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本がすき

『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』

 

澤宮 優(角川新書)

ブックジャーナリスト 内田 剛

1,056円(税込)

 

 「イップス」という言葉は広く人口に膾炙(かいしゃ)するようになったがその真相を知る者は意外と少ないのではないか。膨大な参考文献から想像できるように本書は謎めいた「魔病」を綿密な取材によって解き明かした労作だ。最新の研究成果も踏まえており医学用語ではない「イップス」に対する考え方の変化もよく分かる。誤解を解き正しい理解を広めることが「イップス」に悩み苦しむ当事者たちを救うことにもなる。この一冊が投げかけるメッセージは実に貴重だ。

 「イップス」はスポーツに限った症状ではないがゴルフから来た用語である。阪神タイガースの藤浪晋太郎投手や女子プロゴルフの宮里藍選手が「イップス」ではないかとスポーツ紙を賑わせた事もある。本書に登場するのは岩本勉、土橋勝征、森本稀哲、佐藤信人、横田真一と言ったトップアスリートたち。ほんの些細な違和感が選手生命を左右するまでのスランプになっていく。それぞれの体験は共通項があればまったく異なる傾向もある。真面目で才能ある選手ほど起こりがちだが、人の数だけ症例があって「イップス」対応の難しさがうかがわれる。

 これまで「イップス」は心の病であると思われ続けてきた。ところがその原因はメンタル的な部分ではなく「脳」にあった。過度な反復練習、コーチの叱責、失敗のトラウマなど。期待に応えなければならないという極度のプレッシャーで脳が制御不能な状態となってしまうという。情報の遮断が解決法のひとつであるのだ。

 ここ一番という場面で手が動かなくなりミスをする。どんな職業でも起こりうることだ。突然降りかかる心身の局地的な不調はストレスのせいばかりではない。解決の糸口は徹底した現状の自己分析と、指導者の的確なアドバイスが必要だ。まずは現状を知ることそして良き人間関係を築くこと。「イップス」発生のメカニズムを紐解くことは私たち一般人にとっても参考にすべきことが多々ある。大いなる普遍性が感じられた。

 

週刊「世界と日本」第2210号

 

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』

 

川内有緒(集英社インターナショナル)

ブックジャーナリスト 内田 剛

2,310円(税込)

 

 耳でアートを見るとは一体どういうことだろう。気鋭の書き手である川内有緒の新作は目のつけどころが素晴らしく、刺激的な発見に満ちた一冊だ。控えめにいって今年のノンフィクション作品の中でもベストクラスの価値がある。「白鳥さん」とは白鳥建ニさん(51)のこと。年に何十回も美術館に通う全盲の美術鑑賞者だ。絵画の前で傍らにいる人から説明を聞き、頭の中で作品を再現する。文字通り耳でアートを楽しんでいるのだ。この前代未聞の試みは当初、どこでも受け入れられなかったのだが、彼の熱意は美術館の常識を変えた。開かずの扉を開かせ、先例を作っただけでも凄いことである。単なる視覚障害者のルポルタージュではなく、真っ直ぐに生きる生身の人間としての生き様が切実に伝わってくる。読みながら当たり前の価値観が音を立てて崩れさり、たちまちにして眼前の景色が一変した。これまでいかに「見えているようでも見ていなかった」のかとショックを受けた。眠っていた五感が研ぎ澄まされ、相手を思いやる気持ちも育ち、まったく思いもよらない「気づき」につながったのである。物事の本質を捉え、様々な境界を乗り越え、新たな考え方が生み出される。気がつけば「白鳥さん」たちと一緒になって美術館巡りをしていた。本文中のとあるページに掲載されていたのは黒塗り作品。説明を文章で「聞いて」頭の中で再現すると、その作品がカバー裏で見られるというアイディアもあって疑似体験も可能だ。造本も凝っており美麗である。紙の本の魅力を存分に味わえる点も強調したい。潜在的に持っていた障害に対する恐れなど、著者の心の葛藤と変化もまた身に迫ってくる。最後に至るのは「時」には抗えないが「時」を宝物にすることはできるという境地だ。深いメッセージを噛みしめ、読後の豊かな余韻にも浸れる。読まれるほどこの世の霧が晴れるような芸術の秋に相応しい一冊の登場だ。

 

週刊「世界と日本」第2209号

 

『東京の謎(ミステリー)

 ●この街をつくった先駆者たち

門井慶喜(文春新書)

ブックジャーナリスト 内田 剛

935円(税込)

 

 「ブラタモリ」をはじめに街歩きをテーマとしたテレビ番組は世代を超えて親しまれ続けている。書店の棚も同様だ。気軽に散歩が出来なくなった昨今だからこそせめて活字で時空を旅したくなるのも人の常であろう。そんな中でイチオシしたいのが首都・東京をめぐる23の謎に迫った一冊である。

 著者の門井慶喜は2018年『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞した人気作家であるが、徳川十五代将軍「慶喜」の名前(本名)を裏切らず歴史系が強い。企業の「社史」収集を趣味とし、これまで書かれた著作群からも日本の近現代史、とりわけ江戸のまちづくりに関して精通している研究者でもあるのだ。大ヒットした『家康、江戸を建てる』の主人公は江戸という土地そのもので、都市創造の「プロジェクトX」的な物語である。対する『東京の謎』はカジュアルなスタイルで、『家康、江戸を建てる』をさらに楽しむためのサブテキストともなる一冊。江戸幕府の崩壊から新たな時代の幕開けにどのような過程で首都の街並みが形成していったのかが俯瞰できる。

 「街」と「人」にスポットライトを当てて闇の中から真実を暴きだす。筆づかいは活き活きとして澱みがない。豊富な知識量に裏づけられた作家としての視点も確かで「学び」と「発見」に満ち溢れている。刺激的な項目が並んだ目次を眺めただけでも興味深く、門井文学と史観を同時に知ることができるのだ。

 昨年まで約30年間、書店に勤務していた自分にとっては出版業界に関わるページが特に気になった。「早矢仕有的(丸善)と日本橋」「野間清治(講談社)と音羽」「新宿と紀伊國屋書店」「なぜ麹町は地図の聖地となったのか」などは街のシンボルとなった場所と企業戦略とのストーリーに思わず膝を打ってしまった。本書を読んで街に出れば眼前に見える風景は一変する。日常生活を豊かにする「知恵」の力をぜひ体感してもらいたい。

 

週刊「世界と日本」第2208号

 

 

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