Coffee Break<週刊「世界と日本」2307号より>
めざせ!「隠居道」
生命科学者・大阪大学
名誉教授
仲野 徹氏
撮影:松村琢磨 氏
《なかの とおる》 1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒業、内科医として勤務の後、京都大学助手・講師(本庶佑研究室)などを経て、1995年から大阪大学教授。2022年3月定年退職。現在は「隠居」を名乗る。専門は、いろいろな細胞の作られ方。2019年から読売新聞の読書委員を務める。著書に『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』(ミシマ社)など。趣味はノンフィクション読書、僻地旅行、義太夫語り。
隠居、である。広辞苑をひもとくと「世事を捨てて閑居すること。致仕。職をやめるなど世間から身を引いて気ままに暮らすこと。」とある。「閑居」とか「世間から身を引く」とか、とてもいい感じではないか。令和4年の3月に、長年、医学の研究と教育に従事した大阪大学を65歳で定年退職し、隠居生活に突入した。
同僚教授たちのように次の職をさがすなどということはせず、潔くの退職である。本心かどうかは知らぬが、けっこう「もったいない」とか「いくらでもお声がかかるでしょうに」と言ってもらえた。が、しかし、少しももったいなくはないし、お声もほとんどかからなかった。世間はかいかぶりすぎだ。
「退屈でしかたなくなりますよ」ともよく言われた。これはさすがに心配なので、すべての役職を辞めることはせず、なんとか委員とかいう非常勤の職を少しだけ残した。幸いなことに退屈しすぎることもなく、委員会とかもなんだか面倒になってきたので、あと1年少し、70歳になったら完全に引退しようと決意している。
父親が35歳で亡くなったので、自分も早死にするのではないかという恐怖感があって、生き急いできた。研究職というのは、そうあるべきではないと言われながらも基本的に競争なので、追い立てられるように仕事をしてきた。それに、幸運に恵まれて38歳という若さで教授に着任したので、相当に飽きていた。こういった言い訳があるとはいえ、正直なところは、単に怠け者なだけである。
自宅の裏に60坪ほどの畑があって、基本は晴耕雨読、ということになっている。半分くらいは果樹が植わっているので、残り半分が家庭菜園だ。まったくの素人だったが、思っていたよりもはるかに楽しくて、けっこう上手く野菜を作れている。しかし、この程度の畑でそれほど時間を費やせる訳ではない。農閑期などなにもすることがないし、いちばん忙しい時でも一日あたりせいぜい2~3時間ほどだ。
ならば暇でたまらないかというと、そんなことはない。家にいると、なんやかやと用事がわいてくる。なにもしていないのに、気がつけば夕方になっていたりする。ありがたいことにエッセイやら単行本の執筆依頼がけっこうあって定年後はバリバリ書けるだろうともくろんでいたが、時間がたっぷりあるわりには現役時代と同じ程度しか書けていない。読書もすごくできると思っていたけれど、これも現役時代とかわらない。早い話が、隠居生活では生産性の低下が著しいのである。
これはあかんのと違うか。定年後1年ほどたった頃、怠け者とはいえ、さすがに気になってきた。かといって、だからがんばろうなどというのは隠居道から大きくはずれる。そんな時、「退職とは生産性から解き放たれることである」と書いてある本を見つけた。おぉ、そうなんや。意識していなかったとはいえ、これまで何十年もの間、生産性の呪縛に囚われて、追い立てられるように生きてきたんや。それが習い性になってしまっていたけれど、それってあかんかったんとちゃうんか。そう思ったら、えらく気分が楽になった。隠居道とは「生産性を気にしないこと」と見つけたり。
隠居して、生活がえらくゆったりしたことは間違いない。朝はパン食のことが多いのだが、毎回、豆をひいてコーヒーを淹れている。定年後にコーヒーメーカー一式を手に入れた時は三日坊主に終わるのではないかという気がしていた。だが、もう3年以上も続いている。寝間着など脱ぎっぱなしにしていたのが、ちゃんと畳むようになっている。小さいことだが、なんとなく豊かではないか。
隠居になって生産性が落ちたと思う必要などない。人間本来の生き具合になっただけなのだ。
年齢的なことがあるので健康管理も大切だ。そのために心がけているのは、規則正しい生活と日常的な運動である。仕事をしていると最低限の規則正しい生活は営まざるをえないが、隠居となればそうでもない。そこで利用しているのは、かれこれ20年近くも続けているラジオ体操だ。現役時代はEテレのテレビ体操を終えてから出勤していたが、今は、公園でのラジオ体操に参加している。
日本でも有数の参加者数を誇るラジオ体操会場が家から3キロほどのところにある。毎朝、そこまで結構な早足で歩いていく。夏は200~300人も集まっているが、真冬になると50人を切る。そこをなんとかがんばって「越冬隊」の一員として参加している。最近はウォーキングのような有酸素運動だけでなく筋トレも大事とされてきているので、帰りにはジムに寄ってマシンで筋トレをする。我ながらエライ。
規則正しい生活には大きなメリットがある。主観的に体調を把握しやすくなることだ。少しでもおかしいぞと思ったら、無理せず、しっかり休養をとることにしている。そのためには規則正しさが先制攻撃、というより専守防衛だけれど、が大事である。
定年になって隠居したら、あれもしたいこれもしたいと思っていた。南米へ赴いてスペイン語の語学留学をと考えていたのだが、コロナ禍で諦めた。すでに半分くらい登っている日本百名山の完全登頂も、日本第二位の高さを誇る北岳登山があまりにキツかったので、これもあっさりギブアップ。本をたくさん書くというのも先述のように進まず、古典をしっかり読むというのもまったく手つかず。実際に始められたのは家庭菜園くらいである。あかんがな…
僻地旅行や海外のトレッキングが好きで、現役時代は毎年、年始に夏の旅行を計画するのが何よりの楽しみだった。しかし、意外なことに、そのような意欲は著しく減退した。不思議だが、おそらく、僻地旅行とかに行くこと自体よりも、仕事から10日ほど離れることの方がモチベーションとして大きかったのだろう。
そうこうするうちに、同居していた母親の認知症がひどくなってきた。ひとりで留守番すらできなくなり、妻と私のどちらかが家にいなければならないような状況に。結局はだまし討ちのようにして近所の有料老人ホーム入居させたのだが、さすがに気になるので長期の旅行には行きにくい。
という不自由な状況になると、人間というのはおかしなもので、俄然、海外旅行に行きたくなってきた。だが、いつになったら行けるのかわからない。暗澹たる気持ちに落ち込んでいたが、そう長らくせずに母は身罷ってくれた。親不孝なことだが、正直なところホッとした。言い訳になるけれど、認知障害が進みきる前は、「死にたい」と日に何度も言うのが本当につらそうだったので、本人にとっても悪くはなかったのではないかと思うことにしている。
30ほどの行き先を記した「死ぬまでに行きたいところリスト」がある。その中にはトレッキングもけっこうあるので、しっかり歩けるうちに行かねばならない。ということで、母亡き後は海外トレッキングに精をだしている。そんなツアーに参加してわかったことは、えらく高齢化が進んでいることだ。68歳にして、いつも参加者の平均年齢を下回っている。添乗員さんによると、現役世代は長期休暇が取りにくいことが最大の理由ではないかということだが、それってなんだかおかしくないのか。
ゆったりと過ごす、健康的な生活、やりたいことをやる。他にもいくつかあるけれど、これらが隠居における三大重要事項ではないだろうか。考えてみれば、隠居でなくても大事なことで、現役時代から心がけておいたほうがいい。三つとも時間的に難しいかもしれないけれど、隠居したところで時間が無尽蔵にある訳ではない。それに、年々体力が衰えていくことも勘案せねばならない。
ちょっと偉そうに書くと、未来のために今を犠牲にしない方がいいのではないか、ということだ。終末期医療やホスピスの現場では「死の直前に“もっと働けばよかった”と後悔する人はほとんどいない」というのが世界的なコンセンサスになっていると聞く。この言葉を噛みしめながら、隠居道への助走を真剣に考えてみられてはどうだろう。決してムダではないはずだ。











