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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2255号より>

    古代の動物飼育のはなし

    元大阪府教育庁文化財 保護課・考古学者

    西川 寿勝 

     《にしかわ としかつ》 1965年大阪府生まれ。89年、奈良大学文学部文化財学科卒業後、奈良国立文化財研究所研究補佐員。91年〜2022年、大阪府教育委員会文化財保護課。日本考古学協会員・日本書紀研究会員など。主な著作に『三角縁神獣鏡と卑弥呼の鏡』学生社(単著)、『蘇我三代と二つの飛鳥』新泉社(共著)など多数。

     『古事記』『日本書紀』にある古代の王権には、馬飼い・牛飼い・犬飼い・猪飼い・鵜(う)飼い・鷹飼いなど、動物を飼育する集団が従属しました。奈良・平安時代の王朝や中・近世の武家政権にはありません。世界史的にも珍しい王権の特徴です。

     古代の王権が動物飼育集団を従属させた理由として、ウマ・ウシが五、六世紀に半島から渡来した家畜で、渡来系集団の職掌(しょくしょう)という説があります。鷹を飼い馴らす鷹匠(たかしょう)も六世紀の渡来です。しかし、イヌやイノシシは縄紋時代から日本列島にいましたし、鵜飼い・鳥飼いも渡来人と関連しません。

     

     動物は人の指示など聞きません。人を傷つけることもあります。それを飼い馴らして思い通りに操ることは、古代人にとって神秘であり、呪力であり、有徳でもありました。動物を操る技術に民衆は畏怖したのです。民衆が畏怖するような動物飼育集団を王が数多く従えることにより、民衆は王へのさらなる神秘・呪力・有徳を感じました。それで、権力者が築く古墳にはウマ・ウシ・イヌ・イノシシなどの埴輪が数多く並べられました。

     ところが、動物飼育に呪力を感じた民衆も、ウマやウシが身近な動物になってくると、畏怖の念は次第に薄らぎます。奈良・平安時代にも馬飼や犬飼(犬養)の氏名が記録に残ります。しかしもはや専門の職掌ではありません。また、猪飼いはイノシシの家畜化であり、原始的な養豚を示します。仏教の普及とともに家畜の食肉は忌避され、やはり職掌は廃れました。

     

     さて、日本では縄紋犬が400以上の遺跡から発掘されています。最初に列島に渡ってきた旧石器人がイヌを連れていたのかもしれません。その後の弥生文化の伝来によって、人々は狩猟から農耕に本業をかえました。しかし、弥生時代以降も狩猟は盛んでした。銅鐸絵画にも狩人がイノシシに矢を射る状況を描くものがあります。イノシシが複数のイヌに囲まれ、吠えたてられ、身動きできなくなったところを狩人が弓で射る情景です。

     

     生活の糧としての狩猟のほか、王が狩猟する姿は絵画や彫刻などでも知られます。中国・朝鮮・エジプト・ぺルシャなど、王の狩猟は世界的にみられます。重要なこととして、王の狩猟は趣味にとどまらず、軍事教練だったことです。現代の戦争は兵器の発達により、敵を皆殺しにする大量殺りくです。ところが、近代以前の戦争は敵の大将を倒してしまうことで勝敗が決しました。

     

     どうやって大将を討ち捕るのでしょう。両軍とも大将は一番奥に陣取ります。正面から敵の囲みを突破する力攻めもあります。しかし、兵力を分散させ、敵の本陣を囲い込む場合があります。敵は囲まれないように移動すると、陣形が崩れます。大将の居場所に目星がつくと、退路を断って、大将首をとりに行く攻撃が繰り広げられたのです。

     

     このような戦術は狩猟と共通します。隠れた獲物を見つけ出し、左右から追い立てて移動させ、待ち伏せしたり、囲みに誘い込みます。狩猟犬は獲物の退路を断ち、狩人のもとに追い立て、仕留めさせるのです。獲物を見つけ出して狩人に知らせる猟犬はポインター、待ち伏せする猟犬はセッター、獲物を加えて戻ってくる猟犬はレトリバーなどと呼ばれます。猟犬はそれぞれ序列と役割が異なり、チームプレーで獲物を追い詰めます。ただし、獲物を仕留めるのはあくまで司令官たる狩人です。狩猟とは統率力と組織運営なのです。戦争も大将が指揮を執り、大規模な兵力を組織運営します。勝つためには、兵器開発や動員力と同時に、統率力と組織運営が重要です。

     

     イヌは多産で、授乳の時から兄弟に序列が形成され、集団行動をします。言葉を使うわけでも人間が教えるわけでもありません。古代の日本は天皇(王)を頂点に豪族や部民が組織化されました。その序列や王の命令は絶対です。普段から遵守させ、いざというときに統率力を発揮し、戦争を迅速に遂行させなければなりません。王は狩猟を通してイヌの序列やチームプレーに倣い、王権の統率力や組織力を強化したと考えます。

     

     『日本書紀』には戦争の敗因と狩猟の未熟さを結びつける事例がいくつかあります。例えば、新羅を征伐した神功(じんぐう)皇后や武内宿禰(すくね)たちが幼きホムタワケ(後の応神天皇)を引き連れ、大和に凱旋するときの物語です。これを明石で迎え撃とうとする忍熊(おしくま)王と麛坂(かごさか)王は、まず河内で狩猟して、勝敗を占いました。その結果、麛坂王は赤いイノシシに食い殺されますが、忍熊王は無視して決戦に挑みます。戦いに敗れ、琵琶湖まで逃げるのですが敗死したというものです。物語の人物は架空で、史実ではないという意見も多くあります。ただし、狩猟で勝敗を占い、狩猟に失敗することが戦争の敗因に影響することは興味深い記事です。

     

     他にも、663年に唐・新羅の連合軍と、百済と倭軍が大戦し、倭軍が大敗して百済が滅亡した事例があります。『日本書紀』は倭軍の大敗を予兆する童謡(わざうた)が流行したことを記します。その歌は難解で諸説あります。「背中の平たい男が作った山の上の田を、雁どもがやってきて食う。天皇の御狩りがおろそかだから雁が食うのだ。ご命令が弱いから雁どもが食うのだ。」と直訳されます。

     

     この戦いでは、戦闘の直前に斉明天皇が筑紫で病没し、中大兄皇子の率いる倭軍は唐と新羅にさんざんに打ち負かされました。天皇の狩猟に例えて、命令系統に問題があったことが戦争敗因と噂されたことは重要です。狩猟犬のチームワークに対比されている気がします。

     

     近年、ヤマト王権発祥の地とされる奈良県纒向(まきむく)遺跡の発掘調査で、ほぼ全身がわかるイヌの骨が見つかりました。邪馬台国の女王卑弥呼の宮殿かと議論もある大型建物発見地の東側です。埋葬骨ではないものの、食用や愛玩用ではなく、有力者に庇護されたイヌと推定します。狩猟犬かどうか、今後の分析・研究が期待されます。

     

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