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2023年の政治、世界経済は波乱が続きます。それでも日本は景気拡大持続へ。それぞれの専門分野で、深く丁寧に将来を見通します。

2023年7月17日号 週刊「世界と日本」第2249号 より

“国は人民の殻なり”

—ナショナリスト福澤諭吉

 

 

拓殖大学顧問
渡辺 利夫
 氏

《わたなべ としお》

1939年6月甲府市生まれ。慶応義塾大学、同大学院修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学総長を経て現職。オイスカ会長。外務大臣表彰。正論大賞。著書は『成長のアジア 停滞のアジア』(吉野作造賞)、『開発経済学』(大平正芳記念賞)、『西太平洋の時代』(アジア太平洋賞大賞)、『神経症の時代』(開高健賞正賞)、『台湾を築いた明治の日本人』『後藤新平の台湾—人類もまた生物の一つなり』など多数。

©️国立国会図書館  「近代日本人の肖像」
©️国立国会図書館  「近代日本人の肖像」

 福澤諭吉の最高傑作は何かと問われれば、読者の多くは『文明論之概略』(明治8年)を挙げるであろう。議論の密度、説得力、文章の格調の高さからして私にも異存はない。同書は福澤が最も知力旺盛な時期に、力の限りを尽くして書き上げた大作である。  しかし、『文明論之概略』において福澤が伝えたかったことは、意外にも読者に十分には理解されていない。多くの読者は同書を、日本の文明開化の必要性を正々堂々と論じた明治日本最高の著作だという広く流布されたイメージに縛られ過ぎているのではないか。  福澤は文明化がなぜ重要かといえば、それは自国の独立を保つためである。文明は独立を維持するための「術」に過ぎないという。日本の最高の課題は独立であって、そのための手段として文明を捉えるべきである。思考の順序を取り違えては絶対にならない、と福澤はいう。『文明論之概略』というより『独立論之概略』が福澤の真意なのである。

 理想主義的というより空想的な憲法と憲法解釈に則り、自国の防衛に己の身を削ることの少なかったのがわが日本である。ロシアの残忍なウクライナ侵攻がなお続く。中国では台湾統一への野望がいよいよ強い。北朝鮮の核も、ついに実戦化の段階に入った。

  昨年末、国家安全保障戦略に関する「防衛三文書」が閣議決定の運びとなった。ようやくにして、である。日本もパシフィズム(反戦平和主義)、つまり軍事力を嫌悪し、外交に過剰な期待を寄せるこの思想から脱しようという姿勢を見せ始めたのか。

 新戦略は、現在の日本が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境の只中にあるという認識に立つ。それゆえ力強い外交が必要だが、同時に「自分の国は自分で守り抜ける防衛力を持つことは、そのような外交の地歩を固める」と訴える。大いに評価したいが、この新戦略実現に必要な基本的原則には、「専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を堅持する」と、旧来のものがそのまま踏襲されているではないか。

 「自分の国は自分で守り抜ける防衛力を持つ」と記述する一方、他方では専守防衛と非核三原則を堅持すると同一文書の中で述べるのは自己矛盾ではないか。「他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず」というのは、平和安全法制成立時の議論の中で何度も繰り返されてきた「必要最小限度」規定と同一のものに違いない。

 三文書の作成者もそのことを承知していないはずもないが、これを超えると憲法論議にまで踏み込まざるを得ない。それゆえ、旧来のフレーズにとどまったものと想像される。核抑止戦略の方は非核三原則をうたうことによって封印されてしまったかの感さえある。日本への武力攻撃には「反撃能力」の整備によって対応すると明記されたことは評価されていいが、専守防衛、非核三原則、必要最小限度によって確かな反撃能力が担保できるのか。憲法制約をいかに乗り越えるか、難題がなお山積している。

 戦後の日本人は、自分の国は自分で守るというナショナリズムを長らく欠落させてきた。戦後70数年の間、日本は国際社会の中で、独立自尊の精神をすっかり忘れたまま生きてきた。幕末・明治期に苦渋に満ちた思考を強いられた大いなるナショナリスト福澤諭吉の声に、最も深く耳を傾けるべきは現代の日本人なのではないか。『時事小言』(明治14年)において福澤はこういう。現代語訳にして記しておこう。

 

「青螺(さざえ)が殻の中に収まって愉快だ安堵(あんど)だと思っているその最中に急に殻の外から喧嘩のような異様な騒ぎの声が聞こえてきて、こっそり頭を外に伸ばして四方をうかがえば、何とまったく思いもかけないことに、自分の身は殻と一緒に魚市場のまな板のうえに乗っかっているではないか。そんなたとえ話がある。国は人民の殻であり、国民の維持と保護のことを忘却してなお国家などといえようか。最近の文明のありよう、世界の戦争などを観察していると、まことに異常なことが起こっているといわざるを得ない。憂うべき禍(わざわい)は実に多い一方、禍を憂(うれ)うる人が少ないことは、私にとっては大きな不満である」

 福澤といえば、「国権」よりも「民権」の大切さを説いた自由民権論者とみなされがちであり、事実、そのように記している解説書が今でもある。しかし、国会開設や普通選挙の実現などを求める自由民権運動が大きな政治的潮流となっていた明治14年に書かれた、先程も言及した『時事小言』の中で福澤は、はっきりとこう述べる。ここも現代語訳で記しておく。

 

 「もちろん私(福澤)は民権論に反対ではないが、民権はただ伸張すればよいというものではない。国会を開設し、どのような国柄の国家を建設すべきかという肝心の問題を議論するのでなければ、民権など論じても詮無(せんな)きことだ。西洋列強による干渉や介入が恒常化している現在、ただ国会を開設すればよいというほど事態は単純ではない」

 自分(福澤)は元来が民権主義者だが、目下の私は国権主義者だといって、「青螺」の巧まざる比喩で己の立場を論じたのである。現在の日本も、中国の海洋進出や近づく台湾有事、北朝鮮の核開発などさまざまな難題に直面しながら、国会やメディアではそれほど緊急性をもっているとは思えない問題に延々と時間と紙面を費やしている。日本にとって一番大事なことは何なのか。今何をしなければならないのか。組織や人の上に立つリーダーには事の軽重を見極めるリアルな見識が不可欠である。福澤から学ぶべきはこのことではないか。

 


2023年7月3日号 週刊「世界と日本」第2248号 より

データサイエンスの重要性について

 

 

一般社団法人新情報センター会長
青山学院大学名誉教授
美添 泰人
 氏

《よしぞえ やすと》

1946年東京都生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院修了、ハーバード大学Ph.D.(統計学専攻)。日本統計学会会長、統計審議会会長などを歴任、現在、一般社団法人新情報センター会長、青山学院大学名誉教授。主な共著書に『経済統計入門』、『統計入門』(東京大学出版会)、など。

 

 現代は「ビッグデータの時代」と言われるように、様々な大量のデータが入手可能であり、人々は、Facebook,Twitter,Instagramなどのソーシャルメディアで大量のデータを共有しているが、これらのデータを分析することは、紙と鉛筆を用いた統計学では不可能である。

 

 こうしたビッグデータは「21世紀の石油」と呼ばれ、それをいかに活用するかが、企業の業績や政策の有効性を左右することが認識されてきた。ビッグデータの特徴として、英語の頭文字をとって3Vと呼ばれるものがあり、それらはVolume(大量なデータ)、Velocity(データが計測され、記録される速度が速い)、Variety(データの種類が多様)である。ビッグデータの中には、新聞、インターネット、SNSなどからの文字情報や衛星写真などの画像情報もあり、そうしたデータを扱うためには、統計学の知識に加えて、コンピュータを用いた大量のデータ処理が必要になる。このようなビッグデータは2000年代に入ってから顕著に増加してきた。

 データサイエンスは、大量のデータから意味のある情報を抽出するための方法であり、現代のビジネスや科学において欠かせない重要な技術といえる。データサイエンスではコンピュータの利用が必須であり、AI、特に機械学習や深層学習などの発展にともなって、今世紀に入ってから社会に大きな影響を与えているが、その背景には計算機の処理性能の驚異的な高度化がある。いわゆる「ムーアの法則」によれば、コンピュータの性能は1年半から2年ごとに2倍になるとされ、これによれば15年間でほぼ1000倍となるが、実際に、計算機の能力はこのような速さで向上してきた。

 ビジネスにおいては、顧客の嗜好や需要予測、マーケティング戦略、リスク管理、顧客サービスの改善など、多くの重要な決定がデータに基づいて行われ、そこでデータサイエンスによって正確な予測や意思決定を行うことができる。オンライン小売業者は、どの製品がどの地域で人気があるかを分析して製品の配送や在庫管理を最適化できるし、銀行は、金融市場の変化に対応して顧客に対するリスクの分散化や貸し出し先の分析にデータサイエンスを活用することが期待される。科学の分野においては、実験や観測のデータを分析することで新しい知見が得られる。たとえば、生物学において遺伝子解析を行って疾患の原因を突き止めたり薬剤の創出に役立てる研究、気象学においては、観測データを解析することで自然災害の発生や気象変動を予測する研究が行われている。公的統計においても、米国では、失業率の推計にあたって、従来の統計調査だけではなく、Twitterにおけるつぶやきを反映させる手法が検討されたし、日本でも、家計の消費支出の推計に関してビッグデータの活用方法が導入されている。

 ところで、日本の数学・統計の教育、および統計の活用は海外に比較して遅れが目立っていた。当然、データサイエンスに関わる人材は非常に不足しているため、その育成は喫緊の課題である。幸い、この点については、今世紀に入ってから大きな改善が進められている。ひとつは初等中等教育の分野で学習指導要領を改訂して統計教育の水準を国際標準に近づいたことである。その効果が現れるまでにはしばらく時間がかかるものの、このように統計的なものの見方が普及することで、社会全体のデータ活用能力が高められることが期待される。並行して、大学教育において、統計・データサイエンスを専門とする学部の新設が続いている。2017年に、滋賀大学に最初のデータサイエンス学部が設立されるまでは、総合研究大学院大学で年間数名の大学院教育が実施されていたほかは、統計を専門に教える学部が存在しなかったものが、滋賀大学に続いて、データサイエンスという表現を含む名称の学部・学科は急増しており、この原稿を執筆している時点で、学部は10以上、学科やコースは数十になろうとしている。当然、大学によって水準や内容に違いはあるが、基本的には、数学および統計学を基礎として、コンピュータサイエンスや機械学習など、様々な学問領域の手法を組み合わせて、大規模なデータセットを扱うことに焦点があてられる。データの前処理、可視化、機械学習、データマイニング、自然言語処理なども重要な話題である。

 このような学部・学科で専門的な教育を受けた人材が輩出されないかぎり、日本におけるデータ分析の発展は大きな障害を抱えることになる。民間企業における需要が大きいことは当然として、公的統計の分野でも、政府における統計の重要性は改めて認識され、内閣官房に設置された「統計改革推進会議」では公的統計の質を高める努力が続けられているが、そのための人材が必要である。

 大量のデータを処理するためには、情報科学(コンピュータサイエンス)の手法が必須とされる点で、古い時代の統計学とは性格が変化しているが、データサイエンスの中心が統計学であることは変わらない真実である。いわゆるデータサイエンティストの中には、統計を否定するような指摘、たとえば「ビッグデータは全数調査に対応するから、統計学が扱う標本抽出の理論は不要である」という指摘がある。これは基本的には誤解であり、一般にはビッグデータは偏った調査や観測に対応するから、データの発生過程に関する理論的なモデルを背景にして議論すべきものである。

 また、データサイエンスの手法は、ブラックボックスとなる危険性を持つことも、次第に認識されるようになってきている。たとえば、新聞の文字情報を用いた、テキストマイニングといわれる手法によって経済予測を行っても、その結果に関して説得力のある経済的な解釈ができない限り、無条件に経済予測を信頼することは危険である。これは、データサイエンスに限らず、統計的手法であっても、心がけなければならない姿勢である。

 今後、ビッグデータは、さらに巨大なものとなる一方で、計算機の処理能力の向上と、AI技術の新たな展開も期待される。社会の状況をできるだけ正確に把握し、的確な意思決定を行うためにも、これから、統計学およびデータサイエンスに関する需要は高まることが予想される。したがって、社会人には、AIの結果を盲信することなく批判的に解釈できるような「教養としてのデータサイエンス」が求められることを強調したい。

 


2023年6月5日・19日号 週刊「世界と日本」第2246・2247号 より

危機管理後進国への警鐘

 

 

拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授
同大学防災教育研究センター長
濱口 和久
 氏

《はまぐち かずひさ》

1968年熊本県生まれ。防衛大学校卒。日本大学大学院修士課程修了(国際情報)。陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て、現職の他に一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長、稲むらの火の館(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)客員研究員なども務める。著書に『リスク大国 日本 国防・感染症・災害』(グッドブックス)他多数。

 

地震リスク

 今年は関東大震災(大正関東地震)から100年目にあたる。関東大震災は日本国内で明治維新後に起きた自然災害としては最大の被害となった。

 現在の東京は、関東大震災当時よりも「東京一極集中」状態が進んでおり、今後30年以内に高い確率で起きることが想定されているマグニチュード7クラスの首都直下地震が起きた場合、政府の想定をはるかに上回る甚大な被害(長期間のブラックアウトなど)が起きる可能性がある。首都圏で東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)後に計画停電が実施された。このときにもっとも影響を受けたのが医療機関だった。透析や人工呼吸器などの医療機器を使っている患者さんにとって停電は死活問題となる。

 ブラックアウト以外で心配される事態としては水道管の被害がある。阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)では、消火に必要な水を消火栓に供給する水道管が各所で破断したことで、消防車が到着しても放水できない事態が起きた。首都直下地震でも同じ事態が予想される。加えて、首都圏では消防車の台数も消火をする人員もまったく足りていない。同時多発的に火災が起きた場合には、関東大震災と同様に、消火活動が間に合わず被害が拡大する恐れがある。

 首都・東京の被害は単なる東京だけの問題に収まらない。あらゆる機関が集まる東京が甚大な被害を受ければ、情報ネットワークで繋がっている海外にも影響を及ぼすことになる。

 さらに言えば、首都直下地震に留まらず、南海トラフ巨大地震や日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震などの広域大規模地震の場合も、「国難」級の甚大な被害が起きることを日本人は覚悟しておくべきだ。

 

防災行政の課題

 戦後の日本の防災行政は、大規模災害を経験するたびに見直しが行われてきた。

 最初の契機は、昭和34(1959)年に約5000人の犠牲者を出した伊勢湾台風だ。2年後に災害対策基本法が制定され、政府および公的セクターをすべて巻き込む防災行政推進の基本的枠組みが作られる。

 首相をトップとする中央防災会議が設置され、災害対策についての国・都道府県・市町村・指定公共機関の防災上の責任分担を明確にし、それを担保する手段として、それぞれが防災計画を策定することが義務づけられた。阪神・淡路大震災後に災害対策基本法の大改正が行われると、著しく異常かつ激甚な災害の場合には、「災害緊急事態」の布告がなくとも、緊急災害対策本部の設置が可能となった。

 政府の災害対策本部は、緊急災害対策本部のほかに非常災害対策本部があるが、緊急対策本部が設置されたのは東日本大震災のときの一度しかない。

 一方、非常災害対策本部は防災担当相を本部長とし、地方自治体の首長などに指示(指揮)できることになっているが、それは果たして可能なのか。防災担当相は幾つもの担当を兼務し、防災だけに専念しているわけではない。現在、国家公安委員長、国土強靱化、領土問題、海洋政策、国家公務員制度も担当している。あまりにも担当分野が多すぎるのではないか。

 誤解を恐れずに言えば、閣僚の中でも防災担当は重要度が低い大臣ポストの1つになっている。しかも当選回数順送り主義で人選されているとしか思えないような人物が防災担当相に就いている場合がある。

 内閣府(防災担当)が国土庁に代わって防災業務を担うようになってからも、省庁ごとに防災業務の事務を分担管理(縦割行政)する体制が続いている。内閣府の職員の大半は省庁や地方自治体から平均で約2年間の出向であり、専門性を持った職員がほとんどいない非常に脆弱な体制となっている。

 同様に、内閣官房も省庁からの出向で成り立っている。消防庁も総務省に採用され人事異動で消防庁に勤務し、数年で総務省に戻る職員と市町村消防から出向している職員がほとんどであり、人的資源の蓄積が難しい。

 官僚機構は過去の事例「前例主義」に基づいて課題解決をしていくが、「緊急時」は過去の事例に基づいて方針を決めることが不可能なことが多い。そのため、「緊急時」には危機管理対応の最高指揮官である首相が事態を見極めて決心しなければならないが、阪神・淡路大震災や東日本大震災では首相の方針の打ち出しが遅れたことで事態が悪化した。

 災害対策基本法の最大の欠陥が放置され続けていることについては意外と認識されていない。東日本大震災では多くの被災した市町村で行政機能が麻痺したことで、県に支援要請ができず、県や国からの救助隊の派遣や支援物資の到着が遅れた(熊本地震からは国によるプッシュ型支援が始まってはいるが・・・・)このことからも、被災した市町村が第一次災害対応(広域公助)の責任を負わされている法律の立てつけを見直すべきである。

 

緊急事態条項の必要性

 令和3(2021)年6月、感染症と自然災害に強い社会を目指す「ニューレジリエンスフォーラム」が設立された。当フォーラムは、国民の生命と生活を守るため、「緊急時」についての関係法規の見直し、「平時」から「緊急時」へのルールの切り替え要件の整備を掲げている。

 それらの根拠規定としての「日本国憲法への緊急事態条項の明記」に向けて、医療界、経済界、防災関係、自治体関係をはじめとする多くの人々と力を合わせて幅広い国民運動を推進する団体である。日本政府に対しても提言(岸田文雄首相に提言書を手交)を行い、筆者は事務局長として当フォーラムの活動に参画している。

 ほとんどの国の憲法に緊急事態条項が明記されているのに、日本国憲法にだけ緊急事態条項が明記されていなのは異常な状態だ。

 日本は今後間違いなく、大規模災害(大規模地震)に立ち向かわなければならない事態が必ず来る。そのときに備えて、緊急事態条項を憲法に明記し、場当たり的な対応ではなく、「備えあれば憂いなし」の体制を早急に構築すべきである。

 


2023年5月22日号 週刊「世界と日本」第2245号 より

台湾は侵略に反対、平和こそ国際社会の核心的利益

 

 

台北駐日経済文化代表処代表
謝 長廷
 氏

《しゃちょうてい》

1946年台北市生まれ。国立台湾大学卒業。大学在学中に弁護士試験をトップの成績で合格。司法官試験も合格。74年日本・京都大学法学修士後、同大学博士課程修了。台北市議会議員、立法委員(国会議員)、高雄市長を歴任。民主進歩党主席、行政院長(首相)、2007年第12代総統選挙民主進歩党候補者、16年6月より現職。

 

台湾が重要な役割果たすサプライチェーンの再編

 

 3月31日、「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」(CPTPP)の加盟国はイギリスの加盟に合意した。CPTPPが求めるハイレベルな条件に合致するよう近年改革を進めてきた台湾は、一昨年9月にCPTPP加盟申請を提出しており、台湾の加盟についても一日も早く認められることを期待している。

 

 分業と信頼と自由貿易に基づくグローバル化は近年、機密流出、ハイテクの軍事転用、制裁の政治利用などのリスクを回避するため、経済安全保障が重視されるようになり、サプライチェーンの再編が進められている。台湾は先端技術を持つ経済体であるのみならず、信頼できる国際社会のパートナーであり、民主主義陣営の一員として世界に貢献できる。

 

経済繁栄は平和の賜物

 

 東アジアではこの70年余り、大規模な戦争が発生せず、平和が続いたことが各国の経済発展につながった。経済繁栄は平和の蓄積の賜物だといえる。逆に戦争は、一瞬にして積み上げてきた経済と安定した社会を破壊してしまう。

 

 とくに世界は緊密にグローバル化しており、ロシアによるウクライナへの軍事侵略が、ウクライナの国土を破壊したのみならず、日本をはじめ多くの国々の物価上昇を招いたように、いかなる地域の戦争も全世界の発展に影響を及ぼすことになる。とりわけ台湾は最先端の半導体工場が集積しており、もし台湾有事が発生すれば、世界経済に及ぼす影響は計り知れない。

 

 台湾は長年にわたり、中国からの軍事脅威に直面している。中国共産党は台湾を中華人民共和国の一部と主張し、台湾が統一を拒否し続けたら、武力統一を排除しないとしている。しかし、歴史的事実を見れば、台湾が中華人民共和国に統治されたことは一度もなく、台湾の民意の大多数は統一ではなく現状維持を望んでいる。台湾の蔡英文総統は中国に対して、対等と尊厳の原則の下での対話と交流を呼びかけている。

 

 今日、台湾海峡が世界から注目され、緊張がエスカレートしている主な要因は、権威主義体制を強化している中国の習近平国家主席が台湾に対する武力統一の立場を放棄せず、台湾に攻め込む準備を続け、国際社会に多大な不安と対立を引き起こしているからだ。最近も、蔡総統が米国に立ち寄った際にマッカーシー米下院議長と会談したことを口実に、中国軍が台湾を包囲するように空母も動員して軍事演習を実施し、空と海から台湾を威嚇した。仮に中国が統一の名の下に台湾に武力行使すれば、それは台湾に対する一方的な侵略にほかならない。

 

平和こそ国際社会の核心的利益

 

 中国は台湾を譲ることのできない「核心的利益」と主張するが、国際社会にとっては平和こそが「核心的利益」だといえる。平和を守ることとは、侵略戦争を発生させないことであり、一方的な武力による現状変更の行為に対して国際社会は一致して断固反対しなければならない。さもなければ、強国による小国への野蛮な侵略が見逃され、国際秩序が崩壊してしまいかねない。

 

 そして、平和は愛であるが、愛するふるさとや大切な人を守る力がなければ悲劇となる。抵抗する力がなければ平和は脆(もろ)く崩れ、投降すれば運命は他人に握られ、自己の理想を実現する術を失う。尊厳ある生存こそが重要なのであり、力の均衡を保つ必要がある。

 

 台湾は防衛力強化に最善を尽くすと同時に、米国や日本と安全保障面でも協力を促進し、抑止力を高めていくことが緊急の課題となっている。侵略戦争に支払うコストの高さが理解されれば、無謀な侵攻が抑止され、戦争予防と平和の維持につながるからだ。

 

民意こそ国を動かす

 

 侵略戦争を未然に防ぐためには、軍事力だけでなく、外交力と民間の力も必要である。外交面では民主主義国家が一致団結し、孤立や分断を招かないようにし、尊厳ある対話を通して平和を創出していく努力を続けていかなければならない。

 

 民間の力とは、民意こそ国を動かすということである。民主主義国家だけでなく、権威主義国家の政府も民意は無視できない。権威主義国家が言論統制しようとするのは、過剰なほど民意を気にしていることの裏返しである。戦争は民族の滅亡や国家の孤立化、排除化を招く恐れがあり、大切な家族や友人の命を奪い、さらには自らの命も危険にさらされる。これは戦争を発動した国の人々もそうであり、侵略戦争に英雄や勝者はいないという真相をより広く伝えることができれば、平和を希求する力をもたらすであろう。

 

国際機関の台湾排除見直しを

 

 国連は1971年の2758号決議(アルバニア決議)により、中華人民共和国の国連加盟と中国の代表権を認めたが、中華人民共和国に台湾の代表権を与えたものではない。国連における台湾代表権については未解決のままである。台湾は世界保健機関(WHO)、国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)、国際民間航空機関(ICAO)、国際刑事警察機構(ICPO)などの国際機関への意義ある参加を求めているが、中国が「一つの中国原則」を各国に押し付けて台湾の参加を妨害しているため、台湾は国連関連活動や国際機関に十分な参加ができず、国際社会との連携や情報共有に不便が生じている。

 

 いま一度、国連憲章の理念に立ち返り、国際法の遵守、国連憲章の遵守を推進し、平和的手段により紛争を解決し、武力による解決を容認しないことを国際社会が改めて確認する必要がある。中国の圧力で台湾を地理的空白にすることがあってはならない。 

 

 


2023年5月1日号 週刊「世界と日本」第2244号 より

『葛西、安倍、両巨星を悼む』

 

筑波大学特命教授
谷口 智彦
 氏

《たにぐち ともひこ》

1957年生まれ。1981年東京大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院教授を経て筑波大学特命教授。安倍晋三第2期政権を通じ、初め内閣審議官、のち同総理退任まで内閣官房参与。それ以前「日経ビジネス」編集委員、ロンドン外国プレス協会会長、外務省外務副報道官など経てJR東海で4年5カ月常勤顧問を務めた。主な著書に「安倍総理のスピーチ」(文春新書)、「誰も書かなかった安倍晋三」(飛鳥新社)、「日本人のための現代史講義」(草思社文庫)がある。

 

 2022(令和4)年、日本は、元総理・安倍晋三、東海旅客鉄道(JR東海)名誉会長・葛西敬之の両巨星をほぼ同時に失った。

 葛西氏の没後、雑誌の記事や対談に、安倍元総理が葛西氏の葬儀で読んだ弔辞を加えた書『日本が心配だ!』(ワック刊)が出た。

 本年2月には『日本のリーダー達へ・私の履歴書』(日本経済新聞出版刊)と題した書が続く。かつて日経新聞に載せた自伝を再録したうえ、同紙夕刊に2000年の後半連載した随筆を加え、親しい友人の追悼文を収めた本で、編集を担ったのはJR東海で故人を支えた秘書たちだ。

 さらに3月、内外52人もの人々の寄せた追悼文に葛西夫人の筆になる後記を付した私家版が、同社から出た。

 『貫いた信念、恵まれた縁』という同書こそは、故人の名を正しく留めんとした秘書たち執念の作である。没後1年を経ずして世に出たのはその証拠だ。

 葛西氏は同世代にあっては稀なことに、士族的生い立ちの人だったことが『履歴書』に明らかだ。父親と一対一、古今東西の古典を読んで人となった。

 国鉄に入ると、日本を支える動脈支脈となるべき鉄道が、再生不能の負債となった様を看破する。国営だ、潰(つぶ)れないと思うから、労組の無法、経営の惰弱(だじゃく)がやまない。

 分割民営化に向かった葛西氏の奮闘は、手段を選ばぬ戦闘集団・労組、旧弊にしがみつく経営を共に敵とし、政官界の力学を読んで圧倒的な勢いを作る闘いだった。複数方面の攻勢を同時に仕掛け、攻めて、攻め抜く必要のあったものだ。

 葛西氏単独の達成ではない。しかし葛西氏がいなければ、恐らく成功しなかった。

 氏の本領は、民営化後短時日のうち国の資産となっていた新幹線地上設備(車両以外)を取り返し、自社資産に計上させたところにある。設備の減価償却によって投資資金を作るまっとうな経営が初めて可能になり、その後新幹線は周知の通り面目を一新した。

 国鉄分割民営化は1987(昭和62)年に成就し、国鉄の、一大戦闘集団だった各労組は力を失った。改革があと3年遅れたらバブル崩壊とその後の不況に遭遇し、巨大な国営企業体の整理などできたかどうか。ただでさえ自己変革力の鈍い日本は、もっと固陋(ころう)な国になっていただろう。

 葛西氏における憂国の一念はその後、まだ40代だった安倍氏を引き付けることとなる。

 いまこの2人、日本を支えた主軸が突如として消えた。北京の戦略要路ならこれを知り、快哉を叫びはしなかっただろうか。

 日本には早かれ晩(おそ)かれ、その存立を揺るがす大難題が見舞う。

 一つには、男系皇統の存続をどう図るか。

 伝統に構わず女系天皇をひとたび容認するや、論理の必然的成り行きとして、皇族が例えば中国人と結婚することも、その子が皇位を継ぐことも、結局認めざるを得なくなる。

 そんな状況を作り出すのをひとつの目標として、中国の対日世論工作=認知戦は、いまも足下で進んでいるとみておくべきだ。

 二つめに、台湾が中国に吸収されてしまうことをいかに防ぐか。

 たとい戦争を伴わず平和的手段によるものだとしても、台湾が中国共産党の支配下に入ってしまうと、日本と日米同盟の利益は不可逆的に損なわれる。防ぐに如(し)くはなしだが、日本に何ができるか。

 いま見た2つは精神、物質の両面で、日本に危機を及ぼす。深刻度は歴史に前例を見出せないほどだというのに、立ち向かうわれわれの足場はもろい。

 人口減少を抑える長期戦、経済を再び成長させる短期戦の2つを闘いつつでなければ、いかなる挑戦にも応じられないからだ。

 だからこそ、安倍、葛西両氏の逝去が惜しまれてならない。

 こんな時安倍氏がいてくれたらと、ほぞを噛むことが必ずやあるだろう。安倍氏が葛西氏を精神的同志あるいは長兄と慕っていたのを知る者は、そのときには葛西氏の不在を同様に嘆くだろう。

 2人には第一に、日本の国柄と近代以降の歴史に対する深い理解があり、そこに根ざした正邪の判断基準があって揺るがなかった。

 安倍氏を指して「日本と世界の行く末を示す羅針盤」だったと、岸田文雄総理は述べた(安倍氏に対する国葬儀における弔辞で)。

 一方6月15日、芝増上寺の葬儀で葛西氏の死を悼み、「貴方ほど確固たる世界観、国家観を持った方を寡聞(かぶん)にして知らない」と語ったのは安倍氏である。

 この時点で、1月も経ず安倍氏自身命を失うことになろうとは誰知ろう。とまれ、安倍氏も葛西氏を不動のコンパスとみなしていたことがよく窺(うかが)える。

 そんな2人を、日本は失ってしまった。

 両氏は第二に、自他とも任じる誇り高い愛国者だったけれども、戦後日本右翼において本流だった現代版尊皇(そんのう)攘夷(じようい)、すなわち反米民族主義の思想に一度として染まったことがない点で共通していた。

 日本の安全を守る責任を双肩に担う覚悟があるなら、針路はひとつ、日米同盟を確固不抜にするのみだと両氏とも信じ、実践した。

 米国大統領の誰彼を好きか、嫌いかといった好悪感情が入り込む隙間はなかった。

 米国に対し卑屈に揉み手をし、安保をよろしくと、頼み込まねばならないとも思っていなかった。米国をインド太平洋に関わらせ続けるには、日本自身の努力がカギを握ると弁(わきま)えていたからだ。つまりは両者とも観念でなく実理に就き、そこに徹する指導者だった。

 そして第三に、交わりのあった人物に関して濃淡に拘わらずよく記憶しただけでなく、書物から得た知識を決して忘れず、適宜適切に再現できる点でも葛西氏と安倍氏は驚くほど似ていた。概して快活で、明るい性格も。

 世にいう天才は、突然、孤立しては現れない。しばしば群(クラスター)をなし、互いに近しく交わりあう。

 強い個性はさながら強力な磁場をなすごとくで、親和性の高い個性を遠くから引き寄せるのであろう。葛西氏、安倍氏の出会い、終生続いた交友は、まさしくそれだった。合掌。

 

 


2023年4月17日号 週刊「世界と日本」第2243号 より

求められる「政治への信頼」

 

日本大学名誉教授
岩井 奉信
 氏

《いわい ともあき》

1950年東京都生まれ、日本大学法学部卒業、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了、常磐大学教授を経て2000年より日本大学法学部教授、2021年同名誉教授。著書に『立法過程』『政治資金の研究』 『族議員の研究』など多数。

 

 日本の政治は「衰退」しているのではないか。今日の日本の政治に「熱気」や「活力」を感じ、政治に「期待」や「希望」を見出す者はどれほどいるだろうか。

 何故、日本の政治は「衰退」してきたのか。それは政治に対する国民の「信頼」が失われているからだ。世論調査を見ても、政治への「信頼」と同時に「関心」も低い。特に次世代を担う若者にその傾向は顕著だ。

 振り返ってみると、この四半世紀以上、われわれは政治に裏切られ続けてきたといっても過言ではない。自民党の下野で誕生した細川政権は、新しい時代の到来を期待させたが、それは1年も経たずに崩壊した。その後、自民党と社会党の連立や政界再編という政治理念を置き去りした潮流の下では「永田町の論理」や「数合わせ」が優先された。

 「自民党をぶっ壊す」と登場した小泉純一郎内閣は、国民の熱狂的支持を集めたが、その構造改革路線は結果的には格差を助長するものになった。また、本格的政権交代として期待された民主党政権は「決められない政治」と揶揄されたように政治を混乱の極に陥れた。

 そして日本憲政史上、最長の政権となった安倍晋三内閣は、政治を安定させ、経済や外交などの分野で輝かしい成果を上げたが、その一方で「官邸主導」の名の下、説明責任を果たさぬ独断的な政治が横行し、国民の政治への「信頼」を高めることに寄与したかというと疑問が残る。そして今、岸田文雄内閣は、その方向性も明確にできず、低支持率にあえいでいる。

 このような政治に対する「信頼」が失われたのが1990年代の「政治改革」の実現と軌を一にして顕著になったのは皮肉としか言いようがない。というのも選挙制度にせよ政治資金制度改革にせよ、そもそも政治への「信頼回復」を目指したものだったからである。

 いずれも「政治家本位」の政治を「政党本位」の政治に転換することで「金権政治」から脱却し「政策論争」を促し、政治のリーダーシップを確立することを目的とした。しかし、実際には「政治改革」の副作用として「政界再編」の激流の中で「数合わせ」の政治の横行を生んだことは否定できず「政治改革」に関わってきた身からすると慚愧(ざんき)に堪えない。

 だからといって「政治改革」が誤りであったとは言えない。「政治とカネ」をめぐる問題は未だにくすぶっているとはいえ、以前に比べればかなり是正された。政治における「政策」の重要性も大きくなっている。そして小泉内閣や安倍内閣に代表されるように、政治のリーダーシップは以前に比べて格段に強くなった。「政治改革」の成果は確実に実を結んできているのである。

 にもかかわらず、政治に対する「信頼」が高まるどころか、低下し続けているのは何故だろうか。そこには民主主義の政治が抱える根本的問題が潜んでいる。実は民主主義の政治では「実効性」(effectiveness)と「応答性」(responsiveness)のふたつが求められる。「実効性」とは、いかに迅速かつ効率的にものを決めるかであり「応答性」とは、いかに国民的合意を形成するかである。当然のことながら、国民的合意を実現しつつ効率的に決定が行われることが望ましい。しかし、現実には、二つを両立することは至難の技である。特に時間との競争が問われる現代の政策決定では往々にして「実効性」が重視され、「応答性」を確保するための「説明」や「説得」は軽視されがちになる。

 日本の政策決定では、消費税や社会保障改革に代表されるように、過度の「実効性」の重視が政策の効果を台無しにすることが少なくない。「急がば回れ」と言うように、十分に議論を重ねた上で、政策を実行する方が、効率的だという事例も多い。

 ただ、我が国の政治では、十分な議論や説明の機会や時間が確保されているとは言えない。国会は会期が限られ、議論の時間は余りにも少ない。挙げ句の果てに国会での議論は政策論議より「政争の具」的なものが多すぎる。これでは国民が政治に置き去りにされていると感じるのもうなずける。もっと議論や説明の機会を増やすための制度改革に取り組む努力をしなければならない。

 そもそも日本の政治は「政局政治」が優先され過ぎる。メディアの政治報道の多くが政局報道に費やされているのはその証左(しょうさ)だ。それは現実政治の世界が政局中心に動いていることの現れでもある「永田町の論理」や「数合わせ」はその最たるものだ。すなわち政党や政治家が「政界」という狭いコップの中の世界だけを視野に活動する結果、民主主義の主役である国民が置き去りにされるのである。これでは国民に政治への「信頼」を求めることは難しい。

 同時に、政治に裏切られ、無視され続けても声を発しない「大人しい」国民にも問題がないとは言えない。政治が「信頼」できないからといって、政治への「関心」を持たないことは、政治の「主役」の立場を放棄しているからだ。この点については、われわれ政治を研究、教育する者にも責任の一端があることは認めざるを得ない。若者に対して「主権者」に相応しい政治教育を行ってきたかという忸怩(じくじ)たる思いもある。その意味では、欧米が熱心に行ってきた「主権者教育」にも積極的に取り組む必要がある。

 政治への「信頼」回復は、政党や政治家だけの問題ではない。「信頼」できない政治を許容し、自ら政治への「関心」を持たずにきた国民の問題でもある。「実効性」と「応答性」をいかに両立させていくべきか、制度や意識、教育などを含めた多面的な改革が必要である。

 いかに政治への「信頼」を回復させるか、日本の政治を「衰退」から救い、日本の民主主義を「再生」させ、「活力」あるものにする努力が今こそ求められている。 

 

 


2023年4月3日号 週刊「世界と日本」第2242号 より

『異次元の少子化対策』から家族観・幸福度を考える

 

拓殖大学政経学部准教授
佐藤 一磨
 氏

《さとう かずま》

1982年生まれ。慶応義塾大学商学部、同大学院商学研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。専門は労働経済学・家族の経済学。近年の主な研究成果として、Relationship between marital status and body mass index  in Japan. Rev Econ Household (2020)がある。

 

 この少子化対策では(1)児童手当など経済的支援の強化、(2)学童保育や病児保育、産後ケアなどの支援拡充、(3)働き方改革の推進の3つが主な内容として検討されている。中でも児童手当の拡充は国会で論戦の的になっており、所得制限の撤廃、子どもが高校になるまでの期間の延長、第2子目・第3子目の増額といった内容が議論されている。

 

少子化の主な原因

 このように多くの時間を使って児童手当の拡充について議論されているが、この政策が本当に少子化対策として有効なのだろうか。

 もし現在の少子化の原因が「夫婦の子ども数の減少」であるならば、児童手当拡充の効果は大きいと予想される。子育てや教育の金銭的負担が子ども数が抑制される最も大きな理由だからだ。しかし、国立社会保障・人口問題研究所の『出生動向基本調査』によれば、夫婦の最終的な子どもの数の平均値はだいたい2人であり、1970年代から2000年代半ばまでこの値は大きく変化していない。このため、これまでの少子化の主な原因は、必ずしも夫婦の子ども数の低下ではなく、また別に存在すると考えられる。

 

重要な「結婚支援策」の検討

 ここで別な少子化の原因として考えられるが「婚姻率の低下=未婚化」である。日本の50歳時点の未婚率の推移を見ると、1990年では男性で5・6%、女性で4・3%だったが、2020年には男性で28・3%、女性で17・8%となり、男女とも大きく上昇している。このような未婚率の上昇は、出生数の低下に直結する。背景にあるのは日本における結婚と出産の強い結びつきである。日本では結婚が出産の前提となっている。欧米諸国では結婚と出産の関連は弱く、婚外子の割合はアメリカでは約40%、フランスで約60%となっているが、日本ではわずか約2%が婚外子だ。この点を考慮すると、出産の前提となる「結婚する人々の減少」は、少子化の大きな原因となる。実際、日本総合研究所の藤波匠上席研究員の分析によれば、1995年から2005年までは婚姻率の低下が主な少子化の原因だと指摘されている。

 以上の議論を踏まえれば、現在検討されている児童手当拡充だけでは少子化対策として十分とは言えない。「子どもが生まれてきてからの支援策」だけでなく、その前段階の「結婚支援策」も検討する必要があるだろう。

 

恋愛結婚市場DX化への事業支援

 結婚支援策としてさまざまな政策が考えられるが、未婚化の原因として指摘されることの多い「結婚を望む男女の出会いの場の拡充」と「雇用・所得の安定化・向上」への対策が検討に値する。国立社会保障・人口問題研究所の『出生動向基本調査』によれば、25〜34歳の男女が独身でいる理由として、「適切な相手と出合っていない」ことを最も多く選択している。このため、若年層の出会いの場を広げ、マッチング確率を高めることが望ましい。近年、職場や友人を介した結婚が減り、SNSやマッチングアプリといったインターネットサービスを利用して知り合った夫婦の結婚が13・6%を占めるというデータもある。これは恋愛結婚市場にDX(デジタルトランスフォーメーション)の波が来ていることを示唆しており、これらの事業支援が検討に値するだろう。

 

経済的に不安にならない環境整備

 また、日本の場合、一定の経済的な条件が整わなければ結婚に踏み切らない、もしくは結婚相手として選ばれない傾向がある。男性の場合、正規雇用就業者と非正規雇用就業者で婚姻割合に大きな差があり、非正規雇用で働く男性の50歳時点での未婚率が6割を超えている(令和2年国勢調査)。この結果は、結婚するうえでの経済力の重要性を物語っており、所得の安定・向上を促す政策の強化が必要となる。このためにも経済成長を促進し、将来にわたって経済的に不安にならない環境を整備することが重要だ。これは経済・雇用政策であり、子育て支援策とセットで実施されるべきだろう。

 

有効性を示す海外の研究事例

 実は子育て支援策という観点からも経済・雇用政策が有効であることを示す海外の研究がある。ルクセンブルク社会経済研究所のエイドリアン・ニエト研究員は、スペインにおける労働者の有期雇用から無期雇用(終身雇用)への転換を行った企業に補助金を支給する政策の効果を検証している(*1)。ニエト研究員は終身雇用に転換すれば、生活が安定し、出産が促進されるのではないかと考え、実際の効果を検証した。分析の結果、この政策によって男性の第1子目を持つ割合が4・3%上昇し、女性の第2子目を持つ割合が3・1%上昇することがわかった。さらに、国全体といったマクロの視点で見た場合、政策によって年間5761人の子どもが増え、出生率が1・4%引き上げられたと指摘した。この分析結果は、雇用が安定し、生活基盤がしっかりすれば、子どもが増えることを示唆している。

 

人口減少は「静かなる有事」

 さまざまな政策を検討する際、重要なのは結婚や出産・子育てが一時的なものではなく、長期にわたるという認識だ。現時点だけでなく、将来にわたって所得や雇用の安定化が期待できなければ、その数は増えないだろう。少子化による人口減少は「静かなる有事」であり、もしこのまま人口減少が続き、生産年齢人口の減少に歯止めがかからなければ、国力の低下や国家の衰退につながる。これを防ぐためにも、将来を見据えた長期的な結婚・子育て支援策の検討が求められる。

 

OECD諸国との比較

 以上の議論を踏まえたうえで、子育てと家族観、そして幸福度について触れておきたい。他のOECD諸国と比較して、我が国の家族関連の政府支出は相対的に小さく、「子育ては家庭で行う」という認識が強かった。しかし、バブル崩壊以降の長期的な低経済成長に直面し、所得が伸び悩んだ日本にとって、子育てを家庭のみで行うのが難しくなってきている。この点を考慮すれば、「子育ては家庭だけではなく、社会全体で行う」という認識に変えていく必要がある。

 

幸福度が高まる環境の整備

 このような家族観の修正は、子育てが幸福度に及ぼす影響にも変化をもたらすと予想される。これまでさまざまな研究から、子どもを持つことは幸福度、中でも女性の幸福度を低下させると指摘されてきた。これは、子どもを持つことによって得られる幸せ以上に、金銭的・時間的・精神的負担が大きいことが原因だと考えられる。特に日本のような性別役割分業意識が強い社会の場合、子育て負担が女性に集中するため、女性の幸福度がより低下する傾向にある。このような傾向が続けば、出生数の向上は難しいだろう。今必要とされるのは、これまで家庭内で負担してきた出産・子育てのコストを社会全体でも負担し、子どもを持つことによって幸福度が高まる環境の整備だ。本来、子どもを持つことは喜ばしいことであり、それをより実感できるよう社会の変革を推し進めるべきだろう。

 

(*1)Nieto Castro, A. (2022). Can subsidies to permanent employment change fertility decisions?  Labour Economics, 78, [102219].https://doi.org/10.1016/j.labeco.2022.102219

 

 

 


2023年3月6日号 週刊「世界と日本」第2240号 より

円安・物価高とこれからの日本経済

 

第一生命経済研究所 経済調査部
首席エコノミスト
永濱 利廣
 氏

《ながはま としひろ》

95年早稲田大学理工学部卒業後、第一生命入社。05年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了、16年より現職。跡見学園女子大学非常勤講師兼務。内閣府経済財政諮問会議有識者、経産省物価高における流通業のあり方検討会委員、総務省消費統計研究会委員、景気循環学会常務理事。著作に「給料が安いのは円安のせいですか」(PHP研究所)等。

 

2023年の物価は伸び鈍化

 

 原稿執筆時点における直近2022年12月の全国消費者物価を見ると、生鮮食品を除く総合が前年比+4・0%となり、9カ月連続でインフレ目標の+2%を上回っている。更に、そのインフレ率は前月から+0・3pt拡大しており、季節調整値の前月比で見ても+0・4%上昇している。

 背景には、これまでインフレ率押上の主因となってきたエネルギー価格の他品目への波及に、食料品値上げの加速や円安に伴う家電製品の大幅値上げ等が加わったこともあり、少なくとも2022年末まで日本のインフレ率は加速していたことになる。

 しかし、2023年を展望すれば、既にエネルギー価格の上昇はピークアウトしていることから、特に2月分以降の消費者物価の伸び率も鈍化の可能性が高いだろう。というのも、足元ではエネルギー価格の元となる原油価格が130㌦/バレル超えから70~80㌦/バレル台まで下がっており、既にガソリン価格の値下がりに結び付いている。また、総合経済対策による電気・ガス代の価格抑制策の影響が2月分から反映されるためである。

 ただ、中部・関西・九州以外の電力会社が価格上限引き上げを政府に申請していることから、4月分もしくは6月分からは多くの地域で電気料金の大幅値上げが実施される可能性が高いことには注意が必要だろう。

 一方、生鮮除く食料品の価格については、既に穀物価格自体はピークアウトしているものの、昨秋まで円安傾向が続いてきたことから、今後もしばらく価格転嫁が続く可能性が高いだろう。なお、当初は10月の政府小麦売り渡し価格がロシアのウクライナ侵攻の影響を受けて大幅に引き上がることが懸念されていたが、岸田政権が価格を据え置くことを決断した。

 ただ、これはあくまで値上げの先送りである。というのも、今年4月の政府小麦売り渡し価格は通常の過去半年間の平均輸入価格ではなく、過去1年までさかのぼった平均価格で決まる。このため、4月の政府小麦売り渡し価格にはウクライナ危機直後の小麦価格の上昇分が反映されることには注意が必要である。

 

為替はドル安が進行の可能性     

 

 このため、これまでの商品市況高や円安の進展を理由に食料品や耐久財等の値上げは2023年以降もしばらく続きそうだ。となると、為替の動向も2023年の物価を大きく左右しよう。

 しかし、これまでの物価上昇の主因となってきたドル高も2023年以降はもう一段の円高に向かいそうである。というのも、既に米国経済はこれまでの金利上昇などの影響を受けて明確に減速している。そして米国では逆イールド、すなわち2年債利回りが10年債利回りを上回るとその後必ず景気後退局面するという経験則があるが、すでに今年の夏時点でこの状況にあることからすれば、2023年の米国経済はさらに減速の度合いが強まることが予想される。

 また、そもそもドル高のきっかけが、米国のインフレ率上昇に伴うFRBの利上げ観測の強まりである。

 しかし、米国のインフレ率上昇の主因の1つとなった一次産品価格は世界経済の減速などを見越してすでにピークアウトしている。となれば、今後は米国のインフレ率も低下傾向がより明確になるだろう。事実、FRBが+2%のインフレ目標とするPCEコアデフレーターを直近前月比が今後も続くと仮定してインフレ率を延長すると、早ければ今年の秋以降にもインフレ率は+2%台に近づくことになる。

 となれば、これまで立て続けに急速な利上げを実施しているFRBも、今年前半中に利上げを打ち止め、景気悪化の度合い次第では年内に利下げに転じる可能性すらあるだろう。

 一方、円安の要因となっていた日本の経常黒字の縮小も、輸入一次産品価格が円安の進行以上に下落していることからすれば、日本の貿易赤字も縮小に向かおう。

 また、日銀人事も円高圧力となる可能性がある。というのも、3~4月にかけて日銀副総裁、総裁の任期が満了となる。

 そして、最も重要な日銀総裁の後任人事は、現在のイールドカーブコントロール政策における問題点を指摘してきた経済学者で元日銀審議委員の植田和男氏起用されることになった。となると、リフレ的な政策志向の強い黒田日銀よりもタカ派にシフトする可能性があることからすれば、これも円高圧力となる可能性があろう。

 

今年の家計負担は+2・2万円/人程度

 

 以上を踏まえれば、今年2月分以降のインフレ率は低下トレンドに転じる可能性が高いだろう。というのも、足元のインフレ加速は輸入物価上昇に伴うコストプッシュによるものであり、すでに原因となる一次産品の国際商品市況はピークアウトしているからである。

 実際、日経センターが公表している最新2月分のESPフォーキャスト調査によれば、CPIコアインフレ率は今年の10―12月期にピークを迎える見通しとなっている。

 持続的なインフレ率の維持にはディマンドプルインフレが必要であるが、この年の世界経済は一段と減速が強まる可能性が高く、そもそも日本は海外と異なり需要不足である。このため、来年以降はコストプッシュインフレ圧力の低下により日本のインフレ率は低下に転じ、コアCPIのインフレ率も+1%台まで下がるとエコノミストはみている。

 なお、ESPフォーキャスト通りに今後も消費者物価が推移すると仮定すれば、2022年のインフレ率は+2・3%に対して2023年のインフレ率は+2・2%に鈍化することになる。そして、家計の一人あたり負担増加額は2022年に前年から+2・3万円(四人家族で9・1万円)増加することに加え、2023年は+2・2万円(4人家族で8・8万円)増加すると試算される。インフレ率が鈍化するとはいえ、今年の春闘の結果次第では、家計の実質負担はさらに増えることには注意が必要であろう。

 

 


2023年3月6日号 週刊「世界と日本」第2240号 より

『行動制限を伴わないコロナ社会-社会・経済の正常化を目指すには』

 

特定非営利活動法人健康経営研究会
理事長
岡田 邦夫
 氏

《おかだ くにお》

1982年大阪市立大学大学院修了後、大阪ガス株式会社産業医。2006年NPO法人健康経営研究会設立、理事長就任。大阪市立大学医学部臨床教授ほか、厚生労働省、文部科学省等の委員会委員を歴任。現在、経済産業省 健康・医療新産業協議会健康投資WG委員、健康長寿産業連合会理事、大阪商工会議所メンタルヘルスマネジメント検定委員会副委員長。

 

 先行き不透明で、確実な解決方法もなく、ただ時の流れに任す時代に突入した。パンデミックは当初、生命・健康を重視し、経済を犠牲にするステージをもたらしたが、その経過において、両立させなければ社会活動が立ち行かなくなることから新たなステージに進んだ。感染症で多くの方がなくなられ、また、休業・倒産などで、自殺者も増加した我が国の経験は、果たして未来に向けての処方箋を作ることができたのであろうか。

 VUCA(将来の見通しが極めて不透明になった社会情勢)の時代において、今言えることは、大きな社会的問題が発生した時に、解決できる能力を持つ人の育成に行政や企業、多くの団体が、もしくは社会が注力すべきであるということのみである。いずれは何事も落ち着くことになるが、その結末には大きな悔いを残さないことが重要である。

 医の立場からは、『上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す』と古代中国の医書に記載されているとのことであるが、現実社会では、病も人も国(社会)も同時に医すことが必要となっている。我が国の現状は、医師が段階的に成長するのを待っている状況ではない。多くの人、団体などが協働して医すことが求められている。近江商人は、『売り手よし、買い手よし、世間よし』の同時に『三方よし』を求めたが、どうもここに未来の処方箋の一つがあるようだ。社会経済をよくする、感染症を防止する、そして、その重症化を食い止める、のすべてを同時に求めるのが現代社会である。そこには、上医・中医・下医の分け隔てなく、また、政府・都道府県市町村、企業、医療機関、各種団体、学校、個人などの垣根は存在しない。

 ただ、ここの連携不足が社会の混乱を生み出すのである。連携をもってアウトカムを出せば、小さな正解が集積して社会が動くのである。ある企業がいくら頑張っても、社会全体に及ぼす力は限られているし、他の多くの企業がパンデミックを全く意に介しないのであれば、我が国は「烏合の衆」の国民になってしまう。

 多くの人に、健康行動を求める方法論の一つにナッジがある。例えば、禁煙である。基盤に「法令上の罰則」があり、頂上に「自由意志」というピラミッドが構築される。罰則については、「禁酒法」の過ちを繰り返さないためには、これは採用できない。そうかといって、「自由意志」を採用すると「受動喫煙」による問題が発生する。その狭間には何があるのかを考えるのが為政者、経営者等のミッションである。凶悪犯罪には、厳しい刑罰が合法化される。パンデミックにおいて、自発的に休業する店舗には、インセンティブとして補助金が給付された。新型コロナに感染すれば、感染症法2類に分類されているので、保健所に届け出て、指示を受けることになる。一定の拘束を受けるが、施設は提供され、食事は公費で賄ってくれる。さて、新型コロナウイルスに恐怖感を持たない人は、このようなことは全く意に介さず、日常生活を送るであろう。感染症対策を講じることによってインセンティブが与えられるならば行動を起こす人も多くなるかもしれない。しかし、社会全体の感染症リスクが減少し、社会・経済の活性化というインセンティブを享受するために、感染症対策を考えた人はどれほど存在したのであろうか。一人ひとりがそして多くの企業が、『三方よし』の行動を取れば、公益社会が実現するが、その道は遠い。SDGsはまさしく、この考え方の実現である。

 もう一つは、シンデミック(syndemic)である。パンデミックにおいて、感染症対策のみでは感染、発症、重症化などを制御することはできず、日頃の生活習慣や生活習慣病の予防ならびに持病の適正なコントロールがなされていることが重要である、という考え方である。ここには、いわゆる「格差」の問題(経済格差、健康格差など)大きな障壁となりうる。我が国においては、生活習慣病対策はすでに長い歴史を持っているが、高齢化の名のもとに有所見率は増加し続けている。果たして、高齢化のみが健康診断における有所見率の増加に寄与しているのかは疑問である。

 カリスマ経営者の登場は、企業の救世主になりうるが、後継者としてのカリスマがいなければ企業の歩む道は険しい。我が国は、人口構造ではピラミッドをなさなくなっているが、企業の基盤を強固にするためには、人財ピラミッドを築き上げなければならない。しかし今は、陣頭指揮を執る管理職の空洞化が危惧される。その結果は、例えばインフルエンザの予防接種にみられる予防効果である。100人の組織で、たった一人の予防接種は、個人的にも組織的にも社会的にも効果を発揮しない。無駄の一言である。一人ひとりがパンデミックについて自らができることを考え実践するか、また組織が何をすべきか、行政が何をすべきか、その結果が時を待たずして社会に反映されることになる。求められるのは、利己と利他、DiversityとIncl usionの融合であろう。目的を一にする「見えざる手」をいかに企業の成長に結びつけるか。経営者の手腕が問われている。しかし、この実現は極めて難しく、不可能に近いかもしれないが、「拙速」と「巧緻」を組み合わせることで牛歩よりは早い解決法を見出すことになる。私の無責任な考えとして、企業の利益を大胆に放出して、企業基盤を強固にする方法があるのではないかと思っている。その投資が無駄になるかどうかは、経営戦略次第であろう。決断に多くの時間を要する場合と経営者の勘に基づく拙速が企業を大きく羽ばたかせるかもしれない。それくらい経営者の責任は大きいのである。社会のスピードは一段と速くなっているが、私たちの歩みはそれに追いついていない。人は大器晩成で成長には時間を要するが、その一人ひとりの力が合わさって社会が進んでいるのである。若い人達の労働に対する無力感、すなわち空洞化はすでに蔓延しており、現在は中間管理職の空洞化が進行中である。そして、次にはすでにその前兆が認められる経営者の空洞化が危ぶまれる。「セレンディップの3人の王子」の旅は経営者にも必要かもしれない。

 

 


2023年2月20日号 週刊「世界と日本」第2239号 より

防災への備えと教訓から学ぶ

 

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長
京都大学名誉教授
河田 惠昭
 氏

《かわた よしあき》

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長、人と防災未来センター長。京都大学名誉教授。国連SASAKAWA防災賞、防災功労者内閣総理大臣表彰など受賞。日本自然災害学会および日本災害情報学会会長を歴任。主な著書に『これからの防災・減災がわかる本』『にげましょう』『日本水没』『津波災害(増補版)』『河田惠昭自叙伝』等。

 インドのマハトマ・ガンジーは7つの社会的大罪を指摘した。その1つが『人間性なき科学』である。筆者はこれを『災害文化を軽視・無視した科学文明』と解釈している。 

 

 たとえば、気象庁がいくら避難情報を「正確、迅速、詳細」に提供し、それに基づいて自治体が避難指示を早期に発表しても、大多数の住民は避難しない。これは典型例だろう。「避難しないと命を失うかもしれない」と考えて、避難行動するという文化的行為につながっていない。他人事に終わっている。その上、グローバルな情報時代を迎えて、SNSによって非科学的情報が科学的情報と混在して大量に発信され、ますます的確に判断ができない社会へと変貌している。知識が増えても知恵すなわち生活文化にならない限り、私たちの『こころとからだ』は成長しないのである。今年は関東大震災100年である。そして、東京都は「ぼうさい国体2023」の東京での開催に同意せず、横浜市で開催される運びとなった。関東大震災の2年後に、東京大学地震研究所は大震災の発生を科学的に解明することを目的として創設された。東京での不開催は同研究所のみならず、『危機対応の社会科学』として顕著な業績を挙げてきた社会科学研究所などの意見を反映しているのだろうか。この伏線はあった。昨年5月に10年ぶりに東京都が再評価し、公表された首都直下地震の余りにも現実離れした“軽い”被害想定結果からの流れである。確かなことは、政治に倫理観がないことである。これはガンジーの指摘するもう1つの大罪である『原則なき政治』に該当する。

 さて、結論めいたことを先に述べてしまったが、これから主張する本稿では、関東大震災や阪神・淡路大震災そして東日本大震を経験して、この100年間に「私たちは何を考え学んできたのか」について私見を述べて、なぜ大罪かを明らかにしたい。

 これらの大震災を経験して私たちが学んできたことは、ひょっとして間違っていたのではないのかという疑問にぶつかる。防災研究の初期には「災害の発生のメカニズムがわからなければ、有効な対策は立てられない」と考え、必然的に理学先行、工学追随の姿勢で始まった。ところが、戦後から1959年の15年間は、毎年のように千人以上が災害の犠牲になる『災害の特異時代』を経て高度経済成長期に入ると、災害の被害は激減した。国際的に『Japan As Number 1』と囃(はや)し立てられ、わが国は防災力も大きくなったと錯覚した。その時代は、たまたま自然災害の静穏期と重なっただけだった。1995年阪神・淡路大震災は、わが国の大都市での防災力が致命的に小さいことが露呈した災害だった。その時、気づいたのは災害の社会科学的なアプローチがほとんど欠けているという実態であった。確かに米国を中心とした先進国では、社会科学的アプローチで自然災害を解析するという実績が積み重ねられてきた。しかし、それらも残念ながら災害下位文化(Disas. Sub-Culture)という位置づけで、災害文化ではないと考えられて進められてきた。つまり普遍性がないという理由である。

 この考えに対して、真っ向から反対したのが筆者である。1980年代後半にそれを主張する災害文化に関する論文を公表し、自然災害の特質は、歴史性と地域性であることを主張した。これと軌を一にして研究対象を都市災害に変えた。大都市で災害が起これば、ライフラインや建築物の物理的な被害に留まらず、未曽有の住民が犠牲になり、都市社会全体が被災する危険性があるからである。そのとき、都市災害を専門にした研究者は、筆者1人だった。阪神・淡路と東日本大震災を経験して、社会科学的研究はわが国を中心に広範囲に実施されるようになった。でも残念ながら、多くのものは現在も災害下位文化の範疇(はんちゅう)に留まっている。研究成果は論文にまとめやすいが、災害文化に昇華できない質的レベルが低い論文が増えたままである。なぜそうなってしまったのか。その理由の1つは、研究者が現場で、災害に被災する悲惨さを十分経験していないからであろう。要は、頭でっかちなのである。筆者は、防災研究は実践的でなければならないと信じている。その教訓は、わが国だけでなく世界的な災害の現場を調査し、如何に災害が非人道的なものであるかということである。

 ではどうすれば災害文化が形成されるのか、その指針を出すことは大変難しいが、敢えて試みてみよう。現在、わが国では、国連のSDGsが社会的に大きな関心を巻き起こし、具体例が各種メディアによって毎日のように紹介されている。それは持続可能な開発目標と訳されている。実は、2015年の開始年に先だって、英語のディベロップメントを「開発」と「発展」のどちらに解釈するのかということで、途上国と先進国の間で鋭い対立があった。発展と解釈するためには先進国は財政負担を明記するべきであり、できなければ開発であるという途上国の主張通りになった。しかも、17の目標の中で最重要な第1目標『貧困をなくそう』は、実は『災害をなくそう』なのである。災害に遭遇したすべての国は例外なく貧しくなるのである。でも、国連加盟国で災害が多発するのはその3分の1である。だから全加盟国の同意を得るために表現を変えたのである。しかも、もっと日常生活的なレベルから、持続可能性、包摂性やレジリエンスを理解しなければならない。そして、コロナ・パンデミックに遭遇して、わが国より一人当りのGDPの多い国ほど感染率、死亡率が総じて高いという現実に遭遇した。そこでわかったことは、社会の防災力を向上させるためには、経済的に豊かになるだけでは不十分で、日常的な生活文化向上を重視する、すなわち『こころとからだの成長』を同時に進める必要があることだ。それは災害文化による発展と災害文明(科学)による開発の協同作業によってもたらされるのではないだろうか。現在は、情報化の進展とともに、後者だけが重要視されている。

 


2023年2月6日号 週刊「世界と日本」第2238号 より

令和5年(2023年)岸田政権の展望と課題

 

政治評論家
伊藤 達美
 氏

《いとう たつみ》

1952年生まれ。 政治評論家(政治評論・メディア批評)。講談社などの取材記者を経て、独立。政界取材30余年。中曾根内閣時代、総理官邸が靖国神社に対し、東條英機元総理ら“A級戦犯”とされた英霊の合祀を取り下げるよう圧力をかけた問題を描いた「東條家の言い分」は靖国神社公式参拝論争に一石を投じた。「国対政治の功罪」、「土井たか子のアタマの中身」など著書多数。

 国会放送記者会(民法クラブ会員)。自由民主「メディア短評」執筆陣。

少なくとも6月までの退陣なし

 

 令和5年の岸田文雄政権がどうなるか展望してみたい。

 昨年、岸田政権は参院選に勝利したものの、安倍元首相の国葬問題や旧統一教会問題をめぐる対応、さらには相次ぐ大臣辞任で支持率が大きく下落した。このため、「退陣は時間の問題」との見方が多いようだが、筆者の見方は違っている。引き続き綱渡りの政権運営を強いられるものの、少なくとも6月までは岸田政権は続くし、その後は秋口の解散・総選挙をにらむ展開となり、さらにそこで勝利すれば来年秋の総裁再選が視野に入ってくると予想する。しかし、そのためには3つのハードルをクリアしなければならない。

 最初のハードルは来年度予算を年度内に成立させることができるかどうかだ。

 今年の予算審議は難問山積である。

 昨年の補正予算で29兆円規模の経済対策を打ったものの、依然としてわが国経済を取り巻く状況は厳しい。10年にわたる「アベノミクス」でも克服できなかったデフレに加え、ロシアのウクライナ侵略などによる資源高、物価高が重くのしかかる。来年度予算に盛り込まれた経済政策が現在の経済情勢に十分かどうか、厳しい論戦が交わされることになるだろう。

 また、来年度予算は防衛力強化の初年度となる。昨年末に閣議決定した防衛3文書に記載された「反撃能力」や防衛費の財源問題など、これに反対の立場の立民党や共産党などは激しく政府を攻撃するだろう。なんといっても、これまでの安保政策の歴史的大転換である。政府答弁の難易度はこれまでになく高い。もし、答弁ミスが発生すれば、たちまち立ち往生となりかねない。

 加えて、旧統一教会問題や閣僚の不祥事も引き続き不安材料だ。

 通常国会は1月23日召集が決まった。当初、同27日召集説もあったが、4日間早めたのは予算審議の日程をしっかり確保したいからではないか。政権としても予算審議の重要性を十分認識していると思われる。

 次のハードルは4月の統一地方選と衆院補選である。

 予算の年度内成立を果たしたからといって、いったん沈んだ支持率が急回復することは難しい。もし、岸田首相の「不人気」が原因で統一地方選の結果が振るわなければ、地方から「岸田降ろし」の声が出かねない。また、4月下旬には千葉5区、和歌山1区、山口4区で衆院補選がある。ここで自民党候補が全敗することになれば、「岸田退陣論」が現実味を帯びてくることになる。

 ただ、仮にこうした事態になったとしても、退陣に向けて政局が動くのは統一地方選や衆院補選が終わる4月下旬となる。5月には広島サミットがあることから、その直前の退陣は考えにくい。だとすれば、仮に退陣表明が行われるとしても、6月中旬の通常国会の会期末近くになってからだろう。

 その後、自民党総裁選が行われ、実際に政権が変わるのは7月末か8月になるのではないか。「少なくとも6月までの退陣はない」と考える理由だ。

 逆に、予算が順調に成立し、統一地方選や衆院補選でそこそこの結果を残すことができれば、岸田政権は昨年来の窮地を脱した形となる。そこから先は冒頭に述べたように、筆者としては解散・総選挙をにらむ展開を予想している。

 解散時期については10増10減に伴う公認調整の進捗状況が大きな要素となる。これが最後のハードルだ。

 増員都府県の新たな候補者擁立と、減員県における現職議員の処遇がポイントとなるが、政治家の政治生命にかかわるだけに調整は困難を極めることになる。そのほか、区割り変更は全体の約半分の140選挙区に及び、各選挙区支部長は新たな選挙区での支援者獲得などに追われることになる。

 これも一定程度の時間を要するだろう。しかし、茂木敏充幹事長や森山裕選対委員長の精力的な動きを見ていると、秋口にも準備が整うと予想する。あとは状況を見ながら岸田首相が具体的な時期を判断することになるのではないか。

 もちろん、「政界、一寸先は闇」と言われる。何が起こるか分からない。特に首相自身の健康問題やスキャンダル、あるいは大災害や安全保障上の重大事案が発生すればまったく別の展開となることはいうまでもない。

 

「ポスト岸田」不在の「一強」状態

 

 昨年からの変化で見逃せないのが、岸田政権を支える自民党の挙党体制が整ったことである。おそらく、昨年11月以来、相次いで党内有力者と会合を重ねたことで、当面の政局運営についての共通認識を形成することに成功したのではないか。

 実際、総裁選で岸田首相を支持した麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長、遠藤利明総務会長はもとより、萩生田光一政調会長も政策面で党内取りまとめに汗をかく。また、非主流派から党4役入りした森山裕選対委員長も公認調整に全力で取り組み、菅義偉前首相や二階俊博元幹事長も首相を支える姿勢を示している。

 一方、ポスト岸田の有力候補と目される河野太郎デジタル担当相や高市早苗経済安保担当相に対する評価や期待度は流動的で不透明だ。また、安倍元首相という支柱を失った安倍派もポスト岸田を目指して動き出す状況にはない。そういう意味で現在の自民党は「岸田一強」状態とさえいえる。

 

変わった岸田首相

 

 これまでの岸田首相のイメージは、決断が遅く、問題先送りの弱いリーダーではなかったか。しかし、筆者の見るところ、昨年10月末、山際大志郎コロナ担当相(当時)を更迭したころから様子が変わってきたように思う。

 その後も2閣僚が辞任するなど厳しい運営が続いたが、臨時国会最終盤で第2次補正予算や旧統一教会被害者の救済新法の会期内成立を果たしたのは岸田首相の強い意志によるところが大きい。

 また、長年の懸案となっていた原発政策の転換や昨年末の防衛3文書の改定や防衛費の財源問題でもぶれることがなく政府・与党をリードした。今年に入ってからも、例えば、1月4日の伊勢神宮参拝後の記者会見では、これまで「中身が見えない」との批判があった「新しい資本主義」について雄弁に語り、少子化対策に対する積極的な発言も目立ってきた。

 中国の故事に「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という言葉がある。先入観にとらわれていると本筋を見失うことになりかねないのが、今年の政局かもしれない。

 


2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

自我形成から自己確立へ

 

拓殖大学顧問
渡辺 利夫
 氏

《わたなべ としお》

拓殖大学顧問・経済学博士・著述家

拓殖大学前総長、元学長。昭和14(1939)年、山梨県甲府市生

まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科修了。

経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授を経て拓殖大学に

奉職。専門は開発経済学・現代アジア経済論。(公財)オイスカ会長。

日本李登輝友の会会長。平成23(2011)年、第27 回正論大賞 受賞。

I 自己と他者

 

 私どもは、母親の胎内で生成し、この世に生まれてきます。私どもが初めて出会う他者が母です。他者であるとはいえ、きわめて密度の濃い「共生的」関係が母と子供の関係です。この母子の共生的関係から少し離れて存在するのが、父親です。母親とならぶもう一つの共生的関係にある他者が父親です。そして、その周辺にこれも多分に共生的な関係にある兄妹・姉妹さらには祖父母がいるはずです。いうまでもなく、これが家族です。この家族関係においては、自己と他者との関係は、それをみずからは選び取ることができない、そういう意味で運命的なものです。

 私どもは、まずは家族という共生的な他者の目の中に映る自己を確かめながら人生を出発させます。人生における最初の他者が家族です。家族という他者の目に映る自己が受容的であることを確認し、そうして私どもは「肯定的な自我」を形成していくはずです。逆に、母子関係、父子関係、家族関係がスムーズにいかず、緊張をはらむものであったりすると、「否定的な自我」が形成され、その後の人生の過程で私どもはさまざまな心理的葛藤に悩まされることになりかねません。

 幼児期、児童期を経て、少年・少女期、青年期に入っていくとともに、私どもは家族とは異質な他者との人間関係を取り結んで生きていかなくてはなりません。小学校、中学校、高校、大学へ進むとともに、血縁や出身地やその他のさまざまな属性において異なる人々との人間関係の中で生きていかざるを得ないのです。

 高校や大学を卒業していろんな企業、団体などの組織の中で働くようになれば、そこで取り結ぶ人間関係は、一段と錯綜したものとなりましょう。そうした人間関係の中でも、私どもは他者の眼に自分がどう映じているかを確認しながら、人生の船を漕いでいかなければなりません。きわめて多様な他者の眼の中に投影される自己を確認しながら、自己の他者への対応を変化させ、自我を確かなものとして形成していかなければならない。他者の眼に映る自分をつねに理性的に見据え、柔軟かつ自在に自己を変容させながら人生をしなやかに送るよう努めること、これが真に自立した人間の行動なのだと私は考えます。

 

II 自分史を書く

 

 人生とは経験の積みあげです。経験の文章化は、自分を再確認し、その後の自己を形成していくために欠かすことのできない作業だと私は考えます。自分史を書く絶好の機会が私にはありました。私の東京工業大学の退職は平成12年でした。最終講義で何を話そうか、随分思いあぐねたことを思い出します。経済学者が経済学のことをしゃべってもさして興味をもってくれそうにない。そう予想して私は「センチメンタルジャーニー—私の中のアジア」と、ややくだけたタイトルのレクチャーにしました。通常はあまり語ることのない自分史を、最後の機会なのだから一回くらいはみんなの前で話すのも悪くはないか、といった気分でした。

 その最終講義に雑誌Voiceの編集者の一人が聴講にきてくれていました。レクチャーが終わったところで彼は、“先生、今日の話、面白かったです。テープにとっておきましたので、それを原稿に起こしますから、朱入れしてうちの雑誌に掲載させてください”という。ゲラに結構な量の朱入れをしてできあがった論文を掲載してくれました。“最終講義が雑誌に掲載されることなんて初めてのことですよ”と後に編集長から言われました。

 自分史を書くという場合、出生に始まり現在にいたる年表のようなものをつくり、少年時代、青年時代、壮年時代、現在と大きく三つ、四つの時期を区分して、その中で自分にとって重要であったと思われる経験、その後の人生に与えた経験の意味などを書いてみたらどうでしょうか。一つのストーリーを書いていくと、書く前には想像もできなかったようなことどもが連想されてきて、内容は書いていくうちに段々と濃いものになっていきます。誰にも文章化しておきたい、そういう重要なことごとが人生の中にはあるはずです。

 

Ⅲ 経験と経験知

 

 私は大学を出てから日本化薬株式会社という民間企業に就職しました。そこで働き、その後に母校の大学院にいって博士号を取得、母校ではない大学の専任講師として教員・研究生活に入ったのです。

 就業期間は短いものでしたが、この民間企業での勤務は私の人生に大きな影響力を与えてくれた経験でした。会社を辞めた理由は、会社の仕事がいやになったからではまったくありません。“研究者としてなんとしてでも自立したい。その道に入るにはこの年齢くらいが限界かな”と思いを定めてのことでした。会社での勤務は、私にはむしろ大変、充実した時間でした。何よりその後の人生で経験することごとをみる時に、この時の経験ほど役に立ったものはないといってもいいほどです。

 会社に入ったのは昭和38年、翌年が東京オリンピック、「企業の時代」でした。私が勤務したのは、東京赤羽の荒川沿いに立地する医薬品製造工場でした。資材倉庫課に配属され、工場敷地内の各所への資機材の搬出入の事務を執り、傍(かたわ)らフォークリフトで化学薬品のドラム缶を主要部所に運び込むといったことも私の仕事でした。フォークリフトの運転免許や危険物取扱主任者のライセンスも当時取得しました。

 私が何より驚かされたのは、企業組織における人間関係でした。工場がコミュニティーを形成し、人々が相互に強く結びついて一つの小宇宙を形成しているではありませんか。赤羽の工場で観察した人間関係は、家族主義的としかいいようのない暗黙の合意を前提にした、まことに協調的なものでした。工場長はいつも菜っ葉色の作業服を着て、ネクタイなどつけておりませんでした。終身雇用を疑う者はおらず、少しずつではあれ給料が上昇していくことを楽しみとしていたようです。労働組合は確かに存在しましたが、労働組合が「経営側」と何かを争うという雰囲気を感じたことはありません。労働組合の方にも、そもそも経営側などという認識があったとは思われないのです。

 ここでは紙幅の関係もあって一つの経験しか書くことができませんでしたが、経験はこれを文章化することによって、初めて「経験知」となり、これが一つの確かなブロックとなります。別の経験を文章化してもう一つの経験知のブロックができあがっていきます。いくつもの経験知のブロックを積みあげていくと、簡単には崩れない経験知の大きな塊になります。このブロックの塊の大きさが、人間が成長したことの証なのではないでしょうか。さまざまな経験を、本当に自分自身の人生にとってかけがえのないものとするには、文章化がどうしても必要です。経験の文章化を継続すること、これを自分のクセのようにしてしまったらどうでしょう。人間が人間として成長し、自己を確立するには、これがどうしても欠かすことはできない条件ではないかと私は考えます。

 


2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

新年に日本の針路を思う

 

日本大学 危機管理学部教授
先崎 彰容
 氏

《せんざき あきなか》

1975年東京都生まれ。専門は近代日本思想史・日本倫理思想史。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院博士課程修了後、フランス社会科学高等研究院に留学。著書に『未完の西郷隆盛』、『維新と敗戦』、『バッシング論』、『国家の尊厳』など。

 

 令和五年の日本が、どのような時代を迎えるのか。私たちはどのような時代の渦中にいるのか。新年を占うには、過去からの俯瞰がかかせない。まずは昨年をふり返ることから始めよう。

 

 誰も知るように、昨年は憂鬱な事件一色だった。新型コロナ禍の窒息した気分を払ったのは、明るい話題ではなく、プーチンによるウクライナ侵攻だった。これまでどこか遠い話だった戦争が、にわかに緊張感を与えてきた。目下、年末のニュースは、防衛費増額の財源をめぐって、増税の可否で持ち切りである。

 また真夏の日差しの中、凶弾に倒れた安倍晋三元総理暗殺事件は、統一教会の存在をあぶりだし、いわゆる被害者救済法を成立させた。個人の自由な意思を抑圧する勧誘や、家族生活の維持を困難にする献金等にたいし、「十分に配慮」することを求める最中、改めて宗教とは何かが問われたのである。

 こうした事件の一つひとつは、脈絡もなく起きている。しかし筆者は、国内外の事件には、共通する時代の気分があると思う。

 それは現在が大きな転換点にあること、つまり「戦後レジームからの脱却」の時代に入ったという認識である。

 例えば、統一教会問題があぶりだしたのは、政教分離という問題である。戦前の日本は、戦争に突入する過程で日本国民に多くの犠牲と動員を強いた。

 それは当時の新興宗教の弾圧や戦争協力も含まれていた。したがって、戦後日本の基本的な考え方は、政治権力は抑制されるべきであり、信仰など個人の内面にかかわる部分については、介入を避けるというものであった。

 しかし今回、被害者救済法成立にあたり、与野党で論点になったのは、マインド・コントロールなど個人の内面について、与党が「配慮する」と規定したのに対し、野党がより強い禁止措置を求め、最終的に「十分に配慮する」に決着するというものだった。

 与野党の駆け引きは、冷静に眺めた場合、かなり奇妙な対立である。なぜなら野党はリベラル政党であるにもかかわらず、個人の内面にまで踏み込んだ強い禁止命令を求めたからだ。リベラルとは自由主義であり、個人の内面は本来、権力の介入を一切許さないと主張すべきである。にもかかわらず、与党より強い介入を求めたのが、今回の野党だったわけだ。

 私はなにも新年早々から野党批判がしたいのではない。問題は、戦後の私たちが常識とし、無意識の基準とみなしてきた政教分離が、耐用年数をむかえているということなのだ。統一教会問題で私たちに突きつけられたのは、国家権力は、あまりに理不尽な献金や精神支配をする団体にたいし、時に権力を発動して内面を救済することがあるということである。つまり宗教分野で「戦後レジームからの脱却」を行うべき時代がきたのだ。

 この観点から、今度は防衛費増額をめぐる議論を見直してみよう。ウクライナ情勢を受けて、防衛費の倍増と「国民全体」の増税負担が議論されている。増税ではなく国債発行を行う場合、将来世代に借金を先延ばしし、痛税感を回避できる。増税可否の論議を、自民党内の政争の具にしてはならないし、またマスコミが判で押したように繰り返す「説明不足」の議論も私は正直、聞き飽きた。

 大事な論点は次の点にあると思うからだ。

 戦後以来、日本は原則的に「吉田ドクトリン」すなわち軽武装経済重視の国づくりに励んできた。この常識と価値観が、国際社会の変化を受けて賞味期限が迫り、変化を余儀なくされているのだ。防衛もまた「戦後レジームからの脱却」の時期が迫っているのであって、その際、私たちが新たに直面する事態は、「決断力の有無」ということなのである。

 もし極東アジアの国から長距離ミサイルが飛来した場合、今のわが日本政府に数分以内で物事を決断する勇気があるだろうか。

 つまり平時かつ民主主義の最良の部分である「熟慮」とか「話し合い」を緊急事態モードに切り替え、決断という蛮勇をふるうことができるだろうか。

 このように考えた場合、安全保障の肝が、時に「説明不足」でも物事を即断即決することにあると分かるだろう。威勢のよい防衛装備品の充実、核シェアリングの必要性を叫ぶ前に、今、私たちが直面している精神的な脆弱性に注目すべきなのである。

 こうした宗教と防衛に関する戦後体制の危機があるにもかかわらず、私たちは有効な手段を見つけられていない。しかも歴史をさかのぼり、俯瞰した場合、現代は危機的様相を一層深めるとしか思えない。

 例えば今から百年前を思い出してみよう。一九一八年に第一次世界大戦が終結すると間もなく、世界はスペイン風邪の大流行に見舞われた。終息直後の二一年、日本国内では原敬が暗殺され、二九年には世界大恐慌が猛威をふるう。そしてヒトラーの登場が三〇年代の世界を激変させてゆくのである。

 つまり当時を政治・経済・外交でみた場合、まず大恐慌によって資本主義の危機が露呈した。その同じ時期、政治では議会制民主主義の限界が露呈し、ポピュリズムが独裁者を生み出していく。

 さらに外交においては、欧米中心の国際秩序に対し、日本が大東亜共栄圏構想を掲げて、挑戦していくことになるのだ。

 以上から何が言えるのか。百年前の世界は、民主主義・資本主義・外交秩序、いずれもが危機に直面していたということだ。だとすれば、令和五年の私たちもまた、同じ渦中にいるのではないか。

 昨年のウクライナ侵攻は、欧米秩序への挑戦を意味するだろう。グローバル経済は新型コロナ禍で失速し、今や資本主義は格差社会と同義語である。中国が台頭するということは、一党独裁型国家による民主主義体制の否定にほかならない。

 新年早々、暗い見通しを述べたかもしれない。だが大事なのは、今の自分たちの置かれた状況を「冷静」に把握することだ。この冷静さを失った時、危機になる。情報に翻弄され、本当の危機がやってくるのだ。そうならないための、忍耐の一年になることだろう。

 


2023年1月2日号 週刊「世界と日本」第2236号 より

日本よ、最善の道を歩もう

 

大阪大学名誉教授
加地 伸行
 氏

《かじ のぶゆき》

昭和11年大阪生まれ。同35年京都大学文学部卒業、高野山大学、名古屋大学助教授、大阪大学教授を歴任。現在、大阪大学名誉教授。文学博士。儒教を中心とする中国哲学史の研究とともに現代世相について批判・提言をしている。著書に『儒教とは何か』『マスコミ偽善者列伝』『令和の「論語と算盤」』など。

 

 謹賀新年。正月の諸刊行物やテレビ番組の中心テーマは、〈これからの日本〉であろう。事実、毎年、あれこれ書かれているし、テレビではそれらをテーマとするのが慣例。しかし、それら御高説のほとんどは〈一般論〉すなわち、なんとかを盛んにしましょう、かんとかに力を入れましょう、とかなんとか、当たり前のことを仰仰(ぎょうぎょう)しく言っているだけ。

 

 どこにも日本の将来を具体的に述べていない。大阪人の老生、それらを読み聞きしての感想はただ一つ。こうである。アホかいな。そして大阪弁の流行語を付け加えておこう、「なんか知らんけど」と。

 よっしゃ、そんなら大阪人の老生、キャーっと眼を剥(む)くような〈これからの日本〉について述べることにいたしたい。

 二点ある。まず第一点、こういう豪速球。

これからの日本は、〈鎖国で行こう、鎖国で〉これが日本の生きる最善の道である。

 明治維新以降、日本の学校教育の基調は、江戸時代封建制は誤りであり鎖国などもっての外として江戸幕府をボロクソにけなしてきた。そしてひたすら英米独仏などの近代国家を崇(あが)め奉って百五十年。

 しかし、英米独仏らは植民地政策で弱小国家から財物を収奪してきた。その結果、例えばアフリカの諸国家は独立国家として生きてゆく文化が育たず困っている。

 例えばアフリカの或る国の話。日本からの援助(ドル)の半分を政府幹部らがピンハネして自分らの懐(ふところ)に入れ、残りをその国家が使う。当然、目標未達成。すると臆面(おくめん)もなく、日本に援助増を求めてくる。それが近代化かよ。

 とにかく外国には根性悪いのがいっぱい。近代国家も後進国も、カネカネ、ゼニゼニ。こんな連中とつきあう必要があるのだろうか。

 江戸時代の鎖国は、外国からの侵略や植民地化を避けるための勝れた政策であった。もちろんそれだけではない。日本と戦争して、もし負けると敗軍の将は自分でハラキリしなければならない。それはかなわん、やりきれん、ということで外国は日本に来なくなった。しかし江戸幕府は、外国の様子は把握しておかねばならぬとし、オランダと中国(唐(から))とは常に連絡できるように連絡公館を長崎などにおいた。それらを通じて西洋事情や唐事情、例えば、ナポレオンの活躍などを把握していた。のみならず、限定的ではあったが通商もしていたのである。完全鎖国ではなかった。

 すなわち限定した相手国と通商や事情交換をしていたのである。ここだ、ここ。

 日本としては、例えば、アメリカは別格で通商をしよう。しかし、その他の国とは縁を切ろう。世界諸国に日本が出している工場はすべて撤退し、日本国内で生産をしよう。日本製品は優秀であるから、値段を今の倍にしよう。それでも外国は必ず求めに来る。

 そして、いま二百数十万人いるという外国人はその母国に帰ってもらう。彼らは、日本ではなくて、己の祖国のために働くべし。つまり、日本は日本人で構成することだ。

 当然、国防はアメリカとは協力しつつ日本人が中心となるべきである。日本は国防に徹し、絶対に外国へは兵を出さない。ただし、もし外国が日本に侵略してきたときは、当然闘うし、その外国への攻撃も行う。その責任は、すべてその外国にある。

 鎖国するのであるから、外国(アメリカ等を除く)とは、もうおつきあいはしない。舞台はすべて日本国内。外国のことなぞ、テレビやインターネットで知ればそれで十分。

 一方、当然、国民皆兵であるから、例えば体育はじゃらじゃらしたものはやめ、剣道、柔道、長距離走、体操などを中心とする。男女同様なのであるから、選択の必要はない。

 もちろん、キャンプや船に乗る訓練もしよう。同時に身体を使う職業訓練の初歩も行おう。

 自主独立、そして日本人たちの相互協力による選択的新鎖国で往け。

 次に第二点。人々は政府に対して、あれをしろ、これをしろ、と多くの要求をしている。政府は政府で、アレをします、コレをしますと、調子いいことを言っている。

 すかさず、評論家、それも経済評論家どもが政府にそんな金銭はないから無理、と叩く。すると政府は、国債を発行してそれを売り出して、それで得た金銭でゆきますと答え、平気でじゃんじゃん国債発行。

 そういうことが続いて、現在、日本の国家予算の四割前後が国債(借金)に対する利払いや満期返済費に使われている。家計で言えば、収入の四割が借金返済と同じ。

 このこと、われわれ庶民の生活に当てはめてみるがいい。例えばサラリーマン。月収が三十万円としよう。その四割の十二万円が借金返済用となれば、残りの十六万円で生活することとなる。それは始めから無理。そこで政府はミラクルボールを投げる。

 以下の話は、老生、三十年ぐらい前から提言しているのだが、だれ一人として見向きもしない。今後発行の国債に対しては一切課税しない。

 もちろん相続税なし。ここが大切。その新国債は現行の一万円札を刷ったあと、全面に日の丸を印刷して造る。この日の丸国債は通貨と同様としても使えるとする。しかし国債に付く利子はなし。

 となると、政府は日の丸国債をじゃんじゃん刷っても大丈夫。では誰が買うのか。大丈夫、相続税も消費税もないのだから、大金持ちはもちろん小金持ちも競争して買うであろう。ビンボー庶民も誇らしげに、ま、一枚(一万円分)ぐらいは買うか。

 すると、日本の人口の内一億人が、日の丸国債一枚(一万円)を買うと、それだけでポンと一兆円分の国債つまりは返済しなくていい現金が一兆円が政府の手に入り、それを自由に使える。といった計算が続いてゆく。

 この日の丸国債はいくら刷ってもインフレにはならない。なぜか。日本人は入手した余分の金銭はアメリカ人みたいにパァパァ使わず、がっちりと預貯金し、おネンネするからだ。

 鎖国そして日の丸国債—こういった思い切った政策を実行し国民を幸せにできる者こそ、真の首相である。

 


2023年1月2日号 週刊「世界と日本」第2236号 より

2023年経済安全保障と日本の針路

 

評論家
江崎 道朗
 氏

《えざき みちお》

1962年、東京都生まれ。九州大学卒業後、国会議員政策スタッフなどを経て2016年夏から評論活動を開始。主な研究テーマは近現代史、外交・安全保障、インテリジェンスなど。産経新聞「正論」執筆メンバー。2020年、フジサンケイグループ第20回正論新風賞を受賞。主な著書に『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』(PHP新書)など。

 

 いずれ日本も戦争に巻き込まれるかもしれない。そう考えて日本政府はその準備を始めた。

 現に昨年から北朝鮮のミサイル発射を受けてJアラートという名の「空襲警報」が頻繁に鳴り響くようになった。北朝鮮のミサイルがいつ日本に着弾してもおかしくない事態なのだ。

 しかも日本の平和と安全を脅かす「脅威」は北朝鮮だけではない。

 民主主義国家では、自国にとってどの国が脅威で、その脅威から自国を守るためにどのような国家安全保障戦略を採用するのか、文書をまとめ公表している。この国家安全保障戦略を日本が初めて策定したのは2013年、第2次安倍政権の時だった。

 このとき日本にとっての脅威は《国際テロ組織によるテロ》や《北朝鮮の軍事力の増強と挑発行為》などで、中国やロシアについては脅威と見なしていなかった。

 ところが国際社会では、南シナ海や尖閣諸島を含む東シナ海において軍事的挑発を繰り返す中国への反発が強まっていく。経済的にも中国は急成長を遂げ、いずれアメリカを追い抜くかもしれないと囁かれるようになった。

 かくして中国への警戒が強まる中、2017年1月、アメリカにおいて中ロの脅威に備えることを重視するD・トランプ共和党政権が誕生し、米中対立が一気に顕在化する。

 しかもトランプ政権に代わって2021年1月に発足したJ・バイデン民主党政権もまた、中ロを脅威と見なす国家安全保障戦略を公表した。

 要はアメリカが超党派で中ロを脅威と見なすようになったことを受けて2022年4月26日、小野寺五典会長率いる自民党安全保障調査会は、日本も北朝鮮だけでなく、中ロの脅威に備える国家安全保障戦略を策定すべきではないかと提案した。

 この提案を踏まえて政府の国家安全保障局は、中ロの軍事的脅威についての分析を行い、その結果を9月30日、官邸に設置された「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」第1回会合において報告した。

 『安全保障環境の変化と防衛力強化の必要性』と題する報告によれば、中国の圧倒的な軍事力に対して現有の防衛力ではとても対応できず、抜本的な強化が必要だという。

 戦争は軍事バランスが崩れたときに起こりがちだ。そして日本周辺の軍事バランスは、中国が圧倒的に優位に立っていて、日中の差は今後、ますます開いていくことが判明したのだ。

 日本としてはオーストラリア、インド、イギリスなどの同志国を増やすことで中国を外交的に牽制しようとしているが、このままだと軍事力不足のせいで紛争を抑止できず、有事つまり戦争に巻き込まれるかもしれない。

 そこで岸田政権は「有事」に備えるべく9月22日、この有識者会議を設置した。その「趣旨」にはこう記されている。

《有事であっても、わが国の信用や国民生活が損なわれないよう、経済的ファンダメンタルズを<RUBY CHAR="涵養","かんよう">していくことが不可欠であり、こうした観点から、総合的な防衛体制の強化と経済財政の在り方について、検討する必要がある》

 有事、つまり戦争になったときに、アメリカを始めとする国際社会が味方してくれるよう《わが国の信用》を高めると共に、戦争になればウクライナのようにインフラを壊され、貿易も制限され、エネルギーや食糧・医薬品の不足から《国民生活が損なわれる》ことになりかねないため、その対策を今から検討・準備するのがこの有識者会議の「趣旨」なのだ。

 9月30日、第1回会議に出席した岸田首相も《有事であっても我が国の信用や国民生活が損なわれることを防がなければなりません》と発言している。会議の出席者からも《有事においても経済活動や国民生活の安定を維持していくには、機動的に財政出動できるよう、一定の財政余力を平時から保持しておく必要》という不気味な発言が飛び出している。

 戦争になれば、膨大な武器・弾薬、燃料などの戦費が必要になる。

 被災した国民のための医薬品、避難施設の準備を含めた衣食の提供も必要だ。そのために平時から財政余力、つまり戦費を準備しておく必要があると言っているわけだ。

 11月9日、第3回会議において佐々江賢一郎座長が提出した「議論の整理」でも、有事を想定した以下のような発言が記されている。

《有事における海外からの資金や資源などの安定調達が、日本にとり死活的に重要なことは明らか。もし、有事に物が手に入らない、円安進行でインフレが止められないといった事態になれば、国民生活がさらなる危機の渦中に追いやられ、国民の一体性が保てなくなりかねず、そうしたリスクを避ける備えは重要》

 国民生活を維持するうえで重要な物資が、有事になると手に入らなくなるかもしれない。よって事前に備蓄したり、生産施設を増やしたりしておかなければならないというわけだ。

 そこで2022年5月に制定された経済安全保障推進法に基づき岸田政権は、有事に際して供給が滞ると国民生活に支障が出る「特定重要物資」の選定を進め、11月16日、官邸で開かれた「経済安全保障法制に関する有識者会議」に対して、半導体、蓄電池、永久磁石、重要鉱物、工作機械・産業用ロボット、航空機の部品、クラウドプログラム、天然ガス、船舶関連機器、抗菌薬、肥料の計11分野を提示した。

 今後、民間企業がこれらの物資について設備投資や備蓄などの計画を作成し、所管大臣の認可が得られれば、企業は政府から資金支援を受けられることになる。

 岸田政権は既に令和4年度第2次補正予算案にその関連費用として1兆358億円を計上している。有事に備えて重要物資を備蓄したり、生産設備を増やしたりするよう民間企業に要請する代わりにその経費を政府が負担する仕組みだ。

 2023年、日本は戦争を抑止すべく同志国との連携を更に強め、防衛力を抜本的に強化するだけでなく、抑止に失敗した場合を想定して官民挙げて「有事」への備えを本格化させていくことになる。

 


2023年1月2日号 週刊「世界と日本」第2236号 より

今年の政治点描
反転攻勢なるか岸田政権

 

評論家
ノンフィクション作家
塩田 潮
 氏

《しおた うしお》

1946年高知県生まれ。慶大法卒。雑誌編集者、月刊『文藝春秋』記者などを経て独立。『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。『大いなる影法師』、『昭和の教祖 安岡正篤』、『田中角栄失脚』、『日本国憲法をつくった男 宰相幣原喜重郎』、『密談の戦後史』、『東京は燃えたか』、『内閣総理大臣の沖縄問題』、『危機の権力』、『解剖 日本維新の会』、近著に『大阪政治攻防50年』など著書多数。

 

 12月10日、臨時国会は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の被害者救済新法を、共産党などを除く与野党の賛成で成立させ、延長なしで閉会した。岸田文雄首相は在任9カ月で衆参選挙を乗り切って2年目を超えたが、9月以降、内閣支持率急落、朝令暮改答弁、3閣僚交代などで大逆風に直面した。何とか持ちこたえて新年を迎えるという展開だ。

 

 2023年は3つの意味で政治の大転換点に当たる年である。

 まず歴史を大きくとらえると、明治維新の1868年から現在までの154年は、1945年の敗戦までの戦前期の77年と、以後の戦後期の77年に区分できる。2023年はその次の「新時代」の入り口の年となる。

 第2に、23年は自民党の野党初転落の93年から数えて30年目だ。30年で野党を2度、経験したが、「2度あることは3度ある」の言葉どおり、3度目の下野が起こるかどうか。

 第3は、12年12月26日の自民党政権復活から満10年である。当時の石破茂幹事長が後にインタビューで口にした「何があっても最低10年は与党を続けなければ」という言葉が今も耳に残っている。

 「自民党政権の賞味期限は最低10年」と強調したが、同時に、与党自民党の耐用年数は10年かも、と思った。耐用年数の10年目、迷走の岸田首相は賞味期限切れ寸前と映る。

 岸田氏は28年ぶりの「宏池会首相」だが、宏池会の伝統の「経済重視・リベラル」の路線や「徹底した現実主義」、岸田流の「聞く力」が表看板だ。衆参選挙乗り切りのために22年7月の参院選まで安全運転に徹したが、以後、自前走行となった途端、次々と「裸の実力」が露呈した。

 掲げる「新しい資本主義」は生煮えの看板倒れ、政策の構想力と実現力、政権運営力、危機対応力はいずれも未熟で、権力未掌握の「欠陥首相」という素顔が明らかになる。国民は政権担当1年目で看板の裏側の実像に気づき始めたようだ。

 岸田首相は自民党国会対策委員長、外相、政務調査会長などを経て政権を手にしたが、内閣官房長官、官房副長官、自民党幹事長はすべて未体験だった。岸信介元首相以降の計21人の自民党首相では超短命の宇野宗佑氏、逆手戦法で乗り切った小泉純一郎氏、岸田氏の3人だけである。

 政権の中枢や党務の要の経験なしで首相となったため、政権運営や権力行使の本質に対する理解が乏しい。それが「欠陥首相」の原因という指摘もある。

 岸田流政治は霞が関の官僚機構への依存が目立つ。官僚主導は宏池会政治の特徴との分析もあるが、首相の権力未掌握による求心力の欠如の裏返しという見方も有力だ。

 期待外れ、役立たずという失望感が国民の間に広がり、そろそろご用済みと見限る空気も強くなる。民意の岸田離れが政権失速の主因であった。

 野党はこの政権漂流を見逃さなかった。

 22年8月26日、野党第1党の立憲民主党は泉健太代表の下で新執行部を発足させた。野党第2党の日本維新の会も翌27日、馬場伸幸新代表を選出した。

 両党は長らく「水と油」「不倶戴天」の関係だったが、「呉越同舟」に舵を切る。9月21日に政策合意を発表し、国会での共闘体制を作り出した。

 10月3日からの臨時国会で、連携して岸田政権を追い詰めた。統一教会問題の新法では、法案成立の前、首相側に譲歩を飲ませた。

 野党側で「非自民・非共産の結集」を目指す国民民主党の前原誠司代表代行は「非常に望ましい動き。中道保守の改革勢力の緩やかな固まりを」と説く。問題はこの後、国会共闘を選挙共闘までレベルアップできるか否かだが、簡単ではない。

 「立民との選挙協力はノー」の松井一郎大阪市長(維新前代表)や、維新嫌いの労働組合の連合の存在という高い山がそびえる。

 とはいえ、カギを握るのは国民の民意だ。民意が政権交代可能な政党政治の復活という方向を望めば、山が動く可能性が高くなる。

 政権交代可能な政党政治の復活は、現実には現在の「自民1強」の突破、つまり自民党の過半数割れの実現が不可欠だ。それには野党側による与党分断の成否がカギとなる。

 分断の起爆剤は、安全保障政策、背中合わせの防衛予算と財源としての増税対策、その根幹の憲法問題の3点と見る。与野党の枠を越えて新しい緩やかな固まりを生み出すために、野党側はこの3点で民意が支持する旗と軸を提示できるのか。

 当然ながら、与党側も同じ視点と戦略に立って「野党の分断」を策するはずだ。すでに分断の仕掛けは水面下で始動している。

 岸田首相の23年の取り組みは、言うまでもなく政権の立て直しである。最短でも24年9月の自民党総裁任期満了までの政権維持が悲願に違いない。

 実際には、このままでは政権の死に体化、さらに早期退陣もありうる情勢だ。自ら設定した5月の広島サミット(主要先進国首脳会議)閉幕直後の退陣を意味する「サミット花道論」や、4月の統一地方選後の交代を唱える「4月政変説」なども飛び交っている。

 「いつの時代も政権の危機脱出策は2つに1つ。正攻法の正面突破か政局転換のための『リセット解散』のどちらか」といわれる。岸田首相には「政権維持の切り札は衆議院の解散」という明確な自覚があると見て疑いない。リセット解散は視野にあるはずだ。

 ただし、早期解散には2つの壁がある。「サミット前の退陣」リスクを伴う4月以前の衆院選の確率は低いと見られる。もう1つは、不人気首相の下での衆院選に対する自民党内の「解散ノー」の大合唱も予想される。

 となれば、正攻法の正面突破作戦に賭けるのか。コロナ対策、旧統一教会問題、物価や円安などの経済政策、安全保障など、喫緊のテーマに正面から取り組み、得意分野と自負する岸田外交で得点を挙げて危機脱出を図る。

 そうやって長期政権の基礎を築く王道の政治に挑むことができるのかどうか。岸田首相は視界ゼロの胸突き八丁が続く。

 


2022年12月19日号 週刊「世界と日本」第2235号 より

視界不良の岸田政権
〜反転攻勢なるか 越年の課題〜

 

NHK放送文化研究所
研究主幹
島田 敏男
 氏

《しまだ としお》

1959年山梨県甲府市生まれ。81年中央大学法学部政治学科卒、日本放送協会入局。福島、青森放送局記者を経て、報道局政治部記者となり中曽根内閣以降の政治報道に携わり、2001年より解説委員となり「日曜討論」キャスター、解説主幹、解説副委員長、名古屋拠点放送局長を歴任し、20年7月より現職。

 

 安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れたのが7月8日。その2日後の10日投開票の参議院選挙で、岸田自民党は野党の分裂にも助けられて「そこそこの勝利」を収めた。

 

 「大勝利」と言えないのは、比例代表の得票率が伸び悩み、改選前の19議席から1議席減らしたから。バラバラの野党にも風は吹かないが、自民党に対する大きな期待があるわけでもない。そんな状況の中での「そこそこの勝利」だったわけだ。

 その危うさは、8月に入ると顕在化してきた。NHK月例電話世論調査では、参院選直後の7月調査で内閣支持率が59%と発足以来のピークを記録したが、8月以降は低下傾向が続き現在に至っている。8月46%、9月40%、10月38%、11月33%で、各種世論調査と軌を一にするトレンドだ。

 本稿執筆時の11月下旬時点で俯瞰してみると、「岸田内閣が挙げた成果と言えるものがなかなか見えてこない」「岸田内閣はふわふわしている」という国民の受け止めが少なくないことを物語っている。

 安倍元総理が健在だった7月8日の事件前までは、総理OBとなった安倍氏が展開する安全保障などでの保守的、あるいはタカ派的な政策提言を浮揚力として受け止め、それに対し「ちょっと待った」と言いながら国民に慎重さをアピールする面があった。安倍氏を利用していたと言えなくもない。

 しかし、それは成果や実績とは別もので、向かい風を利用して空に舞い上がるグライダーの姿にも似たものだった。それが安倍氏の死によって浮揚力を失い、失速の憂き目にあったとも言える。

 ただし、問題の所在はそれだけではないだろう。8月以降続く内閣支持率の低下理由を考えると、大きく以下の3つのことが密接に絡まった結果と指摘せざるをえない。

 1つ目は凶弾に倒れた安倍元総理を閣議決定によって国葬で追悼した点。そこには評価が割れている政治家の追悼を全額国費で行った、実施の根拠が曖昧なまま国会の議論を経ずに決めた、中曽根元総理も内閣・自民党合同葬だったではないか、などの不満がまとわりついていた。

 2つ目は旧統一教会と自民党の関係について疑問が残り続けている点。安倍氏の命を奪った容疑者の供述がきっかけになり、霊感商法などが社会問題化してきた旧統一教会と政治家の関係に改めて厳しい目が向けられた。それにも関わらず自民党が国会議員本人からの申告に基づく「点検」にとどめていることに対し、中途半端さ、曖昧さを感じている国民は多い。

 3つ目は、山際、葉梨、寺田の3閣僚の事実上の更迭に至る判断が遅かった点。国会での野党の追及に対し「職責を全うする」と繰り返し答弁させておきながら、各種世論調査で厳しい数字が出るたびに遅ればせながらの辞表提出が繰り返された。このお粗末さには自民党内からも批判が出ている。

 では、以上の3点がくすぶり、さらに現在進行形の今、なぜ「岸田降ろし」が顕在化してこないのか。それはひとえに国政選挙が暫くないからという事情に過ぎない。去年9月、目前に控えた自民党総裁選を前に、菅総理・総裁が続投断念に追い込まれたのは、10月に任期満了が迫っていた衆議院選挙をにらんで、全国の自民党支持者が「菅降ろし」に走ったからだ。コロナワクチン接種の実施を強力に推し進め、東京オリンピック・パラリンピックを無事に開催させた菅氏だったが、「選挙の顔を変えなくては勝てない」という自民党支持者の悲鳴には抗しきれなかった。

 内閣支持率の低下は、無党派層や野党支持者の岸田離れが大きな要因だが、来年4月に統一地方選挙を控える中で、岸田内閣を支える自民党支持者の中に変化が出ているのかどうかも気になるところだ。NHK世論調査の7月と11月を比べてみると、全体の内閣支持率は7月59%⬇︎11月33%、自民党支持者の内閣支持率は7月86%⬇︎11月59%。全体の支持率低下の割合が、自民党支持者の支持率低下の割合とほぼ重なる。つまり政権の足元で著しい「岸田離れ」が起きているのだ。

 自民党の国会議員の中には「衆院選や参院選を控えていれば『岸田降ろし』が表面化しかねないが、当面は来年4月の統一地方選だけだからそうはならない」と定番の答えを語る人たちもいる。だが、果たしてそうなのだろうか。私は日頃から地方議会の議員たちとの意見交換を心がけているが、10月あたりから「このままでは来春の選挙で当選できない」という自民党所属議員の悲痛な声を耳にするようになった。

 11月のNHK世論調査では次のような質問もしている。『旧統一教会と国会議員の関係が、相次いで問題になっています。あなたは、地方議員も関係を点検し、明らかにすべきだと思いますか。それとも明らかにする必要はないと思いますか』⬇︎明らかにすべきだ71%、明らかにする必要はない18%、わからない、無回答11%

 国民の7割が「明らかにすべき」と答えているところに、旧統一教会を巡る問題に対する依然として厳しい視線を感じる。統一地方選に向けて、自民党の支持者や候補者の不安を解消するには党としての対応が必要だろう。

 一方で、国民に向けて必要なメッセージは何か。明確に言えることは、年明け以降に岸田政権が何を中核的な政策として進め、どういう優先順位で臨むかの表明だろう。総理大臣就任にあたって「新しい資本主義」と大風呂敷を広げたために、逆に何に力を入れようとしているのかが分かりにくくなっている。岸田総理は日本の将来を見据えた人口減少対策、当面のエネルギー危機を回避するための原発再稼働、経済構造の転換を促す国内投資の活性化に力点を置こうとしているとも伝えられる。

 であればこそ、年末記者会見から年初の施政方針演説にかけて、内外に向けた発信の機会に、柱となる政策の意図表明と優先順位付けを行うべきだ。それこそ「できなければ辞める」覚悟がにじむような強烈な発信がなければ統一地方選も耐えられない。反転攻勢はそこからだろう。

 


2022年11月7日号 週刊「世界と日本」第2233号 より

岸田政権は日本経済を救えるか
〜「新しい資本主義」には戦略的改革が不可欠

 

大阪経済大学特別招聘教授
経済評論家
岡田 晃
 氏

《おかだ あきら》

1947年大阪市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。記者、編集委員を経てテレビ東京に異動。WBSプロデューサーを経て、ニューヨーク支局長、テレビ東京アメリカ初代社長、テレビ東京理事・解説委員長。06年より経済評論家として独立し、大阪経済大学客員教授に就任。主な著書に『明治日本の産業革命遺産』など多数。

 

  岸田政権が発足して1年余りが経つ。最近は、旧統一教会問題などで批判が高まり、支持率が急低下。看板政策の「新しい資本主義」も依然としてあいまいなままで、直面する物価高や円安などを乗り切るべき経済対策は精彩を欠いている。岸田政権は果たして日本経済を救えるのか?

 

 10月28日、岸田政権は事業規模71兆円にのぼる総合経済対策を決定した。タイトルは「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」。

その主な内容は、

① 物価高騰対策と賃上げ(電気・ガス代の支援、中小企業の賃上げ支援など)、

② 円安を活かした「稼ぐ力」の回復強化(観光支援、地域活性化、円安を活かした経済構造の強靭化など)、

③「新しい資本主義」の加速(人への投資強化と労働移動の円滑化、DXやGX推進、妊娠女性への10万円支給など)、

④ 国民の安全・安心確保(ワクチン接種体制強化、経済安保・食料安保、子どもの安心・安全対策支援パッケージなど)

 などとなっている。

 ここに挙げたものは要約に要約を重ねたもので、実際には4本柱に沿って数多くの政策項目が並んでいる。個々の対策は妥当なものが多く、それなりの経済効果が期待できるように見える。

 政府は、同対策が実質GDPを4・6%押し上げ、消費者物価上昇率を1・2%程度抑制すると試算している。これに対し民間エコノミストの間では「実際のGDP押し上げ効果はせいぜい2%台」との見方が多い。それでも2%台の経済効果なら、もう少し評価されてもよさそうなものだが、政府の経済政策に敏感なはずの株式市場ではほとんど話題になっていない。

 それは、既存の対策項目を総花的に集めたものが多く、中身が薄いと受け止められているからだ。事業規模を大きくすることが優先され、実際に対策をどのように実現するかが示されていない。全体として「物価高克服・経済再生」いうイメージがわいてこないのである。

 実は、岸田政権は今年4月に総額6兆円余りの「緊急対策」、9月に3兆円超の「追加対策」を策定している。いずれも同じようなパターンで、今回の対策にはその繰り返しの内容も少なくない。

 そのうえ、これまでと今回の対策は、補助金や交付金、給付金などの支給が中心という特徴がある。こうした経済対策の中身、そして規模ありきという発想、これらはいずれも1990年代の景気対策でさんざん見てきた光景だ。

 バブル崩壊後、宮沢内閣から森内閣までの歴代政権(細川政権を含む)は合計9回、合計121兆円の経済対策を打ってきたが、回を重ねるごとに規模を競うようになっていった。一時的な景気テコ入れでは一定の効果があったものの、目先の対策に追われ、バブル崩壊で傷んでしまった日本経済を抜本的に立て直すような政策はほとんどとられなかった。このことが、経済低迷が長期化した一因だ。

 2001年に登場した小泉政権が構造改革を打ち出したのは、そうした90年代の教訓の上に立ったものだった。「構造改革なくして景気回復なし」と叫んだ小泉首相の言葉が、そのことを端的に表している。小泉首相は就任早々、構造改革の具体的な柱として、金融機関の不良債権処理、道路公団民営化や郵政民営化、規制緩和など、明確でわかりやすいテーマ、そして実現のための改革戦略を示し、首相の強いリーダーシップで推し進めていった。

 安倍政権のアベノミクスも、「デフレ脱却と日本経済再生」という明確で適切な目的、それを実現するための「3本の矢」というわかりやすい戦略を打ち出した。これも、異次元の金融緩和(第1の矢)など、旧来型の景気対策を超えた“改革”であり、アベノミクスは改革志向の強い経済政策であったと言える。

 小泉、安倍の両政権にはそれぞれ批判や異論もあったが、かなりの程度、日本経済を回復させたことは間違いない。両政権が長期政権となったのも、そうした改革の成果でもあると言えるのだ。

 これらの歴史の教訓は、日本経済の構造的強化のためには、明確でわかりやすい方針と具体的な戦略、トップのリーダーシップによる「改革」が必要ということである。

 しかし残念ながら、これらが現在の岸田政権に欠けている点なのである。むしろ、政策の中身や政策決定プロセスが90年代に逆戻りしている感さえある。

 看板政策の「新しい資本主義」にしても、依然として目的がはっきりせず、全体像があいまいだ。首相は当初、「新自由主義からの転換」とうたい「分配」を重視していたが、徐々に「分配」よりも「成長」への言及が増えていった。具体策でも、たとえば金融所得課税強化を言い出したり引っ込めたりで、軸そのものがブレている印象だ。

 さらにカギとなるのが「改革」である。首相は就任後しばらくの間、「改革」という言葉をほとんど使わなかった。その理由について、あるインタビューで「改革という言葉は冷たい印象を与える」と語っている。だが改革を避けていては、日本経済再生はおぼつかない。

 首相は最近、賃上げや労働移動の円滑化を重視している。それが重要なことは筆者も全く同感だが、そのためには、労働市場を硬直化させている現行の労働諸規制や制度の改革、労働慣行の見直しなど、大胆な改革が欠かせない。補助金や給付金を配るだけでは、日本経済の力そのものを強くすることはできないのである。

 今からでも遅くはない。岸田首相は「新しい資本主義」でどのような日本経済の姿をめざすのか、それを実現するための目標と戦略をわかりやすい形で国民に提示することが必要だ。そのうえで総花的に政策を並べるのではなく、重点策を明確にし、そのための改革に踏み込むことが求められる。それが、岸田政権が現在の正念場を乗り切る道でもあるのだ。

 


2022年11月7日号 週刊「世界と日本」第2232号 より

最近の風水害の変化と被害軽減策の提案
~住民の新たな災害文化の醸成~

 

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長
京都大学名誉教授
河田 惠昭
 氏

《かわた よしあき》

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長、人と防災未来センター長。京都大学名誉教授。国連SASAKAWA防災賞、防災功労者内閣総理大臣表彰など受賞。日本自然災害学会および日本災害情報学会会長を歴任。主な著書に『これからの防災・減災がわかる本』『にげましょう』『日本水没』『津波災害(増補版)』等。

 

 ここでは、風水害とは台風や集中豪雨による水害とし、最近起こっていない高潮は対象としないことにする。

 

 

劇的に変わった水害の特徴

 

 まず、線状降水帯による豪雨で、水害の起こり方が劇的に変化した。これについては、国土交通省の社会資本整備審議会河川分科会の専門家も気づいていない。順序を追って説明しよう。1976年から始まった気象庁のアメダスによる観測期間は、40年を少し超えているが、1995年までの前半の20年間とその後の2015年までの20年間を比較すると、つぎのような明白な差が発生している。1時間に50、80、100㎜以上の雨量の観測回数は、後者の方が1・36、1・63、2倍というように、激しい雨ほどよく降るようになっている。この傾向は、2016年から現在まで続いていることも確かめられた。この変化が、水害という形でどのように変化したのだろうか。図は同省が毎年出版している河川データーブック2020に掲載された図に加筆したものである。これから1996年頃から一般資産水害密度(1ha 当たりの被害額)が倍増(これを相転移という)していることがわかる。この事実は、2000年以降の水害データーを解析しても明らかにならない。なぜなら、劇的な変化はその5年前に起こったからである。豪雨の原因が線状降水帯の形成らしく、それが2012年九州北部豪雨災害として顕在化してきたというのが通説になっている。

 なぜ水害密度が倍増したのか。その原因は、浸水家屋数は経年的に顕著に変化していなくても、床上浸水家屋が増えたからである。後述する『相転移』によって、水害被害の出方が、これまでの破堤氾濫から越流氾濫に変化した影響が出ているのである。これと同時に、内水氾濫でも床上浸水家屋が増えていることも挙げられる。

 

添付図の説明

 浸水面積や被害額に比べて一般資産水害密度だけが1996年頃から突然、倍増して現在までその傾向が続くことを表している。

社会現象としての『相転移』で、激増した水害被害

 

 誰もが知っているように、水は0℃以下では氷に変化する。液体が突然固体に変わることを熱力学では『相転移』と呼ぶ。これが社会現象でも起こることを筆者は発見し、その実例を紹介した。1995年阪神・淡路大震災や2011年東日本大震災が巨大災害となったのは、いずれも相転移が起こったからである。

 前者では、老朽木造住宅が地震の強い揺れで瞬時に全壊・倒壊して大量の住民が犠牲になった。後者では、地震後、津波来襲下で大勢の住民が直ちに避難しなかったからである。いずれも事前対策の徹底によって、被害軽減は可能であった。

 この相転移現象に着目すれば、大災害時に相転移が起こらなければ被害は標準的な危機管理手法の適用で中庸化できることを期待してよいだろう。つまり、日頃の防災対策が効果を発揮するというわけである。『何が原因でわがまちの風水害被害が大きくなるのか』ということが事前にわかれば、そうならないように対策すればよいのである。阪神・淡路大震災の場合は、震災前の老朽木造住宅の耐震化であり、東日本大震災では、大津波警報が発表され、避難指示が出れば確実に避難するという行為である。いずれの震災でも実際には不完全だった。

 

住民の災害文化による被害軽減策

 

 災害文化とは、言い換えれば日常の習慣であり、科学的根拠がなくても、「そうした方がよい」と考えられるのであれば実行すればよい。だから、自助で簡単に実行できる。たとえば、大雨警報が出ると道路が浸水している危険があり自動車の運転に気を付けるとか、1階で浸水して困るものは2階に置いておくなどの努力である。

 想像できないような豪雨が降るようになり、従来の災害文明的(科学的)な治水対策は、たとえ流域治水を考慮しても十分ではないだろう。しかも、時間も経費も必要だ。したがって、自助・共助努力による災害文化的な軽減策が必須となる。まず、河川の氾濫(外水氾濫)と市街地の浸水(内水氾濫)に大別して考えよう。まず、外水氾濫では、木造平屋建てが最も危険である。だから、豪雨の場合、万が一を考えて近所の二階建住宅に避難できるようにお願いしておく必要がある。とくに要介護者など避難行動要支援者が在宅の場合は、近隣住民の協力も必須であり、事前に訓練するなど準備しておかなければならない。ただし、2階の天井まで浸水する危険のある所ではこれでは不十分で、事前にタイムラインを導入して行政と協働して実行環境を作る必要がある。2020年球磨川の水害では、2階の天井まで水没した地域でも死者は出なかった。タイムラインによって事前に安全な場所に避難したからである。タイムラインは3種類用意しなければならない。自治体(他機関連携)、コミュニティ(町内会)、家族と私のタイムラインであり、それぞれ公助、共助、自助に対応する。

 一方、内水氾濫のハザードマップは自治体が用意していないのが一般だ。たとえ浸水しても2階におれば安全だからだ。そこで、過去に床上浸水した地域では、大切なものは日頃より2階に上げておくことで被害を免れる。内水氾濫では、浸水対策をしていない地下空間、たとえばマンションの地下駐車場などは水没する。事前に下水の排水管の逆流などによる水没危険性をチェックしたほうがよい。心配なのは洪水ハザードマップで床上浸水する地域である。そこでは、もし電線地中化しておれば、地上に設置してある変圧器塔の浸水によって停電する危険がある。

 

参考文献

(1)河田惠昭:都市災害の特質とその巨大化のシナリオ~災害文化論事始め~、自然災害科学、Vol.10,No.1,pp.33-45.

(2)河田惠昭:相転移する社会災害への対処―COVID-19と豪雨災害の場合―、社会安全研究、Vol.11,pp.37-56,2021.

(https://www.kansai-u.ac.jp/Fc_ss/center/study/pdf/bulletin011_11.pdf)


2022年10月17日号 週刊「世界と日本」第2231号 より

豊作貧乏の日本経済

 

元国税庁長官 ベトナム簿記普及推進協議会名誉理事長
大武 健一郎
 氏

《おおたけ けんいちろう》

昭和21年生まれ。東京都出身。昭和45年東京大学卒業後、大蔵省(現財務省)入省。大阪国税局長、国税庁長官を歴任。退官(平成17年)後、商工組合中央金庫副理事長。現在、大阪大学大学院医学系研究科招聘教授、北京中央財経大学名誉教授。著書は『「平和のプロ」日本は「戦争のプロ」ベトナムに学べ』(毎日新聞社)など多数。

 

1 2000年以降の日本経済

 

 日本経済は2000年以降20年以上にわたって大幅な経済成長も物価上昇もほとんど経験してこなかった。この間、安倍政権は財政赤字と異次元の金融緩和を続け、経済成長と2%の物価上昇を目指してきた。しかし、思ったほどの経済成長も日銀が目標とした2%の物価上昇も実現しなかった。

 22年になり、ロシアによるウクライナ侵攻と中国のゼロコロナ政策が影響して、石油や小麦等の資源価格が上昇して円安の加速とあいまって、日本は輸入インフレによるコストプッシュ型のインフレが起こっている。このまま推移すると、日本ではスタグフレーション(不況下のインフレ)が起きることも懸念される状況になってきている。

 

2 活発化しない消費需要

 

 需要サイドに着目すると、日本の生産年齢人口(15歳〜64歳人口)の減少による消費需要の停滞が背景にあると思われる。2000年に8600万人であった生産年齢人口は20年には7500万人と、この20年間で1100万人減少した。

 それに対し、高齢者人口(65歳以上の人口)は2000年に2200万人であったが、20年には3600万人にと1400万人も増加した。したがって、総人口は2000年も20年も1億2600万人台でほとんど変わらなかったにもかかわらず、生産年齢人口が大きく落ち込んだことで、個人消費需要は低迷してきた。

 老人になると働き盛りに対し食事等必要とするものが減少し、モノは持って死ねないために欲しいモノも少なくなる。そのため、生産年齢人口が減少し、高齢者人口が増えると全体として個人消費は減少する。

 その結果、消費需要の70%を占める個人消費が低迷したのだ。もちろん、若い方々の消費需要は活発だが、若い方々の所得は相対的に低く、かつ若い方々の人口が減少しているため、消費需要は活発化しなかったのだ。

 

3 なぜ物価上昇が起こらなかったのか

 

 他方、供給サイドについては、生産者側が売上増にばかり固執してきたことに原因があると思われる。戦後の人口増加、特に生産年齢人口の増加の時代以来、モノは作れば売れ、しかも大量生産によってコストダウンが起きることに慣れてきたため、生産者は売上を伸ばすことにばかり専念してきた。

 実際に、自分が工場見学した際にライン毎の収支を社長に聞くと「よく稼働しているこの生産ラインで儲かっている」との答えが返ってきた。しかし、人件費や総務費等をライン毎の労働者数で按分してライン毎の収支を計算すると、よく稼働しているラインでは意外に儲かってないことがあった。

 経営者はきちんと原価計算しないで売上が伸びていると儲かっていると考えるようだが、その実、販売価格が低く設定されていて、安値販売で赤字になっている場合さえあった。

 欧米と違い日本の企業の利益率が低いといわれる理由がここにある。経営者が売上増にばかり目を向けて利益率にあまり重きをおいてこなかったからだ。

 結果として、いわば漁業や農業の世界でいわれる「豊作貧乏」の状況を日本企業、特に日本の中小企業はやってきたと思われる。作り過ぎているため、製品価格は上がらず、日本全体の物価も上がらないというわけだ。

 

4 「豊作貧乏」を加速させた金融政策

 

 半沢直樹の小説で語られる「貸しはがし」はまったく過去の話で今や日銀のゼロ金利政策、マイナス金利政策の結果、銀行は余資を日銀に預けるよりも、少々赤字経営でも、それらの企業に貸し付けた方が銀行にとっては利益があがるので、それらの企業に貸し付けてきた。

 結果として、生産性が低い企業も生き残り、生産側の過剰供給は止まらず、ますます「豊作貧乏」というべき状況を続けてきた。

 日銀は、異次元金融緩和政策によって消費需要を喚起することを目指したのだが、実際は供給側の過剰生産を支えて「豊作貧乏」の状況を続けさせて物価下落圧力をむしろ加速させてしまったと言えよう。

 

5 低賃金労働力を求めた結果

 

 このような「豊作貧乏」の状況に陥った日本企業は、生産性の低さのために前向きな新たな投資を行わず、コスト削減を目指して安い労働者を求めてきた。

 ついには、労働者の賃金等は改善されず、過剰生産をひたすら続けてきた。その結果、IT投資やDX投資等による省力化や事務の簡素化も進まず、研究開発も出遅れてしまった。

 その安い労働力を支えたのが開発途上国の安い労働力であった。最初は中国、そしてブラジル、ベトナム等々の低賃金労働者を次々と求めてきた。

 本来、「グローバル化」の最大のメリットは優秀な人材や資金を日本に入れて、その活力を活用して日本経済の発展を図ることにある。しかし、日本の「グローバル化」は、1人当たり生産性の低い低賃金労働力だけを求めてきたと言えよう。

 

6 求められる未来に向けた取り組み

 

 日本がこの失われた20年間に行ってきた破綻ともいうべき財政赤字と異次元金融緩和こそが、日本経済をいわば「豊作貧乏」といえる状況に陥れたと思われる。それは「安い賃金」「安い円」を引き起こし、IT化やDX化にも乗りおくれ、競争力に欠けた企業が生き残る事態を引き起こした。

 こうした悪循環ともいえる政策を一挙に変えることは、コロナ給付金等の国からの給付に慣れた企業や国民の反対で容易に実現することは難しいと思われるが、財政健全化の努力や、日銀の異次元金融緩和の是正等、徐々に方向転換していくことが求められる。

 そして、財政については財政収支の健全化だけでなく、高齢者に配慮した社会保障支出をスリム化し、未来の国民のための教育や国防、そして人口減少に見合った国土改造等に向けていく必要があると思われる。

 


2022年10月3日号 週刊「世界と日本」第2230号 より

『正念場の岸田首相就任から1年』

—国民の期待と失望感を克服できるか—

 

評論家 ノンフィクション作家
塩田 潮
 氏

《しおた うしお》

1946年高知県生まれ。慶大法卒。雑誌編集者、月刊『文藝春秋』記者などを経て独立。『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。『大いなる影法師』、『内閣総理大臣の日本経済』、『田中角栄失脚』、『日本国憲法をつくった男』、『密談の戦後史』、『東京は燃えたか』、『内閣総理大臣の沖縄問題』、『危機の権力』、『解剖 日本維新の会』、近著に『大阪政治攻防50年』など著書多数。

 

 9月29日、岸田文雄現首相が自民党総裁に当選して1年となる。新内閣発足は10月4日で、直後の内閣支持率(以下、時事通信の調査)は40・3%であった。以後、2022年8月までの10カ月は40%以上を保持していたが、9月は一気に32・3%まで急落した。

 

 振り返ると、政権1年目は「好運」が味方した感があった。菅義偉前首相の自滅に助けられて政権を握った。そのころから新型コロナウイルス感染が下火になる。就任直後の衆院選を乗り切った。

 内政で無策批判が高まり始めた矢先の22年2月、ウクライナ危機に遭遇する。欧米協調路線を選択して「外交の岸田」のアピールに成功した。7月10日の参院選は、安倍晋三元首相暗殺事件の2日後で、弔い合戦となる。勝利を遂げ、岸田首相は続投を果たした。

 ところが、まさかの支持率急落である。

 7月22日に「安倍氏国葬」を決定したが、「国葬ノー」の動きが広がる。8月10日の内閣改造・自民党役員人事も不評、旧統一協会問題での批判噴出で、一転してツキに見放された感がある。

 8月人事は政権てこ入れを企図して9月予定を繰り上げて実施したが、「効果なし」に終わった。1年前に総裁選を戦った河野太郎と高市早苗の両氏、加藤勝信氏ら、ポスト岸田の候補を閣内に取り込むなど、政権基盤の強化を狙った。

 不評の原因は、党内対策最重視の内向き人事という点である。参院選までの1年間は、「安全運転第一」の岸田路線に理解を示した国民も失望感を募らせた。岸田首相にとって最大の誤算は、「期待外れ・役立たず・ご用済み」と見限る国民の「声なき声」が急増したことだろう。

 民意の岸田離れは、やはり旧統一協会問題への取り組みへの不満が大きいと思われる。岸田首相は参院選の標語に「決断と実行」を掲げた。今、根深い負の構造を根こそぎ改めて、国民の信頼を得られる形で問題を決着させられるどうかが問われているのに、優柔不断と不実行のイメージが消えない。

 支持率低落の要因はそれだけではない。登場時からコロナ危機、日本経済衰退の危機、安全保障の危機という「3つの危機」を背負っているが、危機への対応力に不安を感じる国民は少なくない。

 コロナ対策では、感染防止と社会経済活動の両立を図る「ウイズ・コロナ」が基本姿勢だが、第7波が長期化すれば、「対コロナ無策」批判が高まりそうだ。

 経済は現在、物価急騰、株価低迷、円安の三重苦で、忍び寄る「先進国脱落の危機」と背中合わせだが、岸田首相提唱の「新しい資本主義」は、中身が乏しく、衰退阻止に無力ではと疑う声が強い。

 安全保障の危機では「台湾有事」が想定される。だが、備えは万全とはいえない。

 自民党では「選挙必勝・支持率好調・党内安定・日米関係良好」が政権継続の4条件といわれる。安倍氏不在となった旧安倍派の影響力低下も幸いして、岸田首相は何とか党内安定を維持している。今のところ支持率以外の3条件は満たしている形だが、民意の「岸田離れ」で、政権の求心力は一気に急降下しそうな空気も漂う。

 他方、岸田政権は参院選の後、「黄金の3年」を手にした。次期参院選の25年まで、自ら解散・総選挙を行わなければ、国政選挙がない。首相は選挙対策を気にせず、長期目標に取り組む時間を確保できるため、「黄金の3年」と呼ばれる。

 過去に6首相が「黄金の3年」にぶつかった。1977年の福田赳夫、80年の鈴木善幸、86年の中曽根康弘、01年と04年の小泉純一郎、10年の菅直人、13年の安倍の各氏だ。福田、鈴木、中曽根、菅の4氏は途中で辞任した。2度の小泉氏と安倍氏は、衆議院を解散して自ら「無選挙の3年」を打ち切った。

 岸田首相の「黄金の3年」の使い方は、追い込まれ辞任の「福田・鈴木・菅」型か、解散実行の「小泉・安倍」型のどちらかだ。

 先に述べた「3つの危機」突破の岸田流改革プランを明示して本気で目標に挑むなら、民意との結託を目指す政権強化策が必要となる。当然、解散実施が視野に入る。目標欠如の大勢順応政権だと、追い込まれ辞任に終わる可能性が高い。

 衆議院解散は首相の決断次第だが、現在、最高裁による2つの違憲判決の壁が立ちはだかる。「1票の格差」をめぐる衆議院の小選挙区の定数是正と、22年5月に判決が出た最高裁裁判官の国民審査に関する海外在住国民の投票権の問題だ。

 前者は「10増10減」の公職選挙法などの改正、後者は最高裁裁判官国民審査法の改正が不可欠で、両方を実現しなければ次期衆院選は実施不可と最高裁が判断を示している。

 8月人事で党選挙対策委員長に就任した森山裕氏は取材で、「10月召集の臨時国会で両方の法案を抱き合わせで成立させる計画」と語った。事実上の解散権を束縛している問題を解決しなければ、岸田首相による衆議院解散は不可能である。

 岸田首相は実は「黄金の3年」どころか、自民党則では連続3期9年の続投が可能で、制度上は最長で8年先の30年9月まで総裁に在任できる。なのに、1期目満了の24年9月までも持たず、追い込まれ辞任も、と予想する声が流れ始めた。

 以前、インタビューしたとき、岸田首相は自身の姿勢と手法について、「イデオロギーや主義主張ではなく、時代に徹した現実主義で」と説明した。現実主義は重要だが、それだけでは済まない。

 国民が幅広く共有する「大きな民意」と正面から向き合い、立国の基本路線や国の将来像などグランドデザインを示して実現に挑む「大きな政治」を目指す。その構想力と突破力と挑戦力がなければ「期待外れ・役立たず・ご用済み」という国民の失望感の壁は克服できない。

 就任から1年、国民は衣装も化粧も落とした「裸の首相」の生の実力を正確に見極めなければ、という気になっている。その鑑識眼に応えられるのかどうか。岸田首相はこれからが正念場である。

 


2022年9月19日号 週刊「世界と日本」第2229号 より

岸田政権の経済政策の課題

 

大正大学地域構想研究所
教授 小峰 隆夫
 氏

《こみね たかお》

1947年生まれ。69年東京大学経済学部卒業後、経済企画庁入庁。経済研究所長、物価局長、調査局長などを経て、2003年から法政大学政策創造研究科教授などを歴任。17年から大正大学地域創生学部教授、20年から同大学地域構想研究所教授。著書に「平成の経済」(日本経済新聞出版、2019年、第21回読売・吉野作造賞)など多数。

 

 7月の参議院選挙が終わり、今後3年間は、首相が衆院を解散しない限りは、国政選挙の予定はない。岸田首相は、しばらくの間は選挙を気にしないで政策を展開することができる。「黄金の3年」と呼ばれる期間である。

 

 黄金の3年においては、短期的な目先の効果よりも、長期的な目標を目指すべきだ。選挙が近いと、どうしても目の前の問題に即効的な解決策に目を向けがちだが、黄金の3年では目先の選挙を気にしないでいいのだから、長期的な視野での政策運営が可能になる。

 その第1は、景気である。政府は景気について「緩やかに持ち直している」という判断をしている(8月の月例経済報告)。多くのエコノミストも、年内は年率1・5〜2%の、日本としては高めの成長が続くものと予想している(日本経済家研究センター「ESPフォーキャスト調査」)。これから年末の予算編成にかけて、政治的には「大型の景気対策を」という声が高まるだろうが、そろそろ年中行事化している「緊急経済対策」からは卒業すべきだろう。

 それより必要なのは長期的な観点からの成長政策である。これまでも繰り返し成長戦略が立案されてきたが、日本経済の基礎的成長率は他の先進諸国に比べて見劣りする状態が続いている。

 規制緩和、人的投資の充実、働き方改革など必要なメニューは揃っているのに、これまで思うような効果を上げられなかったのは、施策の対象が、誰もが受け入れやすい分野に限られ、痛みを覚悟せざるを得ないようなレベルまで踏み込めなかったからではないか。

 黄金の3年間では、ある程度の痛みを伴うような改革を目指すべきだろう。

 第2は、物価上昇だ。長い間低い物価上昇率に悩まされてきた日本経済だが、消費者物価(総合)は、4月以降は前年比2・5%程度の上昇率が続いている。これに対して政府は、ガソリン価格抑制のために補助金を出したりして、物価上昇を抑え込もうとしている。

 また、今回の参院選挙では、野党各党はこぞって、物価上昇で困窮している家計のために、消費税率の引き下げや交付金の支給といった政策を掲げた。

 しかし、現在生じている物価上昇は、基本的にはエネルギーの輸入価格の上昇によるものである。日本は、エネルギーの大半を輸入に依存している以上は、そのエネルギーの輸入価格が上昇したら、そのコストを誰かが負担せざるを得ない。コストアップを我慢すれば企業が、物価が上がれば家計が、そして政府が財政赤字を出して負担すれば、将来世代がコストを負担する。エネルギー価格の上昇に伴う物価上昇は、これを甘受するしかないのだ。長期的には、エネルギー価格が上昇すれば、自ずからエネルギー消費が抑制される。

 黄金の3年間では、短期的なコスト負担は覚悟してでも、長期的な省エネ型の経済構造への転換を目指すべきではないか。

 第3は、社会保障だ。選挙の際にはしばしば「国民が政府に何を望むか」という世論調査が行われる。その回答として必ず上位に位置するのが社会保障である。一方、多くのエコノミストも「これからの財政にとっては社会保障が重要だ」と考える。しかし、両者が重要だと考える理由は正反対である。

 つまり、多くの国民は「社会保障をもっと充実させて欲しい」と考えている。しかし、多くのエコノミストは「財政の健全性の観点から、社会保障費の増加をいかに抑制するかが重要だ」と考えているのである。

 社会保障費は2022年度当初予算では、一般会計の歳出の約3割を占めるが、何もしなければ、人口の高齢化により、その経費は自然に増えて行く。

 2023年度にはこの自然増が約5千億円になると見込まれているが、今のところ、23年度の削減目標は明確化されていない。黄金の3年間では、国民の人気取りに走るよりも、長期的な視点から、社会保障のスリム化に取り組んで欲しいものだ。

 以上のような重点は、別の角度から見れば、アベノミクスとの決別をどの程度果たせるかということだとも言える。アベノミクスは三本の矢(大胆な金融緩和、財政出動、成長戦略)で有名だが、このうち経済に影響したのは、主に金融緩和と財政政策であり、それは基本的には短期的な成果を追求するものだった。黒田日銀総裁によって主導された異次元金融緩和は、当初は2年での目標達成を目指していたことからも分かるように、即効的な効果を狙ったものだった。

 財政については、歳出の拡大が続く一方で、2015年に予定されていた消費税率10%への引き上げが繰り返し延期されたこと(実行は2019年10月)に象徴されるように、アベノミクスの下では財政の健全化は先送りされてきた。これも視野が短期的であったことを示している。

 しかし、結果的に見てこうした財政金融政策運営は大きな問題を残した。金融政策については、2%の物価上昇目標は、8年間もの間未達成の状態が続いた。

 前述のように本年4月に目標は達成できたが、それは金融政策によるものではなかった。逆に、マイナス金利の導入で金融機関の収益力が弱体化したり、長期金利の政策的コントロールで金利機能が失われるなどの弊害が顕在化した。財政については、公的債務残高のGDP比が200%を上回るという、先進諸国の中でも飛び抜けて財政状態が悪化した。

 それでも何とか財政が維持できているのは、日銀のゼロ金利政策で、国債が財政的負担なしに増発できているからであり、明らかに持続可能ではない状態である。

 私は、岸田内閣が誕生する前から、何度か経済・財政問題説明のために、自民党の会合に出席したことがあるが、こうした席で印象的だったのは、岸田首相が率いる宏池会所属の議員からは、財政健全化を求める議論が多く出されていたことである。

 こうしたことからも私は、岸田首相は財政の現状を憂え、財政の再建を目指すことに強い意欲を持ってるはずだと考えている。黄金の3年間では、その信念を踏まえて、財政健全化への歩みを進めて欲しいと思う。

 


2022年9月19日号 週刊「世界と日本」第2229号 より

要人警護の見直し議論を

 

拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授
同大学防災教育研究センター長 濱口 和久
 氏

《はまぐち かずひさ》

昭和43年熊本県生まれ。防衛大学校卒。日本大学大学院修士課程修了(国際情報修士)。陸上自衛隊、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監などを経て、現職の他に一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長などを務める。著書に『リスク大国 日本 国防・感染症・災害』(グッドブックス)などがある。※化学・生物・放射性物質・核・爆発物の総称。

 

 世界の国のなかでも安全で治安が良いと言われている日本で起きた安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件から約2カ月が過ぎた。今回の事件は、日本国民に衝撃を与えたのみならず海外でも大きく報道され、海外の要人から多くの弔意を表すコメントが寄せられた。

 事件直後から警察の警護体制に批判が集まるなか、警察庁は8月25日、強固な殺意を持つ襲撃を想定せず安易に前例を踏襲した奈良県警の警護計画や現場の警護員間の意思疎通の不備などを認め、安倍元首相の後方警戒に「空白」が生じたとする検証結果を発表した。

 

 

要人警護体制の在り方

 要人警護とは、政治的目的を背景とするテロ行為や交通事故などの人為的な危害や地震・崖崩れなどの自然発生的な危害などから、要人の身辺を守ることにより、要人の安全を確保することを目的とする警察活動である。

 現在、日本では首相や衆・参両院議長、最高裁判所長官、国務相、政党の党首クラスのほか、国賓(政府が儀礼を尽くして公式に接遇し、皇室の接遇にもあずかる、外国の国王、大統領などの賓客で、閣議で決定するもの)、公賓(国際礼譲に照らし、相当の接遇を供する外国の皇族、行政府の長などの賓客で、外相が関係各相と協議のうえ閣議了解を経て決定するもの)、外交使節団の長などが警護対象者となっている。

 警護にあたる警察官は警護員とよばれ、担当する任務により、要人の直近または周辺に配置される「身辺警護員」、要人の行き先地に事前に配置される「行先地警護員」、要人の通過する沿道に配置される「沿道警護員」、要人の公私邸に配置される「宿舎警護員」などに区分されている。このうち、身辺警護員は、要人と常に行動をともにし、警護の最後の防波堤としての職務にあたる。警視庁では、身辺警護員のことをSP(セキュリティ・ポリス)と呼んでいる。

 米国の民間軍事会社で対人警護や対テロ戦などの訓練を受け、海外のハイリスク地帯で石油施設の警備や要人警護のオペレーションを実際に担当し、米国のシークレットサービスや警護のプロ組織での勤務経験を持つ丸谷元人氏が、今回の事件について「SPが1人として安倍元首相のすぐ後ろに『ボディーガード』として立っていなかったことは大きな問題だ。通常、ボディーガードは警護対象者の右か左のすぐ後方に立つものであり、その位置は『手を伸ばせば警護対象者を掴める距離』でなければならない。なぜなら、襲撃があった際には警護対象者の身体を素早く押さえ込んで倒したり、或いはその肩を掴みつつ、より安全な方向に向けて脱出させねばならないし、場合によっては警護対象者と犯人の間に自分の身を割り込ませ、身代わりとなって刃物や銃弾を受けなければならない」と述べている。

 丸谷氏が指摘したことは、警察庁の検証結果の報告書でも書かれているが、あまりにお粗末な警護だった。実際、SPは誰も安倍元首相から腕の届く位置に立っていなかった。つまり、SPはボディーガードとしての基本的な役割を果たしていなかったのである。もし右か左の背後にSPが立っていれば、山上徹也容疑者は安倍元首相を直接狙えなかっただろうし、安倍氏が亡くなることも避けることができたかもしれない。

 また、要人警護では、警護対象者の知名度や言動、主張などからどのくらい狙われるリスクがあるかを事前に検討「危険度評価」し、季節や気温、天候、時間帯、建物の構造など様々な条件を考慮し、警護計画を作成ことが求められる。安倍元首相の奈良入りの遊説日程が前日に決まったとはいえ、警護対象者のなかでも警戒レベルは高かったはずだ。奈良県警の危険度評価の見積もりが甘かったといわざるを得ない。警視庁も元首相ということで他の首相経験者と同様にSPを1人しか付けていなかったことも問題があるだろう。

 

海外の警護体制

 米国では、シークレットサービスが大統領や副大統領とその家族、大統領候補や元大統領らを24時間態勢で警護している。シークレットサービスは職員が7900人、このうち実際に警護を担当する職員だけでも3200人いる。英国は人数を公表していないが、王室・要人警護部門は王族や首相、大臣、大使を警護、議会と各国外交官を警護する部門がある。フランスは大統領や首相らを警護する専門部隊に1260人が所属している。隣国の韓国では大統領は退任後も最長15年は警護され、警護を専門とする大統領警護処に700人が所属し、米国と同様に家族も警護対象となっている。

 ちなみに、日本は要人警護を専門とする警視庁警護課にSPが200〜300人しかいない。地方では都道府県警の警察官と警視庁SPとで要人警護に対応することになっている。だが、警護業務を経験する機会や研修が少ないために、現状は警護対応能力が低い都道府県警もある。

 

警護体制の見直しへ

 警察庁は警護体制の基本的事項を定める『警護要則』を28年ぶりに全面的に見直した。

 具体的には、警察庁と都道府県警の双方で警護対象者の危険度評価を行う。屋内、屋外といった場所、講演や会合などの態様、不特定多数の人の有無などの事項についての基準を設けて、この基準に沿って警護対象者ごとに都道府県警が計画案を作成する。この案を警察庁がチェックし、問題箇所がある場合には修正指示を出す。都道府県警は警護の実施後も、今後気をつけるべき点などを警察庁に報告することなどが盛り込まれている。

 しかし、どんなに仕組み変えても、警察官の警護レベルを底上げしなければ意味がない。元警視総監の池田克彦氏が「より多くの警察官が場数を踏み、都道府県警の警護レベルを引き上げることが欠かせない。これまで都道府県警は警視庁に警察官を派遣し、要人警護の研修を受けてきた。今後は、警視庁のSPが都道府県警に出向き、技術を伝えていくことも検討すべきだろう」(読売新聞7月15日付)と述べている。まさにこの視点は重要だ。加えて、ドローンや銃火器の種類、※CBRNEなどについての知識もこれからの要人警護には必要になってくる。

 


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