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2024年2月19日号 週刊「世界と日本」第2263号 より

「政治とカネ」の問題から脱却するためには

 

日本大学名誉教授 岩井 奉信 氏

《いわい ともあき》

1950年東京都生まれ、慶應義塾大学大学院博士課程修了。常磐大学教授を経て2000年より日本大学法学部教授、2021年より現職。参議院の将来像を考える有識者会議委員、政治資金適正化委員会委員などを歴任。

 

 自民党の派閥パーティーをめぐる裏金問題は、派閥の解体という自民党政治の根幹を揺るがす事態に発展した。そして、この事件は日本政治における「政治とカネ」との根深い関係を改めて浮き彫りにした。

 3人の政治家が立件されたとはいえ、深く関わったとされる有力な政治家が不起訴になり、国民の政治に対する怒りと不信は極限に達している。30年以上も「政治とカネ」の問題に関わってきた筆者としては慚愧(ざんき)に堪えない。

 この事件は、政治資金収支報告書への不記載という明らかな違法行為を組織的に多くの政治家が長年にわたり行ってきたという意味で、過去に類例を見ない悪質なものである。派閥や政治家の順法意識の欠如の背景には自民党や安倍派などの「一強多弱」にもとづく「奢り」のあったことは否定できまい。

 

 今回、改めて明らかになったことは、日本の政治資金制度の脆弱性である。この事件を例に取ると、政治献金に比べ規制が少なく誰もが券を買えた政治資金パーティーは政治献金の「抜け道」として活用されてきた。20万円を超えてパーティー券を買った者は、その氏名を明らかにすることが求められているが、分散して購入すれば氏名を明らかにする必要がない。そもそも報告をチェックする仕組が無いのだから、パーティーの売上げ自体も信用できるかどうか疑わしく、その実態は不透明だ。これは政治献金も例外ではない。政治資金収支報告書についても内容をチェックする仕組は弱く、報告されている金額が本当かどうかを検証する手段はない。

 実は政治資金収支報告は政党や政治家などの「良心」に委ねられており、日本の政治資金制度は「性善説」の上に成り立っているのである。その制度を作っているのが政治家であることを考えると、実に「甘い」制度だと言わざるを得ない。今回の事件では、派閥や政治家が、それすらも守れなかったのだから開いた口がふさがらない。

 

 振り返ってみれば、1988年に発覚したリクルート事件を契機に「政治とカネ」の問題が浮上し、政治改革が実現した。「ザル法」呼ばれた政治資金規正法も抜本的に改正され「政治とカネ」の問題は正常化したはずであった。

 しかし、実際には、政治資金制度にはさまざまな欠陥や「抜け道」があることをこの事件は浮かび上がらせた。今回、政治改革の出発点になった1989年の「自民党政治改革大綱」が注目されているが、それは「大綱」に書かれた改革の「原点」や「理念」がないがしろにされてきたことを示しているのである。

 では、政治改革の「原点」や「理念」とは何か。言うまでもなく、それはリクルート事件に端を発した「政治とカネ」の問題である。選挙制度改革も同士討ちが不可避で政治家本位の中選挙区制から政策論争を促進する政党本位のものにすることで「カネのかからない政治」を実現しようとするものであった。そして政治資金制度も政党以外への企業・団体献金の禁止や公開基準の引き下げによる透明性確保などの改革が行われた。

 

 その一方で政治家に都合の良い制度や「抜け道」も生み出された。その結果、現在の政治資金制度は少なからず問題のあるものになってしまっている。

 今回の事件を受け、現行の政治資金制度の改革に向けた議論が盛んになっている。すでにやるべきメニューはかなり明確になってきたと言ってよい。ただし、対処療法的改革は政治資金制度を複雑化するだけでなく、新たな問題も生みかねない。求められるのは抜本的で体系的な政治資金制度の改革である。その意味では「自民党政治改革大綱」だけでなく「第八次選挙制度審議会答申」など、さまざまな提言を参考にその「原点」や「理念」にもとづく「原則」を明確にした上で、改革の議論を行う必要がある。

 

 ここから析出(せきしゅつ)されるのは、「政党本位」、「透明性の確保」、「監視体制の強化」、「公私の峻別」、「制裁の強化」の五つの原則であろう。これらの「原則」にもとづけば、政治資金制度改革で何をなすべきかが明らかになる。たとえば「政党本位」という点では、政治家単位となっている政党支部への企業・団体献金の受入は禁ずるべきだし、「透明性の確保」という観点からは「現金授受の禁止」やパーティー券の公開基準の引き下げが、「監視体制の強化」という点では「政治資金収支報告書」のデジタル化で広く政治資金の収支をチェックしやすくすることや政治資金を「管理」し「監督」する独立した機関の創設が導き出される。そして「制裁の強化」では、いわゆる「連座制」の導入が求められることになる。さらに問題となった「政策活動費」の廃止や透明化は、政治資金と政治家個人とを分離するという意味で「公私の峻別」と「透明性の確保」に位置づけられる。

 言うまでもなく「政治とカネ」の問題は政治不信の最大の要因である。その一方で、民主主義の政治には一定のコストがかかることも否定しない。その意味では、政治資金改革をめぐっては、冷静で合理的な議論が行われるべきである。ヒステリックな感情論や過度のポピュリズムは理論的な制度改革を妨げることにもなりかねない。そう考えれば、政治資金制度改革に臨む政党や政治家は、一方で有権者の「声」に耳を傾けつつも「原則」を見据えて事に向かうべきだ。これを「政局の具」とするならば、まっとうな政治資金制度改革は破綻しかねない。

 

 「政治とカネ」に対する国民の不信は、政治そのものに対する不信と同義である。「政治とカネ」に関する不信を払拭することは、政治への信頼回復の第一歩にほかならない。厳しい目を向けられているのは自民党ばかりではなく野党にも向けられている。そして改革の成否は国民の関心にも負っている。「政治とカネ」の問題から脱却するために、厳しい目が求められている。

 もっとも「政治とカネ」の問題は政治資金制度の改革で済むわけではない。カネがかかると言われる政治構造を変える必要もある。それは「地盤培養」と呼ばれる地方政治との関係であり、後援会を軸とする選挙活動である。これらは政治の世界に深く根ざしたものである。この構図を変えなければ「政治とカネ」の問題はいつでも起きるだろう。「政治とカネ」の問題から脱却することは、日本の「政治文化」を変えることでもある。

 


2024年1月15日号 週刊「世界と日本」第2261号 より

国内外において、積極的であれ

 

日本大学 危機管理学部教授 先﨑 彰容 氏

《せんざき あきなか》

1975年東京都生まれ。専門は近代日本思想史・日本倫理思想史。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院博士課程修了後、フランス社会科学高等研究院に留学。著書に『未完の西郷隆盛』、『維新と敗戦』、『バッシング論』、『国家の尊厳』など。

 

 令和六年のわが国はどこへ向かうべきか。あるいは、どこへ向かうことを強いられるのか。まずは昨年を振り返ることから始めてみたい。

 

 故ジャニー喜多川氏による性加害問題は、若者たちへの影響力も大きな事件であった。華麗な演技と歌唱力を売りにした男性陣たちが性加害の被害を恒常的に受け、それを報道・告発する自助能力を、マスコミ全体が持てなかった。この「性」をめぐる問題は、法改正の場面で政治にも飛び火した。LGBTなどの、いわゆる性的少数者の権利擁護をめぐり、「LGBT理解増進法」が拙速に可決成立したからである。ほぼ同時期、世界経済フォーラムが六月に発表したジェンダー・ギャップ指数で、相変わらず男女不平等の状態を非難されたことも想起しておくべきだろう。なぜなら、性的少数者や女性が蔑(ないがし)ろにされているという主張は、フランシス・フクヤマが著書『IDENTITY』で強調したように、自己承認欲求を争点とする「尊厳の政治」を生み出したからである。

 

 もう一つ、昨年、我々を震撼させたのが、旧統一教会の解散命令請求であろう。元総理大臣の暗殺を引き起こしたこの事件で、クローズアップされたのが、いわゆる宗教二世の存在である。生まれた瞬間から信仰を強要され、精神的金銭的苦痛から解放される可能性が絶望的な中で事件は起きた。事件が起きるまで、彼らの存在はジャニーズ問題同様、黙認されつづけてきたのであり、不当なお布施の強要などを引き起こした宗教団体が、政治の指示により解散される可能性がでてきたのだ。

 こうした一見、バラバラに起きている事件を、どう理解すればよいのか。あえて共通点を探り出し、そこに「令和日本が直面する課題」をあぶりだすとどうなるか。恐らく次の二点に注目すべきだと筆者は考えている。

 

 第一に、「性」が全面にせり出してきたことに注目する。「性」は、その多様性も含めて人間の最も根源的な、最深部の存在意味を与えているものである。本来は秘されているべき「性」が、白日の下で論じられるようになったことは、要するに、現代社会がプリミティブに、原始的になっているということである。性、民族、肌の色、宗教など、原始的・根源的な問題が、私たちの眼の前に現れたということだ。

 

 第二に、国内でみた場合、「戦後システム」の賞味期限が決定的に切れたとみるべきである。ジャニー喜多川氏が日米を架橋し、戦後のエンターテイメントの基調を創ってきたことは間違いない。と同時に、日本型男女不平等の象徴である家族モデル自体、戦後に生み出されたものである。さらに宗教に注目すると、戦前への反省から、戦後のわが国は「政教分離」を徹底し、宗教の分野に政治権力が介入することには極めて抑制的であった。これは、「個人の内面にかかわる思想信条については、政治権力は一指も触れない」ことが正しいという前提である。しかし今回の事件が突きつけたのは、私たちの心から、たとえ政治権力を排除したとしても、その心は決して自由でも開放的でもない、という事実だった。つまり、エンターテイメント・日本型家族像・政教分離の無条件肯定という「戦後システム」全体が崩壊した。旧来のシステムが崩壊した光景には、極めて原始的な性や肌の色、宗教をめぐる差別意識や暴力が、頭をもたげてきているのではないか。

 以上の問題意識をもって世界へ眼を向けてみよう。三年目に突入するウクライナ戦争に加え、中東情勢が激変したことは、記憶に新しい。だが、私が注目したいのは、こうした目立った戦闘行為ではない。背後から忍び寄り大きな渦を描くように広がる、もう一つの潮流である。それは米国と欧州で混乱を引き起こしている移民問題のことだ。テキサス州など中米国境に接し、多数の不法移民が流入する州から、移民に寛容とされる大都市—聖域都市と呼ばれる—に、バスで移送する措置が取られているからだ。ニューヨークだけではない、シカゴやロサンゼルスの街角には、今、移民があふれ急速に治安が悪化している。現在、中南米は急速に中国との関係を深めている。米国はウクライナや中東安定化に必死だが、その傍らで中南米問題を抱えているのだ。

 

 目を欧州に向けてみよう。そこにはさらに深刻な移民問題に苦悩するヨーロッパの姿がある。わずか人口6千人の小島に、一週間で1万人を超える移民が殺到し、イタリアは対応に追われている。その背景には、ギニアやコートジボアールなどサハラ砂漠以南から、砂漠と地中海を越えて決死の移動をいとわない移民も含まれている。すでにウクライナ難民を抱える欧州では、新たなアフリカ発の移民に対し対応の足並みは乱れている。つまり現在、G7でイメージされる欧米先進国、自由と民主主義の価値観を日本と共有する国々は、戦争と移民問題に忙殺されているのだ。

 以上から分かるのは、日本国内では「戦後システム」の賞味期限が切れ、国際社会は混乱の度合いを深め、欧米先進国が苦悩する姿である。

 そこに今年、重大な選挙が各国で目白押しであることは周知のとおりだ。だとすれば、日本がとるべき進路は明確ではないか。

 具体的には、原始的な差別や暴力を抑制するために、政治が先頭を切ることが必要である。性的少数者や「性」差別の糾弾が、時に行き過ぎた政治運動になることは、先にふれたフクヤマが昨年刊行した『リベラリズムへの不満』を一読し、冷静に国家像を定める必要があるだろう。また一方で、国際社会に対しては、岸田内閣が内向きになってはならない。自民党の不祥事を理由に、南米訪問をキャンセルしたことは決定的な失策なのであって、今、わが国がすべきは、あえて南米を訪問し、地域の混乱に金銭的支援を含めたプレゼンスを高め、移民問題で苦しむ欧米諸国にたいし、日本の存在意義を高めることだ。

 今年、日本のなすべきこと、それは「国家像」を具体的な課題に落とし込み、実現する行動力である。

 


2023年12月4日・18日号 週刊「世界と日本」第2258・2259号 より

安倍外交と日本の世界構想

 

麗澤大学 国際問題研究センター長
外国語学部 教授 川久保 剛 氏

《かわくぼ つよし》

1974年生まれ。東北大学大学院博士課程単位取得。専門は日本思想史。現在、麗澤大学教授。論壇チャンネル「ことのは」代表。(公財)国策研究会幹事。著書に『福田恆存』(ミネルヴァ書房)、『日本思想史事典』(共著、丸善)、『ハンドブック日本近代政治思想史』(共著、ミネルヴァ書房)など多数。

 

 

 安倍元首相の死去以降、日本政治は内向きになっているように見える。

 ウクライナ戦争をはじめとする国際情勢の激変に対して常に受け身の対応を強いられている印象が強い。

 「今安倍晋三という政治家がいれば、国際政治に対してどのようなメッセージを発するだろうか」と考える人は多いだろう。

 実際に、安倍氏が首相であれば、日本政治は現下の情勢に対して力強く向き合い、国際政治に対して一定の影響力を行使しているに違いない。

 安倍元首相は、日本の政治家では珍しい、世界ビジョンを持ったリーダーだったと言われている。

 安倍外交の代名詞ともいえる「自由で開かれたインド太平洋」構想は、外交史家の細谷雄一氏も言うように、「明治以来の日本の歴史でもっとも成功した外交ビジョン」であり(『Voice』令和5年8月号)、現在も、自由と民主主義を掲げるG7、EU、NATOの方針に大きな影響を与えている。そして、中国、ロシアなど権威主義国家に脅威を与え続けている。

 

 岸田政権は安倍外交の継承を方針に掲げているが、残念ながら、安倍外交のような影響力は持ち得ていない。

 岸田首相をはじめとする日本の政治家には、安倍外交の根幹にある、国際政治のビジョンを描き、世界をリードする気概を受け継いでもらいたい。

 安倍外交の世界構想が国際社会から評価されたのは、それが自由と民主主義を奉じる多数の国にとって公益と思われたからである。

 日本の国益だけではなく、多数の国の利益にもなる、公益と見なされたがゆえに、支持を集めたのである。

 外交ビジョンは、かように、国際公益を志向しなければならない。

 もっといえば、人類益を示すものでなければならない。

 近年、令和の日本が目指すべき国家像に関して論議されているが、あるべき国家の姿も、あるべき世界の姿を構想する作業から見えてくるはずだ。

 何が真の人類益であり、その実現のためにはどのような国際秩序を形成すべきかを問うことから、日本の目指すべき「令和の国家像」も鮮明になってくるだろう。

 

 最初に論議すべきは、これからの人類構想であり、世界構想なのである。

 安倍外交が、国際社会で通用したのは、そうした普遍性と公共性を備えていたからである。

 安倍外交を継承するとは、そうした普遍的な言語で国際公共性を論じるスタイルそれ自体を継承することを意味する。

 そのためには、わたしたち日本人には、世界構想を示し、国際社会をリードするだけの力があり、さらにいうとその使命もあるということに気づかなければならない。

 安倍元首相には、その力の認識と使命の自覚があった。

 日本は世界をリードする立場にあるという信念を持っていたのだ。

 実際に日本は、世界有数の長い歴史をもち、国際的にも高く評価される豊かで独自の文明を形成してきた国家なのだ。

 世界史的・文明論的な視点を持つと、日本という国家の位置と可能性が見えてくる。

 日本の政治家は、ぜひ文明論を学んで欲しい。

 文明論の領域では、西洋近代文明の終焉・没落のなかで、日本文明の中にこれからの人類文明の原理となる思想を見出しうるのではないかという論議が盛んに行われているのである。

 内外の知性が、文明としての日本の可能性に注目しているのである。

 日本がひとつの希望にもなっているのだ。

 こうした文明論を学べば、日本の政治家として世界に貢献するビジョンを描き出そうという気概も湧き上がってくるだろう。

 文明論は、日本の政治を方向づける力となる。

 文明論は、日本の政治家の必須科目といえる。

 現在、ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス戦争に加え、世界各地に紛争の火種が大きくなりつつある。

 間違いなく世界は曲がり角に来ている。

 

 日本の政治家は、今こそ日本の出番だと構え、積極的に世界に働きかけてもらいたい。

 幕末に、横井(よこい)小楠(しょうなん)という思想家がいた。

 勝海舟をして、「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷(さいごう)南洲(なんしゅう)だ」(『氷川清話』)と言わしめた志士である。

 横井小楠は、日本は開国後に世界に向けて普遍的な公共の道理を語れ、と高唱したことで知られている。

 小楠が開国論を展開している『沼山対話』には、次のような言葉が出てくる。

 「所詮宇内に乗り出すには公共の天理を以て彼等が紛乱をも解くと申丈の規模無レ之候ては相成間敷、徒に威力を張るの見に出でなば後来禍患を招くに至るべく候」。

 つまり、これから開国し、世界に乗り出すには、公共の天理をもって現在の国際紛争を解決してみせるほどの気概をもたなければならない、日本は単に自国の国益だけを考えていてはいけない、と言うのである(中央公論『日本の名著30佐久間象山・横井小楠』)。

 

 あの幕末の時期に、すでにこれだけの普遍的視野を獲得していたのである。

 小楠は、公共の道理をもって「世界の世話やきにならねばならない」(村田氏寿筆記「横井氏説話」)と述べたことでも知られているが、その根底には「地球の上はすべて同じ原理が貫徹している」(「国是十二条」、前掲『日本の名著30』)という信念が存在した。

 ここには、安倍元首相が掲げた「地球儀を俯瞰する外交」や「普遍的価値を重視する外交」、「積極的平和主義」の源流があるといえよう。

 今こそ、横井小楠や安倍晋三のような政治家が待望される。

 何度でも言おう。日本から、世界をリードする政治家が出て来て欲しい。

 そして、混迷する世界に明るい展望を拓いて欲しい。

 それこそが、安倍外交の真の継承であるといえよう。

 


2023年7月3日号 週刊「世界と日本」第2248号 より

南海トラフ巨大地震

 

— 犠牲者数はどれだけになるか、今もわからない —

 

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長
京都大学名誉教授 河田 惠昭 氏

《かわた よしあき》

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長、人と防災未来センター長。京都大学名誉教授。国連SASAKAWA防災賞、防災功労者内閣総理大臣表彰など受賞。日本自然災害学会および日本災害情報学会会長を歴任。主な著書に『これからの防災・減災がわかる本』『にげましょう』『日本水没』『津波災害(増補版)』『河田惠昭自叙伝』等。

 28年前、阪神・淡路大震災を起こした兵庫県南部地震は、南海地震が活動期に入った証拠であるという多くの地震学者の意見に従って、政府は中央防災会議に専門調査会を立ち上げ、科学的な検討を加えてきた。

 

 そして、2011年東日本大震災をきっかけとして、南海地震の想定震源域が拡大され、具体的に南海トラフ巨大地震として特徴がまとめられ、それに従って2013年に筆者が座長となって、従来の方法に従って被害想定が実施された。その結果、犠牲者数は32万3千人(その後、23万1千人に減少)、社会経済被害は220兆円と試算された。その後、この地震への対処方法は、2016年熊本地震がきっかけで変更された。なぜなら、熊本地震よりも被害が大きくなった場合、現在の災害救助法や災害対策基本法などでは対処できないことが、筆者が座長を務めた検証作業で明らかになったからである。だから、地震学者の多数の同意を得て、東海地震を含む南海トラフ巨大地震(これ以降、南海地震と呼ぶ)は予知できないことになった。予知できなければ、現行の法律は不作為とはならないからである。これは緊急とはいえ、やむを得ない対処だった。問題はその後である。1978年に議員立法で成立した「大規模地震対策特別措置法」は予知ができることを前提としていたので廃案にしなければならなかった。しかし、すぐにはできないので、とりあえずそれまでの首相の警戒宣言に代わって、気象庁長官が臨時情報を発表するという代替案に置き換わった。筆者はこのような対処方法に反対した。その理由は、南海地震は何の前触れもなく、突然発生するという最悪の前提で対処しなければならないと考えたからである。歴史に残る9回の内、安政と昭和の2回の確実な「半割れ」の前例など役に立つわけがない。その証拠に1707年宝永地震は東西の「半割れ」が同時に起こる「全割れ」で、49日後に富士山が爆発した。

 この代替案の根拠となったのは、この前例と、世界各地で発生した同様の巨大地震の起こり方を参照すれば、そこに何等(なんら)かの法則性が見出され、それを利用できるという仮定である。そこでは、長年にわたる静岡県各地での各種観測データの蓄積を利用できるということも考慮されている。しかし、それでも南海地震は不意打ちで、かつ前例のないパターンで発生するという特徴を無視してはいけないだろう。なぜなら、南海トラフにおけるユーラシアプレートの下に北上するフィリピン海プレートが潜り込むというプレートテクトニクス説に従えば、この運動は過去数10万年以上継続しているはずである。南海地震の平均発生間隔を150年と仮定すれば、すでに千回以上も発生したことになる。ほとんどすべての起こり方は未知なのである。

 さて、南海地震の被害想定の実施から10年を経過し、当時、たとえば災害関連死の問題はまったく考慮されていなかった。そこで手法の見直しなどの作業が2023年度から内閣府防災で始まった。まず、現在の被害想定結果はどうなのかを示そう。南海地震による人的被害は、地震の揺れ、津波、火災、土砂崩れなどによる前述の値である。社会経済被害に関しては、住宅・建物被害のほか、各種ライフラインなどの定量化できる被害であり、当時、算定できない経済被害の項目はその約2倍あった。したがって、被害額は現行の220兆円どころではなく500兆円を超える可能性があった。このような莫大な経済被害額でも国難災害となろう。筆者は、その後、大災害では社会現象としての『相転移』が起こることを見出し、これを南海地震に適用するように進言してきた。相転移とはどういうものか。たとえば、阪神・淡路大震災で直後に犠牲になった約5千人は、「古い木造住宅の全壊・倒壊」という相転移で発生した。それまでは100年前の関東大震災の事例から、都市で地震が起きても、火災さえ発生しなければ大きな被害は発生しないと誤解されてきた。東日本大震災では、津波で約1万6千人が犠牲になったが、その主たる原因は、避難する時間があったにもかかわらず浸水域の住民の約27%が「避難しない」という相転移である。それでは、地震マグニチュード9の南海地震ではどのような最悪のシナリオが考えられるのか。ここでは人的被害に的を絞って紹介しよう。それは「避難遅れ」という相転移の発生が懸念される。高さ3m以上の大津波の来るところでは、例外なく震度6弱以上の強い揺れが1分以上、下手をすると3分以上継続すると予想されている。これでは高さが1m以上の家具類はすべて転倒し、家の中は足の踏み場もなくなる。そうすると屋外に容易に脱出できなくなり、避難も遅れる。しかも、このような激しい揺れを初めて経験する住民は、恐怖ですぐに身動きできなくなるだろう。その上、南海トラフ地震防災対策推進地域(震度6弱以上、津波高さ3m以上)に指定された707市町村(全国の40%強)を数える。全国に避難行動要支援者が約800万人存在しているので、100万人単位の要支援者が早期に家を脱出して安全な避難所、津波避難タワーや命山などへの避難はとても困難であると考えられる。さらに、避難に要する十分な時間がある大阪市や名古屋市では、ゼロメートル地帯の水没で、危険に晒される100万人単位の住民は、指定済の津波避難ビルに整然と避難するのかとか、地下鉄や地下街などの日中の万単位の利用客や滞在者が地上に上がり、避難できるのかについても十分検討されているとはいえない。すでに大阪府が2015年に実施した被害想定では、大阪市で住民が東日本大震災のように避難しなければ、現状では11万人を超える津波犠牲者の発生を予想している。しかも、この地震後、有感の余震は1年以上継続することがわかっている。そうなると、災害関連死の増加も心配であり、現状でもおよそ8万人の関連死の犠牲者がさらに増えそうである。

 


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