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Coffee Break<週刊「世界と日本」2187号より>

高橋亀吉  その時代と周南

(株)トクヤマ 相談役  楠 正夫 氏

《くすのき・まさお》

昭和23年大阪府生まれ。昭和45年、関西学院大学商学部卒業後、徳山曹達(株)(現(株)トクヤマ)入社。化成品営業部長、常務取締役セメント部門長、樹脂サッシメーカー㈱エクセルシャノン代表取締役社長等、幅広い業務経験後、㈱トクヤマ代表取締役会長執行役員を経て現職。産業史・人物史にも造詣が深い。

 令和3年1月は、高橋亀吉の生誕130年にあたる。

 高橋亀吉は、明治24年1月、山口県徳山村(現周南市)に生まれた。大正7年、東洋経済新報社に入社し、編集長を経て、大正15年退社と同時にフリーランスの立場で日本最初のエコノミストとして独立した。昭和52年、86歳で没する60年間生涯現役で「経済の臨床医」として活躍した。

 高橋亀吉が脚光を浴びるきっかけは、第1次大戦下の大正6年から実施した金輸出禁止制度(金での決済の裏付けのない管理通貨制度)を欧米各国に倣って元に戻すという「金輸出解禁」のあり方を巡り、石橋湛山らと組んで繰り広げた為替レートの論戦からである。明治30年から採用した金本位制時代の円レート・1ドル2円(旧平価)で金輸出解禁するとの濱口雄幸首相、井上準之助蔵相らの意向に対し、高橋らは当時の実勢為替レートに近い、1ドル2円50銭前後のもの(新平価)を採用すべきとの政策提言を打ち出した。結局、政府および経済界は新平価論に全く耳を傾けず、昭和5年に旧平価で金輸出解禁を断行した。

 第1次大戦後から昭和初期の日本経済は、輸入が増大する一方で輸出は増えず輸入超過状態であった。加えて大正12年関東大震災に見舞われさらに輸入が増大していった。このような円相場が安くなる局面において、第1次大戦以降の慢性不況と昭和2年の鈴木商店等の破綻、相次ぐ銀行倒産とモラトリアム実施、さらに追い打ちをかけるように昭和4年のニューヨーク株価大暴落に端を発する世界恐慌が重なった。

 日本政府が行った旧平価での金輸出解禁は、急激な円高を強いることであり、益々輸出環境が悪化する中で、政府支出も抑え物価を抑制する政策を進めたため国内経済は大不況となった。特に農村が担った輸出産品の生糸、米等が大打撃を受けた。そして遂に濱口内閣は倒れ、犬養首相、高橋是清蔵相に変わった直後の昭和6年12月、金輸出解禁から2年足らずで再び金輸出禁止をして、実力通りの為替水準に戻った。亀吉らが一貫して主張した新平価での解禁が妥当であったことが証明された。

 金輸出禁止以降、日本は造船を代表する重化学工業や繊維産業に自信をつけていった。

 昭和8年、高橋亀吉は、カナダのバンフ国立公園で開かれた第5回太平洋問題調査会に、新渡戸稲造の団長のもとで日本代表団として参加した。会議では、英国、米国から日本の造船、繊維への貿易不公正競争非難と日本品輸入排撃圧迫に対し、高橋亀吉は本人が蓄積したデータを基に、日本人の生活様式と歴史的価値観を絡めてダンピングでないと反論し、英国等を論破し亀吉の名を世界に轟かせた。

 会議期間中のニューヨーク・タイムズの報道は、日本では「街の経済学者」と一段さげすんだ言われ方をしたのに対し、Dr. Takahassi  Declaresと紹介した。

 さらに高橋の業績は、池田勇人内閣時代には、所得倍増計画・経済成長路線の政策ブレーンとして下村治らと重責を担い、その後、昭和44年までの10年間に実質成長率11.6%と世界に類のない驚異的な成長をもたらした。晩年には第1次オイルショックでの従来型の政府対応に対する批判と状況の本質変化に対する政策提言は、低成長時代への大きな変わり目としてとらえた展開であり、その後に生かされ今なお評価が高い。

 高橋の魅力と特徴は何であるのか。経済理論の予想と提言の的中率の高かったこと、生臭く混とんとした経済の現場から観察し歯切れよく判断を下した。実践的で、現実に直面する問題をテーマにして、恐慌時の生々しいムードや、長い歴史の背景を取り入れ、説得力に厚みを与えた。経済界の代表や、大企業、中小企業の経営者にも高橋ファンは多く、結論にたどり着く彼のプロセスを実践の教訓にした。

 翻って、現下の経済状況は、新型コロナウイルスによる生命の不安と経済活動の極度の制約、それにより、いつどの程度戻るかわからない需要の喪失。たとえば、リモート通信は飛行機を代替し、航空会社の経営危機にまで追い込んでいる。With/Postコロナに対応する経済対策は必至である。底流にある人口減少と高齢化社会、IT・DXの技術革新は、生活スタイルと事業活動の大変化、人材のシフトも迫られる。

 加えて、世界は自国ファースト主義と一党独裁による偉大な国家主義、保護主義と管理貿易、市場自由貿易経済の制約、科学技術の覇権、グローバリズムと格差社会の顕在、さらには産業革命以降の発展の陰でのエネルギー環境問題としての温暖化対策等、経済を揺るがす要因は、高橋が生きた時代よりはるかに多い。複雑で混迷を極めるカオス状態だ。高橋は、資本主義経済における起伏の変化は、経済の生理現象ととらえ常に繰り返されるとした。そしてまた、過去の変動の歴史に学ぶことが最も基礎的な方法で、類似的事例が豊富に集約されるという思いを強く持った。

 江戸時代から昭和にかけて4つの戦争と大災害を含めた激動期を、経済、財政、金融、為替等の政策について渾身を振り絞って著述しその本質を求道した。

 高橋亀吉は、出身地周南市には、昭和50年ロータリークラブの年次総会に招待され、墓参を兼ねて記念講演をしたのが最後の帰郷であった。地元ではその後、商工会議所、ロータリークラブ稲門会が、アジア危機、リーマンショック時のそれぞれの翌年、高橋亀吉研究の第一人者、鳥羽欽一郎氏と東洋経済新報社に「高橋亀吉記念賞」を立ち上げた高柳弘氏を迎え、時局打開に向けての講演会を実施している。周南市には、市立図書館と徳山大学に「高橋亀吉文庫」が設置されている。

 高橋亀吉の没後40年あまり経過し地元でのつながりも薄くなりつつある。徳山商工会議所は、生誕130年を期に、高橋が残した『大正昭和財界変動史』や『私の実践経済学』等を通じて、亀吉理論を学び継承することにしている。

 その活動は、晩年「徳山曹達(現トクヤマ)の工場敷地となっている辺りは、遠浅で貝、カニ、ウナギ、ナマコ等が自由に面白くとれた」と生家付近を回想した高橋の著書と共に、周南の亀は万年生きる。

 

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