に中国発信の嫌がらせ電話、中国国内の日本人学校への投石や日本製品不買呼びかけなどの反日活動が横行したことだ。これに対し、8月30日付けの毎日と東京は、中国政府に対して、冷静な対応や国民への冷静な行動呼び掛けを提言した。

 しかし、「中国のSNSで中国の原発の方が福島第1よりもはるかに多くのトリチウムを放出しているとの正しい情報が投稿されても削除」し、「誤った情報しか自国民に与えず、SNS上の反日的投稿を放置」してきた中国政府が反日の「張本人も同然」(産経8/29)だとすれば、中国側が素直に聞く耳を持つとは思えない。

 第3は、こうした中国政府の対日批判の意図は何か、である。「食の安全と中国人民の健康を守るため」(日経8/24)という説明は建前で、その本音は、中国経済停滞に対する自国民の不満を日本に向けた(産経8/29、朝日8/29)ということか。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2252・2253号

 

70年の節目を迎えた
朝鮮戦争の休戦協定調印

 

毎日以外は社説で取り上げるも

全紙中途半端で物足りない内容

 

 朝鮮戦争の休戦協定調印から7月27日で70年の節目を迎えた。

 朝鮮戦争は日本の経済復興を大きく牽引した(戦争特需は間違いなく日本の戦後復興を加速させた)。また、連合国軍総司令部(GHQ)の要請で、日本海に北朝鮮が敷設した機雷除去の任務中に犠牲となった旧日本海軍軍人のことについては、あまり知られていない。ちなみに、桜林美佐著『海をひらく 知られざる掃海部隊』(並木書房)に機雷除去の任務中に犠牲となった旧日本海軍軍人のことが詳しく書かれている。

 テレビのニュース情報番組は、ロシアのショイグ国防相や中国共産党の李鴻忠政治局員が招かれ、金正恩朝鮮労働党総書記と一緒に軍事パレードを観覧している映像を見せながら、スタジオのゲストに解説をさせていたが、当たり障りのないコメントばかりで、面白くなかったというのが私の感想だ。

 では、新聞はどうか。毎日新聞以外の全国紙は社説で70年の節目を取り上げている。そのなかで東京新聞が「日本は事実上の参戦国」という小見出しをつけて、冒頭で紹介した機雷除去や輸送任務中に犠牲となった旧日本海軍軍人のことについて触れていたことには驚いた。

 一方で、「岸田文雄首相が休戦協定70年に当たり再確認すべきは、軍事力強化一辺倒ではない、外交や対話による平和構築の重要性である。日本の外交力が試されている」と論じ、岸田首相に注文を付けているが、北朝鮮からの弾道ミサイル発射についての批判を社説(27日付)でどこにも書かれていないのは如何なものか。

 朝日新聞は社説(29日付)で「米国はウクライナ問題や中国への対応に手いっぱいで、朝鮮半島をめぐっては日米韓による抑止力の強化という『力対力』以上の戦略が見えてこない」と断じているが、北朝鮮の軍拡が止まれば、北朝鮮に対する日米韓の抑止力の強化は必要なくなると思うのだが…。さらに、「際限のない対立構図から脱する国際協調を再起動させる必要がある。日本もそのために率先して力を尽くすべきだ」と論じているが、「率先して力を尽くすべきだ」の部分は言わんとしていることが見えてこない…。

 読売新聞は「北朝鮮が核放棄へと踏み出すまで、国際社会が結束し、中露も巻き込んで制裁圧力を維持、強化することが肝要だ」と社説(28日付)の最後を締めくくっているが、中露が北朝鮮に対して厳しい態度を取り続けることができないことは、国連安全保障理事会での対応を見れば、誰の目にも明らかではないのか…。

 産経新聞の「日本にとっても対岸の有事ではない。有事には、日本も万全の対応をとれるよう準備を怠ってはならない」という認識は正論だが、社説(29日付)の結論部分で、「北朝鮮に新たな侵略をさせないための最大の抑止力は日米韓の結束である」と述べるだけでは物足りない。

 今回は全紙が全て中途半端な内容の社説だったと、私は思う。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2251号

 

世界に広がる日本ブーム
幅広い視点で報道を

 

大谷効果が日本経済を救う!?

「第3のジャポニズム」

 

  大谷選手の目覚ましい活躍が続いている。メディアの報道も過熱し、大谷選手のニュースを目にしない日がないほど。中でも、民放各局の午後の情報番組は、ちょうど米国での試合終了から間もない時間帯で、大谷選手のニュースを連日トップで扱っている。

 今年3月のWBCで日本が優勝した際、大谷工業やクリヤマホールディングスの株価が一時急騰して話題となった。大谷選手や栗山監督とたまたま同じ名前というだけで何の関係もない会社なのだが、最近は大谷工業の株価が再び上昇傾向となっている。これはご愛嬌としても、大谷選手の活躍による経済効果はこれまでのどのスポーツ関連よりも大きいと見られる。

 関西大学の宮本勝浩名誉教授は昨年10月の時点で「大谷選手の活躍による2022年の経済効果は日米両国合計で457億円」と試算し、「一人のアスリートが創り出す経済効果としては空前絶後」と指摘していた。今年はこれをはるかに上回るのは確実だろう。

 同教授はまた、WBCの日本優勝の経済効果を650億円との試算も発表していた。

 これら一連の試算はメディアも伝えていたが、いずれも金額で推計できる直接的な経済効果。だが筆者は、それ以上にマインド面も含め、数字では表しきれない効果が大きいと、見ている。

 第一は、多くの日本人を元気にさせてくれることだ。同選手の前向きな姿勢も、プラス思考の大事さを教えてくれる。これらは、経済活動にもプラス効果となるだろう。

 第二は、同選手が米国でも、成績だけでなく、発言や振る舞いなど、あらゆる面でリスペクトされていることだ。それを通じ、日本と日本人への海外の評価を高めることにつながっている。

 海外では今、日本の文化、食、技術やサービス、さらにはホスピタリティやマナーなど、トータルで日本がリスペクトされるようになっている。

 折から、日本企業の競争力は回復しつつあり、日本製品や技術への信頼も改めて高まっている。ここに、大谷効果が重なったと言える。

 歴史的に見ると、海外の日本ブームは今回で3度目だ。

 1度目は、幕末から明治にかけての「ジャポニズム」。日本の浮世絵や工芸品が欧州に紹介され、文化面で大きな影響を与えた。

 2度目は昭和の高度経済成長期で、「メイド・イン・ジャパン」が称賛された。

 今回はそのソフトとハードを含むトータルでの高評価であり、ブームの基盤はよりしっかりしたものとなっている。

 最近のインバウンドの急速な回復は、その顕著な例だ。また農林水産物・食品の輸出額はコロナ禍でも過去最高を更新し続け、今年も増加中だ。こうした動きが日本経済回復の一翼を担っている。

 メディアは、こうした日本経済の前向きな側面にもっと焦点を当て、幅広い視点で報道してほしいものである。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2250号

 

デジタル後進国露呈
マイナ混乱責任は政府

 

マイナ拙速も廃止も無責任

解決策は様式統一から

 

 6月2日、「マイナンバーカードの活用拡大に向けた改正マイナンバー法などの関連法」が成立した。「24年秋に現行の健康保険証を廃止して『マイナ保険証』に一本化するほか、マイナンバーの年金受給口座とのひも付けを進める」ものだ(読売6/2)。

 しかし、「カードを巡っては、公金受取口座の誤登録があったり、マイナ保険証に他人の情報がひも付けされたりするなど、トラブルが相次いで発覚」した(時事6/2)。誤入力によって、「薬剤や医療費などの情報が他人に閲覧」される事態も発生した(読売5/18社説)。「交付手続きを担う自治体の間では政府への不満」が広がり、「誤登録など多くが現場の単純ミスとはいえ、マイナカードの普及を急いだ政府の取り組みが自治体など現場に大きな負担となり、ミスを誘発したとの声が噴出」している(産経6/27)。

 マイナンバー(マイナ)やマイナカードをめぐる混乱から、国民の不安が生じている。マイナカード返納の動きもあることに対し、松本剛明総務相は「理解得るよう努める」(時事6/27)と会見で述べた。また、総務省は誤送付防止のため、「13項目のチェックリストを自治体に通知した」(時事6/28)。

 これに対し、産経(6/27主張)は、「これまでの手順を点検し、必要に応じて改善を進めるというが、あまりに悠長すぎる」とし、「各省庁に改善を指示するだけ」では問題の解決は難しいと疑問を呈する。混乱が生じた根本原因として、全国紙各紙が指摘するのは、24年秋に現行の健康保険証を廃止し、マイナ保険証に移行しようとする政府の拙速だ。

 読売(6/7社説)は、マイナ保険証を見直し、「当初の予定通り、選択制に戻すのも一案」とし、産経(6/10主張)は、普及優先を見直し、「実施時期は柔軟に対応すべき」とする。毎日(6/23社説)も「保険証廃止時期の再考」を求める点では、読売・産経と共通する。

 一方、朝日(6/9社説、6/26社説)は、マイナカードの「利用の強制や拙速な活用拡大」に繰り返し反対し、東京(6/21社説)は、「カード廃止も選択肢」として再検討すべきとする。他方、日経(5/24社説)は、東京のような主張を念頭に、「問題が起こるとゼロリスクを唱えて立ち止まりがちで、デジタル化を遅らせる一因」だとし、「試行錯誤を許容し、よりよい社会をめざす意識がデジタル社会の基盤を強くする」と提言する。

 評者は、読売の選択制への復帰を支持し、日経の見識を高く評価する。デジタル弱者問題への対応として読売の提言は適切で、不可逆的なデジタル化のもとで東京のようなアナログ回帰は時代錯誤であり、日経のような見識をもって「国民の不安広げる失態」(産経5/17主張)の原因を解明すべきと考えるからだ。マイナカード拡大の前提条件として、各種フォーマット統一の重要性を政府もメディアも認識していないことを残念に思う。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2249号

 

秩序再編活発化の中東
米中、サウジ、イラン

 

中国の攻勢に米国は後手か?

岸田首相は中東訪問を予定

 

 世界の眼がウクライナ戦争に一斉に注がれる間に、中東の覇権競争が活発化している。

 何と言っても今年世界を驚かせたのは、3月に仇敵同士の石油大国サウジアラビアとペルシャ湾岸大国イランが7年ぶりに国交正常化に合意したことだ。しかも仲介役は米国ではなく中国だった。

 地域に影の薄かった中国がこれからは関与を深めていくのか。その意図を読売新聞は《仮に中国が台湾を侵攻し、米欧日が厳しい対中制裁を発動するような場合でも、産油国との良好な関係を利用して打撃を緩和できると計算しているのではないか》(3月19日付社説)と勘繰った。

 また毎日新聞は《合意履行のため、火中の栗を拾う覚悟を示すことができるか。「責任ある大国」を自任する中国にとって重要な試金石となる》(同19日付社説)とした。

 合意から3カ月余り。大使館は再開されたが、両国の代理戦争とされるイエメン内戦に終結の兆しはない。

 5月にはシリアが12年ぶりにアラブ連盟に復帰した。日本経済新聞は《圧政の免罪符ではない。日米欧は誤ったシグナルを防ぎ、シリア国内の融和に向け圧力を続けるべきだ》(5月23日付社説)と警告したが、サウジの実力者ムハンマド皇太子とシリアのアサド大統領による笑顔の握手は、読売新聞社説の見出し《価値観より実利で動く中東》(同24日付)そのものだ。

 アラブ首長国連邦(UAE)は11月開催の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)にアサド氏を招くと言う。サウジ、イラン、中国の3カ国共同声明が謳った「内政不干渉」で正当化するご都合主義である。

 昨年1月にはサウジ、UAE、バーレーン、エジプトが2017年から続けてきた対カタール断交も終止符が打たれ、この独自の小国も息を吹き返した。

 さて、これら目まぐるしい秩序再編の動きに、米国はブリンケン国務長官が6月6日から8日までサウジを訪問。産経新聞国際面はこれを連日報じた。

 それによれば、ブリンケン氏は湾岸協力会議(GCC)出席に先立ち「米国はこの地域にとどまる」と述べ、中東諸国との関係強化に努める方針を示した(9日付)。またサウジとイスラエルの国交正常化への橋渡しも模索、《行き詰まりをみせていた中東外交の仕切り直しを図るものとなった》(10日付)と訪問を総括している。

 しかし前途は容易ではない。人権問題を巡り対立するサウジと米国の関係改善は一筋縄で行かないし、パレスチナ問題抜きにイスラエルとの正常化をアラブの盟主サウジがよしとするかどうか。

 またアラブ・ペルシャ湾岸諸国の一連の動きは米中露いずれとも一線を画し、中東の中東による中東のための自律覇権の動きと見ることも可能だろう。

 石油の約9割を輸入する日本は、政府もメディアもまるで対岸の火事視している。岸田首相は7月中旬頃から中東産油国を訪問の予定だが、相変わらずの石油行脚外交では不十分だ。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2248号

 

生成AIの功罪
適切なルール作り

 

業務や生産性にプラス

権利や思考力にマイナス

 

 4月から5月にかけてチャットGPTに代表される生成AI(人工知能)がマスメディアで注目を集めた。生成AIは、「インターネット上の膨大なデータを学習し、利用者の質問や指示を受けて自然な表現の回答や画像などを作る」ものだ(読売5/1社説)。4月末のG7デジタル・技術相会合で「AIの適切な利用に向けた行動計画」(同上)をまとめたこともあり、一挙に注目を集めた。2カ月間にマスメディアは社説でAIを何度も取り上げ、とりわけ日経と読売は4回も取り上げた。産経は主張で1回取り上げただけだが、ウェブサイトのトップページの最も目立つ場所にチャットGPTのコーナーがあり、多数の記事が時系列的に整理され、関連する記事が多数掲載されていて大変参考になる。

 生成AIが注目されるのは、G7で取り上げたことが唯一の原因ではない。すでに業務の支援・補助に活用する企業や自治体もあり、政府内でも「国家公務員の負担軽減のため」、「西村経済産業相が、国会答弁の作成に活用する考えを示した」(読売4/14社説)。こうした背景には、生成AIが「人間の仕事や創造活動の生産性を飛躍的に上げる可能性がある」という期待がある(日経4/9社説)。さらに、自民党内では、「新たな経済成長の起爆剤」として、「チャットGPTなどを活用する政策の推進を政府に求めている」(毎日4/23社説)。

 このように、代表的な生成AIであるチャットGPTが「世界中で人気になる一方、野放図な開発や普及を懸念する声も高まっている」(日経同上)。例えば、「偽情報の拡散や個人情報流出、著作権侵害などのリスク」や「専制主義国家がAI技術を悪用する事態」への懸念である(産経5/2主張)。すでに、「利用者が既存の作品とよく似た画像を作り出し、制作者らの反発を招いている」(日経5/26社説)。

 読売(4/25社説)は、「考えることにこそ人間の尊厳がある」として、「人間の思考を代替させるような使い方は、極めて問題が大きい」と主張する。AIを使って作文やレポートを作成するなど、人間本来の考えるという行為をAI任せにすることで「思考力の育成」が失われることへの警告である。

 読売の警告はもっともだが、教育現場をみると事態は別の意味で深刻だ。すなわち、安価なコピー機を使って模範答案をコピーしてそれを答案に書くだけの80年代が、ネット上で模範答案や資料を探してそれをコピー&ペーストして提出するだけの00年代を経て、生成AIを使って答案内容を書かせるだけの20年代に変わっただけで、思考力の育成停止はかなり前から続いている。テレビを見ても、満足な芸をもたない「ノー芸人」が毎日登場して、「まじ、やばい、めっちゃ、なので」など、稚拙、下品で聞くに堪えない言葉をまき散らす。この際、生成AIの功罪論議を契機として、思考力だけでなく言語発信力も、徹底的に取り上げてほしい。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2246・2247号

 

米国防総省の情報流出
容疑者の動機解明急務

 

日本も怒れ、甘い米情報管理

岸田氏爆弾事件との相関性

 

 米国防総省の機密情報がSNS(交流サイト)上に大量流出し、世界への拡散を止められないという前代未聞の事件が起きた。

 4月6日の米紙ニューヨークタイムズ(NYT)が政府高官の話として報じたことで事件が発覚、その後英紙フィナンシャルタイムズ(FT)、同ガーディアン、米紙ワシントンポスト(WP)など各国各紙がフォロー、米CNN、英BBCなど放送メディアも続々と後に続いた。

 漏洩(ろうえい)文書は100件を超し、ウクライナ戦争から国連、北大西洋条約機構(NATO)、ロシア、韓国、イスラエル、台湾情勢まで対象は世界的規模に及び、まさに「ずさんな管理に世界が揺れた」(15日付読売新聞社説)。

 他の全国紙社説も、「戦時の連帯損なう失態だ」(16日付毎日新聞)「早急な改善策を」(19日付日本経済新聞)「同盟国の不信食い止めよ」(15日付産経新聞)と取り上げ、朝日新聞は国際面で「21歳州兵 カリスマがなぜ」(15日付)とゲーム愛好家と思われる容疑者の怪に迫った。

 元々善悪は明らか、賛否の別れる事件でもないから、各紙こぞって米国に手厳しい。にも拘らず、その後の報道は手薄で、漏洩による損害の大きさや今後の情報収集活動への打撃など、事の重大さと深刻さへの危機感がもうひとつ伝わって来ないのは、日本が情報活動に疎(うと)く、かつ遠い国だからだろうか。

 しかしたとえそうだとしても、同盟国として国益や今後の同盟関係への影響を考えれば、事件は座視出来ない。日米同盟の根幹を揺るがしはしないか、官邸や外務省、防衛省の動向など、メディアが掘り下げるべきテーマは多い筈である。

 米国では2013年にも元中央情報局(CIA)職員スノーデンによる国家安全保障局(NSA)の情報活動暴露事件があった。あの反省と教訓はどうなったのか。米国は情報管理が意外に甘い感じがする。日本はもっと怒った方がよい。

 職歴も短い1等空兵が容易に国防総省機密情報へアクセスが出来てしまう。米国は情報の選別だけでなく職員の権限の選別も再考するべきだろう。

 さらに私見だが、岸田文雄首相が衆院補選の応援に訪れた和歌山市の演説会場で起きた爆発事件との相関性にも注目したい。

 重大事案の発生をいとも易々(やすやす)と許してしまう社会、容疑者が無職の24歳と21歳と共に若者であること、動機も片や黙秘のため不明、空軍州兵も政治・思想的背景は伺えず不明なことなど両者には妙に共通点が多い。

 事の重大さに見合わぬ、ある種の軽さが両事件に付きまとうのも何か不気味だ。

 そういう時代の始まりなのだろうか。日米とも第2、第3の類似事件が不可避ではないかと危惧する。

 ただ明るい材料はNYTやWPはじめ米紙の調査報道が健在なこと。漏洩文書や容疑者の動機を解明する続報を期待したい。

 事件が日本にも他山の石である以上、日本のメディアも大いに奮起を。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2245号

 

首相襲撃事件の深刻度
テロにもっと断固たる姿勢を

 

問われる安倍氏暗殺後の報道

テロ再発の一因か?

 

 岸田首相が襲撃される事件が起きた。本稿執筆時点では動機など不明だが、昨年7月の安倍元首相暗殺と同様、テロである。各紙は社説(4/16)で「民主主義を揺るがす暴挙」(朝日)、「言論への暴力は断じて許せぬ」(読売)、「言論封じる暴力許されぬ」(毎日)と厳しく批判した。

 この点は、安倍元首相暗殺事件でも同様だった。だが日が経つにつれそうした姿勢は弱まり、多くのメディア報道は逆に統一教会問題と安倍批判一色となっていった。これは昨年の本欄(2226号・8/1)で指摘した通りである。

 さらに一部では襲撃を正当化するような議論や山上被告への同情論、挙句の果てには映画まで上映され、SNSなどでは同被告を英雄視する声まで出る始末だった。

 このようなメディアの論調が、今回の事件をひき起こす一因になった可能性がある。何らかの影響を受けたか、または安倍氏暗殺後のメディア報道や社会の風潮が襲撃実行のハードルを下げた可能性を指摘する識者の意見もある。

 とすると、そうした報道にも責任の一端があるのではないか。報道のあり方が問われている。このままでは、さらなるテロの誘発も懸念される。

 昔の個人的な経験で恐縮だが、筆者はテレビ東京ニューヨーク駐在時代に2001年9月11日の米国同時多発テロに遭遇した。

 それだけにテロへの怒りや脅威を強く感じるのだが、帰国後ある会合で某大手メディアの幹部が9・11について米国に非があったかのような発言をしたので、大変驚いたことがある。

 昨年の事件後の報道ぶりを見ていると、今も一部メディアではそうしたテロに甘い空気が強いように感じる次第だ。

 本稿で筆者は「岸田首相襲撃」「安倍元首相暗殺」と書いている。だがメディアは「暗殺」という言葉をほとんど使っていない。今回についても一部の見出しでは「襲撃」とあるが、記事本文では「爆発物が投げ込まれた事件」などとなっている。なぜ、わざわざ表現を和らげるのか。そのような報道の仕方が、テロへの態度も和らげることになっているのではないか。

 メディアがテロに甘い姿勢を取ることは、まさに自分の首を絞めることなのだ。

 今から36年前、朝日新聞阪神支局への襲撃事件が起きた。朝日新聞もテロの被害者なのである。それこそ言論を生業とするメディアにとってテロは最も許してはならないことだ。

 一方、よく「テロの背景には貧困や格差がある。それを解決しない限りテロはなくならない」と言われる。確かにその通りだが、それを強調し過ぎるとテロ容認につながりかねない。

 どんな理由があってもテロは絶対に認めてはならないのである。

 メディアはテロに対する断固とした姿勢をあらためて明確にし、テロを再発させない機運を高めるための報道を行うことが急務である。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2244号

 

スパイ防止法の制定
中国への対抗手段

 

誤解を生む朝日のスタンス

毅然とした態度を示せ

 

 アステラス製薬の現地法人幹部の日本人男性が2014年に施行された反スパイ法違反の容疑で中国国家安全当局に拘束された。

 日本人は今回を含め、判明しているだけで反スパイ法により17人が拘束され、その後に11人が帰国、1人が服役中に病死している。現在も5人が拘束されたままだ。

 中国政府は日本人を拘束するたびに具体的な容疑を明らかにしないまま非公開で裁判を行う人権無視を繰り返している。中国政府は、日本は類似の事件を再三起こしているとして、「国民への教育を強めるべきだ」としている。だが、類似の事件が何なのかの説明は一切ない。また、中国政府が日本に対して一方的に対応を要求するのも納得できない。

 毎日新聞を除き、新聞各紙も今回の拘束事件を社説で取り上げている。

 朝日新聞は日本国内では特定秘密保護法や通信傍受法の制定時に紙面上で反対の大キャンペーンを張っていたくせに、社説(3月29日)では今回の理由を明らかにしないままでの拘束事件を問題視しているものの、「中国が公的機関の秘密を法律で守ること自体は必要だ」と論じるなど、どことなく中国の対応に与(くみ)していると取られかねない書き方となっているのは如何なものか・・・。

 読売新聞は社説(4月1日)で「米欧では、中国との貿易を制限するデカップリング(切り離し)が進んでいる。習氏は、透明性を欠いた法の手続きを見直さなければ、こうした流れを止められないことを認識すべきだ」と断じている。中国の姿勢に疑問符を投げかけている姿勢は評価していいだろう。

 日経新聞の社説(3月28日)は「日本政府は男性の速やかな解放に向けて、あらゆる手段をとる必要がある」とし、産経新聞の社説(3月30日)も「日本政府は中国に滞在する日本人を保護するため、あらゆる手立てを講じるべきだ」と論じており、同じようなニュアンスでまとめられているが、具体的な解決に向けた方策が示されておらず、少し物足りない感じがする。

 日本には対抗手段として、中国人のスパイ活動を取り締まる法律(スパイ防止法)がない。新聞各紙は今回の拘束事件を受けても、スパイ防止法の制定について、まったく触れられていない。

 それに対して、4月2日のフジテレビ『日曜報道 THE PRIME』に出演した元大阪市長・弁護士の橋下徹氏が「成熟した民主国家であったとしてもスパイ防止法っていうのはみんな持っている」「日本もスパイ防止法、反スパイ法を持っていて、やり返してお互いに交渉して相互解放するとかね」と発言していた。この発言を私は支持したい。

 スパイ防止法の制定には、朝日新聞や毎日新聞に加えて、共同通信などが反対の大キャンペーンを張ることが予想されるが、近年、経済安全保障問題が注目を集めるなか、日本がスパイ天国と揶揄されないためにも、スパイ防止法の制定は必要である。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2243号

 

性急な政策修正要求は危険
偏らない視点で政策論議を

 

植田新日銀総裁への期待と

黒田日銀への〝過度〟な批判

 

 4月9日に、日銀の新総裁に植田和男氏が就任する。

 植田氏は国会の所信聴取で「現在の物価上昇はコストプッシュであり、需要の強さによるものではない。目標の2%の安定的な達成には時間がかかる」として「金融緩和を継続する」と基本姿勢を表明した。

 一方、異次元緩和には「さまざまな副作用が生じている」と指摘しつつ、「緩和のメリットが副作用のデメリットを上回る」と、早期の政策修正には慎重な姿勢を示した。同氏のこうした考え方が伝わるにつれ安心感が広がり、メディアの論調もおおむね好意的だ。

 ただ、今回の総裁交代をめぐる報道で気になることがある。黒田東彦現総裁への批判が増え、一部には全面否定ともいえる内容が目につくことだ。

 中でも日経の「経済教室」(3月15日付)は突出していた。日銀出身の経済学者、翁邦雄氏の寄稿論文で、黒田日銀の異次元緩和は「中国のゼロコロナ政策と似通っている」というのだ。それによれば、ゼロコロナ政策は当初は劇的な成果を収めたが、ロックダウンから抜け出せなくなり、市民の不満が限界に達して解除、感染が爆発的に増加した。異次元緩和では長期金利の固定化(YCC)を導入し市場をロックダウンしたと、ゼロコロナと重ねている。

 翁氏はかつて日銀の理論的支柱と言われた人だが、それに似つかわしくない乱暴な議論だ。言うまでもなく、中国のゼロコロナ政策と日銀の金融政策とでは全く次元が異なる。強権政治が引き起こした事態と「似通っている」などと批判するのは不適切だ。

 最近、メディアで日銀OBの発言が目立っている。前総裁の白川方明氏がIMF(国通貨基金)の季刊誌に「変化の時」と題して寄稿したことも話題を呼んだ。各紙がこれを報じたが、中でも日経(3月1日付)は「異次元緩和に疑問を呈した」と詳しく紹介していた。

 その日経は、「市場のゆがみ限界に」(2月15日付)、「異次元緩和問われる10年」(3月3日付)など、黒田日銀に批判的な論調が多い。

 黒田日銀の政策にはYCCの副作用など改善すべき点があるのは確かだ。

 しかし黒田批判の多くは「異次元緩和は効果がなかった」と、異次元緩和そのものに向けられている。

 だがこの10年間で「デフレではない状況」(植田氏)になったのは事実だ。成果が十分とは言えないが、全面否定されるものではないだろう。

 こうした黒田批判は、植田新総裁に早期の政策修正を求めることにつながりやすい。だが前のめりの出口戦略が危険なことは、過去の日銀の失敗が示している。その時、多くのメディアが同調したことも教訓にすべきだ。

 メディアは、異次元緩和の成果と課題を幅広い視点から検証し、今後の金融政策のあり方について一方に偏らない議論の場を提供すべきである。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2242号

 

おっさんビジネス用語
不毛な日本語のまん延

 

表現力欠如の社会現象か

理解不可能な人への配慮を

 

 「おっさんビジネス用語」の使い方と落とし穴を取り上げた産経の2月28日配信記事にはうなずかされた。

 「一丁目一番地、鉛筆なめなめ、ガラガラポン、全員野球」など何度か聞いたことがあったが、そのたびにこの用語はいつ定着したのか、どのように定着したのかと疑問に思っていた。産経の記事はこの疑問を氷解させる優れものであった。

 とはいえ、「ロハ、よしなに、えいや」など一度も聞いたことがない用語もあり、自分の知らない世界でそんなに流通していたのかと驚かされる共に、自分一人取り残されたような孤独感も味わった。

 同記事によると、使う人には「面白い、柔らかい印象を与える、便利なフレーズ、職場の潤滑油になる」などの効果があるらしい。しかし、明確な定義がないために、「正確に伝わらない、誤解を生んだりする、言葉の意味が分からず混乱した」などのマイナス効果もあるという。

 どうやら私が味わった孤独感は、用語が流通する職場に私が属していないためであり、違和感を持ったのは、正確な意味がわからないためであったようだ。ガースーといった表現やガーシーの呼称にずっと違和感や嫌悪感を持つのも、これに近いものがある。

 孤独感、違和感や嫌悪感を抱くのは、おっさんビジネス用語だけではない。野球などでよく使われる「勝利の方程式、何とかジャパン」という言い回しにも似たものを感じる。最初に使った人は独創的であったかもしれないが、女性アナウンサーまで用いるとなると、人真似でなくもっと自分の言葉で表現できないものかと思ってしまう。他人の表現を借用するだけでは、官僚の書いた文章をただ読み上げるだけの大臣とほとんど変わらない。

 日本社会にとって、おっさんビジネス用語よりももっと深刻なのは、テレビのグルメ番組で出演者が使う言葉である。何を食べても「おいしー、めっちゃおいしい、めちゃくちゃおいしい」しか出てこない。貴重な料理を食べさせてもらっても出てくる言葉は下品かつ貧弱な俗語だけ、しかもそれで高額の出演料をもらい、視聴者がそれを称賛するのは、ほとんど病的な世界である。下品かつ貧弱な世界を映し出す放送に対して高額な報酬が支払われるのは、極めて不合理かつ不公平だ。

 これに対し、収入や生活の不安定に直面しているギグ・ワーカーや非正規労働者から強い不満や批判の言葉が出てきても良いのではないか。また、番組等に出演する有識者や文化人が日本文化の低俗性を指摘し、問題提起しても良いのではないか。それとも、出演によって自分の認知度と報酬がアップすることしか関心がないのか。もっとも、そのようなことを指摘しようものなら、二度と番組出演のチャンスがやってこないかもしれない。

 かつて低俗番組の横行に対し「一億白痴化」と看破した大宅壮一氏が生きていたら何と表現しただろうか。問題の深刻さは、おっさんビジネス用語をはるかに上回る。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2241号

 

米の中国偵察気球撃墜
不明飛行物体も相次ぐ

 

海も空も制覇目論む?中国

日本の対応言及は産・読のみ

 

 北米大陸上空に侵入した中国の偵察気球を2月4日、米空軍が撃墜。その後も3日連続、米上空で不明飛行物体を撃ち落とすという奇怪な事件が起きた。

 さすがに全国紙社説も今回は「撃墜しないで話合いを」とは書かない。毎日新聞は見出しを「米が『偵察』気球撃墜、中国の言動が緊張高めた」(7日付)とし、《両国(注:米中)間の緊張を高めた責任は、中国にある》と断じた。たとえ過ちであれ無断侵入は弁解の余地はないから当然だ。

 ただし結構なのはそこまで。気象研究の民生用への武力行使は過剰反応という中国と、偵察目的での領空侵犯の撃墜は国際法上可とする米国の主張を《国際法の解釈が真っ向から対立した》と言うのは、さしずめ悪しき客観主義の典型である。

 これは国際法の解釈の違いの問題ではない。日本経済新聞(6日付)と読売新聞(7日付)両社説が異口同音で指摘したように、中国では航空・宇宙・気象に関わる部門の活動は政府の関与なしにはあり得ない。国際法云々以前に、ここは民生用を隠れ蓑にする欺瞞(ぎまん)こそ問うべきであろう。

 同様に朝日新聞社説(7日付)がブリンケン米国務長官の訪中延期を《進展の兆しを見せていた対話の流れに水を差したのは残念というほかない》というのもお門違いだ。

 中止しなければ、中国が「この位は米国も看過する」とより大胆な行動を取る可能性の高いことは、過去の言動が証明済み。訪中に敢えてぶつけたような気球侵入は、米国を試したか、習近平政権と軍部に齟齬(そご)があるか、対米関係で路線対立があるか等々、何故今だったのかを巡って様々な疑問を惹起(じゃっき)する。

 筆者が事件に真っ先に思ったことは、宇宙を含めて空、特にインド太平洋上で支配権確立を目指す中国の野心が、いよいよ露わになったというものだ。

 海洋では、南・東の両シナ海の現状が示すように、既にそれは始まっている。1992年の領海法制定以来、前者では領有権を争う東南アジア諸国を向うに着々と軍事拠点化を図り、後者では日本の尖閣諸島海域へ武装海警船を今や日常的に送り込む。頻度も規模も昨今はエスカレーションに歯止めがない。

 米国防総省によれば偵察気球の飛行は5大陸40カ国超に及ぶというから、中国は「今頃気付いたか」と宇宙戦略の再構築を計っているかもしれない。

 日本でも、令和2年6月と同3年9月に似たような飛行物体の目撃を官房副長官が記者会見で認め、産経新聞主張(社説)は《政府と自衛隊は、スパイ気球やドローン(無人機)に対処する能力をきちんと備えているのか》(8日付)と問うた。

 読売も日本周辺の動向の再調査を求めたが、他紙は言及なし。その後「中国の偵察用と強く推定」(防衛省)される気球の存在が次々と明らかになっている。メディアは国民の関心や不安にもっと敏感でありたい。

 今後の「長期戦」のためにも、撃墜気球の調査結果や同盟国との情報共有が待たれる。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2240号

 

ネット・SNSに流れる若者
信頼されるコンテンツを

 

ますます進むテレビ離れ

加速する視聴率低下

 

 本欄の前回執筆(1月16日付・2237号)で新聞の衰退を論じたが、テレビもまた危機に直面している。

 視聴率の低下だ。視聴率と言えば長年「世帯視聴率」を指していたが、近年は「個人視聴率」が主流で、特に13〜49歳の「コア視聴率」が重視されている。この年齢層は消費意欲が高くCMの主要ターゲットとされるためだが、どの視聴率も大幅に低下している。

 個人視聴率の調査は歴史が浅いため、長期間の比較可能なHUT(総世帯視聴率=調査対象全世帯のうちテレビをつけていた世帯の割合)を見ると、1990年代は70%を超えていたが、コロナ直前には60%を割った。コロナ禍では在宅時間が増えたため60%を回復したが、2021年度以降は従来以上のペースで急低下。2022年度上半期は前年同期比6・8%も低下し、過去最低の52%となった。

 個人視聴率の低下も著しい。2022年のPUT(総コア視聴率=調査対象の個人全員のうちテレビを視聴していた割合)はゴールデンタイムで前年比3・0%低下し、19・0%だった(日本テレビホールディングス資料)。コア視聴者は5人に1人しかテレビをつけていないことになる。 肝心の「コア」がテレビ離れを起こしているのである。その傾向は、多くの調査でも明らかとなっている。

 NTTドコモ系のモバイル社会研究所が1月に発表したメディア利用調査によると、「日常的に生活情報を得ているメディア」は、「テレビ」が46%(全世代合計・複数回答、以下同)で1位だったものの、10代と20代では「SNS」が1位で、その利用率は10代で62%、20代で54%と圧倒的だった。

 さらに10代・20代ともに「WEBサイト・アプリ」がテレビとほぼ並んでいる。若者のテレビ離れは決定的だ。

 しかもテレビ離れは上の世代にも波及してきている。同調査を見ると、30代・40代ではSNSの利用率が低下するが、入れ替わりにWEB・アプリが50%近くに達し、テレビを上回って1位となっている。

 テレビが1位をキープできているのは、50代以上に限られているのが実態だ。

 このような現状に対応し、テレビ局は少しでも視聴率、特にコア視聴率を稼ごうと必死だ。

 しかし、人気の芸人やタレントを出演させ万人受けしそうな番組ばかり作るため、似たような番組が並び、飽きられる。そしてテレビ離れがさらに進むのだ。

 いま必要なのは、安易な視聴率競争ではなく、独自の戦略とコンテンツの差別化、そして良質化である。

 報道番組や情報番組では一部に、過度な政府批判で視聴率を稼ごうとし、他局がこれに追随する傾向があるが、そうした現状から脱却し、視聴者の信頼を得られる報道が求められる。そうでなければ、テレビ報道はますます信頼を失い、テレビ離れを一段と加速する結果となりかねない。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2239号

 

日銀金融緩和維持
利上げを再三否定

 

市場経済の中央銀行か

物価より金利が大事か

 

 2022年の世界経済は、大幅な物価上昇とその抑制を目指した複数回の利上げによって特徴付けられる。英国では通算8回、米国・カナダ・韓国では7回、ユーロ圏では4回実施された。日本と同じマイナス金利を導入していたスイスも3回の利上げを実施してプラス金利となった。

 こうした利上げの目的は、物価高騰の抑制だ。では、どうなったか。前年同月比の消費者物価上昇率をみると、米国では昨年6月がピークで、それ以降下落した。同じ傾向は、英独・ユーロ圏・スイスでもみられ、ピークはスイスが昨年8月、ドイツが9月、英国とユーロ圏が10月であった。利上げによる物価上昇率の抑制は、成功しているようだ。

 ところが、明確な利上げを一度も実施しない日本の物価上昇率だけが上がり続けている。1月16日に発表された昨年12月の企業物価指数は「前年同月比では10・2%上昇し、9月の10・3%以来の高水準になった」(日経電子版1/16)。また、1月20日に公表された12月の消費者物価指数は前年同月比4%の上昇で、昨年6月から7カ月連続の上昇となった。生鮮食品とエネルギーを除いても3%の上昇だ。

 この単純の事実は、日本の金融政策が物価上昇率の抑制を目指していないことを示す。日銀は、昨今の物価上昇は供給面から生じたもので、日銀が意図する需要面から生じたものではないとする。日銀は金利上昇の押さえ込みに必死で、昨年には「日銀の12月の長期国債の買い入れ額が17兆円を超え、月間の購入額として過去最大となった」(日経電子版12/30)。

 日銀は、望ましい物価上昇率を達成するために長短金利をコントロールするとしながら、実際には日銀が望ましいと考える長短金利水準を達成するために物価上昇率の抑制を放棄している。まさに本末転倒の政策である。

 マーケットだけでなく、誰もが日本の金利上昇を予想している。世界の主要中央銀行が利上げと中央銀行資産(バランスシート)抑制という「金融の正常化」を進める中で、日銀はいつまで異次元の金融緩和という名の非常時経済態勢をとっているのか。

 しかも、長期国債を大量に買い入れることで安易な歳出拡大と大規模財政赤字を許し、間接的に株式と不動産を大量購入することで市場価格形成を歪めている。日銀のやっていることが果たして、「市場経済における中央銀行の役割」と言えるのか。社会主義計画経済批判を行ったミーゼスやハイエクがもし生きていたら、日本の現状をみて徹底的な批判を行ったことであろう。

 マスメディアに期待するのは、ミーゼスやハイエクの立場に立たないとしても、長期的視点と外国との対比から、時には日銀に強い批判や注文を付ける必要があるということだ。実際、1月18日の日経電子版社説や19日の毎日・朝日の社説がマーケットの声を代弁して、日銀の政策再考を促し、世論を喚起したことは非常に頼もしい動きだ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2238号

 

東工大入試女子枠設置
東大女性教員増員計画

 

理系女子OECDで最下位

日本の30年後のために決断

 

 ニュースの日付はどちらも新聞というより旧聞だが、今日的テーマだし議論の活発化を期待し取り上げる。

 第1は11月、東京工業大学が2024年度入試から総合型・学校推薦型選抜で女子枠を設け、24年度は58人、25年度は1学年の募集人員の14%に相当する143人を採用すると発表したことだ。

 次いで同月半ば、今度は東京大学が《今年度から6年間で、女性の教授や准教授約300人を新たに採用する方針を固めたことがわかった。…東大は昨年公表した行動計画で「多様性と包摂性」をキーワードに学生の30%以上(現在は学部生で20%)、教員の25%以上を女性とする目標を掲げた》(読売新聞11月18日付朝刊)ことが報じられた。

 理工系「女子枠」は今や文部科学省も23年度大学入試から勧めている。例えば名古屋大学工学部は23年度入学の学校推薦型選抜で募集定員の半数が女子だ。ただ今回は国立トップ2校の決断と人数も相当数のため、注目度が上った。

 リケジョ(理系女子の略語)の報道に早くから熱心な印象のある毎日新聞は早速「論点」欄で3人の大学人の声を特集(12月2日付朝刊)。いずれも前向きに評価しているが、《(大学が)3割が女性になれば文化も変わるだろう》(大沢真理・東大名誉教授)はその通りと思う。紅一点や二点ではダメなのだ。

 一方東工大はさまざまな取り組みをしてきたが、女子学生は増えず《男女の不均衡を解消するには、もはや入試にまで手をつけるしかないのが現状》という西田亮介・東工大准教授の指摘は現実の岩盤ぶりと打開の容易でないことを物語る。

 その意味で「医科歯科大との統合も143人女子枠も危機感から決断」と語る朝日新聞EduA11月30日(電子版)の東工大・益一哉学長インタビューは背景の理解に役立つ。

 《ダイバーシティーの1丁目1番地が女性活躍》《女子枠が一般枠より入試難易度が低いということはなく、偏差値が下がるとは考えていない。むしろ大学を偏差値のみで評価していることにも問題があると提起したい》など女子枠に留まらない問題意識が伺える。朝日は本紙にもこういうコクのある記事をもっと載せて欲しい。

 またSNSなどネット上の少々浅薄だが活発な賛否の議論に比べ、新聞は大人し過ぎる。

 《女子枠は、高い視座から日本の30年後を考えようという1つです。高い視座を持たなかったから、日本は今のようになったのです》との学長の指摘を読者はどう考える?

 23年の大学入学共通テストが1月14日、15日に行われる。予備校による最新志願動向では、理工系を中心とした「実学志向」の傾向や、国公私立とも理系を志願する女子受験生の増加が目立つそうだ(産経新聞12月14日付)。理由を予備校側は受験生がコロナ禍で医療や創薬の活躍を感じたと分析している。

 理系女子の少なさは経済協力開発機構(OECD)加盟国で最下位。脱出事始めの新年を。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2237号

 

防衛財源論争
増税か国債発行か

 

3つの立場を見極める

トップリーダーの役割

 

 1980年代に流行した議論に「大きな政府か小さな政府か」という論争があった。

 両方共に巨額財政赤字の存在を前提としていない。

 ところが、現代の日本では、大きな支出と小さな財源(税金)、結果として巨額財政赤字を主張する政治屋が多く、増税の必要性を言おうものなら、財務省の回し者として罵倒される。

 こうした文脈で、最近の防衛費財源をめぐる論議をみると興味深い。ここでは政治家の論議でなく、マスメディアの論議を取り上げる。その前に、防衛力強化に関する動きを整理する。

 「首相は防衛力強化に向け、内容、予算規模、財源を一体で決めると早い段階から公言してきた」(日経12/13社説)。11月22日には、国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議(防衛有識者会議)が報告書を提出し、「日本の防衛体制の弱点をどう克服し、対処能力を高めていくか。その方策を網羅した提言」を示した(読売11/24)。

 防衛有識者会議の提言を踏まえ、読売(11/24)は。「防衛予算は恒常的な経費であり、国債に依存し続けるわけにはいかない。政府は、税制を含めて、財源の確保策を早急にまとめる」べきと主張した。日経(12/13社説)も、「安全保障という国の基盤にかかわる政策を安易に借金に依存する発想は戒めるべき」と主張した。これら2紙の主張は、(防衛力強化に関する)「大きな政府」論である。

 産経(12/9主張)も、「防衛力を増強するうえで防衛費の安定的な財源の確保は欠かせない」とする点では「大きな政府」派だが、「まずは歳出削減の徹底」が必要で、「安易な国債増発や増税は許されない」としたのは、日本の「大きな支出・小さな財源」派に近い面がある。

 一方、(防衛力に関する)「小さな政府」派の筆頭が東京・中日と毎日だ。東京(11/26社説)は、防衛有識者会議の提言は「軍拡増税」だと決めつけ、同系列の中日(12/14社説)は、「『軍拡増税』を撤回せよ」とまで書いた。毎日(11/30社説)も防衛財源を論じながら、最後には「憲法に基づき、軍事大国とはならず、専守防衛を堅持」すべきだと主張した。

 朝日(12/10社説)は、「安定財源確保は必須」とする点では読売や日経に近いものの、「国債頼みは、財政上の問題に加え、防衛力拡大のための歯止めも失わせる」とし、「中身を精査し、過大な部分を見直すのが先決」とする点では東京や毎日のほうに近い。

 こうした整理の上でまとめると、ロシア、中国、北朝鮮などの軍備拡張を前に「防衛力強化は不要」とする立場は国内世論を反映するとは思えない。一方、増税だけでなく増税論議すら不要だとする立場は、無責任そのものでしかない。不可欠なものと考えるなら、読売や日経が主張したように、皆(国民)の負担で、と考えるのが自然である。そして、国民の負担を提示することは上から目線でなく、皆を先導するリーダーの役割だ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2236号

 

G20サミット首脳宣言
初の対面米中首脳会談

 

新興国の外交力侮れぬ時代

対話を歓迎する中国の本音

 

 11月後半、東南アジアでは一連の首脳会議と2国間首脳会談が開かれ、さながら首脳外交の見本市。中でもメディアの注目を集めたのが、20カ国・地域首脳会議(G20サミット)と初の米中対面での首脳会談だった。

 ロシアのウクライナ侵攻後、G20は対立の場と化し、外務、財務など閣僚級会合はすべて共同声明の発出を断念、サミットも悲観的空気が強かった。

 《かつては世界を牽引する役割を期待されたG20の機能不全が際立っている》との読売新聞16日付も例外ではない。見出しの「対立鮮明」「共同声明見送り続く」に、首脳会合も同じ運命を辿るとの予測が読みとれた。

 だが結果は外れだ。16日、首脳宣言をまとめた主催国インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は「(ウ侵攻開始の)2月以降初の宣言」と胸を張り、読売も17日付で《「玉虫色」の決着》と一転、軌道修正し辻褄を合わせた。

 予測の当否は世の常だから仕方ない。むしろここは機能不全を土壇場で救ったインドネシアへの言及があって然るべきだった。

 欠席はしたが、プーチン氏を含め主要国首脳全員にウ侵攻後会った首脳はジョコウィ氏しかいない。議長の仕事とは言え、次期主催国インドも含めて新興国の外交力が侮れない時代となったことを象徴する一件だった。

 同じ頃、第27回気候変動枠組条約締約国会議(Cop27)も、議長国エジプトが会期を延長し合意にこぎつけた。

 メディアはとかく報道で対立、不調、先送りなど順調より逆調に走りがちだ。その方が字になる(活字)、絵になる(映像)からかもしれないが、それは報道のパターン化やステレオタイプ化の危険と背中合わせでもある。

 実は同じような危惧をバイデン大統領と習近平国家主席との首脳会談報道にも感じた。両者とも内政問題を乗り切った後だけに強気で臨むのではと、ペロシ下院議長の訪台以来緊張対立下にある米中関係の更なる悪化も懸念された。

 しかしこれまた激突も破綻もなかった。ただし成果もなく、《対話を重ね、妥協点を見出し、国際社会の不安をとり除く。その努力を続けてほしい》(毎日新聞16日付)をはじめ、社説の多くが米中の「対話継続で一致」に飛びついた。朝読は「1回の首脳会談で不信は解けない、溝が深すぎる」と異口同音で仲良く?強調した。

 対話はもちろん重要だ。しかし対話とは妥協点を見つけ、《世界の安定に貢献を》(日経新聞16日付社説)することだけではない。

 中国の環球時報電子版15日社説は「危機に直面する世界の緊張を和らげた。会談が両国の協力関係の新たな出発点になることを期待する」と会談を前向きに論じたという(産経新聞28日付)。

 かつて中国は米中で分割支配する新型の大国関係を提案し、米国に退けられたが諦めていないようだ。

 協力関係の新たな出発点とは、米中共同管理体制の構築開始ではないのか。対話を喜んでばかりもいられない。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2235号

 

1ドル=150円の衝撃
多角的な報道が必要

 

「悪い円安」論は本当か?

過度な悲観論からの脱却を

 

 10月下旬、円が1㌦=150円台をつけた。32年ぶりの円安である。その後は政府・日銀の円買い介入などで円高に振れたが、それでも歴史的な円安水準であることに変わりはない(本稿執筆時点)。

 円安の報道で目立ったのが、「日本経済の衰退が背景」「日本売り」といった記事だ。たとえば日経は「国力低下、人材・資本の日本離れも」(10/20)、「市場が日本経済の弱さ突く」(10/21)、「円安招いた『日本病』 賃金低迷・低成長のツケ」(10/22)などの解説を連日掲載した。こうした論調は他のテレビ・新聞でも多く見られた。

 日本経済が弱さを抱えていることは事実だ。しかしそれが今回の円安の直接の原因ではない。

 今の円安が始まったのは今年3月だ。それ以前の数年間は1㌦=110円前後で推移していたが、3月に米国がインフレ抑制を目的に利上げに踏み切ったのをきっかけにドルに買いが集まり、円が下落。その後も米国の連続利上げにつれて、円安が進んだのだ。

 逆に、11月10日に発表された10月の米消費者物価上昇率が鈍化したため、米国の利上げペースが鈍化するとの観測が浮上し、一転してドル売り・円買いが殺到。一時は138円台まで円が急上昇した。

 つまり現在の局面では、米国の利上げが最大の円安要因なのだ。

 円安の影響をめぐる報道についても同じことが言える。「円安によるコスト増に中小企業が悲鳴」「家計を直撃」など、マイナスの影響に焦点を当てた報道が支配的だ。いわゆる「悪い円安」論である。

 確かに円安のマイナスの影響は大きい。物価高に悩まされている最中だけに、その気持ちも理解できる。ただその一方で、円安のメリットもある。上場企業の今年4~9月期決算では、円安の影響で増益となった企業や、来年3月期の業績見通しを上方修正した企業が続出しているのである。

 円安メリットは、日本企業の海外生産が拡大したことで以前より小さくなっているのは事実だが、それでも総合的にはプラスだ。「円安は日本経済全体でマイナス」と言うのは正しくない。

 もう一つ、円安に伴い重要な変化の兆しがある。日本企業が生産拠点を国内回帰させる動きだ。過度な中国依存からの脱却や経済安全保障の観点によるものだが、円安になったからこそ現実的になってきたのだ。

 筆者は「悪い円安」や「日本経済の弱さ」についての報道そのものを否定しているのではない。強調したいのは、円安をめぐってはもっと多角的な分析・報道が必要だということだ。

 だがメディアの一部には、こうした「日本経済衰退」や「悪い円安」をことさらに強調する傾向がある。そのことが、日本経済に対する過度な悲観論につながっていると指摘したい。

 メディアはそうした論調から脱し、日本経済強化のために何を為すべきかの議論と提言を積極的に行うことが求められる。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2234号

 

大規模経済対策
経済論理の無視?

 

慢性的な政府依存

メディアの健全な指摘

 

 今年の年初から10月末までの間に、英国、カナダ、豪州や韓国は利上げを6回、米国とブラジルは5回、インドは4回実施した。欧州中央銀行も10月27日に3回目の利上げを決定した。金融引締の目的は、物価上昇率(インフレ率)の沈静化だ。経済学の教科書通り、これらの国々は、インフレ対策として金融引締で対応している。

 ここで各国が注意しているのは、財政出動を行って金融引締の効果を台無しにしないことだ。金融引締は需要抑制策、財政出動は需要拡大策で、これらを同時に行うことは矛盾した政策だからだ。

 しかし、低所得世帯は物価上昇で大きな打撃を受けている。そこで、財政面では低所得者層を対象とする財政措置にとどめている。その背景には、コロナ禍で導入した大規模財政措置を終わらせ、平時の対策に戻そうという考えがある。

 これらの国の経済政策を要約すれば、金融引締と財政中立の組み合わせである。ところが、我が国の政策は、これらとは正反対の金融緩和と財政緩和を組み合わせた大規模な需要拡大策である。これを象徴的に示すのが、10月28日の決定、つまり、日銀による超金融緩和継続の決定と総合経済対策の閣議決定である。ここでは閣議決定を取り上げる。

 総合経済対策に対するマスメディアの反応はどこも批判的だ。

 経済対策の規模優先を問題視したのは、読売、朝日、産経だ(いずれも10/29)。たとえば、読売は「規模ありき」とし、産経は「実効性より規模を優先か」と指摘した。

 大規模自体を批判したのは、日経と朝日だ(いずれも10/29)。日経は「新型コロナウイルス禍が一巡し、日本経済が3%成長をしているなか、かくも巨額が必要なのか」と批判し、朝日は「経済活動が正常化しつつあるのに、政府与党は、コロナ禍下での異例の対応だったはずの巨額支出を、さらに続ける」ことに疑問を呈した。

 批判は対策の中身にも及ぶ。日経は、政策の柱である電気・ガス料金の負担軽減は一律でなく、「打撃を受ける対象に絞るべき」と主張した。産経も、経済対策は「総じてばらまき色が濃い」とし、「真に支援すべき対象」に絞るべきだと書いた。

 料金負担の軽減を図る補助金政策もやり玉にあがる。いつ終えるかの出口を明示しない(毎日10/30)ために、ガソリン補助金のように一旦導入されると何度も再延長されてしまうことへの危惧だ。

 最後に、どの全国紙も財政規律の問題を取り上げて批判した。朝日10/30は、「財政規律の喪失を憂う」と書き、産経10/29は、大規模減税策の失敗で退陣に追い込まれた英国を引き合いに、「野放図な財政運営の危うさは日本にとっても教訓になる」と書いた。

 日本の大規模財政出動は、財政刺激策を意図的に避ける世界の動きに逆行する。同時に、全国紙の指摘や批判は総じて的確だ。マスメディアには、今後の補正予算案についても適切かつ健全な報道に務め、国民を啓蒙してほしい。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2233号

 

日中国交樹立50年
同床異夢の共同声明

 

対話・共存路線の朝日・毎日

関係根本から見直せと産経

 

 日本が中国と国交を樹立して50年の9月29日、全国紙の社説欄は「日中」で揃い踏みの感があった。また朝毎読産経は通常2本の社説欄が日中1本、日経だけ2本の内の1本で30日付だった。

 こうして見た目は各紙とも歴史的節目を意識した紙面作りだが、中身の方はどうか。

 半世紀を回顧し、中国の軍事大国化、日中GDP(国内総生産)の逆転、関係冷却化、米中対立など、現状認識に大きな違いはない。朝日でさえ《自国の立場や利益ばかりを強調する核保有大国の姿は異様であり、何とも危うい》と書いている。

 それが今後、日中関係はどうあるべきか、どうすべきなのか、社説の言わば肝に至って違いが歴然となる。

 もっとも厳しく明解なのが産経だ。内容は《関係を根本から見直せ》《経済・学術界も安保の視点を》の2本の見出しに尽きると言っても過言でない。

 経済制裁を欧米に先駆け解除した天安門事件の対応を《最大の痛恨事》とし、《中国との全面的デカップリング(切り離し)は非現実的だ。それでも経済安全保障の視点を抜きにした対中ビジネスはあり得ない》と経済界や学界に釘を指す。

 一方《平和を築く重層的な対話を》(朝日)《新たな「共存」築く努力を》(毎日)の見出しの如く、対話・共存路線が両紙である。

 朝日は《多面的な分野で友好関係を広く築く道をめざすことが、大きな安全保障になる》と謳い、毎日も《…困難な時期だからこそ、衝突を避けるために意思疎通を続ける》と首脳レベルの対話を求め、隣国同士は共存が唯一の選択肢とする。

 そして両紙は期せずして、日中の違いを認めた上で共存を図るという50年前の共同声明を評価し、毎日はこの《原点に立ち返るべき》ともした。

 以上3紙を紹介したところで、問題点を2つ指摘したい。第1は、対話や協調路線は紙面上の制約から紹介を見送った地方紙も含めると、社説の多数派であり、産経の主張(社説の呼称)との違いが際立つことだ。

 しかし世界の潮流に照らすとどうか。話は逆で、米国は国家安全保障戦略で中国を「唯一の競合国」とし、EU(欧州連合)も今や厳しい対中外交路線に転じた。産経は突出しているどころか世界標準では普通に近く、多数派はこちらなのだ。

 第2は実は中国も共同声明を評価、「原点に帰れ」としてきた。だがそれはさしずめ同床異夢。中国にとって共同声明の価値は、朝毎が言う協調精神などではなく、日台断交がそこから始まったことにあるのではないか。

 共同声明は台湾問題で日中が夫々都合よく解釈出来る余地を残す。当時の米ソ冷戦の国際情勢が米中や日中の和解・国交を優先させたからだ。国際情勢が今再び分水嶺に立つ中、武力行使も辞さず台湾統一に賭ける本気の中国に、対話と共存の原点回帰で対処できるとは到底思えない。

 なお日経の《世界の中の日中関係探れ》にも注目したが、突っ込み不足で期待外れだった。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2232号

 

インフレと利上げ
動く世界と動かぬ日本

 

問われる日本の金利政策

物価問題の全体像を示せ

 

 9月21日夜放送のWBS(ワールド・ビジネス・サテライト)は、日本時間の翌22日を「金融政策デー」として、米国、日本、スイス、英国の利上げ予想を発表した。結果は3勝1敗で、米国と英国の0・75%ポイント利上げと日本の据え置きは正解だったが、スイスの0・5ポイント増は予想の0・75ポイント増を下回った。

 米国を中心とする利上げの動きは、世界経済の先行き懸念を強め、ドル高、株価下落、商品市況の乱高下などの影響を招いた。そのため全国紙の社説レベルでは利上げについて白熱した議論が展開されるものと期待したが、取り上げたのは各紙1回だけで焦点も異なった。日経9/23は景気後退の懸念を、読売9/23と産経9/24と毎日9/24は24年ぶりの為替介入を、朝日9/24は日銀の金融政策を中心に論じた。ただし、利上げ関連の記事は経済・国際面などで何度も取り上げられており、社説・主張の議論をかなり補完する役割を果たした。

 社説のテーマとしては、安倍元首相の国葬、ウクライナ戦争、オリ・パラ汚職などの重要問題が目白押しだったとしても、ウクライナ戦争が一因となった物価上昇への対処が世界的な利上げとなり、それが次に為替レート・株価や世界経済を動揺させていることを考えると、複数回の社説で広く議論しても良かったのではないか。

 なぜなら、物価・為替レート・利上げについては関連する多数の記事が毎日報道されているものの、その内容は断片的で、全体像を把握することはエコノミストでない限り困難だからである。

 例えば、日経の記事を拾うと、米英・スイス以外にもカナダ、スウェーデン、フィリピン・インドネシア・台湾、インド、マレーシアなどでも利上げが大幅かつ継続実施されている。これとの関連で円、ポンド(英)、ルピー(印)、人民元(中)、リンギ(マレーシア)などの対ドル相場が軒並み下落する一方、ルーブル(露)の対ドル相場は今年3月の急落後上昇に転じ、9月末には「侵攻前上回る」水準となっている(日経9/27夕刊)。

 こうした中で日本のみ政策金利を据え置き、マイナス金利政策を継続する。スウェーデンは「20年1月にマイナス金利政策を打ち切り、22年5月にはゼロ金利政策を解除」し、9月22日には1ポイントの大幅利上げを行った(日経9/21)。スイスも9月22日に利上げと同時に「マイナス金利政策の解除を発表」し、「政策金利がマイナス圏に沈むのは世界の主要中銀で日本だけとなった」(日経9/23)。

 物価高との関連では、ウクライナ戦争後に高騰した商品相場が、エネルギーやリチウムの高騰・高止まりを除けば、侵攻前の水準に戻っている。政策金利では、世界的な利上げの中で中国・トルコ・ロシアの利下げにも注目すべきだ。

 こうした物価・為替レート・金利問題の全体像とその評価については、社説や特集でもっと議論すべきではないか。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2231号

 

マレーシアの汚職事件
ナジブ元首相刑務所に

 

司法の独立性示したと日経

マルコス汚職報道との落差

 

 マレーシア連邦裁判所(最高裁)は8月23日、政府系ファンドの資金流用を巡る汚職事件で、ナジブ・ラザク元首相に禁錮12年、罰金2億1千万リンギ(約63億円)の罰金を科した1、2審判決を支持し、有罪が確定したナジブ氏は即日刑務所に収監された。

 同国史上、首相経験者が有罪となり収監されるのは初めて。また早ければ年内にも行われる次の総選挙に出馬出来なくなったー以上日経新聞24日朝刊国際面から紹介した。

 首相在任中の09年から18年に、不正流出した資金は45億ドル(約6170億円)を超す巨大で複雑な汚職事件を同紙は淡々と事実のみ伝え、経緯を解きほぐしている。

 ただ判決のくだりが《司法の独立を示す結果となった》だけだったのは、判決の持つ重みには不十分だ。

 今尚、政権与党、統一マレー国民組織(UMNO)の重鎮のナジブ氏は、党内基盤の弱いイスマイルサブリ首相に陰に陽に圧力をかけ、1、2審の有罪判決にも保釈金を積んで自由に活動、総選挙に出馬し政界復帰を画策しているのではと噂されてきた。また現国王と同じパハン州出身のため恩赦の憶測や期待も流れていた。

 こうした同氏を巡る諸々の思惑や忖度に、いわば機先を制すように退路を断ったのが今回の判決だった。

 民主化を自慢する韓国でも最高裁が政権に忖度をしがちな中、当然のこととは言え三権分立が機能した今回の判断を、日本のメディアももう少し注目してよいのにと思う。

 もっとも中身云々以前に朝日、読売新聞は24日、毎日新聞は25日の朝刊国際面でいずれも判決をベタで報じたに過ぎない。

 80年代にフィリピンのマルコス巨額汚職事件が連日、洪水の如く報じられたのとあまりに対照的だ。マルコス汚職は独裁政権の崩壊や「役者」イメルダ夫人の存在など話題性もある上に、企業はじめ日本の関与の深さはマレーシアの比ではなく、国会でも取り上げられた。

 しかし日本に関係なければベタで済ませるとの判断は、真の国際報道に値するのだろうか。確かにナジブ氏の日本への関心は薄い。父アブドル・ラザク2代目首相が東南アジアでいち早く中国と国交樹立しただけに一貫して親中派で、実はそれも同氏の汚職・腐敗と無関係ではないのだ。

 一帯一路で十分な審議もせずに長距離鉄道導入を決め、工事を中国企業に発注した。その後総選挙で敗れ、周知のように15年ぶりに政権復帰したマハティール氏が白紙に戻し再交渉をした。

 今回の汚職報道に限らず、マレーシアは東南アでもインドネシア、フィリピン、タイ、ベトナムなどに報道で後塵を拝してきた。何故なのか。この分析も改めて必要だろう。

 最後にナジブ氏のロスマ夫人は「マレーシアのイメルダ」の異名がある。9月1日、夫を追うように別の汚職事件で禁錮10年、罰金9億7000万リンギ(約303億円)の判決を高裁が下している。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2230号

 

実態追及を怠った
メディアも反省へ

 

統一教会報道に疑問あり

「宗教と政治」のあり方論じよ

 

 安倍晋三元首相暗殺事件から約2カ月になるが、容疑者の動機と背景、さらに政治との関連が浮上し、メディアは過熱している。

 容疑者は世界統一平和家庭連合(以下、統一教会)の信者だった母親により人生が狂わされたと恨み、統一教会と「安倍氏が関係あると思い込んで」狙撃したと供述したという。これが発表されて以来、メディアは統一教会のあざとい高額献金や霊感商法の実態を競って報じている。

 同時に統一教会と関係を持った与野党の政治家が洗い出され批判を浴びている。岸田首相は自民党の全議員に関係の有無を問い、さらに今後は関係を絶つと言明した。

 野党は国会で追及すると意気込んでいるが、維新や立憲民主にも関係した議員がいるからブーメランになる恐れもある。さらに政治と宗教の問題もクローズアップされてきた。

 これを受けてメディアの報道にも変化が見えてきた。容疑者の供述に振り回されてはいないか、という疑問と反省である。

 すでにネットには狙撃の瞬間の映像などから単独犯ではなかったのではという指摘やテロ説まで飛び交っていた。全国紙やテレビのワイドショーなどの事件の周辺への目配りを欠いた報道が、朝日新聞の川柳欄に「動機聞きゃテロじゃなかったらしいです」などが掲載される状況を招いたともいえよう。

 またテレビの情報番組が統一教会の献金の実態、霊感商法のあざとさ、その結果の巨額なカネが韓国に運ばれていた全容をあばいている。それは若い世代には衝撃だろうが、実は約40年前にも異様な合同結婚式や霊感商法は報じられたのだった。それらを報じたメディアには統一教会から激しい抗議もあった。

 メディアがそれに<RUBY CHAR="怯","ひる">んだことはなかったか。その後の統一教会追求を怠ってはいなかったか。共に反省、検証する必要があると思う。

 そこでメディアの責任として浮上してくるのが、宗教・労働団体などと政治との関係追求である。創価学会と公明党、連合など労組と野党が、政治信条での共感で政策や選挙で協力するのは憲法も保証するところだが、それを逸脱(いつだつ)していることはないか。

 産経新聞(8/31)は、山口那津男公明党代表の記者会見での「トラブルを多数抱える団体と政治のあり方の問題だ」発言を紹介しながら、公明党が“飛び火″を警戒していることを指摘した。また昭和44年の「言論妨害事件」にも及んでいるが、他のメディアは沈黙しているところが多い。

 統一教会の現在は続く巨額献金や霊感商法の被害者の実状や救済は、司法当局や行政の努力に委(ゆだ)ねたい。メディアはそれを受けて冷静で公平な報道をする責任がある。日本経済新聞が8月31日から始めた「旧統一教会と政治」は教会の実態、政治家への関与、政治と宗教との係わり方、欧米でのケースなどを、丁寧な取材と慎重な筆致で追及し、説得力がある。

(加藤 淑太郎)週刊「世界と日本」第2229号

 

東京五輪・パラ巡る汚職
東京地検特捜部が3人逮捕

 

各紙、公式報告書発表1カ月後に報じる

解説記事から実態を多方面から読み解く

 

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会が先に発表した公式報告書の筆法をそのまま借用するなら「大会幹部らの言動で『スポーツと汚いカネ』に関する議論を一層活性化させた」ということになるのだろうか。もちろんそんな人を食った感想を述べる関係者はひとりもいない。

 8月17日、東京地検特捜部は受託収賄容疑で組織委元理事・電通元専務の高橋治之容疑者を、贈賄容疑で大会スポンサーだった紳士服大手AOKIホールディングス前会長の青木拡憲容疑者ら3人をそれぞれ逮捕した。

 高橋元理事の容疑は、AOKI側から大会スポンサー契約や公式グッズの製造・販売などで便宜を得たいとの依頼を受け、計5100万円の賄賂を受け取った疑いである。他にも、AOKI側がスポンサー契約にともない選手強化費として電通子会社に振り込んだ2億5000万円のうち1億5000万円が高橋元理事のコンサル会社に渡り、競技団体には一部だけが送金されたともされている。

 この事件を最初に報じたのは読売記事「五輪組織委元理事、大会スポンサーAOKIから4500万円受領か 東京地検捜査」(7/20)である。五輪公式報告書発表(6/21)から1カ月後のことだった。

 まだ「特捜部も慎重に捜査している」段階で、その1カ月後に元理事らの逮捕に至る。

 何やら1カ月ごとの進展だ。これは記事準備に十分時間が取れたということでもあり、各紙とも解説記事に充実したものが多かったように思う。毎日「暗躍・五輪汚職事件(上中下)」(8/18〜20)、朝日「五輪汚職(上下)」(8/18〜19)等々。いずれもスポーツとビジネスの関係、スポーツがカネに呑み込まれてゆく実態に多方面から迫ろうとする。

 高橋容疑者が組織委理事になった際「裏のある人間だから」と顔を曇らせるJOC関係者のいたこと(毎日8/20)。「数字だけを見れば(電通は)もうかったかもしれないが、組織委に出向した社員の人件費を考えれば、東京五輪は赤字だった」との電通社員の証言(朝日8/19)など、個々の事実には興味深いものも少なくないが、全体の印象では強い既視感を否めない。「大いにありうること」「やっぱりネ」

 それは76年のモントリオール大会で10億ドルの巨額赤字を出し、84年のロサンゼルス大会以降、アマチュアリズムからビジネス主義へと急速方向転換したオリンピックの現在を見れば明らかではないか。

 日本だけが「ぼったくり男爵」から自由・潔癖でいられるとは思えない。

 毎日「五輪汚職『所詮、五輪はそんなもの』と思われる」(8/18)で友添秀則氏はいう。「IOCはアマチュアリズムに置き換わる理念としてプロフェッショナリズムとは何かを考えなければならなかった。この言葉の語源的意味は神に正義を宣誓することで、カネもうけ以上の高い倫理性が求められるはずであった」

(本郷 一望)週刊「世界と日本」第2228号

 

米議会議事堂襲撃事件
下院特別調査委員会

 

トランプ側近離反の証言も

米内政に関心低すぎる各紙

 

 昨年1月6日の米連邦議会議事堂襲撃事件を調査する議会下院特別調査委員会が7月21日、公聴会をひとまず終えた。委員会は9月に再開され、11月の中間選挙前には報告書が出る予定という。

 委員会は昨年7月に発足し1年がかりの長丁場、インタビューや集めた資料は厖大(ぼうだい)だ。報告書の最大の焦点はトランプ前大統領の事件への関与の有無と程度で、トランプ氏の24年の大統領選出馬に与える影響も大きい。

 2月のロシアによるウクライナ侵攻以来、他の国際ニュースが後回しになりがちとなったことを考慮しても、日本のメディア、特に全国紙の関心は低すぎるように思う。

 例えば6月28日の緊急公聴会は、トランプ政権で大統領首席補佐官の元側近だった女性が事件当日のトランプ氏の危うい言動を生々しく証言したにも関わらず、29日夕刊は日経新聞が報じただけで、30日朝刊も日経と毎日新聞の国際面以外は掲載しなかった。

 29日の夕刊時間帯は北欧スウェーデンとフィンランドが開会中の北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で加盟に道筋をつけたニュースと重なった(日経と読売新聞はトップ)。しかし朝日新聞と毎日はこれも扱わず、片や株主総会で減る総会屋、片や川釣りもDXと言葉は悪いがヒマネタがトップ。ニュース感覚に?がつく。

 かつて夕刊は時差の関係から欧米発の国際ニュースが主役だった。それが部数減、特に夕刊の落ち込みが大きく、夕刊廃止(産経新聞東京)か、発行しても、話題物優先それも専ら内向き志向の中身に変っていった。

 それでも部数減は止まらない。当然だと思う。新聞媒体退潮の中でも敢えて購読するのは、新鮮で奥深く的確なニュースを求めているからだろうし、報道の使命もそこにあるのではないか。

 各紙が調査委員会の報道に不熱心な理由は他にもある。民主党7人、共和党2人の委員構成に象徴される党派性の強さもその1つだろう。共和党支持者の多くは委員会を信用していないのだ。

 米世論調査会社マリストと公共ラジオNPR、公共放送PBSが7月11日から17日にかけて行った共同世論調査によると、公聴会に関心ある人は民主党支持者80%に対して、共和党支持者は44%と半分にも満たない。またトランプ氏に責任があるとする人も、前者は92%、後者は18%と極端なほど大きな差がある(7月22日NHK NEWS WEB)。

 だがそうだからと言って、消極的な報道姿勢は正当化されるのだろうか。むしろ米社会の分断の深刻さの証左であり、それこそ報道に値するし、分析も必要だ。また議事堂襲撃という前代未聞の事件が起きた以上、議会としても究明は必要であり、党派性の問題は別途問えば良い。

 米国は大国故に、内政問題は内政に終わらず、影響は海外にも及ぶ。内政への目配りや理解は日米同盟の緊密化のために不可欠であり、マスメディアは報道の任を負っている。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2227号

 

令和4年版の防衞白書
ロシアの侵略と中国分析

 

朝日・毎日・東京の変わらぬ論調

警鐘ならす読売、自衛官確保に触れぬ各紙

 

 令和4年版の防衛白書が7月22日に発表された。今年の白書の特徴は2月24日にロシアがウクライナに侵略したことを受けて、中国への影響を詳しく分析している点だ。本稿執筆時点で、産経新聞以外は令和4年版防衛白書について社説で論じている。

 朝日新聞(23日付)は珍しく白書の構成に一定の評価をしつつも、「防衛当局間の対話の努力は十分とはいえない。『安全保障協力』の章で、中国との防衛協力・交流の意義をうたうが、緊急時に直接連絡を取り合うホットラインはいまだ設置されていない。対北朝鮮で緊密な連携が求められる韓国に対しても、相手の『否定的な対応』が続いているとして、適切な対応を求めるにとどまっている」と述べるなど、日本側に非があるかのような物言いは理解に苦しむ。さらに、「国際的に統一された国防費の定義はなく、予算制度も各国で異なるなかで、日本の水準の低さを印象付けるような表現が目についた」として、対GDP(国内総生産)比2パーセント以上にも否定的なトーンとなっている。

 防衛費に関しては毎日新聞(26日付)も朝日と同じスタンスだ。「厳しい財政の制約がある中で、防衛費を野放図に膨張させることは許されない」、「自衛のための必要最小限にとどめる専守防衛の原則や、『他国に脅威を与えるような軍事大国にはならない』という憲法の理念との整合性も問われる」と述べている。いまだに一国平和主義そのものだ。

 東京新聞(26日付)にいたっては、「欧州のNATO加盟国はロシアと地続きの上、相互に防衛義務を負う。韓国は北朝鮮と軍事境界線を挟んで対峙している。日本とは安全保障環境が異なる欧州各国や韓国との比較で防衛費の倍増を訴えることには無理がある。日本周辺国の軍事動向に関する分析も、防衛費を短期間で急増させるには説得力に乏しい」と断じているが、日本の置かれた安全保障環境をまったく理解していない素人レベルの認識でしかない。また、「『数字ありき』で防衛力を増強すれば、周辺国には脅威と映り、地域の緊張を高めかねない」としているが、地域の緊張を高めているのは中国や北朝鮮ではないのか。

 3紙は相変わらず、日本の安全保障の弱体化に加担しているとしか思えない論調だ。

 読売新聞(23日付)は「防衛技術基盤の強化も重いテーマだ。防衛産業が先細りすれば、技術者が枯渇し、装備品の調達や修理ができなくなる。国内産業を育成する観点からも、十分な研究開発予算を確保することが大切だ」と主張し、国内の防衛産業の先細りに警鐘を鳴らしている。非常に評価できる。

 一方で、どんなに防衛費を増やして正面装備等を整備しても、それらを動かすのは自衛官である。現在、陸上、海上自衛隊は慢性的に定数を下回る状態が続いている。自衛官の確保は自衛隊にとっては死活問題であるのだが、1紙も触れていないのは残念である。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2227号

 

許されぬ「言葉の暴力」
凶行誘発の土壌に?

 

安倍元首相死去の衝撃

過剰な「安倍批判」も再び

 

 7月8日、安倍元首相が凶弾に斃(たお)れた。翌日付けの各紙は「民主主義の破壊許さぬ」(朝日)、「卑劣きわまりない蛮行」(読売)、「市民社会全体に対する攻撃だ」(毎日)など、凶行を厳しく非難した。テレビでも出演者が同趣旨の発言をしていた。

 メディアとして当然の論調だ。ところが事件から日が経つにつれ、一部では再び「反安倍」ムードをあおるような記事が増えてきた。

 特に見過ごせないのが16日付け朝日の「朝日川柳」だ。掲載された7作品すべてが安倍元首相や国葬を揶揄する内容で、「動機聞きゃテロじゃなかったらしいです」と、犯行が政治的動機ではなかったとして“笑い”のネタにしたようなものまで含まれていた。

 周知のように、朝日は以前から安倍政権への批判を繰り返していたが、一方的で感情的なものが多かった。2年前の首相辞任の際も、「安倍政治の弊害 清算の時」と主張していた。これでは、安倍政権の全否定である。

 当時の朝日の記事の中でも強烈だったのは、同社の言論サイト「論座」の連載「安倍政権を総括する」だ。筆者の大学講師は安倍政権を「日本史上の汚点」と断じ、首相辞任の原因となった健康問題に関連して「当人の死亡という事態が起こったとしても、すでに行った悪行が消えるわけではない」と書いていた。

 この筆者は、「安倍首相辞任の会見を見て泣いちゃった」と発言した松任谷由実さんに対し、「早く死んだほうがいい」とSNSに投稿した人物である。

 SNSには「死ね」といった言葉、あるいは相手の存在を否定したり罵るような表現があふれている。まさに言葉の暴力である。それはSNSにとどまらず、前述のように一部の大手メディアにも見られる。深刻な事態だ。

 こうした傾向が、今回の事件を誘発する土壌を作っていたのではないかと感じる。産経は「安倍元首相を襲った『言葉の暴力』」と指摘している(7/12)。犯行との関連が解明されたわけではないが、少なくとも、メディア自らが言葉の暴力を発するようなことは絶対にあってはならない。

 メディアが政権を批判するのは当然だが、表現での一定の節度とともに、内容面でも、評価すべき点は評価し、批判すべきは批判する、との態度であるべきだ。

 だが例えば、アベノミクスによって日本経済が大きく回復したことは事実が示しているが、それを正当に評価しているメディアは少ない。またアベノミクスと安倍外交(地球儀外交)が日本の存在感を飛躍的に高めたことも過小評価されている。

 この観点でみると、読売の社説「国家的な損失をどう回復する」(7/10)が光っていた。同記事は「国際社会に残した足跡がいかに大きかったか。世界中の首脳が発表した安倍元首相への追悼コメントが、そうした事実を物語っている」と指摘している。

 安倍政権が成し遂げた成果への評価と残された課題を冷静に議論することが、日本復活の処方箋を明らかにする道なのである。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2226号

 

異常気象と電力不足
危機感乏しい政府・野党

 

現実的・建設的な方向性を示す

日経の論点・産経の提言

 

 6月27日に九州南部、東海や関東甲信が梅雨明けした。関東甲信の梅雨明けは昨年が7月16日頃、平年が7月19日頃であることから約3週間早い。しかも梅雨明けと同時に都心では35度C以上の猛暑日、関東内陸部では40度C台の異常な猛暑が続いた。一方、「いつもは梅雨がない北海道にまで梅雨前線を押し上げ」、大雨被害をもたらした(テレビ朝日、6/29)。

 早すぎる梅雨明けと連日の猛暑の影響で、関東では電力不足が表面化し、「安定供給に最低限必要な予備率3%」(Impress Watch、6/27)を下回る「電力需給ひっ迫警報」の3月22日以来の発令が危惧されている。実際、6月26日からは予備率が5%を下回る「電力需給ひっ迫注意報」が連日発令された。こうした中で6月29日、電力大手4社が電気料金値上げを発表した。その背景には、天然ガス等の燃料価格高騰がある(テレビ朝日、6/29)。

 こうした最近の事態は、日経社説6/26が指摘したように、「エネルギー危機」と呼ぶにふさわしい。しかし、政府・与党や野党の反応は鈍い。政府は、節電を中心とする省エネを打ち出すだけで「あまりに危機感が乏しい」(産経主張6/27)。野党にしても、反原発と同時に再生可能エネルギー拡大を強調するなど(産経同上)、非現実的で無責任な方策しか打ち出せない。

 無策はメディアにもみられる。朝日社説6/29は、政府の節電支援を評価するものの、不十分な面があり、情報発信に工夫の余地があるとする。東京社説6/28は、「節電のために冷房を控えることは命に関わる」ので、「無駄な電力使用を控えるのは当然だが、冷房をめぐる節電には極めて慎重な配慮が必要」だとする。一体これらが社説レベルで提起する問題なのか。

 こうした中で現実的で建設的な方向性を示したのは、日経と産経だ。日経は、「午後4時から需給ひっ迫のリスクが最も高まるのは日暮れが近づいて太陽光の発電量が落ち込むからだ」(6/28)と的確に指摘する。猛暑で電力需給ひっ迫が早まった事態に対し、「電力会社は停止中の火力発電所の稼働」を計画しているが、脱炭素の目標達成には「電力の安定供給を担う原発や火力発電をどう位置づけ、投資を進めていくかの議論をしていく必要がある」と指摘する(日経電子版6/29)。

 産経は、3月の警報発令時点で、「発電量が季節や天候に左右される再生エネの不確実性が電力需給の全体的なバランスに響く」とし、原発稼働の拡大や需要面での対策を指摘していた(3/23)。さらに6/27主張では、「節電では危機を乗り切れぬ」とし、「現在の電力不足は原発再稼働の大幅な遅れに加え、電力自由化や脱炭素を背景に火力発電所の休廃止が進んだのが原因」であり、「原発活用や火力発電に対する安定投資を通じ、電力供給を着実に増やさなければ」ならないと論じた。日経の論点と産経の提言は、現実的かつ建設的な提案として高く評価したい。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2225号

 

アジア安全保障会議
岸田平和ビジョン講演

 

日本の防衛力の強化を発信

米中、シャングリラは遠し

 

 岸田文雄首相はやはりツイてるのかもしれない。菅義偉前首相が昨年コロナ禍で棒に振った、シンガポールでのアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)で、安倍晋三元首相以来、首相としては8年ぶりとなる基調講演を行った。

 ルールに基づく国際秩序の維持・強化、日本の防衛力の強化と日米同盟、有志国との安保協力強化など5本の柱から成る「平和のための岸田ビジョン」を中心に、「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と危機感を示しつつ、日本の役割の強化・拡大について米欧アジア諸国の国防相や安全保障関係者多数を前に発信した意味は決して小さくない。

 ただ国内の評価は《いずれも極めて妥当である。…あとは対中抑止へ行動あるのみ》(産経新聞12日主張)とさらに先を求める積極・肯定派と、防衛力強化を《軍拡競争によって、かえって地域の不安定化を招くことのないよう慎重な対応が必要》(朝日新聞12日社説)という消極・懐疑派に分かれた。

 ロシアと地理的に至近の北海道新聞が《戦後の日本は安保面の強化に抑制的だったからこそ、周辺国の信頼を得てきたとも言える》(電子版14日社説)と防衛力増強は信頼喪失に繋がるとの懸念は、ウクライナ軍事侵攻への教訓は何処へという気がした。アジアの安保環境の悪化を前にしても、軍事=悪の戦後平和主義の病癖はマスメディアの一部で今尚残っている。

 首相講演は中国を名指しせず、東南アジア諸国連合(ASEAN)との連携を強調するなど、むしろ地域の事情に配慮したように思う。その背景を読売新聞が《中国抑止へ「幅広い連携」米・ASEANの橋渡し役に》(11日)で掘り下げている。

 バイデン米大統領が発表した新経済圏構想「インド太平洋経済枠組(IPEF)」に、予想を超すASEAN7カ国もが参加したのも日本の働きかけと言う。頷ける話である。とはいえ中国は今や経済力を武器にASEANを囲い込み、日米は防戦一方の感がある。

 会議最大の見せ場も米中国防トップによる初の対面会談であり、両氏の演説だった。

 日本経済新聞は12日、《米中、アジア秩序で火花》でこれを特集。両者は会談で台湾をめぐり舌戦を交わし、演説でもオースチン長官が台湾有事へ米軍の能力向上を言明すれば、魏鳳和国防相は台湾独立の試みは潰し、最後まで戦うと強く反発するなど平行線だった。

 ただしオ長官の対話の重要性強調には魏国防相も同調し、《緊張緩和に資する一歩として歓迎したい》と毎日新聞14日社説は書き、日経12日社説は《対話はもちろん、軍の実務者協議の開催などを通じて衝突回避に向けた努力を続けてもらいたい》と注文もつけた。

 とは言え米中の一致点はそれだけだ。中国の攻勢は止まず、会議直前も中国承認の太平洋島嶼国外相を集め、中国との安保協力をアピールした。

 シャングリラ(桃源郷)とは会場名だけ、その道は険しく遠い。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2224号

 

ワンパターンの報道
「3つの視点」で多角的分析を

 

値上げラッシュ拡大

日本経済の構造転換迫る

 

 値上げラッシュが続いている。その動きはここへきて一段と拡大している。

 全国各紙(電子版)で「値上げ」で検索してみると、記事件数は、6月1日〜5日の5日間だけで日経が70件に達し、次いで毎日41件、朝日25件、読売20件、産経10件となっていた。テレビもニュースや情報番組で連日のように大きく取り上げている。

 物価上昇の影響は大きいだけに、こうした報道は当然のことと言える。だがそれにしても残念なのは、その報道内容が相変わらずワンパターンなことだ。

 例えばテレビでは、飲食店の店主が「最近の原材料費の高騰で限界にきたので、値上げせざるを得ない」とコメント、街頭インタビューでは消費者が「値上げされて家計が大変」と話す、といった調子で、表面的な話しで終わっているのだ。

 今の物価上昇をめぐっては、歴史的視点、日本の特殊性、そして対応策と3つの視点が必要と筆者は考えている。

 まず歴史的視点。本欄(5月2日付「ウクライナ危機によってもたらされた世界経済の歴史的転換」)で指摘したように、現在の物価上昇は世界がインフレの時代を迎えたことを意味する。1970年代の石油危機との共通性から学ぶべき点が多い。

 第2は、日本の特殊性だ。前述のようにインフレは世界的な動きだが、日本はその中にあっても依然としてデフレ的な要素を抱えている点に注意が必要だ。

 それは消費者物価指数の日米の違いを見るとよくわかる。日本の企業物価(卸売物価)上昇率が4月は前年同月比10・0%と約40年ぶりの高さとなったが、消費者物価の上昇率は2・1%で、両者のギャップは7・9ポイントに達している。これに対し米国では両物価の上昇率のギャップは2・7ポイント(4月)にとどまっている。

 この差は、米国では多くの企業が原材料コスト上昇分を最終価格に転嫁しているが、日本ではそれができていないことを示している。日本の消費者の間にはいまだにデフレマインドが残り、需要が弱いのが実態なのである。

 このことは第3の視点、対応策はどうあるべきかというテーマにつながる。

 「インフレには利上げ」とセオリー通りに動く米国と違い、今の日本で利上げをすれば、一段と経済を冷え込ませるおそれが強い。

 今とるべき対策は、企業がコスト上昇を価格に転嫁できる状況を作り出すことであり、並行して賃上げも実行できるようになることが望ましい。そのことが日本経済の構造転換にもつながるのだ。各企業にとっては、「値上げしても消費者が逃げない」ように、商品やサービスの高付加価値化が重要である。

 こうした議論や分析は、日経とテレビ東京、および一部の経済雑誌やネットメディアではそれなりに掲載されているが、もっと活発な報道に期待したい。

 一方、一般メディアでは経済報道自体が低調だ。国民の経済リテラシー向上の観点からも、メディア全体の経済報道の充実が求められる。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2223号

 

ゼロコロナと中国経済 
消費経済は大きな打撃

 

長期ロックダウンの不満

習近平政権存続への影響は

 

  中国経済の今年1〜3月期の成長率は前年同期比で4・8%であった。21年の各四半期の成長率は、18・3%、7・9%、4・9%、4・0%と低下していたので「第4四半期ぶりに増加に転じた」(時事ドットコム4/25)。しかし、「第1四半期から今年の成長目標『5・5%前後』を大幅に下回ったことで、中国経済の先行きには黄信号が灯っている」(日経4/19社説)。

 今年1〜3月期の成長率が政府目標を大きく下回るという記事は、読売4/18、毎日4/18にも見られる。しかし、この種の記事には注意が必要だ。なぜなら、日本や米国では1年前の同期と比較した前年同期比ではなく、直前の3カ月と比較した前期比で発表するのが普通だからだ。

 中国国家統計局は、前年同期比のほか、前期比も発表している。前期比で見た今年1〜3月期の成長率は1・3%で、21年10〜12月期の1・5%から下がったのである。つまり、前年同期比では増加に転じたのに、前期比では減速したことになる。実際、日経4/19の別の記事では、前期比の成長率に言及し、「21年10〜12月(1・5%)より鈍化した」とある。

 産経4/19大阪版の場合、前年同期比4・8%増は「昨年10〜12月期(4・0%増)からは拡大したものの、・・・前期比では1・3%増と、昨年10〜12月期(1・5%増)から減速した」としている。いったい昨年末より加速したのか減速したのか、読者は戸惑うに違いない。

 ちなみに、四半期1・3%の成長率は年率換算では5・3%となり、政府目標の5・5%との差は大きくない。つまり、政府目標を大幅に下回るとは言えない。

 日経・読売・毎日が、中国の成長率が政府目標を「大幅に下回る」と書いたのは、「上海などでロックダウン(都市封鎖)が始まった3月は各種統計の数値で伸び悩み、減速が顕著になった」(朝日4/19)ことが影響したのではないか。実際、中国政府のゼロコロナ政策により、「3月に入って、吉林省長春、広東省深圳、遼寧省瀋陽など経済・産業の中核である大都市に波及して、相次いでロックダウンが適用された」(時事ドットコム4/25)ために、消費を中心に経済が打撃を受けた。

 「世界最大の港であり、国際的な物流拠点」でもある上海港での混乱については、NHKのNEWS WEB5/10が優れた「独自分析」を行っている。上海港の沖合で待機する貨物船の数が、外出制限前の3月1日時点の約730隻から、制限後の4月16日時点の約940隻へ3割近く増加し、「沖合にとどまる船が目に見えて多く」なったという。これは、大きな混乱はないとする中国政府の「公式見解どおりではない実態」を示すものとして注目される。

 今後、物流の混乱や経済の減速、さらには長期のロックダウンの犠牲となった市民の不満が、習近平派の上海市トップ李強氏の処遇や習近平政権の存続にどう影響するか目が離せない。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2222号

 

沖縄日本復帰50周年 辺野古「幻の岡本案」

 

二項対立で語れぬ基地問題

政治のリーダーシップ不在

 

 メディア各紙は今年初めから、復帰50年について多方面にわたり連載や特集を掲載してきた。記念日の5月15日が近づくと、横浜の日本新聞博物館での企画展や新聞調査会の報道写真展など展覧会も相次いでいる。

 目に触れた限りでだが、回顧的な基調がやはり強い。半世紀は歴史だと改めて感じる。

 しかし50周年は歴史の当事者たちがまだ健在の歳月でもある。

 例えば全国高校野球選手権大会に沖縄代表が初めて出場したのは復帰前の昭和33年。その10年後、初めてベスト4に進出した興南の元主将で今は学園理事長兼校長の我喜屋優氏(71)が、産経新聞4月19日付連載「沖縄復帰50年の葛藤」最終回に登場。同氏は平成22年、夏の甲子園初優勝と春夏連覇を遂げた監督でもあった。50年を振り返り「自らの可能性を信じ、日本で、世界で羽ばたく沖縄の青少年を育てたい」と次の50年を語っている。

 100周年はこうはいかないし、今後どんどん難しくなる。今こそ関係者を掘り起こし、沖縄復帰を多角的に記録するのはメディアの大事な役割だと思う。

 その意味で米軍普天間飛行場の辺野古移設問題が近年、単発の記事を除くと、報道の表舞台から遠くなったように思えるのは残念だ。移設問題は終わっていない。それどころか今なお沖縄問題の核心ではないだろうか。

 読売新聞4月15日付の『辺野古移設「幻の岡本案」』は、2年前に新型コロナウイルス感染症のため急逝した元外交官、岡本行夫氏の遺作『危機の外交 岡本行夫自伝』の刊行から紹介したものだ。

 米軍キャンプ・シュワブ沿岸部を一部埋め立て、V字型滑走路を2本作る現行計画に対して、岡本案はリーフ(環礁)浅瀬に撤去可能な滑走路を1本建設し、キャンプ・シュワブと桟橋で結ぶ。

 当時、岡本氏は橋本首相の沖縄問題担当補佐官で、同案を梶山静六官房長官は「どの案もダメになったらこれ」と評価してくれたという。しかし梶山は3年後には死去し、岡本も故人となった。

 岡本案がベストかどうか、判断する力は私にはない。しかし同書を読むと岡本、梶山、そして橋本3氏の普天間移設に賭ける渾身の思いが伝わってくる。

 共同通信の4月23日発表の沖縄県民郵送世論調査によれば、94%が復帰して良かったと回答の一方、復帰後の歩みに55%が満足していない。東アジア情勢が厳しさを増し沖縄の戦略的重要性が増す中、基地縮小や負担軽減と安全保障の両立をどう図るか。メディアは政府、沖縄県、政党等政治のリーダーシップ不在にもっと警鐘を鳴らすべきだ。

 朝日新聞4月20日付教育欄は東京と沖縄で沖縄についての学びの現場を取材、名護市辺野古で移設容認派と反対派両方の話を聞いた高校生が「二項対立で語れない」と感じたことを伝えている。

 同感だ。しかしともすれば二項対立に加担して来たのもマスメディアだった。50周年を機に、いい加減に卒業し未来の沖縄を展望したい。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2221号

既成メディアとネット跳梁(ちょうりょう)の中

 

情報戦争がメディアを変えた

ウクライナ戦争をどう伝えたか

 

 ロシアのウクライナ侵攻から始まった戦争に対し、国際社会はロシアに厳しい糾弾と制裁を浴びせている。しかしプーチン大統領には戦闘を終結させる心算(つもり)はない。

 新聞、雑誌、テレビ、ラジオに加え、ネットも参入した全メディアは、連日、戦争を巡る膨大な情報を発信している。

 今度の戦争は、第二次大戦後の国際社会が暗黙のうちに認めてきた“虚構の平和″を破砕した。さらにコンピューターを駆使した最新兵器による情報戦争を現出させた。

 メディアには、ロシアの政治や軍事を研究してきた学者、新聞記者、さらに現地入りしたレポーターが登場した。

 しかし彼らの解説や報告にも真偽が入り交っていた。特にテレビの情報番組に出演したコメンテーターの映像に対する印象批判や単なる感想は視聴者を白らけさせた。

 活字メディアの署名記事やテレビでも時間を充分に取ってあれば、前提、本論、結論と説得力のある説明なり主張が出来る。それが複数の出席者による討論の場合には、意見の対立などから主張が暴走することがある。

 そんなテレビでの発言が賛否を呼ぶ大問題になったのが、橋下徹元大阪市長のフジテレビでの「命が大事だ。一旦ウクライナから撤退したら…プーチンも死ぬだろうし…」という主張だった。これに保守派の櫻井よしこ氏や有本香氏が、月刊誌『Hanada』や『夕刊フジ』で「降伏しろというのか」や「他国に占領された国の悲劇に思いを至さないのか」、さらに「ゼレンスキー大統領の国と国民を守り抜く覚悟を軽視するのか」と反論を展開したのだった。

 橋下氏は自身の信ずるところを主張したのだ。しかしテレビの情報番組で、政治経験もなければ国際情勢への理解も欠いたまま一般的感想を口にする常連コメンテーターやタレントは、もう退場すべきだろう。

 今回の戦争が既成メディアに与えた衝撃はネット情報—ツイッターやSNSが発した大量な情報の影響力である。

 もちろん真偽入り交ってはいたが、ゼレンスキー大統領の国民を鼓舞した動画などの世界への発信は、ネットの時代の到来を実感させた。もちろんマイナスもある。ロシア兵の市民虐殺問題を巡っては“偽旗(にせはた)作戦″だとロシアが懸命に主張するのにネットを利用しているのだ。

 国民のネット情報への不信感は高まっているだけに、既成メディアの変革が求められている。新聞は春の新聞週間を迎えた。

 読売新聞は『紙面の先 広げる世界』という特集で3人に新聞への注文を語らせた。ノンフィクション作家・川内有緒氏は海外での体験を通して、「記者や新聞社の考えをはっきり示せ。『識者がこう指摘している』『海外メディアで批判が相次ぐ』などが目立つ」と指摘した。全メディアに多い「成り行きが注目される」や「状況を注視したい」は怠惰と無責任の極みである。

(加藤 淑太郎)週刊「世界と日本」第2220号

「電力需給逼迫警報」発令から

生活と産業の根幹の電力事情

 

原発再開の読売、供給体制強化の産経、日経

自制を促す朝日、素っ気ない毎日

 

 寒ければ重ね着をし、暑ければ窓を開けて涼風を入れる—。という生活から遠く離れて、どれほど経つか。戸建て住宅の新築現場を見ればよく分かるが、最近住宅の窓は小さくなる一方である。空間は内外で厳しく遮断され、涼風も吹き抜けようがない。壁には断熱素材がたっぷり使われ、いきおい室内の温度・湿度調節はエアコンや換気設備に頼らざるを得ない。

 つまりは現代人は、好むと好まざるとにかかわらず、電気なしの生活ができないように、あらかじめしつらえられているのだ。だとすると先月末、東電、東北電管内に発令された初の「電力需給逼迫警報」解除後の、東電パワーグリッド幹部の発言「天気予報は注視していたが、これほどまでの需要の伸びは想定できなかった」はいただけない。

 国民の生活が、電力なしには成り立たないものになっている以上、どんな事態をも想定し切り、なんとしても電力供給を持続するのが事業者の責務、最低の職業倫理だと思うからだ。

 電力需給逼迫警報とは、東日本大震災後に作られた制度で、大規模停電(ブラックアウト)予防のために、電力供給の余力が需要の3%以下の見込みになった場合に、前日の午後6時までに発令される。これまでも電力逼迫はしばしばあったが(例えば21年1月の西日本の逼迫など)、実際の警報発令は今回(3月21日午後9時過ぎ)が初めて。

 16日の福島県沖での地震で複数の火力発電所の機能が低下したこと、前日来の寒気による暖房需要の急増などが重なり、初の発令となった。ところが連休最終日のそれも夜間。警報効果は徹底せず、翌22日午後には通産大臣が「このままでは広範囲に停電を行わざるを得ない」とさらに警告を重ねるほど。同日午後2時の東電管内の供給力に対する表示上の使用量は107%に達していた。結果的に停電に至らなかったのは、ひとえに幸運によるもののようだ。

 生活と産業の根幹であるわが国の電力事情がそんなに危ういものであることに驚く。各紙の社説もその驚きを、苛立ちを交えながら伝えている。その際、「供給増には、出力が安定した原子力発電所の活用が有効だ。政府は安全性が確認できた原発の再稼働を後押ししてもらいたい」と、解決策として原発再開を強く挙げるのが、読売「電力逼迫警報 供給体制の強化策が不十分だ」(3/23)。産経主張(同)、日経(同)もほぼ同様。

 対する朝日「電力の逼迫 抜本的な備えの強化を」(3/24)は、「需給改善に、原発の活用を挙げる声もある」と認めつつ、原発稼働は「新規制基準への適合や避難計画の整備が前提であり、目先の需給と直結させて議論すべきではない」と自制を促す。毎日(3/27)も原発回帰は「安全性への根強い不安や、放射性廃棄物の問題などを考えれば現実的ではない」と素っ気ない。

 一体この議論は、いつまで続くのか。

(本郷 一望)週刊「世界と日本」第2219号

5年ぶり保守政権誕生

韓国大統領に尹錫悦(ユン ソン ヨル)

 

融和の政治への転換をと朝日

即座に対日政策の転換をと産経

 

 韓国大統領選挙は政治経験ゼロ、保守系野党「国民の力」の尹錫悦前検事総長が、その差0・73%という大接戦を制して保革交代を実現するなど、劇的展開を見た。

 その割に日本での関心がいま一つだったのは、ロシアのウクライナ軍事侵攻最中のせいもあるが、日本人の対韓意識が今や冷めてしまったことも大きい。

 NHK世論調査で、今後の日韓関係が保守の勝利で「良くなる」は25%、「変わらない」が倍以上の59%だったことが象徴的だ。これが今の日本人の平均的気分であろう。

 しかし新聞各紙社説が「対日関係の改善を期待する」(読売3月11日)「日韓対話立て直す契機に」(毎日3月11日)「外交立て直しの起点に」(日経3月11日)と文在寅(ムン ジェ イン)政権下で戦後最悪と言われた日韓関係に改善を期待するのも、メディアとして当然である。尹氏自身も「過去よりは未来に向けて両国民の利益を見いだしていくことが大事だ」(日経)と語っている。

 もっとも未来志向の強調は文氏も含めて歴代政権の常套句で、その実過去離れ出来ないのが問題だったのだが…少なからぬ社説はそうした厳しい指摘を欠く。

 例えば《韓国の反発に配慮せず、佐渡島(さど)の金山」を世界文化遺産に推薦したことも新たな火種》(毎日)と岸田政権に矛先を向けるのはお門違いではないか。韓国の反発を所与のものとしているようで頂けない。

 地方紙の信濃毎日新聞「対話へ日本も姿勢転じて(3月13日電子版)も米中対立や北朝鮮の核・ミサイル開発を指摘した上で《日韓の連携は欠かせない。日本もかたくなな態度を改め、ともに改善への道筋を付けなければならないと、まず日本を諫める。社説は個説ではないと、首をひねってしまう。もちろん日韓の首脳対話は望ましい。しかし連携が必要なら、より重要な点は、まずは《日韓は、同じ側にいるという認識》(読売)だろう。

 産経新聞は内容を外交に絞り、対日関係についても「即座に対日政策の転換を」(3月12日)と尹氏に日韓慰安婦問題合意や日韓基本条約の順守を迫り《改善のボールは韓国側にある》としている。ただこれでは政府答弁の域を出ない。もう一言、産経らしい主張か示唆が欲しかった。

 朝日新聞「融和の政治への転換を」(3月12日)は逆に内政が半分以上で、《次期大統領の責務は、国内の分断を癒やす融和の政治を心がけ、諸難題の解決を図ることだろう》《保守系にとっては待望の雪辱だろう》と、もっともながら何処か他人事感が拭えない筆致だ。

 米韓同盟や日米の安保協力強化を訴え《北朝鮮には対話より抑止に比重を置くようだ》と見なす尹氏に本当は反対だが批判は時期尚早、いわば様子見の姿勢が熱量不足の社説になったとの解釈は筆者の考え過ぎだろうか。

 尹氏は「私は人ではなく、法に忠誠を尽くす」と文政権中枢に切り込み、事実上解任されて今日がある。

 外交においてもそうあることを期待したい。

(千野 境子)週刊「世界と日本」第2218号

ロシアのウクライナ侵攻

アメリカの分析通りに進行

 

侵攻の真の目的は?

占領でも傀儡(かいらい)政権の樹立でもない

 

 世界中が注視する中で開始されたロシアのウクライナ侵攻には、いろいろ驚く点が多い。一つは、事前にアメリカは警告を兼ねて、ロシア軍の動員・配置・作戦予想などを世界に向けて発信してきたが、結果的にほぼその分析通りに事態が進行したこと。

 アメリカは衛星情報に加え、諜報によってロシアの機密を入手したのか。それとも頭脳を傾け論理的に分析して、そうした結論に至ったか。当然、総合的判断ということだろうけれど、逆にいうならロシアの侵攻作戦自体が、長い時間をかけ徹底的な検討の上、補給・兵站も十分に整え、ために第3者でも推測しうる軍事技術的合理性を獲得していたことは確かだろう。

 しかしこのことはそのまま、ロシアの軍事行動がその他一切の合理性—歴史的、文明的、人倫的、政治的合理性—からはおよそかけ離れたものであることへの、第2の驚きに通じる。2月21日にロシアはウクライナ東部のドネツク、ルガンスク人民共和国の「独立」を承認した後、24日にウクライナ各地への武力攻撃を開始した。翌25日の各紙社説の少々うわずった言葉にも、その驚愕がよく現れている。

 毎日社説はいう、「国際法を踏みにじった。言語道断の侵略行為である」「法とルールに依拠する国際秩序も危機に直面する」「冷戦後に米国が主導してきた秩序は崩れ落ち、世界は混迷の時代に突入するだろう」と。

 読売社説は、「国際法に違反する暴挙」「第2次世界大戦後の国際秩序を破壊するもの」「ロシアの暴挙は、戦後秩序への挑戦」。

 朝日社説も、「国の主権を侵す明白な侵略である。第2次大戦後の世界秩序を根底から揺るがす蛮行であり、断じて容認できない」「国際社会全体の規範と価値観への挑戦とみるべき局面」。

 共通するのは、「秩序」「法」「規範」「価値観」から著しく逸脱することへの厳しい指弾。軍事侵攻はそうした諸理念とまるで整合しない。だからこそ「プーチン1人の戦争」といわれるのだが、今後、断絶線はプーチンとロシア国民の間に走る可能性もある。

 山ほどあるウクライナ解説記事の中でとりわけ印象に残ったのは、侵攻前になされたオリシア・ルツェビッチ氏(英王立国際問題研究所特別研究員)へのインタビュー「『民主主義』恐れるロシア」(朝日2/16)。

 「NATOの拡大が問題の発端」というロシアの主張は国内向けの言説に過ぎない由。冷戦時代からの癖で、「NATOが拡大してくる」といえば、今もロシア国内では十分有効な脅しになる。では侵攻の真の目的は?

 占領でも傀儡政権の樹立でもないという。「ロシアが本当に恐れるのは『民主主義』。民主主義が欧米からウクライナを通ってロシアに入るのではないか、と懸念している。でも、そうだとは決して認めない」。

 なるほど、民主主義思想がロシアに根付くことこそ、プーチンにとって悪夢か。

(本郷 一望)週刊「世界と日本」第2217号

共同声明の各紙報道

朝日・日経は秀逸

 

五輪開会式直前の中露首脳会談

露骨な政治利用の重い責任

 

 ウクライナ情勢が緊迫化する中で、第24回オリンピック冬季競技大会が2月4日から20日までの日程で北京で開催された(一部競技は2月2日に開始)。2008年の北京オリンピック(第29回オリンピック競技大会)の開会式と同じく、映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ)氏が総監督を務めた開会式の映像は見事だった。

 しかし、舞台裏側での政治的演出は興ざめだ。第1に、「例外規定を用いた習氏の計らい」(日経2/6)で、「ドーピング問題を巡って国家単位で選手派遣を認められていないロシアからプーチン大統領が開会式に出席」(毎日2/6)した。第2に、中国・ロシア・カザフスタンなど開会式出席の24カ国には「強権体制を敷く国が多い」(日経2/6)。第3に、中華台北と表記された台湾を中国国営テレビが意図的に「中国台北」と呼び、台湾と香港の代表団入場時には習氏の映像に切り替えた(時事ドットコム2/4)。第4に、最終聖火ランナーにウイグル族選手を起用したが、「そんな演出は、むしろ問題の根深さを感じさせた。新疆ウイグル自治区での少数民族に対する深刻な人権侵害について、疑念は何も晴れていない」(朝日2/8社説)。

 第5に、開会式の直前に中露首脳会談が行われ、「ロシア軍侵攻が取り沙汰されるウクライナ問題での共闘を演出した」(日経2/6社説)。明らかに「露骨な五輪の政治利用」が行われ、「平和の祭典に軍靴の音さえ聞こえかねない国際政治上の対決を持ち込んだ責任は重い」(同社説)。

 ところで、開会式直前の中露首脳会談後に共同声明が発表された。声明は、「ロシア語でA4版15ページ」(日経2/5)の長文で、朝日と日経がこれを最も包括的に紹介した。

 朝日によると、中国は①北大西洋条約機構(NATO)拡大に反対する一方、ロシアは②「1つの中国」原則を支持して台湾独立に反対し、さらに両国は、③米英豪の安全保障協力の枠組み「AUKUS」に反対、④米国の中距離弾道ミサイル配備計画の中止を要求、⑤内政干渉に反対、⑥福島原発事故の処理水海洋放出に深い懸念を表明した(2/5)。

 日経は①〜⑥に加え、⑦「アジア太平洋地域における閉鎖的な枠組みの構築」への反対も紹介した(2/5)。

 一方、毎日は①②③を取り上げると共に、⑧米国のインド太平洋戦略への反対も紹介した(2/5)。産経は複数記事を通じて①②③⑤⑦⑧を取り上げ(2/5、2/6主張)、読売は①③⑤⑥を直接取り上げ、間接的にまに言及した(2/5)。

 共同声明の紹介としては、朝日と日経の2/5記事が秀逸だ。朝日は少ない字数で多数の論点を紹介し、日経は多めの字数で詳しく紹介した。ただ残念なのは、共同声明では、(前日に外交ボイコットを発表した)インドが深く関係する上海協力機構(SCO)や「ロシア・インド・中国(RIC)関係」の強化にも触れていたのだが、どのメディアもこれを取り上げなかったことだ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2216号

名護市の市長選現職が再選

米軍辺野古移設が争点の1つ

 

読売・産経と朝日・毎日の論調が二分(にぶん)

東アジア安全保障環境の要諦を堅持せよ

 

 1月23日に投票が行われた沖縄県名護市の市長選挙は、自公が推進する現職の渡具知武豊氏が再選を果たした。

 毎回、市長選では米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設が争点の1つになっている。現職の渡具知氏は移設への賛否を明らかにしていないが、市長1期目の市政運営を見る限り、移設に反対のスタンスではない。

 新聞各紙は横並びで25日の社説で、市長選の結果を扱っている。

 最初に申し上げておくが、市長選の結果に関係なく、従来から辺野古移設を推進すべきだとする読売新聞と産経新聞。一方、移設を中止すべきだとする朝日新聞と毎日新聞にきれいに論調が分かれる格好となった。また、朝日と毎日の社説の構成(内容)がすこぶる酷似しているのにも驚いた。沖縄の2紙(沖縄タイムス・琉球新報)も従来から辺野古移設に反対しており、渡具知氏の再選という選挙結果を批判的に報じている。

 朝日は告示直後に実施した世論調査では、移設反対派が54%と過半数を占め、賛成の24%を上回っていたのに、移設反対派の岸本洋平氏が当選しなかったことに納得がいないようだ。毎日も「選挙結果をもって、地元が計画を容認したと断じることはできない。工事を強行することは許されない」と断じている。

 しかし、選挙は結果がすべてだ。朝日と毎日は投票率が前回より8ポイント下がったことも、移設反対派の岸本氏が当選できなかった理由にしているが、果たしてそうなのか。朝日と毎日は選挙結果を素直に認めるべきだろう。

 朝日と毎日の論調は、親の言うことを聞かないで駄々をこねている子供と何ら変わらない態度にしか見えない。

 一部の市民は辺野古移設に強烈に反対しているかもしれないが、昨年、筆者が名護市を訪れた時は、間違いなく移設に賛成する市民のほうが多かった。

 読売は「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設は、抑止力維持と基地負担軽減を両立させる唯一の解決策だ。政府は地元の意向に十分配慮しつつ、移設を着実に進めていく必要がある」と論じており、政府の辺野古移設を後押ししている。

 産経は「在日米軍基地をどこに設けるかは、沖縄を含む日本の平和と安全に直結する。国の専権事項である安全保障政策そのものだ。憲法は地方自治体の長に、安保政策や外国政府との外交上の約束を覆す権限を与えていない」として、玉城デニー知事を名指しこそしてないが、沖縄県の現在の辺野古移設に対する態度を批判している。

 辺野古移設は日米間の約束であり、もし仮に沖縄から米軍が撤退するような事態になれば、「力の空白」が生じてしまう。そうなれば中国の思う壺になるだけだ。虎視眈々と尖閣諸島を奪おうとしている中国への抑止も効かなくなる。

 現在の東アジアの安全保障環境を冷静に見つめれば、読売や産経の辺野古移設の考え方を筆者は支持したい。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2215号

ビジネスモデルの見直し

読者ニーズからの乖離

 

減少が止まらない新聞の発行部数

ネット戦略の遅れ、信頼低下が原因

 

 新聞の発行部数の減少が止まらない。日本新聞協会がこのほど発表した総発行部数(スポーツ紙を含む、昨年10月時点)は3302万7000部で、前年比5・9%、200万部余りの減少となった。

 新聞発行部数がピークだったのは、1997年の5376万部余り。それ以来、2004年を除くすべての年で減少し続け、ついに昨年はピーク時のわずか6割近くにまで落ち込んだことになる。

 特に深刻なのは、近年は減少が加速していることだ。17年までは毎年数十万〜百万部前後の減少だったが、18年から昨年まで4年連続で200万部以上の減少となった。

 かつては「朝日・読売の1000万部をめぐる攻防」などと言われたものだが、今では読売が約700万、朝日は400万台まで減っている。また以前は読売と朝日に続いていた毎日は約200万部まで落ち込んでおり、日経に並ばれる現状だ。

 「新聞離れ」もここまで来たかというのが率直な感想だ。その原因が、ネットの普及であることは言うまでもない。今や、スマホで手軽にニュースを見ることができ、若い人たちは新聞の必要性を感じなくなっている。

 だが、こうした新聞離れの原因は本当にそれだけなのだろうか。実は、新聞社自身に2つの問題点があることを指摘したい。

 第1の問題点は、ネット戦略の立ち遅れだ。各社とも電子版などを発行しているものの、契約者数は少数にとどまっており、紙媒体が主体であることに変わりがない。

 唯一、日経だけがネット戦略で一定の成功を収めていると言える。日経の紙の発行部数は各社と同じように減少しているが、電子版の有料会員数は順調に増加しており、今年1月1月時点で約80万、無料会員登録を含めれば555万となっている。それでも、日経の経営環境も厳しいのは同じだ。

 今や新聞業界は、紙媒体としての新聞発行・販売店を通じての宅配という従来のビジネスモデルを根本的に見直す必要に迫られている。だが各社の対応はあまりにも遅い。

 第2の問題点は、報道内容に対する信頼の低下だ。たとえば本欄でこれまでたびたび指摘したように、朝日や毎日など一部の新聞は、事あるごとに政府批判を展開してきたが、ほとんどが「批判のための批判」や首相などへの感情的ないし人格攻撃的な内容だった。その一方、建設的な提言がほとんどない。

 読者はなるほどと思える報道を求めているのである。現状は、そうした読者のニーズか乖離し、信頼を失ったと言わざるを得ない。

 まして今は、ニュースを配信するネットメディアが次々に登場しているほか、SNSなどを通じて誰でも情報を発信でき瞬時に拡散する時代。その中にあって新聞が存在価値を高めるためには、「〇〇新聞ならでは」と言える報道内容、つまり魅力ある独自のコンテンツが不可欠なのである。新聞各社は、読者が求める報道とは何なのかを謙虚に考え直すべきである。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2214号

全国紙の年頭社説

国際問題は中国動向

 

NHK BS「マイケル・サンデル白熱教室」

大学教育にもある論理的思考の欠如

 

 全国紙の年頭社説では経済・政治・国際・コロナ問題をほぼ共通して取り上げた。このうち国際問題で特に気を引いたのは、「習氏の独善を懸念」(読売1/3)、「台湾の重要性の認識を」(産経1/4)、「軍事力誇示する米中露」(毎日1/4)、「岐路に立つ民主主義」(朝日1/3)、「権威型資本主義の筆頭の中国も試練の時」(日経1/1)などの表現だ。

 中国の独善・強硬への対応を求める読売・産経、米中露の覇権競争を問題視する毎日、民主主義の凋落と立て直しを提起する朝日、民主型資本主義と権威型資本主義に分けて課題を論じる日経。これらは各紙の立場と観点の違いを端的に示すものとして興味深い。一方、これらの共通項を強いてあげれば、やはり中国の存在と動向をどのように認識し、立ち向かうかという問題意識であろう。

 一方には、「習政権の過信と独善的行動は、世界が直面する最大のリスク」(読売)とする見方があり、他方には、中国やロシア以外にも「強権政治が各地にはびこる」(朝日)、米中露の覇権競争が「世界を不安定化させる」(毎日)といった見方がある。このように異なる立場や見方が自由に表明されることこそ、民主主義の価値である。そうであれば、民主主義の凋落よりも民主主義の抹殺こそ深刻であり、2つの問題を同列に扱うべきでない。

 テレビ番組では、1月3日のNHK・BS1放映「マイケル・サンデルの白熱教室 中国の友よ 君はそれで幸せなの?」が異彩を放った。番組では、「言論や行動の自由を厳しく制限・監視する」中国の権威型体制(日経)をテーマに、サンデル教授がリードしながら、米国のハーバード大学、日本の東京大学と慶應義塾大学、中国の復旦大学の学生たちに自由に議論させた。

 米中の学生が英語で自身の見解を明確に説明したのに対し、日本の学生は日本語で個人的感想を吐露する言い回しが多かった。各国学生の意見はほぼ予想されるものだった。

 最近の中国におけるテレビゲームの規制、営利目的の塾の禁止、巨大IT企業による巨額寄附などに対し、中国の学生は「適切な規制」で「国民は政府を信頼している」「政府は共同富裕の雰囲気を作っただけで強制していない」と回答した。

 一方、米国の学生は、自由の制限、個人的領域における国家の介入という視点から明確に反対した。

 日本の学生は、テレビゲームの精神的・経済的悪影響を指摘して規制への支持を表明する一方、大学が狭き門である限り受験体制は変わらないとして規制の効果に懐疑的な意見を述べるなど、見解が分かれた。

 残念なのは、国家を信用しているから個人データを喜んで提供するという中国の意見や、中国では国家が国民を支配している訳ではないことを知ったという日本の学生の感想に対し、明確な否定論を誰も展開しなかったことだ。基本価値に裏づけられた論理的思考の欠如は、メディアだけでなく大学教育にもあるようだ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2213号

第2次岸田内閣発足

初の所信表明演説の評価

 

産経、読売は首相を後押し

朝日、毎日は視点定まらず

 

 第2次岸田内閣が発足して初めての所信表明演説が12月6日に行われた。新聞各紙は所信表明演説の全文もしくは要約を翌日の紙面に掲載。社説でも所信表明演説の内容について論じている。ワクチン3回目接種の方向性については、各紙社説で岸田首相を評価するものの、その他のテーマでは視点が分かれる格好となった。

 産経新聞は岸田首相が敵基地攻撃能力も含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討し、スピード感をもって防衛力を抜本的に強化していくと表明したことを受けて、防衛予算の思いきった増額を決断することが欠かせないとした。自民党総裁の岸田首相自らが率先して憲法について国民に積極的に語りかけていくべきとして、憲法論議の加速を促している。台湾情勢に言及しなかったことに対しては不満を示した。

 読売新聞は岸田首相が海外の半導体企業の工場誘致を支援するため、関連法を改正して基金を創設する方針を示したことを受けて、日本は半導体需要の6割強を輸入に依存しており、安定的な生産体制を整備する意義は大きい。官民が連携して、幅広い分野で供給網を強靱化することが経済安全保障の観点からも肝要だとした。

 強固で安定した日米同盟は、アジアの平和と繁栄に不可欠であり、日米が一体となって抑止力を高めるため、敵基地攻撃能力も含め、効果的な方法に関する議論を急ぐべきだとして、岸田首相を後押ししている。

 朝日新聞は沖縄県民が繰り返しノーを突きつけた米軍普天間飛行場の辺野古移設を推進する立場も見直すべきだとしているが、辺野古移設は日米間で合意されたものであり、いつまでも普天間が危険な状態のまま放置されることを望んでいる沖縄県民は誰一人としていない。憲法論議については、安倍元首相の改憲ありきの前のめりな姿勢が野党の不信と反発を招き、落ち着いた議論の環境を損ねたことを忘れてはならないとして、岸田首相の憲法改正への動きを牽制した。

 相変わらず安倍元首相を登場させて批判を展開しているが、憲法審査会に出席してこなかった野党(立憲民主党や日本共産党など)の方が問題であり、批判するべきは野党の姿勢ではないのか。いつまで安倍元首相への攻撃を続けるのか・・。

 毎日新聞は見出しに「首相の所信表明演説 岸田カラーなぜ出せない」というタイトルを付けているが、毎日新聞が考える岸田カラーとは具体的に何なのかが社説のなかで述べられていない。「岸田カラー」を問うタイトルを付ける以上は、毎日新聞が考える「岸田カラー」を説明すべきだ。さらに、社説全体を通じて、何を言いたいのかよく分からない内容となっている。

 各紙を比較すると、産経と読売の姿勢を評価したい。一方で、朝日については、産経や読売のような視点がまったくないばかりか、相変わらずの安倍元首相への批判にうんざりしたというのが、各紙社説を読んでの私の感想だ。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2212号

「新しい資本主義」に

議論百出だが…もっと

 

「改革」の視点を

「安倍嫌い」にとらわれる朝日・毎日

 

 岸田首相の「新しい資本主義」が論議の的となっている。最近では、首相の肝煎りで設置された「新しい資本主義実現会議」が緊急提言をまとめ、政府がまとめた55・7兆円の経済対策では4本柱の1つに位置付けられた。

 メディアの関心も高い。岸田氏が総裁選出馬を表明した8月26日から本稿執筆時点の11月28日までを対象に、主要各紙(オンライン版)で「新しい資本主義」を検索してみると、日経が210件と最も多く、朝日177件、読売122件、毎日109件だった。日経の読者なら1日に2本以上、毎日の読者でも1日1本は記事を目にしていることになる。

 ただそのわりに「新しい資本主義とは何か」「その実現のために何が必要か」については依然としてあいまいだ。首相は「成長と分配の好循環」としているが、今回の経済対策に盛り込まれた内容を見ても具体性に欠けるものが多い。この点は、多くのメディアが指摘しているところだ。

 しかし論評のスタンスはメディアによって異なる。日経は「新しい資本主義とは?」などの解説のほか、有識者の意見や提言をたびたび掲載。「成長と分配」については「改革なき分配を国民は支持しない」(11/2付け社説)、「『新しい資本主義』論の軽さ、改革なき分配でいいのか」(11/17付けコラム)など改革の必要性を指摘し、「改革」をほとんど口にしない首相を批判している。

 これは筆者も同感である。分配が重要なことは間違いないが、それは給付金などを一時的な形で配ることではなく、賃上げなどで継続的に分配を増やせるような経済構造にすること、つまり持続的な成長が必要だ。それを実現するには、デジタル化など技術革新などで生産性を向上させ成長力を高めなければならない。

 そのためには、成長を妨げている制度や規制、慣習などを変える改革が不可欠なのである。

 一方、朝日、毎日の記事には「改革」との言葉がほとんど見当たらない。それだけでなく、首相が「分配重視」とともに成長も強調することを批判している。毎日は「格差の根底にあるのはアベノミクス。だが岸田首相が真っ先に挙げたのはアベノミクスと同様、科学技術やデジタルなどへの積極的な投資だ」として「成長優先の姿勢が色濃い」と批判(11/9)。朝日も、経済対策に盛り込まれた「新しい資本主義」について「中身は安倍・菅両政権から引き継いだ成長志向ばかりの政策。『まずは成長』ならば、多くの国民は恩恵を実感できない」(11/20)と書いている。

 これではまるで「成長か分配か」の二者択一を迫り、安倍政権からの決別を要求しているかのようだ。このような発想では、「新しい資本主義」についての議論を深堀りすることはできない。メディアはいい加減に「安倍嫌い」から脱して、日本経済の今後のあり方について冷静かつ建設的な議論をしてもらいたいものだ。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2211号

首相、具体策を議論

成長と分配の好循環

 

緊急提言への新聞各紙厳しい評価

批判の中の問題点を認識すべき

 

 10月15日、岸田首相は、女性7人を含む15人の有識者から構成される「新しい資本主義実現会議」(以下では実現会議という)を設置した。実現会議は、岸田首相の掲げる「成長と分配の好循環」の具体策を議論するために設置された(日経10/16)。

 10月26日の初会合で首相が「デジタルやグリーンなどを柱に11月上旬にも緊急提言案をまとめるよう指示した」(日経10/27)ことを受け、実現会議は11月8日に「経済対策や税制改正に向けた緊急提言をまとめた」(日経11/9)。

 安倍内閣が推進したアベノミクスでは、円高是正(後に表舞台から消えた)とデフレ脱却を掲げ、金融・財政・成長戦略からなる3本の矢を中心に政策運営を行った。岸田首相の掲げる「成長と分配の好循環」は、アベノミクスとの違いを出すべく、分配面を前面に出したものである。しかしながら、実現会議の緊急提言に対するマスメディアの反応は概して不評だ。

 朝日(11/9)は、「中身を見ると、大半は安倍・菅政権が取り組んできた施策の延長線上にあるもの」で、首相の「姿勢も徐々に軸足が成長に移っているよう」だと批判する。緊急提言発表前日の毎日社説(11/7)も「実際は成長優先の姿勢が色濃い」と書いていた。要するに、朝日と毎日の認識は、首相が「新自由主義の転換」と分配重視を唱えたにもかかわらず、経済成長と効率を優先して深刻な格差を引き起こした新自由主義と変わらないというものだ。

 緊急提言に厳しい評価を下す点では他紙も共通するが、論点が少し異なる。

 日経は、「成長戦略乏しく」(11/9)、「新味は乏しい。規模が膨らみやすく、効果の見極めも難しい基金や補助金での対応が目立つ」(11/10社説)と批判的だ。産経も、「見えぬ成長戦略 具体策が急務」だと主張する(産経ニュース11/8)。読売は、「これまでの政策の焼き直しや重複が目立つほか、財源への踏み込みも不十分」とし、「負担増を含めて財源をどうするのかはほぼ触れていない」とする(11/9)。

 各紙の論点は理解できないわけではないが、当初から「デジタルやグリーンなどを柱」とすることが要請され、しかも初会合から緊急提言までのわずか2週間では最初から予想できたことだ。

 また、政府や政府筋から提出されたものを称賛するだけではマスメディアの存在理由が問われるので、問題点を指摘し批判しようとする姿勢は歓迎されるが、その批判点の中にも問題点があることを認識すべきだ。

 第1に、成長優先かどうかという無意味な批判はやめるべきだ。高い生活水準と公正な分配を実現するには、一定の成長が必要であることは常識だ。

 第2に、消費税減税を主張する一方で財源問題を提起するのは矛盾で、財源の中味についても語るべきだ。

 第3に、新規で大きな効果を発揮しうる成長戦略の中味を示さないと単なる批判で終わるだけだ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2210号

COP26のテーマは

CO2削減目標の強化

 

温暖化防止の本質は国益をかけた経済戦争

コメがうまいのは、温暖化のおかげ発言の波紋

 

 10月31日から英国グラスゴーで始まった国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)のテーマは、これまでに各国が表明してきたCO2削減目標の一層の強化・前倒し(30年目標)と、削減のための新しい仕組み(市場メカニズム)などの検討だ。会議を前にして産経の紙面には以下のような記事が散見された。

 まず正論欄での「ノーベル物理学賞の政治利用憂う」(10/26)が目につく。真鍋淑郎氏の温暖化予測研究のノーベル賞受賞を慶賀しつつ、現今の「温暖化は科学というより政治問題」と論点をひっくり返すのだ。

 ノーベル賞受賞をもって「温暖化の科学は決着した」「CO2削減は待ったなし」と見るのは大間違いで、真鍋氏の計算も「多くの仮定を置いたもの」にすぎず、「今すぐ(CO2)排出を減らすために大金を使うのは効率が悪い」と真鍋氏自身述べているという。過熱するCO2削減論を冷まそうとする狙いがストレートで、ちょっと難癖めいて聞こえるのは残念。

 雑誌『正論』(12月号)には「温暖化防止の本質は国益かけた経済戦争」が載っている。COP26で厳しい再検討が予想される国別CO2削減案だが、じつは削減競争の実態は、少しでも有利な条件を確保しようとする各国による死に物狂いのサバイバル(経済戦争)にほかならず、日本も本質をよく見極め、安易な譲歩、削減案提示はもってのほかと戒める。

 その際、高温ガス炉という日本の技術を多用した次世代原子炉の導入が、カーボンニュートラルへの切り札になると力説するのは、産経主張「岸田首相COPへ 新たな技術で存在感示せ」(10/30)とも同一。「最後は原発に頼れ」は、どうやら産経を含む各方面の根深い本音であるようだ。

 話は飛ぶが先日、麻生太郎自民党副総裁による「昔、北海道のコメは『厄介道米』というほどだったが、今はやたらうまいコメを作るようになった」「北海道のコメがうまいのは、農家ではなく地球温暖化のおかげだ」などの発言があり、波紋と批判を呼んだ。

 この場合、麻生氏は温暖化を「仮定のこと」とも「仮面をかぶった経済戦争」ともいっているわけではない。そうではなく、北海道産米を現にうまいコメに変じるほどリアルな、現在進行中の現象だと捉えている。いわば温暖化自体は見据えている。だとすると、批判はどの部分に向けられたのか。

 「温暖化にも、いいことはある」と指摘したそのことか。あるいは温暖化の怪我の功名を強調する余り、品種改良にかける農家や農協、農業試験場などの積極的な努力を、全く無視してしまったことに対してか。

 まことにどんな仕事も、当事者の厳しい自己向上の熱意なしには成り立たない。産業の根本は、結局は人々の倫理感だ。それを分からぬ政治家のもとで、日本はこれまで、農業のみならず産業全体の衰退を重ねたのかも。

(本郷 一望)週刊「世界と日本」第2209号

調査の問題点浮き彫り

根拠指標選択の妥当性

 

世銀、中国の圧力で順位を操作

ランキング報道姿勢にも問題

 

 国際機関の信頼性を揺るがす事件が起きた。世界銀行がビジネス環境を国別にランク付けする年次報告で中国の順位を引き上げる不正があったのだ(9/16)。

 この問題は、世銀が外部の法律事務所に委託した調査で明らかになったもので、それによると、同報告の2018年版(2017年10月公表)で、中国の順位は当初案で85位となっていたが、中国が繰り返し圧力をかけた結果、「起業」など3指標で評価が書き換えられ、前年と同じ78位に引き上げられた。

 当時、世銀CEOだったゲオルギエバ氏(現・IMF専務理事、ブルガリア出身)が中国から接触を受け、担当者に不正を指示したという。同氏は疑惑を否定したが、IMFでは同専務理事の更迭要求が高まった。

 結局、IMF理事会は、「同氏が不適切な役割を果たしたと決定的に証明するものではない」として、同氏の続投を決めた(10/11)。だがそれはいわば「証拠不十分」といったもので、調査は続行される。

 この事件について、日経はグループ会社であるフィナンシャル・タイムズの和訳記事をたびたび掲載、「IMFは信頼できるのか」(10/4電子版)など、問題点を掘り下げていた。毎日も「背後に中国の圧迫交渉」(9/25)との特派員リポートで、不正の内容と背景をわかりやすく報じた。それに比べ、朝日、読売は事実関係を伝えるだけで、あっさりしていた。

 テレビ各局も報道していたが、そのわりに、メディアの扱いは物足りなかった。

 一方、今回の「不正」とは別に、ランキング調査の問題点も浮き彫りになった。

 各種ランキング調査は国内外の多くの分野で行われ、メディアもよく取り上げている。ランキング調査には、㈰単一の客観データによるもの㈪複数の指標を総合したもの㈫アンケートをもとにした順位付け—など、さまざまなタイプがある。今回の世銀のランキングは㈪に当たる。最近話題の「都道府県魅力度ランキング」は㈫だ。

 注目度の高いランキングには㈪や㈫が多い。だが注意が必要だ。㈪の場合、どの指標を使うかによって順位が変わることがあり得るし、㈫はアンケート回答者の主観に左右されやすい。

 たとえば英国の調査会社が半年ごとに発表する「国際金融都市ランキング」は、各都市の金融関係者による評価をもとにしているが、最新の結果(今年10月)では香港3位、上海6位、北京8位で、東京は9位だった。だが香港の現状からはやや不自然に感じるし、北京の国際金融都市機能がそれほど高いとは思いにくいというのが実感だろう。恣意的ではないにしても、この種のアンケートでは中国人は自己評価が高く、日本人は低い傾向があるとの指摘がある。

 他の国際的なランキング調査でも「日本の順位が下がった」などとメディアが過大に報道する傾向があるが、順位付けの根拠となる指標の選択自体が妥当かどうか、アンケート回答者の属性なども含めて検証し報道する必要がある。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2208号

無責任な記事ややらせが

暴言を誘発しデマを生む

 

ネットの悪質投稿 メディアの責任も

「誹謗中傷」は誰が生み煽っているか

 

 インターネット上に他人を誹謗中傷する投稿が飛び交っている。それらは匿名で激しい文言を連ねて対象人物を傷つけている。フジテレビの番組に出演した女子プロレスラーが自殺した事件はまだ記憶に新しい。

 彼女の死は社会に衝撃を与え、母親の訴えで2人の投稿者が特定されて侮辱罪に問われ科料9千円に決まった。その後、母親は175万円の損害賠償を求めて提訴している。この事件を通じ、ネットに氾濫する匿名で思い込みによる正義感に駆られた罵詈雑言に社会から激しい批判が広がったのだ。

 それを受けて、上川法相は法制審議会にネット上の誹謗中傷に満ちた投稿に対する刑罰を、今までよりも重くするよう刑法改正を諮問した。それは1年以下の懲役・禁固に加えて、30万円以下の罰金を科すこと、さらに1年だった公訴時効の期間も3年に延ばすなどである。

 メディアは、この刑法改正で、ネットに横行して多くの人を傷つけてきた悪質な投稿は確実に減るだろうと楽観的に報じた。確かに匿名の投稿者を特定させる期間も延長されたし、刑罰も罰金も重くなったことは減少への効果を挙げるだろう。

 しかし、いままでネット上に悪質な投稿を増やしてきた元凶の一つが、メディアであることを指摘しなければならない。

 前述のフジテレビの番組内で女性プロレスラーは、共演の男性に対して暴言を浴びせたことで視聴者の反感を買ったのだった。しかし彼女の暴言の大半は台本に従ったまでであり、さらに現場でディレクターなどからカンペで煽られた結果と見られるからである。

 出川哲朗氏があるバラエティ番組で、約10年以上前だったと前置きして、内戦中の某国に行かされたときの体験を語っていた。彼は銃弾の飛び交う恐れのある所まで行かされ恐怖に竦(すく)んでいると、離れた所からディレクターが「撃たれろ」というカンペを掲げたというのである。舞台俳優の梅沢富美男氏も「ここで怒って」というカンペを出されて腹が立ったと述懐していた。

 テレビの過剰な演出や新聞や雑誌の事実に基づかない報道や偏向ないし角度をつけた論評に煽られた人々が、自身で発信できるネットに走っていることを肝に命じる必要がある。

 購読者が減ってきた新聞と雑誌が、ウェブ版などの電子化に販路の拡大を求めているが、それが情報を「読んで得る」より、「見て得る」へ人々を誘い、ネットで個人攻撃をさせたりデマを拡散させていることも指摘したい。

 読売新聞が連載した『虚実のはざま』第4部は、ネットに躍るデマ情報を信じ込んだ人々によって家族が分断されたり社会不安が醸成される現象を活写して説得力がある。世界を襲ったコロナ制圧へのワクチンの効果へ強い批判を浴びせた上、接種を止めるよう呼びかけている。メディアはワクチンの効果と治療薬開発を励ますときである。

(加藤 淑太郎)週刊「世界と日本」第2206号

菅首相が総裁選不出馬表明

大手各紙は退陣に批判展開

 

各紙は冷静さを欠いていないか

政権に厳しく自らに甘い報道姿勢

 

 菅首相が9月3日、自民党総裁選への不出馬を表明した。大手各紙は「コロナ対応で国民の信を失い、党内の支持も得られなくなった末の退陣」(朝日)、「独善と楽観が招いた末路」(毎日)など手厳しい。読売も「菅離れ一気、方策行き詰まる…解散・人事など延命策が裏目に」と突き放した。

 たしかに菅首相はいろいろな問題点を抱えてはいたが、何よりも、コロナ禍にどう立ち向かうかという明確なメッセージの発信が弱かった。

 だがそれでも、メディアの批判の仕方とその姿勢には問題が多いと言わざるを得ない。本欄でこれまで何度か指摘してきたところだが、あらためて次の3点を強調したい。

 第1に、メディアの政権批判が冷静さを欠き、感情的・煽情的になっていることだ。前述の毎日の記事の「末路」といった表現はその典型だが、この傾向はテレビの情報番組でより強い。

 メディアの報道は事実に基づくものでなければならない。特にコロナについての報道は、科学的根拠が不可欠だが、中には感染拡大の全てが菅政権の責任であるかのような報道も見受けられた。

 第2は、その場その場に合わせて正反対のことを論拠にして政権批判を繰り返していることだ。たとえば感染が拡大すると「政府の対策が後手後手だ」「もっと強い対策をとれ」と主張するが、緊急事態宣言になると今度は「飲食店にいつまで我慢を強いるのか」と攻め立てる。

 ワクチンをめぐる報道でも同じパターンが見られた。日頃「ワクチン接種が遅い」と批判していたメディアが、菅首相が自衛隊による大規模接種の方針を打ち出すと「現場が混乱」などと非難したのだ。必要なのは「どうあるべき」という建設的主張では?

 第3は、政権に厳しく自分に甘い姿勢だ。たとえば朝日と毎日は、感染拡大中の東京五輪開催に反対した。しかし自社が主催する高校野球(春の選抜=毎日、夏の甲子園=朝日)は開催した。両社は「五輪と高校野球では大会の規模が違う」「感染対策に万全を期している」などとしていたが、その程度の説明では十分とは言えないだろう。

 また両社は東京五輪の公式パートナーでもあった。「編集部門と事業部門は別」と言うが、都合よく使い分けているとの印象はぬぐえない。

 菅首相には「説明不足」と常に批判していながら、自分の事となると、あいまいな説明で済ませている。

 「自分に甘い」と言えば、テレビ朝日の社員ら10人が東京五輪の打ち上げを未明まで開き、そのうちの1人がビルから転落した事件があった。緊急事態宣言下でのこうした宴会自体、批判されることだが、その後のテレビ朝日の説明もあいまいで、とても「説明責任」を果たしたとは言えない。これでは、メディアはますます信頼をなくしてしまう。今メディアがなすべきことは、前述の3点を是正して、自らを律することである。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2205号

中国の実態は

過小評価は危険

 

日経 科学論文数と内容に注目

日本の現状打開への分析必要

 

 先日、高名な中国通専門家の講演を聴く機会があった。各種情報をもとに、新型コロナウイルスの発生源は武漢ウイルス研究所でほぼ間違いなく、その背後には新型ウイルスをめぐる米中の研究協力があるという。だから、米国による対中批判が対米批判に飛び火する可能性があるため、米国は慎重なのだという。ただし最後に、これは有力な仮説にすぎないと付け加えられた。

 最近の中国経済の動向についても言及があり、経済成長率をはじめとする経済統計は信用できず、実際の数値は公表数値の3分の1でしかないと発言された。しかも、政府の有力者がそのことを語ったのだという。

 こうした主張は目新しいものではなく、類似の主張を多数見聞する。真偽の確認は難しいが、その種の発言の含意には十分な注意が必要だ。つまり、中国は過大評価されており、大した国ではないという含意である。

 しかし、ここ十数年の間に何十回も中国の大学を訪問し、資金力と人的資源の量に圧倒されてきた経験から、中国の統計数値を絶対視する必要はないとしても、中国を過小評価することは非常に危険だと考える。その一例が学術分野での中国の台頭である。

 8月11日の日経朝刊は、文部科学省の研究所の報告書により、「注目論文」の数で中国が米国を抜いて世界一になったことを伝えた。「分野別でも8分野中、材料科学や化学、工学など5分野で首位に立」ち、「中国が学術研究の量だけでなく、質の面でも実力をつけている」。これに対し、「日本は論文の質・量ともに順位が低下」し、「注目論文のシェアではインドに抜かれ」て10位に後退した。

 科学論文数では中国の質・量が共に向上し、米中2強となる一方、日本の相対的な衰退が生じていることは10年近く前から指摘されてきた(日経12/1/24)。関連記事が最も多い日経の過去の見出しを拾うと、「注目論文数、日本は停滞」(14/7/25)、「科学研究で米中接近…日本は存在感薄く」(17/8/14)、「注目論文シェア、日本9位、「お家芸」の化学・物理低迷」(19/8/10)、「中国、科学論文数で首位、研究開発でも米と攻防」(20/8/8)と報道されてきた。読売・産経・毎日・朝日の全国紙でも過去に何度か報道され、現状の危機感が伝えられてきたのだ。

 ただ残念ながら、中国の躍進と日本の停滞を伝える報道は多くても、現状打開の改善策となると物足りない。例えば、「研究環境の改善や企業との連携」(読売18/1/25)、「若い研究者の待遇改善」(毎日17/3/23)、研究費と研究時間の確保(産経17/8/11)との指摘はあるが、それを実現するための政策や目標・手段・措置の議論がない。

 それは、「研究力低下に歯止めをかけるのに『特効薬』はなく、衰退を食い止めるのは難しい」(日経8/10)ためなのか。コロナ禍の今こそ、危機打開の方策を皆で探るべきでないか。マスメディアはその旗振り役となりうる。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2204号

開催された東京五輪

新聞各紙の報道姿勢

 

分かれた報道 産・読、朝・毎

朝日 五輪否定の紙面づくり展開

 

 東京都に4度目の緊急事態宣言が発令されるなか、7月23日に開幕した東京オリンピックでは日本選手のメダルラッシュが続いている。一方で、新型コロナ感染者は増加の一途を辿っている(7月29日時点)。

 開催の是非については、事前の各種世論調査では開催賛成よりも反対の割合が大きかったが、日本人選手の活躍によって、国民の意識も大きく変わってきているようだ。

 注目したいのは、日本人選手の活躍だけではない。新聞各紙の報道姿勢も綺麗に2つに分かれた。開会式当日と翌日の新聞各紙の社説では、産経と読売は開催に前向きな内容となっていたが、朝日と毎日は相変わらずのネガティブな内容だった。そして、社説以外の記事でも、特に朝日はオリンピックを敵視するかのような紙面づくりを展開している。では朝日がどのような紙面を展開したかを紹介したい。

 23日の1面では開会式のディレクターの解任を大きく扱い、2面、3面も開催を巡る混乱と迷走の特集で紙面を埋め尽くしていた。さらに、24日の1面でもオリンピック開催に対する攻撃の手を緩めるどころか、さらにヒートアップし、開催に至るまでの様々な組織委員会の不祥事を並べ立て、3面では「第5波、渦中の開幕 病床使用率、徐々に上昇」と、コロナ危機の不安を煽ることに熱心だった。

 27日の1面に至っては、朝日以外は水谷・伊藤ペアーが卓球で初の金メダルを獲得した記事を写真と一緒に大きく掲載していたが、朝日だけは「『黒い雨』上告見送り」がメインの記事で、初の金メダル獲得については「卓球混合 初の『金』」という見出しと、簡単な解説記事だけを掲載し、2人の写真はなかった。朝日は中国に配慮したのかと勘繰りたくなる。

 29日の1面では、産経と読売は、最年少19歳で体操男子個人総合で金メダルを獲得した橋本大輝選手の写真を大きく掲載していた。それに対して、朝日と毎日は「全国感染 最多9583人」という大きな見出しを付け、選手の活躍よりも新型コロナの感染拡大を強調していた。

 朝日にしてみれば、東京オリンピックのスポンサーでありながら、5月26日の社説で「オリンピック中止の決断」を菅義偉首相に求めた経緯があり、開催反対の拳を下ろすことが出来ないのだろうか。また、朝日の本音は開催中止に追い込むことで、菅政権を倒すつもりでいたようだが、いざ始まると、何が何でもオリンピックの成功を妨害したいような報道姿勢には呆れるばかりだ。

 朝日の読者も日本人選手の活躍に感動していると思うのだが、そのような読者の声は朝日社内には伝わっていないのか。それとも朝日の読者はオリンピック報道には興味がないのか。

 一部の競技会場を除いて無観客であり、新型コロナ感染者の増大をオリンピック開催に結びつけるには無理がある。今後の朝日の報道に注目したい。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2203号

少子高齢化に加え

コロナ禍とスマホが

 

メディアは「孤独と孤立」を追え

現代の病根を伝え対策を問うとき

 

 コロナ禍が収束の気配を見せない中で、1つの社会的現象が進行している。「孤独と孤立」である。これが原因の自殺も増えている。

 ところがメディアの問題意識は低く、現象を指摘することも警告も怠っているように思える。わが国の少子高齢化が急速に進む中で、実は社会に広く「孤独と孤立」が広がり、人々の心と身体を蝕んでいるのである。

 外国では「ロンリネス」は肥満や飲酒より健康を害すると言われている。それらを受けて菅首相は今年2月、孤独担当相を設けた。坂本哲志少子化担当相が兼任している。そんな彼に多くの外国から問い合わせが殺到した。

 折角、政府が新設し外国から注目されているにもかかわらず、いまだ対策も成果も伝えられていないのは残念だ。メディアは昨年末、コロナ禍と東京五輪・パラリンピックに振り回されてきた感があるが、わが国の近未来に大きな影響を与える「孤独と孤立」の現状報告と対策を積極的に報道する責任がある。

 読売新聞は6月中旬「依存社会 第1部スマホ」と題して、今や現代人の“臓器”と化したスマホの功罪を連載で追及した。

 街でも電車の中でも、スマホに熱中している人がほとんどと言ってよい。すでに“歩きスマホ”などは事故の原因として厳しく批判に晒されているが、読売は実はスマホが「孤独と孤立」を加速していると指摘する。

 SNSでの発信に対して、「いいね!」が返ってくると安心するが、先方から返ってこないと不安から強い孤独感に襲われるという。反面、友人の発信に対して即座に「いいね!」を返さないと、「なんで?!」と返され、その挙句「冷たい」と疎遠にされ、仲間はずれにもされるという。

 今や生活に欠かせない「道具」から「臓器」と化したスマホが、現代の深刻な病根である「孤独・孤立」を続々生み出しているのだ。

 そんな実態を、最近の新聞は自民党総裁選と総選挙を前にした政局、新型コロナの拡大とワクチン接種問題、東京五輪・パラリンピック関係巡る経緯に集中し過ぎていると思う。先の国勢調査で、わが国の人口減少、少子高齢化、地方市町村の消滅化が急速に進んでいることが判明した。それに伴って、全世代を「孤独・孤立」という“<RUBY CHAR="病","やまい">”が襲っている。

 一方、雑誌の問題意識は鮮明だ。『中央公論』7月号は「孤独と怒りに社会は軋む」という特集を組んだ。3本の対談、3本のレポート、2つのインタビューである。特に早大教授・石田光規氏の「都市に沈みゆく声なき孤立者たち」と精神科医の斎藤環氏と作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏の対談「『コロナうつ』と『欲望』の関係」が「孤独と孤立」が急増している現代を分析し、どう対処すべきかを熱く説いている。この特集によって現状の理解は進んだが、対策は政治や行政に求められるとともに、社会全体の覚悟が必要だということが判ってくる。同時に、今こそメディアの出番だと強く訴えてくるのだ。

(加藤 淑太郎)週刊「世界と日本」第2202号

 

米IT企業の規制強化

企業分割の可能性は?

 

企業規制の過程をマスメディアは追え

求められるGAFA訴訟の動向報道

 

 米国の新規感染者数がかつての1日20万人超から1000人台へ、新規死亡者数が1日3000人超から300人へ、そして国民の半数がワクチン接種を完了した6月中旬、IT産業の規制強化を目指す動きが米国で始まった。

 1つは、バイデン大統領が米連邦取引委員会(FTC)委員長にIT企業規制強化を訴えるカーン氏を指名したこと(日経6/16夕刊)。もう1つは、米議会下院の司法委員会で反トラスト法(独占禁止法)改正案が可決されたこと。この改正案では、「グーグルやアップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コムの大手4社」(日経6/25)、いわゆるGAFAが主な対象とされている。今後の展開次第では、企業分割の可能性があることも指摘されている。

 こうした一連の動きは、幾つかの理由で興味をそそる。

 第1に、米国巨大IT企業規制では先行するEUに米国も追いつき始めたこと。しかも、IT企業を嫌いながらIT企業への課税強化に反対したトランプ前大統領でなく、IT企業の支持を受けてきた民主党政権のバイデン大統領のもとで規制強化が進行するというから何とも皮肉な構造だ。

 第2に、巨大IT企業をターゲットにした規制強化は、90年代の米国司法省によるマイクロソフト反トラスト訴訟を想起させる。当時も企業分割に進む動きがあったものの、結局は失敗に終わった。

 第3に、90年代の争点は、インフラの独占部門と、インフラ上で展開されるミドルウェア(特にブラウザ)やアプリケーション(アプリ)の競争部門を同時に所有する巨大企業が、後者の競争市場で活動することは不公正かどうかだった。

 今回、カーン氏が問題とするのは、GAFAが圧倒的な支配力をもつプラットフォームと、その上で展開されるサービスの両方に巨大IT企業が直接的利害を持つことは不公正だという点であるから、これは決着を付けられなかった90年代の再現と言える。

 第4に、90年代に書籍販売でアマゾンと競争関係にあったバーンズ・アンド・ノーブル(書店網経営)が卸売の取次企業を買収したとき、独立系書店の反対を受けてバーンズの買収を阻止し、結果的にアマゾンを助けたFTCが、今度は、アマゾンに対して厳しい措置を求めた。

 第5に、過去と現在を往来するような動きの中で、6月28日、米国ワシントンの連邦地裁は、FTCが訴えていたフェイスブックによるSNS(交流サイト)支配に対する訴状を棄却した(日経6/29夕刊)。奇しくも21年前、ワシントン連邦地裁はマイクロソフトに対し、反トラスト法違反を認める判決を行った。争点が違うとはいえ、過去とは正反対の結論が出たことは、巨大IT企業にとって吉と出るか凶と出るか、大変興味深い。

 マスメディアには、こうした過去とその後の展開を適宜紹介しつつGAFA訴訟の動向を読者にわかりやすく報道することを期待したい。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2201号

 

通常国会が閉幕

社説に見る総括

 

政権に対する姿勢が反映

産経 公明の媚中的態度を批判

 

 通常国会が6月16日に閉幕した。野党は新型コロナウイルス対応などを理由に、会期の大幅な延長を求めたが、自公政権(菅政権)は取り合わなかった。

 新聞各社は翌日の社説で通常国会を総括する内容を掲載。社説を読むと、普段からの新聞各社の自公政権に対する姿勢がそのまま内容に反映されていた。

 朝日新聞は「論戦回避、国会軽視は、安倍政権から続く体質というほかない。野党の追及をかわし、言質を取られないようにすることばかりに執心し、質疑を通じて、国民の理解や信頼を得ようという姿勢はうかがえない」と断じたうえで、「前政権時代の森友・加計・桜を見る会をめぐる問題の究明も進まなかった」と述べるなど、天敵である安倍前首相への追求の手を緩めていないようだ。いつまで「安倍叩き」を朝日新聞は続けるのか。

 毎日新聞は「150日間の論戦で浮き彫りになったのは、国民の疑問に向き合おうとせず、批判を受け入れない菅義偉首相の姿勢だった」と断じており、朝日新聞に近いスタンスだ。また、「日本学術会議の会員候補6人を任命しなかった問題も、拒否の理由すら明らかにしないままだ」として、国民に向けて真摯に説明するよう迫っているが、国民の大多数は、学術会議の問題に関心があるとは思えないのだが……。

 読売新聞は「ワクチン接種で光明は見えてきたものの、難局を乗り越えたと言うには程遠い。政治に対する国民の不満に、与野党は真剣に向き合うべきだ」として、与野党双方に注文を付けている。そして、野党に対しては「総辞職か衆院解散を政権に求める不信任案を巡り、野党が迷走したのは緊張感を欠いた。コロナ禍での政治的パフォーマンスに国民は辟易しているのではないか」と論じ、一連の対応を批判。「答弁は歯切れが悪く、説得力に乏しかった。(中略)国民の疑問に真摯に答えず、けじめを欠く対応を重ねていては、政治不信はさらに強まろう」と述べ、朝日、毎日新聞と同じように菅首相に反省を促している。

 産経新聞は中国政府による深刻な人権侵害を非難する国会決議案の採択が、自民、公明両党の執行部の判断で見送られたことを取り上げ、「公明は『人権の党』という看板と矛盾する姿勢をとっていないか。見送りの理由を、同党の山口那津男代表や自民の二階俊博幹事長、森山裕国対委員長はきちんと説明してほしい」とまで踏み込み、媚中的態度を批判した。

 さらに、重要法案の1つである土地利用規制法の採決で、野党第一党の立憲民主党と日本共産党が成立を妨げようと徹底抗戦した態度に疑問を呈し、「安全保障上、極めて無責任な姿勢といえる」と論じているところは、大いに評価したい。

 新聞各社の社説のなかで、産経新聞が具体的な批判内容を読者に示していると、私は思う。

 最後に、先日、朝日新聞が購読料の値上げを発表した。新聞離れが進むなか、他紙も追随するのだろうか。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2200号

 

進むワクチン接種

接種を巡る報道は

 

否定的報道続ける朝・毎

求められるのは接種促進の報道

 

 新型コロナ・ワクチン接種のペースが上がってきた。接種加速によって感染収束に向かうことが期待される。

 しかし多くのメディアは以前から、ワクチンに否定的な報道を続けてきた。

 日本のワクチン接種開始が遅れたのは事実だが、その原因は政府だけではなく、地方自治体の対応にも遅れが目立っていたし、民間医療機関との連携も十分ではなかった。

 そうしたネック解消の一策として政府は、自衛隊による大規模接種を東京と大阪で実施する方針を打ち出した。これがその後の各自治体の接種対応を速めるきっかけとなったのだが、ところがこれに一部メディアがかみついた。その急先鋒が、朝日新聞出版の週刊誌『AERA』と毎日新聞だ。

 AERAの電子版(4/30)は「菅総理“乱心”でワクチン1万人接種センターぶち上げ」と題する記事を掲載した。

 同記事は「ワクチン接種にしか支持率回復の望みを持てない菅政権の焦り」と揶揄し、「机上の思い付き」「準備期間がなさすぎる」「各省庁は頭を抱えている」など否定的なコメントを並べていた。

 さらに「1万人接種センター 日本旅行、人材派遣会社に約37億円で“丸投げ”」(5/10)、「運営を不可解な随意契約30億円で民間に丸投げ」(5/11)と続けた。

 だが実際は丸投げではない。事業主体の自衛隊だけでは手が回らない民間看護師の確保や会場設営などを民間企業に委託するものだ。この記事は明らかに事実をゆがめている。

 こうした同誌の一連の報道は、批判を通り越して、悪意ある攻撃とさえ言えるほどだ。

 そしてあの架空予約報道である。大規模接種の予約が始まった5月17日、AERAの記者が予約サイトで市町村コード、接種券番号、生年月日の項目で架空の数字を入力したところ、予約が取れたとして「予約システムに重大な欠陥」と書いた。

 同じことを毎日新聞も記事にし、翌日の社説で「見切り発車の不備が露呈」と批判した。このほか『日経クロステック』(日経BPの専門誌)が架空予約して記事化し、それを受け日経電子版も記事にしている。

 朝日新聞出版と毎日新聞は「記事には公益性がある。予約後すぐにキャンセルした」としている。しかし架空予約という行為そのものが、報道倫理に反しているのだ。防衛省のシステムに不備があったのは事実だが、それを確認する方法は他にもあったはずだ。メディアは記事内容だけでなく、その取材のプロセスでも批判を受けるような手段を用いるべきではない。これはメディアの基本にかかわる重要なことである。

 大規模接種が始まると、AERAは「高齢者対応に配慮が足りない」(6/1)と、どこまでも大規模接種を目の敵にしている。

 メディアが今なすべきことは、粗探しで政府批判を展開することではなく、ワクチンへの理解を深め接種を促進させるような報道を充実させることである。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2199号

 

日本を貶める

作為報道氾濫

 

原発「処理水」の風評被害排せ

大手メディアは汚染水といい張るが

 

 4月13日、菅義偉首相は東京電力福島第1原子力発電所の敷地内に貯蔵されてきた処理水を、2年後の2023年を目途に海洋に放出することを決めた。

 東日本大震災発生以来、処理水を貯蔵するタンクはすでに1千基を超え、これ以上の建設は不可能だ。従って海洋への放出は計画されてきたが、地元の漁業関係者、野党、一部メディアの反対で見送られてきたのである。

 海洋放出賛成派は、放出反対は風評被害によるもので、それを拡散しているのは一部メディアだと指摘する。朝日新聞は、5月1日の社説で東電会長に就任した小林喜光氏(前経済同友会代表幹事)に「汚染水の処理に真摯に取り組め」と注文をつけた。かねて朝日は「処理済み汚染水」、毎日は「汚染処理水」と注釈をつけているが、一貫して海洋放出は海を汚染し漁業に影響を与えると報じている。

 政府は漁業関係者に処理水が安全であること、フランスなどでもすでに放出していることなどを丁寧に説明すると約束するが、メディアの振り撒く風評被害は波紋を広げる。中国や韓国の反対を煽ったのが一例だ。韓国など本物の汚染水を放出しているのに、反日を強調するために利用しているのだ。

 これらメディアの風評拡散に対し、『正論』(6月号)でジャーナリストの林智裕氏が「『汚染水』という詭弁」というレポートで、処理水の安全性を科学的に証明し、共産党の巧妙な反対運動や朝日や毎日のデマ報道を完膚なきまで論破している。

 彼らは「汚染水を海に流すな」と叫ぶデモを熱心に報じているが、特にNHKの海外向け放送の罪は重い。林氏は「NHKは処理水をradioactive   water(放射性の水)と発信している」と批判したが、さすがに抗議殺到で訂正に追い詰められたという。

 なにかNHKの作為が感じられる表現である。いまドキュメント番組『緑なき島』(通称・軍艦島)の捏造問題が注目されているが、日本を貶めることに走っているようで情けない。同様の作為は朝日の歌壇にも見える。「行き場なき満タンの原発汚染水 聖火ランナー背景とはせず」という読者の短歌を掲載したのだ。

 朝日は『声』欄で読者の気持ちを紹介すると称して反日を鼓吹したり政府を攻撃する狡猾なところがある。しかし、そんな手法による情報操作もネットによって即座に否定されたり真相が明るみに出るようになった。

 月刊誌『テーミス』(6月号)は、一部メディアが拡散した風評被害を一掃した「処理水の海洋放出」が東日本を復興させると報じた。また雑誌『財界』(5月26日号)では、倉本聰氏が、処理水を巡る風評に全く根拠がないこととそれに振り回される愚を痛烈に批判している。

 倉本氏は、原発廃棄物の処理地候補に、北海道の寿都町などが手を挙げたときも、反原発団体などの声高な反対に流されることなく冷静に見守るよう説いていた。大メディアへの“頂門の一針”である。

(加藤 淑太郎)週刊「世界と日本」第2198号

 

憲法記念日巡る

世論調査と社説

 

調査結果 改憲の声が多

読・産 緊急事態条項明記を主張

 

 昨年と同様、緊急事態宣言下で迎えた5月3日の憲法記念日。今年も日本国憲法をめぐってコロナ禍ではあったが、改憲派vs護憲派の集会が開催された。

 マスコミ各社は毎年、憲法記念日が近づくと「日本国憲法についての世論調査」を実施している。改憲に消極的な朝日と毎日、積極的な読売と産経という構図のなかで、各社の世論調査の結果は、今年も改憲すべきという割合が多かった。朝日と毎日にとってはおもしろくない結果だろうが、国民の意思であることを受け止めるべきだろう。日本国憲法は「不磨の大典」ではないのだから……。

 新聞各紙は5月3日の社説でどう論じたか。

 読売と産経は、緊急事態条項の憲法への明記を主張。それに対して、朝日と毎日は明記に反対している。世論調査でも「緊急事態条項の必要性」についても質問しているが、明記を求める割合が多い。朝日や毎日よりも、国民の方が現実的な感覚を持っていることを証明した格好となった。

 産経は自衛隊の行動・権限を「ポジティブリスト」方式から世界標準の軍のように、とってはいけない行動を定める「ネガティブリスト」方式に改めるべきだと論じている。筆者もこの論には大賛成であり、速やかに政府は見直しをするべきだろう。安倍政権下、日本維新の会を除く野党は憲法論議に消極的な姿勢を示し、憲法審査会の開催ができない状態が続いた。ようやく国民投票法改正案については与野党で合意したが、その他の課題は手付かずの状態となっている。読売は憲法審査会の停滞について言及し、その原因を作ったのが立憲民主党であると断じた。そして、与野党は本格的な憲法論議を着手すべきだとしている。

 朝日の社説を読む限り、国民の意思が自分たちの路線(朝日の路線)から離れていっているという危機感があるとは到底思えない内容だ。改正すべきという割合が多いという結果を受け入れることを拒んでいるようにしか思えない。現実社会を無視した論調をこのまま続けていけば、さらなら部数減に拍車をかけるだけだ。毎日の社説は迷走した内容となっている。憲法学が専門の棟居快行専修大学教授の「自由と安全を両立させる必要がある。安全を口実に国家が個人に介入し、内閣の勝手にさせないよう、国会が縛っていくことが大事だ」とする意見を紹介しているが、この文章の意味を理解できないのは筆者だけか……。また、「民主社会を成熟させるには、国会による行政監視だけでなく、市民の取り組みが欠かせない」と論じているが、「市民の取り組み」について具体的な説明はなく、何を言いたいのか全くわからない。朝日と同様に、改正すべきという割合が多いという結果を受け入れたくないのだろう。

 最後に、産経の5月4日の紙面に、安倍晋三前首相と東京外国語大学の篠田英朗教授との対談が掲載されていた。この対談は論点が整理されており、護憲派の人たちにも是非読んで頂きたい。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2197号

 

新聞は文書の

背景に迫れ!

 

「小室文書」報道に疑問あり

新聞と週刊誌の報道姿勢衝く

 

 秋篠宮家長女の眞子さまと小室圭氏の結婚を前提とした交際が発表されたとき、国内は祝福に包まれた。しかし数カ月後、小室氏の母親・佳代さんと元婚約者との間で金銭トラブルが発覚し、結婚は延期された。

 それ以後、眞子さまと米国に留学した小室氏の動静は、テレビと週刊誌が精力的に報じてきたが、新聞は宮内庁の公式発表に拠るところが多かった。秋篠宮さまの「国民の祝福が得られるように……」と語ったときも背景にまで及ぶことはなかった。

 そこへ小室氏が、母親と元婚約者との間の金銭トラブルを釈明する文書を発表したのだ。氏はA4判で28枚に及ぶ文書の中で、「400万円超は借金ではなく贈与だった。元婚約者は『返さなくてもよい』とまで言ったが、その録音もある」と主張したのである。

 これに対する世論は厳しく、眞子さまの「1人でも理解して下さる方がいれば」というお気持ちに反し、ネット上を中心に批判が噴出した。これを受けて小室氏の代理人は「解決金を支払う意思がある」と釈明したが、却って批判を増してしまった。

 それというのも『週刊文春』と『週刊現代』で元婚約者が「返却しなくてよいと言った覚えはない」や「生活費が足りないとねだられたから」などと反論したからだった。この経緯と波紋はテレビや週刊誌が報じたが、新聞は小室文書の要旨を報じた後は、解決金提案も短く報じただけだった(4月17日現在)。

 今後、眞子さまと小室氏が結婚したら、悠仁さまが天皇陛下になったとき小室氏は義兄になり、母親と共に皇族や旧宮家の集まりである菊栄親睦会に出席できるようになる。それでも新聞は、今度の「小室騒動」の実相に迫る報道をしないつもりなのか。

 かつて新聞は、政治家や検察幹部の醜聞を、先に情報を掴んでおきながら週刊誌やミニコミ誌にリークし、世間の反応を見てから報じてきた。宇野宗佑元首相は就任直前、3本指(月30万円)で芸者を口説いていた。芸者は毎日新聞に通報したが、「新聞にはなじまない」と『サンデー毎日』に回された。しかし「首相としてあるまじき行為」と全メディアが追及し、宇野氏は辞任に追い詰められた。

 次期検事総長確実と言われていた検事長が、業者が手配した銀座のクラブ女性とねんごろになり旅行などを楽しんでいた。朝日新聞は、その情報をミニコミ誌に流して世間の反応を見た上で精力的に報道した。先の黒川検事長の緊急事態宣言下の麻雀騒動も週刊誌の後追いだった。新聞の取材力の衰弱だけではない、ジャーナリズムの責任と矜持を忘れているのではないか。

 今回の「小室騒動」は皇族に求められる清潔、誠実、品格を欠いている。国民の皇室への尊崇は明らかに薄れつつある。それを新聞は「われ関せず」と座視しているつもりか。新聞は宮内庁長官らの発言をただ伝えるだけで満足しているのか。

(加藤 淑太郎)週刊「世界と日本」第2196号

 

全国紙3月社説

目立つ中国関連

 

東京・毎日除く他紙6件

目を向けよ 中国の表記統制

 

 全国紙の3月社説・主張(産経)を眺めて気付くのは、中国関連の内容が多いことだ。東京の1件、毎日の4件を除き、他紙は6件以上取り上げた。

 全国紙が中国を話題にした時のキーワードのうち、全国人民代表大会(全人代)、香港、ウイグルや海警法は、国内外に対する中国(中国共産党)の強硬姿勢に関わる。また、米中アラスカ会談、日米豪印会合、日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)は、西側諸国と中国との関係の在り方に関わる。

 愛国者だけを選挙候補者とするとした香港の選挙制度変更を産経は「改悪」(3/13)と断じ、「改変」と書いた毎日も「1国2制度」の形骸化で、「国際的な理解は得られない」(3/14)と批判的だ。

 ウイグル族への人権侵害に対する欧米諸国の制裁については、産経と読売が強く支持した。ただし、産経は、「極めて恥ずかしいのは日本の姿がないこと」(3/25)だと日本の姿勢を批判し、読売も「中国への調査団派遣を呼びかけるなど」の具体的行動に踏み出せ(3/29)と主張した。日本の対応が欧米と異なるのは、中国側の反発や親中派の与党有力政治家に忖度したせいなのか。このあたりも産経や読売に追及してもらいたい。

 香港問題と並んで無視できないのが台湾問題だ。3月1日から中国が実施している台湾産パイナップルの輸入停止問題だけではない。2月に発表された米国・外交問題評議会の報告書『米国・中国・台湾—戦争を防止するための戦略』は、「台湾は米中間競争を対立に変える……課題」であり、「近年、紛争が発生する可能性は大幅に上昇している」(NHK3/19)と論じた。これを取り上げたのがNHK BS1だけというのは残念だ。

 最後に、全国紙が取り上げていない2点に触れたい。

 第1は、本欄で何度か取り上げた経済規模と所得水準を10年で倍増するという2020年目標が、3月の全人代でどう扱われたかという問題である。

 李克強首相は全人代における政府活動報告の中でこの目標には一切言及せず、主要国唯一のプラス成長、貧困脱却や100兆元経済の実現などの成果を誇示し、21年の成長率目標6%以上、「デジタル中国」の建設、安全保障戦略に立脚した「平安中国」の建設などを提示した(『月刊中国情勢』3月号)。

 全国紙には、2020年目標への言及がなされなかった背景や、政府活動報告で示された重要な戦略や政策について広く紹介・解説してほしいものだ。

 第2は、中国国内での香港・台湾の表記変更である。14年の香港「雨傘運動」と台湾「ひまわり運動」から3年後の17年1月に突然、香港と台湾は「中国香港」と「中国台湾」と表記されるようになった。現在、中国の大学教員が香港・台湾と表現すると、「政治的過ち」を犯したとして厳しく批判される。全国紙には、中国国内での思想・言論統制だけでなく、こうした表記統制にも目を向けてほしい。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2195号

 

東日本大震災報道

各社説で複数掲載

 

読売 防災教育の重要性など強調

朝・毎 お粗末なエネルギー論

 

 津波の襲来により甚大な被害を出した東日本大震災から今年の3月11日で10年が経った。新型コロナウイルス感染防止のために、昨年は中止となった政府主催の追悼式は参加人数を限定して開催。震災関連の防災イベントも3月11日前後に全国で開催された。

 各メディアも震災から10年ということで、様々な特集番組や企画記事、識者の論文を掲載。同じ震災でも26年前の阪神・淡路大震災についての報道量は、『マスメディア批判(2月15日号)』でも指摘したが毎年減っている。震災の風化を防ぐにはマスコミの力も必要であり、教訓を伝えていく責任は大きい。一方で、テレビ各局は3月11日の特集番組では津波が街を飲み込む映像を繰り返し放送していた。確かに東日本大震災を象徴する映像は津波襲来の場面かもしれないが、恐怖心を煽るだけで、津波からの避難行動や津波対策についての解説には物足りなさを感じた。

 新聞各紙は震災関連の社説を数回に分けて掲載。読売だけは3月11日の1回だけだが、産経は2回、朝日は3回、毎日は5回も取り上げている。

 読売は1回しか取り上げていないが、「教育現場で震災の教訓を伝えることが大事だ。資料保存の取り組みや語り部活動を支えたい。記憶を次の世代に伝え、未曽有の体験と向き合い続けることは、将来の被害軽減につながるはずだ」「自治体と住民が平時から復興のあり方を話し合う『事前復興』の取り組みが重要になる。被害想定を踏まえ、被災した場合の街づくりの方向性を定め、指揮命令系統や手順を決めておく。事前に青写真を描くことは、円滑な復興の実現に資するだろう」と述べている。前者は教訓を伝える防災教育の重要性、後者は地域防災力の強化や危機管理体制の重要性を訴えており、非常に評価できる。

 東京電力福島第1原子力発電所の事故を受け、エネルギー政策について産経、毎日、朝日が論じていたが、毎日と朝日の安易な「原発に依存しない社会(原発ゼロ)」には苦言を呈したい。原発に依存しない社会(原発ゼロ)を目指すこと自体は否定しない。だが、太陽光発電や洋上風力などの再生可能エネルギーへの転換を強調するだけで、再生可能エネルギーの問題点については一切触れていないからだ(文字数の関係でここでは問題点についての詳しい説明は省略する)。ちなみに、日本では殆ど報道されていないが、過度に再生エネルギーに依存したことによる電力不足問題が海外では起きている。

 3月10日放送のBSフジ「プライムニュース」では、『検証・「初動」の危機対応』というテーマで、菅直人元首相が出演。反町キャスターが菅元首相に福島原発事故後の状況判断について質問。すると、菅元首相は自分の判断を正当化し、言い訳に終始していた。首相経験者の反省のない態度を炙り出した反町キャスターの番組進行は、視聴者を飽きさせないものだった。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2194号

 

日経平均株価の報道
自虐過ぎな経済報道
本当か「実態と乖離」指摘は
報道は経済復活にマイナス影響
 少し時間が経ったが、2月15日に日経平均株価が30年半ぶりに3万円の大台を回復した。各紙の同日付け夕刊と翌日16日の朝刊を読み比べると、現在のメディアの欠陥が浮かび上がってくる。
 日経は「企業業績の改善に加え、コロナ後の経済回復への期待が高まった」と株高の背景を分析し、併せて「企業収益改善は道半ば」「金融緩和が株価を押し上げている」など問題点も指摘した。日経らしくバランスの取れた内容となっている。
 だが他の全国紙は少し違っていた。朝日は「実体経済と乖離」「ゆがみの蓄積に注意を」、読売も社説で「経済の実態を映していない」と書くなど、問題点に重点を置いている。さらに毎日には「コロナ下、緩和の果て ご都合主義、期待先走り」「バブルの懸念」と、株価上昇を批判するような言葉が並んでいた。
 たしかに、コロナ禍での株高に懐疑的になる気持ちもわからないではない。金融緩和が株高を加速させている一面があるのも事実だ。
 しかし株高の根底には、もっと重要な中長期的な背景がある。企業の収益力そのものの回復だ。多くの日本企業はこの十数年間、事業の再構築=本来の意味でのリストラと構造改革に取り組んできた。その成果がここへきて表れているのである。
 上場企業の業績は今年3月期見通しの上方修正が相次ぎ、約2割の企業が過去最高益を達成する見通しとなっているが、前述の構造改革がなければ、コロナ禍でこれだけの業績を確保することはできなかっただろう。
 したがって、現在の株高は「実態と乖離している」とは、実は必ずしも言えなくなっているのだ。しかしそのような分析記事は、前述の日経をのぞいて全国紙ではほとんど見当たらない。
 ここに、主要メディアの経済報道をめぐる2大欠陥がある。
 第1の欠陥は、日本経済に対する過小評価と過度な悲観論だ。
 バブル崩壊以後、世間では「日本の競争力は低下した」「日本経済は衰退している」などのイメージが定着し、先行きについても悲観論が支配的だ。
 しかし数年前から明らかに前向きな動きが表れ、基調が変化している。まだまだ不十分ではあるものの、その流れはコロナ禍の厳しい中でも継続している。
 だが多くのメディアは、そうした側面をほとんど無視している。
 第2の欠陥は、株価が上昇すると条件反射的に「バブル」と評することだ。
 もちろんバブルは警戒すべきである。だからこそ常に分析が必要なのだが、多くの場合、大した分析や検証なしに、「バブル」と決めつけているのが現状だ。ましてや前述の毎日の記事のように、株価上昇自体がまるで「悪」であるかのように表現するのは、メディアが取るべき態度ではない。
 この2大欠陥を筆者は「経済報道の自虐史観」と呼んでいる。これが、多くの人の経済マインドを後ろ向きにするなど、日本経済復活にマイナスの影響を与えることを憂慮している。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2193号

 

中国国家統計局発表

20年の経済成長率

GDP倍増目標が未達

習政権 どう総括する

 1月18日、中国国家統計局は20年の経済成長率(実質GDP成長率)が前年比2.3%であったと発表した。当日の日経夕刊は、「コロナ下、主要国唯一プラス」となったが、「20年の実質GDPは10年の1.94倍にとどまり、中国共産党が掲げた倍増目標は未達だった」ことを伝えた。

 主要国が軒並みマイナス成長となる中でプラス成長となったのは驚きだが、GDP倍増目標達成の失敗をどうみるか。

 中国の20年1~3月期成長率が大幅マイナスとなった際に日経は、「長期目標が達成できず、習近平政権への政治的な打撃になりうる」(20年4/18)とし、4~6月期に回復した際も、倍増目標の達成は難しく、「政治的には痛手」(20年10/20)と論じた。

 倍増目標未達が不可避となった20年10月下旬の中共第19期中央委員会第5回全体会議(5中全会)では、「党幹部人事なし、後継者棚上げ」の一方、20年GDPの100兆元超えと脱貧困を誇示し、「党の核心」である習氏の指導力を礼賛した(日経20年10/30)。5中全会では、35年までの15年間にGDPと1人当たり収入の倍増が可能だとの見通しも示された(日経20年11/4)。

 11~15年と16~20年の各5カ年計画では、GDPの年平均成長率目標は、責任を伴う約束性でなく、努力目標の予期性である。しかし、10年から20年までのGDP倍増は単なる努力目標ではない。中共創立100周年にあたる21年の前に貧困撲滅と全面的小康社会を実現したことを国内外に誇示する象徴的目標で、習近平共産党指導部の下で実現したことを国民に示す政治的目標だ。だから、目標未達は政治的打撃なのである。

 倍増目標未達の政治的打撃を緩和する方策は、早期のコロナ禍収束やプラス成長の誇示、15年後の長期目標の設定や対外摩擦の利用である。これによって倍増目標から国民の視線と関心をそらすことができる。

 それでも、倍増目標未達を強調し、これを政権批判につなげる勢力があれば、経済社会の発展と安定を阻害する国家転覆勢力に仕立てて攻撃するであろう。そうすると、香港やウイグルの制圧を知る国民は、政府への表面的な同調と沈黙を強いられることになる。

 現政権が治安と国防を強化する中でこうしたシナリオが現実化する可能性は低いとはいえ、3月の全国人民代表大会で倍増目標未達がどのように総括されるかは見ものだ。

 なお、20年目標にはGDP倍増のほかに、平均所得倍増もある。1月19日の国家統計局発表によれば、20年の全国住民平均所得は10年比で倍増を達成した。しかし、胡錦涛政権が倍増目標を発表した12年11月段階では、全国住民でなく、都市・農村住民の平均所得倍増が目標だったのである。実績は、農村平均所得は2倍超、都市平均所得は2倍未満であり、倍増目標の対象が微妙にすり替えられたのだ。内外のメディアにはこうした細部にも目を向けてほしい。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2192号

 

忘れてしまったのか

震災報道を巡って

記憶・教訓の風化を防ぐ役割を

「備えあれば憂いなし」なのだ

 平成7(1995)年1月17日、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起きた。この地震は、日本で初めて大都市直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。

 今年は、阪神・淡路大震災から26年が経つなか、新型コロナウイルスの感染防止もあり、追悼行事は規模が縮小、中止となったことは非常に残念である。なぜなら今年は、17日が日曜日であり、多くの神戸市民が追悼行事に参加できる絶好の機会でもあったからだ。

 一方で、災害の記憶や教訓は、時間が経てば忘れられ風化する。それを防ぐ役目を果たすのがマスコミではないだろうか。朝からテレビ各局の報道・情報系の番組を見ても、しっかりと阪神・淡路大震災をテーマにして番組を放送していたのはテレビ朝日『サンデーLIVE!!』だけだった。番組では「映像で記憶を未来につなぐ」というテーマで、兵庫県内を放送対象地域としているサンテレビが保管している神戸市内の被害の映像を交えながら、かなりの時間を割いて、阪神・淡路大震災のことを伝えようとしていた。

 TBS『サンデーモーニング』では、阪神・淡路大震災に関しては、たったの約30秒という短さだった。あまりにも短すぎないか。それに対して、約5分もの時間を割いて、コメンテータの松原耕二氏が黒板を使って「安倍晋三前首相の『桜を見る会』前夜祭を巡る国会答弁」問題を解説していた。色んなテーマやニュースがあるなかで、時間をかけて解説する必要があるテーマとは到底思えないのだが・・・。

 驚いたことに、TBSと同じグループの毎日新聞17日付の社説タイトルは「安倍氏の『桜』前夜祭 国会の場で疑惑の解明を」だった。松原氏と毎日新聞が示し合わせたかのようだ。ちなみに、全国紙のなかで、毎日新聞だけが、17日の社説で阪神・淡路大震災を取り上げていなかった。

 NHK『日曜討論』も新型コロナウイルスに関するテーマで討論が行われていた。連日、新型コロナウイルスに関しては、医療関係者や政治家が対策や解説を行っており、17日ぐらいは阪神・淡路大震災の教訓から学ぶ地震対策を中心とした災害対応について討論して欲しかった。

 3月11日には東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起きてから10年という節目の日が訪れる。また、4月14日には熊本地震が起きてから5年という節目の日が訪れる。日本人は日本列島に暮らす限り、地震と付き合って生きて行かなければならない。首都直下地震や南海トラフ巨大地震もいつ起きてもおかしくない。

 「備えあれば憂いなし」という諺がある。震災の記憶や教訓を未来に伝えていく責任の一端を担っているマスコミ人は、この諺を噛みしめて、節目となる日ぐらいは、日本人に響くような震災報道をして欲しいものだ。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2191号

 

全メディアは倫理綱領を守れ

朝日新聞の「報道姿勢」を問う

吉田氏著『産経新聞と朝日新聞』

 いま全国紙6紙が報道姿勢から、保守が読売と産経、中間が日経、リベラルが朝日、毎日、東京と色分けされている。安全保障や安倍1強への対応から、この通説はほぼ当たっている。

 そんな折、産経新聞元論説委員長の吉田信行氏の『産経新聞と朝日新聞』が刊行された。産経の成り立ちや社員だった司馬遼太郎氏を巡る話は置いて、対極にある産経と朝日の報道を巡る内幕は、戦中戦後の状況から最近の事件まで活写されている。

 韓国の裁判所は1月、慰安婦問題で日本に謝罪と賠償を求める判決を出した。日本政府は即座に反論したが、韓国政府やメディアは判決を支持し反日姿勢を強めている。

 その原因を作った「吉田証言」を大きくかつ延々と報じたのが朝日であり、のちに社長が削除と謝罪を表明したが、今回の韓国判決に対する社説には反省の色は見えない。

 1月14日の産経で、論説委員兼政治部編集委員の阿比留瑠比氏は、コラム『極言御免』の「社会分断するリベラルの偽善」で、朝日の社説を厳しく批判した。

 「(略)朝日はこう書いた。『当時の安倍(晋三)首相が謙虚な態度を見せなかったことなどが韓国側を硬化させる一因となった』(略)もはや笑うしかない。(略)」

 吉田氏は、戦後の朝日が中国、北朝鮮、韓国に配慮というより迎合した報道を続けてきたケースを詳述している。産経記者の柴田穂氏が中国の実態を報道したために国外退去をさせられた。しかし朝日は、記者を在中させるために中国の嫌がる報道を控えたのだった。それは当時の社長・広岡知男氏の方針に従ったものだった。

 産経ソウル支局長・加藤達也氏は当時の朴槿恵韓国大統領から名誉毀損で訴えられた。セウォル号惨事の際、朴氏が行方不明だったことを報じた記事で裁判は延々と続いたものの、結果は加藤氏の無罪が決定したが、この間、朝日の若宮啓文論説主幹はあえて韓国に迎合する発言をしていた。

 吉田氏は朝日のこうした報道方針は、戦前は戦争を美化し鼓吹する一方、大東亜共栄圏構想を推進してきたこと、それが戦後は、笠信太郎論説主幹を中心に「反日」、いや「亡日」に走るようになった過程を詳述している。

 講和条約締結時や60年安保のとき、全国紙はほぼ画一的な報道をしていた。当時の世界情勢では不可能だった全面講和を主張し、実は圧倒的多数だったが、単独講和を呼び続けた。60年安保でも改正反対を煽り立てたが、反対デモが過熱化すると、6紙連合で「鎮静化を」と呼びかける変節を示した。新聞は相互批判をするべきである。

 吉田氏は末尾で、自身も関わった「新聞倫理綱領」を紹介しているが、朝日を含め最近のメディアの中には綱領から逸脱しているケースが目立っている。メディアに携わる全員が綱領を肝に銘じるときだ。

(加藤 淑太郎)週刊「世界と日本」第2190号

 

元旦の全国紙社説

メッセージの内容

読売  デジタル化の問題指摘

朝・毎・日経  経済中心に論展開

 コロナ禍の第3波が猛威を振るう中で、元旦の全国紙社説は経済やデジタル化についてどのようなメッセージを伝えたか。

 読売は、コロナ禍の収束が最優先課題であるとする一方、国際社会での日本の役割、成長戦略・社会保障制度改革の断行や国力充実を提言する。国力に関連して注目されるのは、読売がデジタル・トランスフォーメーション(DX)という流行語には触れず、デジタル化の遅れの一因が「技術者や研究者を大切にしない企業風土」にあるという根本問題を指摘したことだ。

 日経も、最優先課題としてのコロナ禍封じ込めと同時に、経済、民主主義、国際協調の3点での再起動が必要であると提言する。経済については、コロナ禍による困窮者への支援、ワクチン普及による人的交流再開に期待感を抱く一方、経済再生には「デジタル化や雇用市場の改革など」の戦略が必要であるとする。しかし、何度も議論してきたせいか、これ以上の具体的言及がないのは、「経済の日経」としては残念だ。

 朝日は、「核兵器、気候危機、コロナ禍」に立ち向かうことが必要だとし、「コロナ禍で傷んだ経済の再生を・・・気候変動への取り組みと連動」させる「グリーンリカバリー(緑の復興)」の動きに注目する。しかし、目下の課題である経済再生と、中長期の課題である脱炭素化・生態系保全との区別が認識されていない。また、社会余力がそぎ落とされ、医療崩壊につながった地域が出たのは効率追求のせいだというのは、安直で無意味な主張だ。

 毎日は、世界最悪の感染状況にある米国を例に挙げ、コロナ禍に対する民主政治の対応能力に問題があるという重要な論点を指摘する。それとは対照的に、強権政治の「中国は都市封鎖やIT(情報技術)を駆使した国民監視などの対策」により、感染拡大を早期に抑え込んだ。しかし、米中の比較から、コロナ禍対策では民主主義が敗北し、独裁政治が勝利したという結論を導くことは適切でない。

 中国政府は、新型コロナ感染への不安感を持った武漢住民が病院に殺到し、濃厚接触を通じて感染急拡大を招いたという反省から、強硬な都市封鎖・越境封鎖を導入し、収束後も相当期間にわたって移動・行動制限を継続した。こうした徹底的な隔離対策が奏功したと考えるのが適切であり、強権政治だから成功したという理解は表層的で間違いだ。コロナ禍は世界全体に蔓延しており、いまだ収束していないことを考えればすぐにわかる。

 また、「ITを駆使した国民監視」という表現にも注意が必要だ。徹底的な移動・行動制限を目的として監視カメラやドローンが利用されただけでなく、接触アプリを通じて各人が感染者との接触を回避したことも重要だ。

 日本にも類似のアプリがあるが、利用価値はゼロに近い。経済再生の切り札とされるデジタル化をDXと呼んで淡い期待を寄せる前に、読売社説のように、デジタル化を妨げる要因にもっと目を向けるべきだ。

(谷口 洋志)週刊「世界と日本」第2189号

 

臨時国会が閉会

大手各紙の社説

社説(産経除く)早期閉会を批判

光る読売 憲法議論へ提言

 菅政権が誕生して初めての国会(臨時国会)が12月5日に閉会した。野党が会期の延長を再三要求したが、与党は延長を拒み強引に閉会した格好だ。

 産経新聞以外の各紙は閉会に合わせて、臨時国会の総括を社説で論じた。各紙に共通しているのは、新型コロナウイルスの感染が再び拡大し、国民に不安が広がっているなかにあって、早々と国会を閉じるのは到底理解できないとしている点だ。菅首相の説明不足についても批判している。

 朝日新聞は「自らが推し進める政策の狙いを丁寧に説明し、国民の理解を得ようという姿勢も、政治の信頼回復に向け、安倍前政権の『負の遺産』を清算しようという決意もうかがえなかった」と断じた。毎日新聞は「野党の質問に直接答えず、自分に都合のいい話ばかりを並べ立てて、問題点をはぐらかした安倍氏とスタイルは違う。とはいうものの、『議論封じ』という点では菅首相も同じだろう」と述べ、菅首相の答弁に苦言を呈した。東京新聞は「臨時国会閉会『ウソ』『カネ』は不問か」という見出しを社説に付け、「森友学園への国有地売却を巡る問題でも、安倍前政権下の17~18年に国会で行われた政府答弁のうち、事実と異なる答弁が計139回にも上った。政府側が正しく、誠実に答弁することは正しい法案審議や、三権分立が機能するための大前提だ。虚偽答弁が繰り返される状況は当然、放置するわけにはいかない」として、菅首相に真相究明を促した。読売新聞は「首相は折に触れて、立ち話の形式で感染症対策について説明してきたが、国民に危機への対処方針を十分に発信してきたとは言えない」としたうえで、「国難とも言われる状況を克服するには、行政のトップが自らの言葉で、明確な指針とメッセージを出す必要がある。積極的に訴える機会を増やしてもらいたい」と要望している。

 一方で、菅首相や与党の国会運営に対する批判の内容が、一般の国民が思っていることを長々と書き並べているだけでしかない。わざわざ時間を割いてまで読む必要があるのかと感じた読者もいただろう。新聞を含めたマスコミが、時の政権を監視し批判する役目を担っていることを否定するつもりはないが、批判一辺倒の論調では、読者は物足りなさを感じるに違いない。

 私が注目したのは読売新聞が社説で提言した「自民、立憲民主両党は、憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案について、来年の通常国会で結論を得る方針で一致した。早急に成立させ、衆参両院の憲法審査会で、国の最高法規のあり方を議論することが大切である」という部分だ。安倍政権下で野党(維新の会を除く)は一切、憲法審査会の開催に応じようとしなかった。臨時国会でも憲法論議は一歩も進んでいない。緊急事態法の制定も含めて、国会が憲法議論を先送りすることは絶対に許されないことだと私は考えている。読売新聞の前向きな提言は評価できるものであり、私は支持したい。

(濱口 和久)週刊「世界と日本」第2188号

 

米大統領選挙

メディアの姿勢

禍根残した米メディア

日本も同じ  追随姿勢

 異例ずくめだった米大統領選が終わった。それにしても今回の大統領選でのメディアの報道姿勢は大きな禍根を残した。

 米国の主要メディアの報道に「反トランプ・バイアス」がかかっていることは以前に指摘したが(本欄8月3日号)、その傾向は投票日が近づくにつれて一段と強まった。投票後の開票速報やその後の報道ぶりでも、それは変わらない。

 その代表的な事例が、両候補のスキャンダルをめぐる報道だ。

 ニューヨーク・タイムズ(以下、NYT)は9月末、トランプ大統領が就任前の15年間のうち10年間は所得税の納税がゼロだったとの資料を独自に入手したとして大々的に報じた。

 しかしその半月後、大衆紙のニューヨーク・ポストが、バイデン氏の息子ハンター氏が使っていたパソコンの数千通のメール通信記録を入手し、ハンター氏がウクライナや中国と疑惑のビジネスを進め、バイデン氏が副大統領時代にそれに協力していたと報じた。だがNYTをはじめ多くの主要メディアは当初これをほとんど無視した。

 このようにトランプ氏に不利な材料は大きく報道し、バイデン氏の疑惑は無視するか小さく報道するという傾向が目立っていた。選挙期間中のこうした報道の仕方はメディアとして著しく公正を欠いていることは明らかだ。

 トランプ大統領の人種差別的な発言やコロナ対応、それにさまざまな乱暴な言動は批判されて当然だが、経済政策や外交政策では成果も上げている。

 だが多くの米メディアはそれらをきちんと検証するのではなく、「トランプ再選阻止」を最優先にし、それに沿った報道を続けていたのが実態だ。メディアが特定の「陣営」に参加してしまっては、もはやメディアとは言えなくなる。

 そしてバイデン氏が勝利宣言した11月7日、NYTは社説で「米国民は地獄の淵から引き返すことを選んだ」と書いていた。これではトランプ氏に投票した7000万人を全面否定することになる。

 米主要メディアのこうした姿勢は、トランプ氏の大統領就任当初から顕著だった。

 ハーバード大学の研究機関の調査によると、トランプ大統領就任後100日間で、同大統領に否定的なニュースと好意的なニュースの比率はCNNとNBCで13対1だった。CBSも否定的報道が90%以上、新聞ではNYTが87%、ワシントンポストが83%を占めていたという(マーク・R・レヴィン著/道本美穂訳『失われた報道の自由』=日経BP=より引用)。

 こうした姿勢が4年間続き、その“集大成”が選挙報道だったと言える。重大なことは、このような報道姿勢がメディアの信頼を失わせていること、そして同じ傾向が日本のメディアでも強まっていることだ。それは大統領選だけの話ではない。日本でも一部メディアが激しい言葉で「政府批判」を展開し、他の多くのメディアもそれに引っ張られている。こうした現状に危惧を覚える。

(岡田 晃)週刊「世界と日本」第2187号

 

マスメディア批判の続きはこちら

※会員の方向けのページです。

【AD】

国際高専がわかる!ICTサイト
徳川ミュージアム
ホテルグランドヒル市ヶ谷
沖縄カヌチャリゾート
大阪新阪急ホテル
富山電気ビルデイング
ことのは
全日本教職員連盟
新情報センター
さくら舎
銀座フェニックスプラザ
ミーティングインフォメーションセンター