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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2168号より>

    福島の地から考える

    3.11後 夜明けはまだ遠い

    東北大学災害科学国際 研究所シニア研究員 川島 秀一 氏

     あの東日本大震災から9年目を迎えようとしているが、宮城県気仙沼市で被災した私は、その後、各地を転々とした。そして、一昨年前からは福島県の北東部にある相馬郡新地町で、漁師さんの手伝いをしながら暮らしている。「試験操業」という、1週間に1~2回出漁する、管理された沿岸の漁船漁業に「乗り子」として関わった。

    《かわしま・しゅういち》

    1952年宮城県気仙沼市生まれ。法政大学社会学部卒。文学博士。東北大学附属図書館、気仙沼市史編纂室、リアス・アーク美術、東北大学教授などを経て、現職。専門は海洋民俗学。著書に『魚を狩る民俗―海を生きる技』(三弥井書店)、『津波のまちに生きて』(冨山房インターナショナル)など多数。

     その「試験操業」では原則として「混獲」を許さない。コウナゴ漁であったらコウナゴしか捕ってはいけないことになっている。

     たとえば「平成30年小女子試験操業について」の「漁獲管理」の規約には、「操業船の船主は、対象魚種以外に混獲された魚介類は船上で放流し、絶対に持ち帰らないこと」と記されている。コウナゴ以外の魚が網に入ったら、海に生きたまま投じなければならないという規約である。

     どのような網漁であっても、1つの魚種だけが捕れるとは限らないので、これは漁師の生活感覚を知らないオカ者の論理である。海から揚がった魚は、カミからの恵みとして全ていただき、売り物にならない魚は、「食い魚」として家で食べているのが日常の生活であったからである。

     その試験操業は、震災の翌年6月から、ツブ貝、ミズダコ、ヤナギダコの3種から始まって、現在まで海産魚介類の214種が放射性物質を測定し、安全であることが確認された。今では、出荷制限されているのは、コモンカスベ1種だけになっている。

     それでも、震災からの風評被害は続き、福島から揚げられる魚の値は、震災前の2~3割安いのが現状である。

     私が新地町で暮らし始めた年の11月7日の早朝、我が家に私のオヤカタの小野春雄さんが、いつものようにドアを開けて入ってきた。

     手にはある新聞を持っている。見出しには「漁業権優先割り当て廃止」、「閣議決定 新規参入を促進」とあった。いわゆる、漁業権を地元の漁協や漁業者に優先的に割り当てる規定を廃止する「水産改革関連法案」を閣議決定したという記事であった。

     春雄さんは「これは少しおかしいんじゃないか」と言い、新聞を置いていった。少し勉強をしろということだと思われたので、それからは、この改革について全国の漁師さんと共に考え始めている。

     この「水産改革」は、宮城県が震災後に悪乗りした「水産特区」の全国版といえるだろう。背景には新自由主義に基づいた、海面への企業の自由参入を狙いとしている。

     水産業の国際競争に打ち勝つために、沿岸の養殖5割、巻き網などの大型漁業5割に2分して、西欧並みになりたいらしい。そのほかの中間的な沿岸の小型漁船漁業に対しては、あまりに配慮が足りなさ過ぎる法改革である。

     このような沿岸の漁船漁業を営みながら、必ずしも多くの儲けはなくとも毎日が暮らせるなら、沖で漁を続けたいという、ささやかな生活は許されなくなるだろう。改革でうたわれている、船ごとに「資源管理」と「生産力向上」の指標を与えられて目指す営みは、本当の漁業と言えるのだろうか。

     私が東日本大震災の3日前にお会いした仙台市荒浜の漁師、佐藤吉男さんも「魚は毎日捕れるとは限らない。だけども、今日捕れないから、明日も捕れないというものでもない。それこそが漁師の魅力なんだ」と語っている。海自体が毎日を生きているからこそ漁が面白いのである。

     福島の漁師さんたちを続けて揺り動かしたのは、福島第一原発で増え続けるトリチウムを含む処理水の海洋放出の問題である。

     そもそも震災直後から、処理水をタンクにため始めた理由は何であったのか。それが、なぜこの時期になって海に流すことが効果的と決め得たのか。処理水をためるタンクを置く場所がなくなったからという理由ならば、何と稚拙な発想であろうか。当初、タンクにため始めた理由が、風評被害に考慮したものだったとしたら、今、その風評被害は解決したものと思っているのだろうか。

     この海洋放出の問題で、一昨年におざなりに開かれた公聴会の会場は、福島県の富岡町のほかに、内陸の郡山市と、東京電力の恩恵を被っていた東京だけであった。宮城県や茨城県の沿岸の都市では開かれなかった。さらに、この公聴会での住民のほとんどが、海洋放出に反対であったはずなのに、どのような経緯と理由によって、この集約された意見を覆したのか。そもそも何のために公聴会が開かれたのか。

     この公聴会では、新地町の小野さんも、漁師として一人だけ、発言を希望して語っている。「目の前の海で毎日、漁ができない苦しみがわかりますか!」と、試験操業やトリチウム水の海洋放出による不安を訴え続けた。

     今年の2月10日、処理水に関する経済産業省の小委員会は、処分方法は海洋放出と水蒸気放出が現実的な選択肢という報告書を政府に提出した。それは、どちらかというと海洋放出のほうが「利点」があるという内容であった。

     政府小委員会は、処理水を海洋放出することの安全性と経済的なリスクだけを議論しているが、風評対策については、何ら具体的な方策を立てていない。

     「科学的」に安全であることと、それに対する風評被害は、全く次元を異にした問題である。

     むしろ「科学的」に説明しようとすればするほど、その欺瞞性に疑いをもつのは、生活者の感情として当然のことである。疑わしいものは、子孫に禍根を残さずという考えが、生活者のなかに通底しているかぎり、「処理」水であっても「汚染」水としか思えないのが実情である。

     また、風評被害はどちらの方法でも発生するものの、水蒸気放出は海洋放出より幅広い産業に影響を生じうることも指摘している。風評被害を予測して、それならば比較的に数少ない福島の漁業者だけに我慢してもらおうとも読める文脈である。

     福島の漁師たちは今、海洋放出の見直しを求めている。

     東日本大震災からの長い年月を振り返れば、福島の海では、3.11はまだ終わっていない。むしろ次から次へと心配の種を、政府は福島の漁師に与えている。途は長く、夜明けはまだ遠すぎる。

     

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