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2018年、平成30年はあの明治維新からちょうど150年。日本よ、新しい自我形成に目覚めよ

2018年5月7日号 週刊「世界と日本」第2124号 より

明治維新150年
「岩倉使節団」を改めて考える

 

日本よ 新しい“自我形成”に目覚めよ

 

拓殖大学学事顧問 前総長 渡辺 利夫 氏

 私どもは自分がどんな顔の人間であるかを知っている。自分を「鏡」という他者に投影して、みずからを確認しているからである。自己が他者をもたず完全に孤立している状態にあっては、自己がどんな存在であるかを確認することはできない。それゆえ「自我形成」もあり得ない。私どもは他者が自分をどう認識し、評価し、対応するのかに応じて、自己を初めて悟り、自我形成をつづける、そういう存在である。

《わたなべ・としお》 1939年6月甲府市生まれ。慶応義塾大学、同大学院修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学総長を経て現職。外務省国際協力に関する有識者会議議長。外務大臣表彰。正論大賞。著書は『成長のアジア 停滞のアジア』(吉野作造賞)、『開発経済学』(大平正芳記念賞)、『西太平洋の時代』(アジア太平洋賞大賞)、『神経症の時代』(開高健賞正賞)、『放哉と山頭火―死を生きる』(ちくま文庫)など多数。

 日本は、江戸時代を通じて平穏な時代を過ごし、欧米のそれに勝るとも劣らない成熟した社会と文化をつくりあげてきた。しかし、この平和の中で、日本は欧米列強に競合できるような産業力や軍事力を整えてきたわけではない。
 「海洋の共同体」としての日本は、四方を海で囲まれ、海によって守られ、外敵の存在を意識することなく、国内の統治に万全を期していけば、平和はおのずと守られてきた。少なくとも幕末まではそうだった。「自国とは何か」という自我は薄くしか形成されてこなかったのである。
 アヘン戦争を経て大国・清国が、列強によって次々と蚕食(さんしょく)されていくさまに目を見開かされ、ペリーの黒船来港によって強烈なインパクトを受け、日本の指導者は新しい自我形成を余儀なくされた。
 列強の目に映る日本は、文明国ではない。だからこそ、不平等条約を押しつけられたのだ。危機から日本を脱却させるには主権国家としての内実を整備し、みずから文明国となるより他に道はない。そういう新しい自我が形成されたのだとみることができる。
 他者を徹底的に正確に認識し、そこから新しい自我を生み出そうとする意思において、明治維新の指導者にはきわめて強いものがあった。そのことを端的に示すものが岩倉使節団の欧米派遣である。
 それは外務卿である岩倉具視を特命全権大使とし、副使に参議の木戸孝允、大蔵卿の大久保利通、工部大輔の伊藤博文、外務省次官補格の山口尚芳の4名、さらに、専門の調査事務官、随員、留学生43名を加えた総勢108名の大デレゲーション(派遣団)であった。
 明治維新政府の中枢部がデレゲーションを組んで、米国、英国、フランス、ドイツ、ロシア、その他、全12カ国を、実に1年9カ月にわたり訪問し、精細な観察を繰り返したのである。新生明治政府それ自体が、ユーラシア大陸を長躯一巡したかのごとき壮図であった。
 岩倉らの出発した明治4年(1871)11月といえば、その7月に、不測の事態を想定して7000名に及ぶ御親兵を集めたうえで、その遂行によって、初めて明治維新がなったと言っていい廃藩置県を敢行、幕藩体制を切り崩したばかりの時期であった。
 これに不満をつのらせる旧藩の諸勢力が、各地で反抗の刃を研いでいた。新政府の中枢がこぞって2年近くも日本を留守にすることなど、想像さえできない不穏な時期であった。しかし、明治政府はそれをあえてやったのである。
 廃藩置県こそが明治維新の維新たるゆえんである。鎌倉幕府の源頼朝によって始められ、江戸時代にその完成期を迎えた幕藩体制と呼ばれる、徳川幕府を中央政府とし、二百数十の、多分に自立的な諸藩を配して形づくられてきたシステムの大転換である。
 中央集権と地方分権の均衡のうえに成立してきたこのシステムを、一挙に廃止して中央集権的国家とする。府県を設置して中央政府の意を体した知事を中央政府から府県に派遣し、この知事が全権をもって地方を統治するという「革命」であった。
 それにしても、この時期、なぜこんな大きなリスクを賭したデレゲーションを明治新政府は列強に就航させたのだろうか。他者たる文明国を、政府のトップが身をもって徹底的に研究し、自我形成をより優れたものにするためであった。
 維新に成功したとはいえ、主権国家の国づくりのテキストは何も用意されていなかったのである。廃藩置県が成り、旧体制は崩れたとはいえ、どういう国づくりをやったらいいのか、明治政府にはその具体像がどうしてもつかめない。そこで、文明国の文明国たるゆえんを、新政府の執行部が自分の目で観察しようとしたのである。
 幕末に強圧的に結ばされた不平等条約の撤回も、使節団の目的であった。しかし、最初の訪問国、米国で不平等条約改正は時期尚早であることにすぐ気づかされる。
 条約改正には、国内統治を完全なものとするための法制度の拡充、生産力と軍事力の増強を図ることが不可欠である。欧米列強と対等なレベルの文明国にならなければ、条約改正は困難だと悟らされたのである。
 使節団は産業発展の重要性を徹底的に悟らされ、さらには共和制、立憲君主制、徴兵制、議会制度、政党政治、宗教など、実に、文明のありとあらゆる側面について学んで、帰国した。この使節団の実感を一言でいえば、文明国のもつ文明の圧倒的な力であったといっていい。
 その後の富国強兵・殖産興業政策が、さらには憲法と議会制度が次々とあきれるほどの速さで実現されていったのには、岩倉使節団の体得した知恵があったからだといっても過言ではない。
 これほどの「自我形成」を往時の日本の指導者はやったのである。
 米国の覇権力が後退し、中国の膨張がとめどもない。朝鮮半島は一触即発の様相を呈している。この状況にあってなお日本は、憲法第9条の改定にすら逡巡し、「モリカケ」だの「日報」などをテーマに政争をつづけてやむことがない。
 「事の軽重」がわからなくなってしまうほどに、日本の政治は劣化してしまったのか。日本よ、新しい自我形成に目覚めよ。


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