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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2219号より>

    「文化藝術の灯りを守り抜く」

    ~コロナの教訓と歴史家の評価~

    元文化庁長官 国際ファッション専門職大学学長
    (一社)人文知応援フォーラム 共同代表

    近藤 誠一 氏

    《こんどう せいいち》

    1972年外務省入省。広報文化交流部長を経て、2006年からユネスコ日本政府代表部特命全権大使。08年よりデンマーク大使。10年より13年まで文化庁長官を務め、三保松原を含めた富士山の世界文化遺産の登録を実現。現在、近藤文化・外交研究所代表、東京都交響楽団理事長、TAKUMI-Art du Japon代表理事などをつとめ、19年4月国際ファッション専門職大学学長に就任。

     

     

     「30秒で芸術の歴史をお話しします。古代、芸術は神のためにあった。中世では貴族のためにあった。いまは社会のためにあるのです」

     

     これはある宮様が公の席で言われた言葉だそうだ。この言葉が今ほど適切に文化藝術の役割を説明できる時はない。11年前の東日本大震災の直後、文化芸術活動の自粛の是非をめぐり、文化藝術は果たして「不要不急」の事業なのかが議論となった。被災文化財の補修には積極的だった文化庁も、自粛による文化藝術活動の委縮やその経済への悪影響をどう考えるべきか判断に苦しんだ。

     文化庁長官だった筆者はそのような中の4月12日、思い切って「当面の文化藝術活動について」という長官メッセ—ジを発出した。被災者への思いやりの気持ちは大切だが、文化藝術活動の縮小は経済社会全体の活力をそぐ。活発な活動によって日本全体の元気を復活させることが、被災者への一層の支援につながるという趣旨だった。次第に都内各所の劇場などの灯りが点き始めた。

     それからほぼ10年、今は文化藝術活動の人生における意義への認識がかなり深まっているように見える。それには2つの理由がある。

     第一は、コロナ感染予防のために、日本全体で外出・面会自粛が行われたことで一般人が生活における潤いを失い、普段当たり前のこととして意識していなかった文化藝術の価値を再認識したということだ。久々に聴いた生演奏のもつ躍動的な魅力を体感し、失っていたものの価値が分かったのだろう。

     第二は、3・11の際の自粛が概ね2、3か月程度だったのに比べ、今回は2年を優に超えていることだ。市民が日常における文化藝術の不在の寂しさを体感したのだ。

     更にここ数年で、文化芸術のもつ役割の評価に大きな学術上の前進があった。ひとつは、幼児期に文化藝術などによって「非認知的能力」を強化した子供は、その後の人生で成功する可能性が、そうでない子に比べて圧倒的に高いという研究だ。好きなことに打ち込み、自己肯定感と「やる気」をもつからだ。その結果数学のような「認知的能力」においても、そればかり学んだ子よりも優れた成績をとれるようになる。子供のグループを40年もトレースして得た結論で、情操教育の価値を、かなり定量的に証明して見せたのだ(ジョージ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』)。そして国際経済研究機関であるOECD(経済協力開発機構)においても同様のレポートが出された(OECD『社会情動的スキル 学びに向かう力』)。

     またこの研究では、非認知的能力の発達により、自分を若干抑えてでも他と協力することの価値が身につくので、社会の安定に役立つことも指摘された。マーサ・ヌスバウム教授も、文化藝術が育む共感力こそが、民主主義の定着と発展に資するという(マーサ・ヌスバウム『経済成長がすべてか?デモクラシーが人文学を必要とする理由』)。

     この共感力とは何か。それは一部の霊長類にしか備わっていない能力で、主として大脳新皮質に存在するミラー・ニューロンという脳細胞の働きによるものなのだ。100万年前から40万年前にかけて、当時か弱い存在で、常に肉食獣や飢餓との戦いに種の存亡をかけなければならなかった人類が発達させた細胞で、もともとは他の真似をする能力であった。真似をすることで相手が何をしようとしているかを知り、さらにそれを繰り返すことで相手が何を考えているかを推測することができるようになる。それが相互信頼関係を生み、群れを大きくして敵から身を守り、食料を分け合うなど生存能力を強化することに役立ったのだ。そしてこの共感力を高めたのが子守唄であった。

     人口の維持という至上命令のため、人類は本来3年間母親と過ごすべき乳飲み児を1年で母親から離して共同保育をし、母親が次の子を産めるようにした。そこで親から離され寂しさのあまり泣く新生児をあやすため、母親は高いピッチの声で語りかけた(言語が生まれる前なので、メロディーだけだが)。これが発達したのが子守唄で、世界のすべての民族には子守唄があり、それらには多くの共通性があるという。文化藝術の中で音楽が共感をもたらす最大の効果をもつと言われる背景にはこうした理由がある。

     文化芸術の力は、いま世界的に進んでいる社会の分断を食い止め、協調へと振子を戻すために侮りがたい力をもつのだ。100万年前に祖先が生き残りのために発達させたメカニズムを、現代人が再び活用する時期が来ている。

     加えて歴史は、パンデミックに際しての文化藝術の対応能力を教えてくれる。例えば14世紀の欧州におけるペストの流行を契機に、小説の型に大きな変化がもたらされた。感染を恐れて別荘に逃れた一般の男女10人が毎夜語る話を集めた『デカメロン』(ボッカチオ)は、散文小説の最初の作品となった。また当時までは芸術は壁画のような不動産に表現されていたが、三蜜を避け、手で運べる芸術作品への需要が高まった結果、額縁入りの絵画(タブロー)が生まれた。

     文化藝術は一見すると災害や戦争には無力なように思われるが、それは個人の人間力を高め、社会の絆をつくり、自らのあり方を含む大きな社会改革をもたらすことが明らかになったのだ。

     コロナ禍の下で多くのアーチストが、苦しい生活の中でその役割を果たすべくベストを尽くした。そしてその努力によって、文化藝術のもつ底力が社会に浸透し始めた。政府や自治体も過去にないほどの支援を行った。いずれ来るであろうコロナの終息後も、アーチストを含め社会全体が今回の経験によって、文化藝術は神や貴族のためでもなく、また金持ちと暇人の趣味のためでもなく、社会のために不可欠のものだとの認識を確固たるものとし、市民や企業が行政と共により積極的に文化芸術の灯を守っていくことが期待できる。それが本来の文化芸術と社会の関係のあるべき姿であり、それこそがコロナがもたらした変化だと後世の歴史家に評価されるようにしなければならない。

     

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