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2025年8月18日号 週刊「世界と日本」2299号 より

創設する防災庁を

 

世界屈指の組織とするために

 

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長

京都大学 名誉教授

 

河田 惠昭

《かわた よしあき》

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長、人と防災未来センター長。京都大学名誉教授。国連SASAKAWA防災賞、防災功労者内閣総理大臣表彰など受賞多数。瑞宝中綬章。日本自然災害学会および日本災害情報学会の会長を歴任。著書に『これからの防災・減災がわかる本』『にげましょう』『津波災害(増補版)』等。

 本年1月から6月まで、8回開催された防災庁設置準備アドバイザー会議を経て、最終報告書が公表された。この内容を基本として、いよいよ防災庁の具体的な組織が、国会の審議などを経て具体化されようとしている。筆者の50年にわたる防災研究を終えてもよいわけであるが、南海トラフ巨大地震(以後、南トラ地震と略称)のような国難災害が発生してわが国が没落しないように、いくつもの目標をさらに実現しなければならない。

 

内閣総理大臣をトップとする司令塔を創設する

 2016年熊本地震では、安倍首相は政府が実施した『プッシュ型支援』は成功したと発表したが、実際は失敗だった。陸上自衛隊の大型ヘリコプターが災害直前に事故を起こし、飛行禁止になって使えず、救援物資集積地の佐賀県鳥栖市から被災地への輸送は、陸上輸送に限られ、そこで大規模な渋滞が発生して、決められた時間に決められた物資を多くの避難所に届けられなかった。この責任はどこにあるのかは、明らかにされてこなかった。そのようになった原因は被災地の実情が正確に報告されず、内閣官房のトップに立つ首相の指揮命令も明確でなかったからである。防災庁が実現しても、大災害では防災大臣ではなく、首相が内閣官房のトップに立って指揮命令する必要があり、司令塔機能の常設と強化によって、被災地で発生している事象を正確に把握し、関係省庁に指示する必要があろう。南トラ地震が発生した時、陸上自衛隊は約11万人しか被災地に派遣しない。これは2011年東日本大震災とほぼ同規模であるから、まったく足らず初動は失敗する。最大限の出動ができない理由は、この震災がきっかけとなって中国による台湾侵攻が始まる危険性があるからだ。自衛隊は国防が主務である。南トラ地震のような国難災害を国防と同列に見なせない政治体制が、致命的な被害軽減の弱点のままに残る。

 

憲法に緊急事態条項を明記する

 コロナパンデミックの時、政府は東京・幕張に大きな野戦病院を創ろうとしたができなかった。病院開設に当たってあまりにも関係する法律が多く、調整に長時間を要することがわかったからである。1961年施行の災害対策基本法には、緊急事態に関する規定として、災害緊急事態の布告と、それに基づく緊急政令の制定が明記されている。しかし、過去の災害に際して一度も発令されていない。感染症の場合の野戦病院と同じ理由である。筆者は4年前から、感染症と自然災害に強い社会を目指すニュー レジリエンス フォーラムの活動に参画しているが、緊急事態条項が憲法に書かれていないと、迅速な対応が不可能なことがわかった。わが国の近代化は明治維新から始まったが、そこでは欧米の真似をすることから始まったと言ってよい。大日本国憲法は当時のプロシャの憲法を7年間検討した吉田松陰門下の伊藤博文の草案に基づいていることがわかっているが、そもそもプロシャでは日本のように一度に千人単位で死亡する大災害は起こった経験がなく、同国の憲法に危機管理に関係するような案文が入る必然性はまったくなかったと言える。憲法に緊急事態条項が明記されていなければ、首相が指揮命令する司令塔の役割を果たすことは不可能だ。

 

防災庁の分局を地方に複数設置し、輪番制で全国展開する

 防災庁の分局を誘致したいという要望が、21ケ所からあり、道府県の3割が名乗りを上げている。まず、地方分権の考え方であるが、“住民に身近な行政”だからという理由で権限や財源を移譲すると、失敗は免れない。なぜなら、権限や財源を移譲すると、それを適切に利用できるかどうかが問題となろう。まず、自治体などは誘致そのものが目的となっており、実現すれば、必要経費の妥当性や執行状態の適否を分局を受け持つ自治体が審査し、改善する必要がない。これを避けるために、既存の地方気象台や地方建設局など、災害に関係する政府の現業機関との協働が必須で、当初から10程度以上を候補とし、その内、初回、3程度指定し、数年後には入れ替わる形で、待機中の分局候補の実務経験を増やすことを目指した輪番制を採用することが考えられる。こうすると、防災力の全国的なレベルアップが長期的に実現すると考えられる。

 

全省庁は大被害となる事象を事前開示する

 筆者が発見した『社会現象の相転移』の発生を事前防災によって防ぐという世界初の画期的な試みを成功させなければならない。『社会現象の相転移』は、本年6月に公表されたアドバイザー会議の最終報告書の第1ページに脚注付きで紹介され、その後も2度記述されている最重要な事前防災策を構成する。まず、社会経済被害については、災害後に被害内容や特徴、大きさが具体的に判明するのが常態であり、いつも対応が後手であった。だから、初動が遅れ、社会の混乱状態が長期化した。これらが事前にわかれば、縮災(ニューレジリエンス)は必ず成功するだろう。しかも、事前に被災者や被災組織は詳しい被害がわかり、事前対策が具体的にできるはずである。また、人的被害についても、筆者の解析から、例えば、災害関連死は停電と断水を同時に経験した多くの後期高齢者で発生していることがわかり、しかも、被災と関係しない『孤独死』との区別ができず、結局、南トラ地震では合計すると26万人に達し、津波による犠牲者数を上回る危険性を提起したい。早期津波避難によって7、8割も犠牲者が減るというのは机上の空論であろう。先鋭的な防災研究のさらなる推進が期待される。

 

防災大学校を創設する

 防災庁の下で、分局を輪番制で全国展開しようとするとき、最大の問題は適切な国家、地方公務員を確保できるかどうかであろう。適切とは、実践性を有する能力と人数ということであり、まず職員研修や訓練を受けなければならない。そこで、教育・研修が可能で、かつ課題解決の研究能力を有する大学校を創設し、公務員のスキルを磨くことが求められる。大学校のひな型になるのは2002年に神戸に創設され、筆者がセンター長を務める人と防災未来センターである。このセンターは、ここで述べた機能を有しており、かつ危機管理できる人材として、すでに1万人以上の自治体職員の研修を実施してきた。したがって、この機能を高度化し、施設の拡大を図ることが先決だ。そして、分局設置を希望する複数の自治体の既存の公共施設を用いて、地方に応分の財政負担をお願いして同様の組織をもう一つ創設すれば、成功は間違いがない。また、防災教育をさらに推進・充実するには、とくに私立学校での取り組みが遅れていることに鑑みて、教育委員会が先頭に立って進めることが重要だろう。

 最後に、南トラ地震という国難災害発生を目前に控え、世界に誇るべき平和主義を自らの責任で守っていくという国民の覚悟と行動が必要だ。防災と国防は同列であり、憲法改正が視野に入る。

 


2025年8月18日号 週刊「世界と日本」2299号 より

コンクラーベで渦巻いた大国の駆け引き

―事実は映画より奇なり―

 

日本大学 国際関係学部教授

 

松本 佐保

まつもと さほ

神戸市生まれ。聖心女子大学卒業、慶應義塾大学大学院修士課程修了。英国ウォーリック大学大学院PhD取得。博士(国際政治史)。専門は国際政治と宗教の関係。イタリア政府給費留学生としてバチカン使徒文書(機密文書)館で調査、ローマ教皇研究を行う。名古屋市立大学大学院教授を経て現職。著書に『バチカン近現代史』、『バチカンと国際政治』、『アメリカを動かす宗教ナショナリズム』、『熱狂する「神の国」アメリカ』など。

 4月21日の教皇フランシスコ死去に伴い、5月7日ローマ時間の午後にバチカンのシスティーナ礼拝堂に日本人の前田枢機卿と菊池枢機卿を含む133人の枢機卿が一人ずつ誓いを立て礼拝堂内に入り「Extra omnes」(ラテン語で部外者は外への意味)との言葉と共に、礼拝堂の扉が閉じられ鍵がかけられた。日本でも大ヒットした映画『教皇選挙』さながらだが、こちらはリアル版、著者は運よく大型連休のため大学を殆ど休校せずにバチカンでコンクラーベを調査し、その様子を現地から日本のメディアに発信し解説する幸運に恵まれた。

 世界各国からメディアや信者や観光客がサンピエトロ広場に集結しごった返す熱量も目の当たりにした。多言語が飛び交い、バチカンの公用語は英語ではなくイタリア語とラテン語。インターネットが発達したとは言え教皇選挙は徹底した秘密選挙で、その間枢機卿達はスマホを取り上げられ外部との通信は一切禁止である。ただ現地にいたときに漏れ聞こえる情報や噂もあり、教皇選挙の内部情報は後日、どの様にして選ばれたか、それが国際情勢とどう関るのか、特にトランプの米国や中国の関与に焦点を絞って考察してみたい。

 

 選挙は完全なる秘密投票で、投票総数の3分の2以上の票を得る候補者が出るまで繰り返される。新教皇が選出されると礼拝堂の煙突から白い煙が出るが、決まらなければ黒い煙が出て外部に知られる。この日は黒い煙で人々はむしろ安堵する様子で、「そんなに早く決まるわけがない」と呟き、そして翌8日午前も同様の結果だった。

 そして同日午後になりなかなか煙が出ない、煙突がある屋根に出現したカモメとその可愛い雛の姿に、世界の報道関係者や信者、バチカニスタ(バチカン取材専門家)は癒され、その和んだ隙を突いたように、西日に照りつけられた煙突から煙が上がり始めた。色が識別出来なかった煙がどんどん白くなり、鐘が鳴らされると、集まった人々の歓声が上がり、バチカンの記者室にいたジャーナリストも一斉に広場へ走って煙を確認していた。また建物内で待機していた人達や日陰で休んでいた信者達も、一斉に煙突を望むサンピエトロ広場に凄い勢いで集まってきた。

 

中道の教皇レオ14世

 

 予想よりも教皇選挙は早期決着であったことから、新教皇に選ばれたのは有力候補と目されていたパロリン枢機卿(イタリア人でフランシスコ前教皇の国務長官、ナンバー2)であろうというのが世界のメディアや信者たちの見立てであった。ところが1時間後に発表された名前はロバート・フランシス・プレボスト枢機卿、まったく予想外で、集まった人たちは「誰?」とざわめきが起こった。

 彼が米国人枢機卿だと分かると、イタリア人の群衆からは一時的にだがブーイングが起きた。最有力候補だったパロリン国務長官、ロシアとウクライナ戦争の仲介でモスクワに特使として派遣されたズッピ枢機卿、イスラエル・パレスティナ紛争の仲介で重要視されエルサレム総大司教のピッツァバラ枢機卿など3人以上の教皇有力候補にイタリア人の名前が挙がっていたにも関らず、誰も選ばれなかったからである。

 

 ローマ教皇は、1978年にポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世が誕生するまで、歴代の教皇職がほとんどイタリア人に独占されてきた経緯がある。ポーランド人、ドイツ人、アルゼンチン人と続いたので今回こそ、イタリア人の教皇が地位奪還と期待していたイタリア人信者は少し落胆した様子だった。しかし新教皇レオ14世は米国人で英語ネイティブだが、英語訛りのない美しいイタリア語で、フランシスコ教皇の言葉「皆さん、壁でなく橋を造りましょう」と人々にメッセージを発すると、落胆が歓喜の声に変わった。

 この「壁ではなく橋」は、トランプ大統領が移民排除の壁を国境に建てた時に、前フランシスコ教皇が「キリスト教徒なら壁でなく橋を」と叱りつけた名セリフで、移民問題にとどまらず壁は国内や世界における分断を意味し、橋はそうした分断を解消するという比喩である。

 この「橋」だが何でも、というわけにもいかないだろう。それを証拠にフランシスコ教皇の右腕だったパロリンではなく、中道で改革派と保守派のバランスを取ることが出来るプレボスト枢機卿が選ばれた。これには米国の保守派の枢機卿が動き、また香港の民主派勢力に近い陳元枢機卿の存在があったとされる。このタイミングでトランプが教皇のコスプレ写真をSNSに投稿して話題になったが、これは教皇選挙への米国の介入の意思表示だろう。トランプに近いとされる米国人保守派のバーク枢機卿やニューヨーク大司教のドーラン枢機卿も教皇選挙に参加、トランプは前者の教皇就任を望んでいた。彼は、教皇選挙直前に非欧米勢力の保守派の纏め役とされるアフリカのギニアのサラ枢機卿と密談しているところをパパラッチされている。

 

 バークは教皇に選ばれなかったが、中国共産党政権の香港民主派弾圧を非難してきた陳元枢機卿の影響力も借りパロリンが教皇になるのを阻止したのではという見方がある。パロリンは前教皇の命で中国との国交樹立の交渉を進め、本来バチカン側にある司教の任命権を中国に渡した疑惑が持たれている(日本の司教の任命権はバチカンにある)。中国内の推定1千万人以上のカトリック地下信者数はバチカンには魅力的である。しかしマルクスの1848年の「共産党宣言」に対抗し反共産主義を貫いてきたバチカンに対し、教皇フランシスコはイエズス会出身で解放の神学を公認し共産主義に妥協している、教皇は中国に譲歩し過ぎと保守派の枢機卿や司教は批判してきた。パロリンが教皇になれば、前教皇の遺志を継いでこの中国への妥協を推進、外交関係を樹立する可能性が高く、もしそうなれば現時点で国交がある台湾と国交破棄となる。

 新教皇レオ14世は、「橋」を前教皇の理念から受け継いだものの、ジェンダーやLGBTについてはフランシス教皇より保守的であり、また服装やライフスタイルも前教皇より歴史と伝統を重んじる。中国共産党政権に対しても「橋」なのかどうか、現時点ではまだ動きはないが、今後の展開を注視していきたい。

 


2025年8月18日号 週刊「世界と日本」2299号 より

自民党は結党以来の最大の危機

 

「不信任」の石破首相は退陣を表明

 

評論家

ノンフィクション作家

 

塩田 潮

《しおた うしお》

1946年高知県生まれ。慶大法卒。雑誌編集者、月刊『文藝春秋』記者などを経て独立。『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。『大いなる影法師』、『昭和の教祖 安岡正篤』、『日本国憲法をつくった男 宰相幣原喜重郎』、『憲法政戦』、『密談の戦後史』、『解剖 日本維新の会』、『大阪政治攻防50年』、『安全保障の戦後政治史』。近著に『戦後80年の取材証言―私が聞いた「歴史的瞬間」』など著書多数。

 2024年10月1日登場の石破茂首相は、自ら設定した27日の衆議院総選挙と10カ月後の25年7月20日の参議院選挙で2度とも大敗を喫した。国民主権・議会制民主主義の大原則に従えば、「国民は不信任」が明白で、退場は不可避である。

 だが、首相は21日、辞任を否定した。自民党で退陣要求の「石破降ろし」の動きが表面化したが、本稿執筆の31日の時点で、続投の方針を変えていない。

 進退問題では唯一、全面的に首相を支えてきた自民党の森山??幹事長が、28日の党両院議員懇談会で「8月末までに責任を明確に」と表明した。辞任予告で、9月末の「党役員任期切れでの幹事長交代」を示唆した形だ。

 一部に「石破首相支持デモ」などの動きもあるが、首相の続投宣言に対して、「まさか本気とは」と思った国民は多かった。

 首相の内意については、可否は別にして、大きく2つの見方がある。第1は在任満1年となる9月末ごろまでの短期の政権継続が目標ではという推測、第2は10月以降も首相を続ける長期続投が狙いではという見解だ。

 

 今後の政治の課題では、首相は誰にという選択だけでなく、与党の構成、つまり連立政権の組み替え、さらに自民党の現在と将来など、重要な問題が未定のままである。

 自民党は11月15日、1955年の結党から70年を迎える。そのうちの約66年が政権与党だった。現在、衆参両院で過半数割れでも、いまだ共に第一党だ。

 参院選後、党内には下野論もあるが、それ以上に、沈没・漂流・分解も、という「結党以来の最大の危機」を克服できるかどうか。「改革・再生」か「解党的出直し・再建」かという瀬戸際の自民党の行方も焦点となる。

 石破首相の進退はそれらの入り口のテーマだが、実は日本では、首相は国会議員である限り、ぎりぎりまでその座にとどまることができるという制度的な特典がある。

 憲法第69条によって、衆議院で内閣不信任決議案が可決されても、総辞職か衆議院解散かという選択権が留保されている。仮に与党の党首の座を追われても政権を握り続けることが可能だ。

 結局、いつどんな場面で政権を手放すかの最終判断は首相が自分で下さなければならない。そのために、首相となった政治家の本質、裸の姿は、権力者の退き際、つまり辞め方にくっきり表れる。

 首相就任までの石破氏は「民意との結託」「本音の言動」「理念と理屈の重視」という個性が武器だった。07年参院選と09年の東京都議選の敗北の際、第1次内閣の安倍晋三、麻生太郎の両元首相に事実上の退陣要求を突きつけたこともある。

 

 現在の石破降ろしはブーメラン現象といえなくもない。それを承知で、石破首相は表向き、これ以上の政権担当は無理と見定めるぎりぎりまで続投に固執する方針と映る。

 「ぎりぎり」の時期はいつか。前述の首相の本心の推理で、第1の「在任1年となる9月末ごろ」との見立ての根拠の一つに、歴代の短命首相との比較も視野にあるのでは、という分析もある。

 自民党首相は初代の鳩山一郎氏以後、計26人(実数は25人)で、在任日数は石橋湛山氏(65日)、宇野宗佑氏(69日)の次は麻生氏(358日)、福田康夫氏(365日)、第1次の安倍氏(366日)、菅義偉氏(384日)、森喜朗氏(387日)の順だ。

 石破首相も9月末前後まで在任すればこのレベルの首相となる。実際は「8月下旬に退陣表明、9月の総裁選実施、9月末か10月初めの交代」を想定済みで、残り約2カ月で政権の仕上げをと考えている可能性がある。

 

 他方、前述の第2の長期続投狙いという予想は、「ぎりぎりはまだ先」と見込む石破首相の政権への執着心に着目する。

 石破氏は「自民党離党・復党の経験がある初の首相」「首相就任直前の約8年、重要役職と無縁だった初の首相」という経歴の持ち主である。総裁選は08年の初挑戦から16年、「5度目の正直」の勝利で権力を握った。闘争心と執着力はけた外れという評も多い。

 とはいえ、民主党政権の菅直人首相時代以来、14年ぶりに政権与党内で本格的な「首相降ろし」の動きが火を噴いた。首相打倒の党内抗争では「三木降ろし」(三木武夫首相。1976年)、「森降ろし」(森喜朗首相。2000~01年)、菅降ろし(菅直人首相。10~11年)が有名だ。

 三木降ろしは、ロッキード事件発覚後、自民党内の大派閥連合軍が仕掛けたが、三木首相は民意の支持を背景に51年12月の衆議院議員任期満了までの在任に成功した。森降ろしと菅降ろしでは、民意の支持を失った首相が最後に観念して政権の座を降りた。

 これを見ても、最終的に首相降ろしの政治力学で決め手となるのは民意である。石破首相も例外ではない。

 

 24年衆院選の後、読売新聞、朝日新聞、共同通信の調査で「首相交代より政権の継続」の支持が56~65・7%に達した。少数与党で政権維持を目指し続けたその後の石破首相の「最大の後ろ盾」となった。25年参院選後の7月の朝日新聞調査では「『石破首相辞めるべきだ』41%、『必要ない』47%」だった。

 今、民意は首相交代を望んでいないという論も根強い。そればかりか、自民党内の石破降ろしも、退陣決議や総裁選実施要求などで党則上の制約もあり、結局、手詰まりに終わるという指摘もある。

 それでは石破政権は続くのか。「死に体」は疑いない。最大の失敗は衆院選後の9カ月の政権の舵取りだ。

 少数与党での政権維持で、妥協や野党傾斜を強いられた。その点は差し引いても、石破流とは対極のはずの弱腰と優柔不断への失望は大きい。安全運転最優先で、自身の達成目標や、政権のデザインとシナリオなどを国民に強く訴え、果敢に実行するという挑戦姿勢はほぼゼロであった。

 首相としての過去10カ月をじっくり観察した民意は、仮に続投を認めてもその点に変わりはない、と見抜いたに違いない。「今が辞め時」と退き際の決断を促すのは誰か。とどめを指すのは最愛の石破夫人かもしれない。

 


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