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Coffee Break<週刊「世界と日本」2202号より>

ジャーナリスト 北斎の世界

森羅万象に好奇心

ジャーナリスト
千野 境子 氏

《ちの・けいこ》 横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在の肩書は客員論説委員、フリーランスジャーナリスト。97年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。著書は『戦後国際秩序の終わり』(連合出版)ほか多数。近著に『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)。

 江戸の浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849)が八面六臂の活躍をしている。江戸の浮世絵師には喜多川歌麿や東洲斎写楽、安藤広重などいずれ劣らぬ逸材がキラ星の如くいて、競うように活躍していたのに、今やひとり北斎が突出し、「北斎の世界」を謳歌する感がある。

 東京・六本木のミッドタウン・ホールで開催中の生誕260年記念企画特別展『北斎づくし』は、北斎を世界の北斎にした『北斎漫画』(初編~15編)全頁や、『富嶽三十六景』全46点、『富嶽百景』全102図のすべてを一堂に集め、まさに北斎づくしを地で行く展覧会だ(9月17日まで)。

 5月には映画「HOKUSAI」が封切られた。19歳で勝川春朗として浮世絵界に登場した北斎は、先輩絵師、勝川春好に才能を疎まれ、挙句に勝川派を追われた。青年期の資料はほとんどない。困窮と野心の塊だったに違いない春朗時代を、想像力を駆使し人気俳優が演じている。

 あるいは2020年、新しいパスポートの査証欄には『富嶽三十六景』から10年用は24景が、5年用は16景が選ばれ、頁ごとに刷り込まれた。24年からは新しい千円札に『神奈川沖浪裏』が登場する。つまりこれからは日本人の海外旅行には北斎が必ずお供をし、千円札を使うたびに砕け散る大波と富士山を目にすることになる。

 もちろん展覧会やイベントは、日本はもとより世界の美術館やギャラリーのどこかで、いまもきっと開かれていることだろう。

 そこで冒頭に戻るのだが、いま何故ひとり葛飾北斎への関心がこれほど高いのか。人々は北斎の世界のどこに惹かれるのだろうか。

 実は私も今年5月に『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)を上梓した。90年近くに及ぶ画業や、奇人・変人と言われた暮らしぶりを通して人間・葛飾北斎について感じたことをここで改めて取り上げ、先の疑問を考えてみたい。

 第1には、北斎の森羅万象、あらゆるものに目を向ける飽くなき好奇心と、それらを描き切る力量と熱量の大きさだ。

 初編から15編まで、没後も刊行されたロング・ベストセラー『北斎漫画』はその真骨頂で、「すべて書は読まれたり」(マラルメ)に倣えば、「すべて万物は描かれたり」である。

 第2には、他の追随を許さないチャレンジ精神がある。常に新しい対象や世界、画法に向かって行く。春朗に始まり最後の画狂老人卍まで、ひとつの雅号にこだわらず、衣替えをするように雅号を変え、その度に新しい世界を生み出す。波ひとつとっても『神奈川沖浪裏』を頂点に、どれほど多くの波を描いたことか。また浮絵や銅版画、洋風風景画への挑戦など画法習得への貪欲さも桁外れだ。浮世絵の世界に革命をもたらしたとされる青色顔料、ベロ藍(プルシアン・ブルー)も積極的に取り入れ、「北斎ブルー」と言わしめた。

 もしかすると北斎は強烈な自信を秘めながらも、生涯、己に満足することはなかったかもしれない。『富嶽百景』の後書きに、70歳までに描いたものは取るにたりない、90歳で奥義を極め、100歳に至って神妙の域に達するだろうとし、最期の枕辺では「天我をして5年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と述べている。命には限りがある。それは分かっているが、画業のために生きたい。諦観などとは無縁の北斎に、先駆者の業と悲哀を感じる。

 そして第3は、このような北斎の世界を可能にした、集中力とフットワークの良さだ。朝目覚めると絵筆を執り、あとはひたすら描く。さすがに腕や目が疲れてくるとようやく筆を止め、蕎麦を2杯すすって床につく。明治時代の『葛飾北斎傳』(飯島虚心著)が描く北斎の1日である。

 80歳頃の自画像は、頭から布団を被り、前には尿瓶が置かれている。厠に行く時間も惜しかったのかと思わず苦笑してしまう。弊衣粗食。門人の露木為一が描いた『北斎家宅之図』(東京・国立国会図書館蔵)はゴミ屋敷も同然だ。絵を描く、北斎は唯その1点に集中したのである。

 フットワークの良さは、80歳を過ぎて江戸から250㌔も離れた長野県小布施に4度も赴き、肉筆画や天井画の制作に没頭したことに象徴される。最後の小布施行は89歳だった。『北斎漫画』は関西旅行の途次から生まれた。旺盛な好奇心もチャレンジ精神も、フットワークの良さがあってこそ、である。

 葛飾北斎を一言で表現するとすれば、「アートの巨人」だろうか。芸術の世界に限らず、今日あらゆる分野で専門化や細分化が進んでいる。いきおい全体像が把握されにくくなった。しかし葛飾北斎は違う。適切な表現が見つからないのだが、北斎作品は何か丸ごと、全身全霊で見る者に迫ってくるように思える。作品の中で北斎は自由にのびのびと羽ばたいている。

 北斎が生きた江戸時代は、いわゆる鎖国体制の下、海外への門戸が閉ざされた窮屈な時代だった。しかし北斎や作品からはそのような窮屈さが微塵も感じられない。出島のオランダ商館から注文を受け、絵を仕上げると、日本橋にある商館長の常宿まで赴き、そこに群がる野次馬の江戸っ子たちを一枚の絵に描き、さらに商館長一行からは海外情報を仕入れる。見上げた心意気だ。そして作品は出島からオランダへ、そしてヨーロッパ、世界へと広がっていった。

 私は拙著で北斎を「江戸のジャーナリスト」と命名した。旺盛な好奇心、現場主義、北斎こそジャーナリスト魂の見本だと思ったからで、より自由な世界に生きているはずの今日のジャーナリストの方が、内向きでチマチマと小さいことにこだわり、精神が縮こまってしまっているようなのは情けない。

 北斎には前へ、前へというガッツがある。作品はその集大成だ。人生100年時代を先取りしたが、ただ生きながらえたのではない。生涯現役で総作品数は3万点を下らない。存在さえ分かっていない作品もあるとされ、これからも新発見があることだろう。

 長引くコロナ禍で逼塞し不透明で困難な時代だからこそ、北斎の並外れたスケールの大きさと偉業の数々は、痛快かつ希望の灯なのだと思う。

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