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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2212号より>

    エッセイ書いて幸せに

    生命科学者

    仲野 徹 氏

    《なかの とおる》

    1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒業、内科医として勤務の後、京都大学助手・講師(本庶佑研究室)などを経て、1995年から大阪大学教授。専門は、いろいろな細胞の作られ方。2019年から読売新聞の読書委員を務める。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)など。趣味はノンフィクション読書、僻地旅行、義太夫語り。


    撮影:松村琢磨 氏

    ミシマ社1760円(税込)
    ミシマ社1760円(税込)

     初めてのエッセイ集を8月に出版してもらった。本職は大阪大学の医学部・病理学の教授、地味な仕事である。請われれば何でも引き受けるので、新聞やラジオ、NHK Eテレの『又吉直樹のヘウレーカ!』など、マスコミに何回も出演したことはあるが、いかんせん無名である。そんな学者のエッセイ集が売れるとは思えないのだが、世の中には奇特な出版社があるものだ。こんなん出して大丈夫かいなと思っていたのだが、無事、増刷にいたったので、ひとまずは責任を果たせたかといったところだ。

     

     

     

     『日本医事新報』という、現在も発行されている雑誌としては『東洋経済』に次いで日本で2番目に歴史がある老舗雑誌に連載してきたエッセイをまとめたものである。なんと8年近くの間、ほぼ毎週書いてきた。私は自己肯定感が強い人なので、つい思ってしまう。我ながらすごいぞ、素人がここまで頑張れるとは、と。ガチンコの医学雑誌なのだが、連載のタイトルは『なかのとおるのええ加減でいきまっせ』という、相当にゆるめのものだ。

     「ええ加減」には、いまひとつはっきりしないという悪い意味と、いい塩梅という良い意味がある。その両方を掛け合わせたつもりのタイトルなのだが、テーマは驚くほど多岐にわたらせている。医療や医学教育といった仕事がらみの真面目なものから、本の紹介、趣味である僻地旅行の記録、さらには、なんやねんそれはとしか言えないようなしょうもないトピックスまで。

     たとえば『仮説の検証—鼻毛の巻』、『おせっかいおじさん宣言』、『わたしのカレーは左かけ』、『車内餃子テロ』とかいう、おもろそうなもの、というか、自己肯定的には鉄板でおもろすぎると自負しているものから、『利尻にクマは出なかった』とか『なかのとおる危機一髪』、『先生、咳が止まりません』というスリリングなもの、ラダック(インドの最北部)、ランタン谷(ネパールヒマラヤ)の旅行記、そして、『多様性が大事なのに』、『男女平等に目覚めたとき』や『医学に興味がありますか』といったシリアスなものまで、全77編のエッセイを厳選してある。内容は読んでもらうしかないのだが、ここでは、エッセイを8年近く書いてきてよかったことを3つほど紹介してみたい。

     一つめは、ものの見方が変わったというか、考え方が変わったということだ。エッセイを書くには、なにしろネタが必要である。かといってネタを探し回るほどの暇はないから、基本的には以前と同じような生活を営みながら探し出す必要がある。そうするには、ものの見方や考え方を変えなければならなかった。

     ハンガリーが生んだ偉大なノーベル賞学者セント=ジェルジ・アルベルトは、「発見とは、誰もが見てきたことを見ながら、誰も考えなかったように考えることによって成立する」という名言を残している。スティーブ・ジョブスの「Think  different」と同じようなものだ。それほどたいそうなことではないかもしれないが、似たようなところだと思う。たとえば、ある人を観察しながら、自分がその人だったら何を考えるだろうか、といったふうに見方を変えていく。

     二つめは、とんでもないことがおこっても、あまり腹がたたなくなったことだ。たとえば電車の遅延である。本には掲載していないのだが、連載している間に2回あった。それも並大抵の遅延ではない。1回は名古屋からの帰路、9時頃に新幹線に乗ったのだが、架線事故で、新大阪駅に到着したのはなんと午前3時になった。さらにタクシー待ちが1時間で、疲労困憊して帰宅とあいなった。もう1回は、金沢大学への出張で、雪のため北陸本線の特急サンダーバードが遅れまくって、結局は到着することができずに引き返した。

     大阪人の中でも、とくに「いらち」な方であるから、こういうことがあると本当にいらいらする。しかし、頭の中で天使がささやく、大阪弁で。そやかて、これでまたエッセイが一本書けますやんか、と。そうなのである。いらいらしたり腹の立つことがあったりしても、これでエッセイの1回分になるわと気づいたら、思わず顔がほころんで、まぁええわ、今日はまけといたろ、となる。なんとも現金なことであるが、そういった経験は幾度もあった。

     三つめは、ちょっとチャレンジャーになれたことだ。やろうか、やろうまいかと迷うことがある。たとえば、うまくいくかどうかわからないこととか。『おせっかいおじさん宣言』は、お正月のお寿司屋さんで、予約した寿司をピックアップするのに大混雑していたのを、見事に(自分で言うな!)解決したという内容だ。しゃしゃり出るかどうか、結構迷った。変なおっさんやと思われたらイヤやし。しかし、最後は思い切った。まぁええわ、うまいこといかんでもエッセイには書けるやろう、と。

     他にも、ちょっとお金がかかるけど、どうしようかということを決める時にも役だった。『「遠くへ行きたい」状態』という題のエッセイでは、ラダックの首都レーで、耳かきをしてもらった話を紹介している。クリーニング屋の店先で、「耳かき世界一」を自称するおじさんに呼び止められて、耳かきをしてもらった話である。日本円で3千円も取るという。現地の物価にしたらとんでもない値段だし、怪しさ満点だ。絶対に断るべきところだが、エッセイに書けたらおもろいんとちゃうんかと思ってやってもろた。実際にむっちゃおもろかった。高くはない原稿料とはいえ、3千円くらいだと十分におつりがくる。

     このように、エッセイを連載することにより、生活がちょいと豊かになったように感じている。しかし、連載は今年3月、定年をきりにやめると決めている。だが、せっかく身についた三つのメリットは失わないようにしたい。なので、発表するあてがなくなっても、不定期でいいからエッセイは書き続けようと思っている。自分を幸せにするために。

     

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