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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2203号より>

    必要 「令和日本のデザイン」

    『国家の尊厳』を考える

    日本大学 危機管理学部教授

    先崎 彰容 氏

    《せんざき・あきなか》 1975年東京都生まれ。専門は近代日本思想史・日本倫理思想史。立教高等学校を経て、東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院博士課程修了後、フランス社会科学高等研究院に留学。著書に『未完の西郷隆盛』、『維新と敗戦』、『バッシング論』など。

     1つのエピソードから始めたい。先月、朝日カルチャーセンターでの講義を終えると、1人の男性が歩み寄ってきた。聞けば「いわゆる夜の街」の世界で働く人で、しかも相当の地位にある人らしい。夜の世界をまとめる団体の理事長をしながら、新宿や千葉方面に多くの店舗を抱える社長でもある。新宿2丁目界隈、すなわちLGBTQの世界にも詳しいその人が、私のもとに歩み寄ってきたのである。彼を今、仮に「理事長」と呼んでおこう。

     この日、私が話したのは、5月に刊行した拙著『国家の尊厳』(新潮新書)をめぐり、コロナ対応について安倍・菅政権をどう評価するか、また令和の日本がどのような国家像を必要としているかというものだった。言うまでもなく、夜の世界や性的少数者とは無関係の話なのだから、意外と思うのは私だけではあるまい。

     だが驚くべきことに、理事長は『国家の尊厳』を含めた私の著作を数冊、すでに読んできていた。そして先生の著作は、コロナ禍で自分の置かれている状況に、大いに関係があるのだと主張してきたのである。聞けば業界団体をまとめる立場にあり、また巨大スポンサーの支援を受けている理事長は、政府の方針に絶対に従わざるを得ない。休業要請に応じるのは勿論、夜の街なのに酒の提供すらできない。

     夜の街には、たとえば体中入れ墨のフリーランスのDJや性的少数者がいて、昼の日常から一歩離れた世界で、「常識」などという価値基準とは全く別の世界を営んでいる。そこに居場所を見つけて、生きる意味を感じて、金を稼いで生きている。彼らは瞬く間に生活の糧を失った。

     いったい、どうすればいいのか。数万の企業と雇用の頂点に立ち、利益を代表する立場にある理事長は、当然、陳情を考える。つてを頼りに大物政治家や都知事のもとにまで足を運び、業界の苦悩を訴え続けた。しかし独裁国家ならばともかく、民主主義国家日本では、陳情したからといって立法措置が取られなければ、現実は何ひとつ変わらない。政治家によっては、陳情書を受け取る際の写真を拡散してほしい、とだけ言って何一つ動かないものもいたし、その政治家に仲介してくれたシンクタンクの知識人は、「では夜の街を守るための調査をしてあげましょう。ただし、全員のPCR検査は私が出資している業者でしてね」という有様である。

     ではグローバル・コンサルはどうだろう。日頃の経済体制を前提に、「どうすれば儲かるか」を饒舌に語るコンサルタントは、こうした非常時には何ら役に立たない。政府の要請を受け入れ、営業ができない以上、そもそも儲かる術など役に立たないからだ。こうしてたどり着いたのは「結局、現代社会とはどういう時代なのか」、そしてそれを踏まえて「一体、この国は将来、どういう方向に進んでいくのか」つまり、私のような学者の意見にすがるしかなかった—以上を、理事長は切迫した調子で、一気にしゃべり尽くしたのである。

     この深刻なエピソードには、2つの重要な論点がひそんでいる。第1に、現代社会は「社会的不平等感」に覆われているということであり、そして第2に、「分断」が顕在化しているということだ。

     第1に、今回のコロナ禍を前に理事長は、政治家への陳情も、グローバル・コンサルも、シンクタンクの知識人も役に立たない事態に直面した。つまり現代社会は、たとえ社会改革を望んだとしても、それをどこに向かって発信したらよいのか、誰に頼めばよいのかわからない状況に陥っているのである。いいかえれば、複数の陳情、相談先があるように見えても、どこに行けばいいのかわからない。それは将来に対し、「何が指針か分からない」精神のひっ迫をもたらし、社会の中に不平等感、鬱屈の感情をため込んでいくことになるだろう。

     そして第2に、今や日本社会は「分断」が激しく進んでいるのである。不平等感が、なぜ自分たちの業界だけが犠牲になるのか、どこに言えば自分たちの考えは受け止められるのか、に対する不平等だとすれば、分断とは、さしあたり富める者と貧しい者の分断ということになるだろう。だが問題がさらに深刻なのは、人間はパニックに陥ると、より原始的な感情としての分断意識が目覚めてしまうということなのである。

     すでに事態は起きている。例えばアメリカにおいて、コロナ以降、アジア系の住民が差別と暴行に晒されていることは周知の事実だろう。また日本国内においても、当初、コロナに感染した芸能人が謝罪を繰り返した光景を思い出してみよう。子供たちが教室でいじめを行う際、よくいじめる対象を「菌がついている」と言って排除するのと同じ心理が、社会全体を覆っている。つまり目に見えない菌やウイルスは、人と人との間に亀裂をもたらし、差別の感情を生みだし「分断」に加担してしまうのである。

     こうして、コロナ禍に直面する日本は分断を深め、社会的不平等感をため込んだ人たちが、そのはけ口を見出せなくなっている。鬱屈した感情が、差別の感情に火をつける。こうした状況に陥っているのである。

     私がこうした社会で最も警戒するのが、自殺とテロリズムである。鬱屈と不平等をため込んだ人々は、その不安が内向すれば自殺者の増加となり、発散しようとすれば暴力に訴えて他者を傷つけるであろう。全体的な傾向として、日本は前者を生みだしやすく、諸外国では後者の暴力が顕在化しやすい。だがこれだけ自分たちの意見を吐きだす場所を奪われ、陳情を写真に収めて自己宣伝に使おうとする政治家や、自分の会社の利益に利用しようとするシンクタンク知識人に翻弄されることが重なれば、早晩、日本にもある種の暴力の気分が醸成されても当然ではないか。

     危機に直面する日本が、暴力に翻弄されず、誇りある国としてどう生き延びるのか。今こそ「令和日本のデザイン」が必要なのだ—『国家の尊厳』は、こうした思いで書かれているのである。

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