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Coffee Break<週刊「世界と日本」2167号より>

必読

『パール判事の日本無罪論』―田中正明著―

国士舘大学特任教授 百地 章 氏

 占領下に行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)について、高校の日本史教科書では、未だに「日本が行った侵略戦争の犯罪性を裁き、国際平和の発展に寄与した意義は大きい」などといった肯定的な記述がなされているようだ。確かに、かつてのような全面的肯定論は鳴りを潜め、近年では、この裁判は「勝者の裁き」といった一面を持つなどとの批判も紹介されるようになった。しかし、基本的に東京裁判を肯定している点で変わりはない。

「東京裁判史観」のマインド・コントロールを解くために

 教育現場では、戦後、70年以上にわたって東京裁判を肯定するような教科書が使われ、東京裁判史観に凝り固まった日教組等の教師たちが中心になって、中学・高校生たちに「先の戦争は侵略戦争であった」「日本は中国・韓国やアジア諸国を侵略した犯罪国家である」と刷り込み、贖罪意識を植え付けてきた。

 その影響は、特に団塊世代とその前後の世代に顕著といって良かろう。左傾化したマスメディアを未だに牛耳っているのがこの世代であり、彼らはわが国の過去を一方的に断罪し、中国や韓国に対しては迎合的な態度を取り続けている。

 同じことは、野党や与党の一部国会議員などについても言えよう。首相の靖國神社参拝の度に持ち出されてきたのも、東京裁判に起因する「A級戦犯」問題であった。

 このマインド・コントロールは簡単に解けないだろうが、是非とも彼らに読ませたい本が田中正明著『パール判事の日本無罪論』である。国際法の大家パール判事の膨大な判決文を簡潔に分かりやすく紹介した本書は、改めて読み直しても刺激的で、学生時代に初めて本書を手にした時の感動がよみがえってくる。再読、三読に値する名著と言えよう。

国際法を踏まえて 全員の無罪を主張

 著者は言う。「パール博士は、インド代表判事として東京裁判にのぞみ、『文明』の名において恣意的に敗戦国を裁いたこの裁判が、不公正な裁判というより、『裁判』というに値せず、儀式化された復讐であるとして、その偽善性と、その底にひそむ意図を徹底的に剔抉(てっけつ)し、全員無罪を判決した。その該博な法理論に裏付けられた堂々たる立論は、法の真理を貫いた世紀の名判決として、今では国際法学界の定説とされ、不滅の光輝を放っている」。

 このうち、法理論として刮目すべきは、パール判事が東京裁判をもって、文明国家の大法たる「法の不遡及の原則」(事後法の禁止)に違反するものとした点である。

 「法なくして犯罪なく、刑罰もない」というのが罪刑法定主義だが、東京裁判当時、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」など、国際法上存在しなかった。にもかかわらず、戦勝国はこの大法を無視し、新たに「極東裁判所条例」を制定して、東条英機元首相ら8人の被告人たちに絞首刑を言い渡した。

 条例のいう「平和に対する罪」とは、「侵略戦争を計画し、遂行した罪」を意味するが、当時、侵略戦争を犯罪とするような国際法など存在しなかった。確かに1928年の不戦条約は「侵略戦争」を「違法」としたが、「犯罪」としたわけではない。

 国際法が規定する「戦争犯罪」とは、毒ガスの使用、捕虜の虐待などといった行為を指しており、「戦争」を起こしたことを「犯罪」とする国際法は、今でも存在しない。にもかかわらず、東京裁判では、被告人たちが事後法である条例によって「平和に対する罪」に問われた。

 また、国際法は「国家」に適用されるもので、「個人」には適用されない、というのが当時の国際法であった(今日では、個人に適用される条約も一部ある)。にもかかわらず、国が行った戦争についてまで、個人の責任が問われたわけである。

 この点について、パール判事はこう指摘する。「少なくとも第二次大戦以前にあっては、国際法の発展の程度は、これらの行為を犯罪もしくは違法とする程度には至っていない」。

 だから本書の著者も言う。「戦争犯罪の責任は個人にありとして裁いたのが東京裁判である。博士の判定をもってすれば、この一事だけでも、東京裁判は無効であり、なんら法的根拠をもたざるものと断罪せざるをえない」。

 本書を初めて読んだのは大学1年生の時であり、国際法の講義を受ける前であったから、この指摘は筆者にとって実に新鮮であり、強烈な印象をもたらすことになった。

昭和史の真実踏まえ「共同謀議」を否定

 次に、昭和史の真実を踏まえ、検察側の主張する「共同謀議論」という妄想を見事に破砕したのがパール判決といえる。

 「A級戦犯」とされた被告人たちは、昭和6年の満州事変から太平洋戦争(大東亜戦争)に至るまでの「侵略戦争」を「共同謀議」したとの理由で逮捕された。

 しかし、この「共同謀議論」たるや、噴飯ものである。というのは、満州事変から終戦までの14年間に、わが国では14の内閣が成立しては瓦解してきたからである。

 そのため、この期間中、政権の中で一貫して重要な役割を果たした人物など一人もいない。それどころか、A級戦犯とされた人たちの中には、互いに顔を合わせたことのない者さえいた。これでどうして「共同謀議」が成り立つのであろうか。

 にもかかわらず検察側は、ユダヤ民族絶滅計画と世界戦争を「共同謀議」し、遂行したヒトラーの独裁政権とわが国の歴代内閣を同視し、被告人たちを断罪した。この「共同謀議論」を全面的に否定したのがパール判事であった。

 パール判事は、ABCD包囲陣によって経済的に追い詰められ、アメリカによる石油禁輸措置さらに最後通牒「ハル・ノート」まで突き付けられた日本が、生存のため、自衛のため、やむを得ず戦ったのが先の大戦であるとして次のように言う。

 「真珠湾攻撃の直前に、アメリカ政府が日本政府に送ったものと同じ通牒を受けとった場合、モナコ王国、ルクセンブルク大公国のような国でさえも、アメリカに対して武器をとって立ち上がったであろう」。

 この裁判が誤りであったことは、マッカーサー元帥が1950年、トルーマン大統領に「東京裁判は誤りだった」と告白し、さらに翌51年、アメリカ上院の軍事外交合同委員会でこう証言していることからも明らかであろう。「日本が第二次大戦に赴いたのは、安全保障のためであった」。

 筆者の手元にある『パール博士の日本無罪論』(慧文社)はすでに絶版となっている。

 しかし、筆者が日本大学に在職当時、憲法ゼミの推薦書にしていた『パール判事の日本無罪論』(小学館文庫)は現在でも入手可能だから、未読の方には是非購読をお薦めしたい。

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