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刻々と変化する国際情勢を各国の政治・経済など様々な視点から考察する。

《おがわ かずひさ》 

1945年熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理の分野で政府の政策立案に関わり、小渕内閣ではドクター・ヘリ実現に中心的役割を果たした。著書に『日米同盟のリアリズム』(文春新書)、『フテンマ戦記 基地返還が迷走し続ける本当の理由』(文藝春秋)ほか多数。

2023年3月20日号 週刊「世界と日本」第2241号 より

 

気球から見える中国の狙い

 

 

静岡県立大学特任教授 小川 和久 氏

 

 2月2日、米国のバーンズCIA(中央情報局)長官はジョンズ・ホプキンス大学での講演で衝撃的な事実を明らかにした。

 なんと、中国の習近平国家主席が2027年までに台湾侵攻の準備を整えるよう軍部に指示したというのだ。

 2021年3月のインド太平洋軍司令官デービッドソン海軍大将(当時)の議会証言に代表されるように、それまでの米国側の中国脅威論は軍事予算増額の必要性をアピールしたり、内政に不満を抱く国民の目を外にそらし、中国に対して弱腰ではないと強調するバイデン政権の国内向けメッセージの色彩が濃かった。

 だが、そこに飛び込んできた相次ぐ中国気球の領空侵犯のニュースによって、専門家はバーンズ発言の根拠に目を向けることになった。

 気球はICBM(大陸間弾道ミサイル)関連施設が展開しているモンタナ州上空で一般市民にも目撃されたが、米政府は気球が収集できる情報も一定以上のものはないと判断、破片など落下物の地上への被害を考慮して、大西洋上に出るまで戦闘機による監視にとどめた。

 偵察気球だとする米国に対し中国は民間の気象観測用だと遺憾の意を表明した。それでも米国は引かず、ブリンケン国務長官の中国訪問を直前に中止、大西洋上に出た気球をF—22ステルス戦闘機が空対空ミサイル・サイドワインダーで撃墜した。

 気球は直径60メートル、総重量5トンほど。高高度偵察機U2による上空からの精密偵察と回収で明らかになったSIGINT(電波・電子情報収集)用の装置と動力源の太陽光パネルなどの重量は約1トン。米政府は、気球が中国人民解放軍と関係の深い企業の製品で、世界の40カ国の上空で運用されてきたと明らかにした。

 さらに10日から13日にかけて、米政府はアラスカとカナダ上空に滞留中の飛行体を、民間航空機に危険を及ぼす物体として戦闘機で破壊した。

 このように、何から何まで対中強硬姿勢を一貫させた米国だが、中台両国と接する日本としては、気球事件から見えてくる中国の軍事的動向を見逃すことはできない。

 バーンズ発言は、ホワイトハウスの思惑とは別に、一定の根拠に基づくものだった可能性がある。

 中国は20年ほど前から気球と飛行船の軍事利用に積極的に取り組み、気象観測や大容量無線通信が目的の民間用だと説明してきた。

 私はこれまで中国の台湾本島への着上陸能力の不足と軍事インフラの立ち後れを指摘してきた。

 台湾本島の軍事占領には第2次大戦でのノルマンディー上陸作戦に匹敵する100万人規模の陸軍の投入が必要で、中国にはそれを輸送する3000万トンから5000万トン規模の船腹量を捻出することができないし、輸送能力があったとしても上空と海上から上陸部隊を守るための航空優勢、海上優勢を握るには程遠い。

 3000人の部隊を上陸させるには幅2キロの障害物のない海岸が条件となる上陸適地も、台湾本島の海岸線1139キロのうち10%ほど14カ所に過ぎず、台湾軍が防衛態勢を固めている。そうした制約から上陸作戦が成立しないのは中国軍も認めているとおりだ。

 中国大陸に接する金門・馬祖両島、日本の尖閣諸島を3隻の強襲揚陸艦などを使って奪取することは不可能ではないが、それによって引き起こされる米国との軍事衝突を戦う能力はない。

 金門・馬祖両島については1958年から21年間続いた砲撃の当時も占領は可能だったが、中国は米国との衝突を回避するために行動に出ることはなかった。

 しかし、軍事インフラの問題で中国が米国との距離を縮めてくる可能性を示したのが気球事件だったことに注目している。

 中国の軍事インフラの立ち後れについては、軍事力が近代化されるほど重要性を増すデータ中継衛星について、米国が専用衛星TDRS15機に中継能力を持つ衛星を合わせて30機以上を運用しているのに対し、中国は天鏈1号が5機。差は歴然としていた。

 10年以上前から脅威とされてきたDF21D(射程1500キロ)、DF26(同4000キロ)など対艦弾道ミサイル(空母キラー)も、3つの極軌道上に各25機ほどの偵察衛星を展開しなければ移動目標の継続的追尾は困難で、中国の機数では実戦配備には程遠いとみられてきた。

 しかし、人工衛星に比べてはるかに安価な気球や飛行船は、使い方によっては抜群の能力を発揮する。

 例えば偵察機能。目標を精密偵察するには偵察衛星を高度150キロほどの低軌道まで移動する必要があり、そのための燃料消費や衛星寿命への影響は避けられず、頻繁に軌道変換する訳にはいかない。高価なため機数にも制約がある。

 それが気球や飛行船だと普通の航空機が飛べない20キロ〜30キロの成層圏で運用でき、低軌道の偵察衛星に勝るとも劣らない精密偵察が可能になる。

 また、地球を周回する衛星は1機が同一目標を1時間半に1回程度しか偵察できないが、気球や飛行船なら目標空域に必要数を滞留させ、継続的に偵察・監視、SIGINT、データ中継を行うことができる。

 継続的に移動目標を追尾・監視できる点でも、同じ空域に必要数を滞留させられる気球や飛行船には大きなメリットがある。空母キラーに必要な情報を継続的に提供できるだけでなく、極超音速弾道サイルや巡航ミサイルを監視する衛星コンステレーション(多数の衛星で隙間なく監視する方式)と同じ機能を、安価に実現できるからだ。

 台湾有事については、それでも台湾本島占領に必要な兵力を輸送する船腹量を確保できない中国に限界があることは変わらない。

 しかし、狙い通り飛行船や気球が戦力化されるようになれば、中国は台湾周辺での軍事的能力を飛躍的に高めることは間違いない。

 バーンズ発言で明かされた習国家主席の指示が口先のブラフでなくなる事態に備え、日本としては侮ることなく中国に備えることが求められる。

 


《あびる たいすけ》 

1969年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、モスクワ国立国際関係大学修士課程修了。東京財団研究員、国際協力銀行モスクワ事務所上席駐在員を経て現職。専門はユーラシア地政学、ロシア外交安全保障政策、日露関係。著書に『「今のロシア」がわかる本』、『原発とレアアース』。監訳本に『プーチンの世界』がある。

2023年2月20日号 週刊「世界と日本」第2239号 より

 

2023年ロシア・ウクライナ戦争の行方

 

 

笹川平和財団主任研究員 畔蒜 泰助 氏

 

 2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへの全面的な軍事侵攻を開始してから間もなく1年が経過しようとしている。プーチン政権は何を目指してこの戦争を開始したのか、と問われたら「単なるウクライナのNATO加盟阻止やドンバスの救済ではなく、軍事力を行使してでもあくまでウクライナをロシアの影響下に取り戻すこと」と言わざるを得ない。

 

 ロシア軍は侵攻当初、ウクライナ東部や南部のみならず、ベラルーシ国境からキエフに向かって進軍した。72時間以内にキエフを陥落させ、ウクライナ政府の体制転換(レジームチェンジ)を行う計画だったという。この辺りにもプーチンの真意が透けて見える。

 だが、この作戦が失敗に終わると、プーチン政権はキエフ方面から撤退させた部隊を東部と南部に再配置し、占領地域を拡大する方針に舵を切った。すると、米バイデン政権を筆頭とする西側陣営も4月後半、ウクライナへの本格的な武器支援を開始し、今日まで武器支援のレベルを徐々に高めている。

 米バイデン政権がウクライナへの武器支援を行うに当たっては、次の2つの目的を同時に追求している。ロシア軍の侵略に対してウクライナ軍を敗北させないこと。

 そして、このロシア・ウクライナ戦争をロシアと米国、ロシアとNATOの戦争にまではエスカレーションさせないこと。ウクライナ軍がロシア軍との戦闘を有利に展開する上で大きく寄与していると言われるのが自走多連装ロケット砲システムHIMARSだが、バイデン政権はHIMARSの砲弾の射程を約80キロに制限して、ロシア領内への攻撃が可能な300キロの長射程ものは含めないと明言している。

 なお、昨年6月から8月にかけて、ロシア有利の状況が続くのではという恐れもあった。ただ、この後、アメリカが供与を始めたミサイルや重砲などの兵器が効果を表し始め、9月に入って、ロシア側が南部のヘルソン方面を気にして、精鋭部隊をドニエプル川西岸に集めていたところ、ウクライナが東部のハリコフ方面で攻勢をかけ、イジューム、リマンなどの拠点を始め、ハリコフ州全域を取り返す事に成功した。

 この事態を受け、9月21日、プーチン大統領が国内政治的な配慮から侵攻当初は否定的だった30万人の部分動員を発表。

 続いて30日に、ドネツク州、ルガンスク州、ザポリージャ州、ヘルソン州の併合を発表し、また核の使用を示唆して西側陣営とウクライナ軍に対して「レッドライン(越えてはならない一線)」を設定しようとしたが、西側陣営とウクライナ軍はこれを無視して攻勢を続けた結果、11月にはロシア軍は南部のヘルソン方面も西岸からも撤退を余儀なくされた。

 ただし、その後、ウクライナ東部と南部での戦況は膠着状態に陥っている。この時期、プーチン政権が繰り返し停戦交渉を開始する用意があるとのシグナルを送っていたこともあり、10月にはマクロン仏大統領が、11月に入って米バイデン政権内でもミリー統合参謀本部議長がそろそろ停戦交渉を開始すべきと発言するなど、停戦の機運が生まれるかに思われた。

 しかし、バイデン政権内ではプーチン・ロシアを熟知するバーンズCIA長官を筆頭に、ロシア側が示唆する停戦というのは、あくまでも4州の併合をウクライナが認めるということを前提にした停戦であり、ウクライナ側が受け入れることはないと判断している。

 そんな中、12月初頭、マクロンがワシントンに行ってバイデンと会談し、それと同時にショルツ独首相もプーチンと電話会談を行っている。この一連のやり取りを通じて、欧州諸国の中ではロシアとの対話が必要との立場を取っていた独仏と米国との間で「今はまだロシアに圧力をかけ続ける時期だと」とのコンセンサスが醸成されていったと思われる。

 それが年末に歩兵戦闘車を米独仏が同時出すという決定に、さらには1月末に戦車を供与するという動きに繋がっていったのだろう。

 ロシアは部分動員した30万人のうち、すぐに戦場に投入した約8万人以外の人員の訓練を続けており、それが春以降、戦場に投入され、再び大攻勢をかけてくる可能性が高いと、ウクライナも米欧も見ている。逆に言えば、それまでの期間がウクライナにとってのチャンスとなる。地面が凍結して車両の移動が可能になってから、その凍結が溶け春の泥濘(ぬかるみ)が始まるまでのわずかな期間ならウクライナは優勢なうちに攻勢に出られる。そこで、どれだけ失われた領土を取り返せるのかが、1つの勝負だというのが、ウクライナや西側が見ている局面なのではないかと思う。

 しかし、今の段階で言えることは、プーチンは全くあきらめていないということだ。西側陣営は遂にウクライナへ戦車の供与に踏み切ったが、ウクライナ側が求める300両までどこまで近づけることが出来るか不明だし、しかも時期はかなり後になる。

 やはり、西側陣営からの兵器支援を受けたとしても、ウクライナ軍がロシア軍を圧倒して、ドンバス地域やクリミアを含むウクライナ全土から一掃するというのは簡単ではない。

 そこで最近、議論されているのは、アメリカの目指すゴールというのは、ウクライナの完全な勝利ではなく、ロシアを追い詰めて、交渉の場に引き出すことではないかということだ。

 昨年12月初頭、アメリカのブリンケン国務長官がWSJのフォーラムに出席した際「アメリカのフォーカスは2022年2月24日の前までに戻すことだ」と答えている。バイデン政権もクリミアからロシア軍を追い出す、つまり2014年以前の状態に戻すということは難しいと考えているのであろう。それでも、2月24日の前の状況に戻した上で、ロシアがそれに妥協するように、軍事的に更にロシアを追い込む必要があると考えているようだ。

 


《たにぐち ともひこ》 

1957年生まれ。1981年東京大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。安倍晋三第2期政権を通じ、初め内閣審議官、現任先に就いた2014年4月以降は同総理退任まで内閣官房参与。05〜08年外務省外務副報道官。それ以前は「日経ビジネス」編集委員など。主な著書に「通貨燃ゆ」(日経ビジネス人文庫)、「日本人のための現代史講義」(草思社文庫)、「誰も書かなかった安倍晋三」(飛鳥新社)、「安倍総理のスピーチ」(文春新書)など多数。

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

安倍晋三元総理が描いたクアッド構想の進化

 

 

慶應義塾大学大学院教授 前内閣官房参与 谷口 智彦 氏

 

 

 旧年末いわゆる防衛三文書の改訂を担った岸田文雄総理は、日本の安保政策についてある覚悟を示した。

 出自、派閥との兼ね合いで、一歩踏み込んだと評価できそうだ。

 広島を地盤とする岸田氏は、反核のゼッケンを背中に貼って生きてきた、来ざるを得なかった政治家である。

 派閥・宏池会を同じくし、故宮沢喜一元首相の甥にして自民党税調=財政緊縮派のドン宮沢洋一参院議員とは、従兄弟の間柄だ。

 宏池会は綱領に「平和憲法・日米同盟・自衛隊の三本柱で、平和を創る」を掲げる。

 「平和憲法」を先頭に押し立てたあたり、九条改憲への違和、抵抗が滲み出ている。

 続けて「環境・人口減少など共通課題に対応する日中韓による『東アジアプラットフォーム』の構築」をうたう。中国(と韓国)に対し、まずは握手で臨みたいらしい。

 岸田氏は、言葉と視線のどちらからも内奥を読みにくい人物である。内発的動機において強いものなど、果たして何かあるのか。

 「ある」と躍起になって言いたがる誰彼が総理の周辺にいそうな気配もなく、岸田官邸の熱量と体温は低い。

 理念と歴史認識、価値観の言語を用いて国内外に立場を鮮明にした故安倍晋三元総理の場合と違って、岸田氏を理解するには言葉が手がかりにならない。

 そこで予算や政策の打ち込み方にヒントを求めようとすると、ある覚悟を示して一歩踏み込みつつあるのではと、冒頭述べた印象に導かれる。

 第一に中国認識だ。

 日本にとって中国こそは仮想敵国であることが、このたび文書に書き込まれた。

 ただしどの国も、そんな露骨な表現は使わない。日本はそこを婉曲に、中国は「最大のチャレンジ」だとする。チャレンジとは「難題」の意である。

 こう規定して初めて、わが国安保外交政策の方向が一本にまとまる。

 宏池会流対中微笑外交も、この一本が揺るぎないものとなるときにこそ多少の実効性を帯びるだろう。

 第二に、「戦争」が本当に起きた場合を想定した予算になった。遅きに失したとはいえる。が、これは戦後初めての新境地だ。

 野晒(のざら)し状態で、ミサイル攻撃にひとたまりもない航空機をどう掩蔽(えんぺい)するか。撃てば三日かそこらで消尽するミサイルやタマの補充と保管をどうするか。

 さらにはもちろん、抑止力を備えるうえで必須の長距離打撃力をどう確保するか。

 故安倍元総理はこれらに課題を認め、大幅な予算措置を訴えていたところだった。

 岸田総理のもと、日本の防衛予算は今回初めて現実主義を獲得した。生々しい撃ち合いを想定し、それに備えるリアリズムだ。

 戦争などないと思って予算を作るなら、財政当局に首根っこを抑えられるのは当然だ。今回は安保の要請が上位にきて、予算の手当てが後に続いた。やっと、世間並になった。

 総理の動静が示すところ、宮沢党税調会長が官邸に岸田氏を訪ねた回数は、意外や、旧年中を通じ(メディアが捕捉した限り)20回に満たない。総理執務室往訪回数で突出するのは秋葉剛男国家安全保障局長だ。

 第三に、安倍政権が進めた同志国づくりが俄然内実を帯びた。

2006年に初めて政権に就いた安倍氏は、中国が経済力で日本を抜き去り、海洋軍事進出を続ける状況に危機感を強くした。

 やがて超大国の一角をなすだろう海洋民主主義国インドを引き込み、太平洋とインド洋を日米豪印四カ国で守ろうとする戦略が、安倍氏に芽生える。

 「アジア太平洋」の呼称に替え「インド太平洋」という新たな地政学的範疇(はんちゆう)がかくして生まれ、安保の担い手として同四カ国の「クアッド」ができた。

 これを進化させ、岸田政権は日豪二国、日米豪三国関係に、事実上の防衛同盟としての実質を与えた。

 豪州でミサイル発射訓練をする、航空自衛隊の戦闘機を豪州に置き日米豪共同演習をさかんにする、などが論じられているようだ。

 日本のこうした動きは、特筆すべき波及効果を生んだ。

 日本は、対日傾斜を強めつつあった英国との間で、イタリアを加え次期戦闘機を共同開発する運びとなった。

 画期的なことには、同事実を三国首脳が共同声明で公表したのと同時に日米防衛当局は別途共同発表を出し、「米国は、日米両国にとって緊密なパートナー国である英国及びイタリアと日本の次期戦闘機の開発に関する協力を含め、日本が行う、志を同じくする同盟国やパートナー国との間の安全保障・防衛協力を支持する」ことを明らかにした。

 孤立せる大国・中国に対し、民主主義勢力連携の強さと広がりを誇示したかたちだ。

 米国以外のどこかに移り気しようものならワシントンの逆鱗に触れる。そう思って、何事も自粛したのがわが国長年の習性だった。

 インド太平洋が世界秩序の帰趨(きすう)を決める主舞台となり、日本との一層緊密な協力抜きに米国は力を保てない現実が明らかな今日、日本は、誰かを主語として語られる目的格の国ではない。日本こそが主格として、秩序維持の責務を負う。

 ドナルド・トランプ大統領に、安倍氏が熱心に説いた認識だ。今次一連の動きは、これがいまや当然の事実となったことを教える。

 安保面でのこんな踏み込みがある限り、五月、G7サミットのため各国首脳をヒロシマに集めたとしても、岸田氏を反核の夢想家だとみなす向きは現れまい。そこが岸田氏と周辺の読みでもあろう。

 だとしても、現に日本を守るのは米国の核抑止力だ。

 非核三原則の第三項「持ち込ませず」を棚上げし、米海軍原潜が核を搭載する事実を認めたうえ日本に常駐させたとしても、現実の追認となるのみ。新事実の創造ではない。

 宏池会や公明党にそんな核のリアリズムを納得させられたなら、岸田氏はより強い政治力を手にできよう。

 ロシア、北朝鮮、中国が直列するわれわれの地域は、危険度において世界史に空前だ。総理の、一段の脱皮に対する期待は大きい。

 

 


《むらた こうじ》

1964年、神戸市生まれ。同志社大学法学部卒業、米国ジョージ・ワシントン大学留学を経て、神戸大学大学院博士課程修了。博士(政治学)。広島大学専任講師、助教授、同志社大学助教授、教授、法学部長・研究科長、第32代学長を経て、現職。専攻はアメリカ外交、安全保障研究。サントリー学芸賞、吉田茂賞などを受賞。『現代アメリカ外交の変容』(有斐閣)など著書多数。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

『2023年世界はこれからどうなるか』

 

 

同志社大学 法学部教授 村田  晃嗣 氏

 

 2022年は内外ともに、まさに激動の一年であった。昨年を代表する漢字は「戦」であった。2月にロシアがウクライナに侵攻し、10月の中国共産党大会で習近平総書記が三選されて権力の集中がさらに進み、11月の米中間選挙では民主党が予想外に善戦したが、下院を共和党に奪われ、「分割政府」が再現した。そして、日本では7月に安倍元首相が非業の死を遂げられた。その後、旧統一教会や安倍氏の国葬をめぐる問題で政治は混乱し、世論も割れた。

 

 2023年はどのような年になるのか。おそらく、それは重要な過渡期となろう。なぜなら、24年1月に台湾総統選挙、3月にロシア、春にウクライナの大統領選挙、11月にはアメリカの大統領選挙が控えているからである。しかも、9月には自由民主党の総裁選挙も予定されている。

 2023年中にウクライナでの戦争は終息していようか。それによって、ロシアはもとよりアメリカの大統領選挙も影響を受けるかもしれない。

 また、和平の形態や仲介者によって、その後の国際政治に大きな影響を与えよう。ウクライナは領土をどこまで回復できるのか。資源エネルギーや食糧の高騰は収まるのか。ロシアに対する経済制裁はいつ、どのように解除されるのか。ウクライナ難民問題がヨーロッパで反移民感情に転嫁しはしないか?

 米ソ冷戦では、アジアという裏の舞台で熱戦が生じた。朝鮮戦争である。米中新冷戦にとっては、ヨーロッパが裏舞台であり、ここでウクライナ戦争が起こった。朝鮮戦争と同様に、ウクライナ戦争も長期化して膠着し、長く不安定な停戦状態に陥るのかもしれない。アメリカが朝鮮戦争の早期停戦に向かうと、反共主義者で知られる韓国の李承晩大統領は、これに徹底的に抵抗した。持て余したアメリカは中央情報局(CIA)による李承晩暗殺計画さえ準備した。「オペレーション・エバーレーディー」である。もしプーチン大統領が和平に傾いても、ウクライナのゼレンスキー大統領がクリミアを含む領土の完全奪還に固執すれば、彼は「第二の李承晩」になるかもしれない。

 この戦争がロシアに有利に終われば、中国の台湾政策にも影響を及ぼそう。もちろん、それはわが国の安全にも直結する。ロシアが弱体化して中国への従属を強めれば、それはそれで難儀な事態となる。難題が山積している。

 また、大統領選挙に向けて、アメリカの国内政治も対立を深めていこう。すでに、共和党ではドナルド・トランプ前大統領が出馬表明したが、果たして予備選挙を勝ち抜けるかどうかは、明らかではない。トランプ氏の人気には陰りが見え、しかも、多くの訴訟を抱えている。そこで、現職のジョー・バイデン大統領の去就が注目される。今のところ、民主党内に他に有力な候補者は見当たらない。

 しかし、バイデン大統領はすでに80歳であり、2年後の大統領選挙では82歳に手が届く。しかも、20年の大統領選挙はコロナ禍で行動制限されていたが、次回はそうではない。再選されたとして4年間、86歳までアメリカ合衆国大統領の激務が務まるのか。

 トランプ氏が共和党の大統領候補に決まれば、民主党もバイデン氏で結束して戦うかもしれない。しかし、共和党が、例えば、フロリダ州知事のロン・デサンティス氏のように若く優秀で洗練された候補を選べば、高齢のバイデン氏で対抗するのは困難かもしれない。

 もとより、アメリカの有権者が誰を大統領に選ぼうと、日米関係を安定・強化させる知恵と努力が、日本には求められている。そのためには、内政の安定が不可欠である。国民の様々な懸念に誠実に向き合い解決すること、迅速かつ効果的なコロナ対策を実施すること、景気対策を軌道に乗せることなどが、その条件となろう。

 そして、外交である。すでに岸田文雄首相は久しぶりの日韓首脳会談、日中首脳会談をこなした。安保三文書もとりまとめ、防衛力の増強にも乗り出そうとしている。防衛費をどのように担保するのか—いつ増税か?いずれにせよ、まず、防衛力整備の中身を明確にした上で、国民に丁寧に説明し支持を求める必要があろう。

 その上、5月19〜21日に広島でG7サミットが開催される。広島は岸田首相のお膝元であるのみならず、長崎と並ぶ被爆地である。ここでサミットを開く意義は大きい。かつてバラク・オバマ大統領を迎えた広島にバイデン大統領、さらに同じく核保有国であるフランスのエマニュエル・マクロン大統領、イギリスのリシ・スナク首相をはじめ、先進主要国の首脳が一堂に会する。しかも、ロシアが戦術核兵器を使用するかもしれないという国際情勢、中国が大幅な核軍拡に乗り出している時に、広島でサミットが開かれるのである。

 当然、核軍縮や核不拡散、さらには原子力の平和利用などについて突っ込んだ議論が交わされるであろう。バイデン大統領の長崎訪問も検討されている。

 日米豪印のクアッドを通じて自由で開かれたインド太平洋を牽引し、G20では先進国と発展途上国との橋渡し役を演じ、G7で核問題をはじめとするグローバル・アジェンダにも存在感を示す。

 2023年の日本外交がそのような役割を果たせてこそ、激動の24年に向き合えよう。自由民主主義国VS専制主義国という二分法は、発展途上国の多くの反発を招く。そこで、日本の仲介力がモノを言う。

 しかし、こうした外交努力は政府レベルだけに限られたものではない。2016年5月にオバマ大統領が広島を訪問するに際しても、地元の自治体やメディア、市民団体の長年にわたる努力が、その背景をなしていた。成熟した市民社会として、自治体や市民団体を巻き込んだ重層的な外交が改めて求められる。

 また、国力の源泉は人である。2050年に日本の人口は1億人を割ろうとしている。柔軟な想像力と大胆な行動力を兼ね備えた若者を、育てなければならない。大学のランクづけして予算で誘導しようとする20世紀型の教育行政も、大きく見直されるべきである。

 


《ますお ちさこ》

九州大学大学院比較社会文化研究院准教授 専門は中国の対外政・海洋政策、ユーラシア国際関係。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。

第17回中曽根康弘賞優秀賞を受賞(2021年)。日本国際問題研究所の客員研究員なども務める。著書に『中国の行動原理』『中国外交史』『中国政治外交の転換点』など。英語や中国語でも研究活動を行っている。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

習近平政権の対米闘争が導く中国警察の国際化

 

九州大学大学院 比較社会文化研究院 教授 益尾 知佐子 氏

 

 

 2022年11月14日。G20サミットが開かれていたインドネシアのバリ島で、習近平国家主席は米国のジョー・バイデン大統領としっかり手を握りあった。新型コロナ流行後、初の米中首脳会議が開かれたのだ。

 世界を驚かせたのは、二人の満面の笑顔。オバマ政権期、両者は国家副主席と副大統領として外交上のカウンターパートだった。旧友同士のような温かい挨拶は世界の期待を良い意味で裏切り、メディアは米中関係の緩和を報じた。翌日の香港株式市場は高値をつけた。

 ただし、笑顔と握手で問題解決が図られるほど、大国間関係は簡単ではない。むしろ分析に値するのは、習氏の破格の笑顔の意味だ。今回、バリ島からバンコクでのAPEC首脳会議へと続く外交イベントの中で、習氏は日中首脳会談などの場を含め、記者のカメラににっこりと口角を上げ続けた。彼は明らかに、各国メディアが新聞のトップに採用しそうな写真では中国のソフトイメージを押し出し、対外環境の改善を試みていた。

 それはなぜか、中国をめぐる状況を考えれば、その意図は容易に理解できる。中国人はリアリストだ。新型コロナの流行後、米国から半導体の禁輸措置を受けた習近平政権は、新冷戦の到来を予測し、それを迎え撃つ覚悟を決めた。だが当時は、ロシアと肩を組んで長期的な対米闘争を乗り切るつもりだった(だから北京冬季オリンピックの開会式直前には、ウラジミール・プーチン大統領を破格の待遇でもてなした)。ところがロシアはウクライナ侵攻で判断ミスを起こし、西側諸国から厳しい制裁を受けて衰退局面に入った。習政権としては、目論見が狂ってしまったのだ。

 体勢の立て直しに迫られた習政権は、西側先進国の世界支配に不満を持つ専制国や発展途上国と関係を強化し、国力増強を支援して、反西側陣営を立て直すことに決めた。

 ただし、どうしても時間がかかる。この新たな作戦を実施するため、習氏は短期的には対米関係を緩和させて時間を稼ぎ、自国のソフトなイメージを強調して、国際的な仲間づくりに励まねばならない。10月の党大会報告を見ても、彼の米国への警戒心はまったく緩んでいない。

 そうした中で、習政権が対外協力の目玉に据えた始めたのが警察協力だ。ウイグル族弾圧のために開発した社会監視システムを、今度は国際貢献に活かすつもりだ。

 

警察による技術開発

「うちは兄弟が多いんだ。何人かは警察でエンジニアをやっている。」

 20年前の中国留学中、親しくしていた先生が他愛ない会話の中でそう言った。しかし、私の頭に浮かぶ警察は、交番のお巡りさんや、テレビドラマに出てくる刑事さんくらい。だから彼の発言の意味がすぐ呑み込めなかった。

「警察…でエンジニア? それって、何してるんですか?」

「作るんだよ、いろいろ。襟の裏に隠せる小さな盗聴器とか、ペンの軸の中に入る録音機とか。」

 戦後の平和日本で育った私は、国内治安の強化のため、警察自身が技術開発に励む国があることを理解していなかった。だが中国はそうなのだ。少数民族や外国人はよく監視対象になる。帰国して日本のある研究所に勤めていたころ、直前まで駐国連大使だった理事長と中国を訪問する機会があった。私は留学中に使っていた携帯電話の番号を、中国の相手の研究所に連絡用として伝えた。すると到着直後から通話音質が最悪。当初は理由不明だったが、さすがに1週間すると電波のせいではないと分かった。ある知人に電話していたとき、つい「ごめんね、いま盗聴されてるので音が悪いの」と口にしたら、真ん中で聞いていた人がガシャっと電話を切ってしまった。通話中電波は切れていないのに、聞こえてくる音が真っ白になった。当時は人間が作業していたから、驚かせるとそんなこともあった。

 ところが今日までに、中国の社会監視能力は高度に機械化された。スマホ、監視カメラ、電子マネー、衛星などを通して、中国では個人の行動に関するデータが当局に簡単に捕捉される。

 中国警察のエンジニアたちは、民間企業が先導したデジタルトランスフォメーションを高度な社会監視システムへと発展させた。それがなければ、習近平が長老たちの反対を抑え込んで政権運営3期目に乗り出すことも無理だったろう。

 

国境を越える社会監視システム

 懸念されるのは、中国がこの先端的社会監視システムの世界普及に着手したことだ。

 中国やロシアはかねて、米国はじめ西側諸国が、自分たちの国内にいる不満分子をそそのかして、自分たちの政治体制の転覆を試みていると考えてきた。他方、ロシアがウクライナ侵攻に失敗して弱体化局面に入ってから、中国は世界の反米陣営の立て直しが必要と認識した。そこで自分と同じような脅威に悩んでいるはずの専制国や途上国を抱き込もうとし始めた。中国は同年中、上海協力機構のメンバー国や、中東諸国、南太平洋島嶼国に「法執行」協力を持ちかけ、それぞれに数千人規模の警察官の養成を提案している(南太平洋ではソロモン以外は失敗)。12月のサウジアラビア訪問では、習近平はアラブ諸国に「スマート警察」の構築を支援すると明言した。これはビッグデータを用いた社会監視システムを提供できると言っているに等しい。

 中国としては、そうしたやり方で西側の影響力の浸透を防ぎ、各国の国内治安を向上させられれば、中国独自の国際貢献につながる、という程度の認識だろう。しかし、これは重大な問題になりうる。専制主義的な政権にとって、中国の社会監視システムは自分の統治を固定化する最強のツールになるからだ。だがそんなシステムが世界に広がることを、民主主義的な国々が容認できるだろうか。

 だから、習近平政権が国際貢献に励めば励むほど、世界的には政治体制の差に焦点が集まり、それぞれの陣営は強化され、両者の間の対立は加速する見込みなのだ。新冷戦への足取りは遠のいていない。小休止の後に、さらに大きな波がやってくるはずだ。

 


《にしの じゅんや》

1973年生まれ。96年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了、2005年、韓国・延世大学大学院政治学科博士課程修了(政治学博士)。専門分野は東アジア国際政治、現代韓国朝鮮政治、日韓関係。慶應義塾大学法学部専任講師、同准教授を経て現職。共著書に『戦後アジアの形成と日本』、『朝鮮半島と東アジア』、『アメリカ太平洋軍の研究』など。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

2023年日韓関係の展望

 

慶應義塾大学法学部教授
朝鮮半島研究センター長

西野 純也 氏

 

 2023年の日韓関係は、前年の流れを受けて関係改善の動きが続くことが予想される。しかし、この流れが本格化して関係が正常化するのかどうかは予断を許さない。最大の懸案である、いわゆる元徴用工裁判での韓国大法院判決を受けて、賠償支払いのために差し押さえられた日本企業資産の「現金化」問題は未解決のままである。18年のレーダー照射等による日韓防衛当局間の信頼の喪失や、19年の日本による対韓輸出規制強化など、関係正常化のために解くべき課題は山積している。それでも、22年5月に発足した韓国の尹錫悦政権による対日関係改善の努力と日韓を取り巻く厳しい国際情勢を受けて、過去10年間悪化したままだった日韓関係はようやく改善に向けて動き出した。

 

 今後のカギを握るのは、「現金化」問題の行方である。18年10月の韓国大法院による判決以降、日韓両政府はこの問題の解決方法をめぐって対立してきたことは周知の事実である。日本側は、1965年国交正常化時の協定により、両国間では問題は最終的かつ完全に解決済みであり、韓国政府が責任をもって判決への対応を行うべき、との立場で一貫してきた。

 それに対して文在寅政権は、「被害者中心主義」を掲げて日本側の対応を求めてきた。尹政権の発足は、こうした日韓の対立状況に変化をもたらした。一言でいえば、韓国政府がより主体的かつ積極的に問題を解決する方針へと転じたのである。

 尹政権は22年7月に「官民協議会」を発足させ、原告(元徴用工)代理人、政府、専門家による話し合いで解決方案の導出を試みてきた。4回にわたる協議会の開催を経て、尹政権は現在、原告に対する賠償支払いは日本企業ではなく韓国内の財団が肩代わりする方法で決着を図ろうとしているとされる。

 しかし原告らは、少なくとも日本企業による謝罪表明と財団への出資が必要との立場を示しており、日韓政府間ではこの点をめぐって協議が続いているものと思われる。

 22年11月にカンボジアで実現した3年ぶりの日韓首脳会談において、岸田文雄首相と尹大統領は、両首脳の指示を受けて外交当局間の交渉が加速していることを踏まえ、懸案の早期解決を図ることで一致した。日韓両国は23年の早い段階での解決を目指しているはずである。もし解決が23年後半以降となる場合には、日韓の国内政治が制約要因となって関係を改善または管理していくことが難しくなる可能性がある。

 特に、韓国では24年4月の国会議員総選挙に向けた政局に突入するため、与野党の対立がさらに激しくなるなど政治が不安定化していく時期に入る。そうなると、尹政権の日韓関係改善の意志にもかかわらず、野党の牽制や反対により対日政策はさらに大きな制約を受けざるを得ない。ちなみに、第1野党の「共に民主党」(文政権時の与党)は国会で過半数以上を占めている。したがって、いかなる解決方法をとるにしても、尹大統領は国内の説得と理解を得る努力に力を注がなければならないが、懸案解決に向けた日本側の協力姿勢が全くない場合、その努力は大きな困難に直面することになる。日韓の協議でそうした韓国内の状況も踏まえつつ、どのような解決法が導き出されるかが注目される。

 22年に顕著となった日韓関係に関するもうひとつの動きは、北朝鮮問題をめぐる日韓及び日米韓の連携、特に3カ国協力の「再活性化」である。ここで再活性化という言葉を使ったのは、22年に見られた防衛と抑止を強化する日米韓の連携は、朴槿恵政権後半の15年から16年にかけて既に実現していたからである。16年11月には日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)も締結された。しかし、17年の朴政権弾劾・罷免と文政権の誕生、そして18年の南北・米朝首脳会談などを受けて、日韓及び日米韓の安全保障協力は停滞していた。21年1月に同盟を重視するバイデン米政権が発足して日米韓の連携は復活しつつあったが、22年5月の尹政権発足はその動きに拍車をかけた。例えば、同年5月末には日米韓外相共同声明が発表されたし、続く6月には日米韓外交局長級協議、次官協議、日米韓防衛相会談、そしてNATO首脳会議の際の日米韓首脳会談がそれぞれ対面で実施された。その後も、3カ国の国家安保補佐官級や防衛制服組トップなど多様な枠組みによる協議が頻繁に開催された。

 11月には再び日米韓首脳がプノンペンで会って共同声明を発表しており、その内容は23年の方向性を示している。北朝鮮問題でのあらゆる協力が謳われており、とりわけ抑止力強化のための協働が重視されている。既に22年8月以降、日米韓共同の弾頭ミサイル探知訓練(パシフィック・ドラゴン)や対潜水艦作戦訓練が実施されており、首脳共同声明では北朝鮮のミサイル警戒データをリアルタイムで共有する意向が確認された。23年も北朝鮮による核・ミサイル開発と実戦配備の継続が見込まれる中、防衛と抑止面での日米韓協力は引き続き高い優先順位となる。

 最後に、日米韓首脳共同声明が「インド太平洋における三カ国パートナーシップに関するプノンペン声明」と題されていることから明らかなように、今後の日米韓協力は対北朝鮮だけでなく、インド太平洋における共同対応という観点から進むことになる。したがって、23年の日韓関係も、インド太平洋という地政学的空間を強く意識して展開されることになろう。22年11月の日韓首脳会談では、岸田首相が23年春までに新たな「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」プランを発表する予定を伝え、尹大統領は韓国が発表した「自由、平和、繁栄のインド太平洋戦略」について説明したという。両首脳は、双方のインド太平洋に関する構想を歓迎し、取り組みを連携させていくことで一致している。2023年に日韓両国は、二国間の懸案を解決に導き、インド太平洋における協働を進める中で新たな関係を築いていくことが期待される。

 


《きみづか なおたか》

1967年東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。93〜94年には英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジへ留学。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授を経て、2011年より関東学院大学国際文化学部教授。専攻は、イギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治、世界の王室研究。

 著書に、『立憲君主制の現在』(第40回サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』、『イギリスの歴史』など多数。17年より栄典に関する有識者(内閣府:現在に至る)、18年より国家安全保障局顧問(内閣官房:20年まで)などを務める。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

英国王室から学ぶことができる日本の皇室

 

関東学院大学教授

君塚 直隆 氏

 

 二〇二二年九月、七〇年以上にも及んだ在位に幕を閉じ、英国のエリザベス女王が崩御した。女王の国葬には、天皇皇后両陛下をはじめ世界中から貴顕(きけん)が駆けつけるとともに、英国内からも多くの市民がロンドンを訪れ、ウエストミンスター・ホールに正装安置された女王の棺に最後の別れを告げていた。

 

 テレビのインタビューを受けた人々は「リヴァプールから来た」「ブリストルから駆けつけた」と口々に答え、なかには最大で24時間も列に並んだ人もいた。「なぜいらしたのですか?」との質問に、多くの市民が一様に応えたのが「女王は私たちのためにその一生を捧げてくれたから、是非とも最後にお礼を言いたかった」というものであった。

 筆者は女王の国葬をテレビ中継で解説するため、当時ロンドンを訪れていたが、王室御用達の高級店はもとより、失礼ながら王室とは直接的には関係がないであろうと思われる、様々な商店やオフィスまでもが亡き女王の写真を飾り、それぞれに追悼コーナーを設けていたのには驚かされた。

 なぜエリザベス女王はこれほどまでに人々から愛されたのであろうか。女王の七〇年は決して順風満帆の状況だけではなかった。特にその最大の危機ともいうべきものが、いまからちょうど四半世紀前に生じた一九九七年の「ダイアナ事件」のときだったのであろう。パリで事故死し、先般の女王の国葬が営まれたウエストミンスター寺院で葬儀が執り行われるまでの一週間、すでにチャールズ皇太子と離婚していたダイアナは「もはや王族ではない」ということで、女王はいっさいメッセージを寄せなかった。

 しかし、これは当時の国民の大半とは相容れない考え方であった。女王は急遽ロンドンに戻り、ダイアナの葬儀にも出席したものの、王室の支持率は急下降した。国民の多くは、「自分たちのために慈善活動に精を出したのはダイアナだけ」と誤解し、女王をはじめ、英国王室は何もしてくれていないと思い込んでいた。これは明らかに広報が不足している。当時においても英国王族は一五人ほどで三〇〇〇もの各種団体にパトロンとして関わり、日夜国民のため世界のために奔走していた。「国民は分かってくれている」などとあぐらをかいていてはダメだ。

 女王は失敗からすぐに学べる人物であった。ちょうど一九九七年から立ち上げていた、英国王室のホームページを充実化させるとともに、各種冊子も発行し、二一世紀に入るとツイッターやインスタグラム、ユーチューブにも参入した。女王や王族が日頃どのような活動をしているのかを、最新の写真とともにアップしていった。その成果は一五年ほどで現れた。二〇一二年、ダイヤモンド・ジュビリー(在位六〇周年記念式典)を迎えた女王は、国民からようやくその「真の姿」を理解され、国民は彼女の慶事を心から祝福した。

 さらに一〇年後の二〇二二年には、英国史上初めてのプラチナ・ジュビリー(在位七〇周年記念式典)を迎えたエリザベス女王は、国民からさらなる拍手喝采を受けたのである。それからわずか三カ月後に女王は突然この世を去った。その晩年には、孫のヘンリー王子夫妻が突如王室を離脱してアメリカに移住するという出来事が生じた。英国王室の広報体制が一九九七年以前のままで止まっていたら、今回も国民の多くは女王を非難していたかもしれない。

 しかし、ヘンリー夫妻から殿下の称号も公務も取り上げた女王の決断は、世論調査では実に九割近くの国民から圧倒的な支持を集めたのである。

 王室が国民に近づきすぎるのも問題があるかもしれない。女王や王族がごく普通の市民と同じであるならばその存在意義はどこにあるのか。とはいえ、逆に市民からあまりにもかけ離れた「雲上人」でも困る。人々は王室のことなど忘れ、さらに関心さえいだかなくなるだろう。昨今の日本の皇室はまさにこの後者の状態にあるのではなかろうか。

 戦後の日本では「開かれた皇室」が生まれたとよく言われる。確かに、上皇陛下と上皇后陛下は、その前の昭和天皇の時代に比べて格段に国民に近づき「寄り添うようになった」といっても過言ではないだろう。

 そして現在の天皇陛下は、即位の際にさらに国民に近づきたいと願っておられた。ところが現状は、即位されて後に早々に生じてしまったコロナ禍の影響もあり、皇室と国民との距離は逆に拡がってしまったかのように思える。

 ヨーロッパでは、英国王室が嚆矢(こうし)となり、北欧でもベネルクスでもすべての王室がホームページやSNSを開設し、自国民に自分たちの活動を積極的に広報するようになった。

 さらにエリザベス女王が即位当初から始めた「クリスマス・メッセージ」も、各国の王や女王、さらには共和制の国でも大統領や首相がこれを真似て、年末年始におこなうようになった。

 それは単に広報という問題だけではなく、かつてエリザベス女王が述べた(一九五三年)とおり、君主というものが「あなたと私の間を結ぶ生きた紐帯(ちゆうたい)」であることをも示す重要な場にもなっていった。

 日頃から国民へメッセージを寄せていれば、いざというときにも寄せることができる。コロナ禍が世界を席巻し始めた二〇二〇年春、エリザベス女王を始めヨーロッパの王侯や大統領らはすぐさまテレビで国民に「団結と忍耐」を訴えかけた。残念ながら、我が国ではそのような場面は見られなかった。

 SNSをはじめとする様々な広報活動に、日本の皇室も本格的に乗り出してもよいのではないだろうか。

 それがまた、天皇陛下と国民とをつなぐ温かい架け橋にもなってくれるのではないだろうか。

 


《しまだ よういち》

1957年大阪府生まれ。専門は国際政治学。主に日米関係を研究。京都大学大学院法学研究科政治学専攻課程を修了。著書に『アメリカ解体』、『三年後に世界は中国を破滅させる』など。

2023年1月2日号 週刊「世界と日本」第2236号 より

 

2023年の日本の外交戦略を考える

 

福井県立大学教授

島田 洋一 氏

 

 「自由で開かれたインド太平洋」構想は、安倍晋三元首相が打ち出したものだが、今や自由主義圏全体の基本戦略になった感がある。米上院が全会一致で採択した安倍元首相追悼決議でも、クアッド(日米豪印4カ国協力体制)の形成期における安倍氏の主導性をはっきり認め、その遺志を継承すべきと銘記している。

 

 この構想の核心は、中国共産党政権(以下中共)による非平和的で国際ルールを無視した覇権追求の阻止であり、さらには自由、民主、法の支配、人権といった価値観に基づく巻き返しである。

 かつて国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の一員としてインドを訪れ、情報機関系の研究所と意見交換を行った際、相手から印象深い発言を聞いた。「インドの病気は非同盟主義、日本の病気は憲法第9条」というのである。

 非同盟主義は、冷戦下、米ソ両陣営のいずれにも加わらず、「第三世界」を形成して米ソに圧力を掛け、平和を実現しようとの発想で、インドのネルー首相が提唱したものである。しかし実際には、アメリカと距離を置く一方、兵器システムの調達などでソ連(崩壊後はロシア)に近寄る傾向が強かった。

 プーチン政権のウクライナ侵略に対し、インドがロシアからの原油輸入を増やすなど、自由主義圏の対ロ制裁を掘り崩す行動に出ているのも、一因は、いまだに兵器本体や部品の供給をロシアに頼っている「弱み」にある。

 インドを明確に自由主義陣営に組み込むには、兵器システムの共有に関してもクアッドを準同盟機構に発展させていかねばならない。そのためには日本も「防衛装備品輸出」をめぐる自縄自縛(じじようじばく)的規制を排する必要がある。そもそも武器と言わずに「防衛装備品」と称している時点で及び腰は明らかである。

 中共と対峙する有志諸国に優れた日本製武器を輸出する行為は何ら悪ではない。「民主主義の武器庫」という言葉があるように積極的意義を有するものと捉えねばならない。輸出で当該武器の生産量が増えれば、日本の防衛産業の足腰が強化され、日本自らの国防基盤強化にも資する。「憲法9条の精神に反する」「死の商人」といった反軍平和主義勢力の非難にひるんではならない。

 インドと共にクアッドの一角を占めるオーストラリアは、2021年9月、米英と共に安全保障体制を強化するオーカス(AUKUS、3カ国の頭文字を並べた略称)を立ち上げ、その目玉として原子力潜水艦の獲得を打ち出した。原子力発電所を持たないオーストラリアが原潜保有に乗り出した事実に、同国要路における対中国防意識の高まりが如実に窺(うかが)える。

 長期間燃料を補給せずに活動できる原潜なら、台湾海峡周辺や西太平洋全域にまで活動領域を広げ、米英海軍と並んで中共の海洋進出に睨みを利かせられる。日本も非生産的な「核アレルギー」の一環たる原潜タブーを排し、オーカスに参入していくぐらいでなければならない。

 アメリカの核抑止戦略の実行を担う米戦略司令部のチャールズ・リチャード司令官は、中国が軍事力においてアメリカに追いつき凌駕する勢いを見せる中で、潜水艦分野だけは米側が優位を保っていると証言している。しかし増強に努めなければその優位すら失われるという。

 核ミサイルを搭載した戦略潜水艦、海中から敵艦船を狙う攻撃潜水艦はいずれも抑止力の中核要素と言える。米英日豪印の枠組で充実を図っていかねばならない。

 私個人は、日本もイギリス型の独自核抑止力を保有すべきだと思っている。「核兵器廃絶がライフワーク」という岸田文雄首相ですら、予見しうる将来「核抑止力は引き続き必要」と述べている。しかし中国や北朝鮮とアメリカの間に「恐怖の均衡」が成り立つに至った今、米国の「核の傘」に全面的に頼るわけにはいかない。

 イギリスは「連続航行抑止」と呼ばれる核抑止戦略を採っている。「少なくとも1隻の核兵器装備潜水艦が、最も極端な脅威に対応するため、発見されずに常時パトロールを続ける態勢」と英政府は解説する。

 具体的には、バンガード級戦略原潜(全長約150メートル、乗員135人)4隻が、それぞれ16基のトライデント㈼ミサイルを搭載し(1基当たり個別誘導の核弾頭3発を装備可能)、1隻当たり最大48カ所、4隻合わせて約200カ所の目標を攻撃できる。

 ちなみにフランスも、ほぼ同様の核抑止システムを採っている。日本の核武装はアメリカにおいても、自由民主主義の確立した信頼できる同盟国が核抑止力保持の重荷を分担してくれるなら歓迎すべきとの意見も少なからずある。

 要は日本が確固たる意思を示すかどうかである。日本が本気と見れば、アメリカは妨害して日米同盟を壊すのではなく、黙認する方向に傾くだろう。現にイスラエルやインドの核武装をアメリカは黙認した。

 2023年は日本においても本格的な核論議開始の年としたい。それだけでも一定程度、抑止力の強化に資し、日本の外交力を高めるだろう。中国や北朝鮮のような専制国家に対し、力の裏付けのない外交は無力である。強力な報復力(抑止力)を示すことが意味ある交渉の戸口を開く。

 アメリカでは中間選挙の結果、下院で共和党が多数を得、主導権を握るに至った。キーパーソン中のキーパーソンが米政界屈指の対中強硬派、マイケル・マッコール下院外交委員長である(2023年1月就任予定)。

 同議員は、バイデン政権が2022年10月に、議会の圧力を受けて打ち出した最先端半導体の対中輸出全面規制が緩みなく執行されているか、商務省に内部資料を出させ徹底検証していくと宣言している。

 その際、日欧や韓国(サムスン)が抜け穴になれば意味がない。日本を含む同盟諸国にも制裁を盾にした規制圧力が掛かってくるだろう。具体的には、違反企業は米市場から締め出す、米金融機関に口座を持たせない(ドル決済ができず、貿易不能になる)などの措置である。日米同盟強化のためにも、日本は受け身でなく、率先して対応していく必要がある。

 


《あらき かずひろ》

1956年東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。民社党本部勤務の後97年から拓殖大学海外事情研究所講師、その後助教授を経て現職。予備役ブルーリボンの会代表。2003年から18年まで予備自衛官。著書に『「希望」作戦、発動 北朝鮮拉致被害者を救出せよ』他。

2022年12月5日号 週刊「世界と日本」第2234号 より

 

小泉訪朝から20年、拉致被害者の救出
日本に何ができるか、何をすべきか

 

拓殖大学海外事情研究所教授
特定失踪者問題調査会代表

荒木 和博 氏

 

 「最優先課題」に始まり、「断腸の思い」で終わる、内閣が替わるたびにこの言葉が繰り返されてきた。「最優先課題」とは言うまでもなく拉致問題だ。もはや総理・担当大臣の意志など入っていない。単なる決まり文句でしかない。

 

 「認定の有無にかかわらずすべての被害者の1日も早い帰国の実現に向けて全力で取り組む」というが、この20年、誰も被害者が帰っていないことはご案内の通りである。

 しかし何をやっているのか、どこまで政府は拉致被害者の情報を把握しているのかと国会で問われれば「捜査、調査に(あるいは外交交渉に)支障を来す恐れがあるため答弁は差し控えさせていただく」の連発。そうやっているうちに家族はどんどん衰え、亡くなっていく。

 「親世代は横田早紀江さんと有本明弘さんの2人だけになった」と言う。嘘である。政府認定の拉致被害者ならそうかも知れない。

 しかし認定されていない拉致被害者はどれだけいるのか、誰も分からないのだ。日本政府はもちろん、拉致をした当の北朝鮮でさえ。そして彼らの帰りを待っている親は私たちが知らないところにもいる。そしてその世代は確実に減りつつある。

 平成26(2014)年5月、北朝鮮が国内にいるすべての日本人について調査を行うとして合意した、いわゆる「ストックホルム合意」の後、北朝鮮側から出てきた報告書には少なくとも2人の名前があった。政府認定拉致被害者田中実さんと特定失踪者金田龍光さんである。

 2人は神戸市灘区にある同じ養護学校で育ち、同じ東灘区のラーメン店に勤めた。その店主韓竜大は北朝鮮工作機関の秘密組織「洛東江」の一員であり、田中さんは昭和53(1978)年6月に騙されてウィーン経由で北朝鮮に拉致された。そして偽装と思われる田中さんからの手紙を読んで金田さんも翌年ウィーンに向かうため上京し、そのまま行方不明になった。

 この2人が北朝鮮にいることが当時の報告書に書かれていた。それはつまり北朝鮮が2人を返す意志があったということだ。しかし日本政府は受け取らなかった。なぜか、家族がいないからだ。

 2人の存在が北朝鮮から日本政府に伝えられたことは、前から言われてきたが、国会で質問を受けても政府は「答弁を差し控える」で逃げ続けた。否定しないのだから要は肯定なのだが、公式の発言はなかった。

 しかし、今年9月17日、小泉訪朝から20周年の日に朝日新聞デジタルで報じられた斎木昭隆・元外務事務次官のインタビューには次のくだりがある。

 

聞き手 (ストックホルム合意の後)北朝鮮からは、拉致被害者の田中実さんや知人の金田龍光さんの生存情報が提供されたと報じられています。

斎木元次官 北朝鮮からの調査報告の中に、そうした情報が入っていたというのは、その通りです。ただ、それ以外に新しい内容がなかったので報告書は受け取りませんでした。

 

 驚くべき内容だが、実はオンレコ、つまり公の発言としてはこれより1年以上前に明らかになっていたのだ。昨年8月11日付の朝日新聞、「未完の最長政権」という連載の中の古屋圭司・元拉致問題担当大臣のインタビューである。

 

聞き手 北朝鮮は非公式協議で、行方不明になった神戸市出身の田中実さんと、知人の金田龍光さんの生存を明かしたとされていますが、日本政府は報告を受け取りませんでした。なぜでしょうか。

古屋元大臣 過去の教訓から、報告書を受け取れば北朝鮮のペースになるとの懸念がありました。小泉訪朝で(拉致被害者の一部にあたる)5人を帰して(問題の)幕引きを図ろうとしたからです。今回もこの2人で、となれば同じことになると考えるのは当然です。

 

 お恥ずかしいことながら、私が斎木元次官のインタビューについて知ったのは報道から2週間近く経った9月29日のことである。それも知人から聞いて知ったのだった。古屋元大臣の発言に至っては11月14日に知ったのである。実に1年3カ月気づいていなかったわけで、ただただ恥じ入るしかない。

 それにしても斎木元次官も古屋元大臣も、田中さんと金田さんを事実上見捨てたことについて、インタビューを読む限りでは特段の悩みを持った様子はない。おそらく北朝鮮当局の人間は、2人に「こっちは返しても良いと言ったんだが日本政府はお前たちを見捨てたぞ」と言ったろう。そのとき2人がどう思ったか、想像もしたくないのだが、そんなことに思いは至らなかったのだろうか。

 また、これが例えば横田めぐみさんや有本恵子さんの名前を北朝鮮が出してきたらどうしただろう。「報告書を受け取れば北朝鮮のペースになるとの懸念」があって受け取らなかっただろうか。

 これまで救う会・家族会は方針として「全拉致被害者の即時一括帰国」を要求してきた。スローガンとして、あるいは北朝鮮に求めるのはそれで良いだろう。

 しかし現実には「全拉致被害者」が何人いるのか分かってもいないのに「全員でないから受け取らない」などと言っていたら誰も日本に戻ることはできない。あるいはマスコミ受けする有名な拉致被害者を何人か取り返してあとは棚上げしてしまうしかない。

 特定失踪者問題調査会の特定失踪者リストは約470人である。そのほとんどを含む警察の特定失踪者リストは約900人、もちろんこの中には拉致でないことが後に分かる人もいるはずだ。しかし一方でこの900人の外にも間違いなく私たちの知らない拉致被害者がいる。

 もう一度考えてみよう。拉致被害者は政府が認定していようがいまいが、家族がいようがいまいが取り返さなければならない。それが日本という共同体を維持するために必要不可欠なことなのだ。この当たり前のことを私たち一人一人が再認識するのが被害者救出への一歩なのではないだろうか。

 田中実さん・金田龍光さんを見捨てることは横田めぐみさんら政府認定拉致被害者も含めて全てを見捨てることにつながる。そしてその先には今日本にいる私たちの家族や友人も見捨て、最後には自分が見捨てられるのだということを忘れてはならない。

 


岡部芳彦氏が着ているのはウクライナの民族衣装ヴィシヴァンカです。
岡部芳彦氏が着ているのはウクライナの民族衣装ヴィシヴァンカです。

《おかべ よしひこ》

1973年兵庫県生まれ。博士(歴史学)、博士(経済学)。神戸学院大学経済学部教授、ウクライナ研究会(国際ウクライナ学会日本支部)会長。日本人初のウクライナ国立農業科学アカデミー外国人会員。ウクライナ内閣名誉章、最高会議章を受章。著書に『本当のウクライナ』(ワニブックスPLUS新書、2022年)、『日本ウクライナ交流史』(神院大出版会、2021、22年)など。

 

2022年12月5日号 週刊「世界と日本」第2234号 より

 

『日本人とウクライナ人—過去・現在・未来—』

 

神戸学院大学 経済学部教授

岡部 芳彦 氏

 

 今から10年くらい前のことである。キーウにある世界遺産のペチェルシカ大修道院にほど近い国境警備隊博物館に招かれた。ひととおり展示を見終わると、急に大きなホールに通された。そこには退役軍人を中心に100人近くが集まっており、歓迎会にしては大げさだなと感じた。

 乾杯が終わり、宴もたけなわとなると、1人の若者が壇上に進み出て「あなたはこの博物館に来る初めての日本人です。実は、私が入手し寄贈した所蔵品に日本兵の遺品の旗があります。かつての日本人とウクライナ人の友情の証として、日本にお還ししたい」と言いだした。

 急な出来事に驚き、日本の代表でもない自分が預かっていいものか戸惑ったが、その場の空気に押されてひとまず受け取った。彼らの希望を聞くと「日本には〈兵士の聖堂〉があると聞く。そこに持っていってくれないか」と言う。兵士の聖堂、なるほど靖国神社のことかと思い、帰国後、すぐに番号をネットで調べて社務所に電話した。しかし、筆者が元来早口であるのと、やや説明が複雑な内容で、うまく伝わらず、その日は電話を切ることになった。

 しばらくの間、旗を書斎の机に置いていたところ、掃除をしていた妻が、染みがあることに気が付いた。現地では、なぜ付いたかは分からないが血痕で「血染めの旭日旗」との説明を受けた。それを告げると妻に、そんな深い思いがこもったものなら、できるだけ早くウクライナの人たちの希望を叶えるべきだと言われた。

 それから方々でこの話をしていると、ある人が、そういう事なら、安倍晋三氏に相談してはどうかと、公設秘書を紹介してくれた。言われた番号に電話し一通り説明し、電話を切った。10分ほどして今度は電話がかかってきて、開口一番「安倍晋三です」。電話口で呆気にとられている筆者に対して、安倍氏は自分が間に入るので大丈夫だと告げた。その後、靖国神社ともうまく話しが繋がり、ウクライナ側の了解も得て、お焚き上げ、つまり供養のために燃やすことになった。

 そのことを安倍事務所に伝えると、安倍氏がぜひ一度その旗が見たいと言っているとのことであった。お焚き上げの日の朝、事務所を訪ねた。奥の個室で旗を手に取った瞬間、安倍氏は一言「よく遠いところを還ってきてくれた」と呟いた。感慨深げに旗を眺めるその瞳には涙が浮かんでいた。

 旧ソ連やロシアの影に隠れていたが、実は日本人とウクライナ人の交流の歴史は長く、深い。1916年にカルメリューク・カメンスキーのウクライナ人劇団が来日し、神戸、東京、横浜とツアーし、拍手喝さいを浴びた。1924年に宮沢賢治は故郷岩手の農婦を、同地への憧れの念から「ウクライナの舞手」に例えた。ウクライナの盲目の詩人ワシリー・エロシェンコは郷土料理のボルシチを日本に伝えたのも同じ頃だ。

 満洲のハルビンに住む「白系ロシア人」のうち約1万5千人はウクライナ人で、祖国の独立運動を展開する者もいた。また、1930年代後半には、独立を目指すウクライナ民族主義者組織OUNのグループが満洲に送り込まれ、日本当局やハルビン特務機関の支援を受け活動した。日本の敗戦後、多くの者はソ連当局に逮捕され、シベリアや中央アジアの収容所に送られた。

 国境警備隊博物館でのセレモニーの際、前出の若者が、その血染めの旭日旗を「かつての日本人とウクライナ人の友情の証」と言ったのかがずっと気にかかっていた。同じ日、退役軍人のリーダーが乾杯の音頭の際、「かつてウクライナ人と日本人はシベリアの収容所で共に闘った」との挨拶もあった。最近になって、それが1953年のノリリスク蜂起であることが分かった。

 1953年3月、スターリン死去後も、100万人を超える囚人がグラーグ(強制収容所)に残った。政治犯の70%以上がウクライナ人で、その多くは独立運動を行ったウクライナ蜂起軍UPA、ウクライナ民族主義者組織OUNの関係者であった。同年5月には、待遇改善などを求め、ウクライナ人政治犯を中心に北極圏にある都市ノリリスクで大蜂起が起こった。

 当時、ノリリスクには、少なくとも50人以上の日本人が長期抑留されており、その中には数名の女性も含まれた。蜂起に参加したウクライナ人収容者ヴァシリ・ニコリシンによれば、日本人抑留者はウクライナ人とともに闘った。蜂起の最中、日本人の大佐がやって来て「ヴァシャさん、私たちはあなたが公正で正直な人だと思っている。私たちもあなた達と一緒に死ぬということを言うために来た」と言ったそうである。ニコリシンは「日本人の運命がどうなったかは知りませんが、私はこのエピソードを一生忘れないでしょう」とも述べている。

 シベリアの強制収容所でウクライナ人と収容されていた元関東軍情報部所属の黒澤嘉幸という人物は、1991年12月にソ連崩壊の報に接した時の気持ちを次のように記している「囚人仲間であったウクライナの親父の顔が浮かぶ。彼は言っていた。〈独ソ戦が始まって、ドイツ軍がやって来た時、祖国ウクライナの旗を押し入れの奥深いところから、引きずり出して“祖国解放万歳”を叫んだ。が、再び、ソ連の支配下になった。ウクライナの旗は、また、しまい込まれてしまった。しかし、いつか、その独立の日に……〉。半世紀の歳月の間、ウクライナの人々は、ソ連官憲の目を恐れながらも、祖国の旗をわが家に隠し続けていることを教えられた。〈祖国を愛する〉ということは、こう言うことだ、今ごろ、しまい込んだままのその旗を掲げているだろう。高々と祖国の旗を……」。

 2022年11月11日、今回の戦争で唯一ロシアに占領された州都ヘルソンがウクライナ軍によって解放された。同軍兵士によってSNSで投稿されたさまざまな映像では、大小のウクライナ国旗を高々と掲げ歓喜する老若男女の市民たちの姿が映っていた。世界中の支援を受け、なんとか強大な軍事国家から祖国を守ることができたウクライナ。ただ、彼らが何とか耐えることが出来た理由の一つに、勝利を信じてやまないその姿勢があるのも事実である。ウクライナ人のその佇まいに我々は学ぶことが多いのではないだろうか。

 


《きみづか なおたか》

1967年東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。93〜94年には英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジへ留学。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授を経て、2011年より関東学院大学国際文化学部教授。専攻は、イギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治、世界の王室研究。

 著書に、『立憲君主制の現在』(第40回サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』、『イギリスの歴史』など多数。17年より栄典に関する有識者(内閣府:現在に至る)、18年より国家安全保障局顧問(内閣官房:20年まで)などを務める。

 

2022年11月7日号 週刊「世界と日本」第2232号 より

 

イギリス王室のゆくえ

 

関東学院大学教授

君塚 直隆 氏

 

 二〇二二年九月八日、イギリスのエリザベス二世女王が九六年の生涯に幕を閉じた。その在位期間は七〇年と二一四日。イギリス史上で最長在位にして最長寿の君主であった。女王がイギリスや世界に残した功績は数限りない。

 

 エリザベス女王が即位した一九五二年は、第二次世界大戦が終結してまだ七年ほどしか経っておらず、戦勝国であったはずのイギリスは、敗戦国さながらに経済も社会も疲弊しきっていた。

 翌五三年六月に挙行された女王の戴冠式は、それまで暗い世相に沈んでいたイギリス国民にひとときの喜びを与える一大イベントとなってくれた。

 しかしその後、世界中に拡がる植民地は次々と独立を果たし、イギリスはもはや「大英帝国」などとは呼べない状態へと落ち込み、一九六〇年代後半から七〇年代にかけては「英国病」という造語まで日本で飛び出すほど、イギリスは失墜していった。

 こうしたなかでも常に国民を励ましていたのが女王だった。一九八〇年代にサッチャー革命によって、イギリスは奇跡の経済回復を遂げていくこととなり、二十一世紀のこんにちにおいても国際社会で一定の発言力を持つ大国としての地位を占め続けている。このように紆余曲折を経てきた七〇年間のイギリスの歴史を支えてきたのもまた女王陛下だった。

 七〇年間に一三〇回もの海外訪問をおこない、のべで三五〇カ国以上を訪れた女王は、ソフトの側面から英国の政治外交を支えてきた。

 彼女が相対したアメリカ大統領は一四代にものぼり、最初に接遇されたのはトルーマンだった。さらに「アイク」ことアイゼンハワー大統領は、彼女にとっては大戦での「戦友」だった。

 こうした閲歴の重みが、近年のオバマやトランプが女王に接したときに見せた、敬意の表れにとっての源泉となっていた。

 エリザベス女王が国際政治のなかで最も気を遣ったのがコモンウェルス(旧英連邦)の紐帯としての役割についてであった。

 かつては支配=被支配の関係の下で、本国にとって搾取の対象にすぎなかった植民地は、自治領や独立国となったのちもその大半がイギリスなどとの関係を保っていく。七〇年にわたってその首長を務めた女王は、コモンウェルスの首脳たちと「兄弟」さらに近年では「母子」のような関係で結ばれていた。

 このようなソフトの外交が時としてハードに転じ、世界的な偉業を成し遂げることもあった。

 かつてコモンウェルスのメンバーだった南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離政策)反対の闘士であるマンデラを、二八年近くにもわたる虜囚生活から一九九〇年に解放したのは、女王とアフリカ諸国の指導者らの尽力にほかならなかった。この直後にアパルトヘイトそれ自体がなし崩し的に廃止されていった史実は、読者にもおなじみであろう。

 現在、五六カ国から構成されるコモンウェルスは、地域限定的な問題というよりは、このような人権侵害に代表される全人類的な問題の解決に力を注いでいる。

 人権問題と並んでコモンウェルスが解決に挑んでいる課題が地球環境問題である。

 この分野で最大級のエキスパートともいうべき存在が、現在のチャールズ三世国王なのだ。彼はケンブリッジの学生だった一九六〇年代末の時点から、すでに海洋汚染や森林破壊などの環境問題に警鐘を鳴らしていた。

 しかし当時それは「変人」扱いされるにすぎなかった。それがいまや地球環境問題は時代の最先端にある。二〇一八年に開かれたコモンウェルス首脳会議でチャールズが次代の首長に選ばれたのはこうした長年の活動が影響していた。

 エリザベス女王が担ったもうひとつの重要な役割が、「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」の当主としてのそれであった。

 二〇一六年六月にイギリスは国民投票により「ブレグジット(EUからの離脱)」を僅差ながらも決めた。ところがスコットランドでは、EU残留派(六二%)のほうが多数を占めていた。これを機にイギリスからの「独立」を果たし、EUへの加入を試みたいとする声もあがっている。特に現在のスコットランド首相(精確には第一大臣)であるスタージョン女史は筋金入りの独立派である。

 とはいえ、そのスタージョンでさえも自身を大統領とする「スコットランド共和国」の建国までは考えていない。万一「独立」が達成されたとしても、その元首にはエリザベス女王に収まっていただき、一七〇七年以前のようなイングランド王国とスコットランド王国の「同君連合」を想定していたのである。女王はスコットランドでも絶大な人気を誇り、毎夏北部のバルモラル城で過ごしてきた。

 今年九月に逝去されたのもこの城においてであった。彼女にスコットランド人の血が半分流れているのも強みである。母のエリザベス王妃(のちにクイーンマザーと親しまれた)はスコットランドの名門貴族の令嬢だったのだ。

 このエリザベス女王に比較すると、チャールズ新国王はやはり「ダイアナの影」の影響もあり、イギリス全体はもとより、スコットランドでも母王のような人望はあまりない。

 しかし彼を支えるウィリアム皇太子とキャサリン妃は違う。彼らは将来国王と王妃に即く暁には、イギリス史上初めてスコットランドの大学(セント・アンドリューズ大学)出身者となる。

 連合王国にも解体の危機がおとずれている現在、チャールズ三世はカミラ王妃やウィリアム皇太子夫妻、さらにはジョージ王子を筆頭とする孫たちの力も借りながら、国内外の難局にこれからも立ち向かっていくことになるであろう。

 


《にわ ふみお》

1979年、石川県生まれ。東海大学大学院政治学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(安全保障)。2022年から現職。拓殖大学海外事情研究所附属台湾研究センター長、大学院地方政治行政研究科教授。岐阜女子大学特別客員教授も務める。著書に『「日中問題」という「国内問題」—戦後日本外交と中国・台湾』(一藝社)等多数。

 

2022年10月17日号 週刊「世界と日本」第2231号 より

 

『日中共同声明』と台湾

—永久に一致できない立場とは—

 

拓殖大学  政経学部教授

丹羽 文生 氏

 

 今から50年前の1972年9月29日、北京の人民大会堂で「日中共同声明」の調印式が行われた。深緑のテーブルクロスに覆われた長机の上には「日の丸」と「五星紅旗」が置かれ、赤紫の椅子が4つ並べられた。

 向かって左に首相の田中角栄と外務大臣の大平正芳、右に国務院総理の周恩来(シュウオンライ)と外交部長の姫鵬飛(キホウヒ)が座った。それぞれテーブルの上の硯箱から毛筆を取り出すと、日本語と中国語で書かれた日中共同声明の正文、英語の副文に署名し、田中、周恩来が立ち上がって署名を終えた正文を交換して固く握手を交わした。これにより長年の懸案だった日中国交正常化が実現した。

 しかし、ここに至るまでの道程は決して平坦ではなかった。最大の障壁となったのが台湾問題だった。日中国交正常化は、これまで日華平和条約に基づいて20年間に亘って外交関係を維持してきた台湾の「中華民国」との断交を意味していた。侃侃諤諤(かんかんがくがく)の交渉が続くも、日中間の隔たりは大きく、途中、決裂止むなしという状況にまで陥った。

 結論から言えば、日本側は日中共同声明において「中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の正統政府」であることを承認した上で、台湾問題に関しては第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とした。そのポイントは、まず「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」であるとの中国側の主張に対し、日本は「理解し、尊重」するとの立場を取ったことである。これは「上海コミュニケ」にある「認識する」(acknowledge)との外交用語を「理解し、尊重」に置き換えたものだった。

 上海コミュニケは、その年の2月にアメリカ大統領のニクソンが訪中した際、米中間で発したステートメントで、その中に「米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している」との一文があった。アメリカ側は、「台湾は中国の一部分である」と中国側が主張している事実は認めたものの、主張そのものは認めなかったのである。

 「中華人民共和国」が台湾を統治した事実など、過去1度たりともない。そのため日本側も、中国側の主張を「承認」できるはずがなかった。それに日本側としては、サンフランシスコ講和で、かつて日本だった台湾に対する全ての権利を放棄しているため、台湾の帰属先に関し独自に言及する立場になかった。

 一方、後段にある「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とは何を意味するのか。ポツダム宣言第8項には「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラル」べしとある。カイロ宣言は1943年12月にルーズベルト、チャーチル、蒋介石(ショウカイセキ)の3人がカイロで開いた会談後に発表されたもので、そこには「台湾及澎湖島(ほうことう)ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」と書かれてあった。ここで言う「中華民国」とは、「中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の正統政府」であるとすれば、「中華人民共和国」が継承した「中国」ということになる。

 日本側はポツダム宣言に言及することで、台湾を「中国」に返還するとしたカイロ宣言を支持しているとのスタンスを示したのである。ただし、このカイロ宣言には日付もなければ3人の署名もない。行政文書としての有効性に疑義があることを承知の上で、日本側は、これを提案し、中国側の了承を得て妥結を図ったのである。

 以上は、外務省条約局条約課長として日中共同声明の文案作りに携わった元外務事務次官の栗山尚一が生前、筆者のインタビューの中で語ったものである。栗山曰く、交渉が難航することを想定し、この妥協案を記したメモを事前に背広の内ポケットに忍ばせていたという。

 日中共同声明が交わされた直後、記者会見に臨んだ大平は「日中国交正常化の結果として、日華平和条約は、存続の意義を失ない、終了したものと認められるというのが日本政府の見解であります」と、日華平和条約の無効を宣言した。これに対し、「中華民国」側は即日、「対日断交宣言」を発した。

 だが、外交関係は途絶しても、それ以外の経済・貿易・文化といった実務関係は従来通り維持していくこととなり、日本側に交流協会(日本台湾交流協会)、台湾側に亜東関係協会(台湾日本関係協会)という「窓口機関」を設置した。これには中国側も事前に了承していた。逆に交渉時、周恩来から大平に「日本側から、主導的に先に台湾に『事務所』を出した方が良いのではないか?」と促していた記録が当時の外交史料の中に残っている。周恩来は日台間の実務関係の継続にまで異論を唱えれば、全てが台無しになると察したのであろう。

 田中一行が中国から帰国した日、自民党本部で開かれた両院議員総会で、大平から日中共同声明の内容に関する説明があった。大平は日中共同声明について「第3項目は、台湾の領土権の問題で、中国側は『中華人民共和国の領土の不可分の一部』と主張したが、日本側はこれを『理解し尊重する』とし、承認する立場をとらなかった。両国が永久に一致できない立場を表わした」と述べた。さらに、それから1週間後の10月6日、時事通信社の内外情勢調査会に講師として招かれた大平は、ここでも「中国側は台湾は中国の領土の不可分の一部であると主張するわけです。日本はこれを理解し、尊重するといっているが、それを承認するとは書いていないのでございます」と断言している。

 昨今、日本の言論界は台湾有事に関する話題で持ち切りであるが、中には、まるで台湾が香港と同じ「中華人民共和国」の特別行政区のようなものと勘違いしている所謂「知識人」の姿が見受けられる。不勉強と断ぜざるを得ない。今一度、日中共同声明の内容を再確認すべきである。

(敬称略)

 


《かわぐち まーん えみ》

85年シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。最新刊は『メルケル 仮面の裏側』など著書多数。

 

2022年8月15日号 週刊「世界と日本」第2227号 より

 

ロシアからのガスを絞られて、逼迫と高騰に頭を悩ませるドイツ

「EU連帯へのストレステスト」の様相

 

作家 (独ライプツィヒ 在住)

川口 マーン 惠美 氏

 

 7月12日、ユーロとドルが1対1・01と、ほぼ同価値になってしまった。ユーロの20年ぶりの安値の原因は、ロシアとドイツをバルト海の海底で結んでいるパイプライン、ノルドストリームが、10日間の予定で定期検査に入ったからだと言われている。現在、ドイツ側は、この検査がロシアの意のままに引き伸ばされるのではないかと極度に疑心暗鬼。EUという名で、対ロシアの経済制裁に加わり、さらにウクライナに武器を送ったりしているのだから、ロシアにガスで嫌がらせをされても不思議ではない。

 ドイツは発電も産業も家庭も大きくガスに頼っている。2020年には、ガスの総輸入量の55%がロシア産だったから、いわば国家経済が丸ごとロシアに依存している状態だ。普段のドイツでは怖いニュースが大ウケするので、感染症にしろ、気候危機にしろ、メディアはやたらとハルマゲドンを煽(あお)るが、今回に限っては、メディアは控えめに書いているように感じる。それだけ事が深刻なのだろう。

 ドイツの全土には40余りのガスタンクが埋まっており、春に減ってしまった備蓄を夏の間に満たし、秋にほぼ満タンにすれば、冬が越せるという。ただ、問題は、6月中旬以来、入ってくるガスが減っていること。7月10日、予備タンクの充填率は62%で、ほぼ止まっている。ドイツのタンクの容量は、米国、ロシア、ウクライナに次いで世界で四番目に大きいが、これでは何の役にも立たない。

 ドイツではシュタットヴェルケといって、自治体が地域全体の温水、暖房など熱供給を一手に賄うシステムを採っているところが多く、ドイツの全世帯の半分はガス暖房だ。もし、備蓄タンクが満タンにならないうちに冬が到来すれば、ハーベック経済・気候保護相(緑の党)は、まず産業を犠牲にし、公共機関と家庭を優先すると言っていた。ところが早くも12日に、やはり産業を犠牲にする訳にはいかないと修正。ただ、だからどうするかはまだわからない。本当にシュタットヴェルケが機能不全に陥れば、家庭の暖房は止まり、水道管も凍結し、厳寒期なら死者が出るだろう。

 エネルギーの価格も高騰している。6月のインフレ率は前年度比で7・6%だったが、エネルギー分に限るとすでに38%の伸びだ。ドイツ政府は、最悪の場合、ガスの市場値段は今後8倍、家庭用価格は今秋すでに3倍になると言っており、いくつかの自治体では、ガス代を払えなくなった人のため、体育館などに何百台かのベッドを用意する計画が練られている。エネルギー逼迫(ひっぱく)というだけでもすでに発展途上国並みだが、さらに体育館で暖を取るとなると、まさに国民総ホームレス化と言える。

 つまり、現在、最も重要なことはガスの備蓄の確保だが、ドイツにとってロシアガスの代替を探すことは極めて難しい。船で来るLNGは、値段にこだわらなければ買い入れ先を変えることは可能だが、ドイツはLNGではなく、安い生ガスを陸上、および海底パイプラインで入れているため、代わりになる産地が限られてしまう。

 例えばノルウェーのガスはこれまでもパイプラインで入っていたが、急な増産は叶わず、パイプラインの容量も限られている。だからと言ってLNGに変えようにも、受け入れターミナルが1基もない。これまで安いロシアガスの上に胡座(あぐら)をかき、EUの一人勝ちとなっていたドイツでは、LNGターミナルに投資する企業などなかったのだ。

 それどころかCO2を毒ガス並みに扱っていた緑の党は、つい最近まで、「LNGのターミナルなど要らん!」と、環境団体と共に建設反対運動に加わっていた。その緑の党のハーベック大臣が今頃、超特急で2基作ると豪語している。

 6月19日には、ハーベック氏はさらに驚くべき解決策を発表した。貴重なガスを発電に使う訳にはいかないから、予備として置いてあった石炭と褐炭の発電所を立ち上げるという。褐炭は国産で捨てるほどあるが、質が悪いのでとりわけCO2の排出が多い。選挙運動中から、今すぐCO2を削減しなければ、地球はまもなく住めない惑星になると叫んでいた氏だが、今は「非常に辛いが止むを得ない」と泣きそうな顔でオロオロ。23年ぶりにめでたく政権に加わり、連立協定の中に2030年までの脱石炭・褐炭という文言を組み込んだ緑の党だから、泣きたくなるのも無理はない。

 なお、それ以外の対策として挙げられたのは、手は冷たい水で洗えとか、食洗機はいっぱいになってから回せとか。公営の室内プールの多くもすでに閉められている。はたしてこれらが産業大国のエネルギー戦略か?

 ドイツ政府の最大の欺瞞(ぎまん)は、あらゆるエネルギーをかき集めなければならない今になっても、今年の暮れに3基の大型原発を止めるとしていることだ。長年の夢である「栄光の脱原発」を成就させるためとはいえ、堂々414・5万キロワットの出力を手放し、でも、手は冷たい水で洗えとはおかしくないか?

 しかも、その代わりに進められるのが再エネの強化。7月7日、2030年までに再エネを現在の50%弱から80%に増やす、国土の2%に風車を立てる、風車の建設に反対する住民の訴えを容易に退けられるようにする等々の法案が国会を通った。ただ、原発1基の電気を作るためには、風力なら214㎢の面積が必要となるという。これは甲府市の面積とほぼ同じだ。国土の2%に風車を立てるという決定に、ドイツ国民は本当に納得しているのだろうか。

 なおEUでは、ドイツほどではないにしろ、他の国々もガスの逼迫と高騰には頭を悩ませている。ドイツは、ドイツ経由でガスを受けているベルギー、チェコ、デンマーク、フランス、オランダなど9カ国で深刻なガス不足が起こった場合、自国の安定供給を犠牲にしてもガスを分けなければいけないと義務付けられている。パイプラインの上流にいるドイツが独り占めしないためのフェアな取り決めだ。ただし、パイプラインからのガスがチョロチョロとしか入ってこなくなった時、それが本当に機能するかどうか。コロナの時も、感染が拡大した2020年の春、あっという間にEUで国境が復活し、各国ファーストになったという経緯がある。ガスの逼迫は、EUの連帯に対するストレステストともなるだろう。

 


《かせ ひであき》

1936年、東京生まれ。慶応、エール、コロンビアの各大学で学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任。著書は『グローバリズムを越えて自立する日本』『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』ほか多数。

 

2022年8月1日号 週刊「世界と日本」第2226号 より

 

日本外交の思い出

 

 

外交評論家 加瀬 英明 氏

 

  私は30代から日米関係を強めることに力を注いできた。このために、イスラエル、南アフリカ共和国、台湾の三つの国の情報関係者と親しむことが重要だった。

 イスラエルは敵視するイスラム諸国に包囲され、南ア共和国は白人至上主義の「アパルトヘイト政策」をとってアフリカで孤立していた。台湾は生き死を中国情報の確保にかけていた。

 米国にとってこれらの地域がきわめて重要だったから、三つの嫌われ者国家と緊密な関係を結ぶことが必要だった。私は米国と三つの国の情報関係者の仲間入りをしたが、世界がよりよく見えるようになった。

 1970年代末に、産油諸国が原油価格を急騰させ石油危機が発生した。私はユダヤ・イスラム教研究者だったので、三井物産、日商岩井(現・双日)の中東の顧問をつとめていた。物産では社長室の寺島実郎氏が私を担当し、日商岩井は荒木正雄副社長だった。

 石油ショックとともに、イランをホメイニ革命が襲った。私はペルシア(イラン古代名)では僧侶が権力を握るとかならず既存体制を壊すから、イラン・ジャパン石油化学プロジェクトを放棄せざるをえないと忠告したものの、物産は大火傷を負った。私は物産からなぜ同プロジェクトが失敗したか、日本経済新聞に2ページの署名広告を執筆するように依頼され、昭和56(1981)年5月13日に掲載された。

 日本企業は愚かなほど実直だった。パンアメリカン航空はイスラエルとアラブ双方に乗り入れ、ヒルトンホテルも営業していたのに、日本は“アラブ・ボイコット”を忠実に守っていた。私は物産に勧めて、寺島氏が最初にイスラエルに入った。

 世界に長い独自な歴史を持つために、「断絶されていない言語空間」に住んでいる民族がいる。ユダヤ人だ。他の国々はナショナリズムから、他国と「断絶された言語空間」に住むことを強いられ、発想や行動が制約される。日本語はことさら孤立しているために、断絶された言語空間に閉じ込められやすいのを警戒しなければなるまい。

 私は多くのユダヤ人と親しい関係を結んできた。なかに駐日イスラエル大使で、空手道の仲間のエリ・コーヘン大使(在職2004年〜7年)がいるが、2005年1月に対談を行った。大使は退官後、ビジネスマンとして活動されている。対談から引用しよう。

加瀬:これはコーヘン大使の何代か前のバルトゥール大使から直接聞いた話ですが、昭和天皇にバルトゥール大使が東京に着任して信任状を奉呈したときに、陛下から「日本民族はユダヤ民族に対して感謝の念を忘れていません。かつてわが国は、ヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました。われわれはこの恩を決して忘れることはありません」というお言葉をいただいた。ところが、バルトゥール大使はヤコブ・シフという人物を知らなかったので、大使館に戻って急いで調べたそうです。

 ヤコブ・シフは、日露戦争において大きな役割を果たした人です。当時の日本の国家予算はロシアの10分の1でした。外貨の準備高も同じ。開戦が避けられない状況になった時に、当時日本銀行副総裁だった高橋是清が戦費を調達するために、まずアメリカに乗り込みますが、だれも引き受けてくれない。失意しながら是清はイギリスへ向かった。

 ロンドンで晩餐会に出席した是清は、同席したアメリカ紳士から「日本兵の士気がどのぐらい高いか」とか、さまざまな質問をされ、一つひとつ丁寧に答えた。すると、翌朝その紳士が是清のもとを訪ねて、「日本の国債は私が引き受けましょう」といった。この人物がヤコブ・シフだった。彼が世界中のユダヤ人に呼びかけてくれたおかげで、日本は日露戦争のために発行した国債の半分以上をユダヤ人が引き受けてくれた。

コーヘン:そんな驚くべき出来事があったんですね。

加瀬:シフは戦後日本に招待され、明治天皇から親しく陪食を賜り、最高勲章を贈られています。

 私は親しくさせていただいていた入江相政侍従長にお話したことがありますが、入江侍従長も昭和天皇は歴代のイスラエル大使が信任状を奉呈するたびに、「われわれはユダヤ民族から受けた恩を忘れない」ということをおっしゃっていたと教えてくれました。

 私は二つの小さな夢を、いだいてきた。

 軍人への敬意を復活するために、前大戦の帝国軍人の銅像を一体建立することと、郵便記念切手を発行することだった。

 ところが思わず、その好機がやってきた。

 昨春、親しい樋口隆一明治学院大学音楽学名誉教授が私の事務所に寄って、祖父・樋口季一郎中将の石碑が生地の淡路島に建立されることになったと話した。

 樋口中将といえば昭和12(1937)年に、少将として満州哈爾浜(ハルビン)特務機関長だった時に、ヨーロッパから2万人といわれるユダヤ人難民がナチスの迫害を逃れてきたのに対して、満州国入国を許した勇断によって知られる。私は中央公論誌(昭和46年5月号)の『日本のなかのユダヤ人』で、書いていた。

 私は樋口教授に「石碑ではつまらない。少将が救ったユダヤ人にも呼びかけて、銅像にしよう」といった。そして昨年7月に産経新聞に「日本の名誉を守るため 樋口季一郎中将の銅像を建立しよう」という広告を掲載したところ、その月以内に全国から銅像一体を建立するのに必要な2千数百万円以上の寄付がたちまち集まった。

 広告の呼び掛け人として、在京ユダヤ教会のラビ・メンディ・スダケヴィッチ師、私の多年の同志であるユダヤ人戦略家のエドワード・ルトワック氏も加わった。

 銅像は10月に完成し、かつて満州里で将軍によって救われたユダヤ人の孫たちも参列して、除幕式が行われる。記念切手も発行された。

 

 


《しまだ よういち》

1957年大阪府生まれ。専門は国際政治学。主に日米関係を研究。京都大学大学院法学研究科政治学専攻課程を修了。著書に『アメリカ解体』、『三年後に世界は中国を破滅させる』など。

 

2022年8月1日号 週刊「世界と日本」第2226号 より

 

米台同盟の今日的課題

 

 

福井県立大学教授 島田 洋一 氏

 

  「台湾は、NATO域外にある主要な同盟国の一つに位置づけられる」

 これは6月16日に、アメリカの与党民主党のボブ・メネンデス上院外交委員長を主提案者、野党共和党の実力者リンゼー・グラハム上院議員(前司法委員長)を副提案者として、上院外交委員会に提出された「台湾政策法案」の一節である。

 法案の内容には後で触れるが、米議会の実力者2人が、超党派でこうした動きに出たこと自体、注目に値する。

 2人は法案提出に先立って米軍機で同僚議員4人と共に台湾を訪れ、蔡英文総統との意見交換も行っている(今年4月)。

 バイデン大統領は、その政治家生活を通じて、議会民主党あるいは超党派有力筋の意向が固まった段階で数歩遅れて付いて行くのを常としてきた。従って、上記のような議会の動向は、ホワイトハウスの動きを占う羅針盤にもなりうる。

 これより先、バイデン氏は東京での記者会見で、台湾防衛に関して踏み込んだ発言をした。記者の「あなたは台湾を守るため軍事的に介入する意思がありますか」との質問に、「イエス。それが我々の公約だ」と答えたのである(5月23日)。

 同種の発言をバイデン氏は昨年来3回にわたって行っており、直後に匿名の側近が「アメリカの政策は何ら変わっていない」と「真意の説明」を行うパターンも都合3回目となった。

 米国の台湾関係法(1979年制定)は、「台湾の人々の安全、社会・経済システムを危うくする力の行使やその他の強制に抵抗する米国の能力を維持する」と記している。この「抵抗」という表現は北大西洋条約(NATOの基本条約)とも共通する。

 しかし相互防衛を約したNATOでは、さらに「軍事力の行使を含む」の文字があるが、台湾関係法にはない。それが、米軍の介入が有るとも無いとも不分明な「戦略的曖昧」の源泉となってきた。

 中国軍の力が相対的に弱い間は、それでも十分な抑止力になった。しかし近年、中国共産党政権(以下中共)が対外的な「強制」姿勢を強め、ロシアによるウクライナ侵略などの新状況も生まれる中、米国では「戦略的曖昧」ではもはや不十分で、米軍の介入方針を明示した「戦略的明確」に移行すべきとの議論が高まってきた。

 ちなみに、4月12日付で安倍晋三元首相がロサンジェルス・タイムズに寄稿した「アメリカは、中国の侵略に対して台湾を防衛すると世界に明示すべきだ」と題する一文は、読んで字のごとく、同様の趣旨を日本から発信したものであった。

 となれば、最後に触れるが、日本はどうするのかも当然問われることとなろう。

 ここでバイデン氏の東京発言に対する米強硬保守派の反応を紹介しておこう。

 イラク、アフガニスタン戦線での軍務経験もあるトム・コットン上院議員(共和)はまず、バイデン発言自体は「今やアメリカにとって正しい政策である。台湾に対する戦争を抑止する最善の道は、アメリカが台湾の来援に駆け付けることを疑問の余地なく明確にする戦略的明確だ」と支持する姿勢を打ち出す。

 しかし続けてコットン氏は、政権全体としての対応ぶりを厳しく批判する。

 「不幸なことに、3度にわたって我々が見たバイデン大統領の態度は戦略的曖昧でも明確でもない。混乱し混迷した曖昧さだ。大統領はアメリカの政策を変更したかに見えつつ、直後に匿名のホワイトハウス・スタッフが訂正することを許した。これは抑止に資することなく挑発するという最悪の取り合わせだ」

 すなわち、自身の考え(明確なものがあるとして)のスタッフへの徹底や、具体的な政策化に向けての指導力発揮が見られない点を強く糾弾する。

 戦略的明確を真に戦略と呼べるものとするには、米国内における超党派の合意作りが必須であり、同盟国との協議や合同演習の実施なども欠かせない。

 そうした行動が伴わなければ、バイデン発言は結局のところ空砲と中共側に見切られ、コットン氏が危惧する通り、かえって情勢の不安定をもたらしかねない。

 そこで議会の動き、冒頭に紹介した超党派「台湾政策法案」の重要ポイントを見ておこう。

 まず現行「台湾関係法」にある、台湾に「防衛的性格の武器を供与する」という条項に文言を追加し、「防衛的性格の武器および中国人民解放軍による侵略を抑止するのに役立つ武器を供与する」に改める。

 すなわち相手に耐えがたい打撃を与える抑止的=攻撃的性格の兵器も提供可能にするという意味である。

 同様に、台湾が「十分な自衛能力を維持」できるよう協力するとした部分を、「人民解放軍による強制行為や侵略を拒否し抑止する戦略を実行」できるよう協力するとの文言に改める。

 ここでも「抑止」という言葉が使われ、また「戦略を実行」とすることで、侵攻中国軍に対抗する作戦行動全般をバックアップする姿勢が明確になる。

 また先に引用した、現行法の「台湾の人々の安全、社会・経済システムを危うくする力の行使やその他の強制に抵抗する米国の能力を維持する」との規定から「米国の能力を維持する」を削除し、「抵抗する」で文を止める。そのことで、米軍が直接介入する方針が示唆される。

 法案には、米軍による台湾軍の訓練や米台合同軍事演習の実施も盛り込まれており、以上を総合すれば、中共を共通の敵と位置付けた事実上の米台同盟条約を国内法制の形で表したものと言えよう。

 経済的措置にも言及し、「中華人民共和国政府が2021年12月1日以前にあった敵対状況より、顕著に敵対行為をエスカレートさせてきた場合」米大統領は金融制裁を含む制裁を発動せねばならないとも規定されている。

 日本としては、米国がこの法案の方向に動くと仮定した上で、対応を練るべきだろう。

 台湾有事の際、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を含む先島諸島は間違いなく戦域に入る。尖閣への侵略抑止には、周辺海域における日米の合同軍事演習が効果的だが、尖閣防衛だけを掲げては米側が中々乗ってこない。領有権をめぐって見解が異なる日台が共に行動するのも難しい。

 米軍を核とし、「台湾戦域」全体における日米台の連携を柔軟に進めていくべきだろう。 

 

 


《むらた こうじ》

1964年、神戸市生まれ。同志社大学法学部卒業、米国ジョージ・ワシントン大学留学を経て、神戸大学大学院博士課程修了。博士(政治学)。

広島大学専任講師、助教授、同志社大学助教授、教授、法学部長・研究科長、第32代学長を経て、現職。専攻はアメリカ外交、安全保障研究。サントリー学芸賞、吉田茂賞などを受賞。『現代アメリカ外交の変容』(有斐閣)など著書多数。

 

2022年7月18日号 週刊「世界と日本」第2225号 より

 

『米国の一極体制と国際関係の構造変化を読む』

 

 

同志社大学法学部教授 村田 晃嗣 氏

 

 

 ロシアによるウクライナ侵攻が長期化している。第一次世界大戦や朝鮮戦争に似た消耗戦になると、予測する専門家もいる。とすれば、数年の戦いになるかもしれない。

 過去半世紀にわたるロシア(旧ソ連)の国力の衰退への焦りが、ウラジーミル・プーチン大統領を無謀で野蛮な侵略駆り立てたのであろう。1970年のソ連の国内総生産(GDP)はアメリカの4割だったが、91年のソ連崩壊時には14%、そして今日では7%にまで減少している。中ロ関係を見ても、ロシアのGDPと人口はいずれも中国の1割にすぎない。軍事とエネルギー、国際連合安全保障理事会常任理事国の地位で、ロシアは辛うじて大国の体面を保ってきた。だが、安保理での拒否権と世界最多の核弾頭を持つロシア相手に、アメリカも直接対決するわけにはいかない。

 この戦いは三つのレベルからなる。

 第一には、ロシアとウクライナとの軍事紛争である。

 第二は、ロシアとヨーロッパとの価値をめぐる争いである。ヨーロッパは数世紀にわたって多くの流血を伴いながら、自由や民主主義、基本的人権、国境の不可侵といった価値を構築してきた。ロシアによってそれらが土足で踏みにじられようとしている。

 第三は、ロシアを支援する中国、ウクライナを応援するアメリカとの間の、21世紀の覇権をめぐる闘争である。

 ロシアを利する形でこの戦争を終わらせるわけにはいかないが、プーチン大統領に「特別軍事作戦」終結の名分を与えなければ、この戦争は終わらない。この両立は至難の業である。だが、いかなる戦争もやがては終結する。その際に、どのような課題があるのか。

 第一に、戦闘終結の合意に達した際に、ロシアに対する経済制裁をどこまで解除するのかをめぐって、いわゆる西側諸国の足並みが乱れるかもしれない。そこにプーチン大統領の付け入る隙が生じよう。プーチンやその家族、側近への個人経済制裁の解除に反対する国々や人々は、少なくあるまい。

 第二に600万人を超えるウクライナ難民の去就である。今は世界中がウクライナに同情的である。しかし、人の心は移ろいやすい。戦闘終結後半年、1年を経ても何万人、何十万人のウクライナ難民が留まれば、ヨーロッパ諸国で移民排斥を訴える右翼政党が力を増すかもしれない。何しろ、去る4月のフランスの大統領選挙でも6月の下院選挙でも、マリーヌ・ル・ペン候補や右翼政党が善戦したのである。

 第三に、アメリカでも11月には中間選挙が控えている。ただでさえ、民主党は不利と伝えられている。戦争のさらなる長期化でウクライナへの支援に疲れ、物価が一層高騰すれば、民主党は上下両院で惨敗して、ジョー・バイデン政権はレイムダック化してしまうかもしれない。さらに24年は米ロともに大統領選挙である。アメリカでドナルド・トランプが帰ってきて、ロシアでプーチンが再選され、ヨーロッパで右翼政党が台頭する—こうなると、相当におぞましい世界となろう。

 第四に、インドの動向である。やがてインドは中国の人口を抜き日本のGDPを抜いて、世界第一の人口大国、世界第三の経済大国の地位を手にする。日米豪印による戦略協力、いわゆるQUADでも、インドはわれわれの重要なパートナーである。しかし、そのインドは国連総会でのロシア非難決議に棄権し、ほとんどの発展途上国と同様、ロシアに対する経済制裁にも応じていない。もちろん、ロシアに兵器輸入のほぼ半分を依存するという事情があろう。しかし、伝統的なカースト制を維持しヒンズー至上主義的なインドが、どこまでわれわれと自由や人権といった価値を共有しているのか。必ずしも楽観的ではいられない。

 第五に、中国の軍拡である。ロシアはウクライナを短期に攻略できなかったし、得意とされるハイブリット作戦も活用できなかった。他方で、アメリカが直接の軍事介入を避けているのは、ロシアが強大な核戦力を保有するからである。これらの教訓から、将来の台湾侵攻の可能性を念頭に、中国は通常戦力、サイバー戦力、核戦力のさらなる増強に乗り出すであろう。すでに中国は核弾頭を現有の350発から、2030年までには1000発に増強する計画を立てている。

 第六に、中国にとってのロシアの戦略的価値である。今回のウクライナ侵攻でロシアは国力を落とし、中国にさらに従属的な立場に陥るかもしれない。そのロシアを利用して、アメリカの国力をインド太平洋とヨーロッパに分散できれば、中国にとってのメリットは大きい。だが、ロシアのウクライナ侵攻に反発して、ヨーロッパが団結し、さらに米欧が関係を強化している。北大西洋条約機構(NATO)はロシアを敵、中国を脅威と見定め、スウェーデンとフィンランドも加盟の見通しである。

 とりわけ、ドイツが軍事力の大幅な増強に舵を切ったことの意義は大きい。ドイツのクリスティーネ・ランブレヒト国防相(社会民主党)は1980年代には反核運動の闘士だったが、今や軍事力の増強を先導している。ドイツは過去に責任を負うが、ヨーロッパの将来により大きな責任を有すると、彼女は述べている。他方で、ロシアとウクライナの停戦に向けて働きかけるなど、ドイツ外交はしたたかである。

 日本では、7月の参議院選挙後に岸田文雄内閣の外交・安全保障政策は本格的に稼働しよう。防衛費を大幅に増額するにしても、それを具体的にどのような装備や編成に落とし込んでいくのか、周到な準備が必要である。敵基地攻撃能力についても、概念の明確な整理が求められよう。

 また、いわゆる改憲勢力が3分の2以上になれば、憲法改正の議論が勢いを増すかもしれない。何も9条だけではない。

 24条の婚姻規定はどうなるのか。日本では大阪地裁で同性婚が退けられ、アメリカでは最高裁で人工中絶の権利保障が退けられた。日米双方の社会で分断化が進む中で、二つの民主主義社会の価値共有にも努めなければならない。

 さらに、日韓関係の改善も望まれる。まさに多事多難、課題山積の内外情勢なのである。

 


《ますお ちさこ》

九州大学大学院比較社会文化研究院准教授 専門は中国の対外政・海洋政策、ユーラシア国際関係。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。

第17回中曽根康弘賞優秀賞を受賞(2021年)。日本国際問題研究所の客員研究員なども務める。著書に『中国の行動原理』『中国外交史』『中国政治外交の転換点』など。英語や中国語でも研究活動を行っている。

 

2022年7月18日号 週刊「世界と日本」第2225号 より

 

中国が対外政策調整を開始

「第三世界」を中心に国際秩序の再建目指す

 

九州大学大学院 比較社会文化研究院 准教授 益尾 知佐子 氏

 

ロシアとの「近すぎた関係」の調整

 

 中国が対外政策の調整を開始した。それを示すのが、中国外交部の副部長の異動だ。本年6月14日、中国外交部の楽玉成・第一副部長が、国家ラジオテレビ総局(国家広播電視総局)の副局長に転出させられた。異例のニュースだ。

 楽は中国外交部のロシアンスクールのトップで、王毅外相兼国務委員の後任になると考えられてきた。習とロシアのプーチン大統領との蜜月関係を取り持ってきた人物だ。

 本年2月の冬季北京オリンピックの開会式直前、習とプーチンの対面会談が行われた。直後に取材を受けた楽は、中露関係は「天井知らずだ」、「永遠に(構築の)途上にあり、終点はなく、給油所があるだけだ」と発言していた。

 だがオリンピックが終わった途端、ロシアのウクライナ侵攻が始まる。習は2月にプーチンに、両国は主権や核心的利益を守ろうとする互いの努力を固く支持しあっていると請け負っていた。だからこそ、その後ウクライナからロシアの戦争犯罪の証拠が上がってきても、中国はなかなかロシアと袂を分かてないで来た。

 そうした対外政策に対し、政権の内側からも批判の声が上がった。3月末から国際都市・上海で2カ月を超える厳しい都市封鎖が始まり、中国の市民も政権の「人権侵害」に強い反発を示した。西側諸国の対露制裁でロシアの国力衰退は避けられなくなり、米国は同盟ネットワークを駆使し、対露だけでなく対中の包囲網まで形成し始めた。

 ロシアとの近すぎる関係は、中国にとってコストが高すぎる。楽の異動の発表の翌日、習はオリンピック後初めてプーチンに電話をかけた。公表サマリーによれば、習はプーチンに、「中国はロシア側と引き続き支持しあい、戦略的に緊密に連携します」と告げた。ロシアを完全に見捨てるつもりはない。

 ただし他方でこうも述べた。「中国は常にウクライナ問題の歴史的経緯を踏まえ、独立自主で判断を下し、世界の平和と世界経済秩序の安定を積極的に推進してきました。すべての当事者は責任ある方法でウクライナ危機の適切な解決を促すべきです」。

「独立自主」は歴史的なキーワードだ。中国は1982年9月に「独立自主の対外政策」を正式に提起した。その際は自国の国益を考慮し、米国との近すぎた関係を修正してソ連との関係改善を始めた。今後はおそらく、ロシアから少し距離をとり、米国とも多少は協調しながらウクライナ問題に関与するつもりだ。

 

試金石としてのBRICS会議

 

 では中国は、米国とどの程度、関係改善を図るのか。5月末、ブリンケン国務長官が対中戦略を演説した際には、中国国内ですぐにその翻訳が拡散し、大きな反響があった。米中関係の緩和を求める声は、中国の知識人の間に広がっている。だが習近平個人にとって、選択肢は広くない。

 習は昨年9月、国連総会にオンライン出席し「グローバル発展イニシアティブ」を提起した。今年4月にはボアオアジアフォーラムで「グローバル安全イニシアティブ」を立ち上げた。中国メディアはこれらを、彼の新たな外交ブランドとして宣伝している。

 ただし、問題も明らかだ。後者の提唱はウクライナ戦の開始後だが、習はそのときこう述べていた。「冷戦思考はグローバルな平和的枠組みを破壊し、覇権主義と強権主義は世界の平和を害し、集団的な対抗は21世紀の安全保障に対する挑戦を増やすだけだと、事実は再度証明しています」。

 つまり習は、ロシアのウクライナ侵略は米国が引き起こしたという陰謀論的世界観に基づき、この「グローバル」な外交ブランドを提唱した。国益に基づく戦略的判断を下し、米国と長期的な実務協力を築いていくには、個人的な反米感情があまりにも強すぎる。

 ではどうするのか。プーチンとの電話会談で、習はこう説明していた。(中国は)「国連、BRICS、上海協力機構などの重要な国際・地域組織で意思疎通と協調を強化し、新興市場国や途上国との団結や協力を促進し、国際秩序とグローバルガバナンスをより公正で合理的な方向に押し進めていくつもりです」。

 つまり、習近平は長期的に、新興国・途上国などの「第三世界」を中国側に抱き込むことで形勢を立て直そうとしている。その柱になるのが、国連、BRICS、そして上海協力機構だ。

 なお、中国以外はロシアとインドが3組織共通のメンバーである。

 6月22日から24日にオンライン開催されたBRICSサミットは、この新たな対外政策の試金石になった。今年の議長国は中国である。中国には国務院総理という役職があり、本来ならば李克強がその議長を務めることもできた。(中国は日本との会議には通常、総理しか出さない。)だが習近平は今回、BRICSのビジネスフォーラム、首脳会議、そしてグローバル発展ハイレベル対話会のチェアを自分で3夜連続で務める気合を見せた。

 特に注目されたのが最後のハイレベル対話会だ。突如開催されたこの会議には、BRICS5カ国に加え、アルジェリア、アルゼンチン、エジプト、インドネシア、イラン、カザフスタン、セネガル、ウズベキスタン、カンボジア、エチオピア、フィジー、マレーシア、タイの13カ国の首脳が集い、あたかもBRICS拡大首脳会議の様相を呈した。

 習は会議で「主席声明」を発表し、添付文書として中国がグローバル発展のために実施を誓う32項目の成果リストを公表した。そこで謳ったのは、30億米ドルの南南協力支援基金を「グローバル発展と南南協力の基金」に格上げするための10億米ドルの増資。そして中国が発展途上国の人材育成、ビッグデータ管理、食糧衛生支援など、各方面の協力に大々的に乗り出すことなどなど。

 新華社は習近平が世界の公平な正義を守ったと自画自賛した。その成否はともかく、今後世界で「第三世界」の人々の心をめぐる闘争が拡大するのは間違いなさそうだ。

 


《せ てるひさ》 

政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1971年福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)などがある。

2022年7月4日号 週刊「世界と日本」第2223号 より

 

グローバル化の見直しを進めよ

 

 

九州大学大学院 比較社会文化研究院教授 施 光恒 氏

 

 コロナ禍、およびロシアによるウクライナ侵攻で「国」の役割が見直されつつある。各国の一般国民の生活の守り手としての国の役割である。例えば、コロナ禍の最初の頃、日本もそうだが、各国はマスクなど医療用品の入手が困難になった。供給網を、中国など国外に伸ばしていたからだ。ウクライナ危機でも同様だ。外国からの侵略に対し、結局、人々は自国民の団結や相互扶助意識に頼るしかない。冷戦が終わった1990年代以降、日本を含む多くの国々の政治家やジャーナリスト、大学人などの知識人層は、「グローバル化」の旗印の下、「国民国家はもう古い」「地球市民の時代だ」などと唱えてきた。また実際に、規制緩和や外国人労働者の呼び込みなど、国境の垣根を引き下げる政策を推進してきた。だが、新自由主義(小さな政府主義)に基づく現在のグローバル化推進路線は見直す必要がある。

 

グローバルな企業や投資家の影響力の増大

 

 新自由主義に基づくグローバル化路線のもっともまずい点は、各国において政治的影響力のバランスを崩してしまう点だ。グローバルな企業や投資家の声が強くなる一方、各国の庶民の声はあまり国政に反映されなくなる。

 グローバル化路線の下で資本の国際的移動の規制が撤廃され、資本が国境を越えて動き回れるようになると、グローバルな企業や投資家は、各国政府に圧力をかけ、自分たちが稼ぎやすい環境を作らせることが容易になる。「法人税率を引き下げる税制改革を実行しないと貴国にはもう投資しない」、「人件費を下げられるよう非正規労働者の雇用を容易にする改革を行え。さもないと生産拠点をこの国から移す」などと要求できるようになるからだ。

 各国政府は、国内資本が流出することや、海外資本が入ってこなくなることを恐れ、グローバルな企業や投資家の好む政策を採用することが増える。これらの政策は必ずしも各国庶民の生活の向上には結びつかない。むしろ生活の不安定化や劣化につながる場合が多い。

 実際、新自由主義が世界的に流行した1990年代以降、日本でも他国でもグローバルな企業や投資家に有利な政策が数多く採用されてきた。法人税率の引き下げ、雇用流動化の促進(雇用の非正規化の推進)、株主重視の企業統治改革、低賃金労働力としての外国人労働者や移民の受け入れ、不況下でも稼ぎやすいインフラ事業や医療の民間開放などである。

 その結果、グローバルな企業や投資家は潤ったが、各国庶民の生活は不安定化し、悪化した。わが国でもそうだ。例えば、この10年で法人税率は約7%下がった(その反面、減った税収を補うため消費税率は5%上がった)。非正規雇用は今や勤労者の約4割だ。

 また、日本企業が大きく変容し、すっかり英米型の株主中心主義になった。日本で新自由主義的改革が本格化したのは1997年以降だが、1997年と2018年を比べると、日本の資本金10億円以上の大企業は株主への配当金を約6倍にした一方、従業員への賃金支払い額はほとんど増やしていない《相川清「法人企業統計調査に見る企業業績の実態とリスク」『日本経営倫理学会誌』第27号(2020年)》。設備投資も増えていない。従業員を大切にし、研究開発にも力を注いだ「日本型経営」「日本型市場経済」など見る影もない。

 2019年4月から外国人単純労働者の受け入れも事実上始まった。当然ながら、外国人労働者を受け入れる最大の理由は、人件費の切り下げだ。財界からの熱烈な要求があってのことだ。

 こうした新自由主義に基づくグローバル化を目指す構造改革がここ25年間、日本では盛んに行われた。その結果の一つが「安いニッポン」だ。日本の年間平均賃金は今や韓国よりも安い。資本を引き付ける力という意味での日本の「国際競争力」は上がった。だが、その反面、日本の一般国民の生活は劣化した。世帯の平均所得は1994年と2018年を比べると約17%も下落した。

 ここで改めて指摘すれば、日本の少子化の主な要因は経済的なものだ。若者、特に若い男性の雇用や収入が安定しないので、晩婚化や少子化が進んだのである。例えば、平成25年度(2013年度)の厚生労働白書によれば、正規社員の男性は34歳までに59・3%が結婚しているが、非正規の男性は28・5%しか結婚していない。生活が安定しないので結婚できないのだ。

 

国際秩序から変える必要性

 

 「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相は、グローバル化路線から国民生活重視路線への転換をぜひ果たしてほしい。

 だが、日本の国内政策だけではこれは困難だ。グローバルな企業や投資家といった新自由主義的経済運営で利益を得てきた既得権益層が抵抗勢力となるからだ。実際、岸田首相就任後、株価の大幅下落が報じられた。金融所得課税の引き上げ案や構造改革路線の後退への懸念からだと言われている。一国だけで新自由主義から脱却しようとすれば、日本からの資本流出や海外からの投資の日本回避が生じる恐れがある。

 幸い、バイデン政権の米国を始め現在の欧米諸国には新自由主義からの脱却に関心を抱く国は少なくない。昨年7月のG20財務大臣・中央銀行総裁会議で世界共通の法人税の最低税率の設定に大枠合意が得られたのはその表れだ。

 岸田首相は、米国など諸外国と連携を取りつつ既存の新自由主義的な国際経済秩序の変革を主導してほしい。困難は伴うが、不可能ではない。バイデン政権は新自由主義の転換に積極的である。もしそれが弱まれば、さらに新自由主義路線に懐疑的なトランプ前大統領を支持する多数の米国民も黙っていない。英国は、新自由主義路線のEUとの決別を果たした国だ。他の欧州諸国もいわゆるポピュリズムの波に見て取れるように、各国の庶民は新自由主義路線に愛想をつかしている。こうした各国の首脳たちと連携を密にとり、国際協調の下で新自由主義体制を改め、各国がそれぞれ国民本位の経済政策をとれるように、国際経済の枠組みを改善していく必要がある。

 

 


《にわ ふみお》 

1979年、石川県生まれ。東海大学大学院政治学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(安全保障)。2022年から現職。拓殖大学海外事情研究所附属台湾研究センター長、大学院地方政治行政研究科教授。岐阜女子大学特別客員教授も務める。著書に『「日中問題」という「国内問題」—戦後日本外交と中国・台湾』(一藝社)等多数。

2022年6月20日号 週刊「世界と日本」第2223号 より

 

覇権拡大を進める中国と日本・台湾

 

 

拓殖大学 政経学部教授 丹羽 文生 氏

 

 新型コロナウイルス禍に続き、ロシアによるウクライナ侵攻という暴挙で世界中が、その対応に追われる中、中国の習近平は、逆に、こうした混乱を「好機」と見てか、以前にも増して覇権主義的行動を加速させている。

 2020年6月に「香港国家安全維持法」が施行されて以来、反体制派への弾圧が続く香港の行政長官を決める「形だけの選挙」は、習近平政権が支持する前政務官の李家超(ジョン・リー)のみが出馬し、圧倒的多数の信任を得て当選した。保安局長として民主化運動を叩き潰し、数少ない民主派マス・メディア蘋果(ひんか)日報」を廃刊に追い込んだ人物である。形骸化しつつあった香港の「一国二制度」は、完全に終焉を迎えることになるだろう。

 香港だけではない。ウイグルでは多くの人々が正当な理由もなく強制収容所に送られ虐待、拷問を受けている。その数は300万人を超えると言われ、まさに地域全体が牢獄と化している。チベットでも恐ろしい人権弾圧、宗教弾圧が続いている。チベット仏教寺院では仏画やダライ・ラマ14世の写真の掲示を制限し、代わりに習近平の画写真を飾ることが強要され、反抗的な僧侶への拷問、尼僧に対しては世俗化を促すため性的な虐待が繰り広げられていると仄聞する。内モンゴルでも「同化政策」が進められ、学校教育は中国語主体となり、モンゴル語が「外国語」扱いにされたという。まさに「文化的ジェノサイド」と言わざるを得ない。

 一方、習近平政権の牙は「外」にも向けられている。何と言っても今、最も中国の軍事的脅威に晒されているのが台湾である。そもそも台湾は、国共内戦敗北後に蒋介石が中国大陸から移設した「中華民国」政府によって支配されてはいても、過去一度足りとも「中華人民共和国」による統治を受けていない。中国が主張するように台湾が中国の「不可分の領土の一部」であることに実は明確な根拠はないのである。ところが、台湾を「核心的利益」とする習近平政権は、あらゆる手立てを講じて台湾に対する威嚇を続けている。

 ロシアによるウクライナ侵攻以降、台湾においては「今日のウクライナは明日の台湾」と言わんとばかりに、習近平政権による台湾侵攻への危機感、警戒感が強まっている。長らく徴兵制を敷いてきた台湾では、数年前から検査に合格した満18〜36歳の男性を対象に4カ月間の軍事訓練を義務として設けているが、ウクライナ侵攻を受け、軍事訓練の期間を延長すべきという意見が高まっている。台湾民意基金会が3月中旬に実施した世論調査でも75・9%が賛意を示している。

 仮に近い将来、中国に呑み込まれれば、台湾も香港、ウイグル、チベット、内モンゴルのような顛末を迎えることになろう。当然、日本にとっても「対岸の火事」では済まされない。日本の対外物流における大動脈とも言えるシーレーンの重要拠点を抑えられ、やがては尖閣諸島も中国の手に落ちる。アメリカの共和党下院議員で下院軍事委員会メンバーのギャラガーは『フォーリン・アフェアーズ』2022年1・2月号(アメリカ外交問題評議会)において「台湾が太平洋の重要な場所に位置する以上、台湾で起きたことは他の地域にも影響を与える。台湾は、日本とフィリピンを含む、いわゆるアジア大陸の東方を南北に走る第一列島線に即した部分に位置している」と指摘した上で、「台湾が陥落すれば、同盟国である日本とフィリピンに対するアメリカの防衛義務の遂行はより困難になる。台湾を防衛できなければ、アメリカにとってもっとも重要なアジアの同盟諸国が脅かされるし、ハワイやグアムに住む150万以上のアメリカ人を含む、太平洋の米領土も脅かされる」と主張している。

 こうして俯瞰すれば、日本の平和と安定は、台湾と一体、即ち「運命共同体」であることが理解できるだろう。緊迫する日本と台湾の安全保障環境を踏まえて、「あらゆる事態」を想定し、早急に実効的措置を検討していく必要がある。

 そのような中、日本と中国は今年、1972年9月の日中国交正常化から50年を迎える。日本は、いかに中国に向き合うべきか。そこで思い出されるのが1998年秋、当時、国家主席だった江沢民が訪日した際の出来事である。江沢民は新たに発出する「日中共同宣言」の中に、日本への「反省」と「謝罪」、台湾の国際社会への参加反対を盛り込むよう要求してきた。江沢民を迎えるのは、首相の小渕恵三と外務大臣の高村正彦である。

 いずれも一般的には「親中派」と目されている。だが、2人は、これを平然と峻拒し、日中共同宣言は結局、双方の署名は行われず、具体的な内容を「日中共同プレス発表」の形で出すこととなった。自民党青年部長の頃から台湾との交流があった小渕は台湾の置かれた状況を知悉(ちしつ)しており、弁護士でもある高村は「理」に合わないことはしないという信念の持ち主であったことが僥倖となった。この出来事が端緒となり、日本は何の幻想も持たず、等身大の中国を直視できるようになったと言われている。

 首相の岸田文雄と外務大臣の林芳正に求められる対中外交とは、小渕と高村のような毅然とした対応だろう。奇しくも毛沢東は外交を「血を流さぬ戦争」と表現しているが、まさに外交は恫喝、威嚇、脅し、賺(すか)しと何でもありで、平穏無事に波風が立てぬよう臨んではならない。常に国境線を脅かされながら対決と妥協を繰り返してきた内陸国と比べ、周りを海に囲まれた海洋国たる日本は、どうしても交渉は甘くなりがちである。

 さすがに日中国交正常化50年を記念しての習近平訪日、岸田訪中はないだろうが、仮にオンラインを通じて面会をしたとすれば、そこでの内容如何では、アメリカは勿論、西側諸国に深刻な対日不信を呼び起こすことになろう。

 「聞く力」も結構だが、余り、それに固執し過ぎると、結果的に足元を掬われることになる。世界は日本の動向を注視している。

(敬称略)

 

 


《かみや またけ》 

1961年京都市生まれ。東大教養学部卒。コロンビア大学大学院(フルブライト奨学生)を経て、92年防衛大学校助手。2004年より現職。この間、ニュージーランド戦略研究所特別招聘研究員等を歴任。専門は国際政治学、安全保障論、日米同盟論。現在、日本国際フォーラム副理事長、日本国際問題研究所客員研究員、国際安全保障学会副会長。5月4日にロシアが発表した入国禁止リストに挙げられた日本人63名の一人。

2022年6月6日号 週刊「世界と日本」第2222号 より

 

ロシアのウクライナ侵略の衝撃と

国際秩序の将来

 

防衛大学校教授 神谷 万丈 氏

 

 ロシアによるウクライナに対する凄惨な暴力行使は、ウクライナの人々が1991年の旧ソ連からの独立以来営々として築いてきた生活や幸福を破壊し続けている。同時にこの侵略戦争は、世界のあり方を根幹から揺るがしている。それは、国際社会が多年にわたり育んできた、国際秩序は力ではなくルールを基盤としたものであるべきだという理念が正念場に立たされているからだ。

 

 ルールを基盤とする国際秩序とは何か。それを理解するためには、国内社会の常識ではルールは守られて当然だが、国際社会ではそうではないということを知らねばならない。なぜなら国際社会は、中央政府を欠いた状況にあるからだ。国内社会には、個人や集団といった社会の構成員の上に立つ公権力として政府があり、構成員によるルール違反を阻止し、あるいは罰する役割を果たす。だが、国際社会には諸国家の上に立つ世界政府はない。国家によるルール違反を阻止したり罰してくれる存在が欠如しているのだ。

 国連は世界政府の代わりにはならない。主権国家の集合体であり、国家の上に立っているわけではないからだ。それぞれの国連加盟国は自らの国益を中心に考えて行動するため、国連がルール違反に対して統一的に強い行動をとることは難しい。安全保障理事会の常任理事国には拒否権が与えらえているため、そのルール違反については国連にできることは一層限られる。

 そのため国際社会では、国際法を含めてルールの効果には限界がある。力の強い国は自分より弱い国に対しては、その気になれば、ルールを無視してかなりの程度まで勝手なことができてしまう。そうした行為に対抗して身を守るためには力によるほかはない。今回のロシアのウクライナ侵略は、こうした国際社会の根本的現実が、21世紀の今日でも基本的には変っていないことをあからさまにした出来事だった。

 だが第2次世界大戦後の世界では、この状況は、米国が主導し、日本を含むリベラルデモクラシー諸国を中心とする国々とともに形成・維持してきた国際秩序の下で、かなりの程度まで緩和されてきた。それが、ルールを基盤とする国際秩序と呼ばれるものだ。世界最強の米国には、大国も小国も国際的なルールを尊重し、力任せの行動を控えることを原則とすべきだという思想があった。そして、その力が世界の他の国を圧していた時期にも比較的国際法や国際ルールに則った行動をとろうとした。それは、国際秩序のあり方に大きな影響を与えた。その結果、われわれは、国際社会が力と力のぶつかり合う場であり、究極的には軍事力がものをいう場であるということを、普段はあまり意識せずに過ごせてきたのだ。

 裏返していえば、これまでのルールを基盤とした国際秩序が崩れてしまえば、世界は19世紀型の権力闘争の場に戻ってしまいかねないということだ。世界の平和と安定のためには、それはすこぶる望ましくない。

 近年世界では、インド太平洋地域での中国による国際的なルールをないがしろにした力による現状変更の試みが、この地域でのルールを基盤とする秩序を動揺させていることへの懸念が高まりつつある。中国から地理的に遠く、安全保障上のリスクよりも経済的な利益を重視しがちだった欧州諸国も、インド太平洋秩序への中国の影響に警戒心を隠さなくなっている。

 だが今回の戦争が国際秩序に与える衝撃は、それとは比べものにならないほど大きい。なぜなら今起きているのは、国連安保理の常任理事国による、世界の最も根本的なルールであるはずの国連憲章さえも無視したあからさまな侵略戦争だからだ。もしこの事態が放置されるようなことがあれば、ルールを基盤とした国際秩序は揺らぐどころか失われかねないという危機感が世界で高まっている。

 では、ルールを基盤とした国際秩序を守り抜くためには何が必要なのか。

 最も大切なことは、いかなる秩序であってもそれを守っていくためには、軍事力を含めた十分な力により支えられていることが条件として不可欠であるということをはっきりと認識することだ。そして、米日欧などのリベラルデモクラシー諸国が中心となって、ルールを基盤とした国際秩序を守るために必要な力を、軍事力を含めて結集しなければならない。

 先に、ルールを基盤とする国際秩序の下では、われわれは国際社会が力と力のぶつかり合う場であることをあまり意識することなく過ごせてきたということを述べた。そのような秩序を守るために軍事力を含めた力を集めなければならないというのは、矛盾しているようにみえるかもしれぬが決してそうではない。力によって支えられていない秩序はあり得ないのが人間社会の現実だ。ルールを基盤とする国際秩序が長年安定的に維持されてきたのも、世界最強の米国が主導し、日欧など相当に大きな力を持つ国々が数多くそれに協力してきたからなのだ。

 近年のこの秩序の動揺の根底には、国際的な力のバランスが変化した結果、こうした国々の力が相対的に低下したことがある。今何よりも必要なのは、ルールを基盤とした国際秩序を十分に支え得るだけの力の土台を再構築することだ。普段は力の問題をあまり考えなくてもよい秩序を維持するためには、それを支え得るだけの力を再結集する必要があるのだ。

 この再構築が成功するかどうかについては、世界第3の経済大国である日本の姿勢が重大な意味を持つ。ロシアのウクライナ侵略をみて、日本人の安全保障意識には劇的な変化がみられる。4月下旬の日本経済新聞の世論調査で防衛費を国内総生産(GDP)比2%以上に引き上げることに賛成との回答が55%に達したのは驚きだった。だが日本人は、こうした積極姿勢を日本の防衛についてだけではなくルールを基盤とした国際秩序を支える力への貢献にも発揮できるだろうか。今日本人にはそのことが問われている。

 

 


《たにぐち ともひこ》 

1957年生まれ。1981年東京大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。安倍晋三第2期政権を通じ、初め内閣審議官、現任先に就いた2014年4月以降は同総理退任まで内閣官房参与。05〜08年外務省外務副報道官。それ以前は「日経ビジネス」編集委員など。主な著書に「通貨燃ゆ」(日経ビジネス人文庫)、「日本人のための現代史講義」(草思社文庫)、「誰も書かなかった安倍晋三」(飛鳥新社)など多数。

2022年5月2日号 週刊「世界と日本」第2220号 より

 

世界の秩序をどう回復すべきか

〜ロシアのウクライナ侵攻と世界

 

慶應義塾大学大学院教授 前内閣官房参与 谷口 智彦 氏

 

 ロシアのウクライナ侵攻以後幾度か「日本は西側(ザ・ウエスト)である」とする欧米メディアの論説を目にした。「西側とは、地理的概念ではない。自由と民主主義、人権を重んじ、法の支配を尊ぶ国々を称して西側という。日本は欧州からみて地図の上でこそ東にあるが、西側の一員だ」というわけである。これは、一種の既視感を与える光景だった。

 

  今年から数えてちょうど120年前、日本は英国と同盟の契りを結んだ。その後日露戦争に勝ち第一次大戦で英国とともに勝利者の側に立った日本は、戦後国際秩序の形成に、客体として、でなく、作り手の一国として加わった。

 支えた人材には、少数とはいえ第一級の国際人がいた。オランダ・ハーグにできた常設国際司法裁判所(現・国際司法裁判所の前身)第四代所長の安達峰一郎が顕著な例で、努力し身につけた仏語の完璧さは、内外同時代人を驚嘆させた。錯雑した欧州紛争案件の仲裁に腕を振るい、その現役半ばの死はオランダ国葬で送られた。

 歴史の因果は複雑に綾なすものだから単純化は慎むべきだとしても、わが国が苦心惨憺勝ち得た主流の地位をなげうたざるを得なくなったとき、亡国への道は準備されたといえる。

 ロシアが世界システムから排除され、中国が同じ陣営と目されさらなる警戒を集めつつあるいま、日本は再び「戦勝国」の側に立った。欧米に比べれば常に半歩か一歩遅れで、見ていてもどかしくはあったが、日本は対ロ制裁で西側と歩調を合わせた。立場と旗幟を明確にすべき時、なんとかできた。その結果得た主流の立場だ。二度と取りこぼすべきでない。

 国際秩序ができる、あるいは組み直される時、日本は常に客体で、「れる」「られる」と受動態で論じられる側にある国だった。

 ようやく安倍晋三総理の外交において、日本は自由陣営を支える一角として名乗りを挙げ、開かれた経済体制を、むしろ米国に代わって推し進める主力となった。受身でなく、能動態で世界に接する国に脱皮を急いだ。そうして進みつつあった動きを、ロシアのウクライナ侵攻に端を発した世界秩序の二極化は、日本を利す向きで大きく加速したといえる。

 自由や人権といった普遍的価値を重んじる側と、これを敵視する側と。日本は紛れもなく前者の側にあり、国際社会における正義を堂々主張できる立場に立つ。これが、好機だ。

 中国が台湾に軍事侵攻する可能性は、一時期まで、黒い白鳥が現れる程度の比率と目されていた。ロシアがウクライナに剥き出しの暴力を行使するのを見たいま、それは「ブラック・スワン」としてではなく、まだ動かないだけで既にその巨体を衆目にさらす「グレイ・ライノ(灰色の犀)」であろうとする認識が広まった。

 多くがそうみなすに至ったいま、台湾を挑発し一触即発に持ち込むことに伴うコストは、北京にとって顕著に高まった。台湾を取られると西太平洋の勢力バランスが不可逆的に中国へ傾く。阻むことが日本と西側の至上課題であるから、今般の動きは歓迎される。

 そう見定めたからには、指導者は日本の路線について国民に玉虫色ではない明確な説明をし、理解を求めるべきだ。聞く力より、語る力を磨くべき時である。対外説明に明快さが必要であることも論をまたない。

 旗印を鮮明にする以上何かを見切ることになる。痛みは当然にして伴う。早い話が、日ロ関係の回復は政治経済両面で当分見込めない。

 安倍総理はプーチン大統領と頻繁な会談を重ね、平和条約締結の道を模索した。太平洋を北進して北極海に入り欧州へ向かう海路は、先行き有望と目されていた。入口にある北方領土からその先オホーツク海やベーリング海を、ロシアが仕切って中国が乗じる海域にしていいのか。日本をあずかる指導者なら、誰であれ深刻に憂慮せざるを得ない。安倍総理がまったくそれだった。

 日ロに平和条約を結ぶことで北方地政学に対処しようとした安倍総理の路線は、ここで一度、棚上げとするほかない。欠を埋めるのは他に策があろうはずはなく、日米同盟の抑止力を高めることである。けれども北の緊張を緩め兵力を南西に集中しようとしたわが国防衛戦略には、一定の修正が不可避となる。防衛費の増額が不可欠であることも明らかだ。

 交戦当事国から市民を救い出す難しさを、このたびの戦争は浮き彫りにした。四方が陸続きでさえあの惨状である。海で遮られた地域から自国民を帰す困難ははかりしれない。

 文部科学省公認の日本人学校はドイツに5校、インドネシアや米国に4校ある。その数が中国では13と飛び抜けて多い。上海は、世界で唯一、日本人学校が3校存在する都市で、うち1校は、これも世界でここだけ高校生を教える学校である。北京、青島、上海の日本人学校に学ぶ児童生徒数は、ざっと2千数百名。

 グレイ・ライノを考えるとは、これらの子弟をどう助けるか計画することでもある。事業継続計画(BCP)とは国内の天変地異、大事件に備えることだけいうのではない。中国が交戦当事国となる恐れをどれほど計算に入れるのか。この先中国に派遣する社員は単身赴任を原則とするなど、急いで対処する必要を唱えたい。

 一次エネルギーの需給が国内要因と無縁に変動しそれが円安と重なった時、わが国マクロバランスを急速に悪化することも、今度骨身にしみた事実である。安全なものから原発再稼働を急ぐとともに、小型原子炉の新設に道をつけたい。サハリン天然ガス程度の供給すら見切ることができない現状では、わが国の取り得る戦略オプションは広がらない。

 人類はいくつかの夢から醒めた。核抑止力はその重要性を失わない。軍事同盟は平和の維持にこそ必要である。そして力の裏打ちがないとき、外交は無力だ。国連、頼るべからず。

 ロシアとその同類各国が直列する一帯に居を構える日本こそ、これら、苦いが否定できない現実に大きく目を見開くべきであって、それでこそ主体的な国際秩序の形成に関わる道が開け、伸びていく。

 

 


《しまだ よういち》 

1957年大阪府生まれ。専門は国際政治学。主に日米関係を研究。京都大学大学院法学研究科政治学専攻課程を修了。著書に『アメリカ解体』、『三年後に世界は中国を破滅させる』など。

2022年4月18日号 週刊「世界と日本」第2219号 より

 

トランプとバイデン—その中国政策と日本

 

 

福井県立大学教授  島田 洋一 氏

 

 共和党トランプ政権から民主党バイデン政権への移行で最も大きく変わったのは、エネルギー政策と法執行政策(スパイ摘発)である。そのいずれもが、対中政策と深く関わっている。

 

 

まずエネルギーから見てみよう

 

 バイデン政権は、脱炭素原理主義に寄り添う形で、気候変動こそが「安全保障上最大の脅威」であると主張し、その分野では中国共産党政権(以下、中共)は「パートナー」との立場を取ってきた。

 これは重大な誤りだったと言える。中共側は「パートナー」となるに当たって、当然様々な条件を付けてくる。

 しかもバイデン大統領は、新設の気候変動担当大統領特使に極めつけの宥和派ジョン・ケリー元国務長官を当てた。

 ケリーはかねて、中国外交を実務面で仕切る楊潔篪(ようけつち)・共産党中央政治局委員と、ボストンの私邸に泊めて杯を交わすほど密な関係を築き、携帯電話で連絡を取り合ってきた(楊はイギリス留学組で英語に堪能)。

 「踏み込んだ脱炭素約束」を中共から取り付けたという外観を得るため、ケリーは以後、様々な対中譲歩をバイデンに説き続ける。

 

トランプ政権の立場は180度違った

 

 ①十分な科学的根拠を欠き、誇張された気候変動云々ではなく、中共こそが安全保障上最大の脅威である、②気候変動に関して中共と協議すべきことはない、③したがって、協議の「環境づくり」のため中共に譲歩する必要もない。

 トランプ時代のアメリカは、米国内のシェールガス、オイルの掘削推進によって世界最大の産油国となり、エネルギー自立をほぼ達成した。余剰分を輸出する余裕も得た。

 トランプ個人のみならず、与党共和党では、無理な炭素削減を国内産業に強いるのではなく、様々な投資促進策を通じて省エネ・テクノロジーの開発を促し、広げていくことこそが先進国型の国際貢献との発想が強い。

 こうしたエネルギー政策が好況につながり、そこで生まれた財政的余裕を背景に、トランプ時代に国防費は2倍に増えた。軍事バランスの対中優位を確保していく基盤が築かれた。

 

エネルギー政策の混迷

 

 しかしバイデン政権になると一転、化石燃料産業に様々な環境原理主義的規制を科し、国際的にも反炭素の旗を盛んに振るに至った。

 米国内の石油・天然ガスの産出量は減り、開発投資もしぼんだ。

 ガソリン価格高騰や、輸送コスト上昇を通じた物価高はこうした政策がもたらした当然の帰結である。

 脱炭素「国際協調」の仕切り役を自任するケリー特使はなおも、「アメリカは2035年までに火力発電所を全廃する」と胸を張り、他国にも追随を促している。しかし少なくとも米国においては実現不可能である。

 与党民主党内にも反対勢力があり、電源構成の革命的転換に必要な予算法案が議会を通る見込みはない。

 ケリーもそのことは知悉(ちしつ)している。彼の言葉を真に受けて架空の脱炭素政策に追随するなら、日本はカモとなる他ない。

 ケリーは中共の「踏み込んだ炭素削減」宣言が空約束に終わることも知っている。

 承知の上で、「炭素排出量で1位の中国と2位のアメリカが画期的削減合意を結んだ」と喧伝し、日本以下の国々を、言い方は悪いが、たぶらかすのが彼の戦略である。

 菅義偉政権が、河野太郎、小泉進次郎両側近に促されて、外される梯子を登らされかけた轍を岸田政権は間違っても踏んではならない。

 なおバイデン政権は、傘下のテロ勢力への支援を続ける神権独裁国家イランの石油輸出拡大を後押ししようとしている。

 イランへの締め付けを強めたトランプ時代には、米側の反発を恐れ、中国ですらイラン石油の輸入を控えたが、バイデン政権成立以来、遠慮なく取引している。

 3月25日、イエメンに拠点を置き、イランからミサイル供与などを受ける武装集団フーシ派が、対立するサウジアラビアの西部ジッダにある石油施設に攻撃を加え、石油タンク2棟が炎上した。

 仮にイランとサウジの本格戦争に発展すれば、輸入石油の9割を中東に頼る日本は甚大な影響を被る。中国は代替石油をロシアに求めることができるが、国際的な対ロ制裁に参加している日本はそうはいかない。

 バイデン政権と中共は、イランのテロ活動活発化を助けた挙句、混乱時にはそれなりに自己防衛できるが、日本には逃げ場がない。

 イラン封じ込めにほぼ成功し、イスラエルと湾岸アラブ諸国(および背後のサウジ)との関係強化などを進めたトランプ政権の方が日本にとっては遥かに良かったろう。

 

緩慢なる法執行政策(スパイ摘発)

 

 バイデン政権はまた、中国のスパイ活動の取り締まりも顕著に緩めた。

 トランプ大統領は、その後半期、連邦捜査局(FBI)と司法省に徹底した「中国シフト」を敷かせた。

 目立った例として、いずれも戦略分野ナノテクノロジーの権威で、中国の知的財産獲得「千人計画」に参画していたチャールズ・リーバー・ハーバード大学教授とガン・チェン・マサチューセッツ工科大学(MIT)教授を逮捕起訴したケースがある。有名大学が舞台の事件だけに大きく報じられ、抑止効果も大きかった。

 この内トランプ時代に公判が進んだリーバーには有罪評決が下ったが(2021年12月21日)、政権交代直前に逮捕されたチェンについては、結局、バイデン司法省が起訴を取り下げている(2022年1月20日)。

 バイデン政権がFBIと司法省に「国内右翼シフト」を敷かせた結果、「中国シフト」は事実上解除された。

 さらに、イラン制裁法違反でカナダ当局に身柄拘束を依頼し、移送手続きを進めていた中国通信機器最大手ファーウェイの孟晩舟(もうばんしゅう)副会長を、バイデン司法省は結局不起訴とし、即日帰国を許した(2021年9月)。

 カナダ人2人が人質に取られたこと以上に、孟晩舟を解放しなければ脱炭素で協力はあり得ないという中共の脅しが効いたとされている。

 バイデン政権は万事において中国に緩いが、議会では着実に対中強硬派が増えている。

 バイデンは、自己の確固たる意見はなく、議会多数派に追随するタイプである。米議会の動きに目を凝らしたい。

 

 


《かさや かずひこ》 

1978年京都大学大学院史学科修了。96年国際日本文化研究センター研究部教授、2015年同所定年退職 名誉教授。19年大阪学院大学法学部教授。この間、ベルリン大学、北京外国語学院、パリ大学などの客員教授を歴任。NHK「その時、歴史が動いた」や「BS歴史館」「英雄たちの選択」などにもゲストコメンテーターとして出演。著書に『関ヶ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館)、『武士道の精神史』(ちくま新書)、『徳川家康』(ミネルヴァ書房)などがある。

2022年2月14日号 週刊「世界と日本」第2215号 より

 

太平洋戦争80年に寄せて

 

 

国際日本文化センター名誉教授
大阪学院大学法学部教授  笠谷 和比古 氏

 

 昨年の12月8日の頃は、あの真珠湾攻撃から丁度80年にあたるということで、いろいろとその方面の特集などが組まれていた。そこで出てくるキーワードは、無謀な戦争、宣戦布告の遅れ、騙し討ち、戦争責任、等々であった。そしてこれらのキーワードはこの80年の間、すこしの揺らぎもなく、牢固として再生産されてきたように思う。

 しかしそれは偽りであり、誤りなのである。何故に? これを説明しよう。先ず、真珠湾攻撃が騙し討ちの開戦であったとされる点について。確かに日米交渉の交渉打ち切り通告(宣戦布告ではなく交渉打ち切り通告)が遅れたことは事実であり、それは日本側のミスではあった。しかし真珠湾問題の本質は、そのような技術的なミスではなく、もっと巨大で根本的な問題としてあった。

 すなわちそれに先立つ同年11月27日のこと、米国海軍軍令部は太平洋各地の米軍基地に対して、「日本との外交交渉は終わりを告げた。数日以内(with in the next few days)に日本軍の軍事攻撃がある」旨を伝達し、これが「戦争警報(war warning)」であることを強調していたのである。

 では何故にこの「戦争警報」は11月27日に発せられているのか。それはこの前日の26日に米国務長官コーデル・ハルから日本側に対して、有名な「ハル・ノート」が手渡されたからである。日本はアメリカとの戦争を避けるために懸命の交渉を続けており、アメリカ側の対日石油輸出禁止の解除を求めて南部仏印(フランス領インドシナ、現ヴェトナムの南部地域)からの撤退を明言するなどしていた。

 アメリカによる石油輸出の全面停止は日本側にとって死活問題であった。当時の日本には石油の備蓄は民間用・軍事用あわせて2年分しかなかった。アメリカの石油対日全面禁輸を受けて、日本の海軍が急速に開戦論に傾いていく。海軍はもともと陸軍の推進する三国同盟路線には反対の立場で、むしろ親英米の気風が強かった。その海軍が即時開戦論に転じた。備蓄石油が底をつけば海軍自慢の戦艦大和や空母群も、単なる鉄くずになり果ててしまうからであった。

 戦争に反対の昭和天皇は、新たに任命した首相の東条英機に対して戦争ではなく交渉による問題解決を命じ、東条もその意向を踏まえて交渉路線に転じていた。そのために軍部強硬派からは東条の変節、裏切りといった非難を蒙っていたほどである。

 しかしながら、この日本側の南部仏印からの撤兵提案に対して、アメリカはゼロ回答とも言うべきハル・ノートを日本側に突きつけ、事実上、交渉を打ち切った。米国陸軍長官スチムソンは、その克明な日記の11月27日分に次のように記している。

 ハルがスチムソンに語った言葉として、「私はこの日米交渉問題から手を引いた。いまやそれは君とノックス(海軍長官)との手中、つまり陸海軍の手中にある(I have was hed my hands of it and it is in the hands of you and  Knox,the Army and Navy.)」と。

 昔からハル・ノートが日米戦争の引き金をひいたとは言われてきたが、このスチムソン日記はそれが確信犯であったことを裏付けている。そしてこれに基づいて、米軍は太平洋の全基地に対して前述のような戦争警報を発したのであった。アメリカは、自ら求めて日米戦争突入を決断していた。そして数日以内における日本軍の攻撃も待ち受けていたということである。

 アメリカ側が対日戦争を欲したのは、もっぱら英国チャーチルの要請に則ったもので、アメリカが対ドイツのヨーロッパ戦線に参加することを求めてのことであった。第一次大戦で多大の犠牲を払わされたアメリカ国民は、ヨーロッパの第二次大戦に参加することに否定的であった。その国内世論を参戦の方向にもっていく手段として、日本軍の攻撃による太平洋戦争が不可欠であったということである。

 このような流れの中で提示されたハル・ノートであった。ある晴れた日に何の通告もなく、いきなり攻撃をかけてきた日本軍の騙し討ちといった言説が、いかに欺瞞(ぎまん)に満ちたものであるかが諒解されるであろう。ちなみに、同じスチムソン日記の11月25日の箇所には、大統領ルーズベルトの主宰する戦争準備会議があり、そこでの主要な議論は「我々の被害を最小限度にとどめて、日本側に攻撃させるように如何に誘導すべきか」であったことも明記されている。

 これらのことは名越弘『再審請求「東京裁判」』(白桃書房)や、アメリカ側研究者ではC.A.ビーアド『ルーズベルトの責任』下巻(藤原書店)などに、余すところなく書かれている。しかしこれらの研究の成果は国民に届いていない。

 これら太平洋戦争に関する従前の歴史像の誤謬を正して新たな知見を示す研究に対しては、「歴史修正主義(リビジョニズム)」という烙印が捺しつけられ、レッテルを貼られることによって抹殺されるという運命をたどってきたのである。

 この「歴史修正主義(リビジョニズム)」というレッテル貼りと、それによる当該言論の圧殺の根拠とは、太平洋戦争に対する評価はすでに確定している。その評価に疑念を呈したり、ましてそれを覆すなどということは人類正義に対する敵対行為であり、犯罪行為であると言わんばかりの独断(どぐま)に他ならないであろう。

 だが事実を無視し、言論を封殺するようなところに人類正義があるはずもない。正義は真実の裏付けをもって樹立され、真実は事実を素材として構築されるものだからである。事実であるか否か! 人類と世界の真実と正義とは、ただ歴史の事実を究めることによってのみ得られる。歴史学とは事実の学であり、事実の究明をとおして真実に到達することを目指す学である。それ故に、明白な事実の歪曲を見逃すことはできない。

 「歴史修正主義(リビジョニズム)」という種類のレッテル貼りが、いかに有害なものであるかを自覚する必要がある。そのような独断に基づく言論封殺が、国民の歴史観をどれほど歪めてきたかを知らなければならない。事実を無視し、事実に関する言論を封殺するところに真実と正義が存在する余地はないということである。

 


《かせ・ひであき》 

1936年、東京生まれ。慶応、エール、コロンビアの各大学で学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任。著書は『グローバリズムを越えて自立する日本』『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』ほか多数。

2022年1月17日号 週刊「世界と日本」第2213号 より

 

外交交渉秘話

 

歴史の近視的視野は大きな災禍を招く

 

外交評論家  加瀬 英明 氏

 

国家観は歴史を学び

 先を見る能力の獲得

 

 私が『日本週報』という雑誌に連載して、稿料を稼ぎはじめたのが、高校3年生の17歳の時だった。

 26歳で月刊『文藝春秋』に評論家という肩書をもらって、書くようになった。

 

 私は田中角栄内閣が昭和47(1972)年に日中国交正常化を強行した時に、中国は秦(紀元前221年〜206年)の始皇帝の時代から悪しき帝国であり、毛沢東王朝もその延長だから、米国が中国を承認してから後を追うべきだと反対した。

 田中首相が北京を訪れて、毛沢東主席に拝跪するようにして会見したのが、日中関係を今日まで歪めてきた。

 角さんは外交について無知蒙昧だったが、それでも私の会に来てくれた。魅力ある人だった。

 私が28歳の時に日韓国交正常化の前年に訪韓して、田中氏の県紙『新潟日報』に韓国について10回連載したことから、目をかけてくれた。

 日中国交回復が行われた時の中国は中ソ戦争に怯えて、日本を必要として日本に縋(すが)りつこうとしていた。

 私は米国きっての戦略家として名高いエドワード・ルトワック氏を同志として、昵懇にしてきた。

 私がルトワック氏と親交を結ぶようになったはるか前から私を知っていたというので、驚いたことがあった。

 若き国防省員としてはじめて訪日した時に、マンスフィールド大使(在任1977〜88年)から、「金丸信と加瀬英明に会ってはならない」と戒められたという。2人が台湾ロビーということだった。

 大使はしばしば私の会合に出席して、愛嬌を振りまいたが、中国についてまったく浅薄な知識しかなかったために、中国にすっかり魅せられていた。

 米国はクリッパー帆船の時代から、中国を貿易とキリスト教化がはかれる、“巨大市場”として見果てぬ夢をみていた。

 金丸氏は台湾の蔣介石政権の支援者だったが、私は台湾の独立派を応援していた。

 大使は炭鉱夫から身を立てて、上院議員として高い評価をえていたが、多くの米国人と同じように、中国が市場を開放して豊かになれば、民主化すると無邪気に信じていた。

 私は戦略家といわれるヘンリー・キッシンジャー氏や、マイケル・ピルスベリー氏などと接触をもったが、長期的な戦略観を欠いていたから、とうてい戦略家と呼べない。(もっとも、ピルスベリー氏は中国観が誤まっていたことを認めて転向した。)2人とも中国の歴史について、驚くほど無知だった。

 せいぜい20〜30年先きだけ見て、先見性がなく、当面を凌ぐために対処するのは、戦術であって戦略に価しない。

 私がフォード大統領と親しかったので、国務長官だったキッシンジャー氏と食卓を越して、あるいはパネリストとして同席して意見を交わしていた。

 キッシンジャー氏は、ニクソン大統領の国務長官として極秘裏に北京入りして、1972年のニクソン訪中を演出して、世界を驚倒させた。米ソ冷戦が絶頂に達していたので、中国と結ぶことによって、ソ連を抑えようとした。

 今日の中国という怪物は、日米が育てたものだ。

 今日、中国の脅威に戦(おのの)いているが、自業自得だ。

 ヒトラーが1939年にポーランドに侵攻すると、英仏にポーランドを救う能力がなかったのに、英国はポーランドを救うために、ドイツに宣戦布告した。ポーランドが独立を回復したのは、その50年も後に“ベルリンの壁”が倒壊して、ソ連が崩壊したことによった。

 そのために第2次大戦が勃発した。チャーチルは20世紀の愚昧な指導者として記憶されるべきだ。戦略眼がなかったために、大戦によって大英帝国を失った。まったく無益な世界戦争だった。

 人類にとって戦争ほど、恐ろしい災禍はない。

 人間は最強の肉食獣として、地上の食物連鎖の頂点に立っているだけではなく、途方もない浪費癖にとりつかれているために、戦闘と略奪を生業としてきたが、同じ人間を天敵としている唯一つの生物だ。

 歴史に「もし」を設けてはならないというが、もし第2次大戦が起らなかったとすれば、20世紀の2人の巨悪だったヒトラーとスターリンが戦って、ナチス・ドイツとソ連が滅し合うのを、傍観できたはずだ。

 ルーズベルト大統領は英国を救うために、日本を罠にかけて戦争を強いたが、大戦が起らなかったとすれば、日本がアジアの安定勢力として役割を果して、中国大陸が共産化することも、朝鮮戦争も起らず、台湾島民が蔣政権のもとで塗炭の苦痛を味わうこともなかった。

 歴史は近視的な視野しか持たなかったために、大きな災禍を招いた例にこと欠かない。

 ルーズベルト政権が対日戦争を企んでいたあいだ、昭和6(1931)年の満州事変から、日本が追い詰められて昭和16(1941)年に真珠湾を攻撃するまでの10年間に、日本では11人も首相が交替した。平均して1人1年も在職していない。

 これでは時間を超えた和によって自縛されて、先を見ることも、国家戦略もあったものではなかった。

 日本はいまでも変わっていないが、人事があっても政治がないことを心しなければならない。

 国家観は歴史をよく学び、先を見る能力を獲得することによって、確立することができる。

 


《おはら ぼんじ》

1985年防衛大学校卒。98年筑波大学大学院(地域研究)修了(修士)。2003〜06年、駐中国防衛駐在官。09年第21航空隊司令。11年IHS  Jane,s アナリスト兼ビジネス・デベロップメント・マネージャー。13年東京財団を経て、17年6月から現職。著書に『中国の軍事戦略』、『軍事大国・中国の正体』、『何が戦争を止めるのか』、『曲がり角に立つ中国』(共著)等多数。

2022年1月17日号 週刊「世界と日本」第2213号 より

 

2022年

日米中はこれからどうなる?

 

(公財)笹川平和財団 上席研究員 小原 凡司 氏

 

 2022年も米中両国は鍔(つば)迫り合いを繰り広げるだろう。軍事を含む複数の領域における米中間の緊張の高まりはすでに大きな流れになっており、簡単に変えることはできないからだ。大国間ゲームの主要なプレイヤーになれない日本は、その中で難しい選択を迫られてきた。

 

 2021年12月9日から2日間、バイデン大統領の呼びかけによって民主主義サミットが開催され、およそ110の国や地域の首脳などがオンラインで参加した。しかし、米国の同盟国のタイや米国がパートナーと呼ぶシンガポール、さらにEUのメンバーであるハンガリーなどは招待されなかった。これら招待されなかった国々は、バイデン大統領によって引かれた民主主義と非民主主義を区分する線によって、明確に米国の仲間から外されたのだ。

 米国から「味方ではない」とされた国々は中国との距離を縮める可能性もある。民主主義サミットは、民主主義の世界的衰退に危機感を有するバイデン大統領が民主主義の刷新と強化を謳って開催したもので、その意図は広く理解されている。しかし、米国は民主主義サミットの参加国を指定することによって、味方を増やすよりも、新たな敵を作ったかもしれない。

 一方の中国は、この機会を捉えて味方を増やすことよりも、米国に対抗することに熱心であるように見える。12月4日に『中国的民主(中国の民主)』白書を発表した翌日、中国外交部が『美国民主情況(米国の民主の情況)』を発表して米国の民主主義を酷評した。さらに、同月9日には国営新華社が『真相!新華社の挿絵が米国の民主主義サミットの本質を暴く』という記事で、映画『ハリー・ポッター』のシーンを模倣した風刺画を多数掲載して米国の民主主義をあざけった。同日、中国中央電視台(CCTV)の国際ニュース放送チャンネルであるCGTNが「米国の民主主義・リアリティ・チェック」を放映し、米国内の暴動や人種差別に関する米国テレビ局のニュース報道を都合よく切り取った映像を利用して米国の民主主義を貶めようとした。

 政治体制の優位をめぐって競争する米国と中国は、軍事的にも緊張を高めている。中国は、建国以来、米ソの軍事力行使を恐れ、軍備増強を続けてきた。建国当初は経済力が十分でなかったため、中国は核兵器の開発に国内資源を投入した。それでも、核弾頭数や大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射機数において劣勢であると考える中国は対米核抑止が破綻するのを恐れ、経済発展に伴って、戦略核による抑止が破綻しても米国の対中軍事力行使を抑止できるようA2/AD(Anti-Access, Area-Denial・接近阻止・領域拒否)能力を構築してきた。

 現在の中国は、戦略核のレベルで米国と対等になりつつあるとの自信を持ち始めた。中国は内モンゴル自治区や甘粛省などに300基とも言われるICBMサイロを建設しており、民間の衛星でもその姿を確認できる。位置を暴露しているということは、攻撃される前にICBMを発射するという意味だ。敵のミサイル発射の兆候を検知した段階で自らのICBMを発射するLOW(Launch on Warning)という、米国やロシアと同様の戦略である。これまで中国は、ICBM等を山中に格納したり、TEL(Transporter, Erector, Launcher)に搭載して機動したりして、敵の核攻撃の第一撃を生き延びて報復攻撃を行うという戦略をとっていたが、本来の願望どおり米国と対等の核戦略を取り始めたのだ。

 中国の軍備増強に危機感を募らせる米国は、同盟国との軍事協力を進め、中国の武力行使を抑止しようとしている。米インド太平洋軍が進めるPDI(Pacific Deterrence Initiative・太平洋抑止イニシアティブ)は日本等の同盟国と協力して中国のA2/ADを一時的に無力化し、米国の対中軍事力行使を保証して、中国の武力行使を抑止しようとするものである。また、オーストラリアの攻撃型原潜取得プロジェクトを含む、オーストラリア、英国、米国の軍事協力枠組みであるAUKUSの設立も発表された。

 中国メディアはAUKUSを「軍拡のパンドラの箱を開けた」と批判したが、一方で、カナダとニュージーランドは反中姿勢が強くないのでAUKUSに加わらなかったと報じた。しかし、10月上旬、フィリピン東方海域において、日本、米国、英国、ニュージーランド、カナダ、オランダが参加した6カ国海軍合同演習が実施され、その後、米国とカナダの戦闘艦艇が台湾海峡を通過した。米国は、AUKUSは一つの段階に過ぎないという政治的メッセージを中国に送ったのだ。

 米国が軍事協力の枠組みを拡大すれば、中国はロシアとの軍事協力を強化する。10月18日から23日にかけて、中国海軍とロシア海軍のそれぞれ5隻、計10隻の艦艇が津軽海峡を抜けて日本を周回するように航行した。中国はこれを「戦略合同巡航」と呼称した。米国の別の軍事協力枠組みである日米同盟の深化を牽制したと考えられる。米中対立は、それぞれの同盟国や友好国を巻き込んで拡大しているのだ。

 2021年は、米国と中国が、新冷戦を否定する発言を繰り返す一方で、実質的には部分的デカップリングを助長するような行動をとってきたとも言える。経済的デカップリングも進む可能性がある。11月17日発表された米中経済安全保障調査委員会の議会年次報告書は、「政治的な摩擦が続き、差別的な扱いを受ける懸念があるにもかかわらず、多くの米国企業は中国市場にこだわり続けている」と懸念を示した。こうした認識は米国の対中経済政策に影響を及ぼすと考えられるからだ。

 米中両国は戦争をしたい訳ではない。11月16日に行われた米中首脳オンライン会談においてバイデン大統領は、競争が紛争に発展しないためのガードレールが必要だと述べている。中国は、ますます日中関係を米中関係の従属変数として捉える傾向を強めている。米中対立あるいは競争が国際社会の主要な問題となる中で、日本はいかにその主体性を維持できるかが大きな課題になる。

 


《たにぐち ともひこ》

1957年生まれ。1981年東京大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。安倍晋三第2期政権を通じ、初め内閣審議官、現任先に就いた2014年4月以降は同総理退任まで内閣官房参与。2005〜08年外務省外務副報道官。それ以前は主に雑誌日経ビジネス誌で記者、ロンドン特派員など。主な著書に「通貨燃ゆ」(日経ビジネス人文庫)、「日本人のための現代史講義」(草思社文庫)、「誰も書かなかった安倍晋三」(飛鳥新社)など多数。

2022年1月4日号 週刊「世界と日本」第2212号 より

 

2022年の日本の外交戦略を考える

 

慶應義塾大学大学院教授
前内閣官房参与 谷口 智彦 氏

 令和4(2022)年の外交課題は中国に始まり、中国に終始するだろう。旧年中すでに、日本政府は北京冬季五輪への関わり方に苦慮した。新年は「台湾有事は、すなわち日本有事」(安倍晋三元首相)だという現実に直面することとなるのか。

 

 9月29日は、田中角栄が周恩来と北京で「日中共同声明」を出し、国交回復がなって50年の節目に当たる。これをどう迎えるか。祝賀ムードを内外に宣伝するのか否か。

 北京の目的を読むことは容易だ。習近平主席を国賓として日本に迎えさせる一事。天皇陛下との談笑光景や、同陛下主催晩餐会で杯をあげる様子を世界中に流すことである。

 日米同盟にくさびを打ち込んでその力を削ぎ、日本の立場を民主主義陣営において弱めることができるなら、それこそは中国の長期的国益にかなう。国賓としての訪日を、日本は許すのか。この1点に、新年の外交は鼎(かなえ)の軽重を問われる。

 こういう場合の外交当局には、別段日本に限らないが強い組織の慣性が働いて、祝おうとする動因が生じる。時運に居合わせた外交官、とりわけ政治的野心に富む外務大臣には、何事か能動的に仕掛けたくなる気持ちが内心に強く湧く。「千載一遇なのだから」というわけで、功名心と使命感とがないまぜとなった、じっとしていられなくする何かだ。

 「桜の咲く頃」の習訪日を、日本は可能性として1度受け入れた。そして外交における日本の信条は常に約束を守ることだ、云々と言い出すと、断れない口実に不足はない。

 そこをどれだけこらえられるか。

 コロナウイルスの新型を生み野放しにして、人類的災厄を生じさせておきながら、そのことを誰にも口にさせない。民族浄化というべき対応をウイグル族、チベット族にして改めない。1国2制度の約束を自ら反故にし、香港の民主主義を扼殺する。そして台湾武力奪取に備えを進め、日本に、インドに、領土的挑発をやめない。それこそが、いまや世界中が知ることとなった中国である。

 習訪日を想定した時期は、もはや一時代前のことだ。あの時はあの時、今は今と恬(てん)としていられるくらい心臓に毛が生えていればいいが、日本の外交当局者、最終的に岸田文雄総理の場合、果たしてどうか。

 自ら信ずるところを明瞭に発信してこそ、道が開け、友邦との関係が固まる。潜在的な敵国も、むしろ一目置くようになる。それが、外交における黄金律だ。黙っている者は、仲間に猜疑の目で見られる。弱さを見て取る敵方に、一層挑発される。

 「聞く力」は「情報収集力」であって、外交にはもちろん必要である。がそれですら、弁じるべきを言い淀む者には備わらない。立場が曖昧な相手に機密を耳打ちする者がいたとしたら胸に一物あってのこと。発信を欠くと、受信もできない。

 日本は、明治以来の近代史上最も長く続いた安倍晋三政権の期間を通じ、右の定理を証明してみせた。

 「自由、民主主義、人権の尊重と、法の支配」。いつもこの四点を旗印にして高く掲げた外交は、長年の同盟相手米国はもとより、豪州とインドを強く引きつけた。EU(欧州連合)とは、最も進んだ経済連携協定だけでなく、それを支える文書として「日欧戦略的パートナーシップ協定」の締結に至った。理念における結合を高らかに謳った政治文書として、日本外交史に稀な達成だ。

 この間中国は一切反発を見せず、安倍総理が憲法改正に強い意欲を示そうが、護衛艦の一部を事実上の空母に改める計画を打ち出そうが、一貫して沈黙を続けた。付け込むべき弱さを日本に見出さなかったからだ。ここに、汲むべき教訓がある。

 日中関係の安定は、なるほど大切だ。しかし自分の力を不断に強める努力を抜きに、平衡は達成できない。思えば当たり前であって、北京は何事であれ前年比7に近い比率で伸ばし、経済力、軍事力とも10年ごとに倍加させる勢いなのだから、当方によほどの構えがない限り、平衡など望むも愚かなのである。

 といって日本一国では到底間に合わない以上、仲間と組むしかない。仲間を求め、絆を作りたいならば、自分の旗を鮮明にする以外ない。

 それが、安倍政権の選んだロジックであり、現に選択した道だった。

 いま「安倍政権の」と述べたけれども、長い在任期間を通じて政治的資本をしばしば傷つけながら、安倍総理は日本にとって当然であり、それ以外ないという意味で無二でもある進路に、なんとかかとか、日本を置いたという意味においてである。総理が入れ替わり、政権の名前が変わったらご破算になる、してよい類の方針では、もとよりない。

 外交における発想の基軸はここにある。立ち返るべき原点だ。もしも日本が企業だったとしたら、これこそは苦心して築いた暖簾、積み上げた信用、厚くした自己資本である。令和4年、やってはならない外交とは、これを脱色させ、揺るがせ、あるいは希釈化させることだ。

 いままで述べてきたことは、企業の経営者にとって他人事ではない。

 中国に進出した日本企業では、共産党組織による統制が進む。情報の保全は難しくなり、持ち出しは御法度となった。新手のスローガン「共同富裕」とはつまり民間企業に負担を求めることなのだとしたら、待ち構えるのは苛斂(かれん)誅求(ちゅうきゅう)であり得る。

 台湾を取られると、日本は戦略空間を大きく狭められ、企業経営の自由度も狭隘化(きょうあいか)する。中国共産党のフロント企業が日本企業の株式を買い集めた時、仮に経済安保を重視した対抗法制がその時までに備わっていたとしても、抵抗できるのか。

 軍民両用技術を中国に渡し続けていると、それはすべて台湾を取り、日本の島々を取る目的に生きるのだから、自ら首を絞めることとなる。そのときには、これまで米国で築いた地歩とて、無傷ではいられない。

 短い算盤ばかり弾いていると、亡国の所業となる。日本企業にとっても、いいとこ取りができた時代は過去のものとなった。


《さいとう つとむ》

1972年東京外大卒 産経新聞社入社 モスクワ支局長(2回)ワシントン支局長、外信部長 東京編集局長 取締役副社長・大阪代表 現在は論説顧問 一連のソ連・東欧報道で89年度「ボーン・上田記念国際記者賞」 「ソ連、共産党独裁を放棄へ」のスクープで90年度「新聞協会賞」 著書に、スターリン秘録(産経新聞社)、日露外交(角川書店)など。

2021年12月13日号 週刊「世界と日本」第2211号 より

 

「ソ連崩壊30年に思う?」

 謀反の首謀者の野望が実現!?

 

産経新聞論説顧問 齋藤 勉 氏

 ソ連崩壊から30年たったロシアに君臨するプーチン大統領。その独裁統治はすでに21年に及び、ソ連に本家帰りしたかのような強権ぶりだ。節目の今年、「国家の中の国家」と恐れられたKGB(国家保安委員会)のスパイ出身らしいDNAが今なお脈打つような恐怖政治、国家ぐるみの犯罪、言論弾圧ーの実態を炙り出す象徴的な出来事が三つ起きた。

 

 【その1】

 3月、米ABCニュースで司会者がバイデン米大統領に「プーチン氏は殺人者(キラー)だと思うか?」と問うた。バイデン氏は「そう思う」と明確に答えた。

 

 プーチン体制下では反政権派の政治家や元スパイ、ジャーナリスト等の暗殺が相次ぎ、犠牲者は約20人にものぼる。特にチェチェン民族弾圧報道で著名だった女性記者、ポリトコフスカヤさんが2006年のプーチン氏の誕生日の10月7日に射殺された事件は国民の怒りを買った。毒殺されかけた野党指導者ナワリヌイ氏の不当な投獄も続いている。

 

 【その2】

 夏の東京五輪とパラリンピックで、ロシアは全部で56個もの金メダルを取ったが、表彰式で掲揚されたのはロシア国旗ではなくロシア・オリンピック委員会旗。演奏されたのもロシア国歌ではなく、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番だった。

 

 ロシアのスポーツ界の国家ぐるみの積年のドーピングに対する制裁として、世界反ドーピング機関(WADA)は2022年12月までの4年間、ロシアの公式選手団としての国際的な主要大会への出場を禁じている。ロシア国歌は「ソ連崩壊は20世紀の地政学的大惨事」と嘆き節を何度も口にしているプーチン氏が、大統領就任後すぐにメロディーだけソ連国歌のものに変えたいわくつきだ。

 大統領の指令でクリミア半島占領、ジョージア侵攻など別の国家犯罪も起きている。

 

 【その3】

 10月、独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ(新しい新聞)」のムラトフ編集長(59)がノーベル平和賞を受賞した。

 

 同紙はポリトコフスカヤ記者がかつて所属し、大半の反体制組織や記者らが「外国の代理人=スパイ」として言論活動が封殺されている中でほぼ唯一、プーチン政権と真っ向から闘っている。ソ連・ロシアの平和賞は反体制運動の精神的支柱だった物理学者のサハロフ博士、ペレストロイカ(再編)とグラスノスチ(情報公開)を断行したゴルバチョフ氏に次いで3人目。1993年の同紙創刊ではゴルバチョフ氏が自分の平和賞の賞金の一部を拠出して後押しした。ムラトフ氏の受賞はプーチン氏への警告と受け取れる。

 

あのクーデターを粉砕した民衆の熱狂は一体、何だったのか

 

 1991年8月19日、ソ連共産党守旧派(左翼強硬派)がゴルバチョフ・ソ連大統領兼党書記長をクリミア半島の別荘に軟禁、全権奪取を企てた、あのク—デタ—である。

 ゴルバチョフ氏に代わって実権を握ったエリツィン・ロシア大統領が戦車上で「反クーデター」の旗を振り、これに呼応した民衆の迸るような抵抗で謀反は「3日天下」に終わった。最後の夜、国民の怨嗟の的だったKGB前広場に立つ秘密警察の創始者、ジェルジンスキー像が歓喜と怒号の中で撤去された。

 集まった数万の民衆の中には独裁者スターリンの大粛清の犠牲者の親族、アフガニスタン共産化のため無謀な軍事侵攻に駆り出された若者らもいた。

 その現場に8時間も立ち続けた私は心底からソ連帝国の崩壊を確信し、2日後、ソ連共産党は解体された。

 首謀者はクリュチコフKGB議長、ヤゾフ国防相ら国家中枢の8人組だった。ゴルバチョフ氏は8月20日、中央集権を大幅に弱めた新連邦条約を締結する予定で、新連邦下では自分たちの数々の特権と高いポストが失われると危機感に駆られた末の国家犯罪だった。

 世界を震撼させたこの国家転覆未遂劇を「第1のクーデター」と呼ぶなら、4か月後の12月8日、今度はエリツィン氏とウクライナ、ベラルーシを含む改革派のスラブ三首脳がベラルーシ・ベロベーシの森で「ソ連消滅」を電撃決定し、発表したのが「第2のクーデター」である。

 その夜、ベラルーシの首都ミンスクにいた私は外務省が配った発表文をひったくり、タクシーの電気の薄明りで読んだ冒頭の文章にぶったまげた。

 「ソ連邦は国際法の主体として、地政学上の現実として、その存在を停止する」

 「ソ連崩壊」を明言した初めてのソ連公式文書だった。ホテルに戻るや、東京の外信部と電話を繋ぎっぱなしにして原稿を送った。ソ連に代わる「独立国家共同体」なる緩やかな新連邦国家が生まれた。第1クーデターとは逆に、静かに小雪の舞う中で大ニュースが世界に発信された。

 ロシア革命74年、ソ連邦成立から69年。歴史的な瞬間だった。

 ゴルバチョフ氏の「新思考外交」による民主化の怒涛は89年、東欧諸国の共産政権を次々となぎ倒してベルリンの壁をも崩壊させ、ブーメランとなってクレムリンを直撃したのだった。国内では国民生活と人権を犠牲にした途方もない軍事費が国家財政を破綻させた。全国で燃え広がった民族運動は国家の屋台骨を揺さぶった。

 第1、第2のクーデターの後、私は感情の高ぶりの中で「ロシアもこれで史上初めて本当に民主化されるのかもしれない」と夢想していた。「民主政権なら北方領土も返してくるかも」とも。

 

すべては甘かったあれから30年  

 

 世界は今、まさに第1クーデターの守旧派首謀者たちが企てた悪辣な野望がプーチン政権で実現しているのを目撃しているのではないか。しかも、隣の中国では習近平政権が人類史上最凶・最大の共産党独裁国家を構築しつつある。中露ともIT(情報・技術)の粋を極めた近代的スターリン型体制といえる。

 91年12月25日、ソ連最後の夜。クレムリンに翻った白青赤の新生ロシア国旗は、今またソ連の赤旗に取って代わられたような錯覚に私はとらわれている。

 

 


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