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刻々と変化する国際情勢を各国の政治・経済など様々な視点から考察する。

《ちの けいこ》 

横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在はフリーランスジャーナリスト。97年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。著書は『戦後国際秩序の終わり』(連合出版)ほか多数。近著に『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)。

2024年5月6日号 週刊「世界と日本」第2268号 より

 

世界選挙年 前半戦の結果と後半戦の注目点

 

 

ジャーナリスト 

千野 境子氏

 

 世界では空前の選挙年が進行中だ。国政から地方まで少なくとも80カ国が実施、有権者は人類の半分以上の45億人超という。ウクライナと中東の2つの戦争に出口が見えず、国際秩序が揺らぐ中、新たに選ばれた指導者と議会の動向は? 世界選挙年前半戦の結果と後半戦の注目点を報告する。

 

 幕開けは1月7日のバングラデシュ総選挙だった。与党アワミ連盟が勝利しシェイク・ハシナ政権の続投が決まったが、野党バングラデシュ国民党が政府の弾圧などに抗議し選挙をボイコットした結果でもあった。

 軍部が政権を事実上牛耳るパキスタン総選挙(2月8日)や政敵は消してしまうロシア大統領選挙(3月17日)と併せて、選挙を免罪符に独裁・権威主義体制の強化に向かう国々が目立つ。選挙イコール民主主義とは言えず、むしろ民主主義の形骸化が広がっている。

 その意味で1月13日の台湾総統選と立法院(国会に相当)選挙は、民主主義の模範を示した。故李登輝総統以来、民主化は着実に浸透し、民進党・蔡英文(さいえいぶん)総統に続く頼清徳(らいせいとく)党首の勝利は台湾の一層の台湾化を物語る。

 ただ立法院は野党国民党が勝利し、第1党のため、頼氏の政権運営は容易ではない。4月、習近平国家主席と国民党・馬英九(ばえいきゅう)前総統が北京で会談するなど、中国の策動も陰に陽に続く。付け入るスキを与えぬよう日米は台湾と結束を強め、台湾有事を回避することが一段と重要になってきた。

 

 台湾と並び注目された世界最大の直接選挙、2月14日のインドネシア大統領選はプラボウォ・スビアント国防相が史上最高の58%の得票率で制した。4月には早くも訪中して習近平氏と会談、帰途東京で岸田文雄首相及び木原稔防衛相と会談するなど統治に向け着々と準備を進める。親中派のジョコ・ウィドド大統領に対して、対米・対日関係の強化に意欲的と言われ、外交手腕が注目される。

 ただ同日実施の総選挙はメガワティ元大統領率いる闘争民主党が第1党で、プラボウォ氏のグリンドラ党は伸び悩んだ。圧勝の演出者、ジョコウィ氏も院政に意欲十分、独自色を発揮出来るか課題は多い。

 

 前半戦の最後、4月10日の韓国総選挙は尹錫悦(ユン ソン ニョル)大統領の与党「国民の力」が大敗した。全300議席で野党の「共に民主党」は175議席、新党の「祖国革新党」もいきなり12議席、合わせると180議席超で青瓦台は色を失った形だ。尹大統領は強気の人で大統領権限も強いが、レームダック化は必至。改善が進んで来た日韓関係にも黄信号が灯るかもしれない。韓国社会の基層にある反日の潮流は容易にはなくならないと覚悟したい。

 

 改めて前半戦の結果を振り返ると、先述の民主主義の後退・劣化と独裁・権威主義体制の広がりに加えて、右派ポピュリストの台頭とデジタル選挙の浸透も特徴づけられる。前者は憲法を変え再選を果たした2月4日の中米エルサルバドル大統領選や中道右派が第1党になった3月10日のポルトガル総選挙が該当する。後者の代表は「TikTok(中国系動画投稿アプリ)選挙」とも称されたインドネシア。とくにプラボウォ氏は強面の軍人像を払拭、SNSやAIを駆使し「かわいい」イメージ・キャラクターで若い有権者の圧倒的支持を得た。

 

 以上4つの傾向ないし潮流は後半戦でも問われるだろう。韓国総選挙後から後半戦とすると、インド総選挙(4月19日から6月1日)、バルト海沿岸国リトアニア大統領選(5月12日)、メキシコ大統領選(6月2日)と続くが、最初の注目点は6月6日から9日に行われる欧州議会選挙だ。

 5年に1度、加盟27カ国の有権者4億人超が議員(国でなく政党グループ別)720人を選ぶ。本来は決して関心の高いとは言えない欧州議会選が注目されるのは、言うまでもなくウクライナ戦争中だからである。

 躍進が予想される極右はじめ欧州の右派ポピュリズムは①EU懐疑主義②自国第1主義③反移民・難民④反イスラムなどの傾向とともに㈭親ロシア・ウクライナ支援に消極的だ。後述する米大統領選でもしトランプ前大統領が勝利した場合、欧州は内に親ロシアの逆風、支援に消極的な米国と二重のハンデで対ロ戦を強いられかねない。「もしトラ」に怯えるのは、日本よりむしろ欧州の方かもしれない。

 同様に6月9日のベルギー総選挙と9月か10月予定のオーストリア総選挙(9月任期満了)も注目点で両国とも極右の躍進が予想されている。

 欧州議会選を終えると、残るは選挙年最大の焦点、米大統領選である。民主党はジョー・バイデン大統領、共和党はドナルド・トランプ前大統領と、よほどの事態が起きない限り、支持者以外望まぬ?前回対決の再現が濃厚だ。共和党は7月15日から18日までウィスコンシン州ミルウォーキーで、民主党は8月19日から22日までイリノイ州シカゴで全国大会を開き、候補者を選出する。

 本選は9月2日のレイバーデー明けからスタート、10月に全米テレビ討論会(大統領3回、副大統領1回)、11月5日投開票という日程だ。

 「もしトラ」から現在は「ほぼトラ」(ほぼトランプで決まり)まで言われているが、とかく熱狂的支持者の声は大きい。本当にそうだろうか。

 両者リスクがある。バイデン氏は高齢、カマラ・ハリス副大統領の不人気、移民・国境、ウクライナ、イスラエル、インフレなど。トランプ氏は裁判(事件4、罪状91)、巨額の裁判費用、陰る選挙資金、中道穏健派や無党派層のトランプ離れなど。

 世論調査はトランプ氏リードだが、投票は半年以上も先である。結局、スウィング・ステーツ(接戦州)のアリゾナ、ネバダ、ミシガン、ウィスコンシン、ペンシルベニア、ジョージア各州の帰趨(きすう)が勝負を決める公算が高いと言える。ウィナーテイクオール(勝者総取り方式)なので、どんな僅差でも勝ちは勝ち。たった6、7州、それも中小州の勝敗で米国のみならず日本や世界の命運が左右されるのは理不尽、米大統領選挙システムの再考が必要だ。民主主義の本家米国にも、その劣化は及んでいると言わざるを得ない。我が総選挙はどうであろうか?

 


《ほさか しゅうじ》 

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。慶應義塾大学大学院修士課程修了、在クウェート日本大使館、在サウジアラビア日本大使館、中東調査会研究員、日本学術振興会カイロ研究連絡センター長、近畿大学教授等を経て、現職。2021年から日本中東学会会長。おもな著書に『ジハード主義』(岩波書店)など。

2024年4月15日 週刊「世界と日本」第2267号 より

 

パレスチナ・ガザ情勢で顕在化する世界の分断

 

日本エネルギー経済研究所
理事・中東研究センター長

保坂 修司氏

 

 2023年10月7日、パレスチナのガザを実効支配するイスラーム主義組織ハマースなどの戦闘部隊がイスラエル国内に侵入、多数の人質を取ったほか、多くの民間人を殺傷した。これに対し、軍事力で圧倒的に勝るイスラエルは大規模な反撃を加え、ガザを完全封鎖した。その結果、今年3月にはガザでの犠牲者の数は3万人に達し(その多くは女性や子ども、老人など非戦闘員)、イスラエル側犠牲者の数をはるかに凌駕してしまった。さらにイスラエルの攻撃でガザへの援助物資が滞り、飢餓が蔓延し、病院が機能停止するなど、ガザは最悪の人道危機に直面している。

 

 2020年に当時のトランプ米大統領の仲介でイスラエルとUAE、バハレーンが国交を正常化(アブラハム合意)した。その後、さらにモロッコとスーダンもイスラエルとの国交正常化に合意、すでに外交関係を樹立しているエジプト・ヨルダンとともに、中東では新しい政治的枠組ができつつあった。また、サウジアラビアとイスラエルとの関係正常化も近いとの観測が盛り上がり、実際、サウジアラビアにイスラエルの現役閣僚が公式訪問するなど、これまでにない展開が現出していた。ハマースの対イスラエル奇襲攻撃の背景には、さまざまな要因が考えられるが、パレスチナ側がこうしたアラブ諸国のイスラエルへの接近に焦りを感じていた点も指摘できる。

 ハマースの攻撃とイスラエルの反撃は、この流れに大きく影響を与えることとなった。民間人を人質に取った、ハマースの戦術は、さすがにパレスチナに同情的な国であっても、一部の例外を除けば、諸手を挙げて支持するわけにはいかなかった。当初こそ、UAEやバハレーンなどイスラエルと国交を樹立したばかりの国は奥歯にものの挟まったような物言いだったが、ガザで民間人の犠牲が増加すると、これらの国もイスラエル非難に加わった。

 イスラエルとの関係を強めていたサウジアラビアも当初から一貫してイスラエルを非難、エルサレムを首都とするパレスチナ国家の成立がなければ、国交樹立がありえないとの立場を繰り返している。米バイデン政権は、今秋に迫った大統領選挙のため、サウジ・イスラエル国交樹立を外交的成果の目玉にしたかったようだが、それも遠のいてしまった。

 また、中東の大国であるトルコも、2022年にイスラエルとの関係改善で合意したばかりだったが、ガザ紛争を契機に、エルドアン大統領がイスラエルを「テロリスト国家」と呼ぶなど、関係を悪化させている。

 他方、ハマースを長年支持してきたイランは、今回の事件でも支持を継続しているが、直接関与することは避けている。しかし、イランの影響を受けている、シリアのアサド政権、レバノンのシーア派武装勢力、イエメン・フーシー派などいわゆる「抵抗の枢軸」はすでにイスラエルから攻撃されたり、逆にイスラエルを攻撃したりしている。

 米国バイデン政権はハマースの攻撃以来、一貫して強くイスラエル支持を明言、東地中海に艦船や戦闘機を送るほか、武器を含め、イスラエルのガザでの戦いに必要なものを供給すると主張した。また、英国やドイツなど欧州諸国、そしてG7の一員である日本も、米国との温度差はあるものの、ハマースの攻撃をテロだと厳しく糾弾し、イスラエルの自衛権も確認した。

 しかし、国際社会はかならずしも西側先進国と同様の立場を取っていない。前述のとおり、アラブ・ムスリム諸国のなかでは、サウジアラビアなど「親米」湾岸諸国を含め、ハマースを批判する声は少数派であり、むしろ、ハマースがイスラエルを攻撃したことの背後に、イスラエルによるガザへの暴力や抑圧、ヨルダン川西岸における非合法な入植活動があるとし、ハマースの行動に理解を示すほうが多数を占めていた。

 この傾向は、イスラエルのガザ攻撃が激しさを増し、ガザで民間人犠牲者が増えるにつれて、さらに強まっていき、急速にイスラエルに批判的な勢力が拡大していった。南米では、ボリビアがイスラエルと断交、ボリビアと同様、左派政権を有するコロンビア、チリ、ベネズエラなどもイスラエルに対して厳しい態度をとっている。他方、南米最大のユダヤ人コミュニティーを有するアルゼンチンは、伝統的に親イスラエルであり、ガザ紛争でもイスラエル支持を明確にしている。なお、エルサルバドルのナジーブ・ブケーレ大統領はパレスチナ系でありながら、ハマースを厳しく批判、イスラエル支持を明言した。

 また、アフリカでは、南アフリカが昨年末、国際司法裁判所(ICJ)にイスラエルを提訴した。そして、西側諸国と対立するロシアや中国も早い段階でパレスチナ支持を明らかにしている。

 G7を中心とする西側先進国が、ハマースの攻撃をテロと非難、イスラエルの攻撃を自衛権の行使として正当化するのに対し、イランなどは責任がイスラエルにあると主張する。米国・エジプト・カタールが停戦と人質解放の仲介に当たっているが、それ以外の国は、温度差こそあれ、そのあいだに入ることになる。結果的にガザをめぐる国際社会の分断は国連において顕著となり、戦闘停止など強制力のある国連安保理決議が常任理事国の拒否権でことごとく否決され、紛争解決の場であるべき国連が機能しなくなってしまった。

 しかし、ガザでの犠牲者が拡大し、人道危機が深刻化するにつれて、その勢力図が変化していることも重要である。いわゆる「グローバルサウス」の多くは、インドを除けば、おおむねパレスチナ寄りであるが、その傾向はさらに強くなっている。先進諸国でも、ガザ情勢の悪化が国内世論に影響を与え、親イスラエルとされた企業がボイコットの対象になるなどしたため、バイデン政権ですらイスラエルの強硬姿勢と距離を置きはじめている。イスラエル国内でも反ネタニヤフの動きが活発化しつつあるなか、米国でもイスラエル支持派とイスラエル批判派の対立が先鋭化しており、大統領選挙に影響を及ぼす可能性も出てきた。

 


《あびる たいすけ》 

1969年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、モスクワ国立国際関係大学修士課程修了。東京財団研究員、国際協力銀行モスクワ事務所上席駐在員を経て現職。専門はユーラシア地政学、ロシア外交安全保障政策、日露関係。著書に『「今のロシア」がわかる本』、『原発とレアアース』。監訳本に『プーチンの世界』がある。

2024年3月4日・18日 週刊「世界と日本」第2264・2265号 より

 

プーチンが描くウクライナ後の世界秩序

 

笹川平和財団主任研究員

 

畔蒜 泰助氏

 

“ ウクライナ危機は領土紛争ではないし、地域の地政学的バランスを確立する試みでもない。この問題はより広く、よりファンダメンタルなものである。これは新たな世界秩序の基礎となる原則についてのものである。(中略)米国とその衛星国は軍事、政治、経済、文化、更にはモラルや価値においてもヘゲモニーを獲得すべく、地道な努力を重ねている。(中略)西側の判定は数世紀に亘って植民地から略奪したことで達成されたものである。これは事実である。本質的にこのレベルの発展は地球全体を略奪したことで達成されたものである。”

 

 ここで引用したのは2023年10月、ソチで開催された露バルダイ会議でのプーチン演説の一節である。2022年2月24日に開始されたウクライナへの軍事侵攻当初、ロシアのプーチン大統領は、現在のキーウ政権は北大西洋条約機構(NATO)の主要国(=米国)に支援された過激なナショナリストとネオナチ主義者からなる政権であり、彼らによるジェノサイド(大量虐殺)の対象となっているウクライナ東部のロシア系住民を救済することがウクライナでの「特別軍事作戦」の主目的であるとした。

 ところが、同年9月30日にロシアがウクライナ東部のドネツク州、ルガンスク州、南部のザポリージャ州とヘルソン州の併合を宣言した際のプーチン演説あたりから「この闘いは世界を植民地化してきた西側による新植民地主義との闘いでもある」という新たな意味づけを加え始め、冒頭の一節にあるように、ここに来て彼はこの「反・新植民地主義」ともいうべきナラティブ(物語)を全面的に打ち出して来ている。

 周知の通り、ロシアによる対ウクライナ軍事侵攻を受けて、米国を筆頭とする西側諸国はかつてない大規模な経済制裁をロシアに科し、また兵器供与や兵士訓練などを通じてウクライナを全面的に支援している。だが、依然として国際社会がロシアによる侵略行為を止めさせる見込みは立っておらず、むしろ本戦争は更なる長期化の様相を呈している。

 その要因の一つは、米国への対抗という文脈でロシアと戦略的利害を共有する中国はもちろん、いわゆるグローバルサウスと呼ばれるインド、東南アジア、中東、アフリカ、南米など国々の多くが西側主導の対ロシア制裁に参加していないからだ。

 2023年3月、中国の習近平国家主席がウクライナ戦争勃発後、初めてロシアを訪問した。ロシア大統領府での会談後、習近平国家主席とプーチン大統領が次のようなやり取りをする映像がYouTubeにアップされている。

習近平「我々が過去100年間、見てこなかった大きな変化が起きている。これらの変化を一緒に促進していこう」

プーチン「同意する」

 

 前述のようにプーチンはここに来てウクライナでの軍事力の行使を正当化すべく「反・新植民地主義」の論理を全面に打ち出し始めているが、その根底にあるのは「米国主導の世界秩序は揺らぎ始めている」とのプーチンや習近平が共有する世界秩序観なのである。

 実際、2023年8月、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)への6カ国(アルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦)の新規加盟が決まったとの発表は、プーチンや習近平の世界秩序観の現実化を想起させる出来事だった(ただし、その後、アルゼンチンはBRICS加盟の方針を撤回している)。

 更に、そんなプーチンや習近平の世界秩序観を増幅させているのが、揺れ動く中東情勢であろう。2023年10月7日、パレスチナ自治区ガザを実行支配するイスラム組織ハマスがイスラエルに仕掛けた大規模攻撃に端を発して勃発したイスラエル・ハマス戦争は、米国がイスラエルを支持すればするほど、中東諸国やアフリカ諸国などのグローバルサウスの国々の中で西側諸国が言うところの「法と正義に基づく国際秩序」はダブルスタンダードであるとの不満が高まり、逆にパレスチナに同情的なロシアの「反・新植民地主義」のナラティブに信ぴょう性を与える結果となっている。

 もちろん、依然として米国が政治・経済・軍事などあらゆる面で世界最強の国家であることは論を待たない。問題はトランプ現象の象徴される内向き志向が米国内で強まりつつあることだ。米大統領選挙を目前に控え、米議会においてトランプ親派と反トランプ派の対立が強まる中、ウクライナへの追加の軍事支援を含む予算案が通らない状況が続いているはその最たるものだろう。

 それでなくとも2023年6月末に始まったウクライナによる反転攻勢は、ロシアが張り巡らせた地雷や塹壕(ざんごう)による防衛線に阻まれ、大きな成果なく終了し、戦闘は完全に膠着状態に陥っている。

 米国からの軍事支援が滞る中でウクライナ軍の武器・弾薬不足が深刻化している一方、ロシアは政治経済体制への移行により国内での兵器生産能力を整えつつあり、これに加えてイランや北朝鮮からもドローンやミサイルなどを調達している。

 それゆえ、このまま米国によるウクライナへの軍事支援が停止したままなら、ウクライナはこの膠着状態さえ維持できない可能性がある。

 米大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利すれば、米国主導の「リベラルな世界秩序」は米国の内側から終焉を迎え、ウクライナ戦争の行方にも大きな影響を与えることになる。

 「ウクライナ戦争とは今後の世界秩序を巡る闘い」であるとのプーチンのナラティブはトランプという補助線を引くと現実味を帯びてくる。

 いずれにせよ、世界は暫く米国を中心とする西側陣営とこれに対抗する中国やロシアの陣営が対峙し、彼らがグローバルサウスの国々を巡って綱引きを繰り広げることになるだろう。その中でグローバルサウスの国々は自国の国益にとって何が最も良いかを取捨選択するという移行期の世界に突入すると予想する。

 我が国も決して傍観者ではいられない。あらゆる事態を想定して、激動の世界情勢に備える必要がある。

 


《あらき かずひろ》 

1956年東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。民社党本部勤務の後97年から拓殖大学海外事情研究所講師、その後助教授を経て現職。予備役ブルーリボンの会代表。2003年から18年まで予備自衛官。著書に『「希望」作戦、発動 北朝鮮拉致被害者を救出せよ』他。

2024年1月15日号 週刊「世界と日本」第2261号 より

 

拉致被害者・失踪者家族の

 

救出を訴える声を聞いて

 

拓殖大学海外事情研究所教授 特定失踪者問題調査会代表

 

荒木 和博氏

 

 「両親は子供を残して失踪するような親でもありません。私たちは当時から今日までただ一度として自らの気持ちであの両親がいなくなったと思っておりません。政権が変わるたびにこの問題は最重要課題と言われておりますが私たちにはそれがどこまでそうなのか分かりません。私ももう75歳この先どうなるのか不安と焦りでいっぱいです」(昭和46年(1971)12月30日、鹿児島県大崎町の自宅から宮崎空港に向かう途中失踪した園田一・敏子夫妻の長女、前山利恵子さん)

 

 令和5年10月21日、東京都庁前の「都民広場」で「『お帰り』と言うために 拉致被害者・特定失踪者家族の集い」が開催され、39家族52名の政府認定拉致被害者・特定失踪者(拉致の疑いの排除できない失踪者)家族が参加した。この集会は同じ場所で14年前の2010年に「これ一度だけ」と言って開催している。前回参加された家族でも他界したり病気で出席できなくなった人が少なくなかったが、それでも家族からの訴えは参加者の心に響いた。最初に挙げたのはそのうちのお二人の訴えの一部である。

 前回の集会が「これ一度だけ」と言って呼びかけたのは、名称から分かるように特定失踪者問題調査会は拉致問題について調査する機関として設立したものであり、運動体ではなかったからだ。しかし拉致被害者の救出は当時、調査会設立以来7年が経過していたが何の進展もなく、状況を打開しようとして開催したのだった。このときは北海道から沖縄まで全国のご家族に声を掛けて手弁当で集まっていただいた。

 しかしその後13年間実質何も変わらなかった。調査会の幹事会で「もう一度だけ大集会をやるべきではないか」という声が上がり、今回はクラウドファンディングでご家族の旅費集めも実施した。高齢化のため前回より大幅に参加者は少なくなったが、ご家族の訴えは参加者の心を打った。

 自分自身は集会をやっているときは様々なことに目を配らなければならず、集中してご家族の声を聞くことができなかった。もちろん問題の深刻さは痛感したのだが、後から文字起こししたものを読んで、「これは集会だけで終わらせてはいけない」と確信した。

 ご家族の高齢化からして、このような集会は二度と開けない。だから今回のご家族の思いを様々な形で伝えていかなければならない。動画も、音声も、活字も、あるいは写真も、使えるものは全て使って一人でも多くの人に知ってもらう必要があると考えたのだ。活字メディアとしては私の勤務する拓殖大学海外事情研究所の「海外事情」に訴えの一部を紹介した(昨年11・12月号「拉致被害者・特定失踪者家族の声」)他、春には単行本として出版することにしている。動画は既に多数YouTubeやSNS上に上がっている。

 拉致問題に「現状維持」はない。一日過ぎれば被害者の人生も、家族の人生も一日縮まるのである。あなたがこう訴えなければならなくなったときのことを想像して、以下の集会での訴えもぜひお読みいただきたい。

 

 「北朝鮮に拉致された人たちは本人に何の落ち度もないと思うんです。「帰国を望む」とか「返してほしい」とかおっしゃる方がおりますがそんなことでは私はないと思うんです。国が責任持って取り返してほしいと思います」(昭和47年(1972)11月1日に東京都渋谷区の自宅を出て失踪した生島孝子さんの姉、生島馨子さん)

 

 「国が北朝鮮による拉致をしっかり把握できてから21年経っているのに何も進展しておりません。進展するということは被害者を取り返すことです。私たち家族は『ただいま』と言って普通に帰ってくる家族を『お帰り』と言って迎えることがたった一つの願いなのです」(昭和48年(1973)7月7日に千葉県市原市の自宅を出て失踪した会社員古川了子さんの姉、竹下珠路さん)

 

 よく日本は平和だ平和憲法を守んなきゃいけないなんて言っていらっしゃいますけども拉致被害者は日本人じゃないんですか。彼ら日本人を共に平和な環境の中でいさせるためにどうすればいいかということを国会議員は考えるべきじゃないんですか。彼らを取り戻せない憲法であるならば変えていかなければならない。そのぐらいの考えがなぜできないんでしょう。(昭和53年(1978)8月12日に鹿児島県吹上町で拉致された会社員増元るみ子さんの弟、増元照明さん)

 

 「拉致から45年帰国してから20年となる今年、長い歳月が流れたこの間一日でも母のことを忘れたことはありません。帰国直前に母は日本にいないと知りこの目で確認しないと信じられないと母との再会を信じて日本の地を踏みました。けれどやはり母はどこにもいなかったのです。再会を信じて家族を待つ皆さんの気持ちは痛いほどよくわかります」(昭和53年(1978)8月12日に母曽我ミヨシさんと共に拉致され2002年9月17日の日朝首脳会談で北朝鮮が認め翌月日本に帰国した曽我ひとみさん)

 

 「内閣官房から『やってます』みたいなメールが来ます。やってますじゃなくていつまでにどうやりますって言ってほしい。できないんだったらできないって言ってほしいんですよ。やりますやりますって言ってずっと続けられてストックホルム合意でぬか喜びさせられてそのままです。もう本当に時間がないということを我々思ってます」(昭和63年(1988)7月17日宮崎市の沖合で友人の林田幸男さんとともに船ごと失踪した会社役員水居明さんの息子、水居徹さん)

 

 「娘は23歳でいなくなりもう28年の時が過ぎ一緒に過ごした日より会えなくなった年の方が多くなりました。政府は『全員救出が国の最重要課題だ』『努力しています』というだけで結果が出ません。その他の作戦も考える時ではないでしょうか」(平成7年(1995)3月26日大阪府美原町の自宅を出て失踪した植村留美さんの母、植村光子さん)

 


《かわぐち  まーん  えみ》 

85年シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。最新刊は『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているのか』など著書多数。

2024年1月15日号 週刊「世界と日本」第2261号 より

 

ドイツ・ヨーロッパから学ぶべき

 

移民・難民問題

 

作家 (独ライプツィヒ 在住) 

川口 マーン 惠美氏

 

 先日聞いたジョーク:ある女性が家でラジオを聴いていたら、高速道路に逆走ドライバーがいるという警報。ちょうど父親がその付近を走っているはずなので、慌ててケータイを掴み、「パパ、気をつけて! 逆走の車が1台いるらしいから」。すると、父親が落ち着いて答えた。「分かってる。でも、1台どころじゃないんだよ。ものすごい数の車が逆走してる」

 

 最近のドイツ政府の政治を見ていると、このジョークを思い出す。逆走をしているのはどう見ても自分たちなのに、ドイツ政府は他の国々が間違っていると思い込んでいる。

 2011年、福島の原発事故の後、地震も津波もない国で、無理やり脱原発を前倒しにしたドイツ。いずれ多くの国がこの“正道”に続くだろうと胸を張ったが、付いてきた国はまだ1国もない。それどころか昨年12月2日、国連のCOP28に合わせて、米エネルギー省は、「世界の原発の発電容量を50年までに3倍に増やす」と宣言し、日本、英国、フランス、スウェーデン、フィンランド、韓国、UAEなど22カ国が賛同した。ドイツにしてみれば、皆、間違っている。

 

 正道を行くドイツはすでに23年4月15日、脱原発を達成。今では褐炭まで燃やし、EUで一番たくさんCO2を排出する国の一つだ。そのうえ、毎日欠かさず、“道を誤った”フランスからの原発電気に支えられているが、「それが何か?」 なんとなく、「5カ年計画」のかけ声で衰退の道を歩んだ東ドイツの姿を彷彿とさせる。

 逆走は難民問題でも同じだ。2015年9月、当時のメルケル首相がいきなり中東難民に国境を開き、EUを未曾有の混乱に陥れたが、あれもドイツ人にしてみれば、人道上の正道。それに勇気付けられた難民たちは、いかなる危険にもめげず、今日もアフリカから、中東から、怒涛のように流れ込んでくる。しかも、困ったことに、難民資格のない人たちのモチベーションが、とりわけ高い。

 一度入ってしまった人を追い出すのはほぼ不可能だ(国籍を特定できないか、できても、相手国が送還を受け入れない)。多くの国はすでに増え過ぎた難民のせいで、経済だけでなく、治安まで脅かされており、どうにかしてこの流れを変えようと必死。これまで何十年にも亘って寛大な難民・移民政策を敷いてきたデンマークやスウェーデンも、あまりの犯罪の増加に、今では難民シャットアウトに舵を切った。

 

 自国の離れ島に大量に流れつく難民に痺れを切らしたイタリアのメローニ首相は、EU域外に難民センターを作ろうと思いつき、昨年11月、バルカン半島のアルバニア政府と協定を結んだ。今年の春からは、海を漂う難民を見つけたら、直接そこに運び、難民資格の有無を審査。資格がない人はそのまま送り返すというが、いったいどこへ追い返せるのやら。ちなみに英国とデンマークも、同じことをアフリカのルアンダで計画しているという。

 しかし、もちろんドイツはそんな“間違った計画”には乗らない。EUの一員として、一応、難民対策は模索しつつも、実は、与党の社民党も緑の党も、来る難民は全員受け入れたい。そうするうちに、少子化で悩んでいたドイツの人口が、2011年の8033万人から、22年の8436万人へと、11年間で400万人以上も増えた。ひとえに難民と、彼らの産んだ子供たちと、さらには100万人を超えるウクライナ難民のおかげだ。

 

 深刻な人手不足のドイツのこと、彼らが働いてくれれば言うことなしだが、そうはいかず、政府は昨年施行した「市民金」を奮発している。これは政府が一律に配るお金で、働けるけれど働いていない人、あるいは働いても貧しい人が対象。現在、独身者の月額は563ユーロで、これに住宅手当や暖房手当が乗るので、低所得者と比べるとお得感が大だ。子沢山なら一気に左うちわになる。

 23年、市民金の受領者は550万人で、そのうち260万人が外国人だった。特にウクライナ人は、ドイツに入ったその日から普通市民扱いなので、70・7万人が市民金を受領。ウクライナの一人当たりのGDPはドイツの10分の1以下なので、市民金は彼らにしてみれば目玉の飛び出る豪華版だ。なお、その他の国の難民申請中の人たちも、審査で難民と認められれば、市民金がもらえる。中東難民もウクライナ難民も、何を押してもドイツを目指すのは、これら潤沢な現金支援のためだ。

 なお、難民はまだまだ増える。15年と16年に入った難民の家族呼び寄せが始まっており、一昨年も昨年も12万人前後が移住してきた(発行されるビザ数から正確な数が割り出せる)。彼らはおおむね大家族で、下手をすると妻が複数いる(ドイツの法律との整合性は?)。ただ、ドイツ語の得意でない人がほとんどだから、出産率は跳ね上がるだろうが、労働力は期待できない。こうしてドイツ人が養う人々はどんどん増えていき、中堅納税者の経済的負担が急増。昨年のドイツの税率は、OECDによればベルギーに次いでEUで二番目に高くなってしまった。

 

 その他、破格の支出となっているのが、政府が熱心に進めるエネルギー転換やGX(グリーントランスフォーメーション)のコスト。政府はこれを賄うため、おそらく違憲とは承知の上で、コロナの非常時のために特別に許可された債務枠を素知らぬ顔で使うつもりだった。正しい目的のためなら法律違反も許されると、ドイツ政府が信じてやまなかったのだとすれば、民主主義の崩壊ではないか。

 いずれにせよ、増税なし、借金なしと豪語しつつ、引き続きあちこちに補助金をばら撒こうとしていた政府だが、11月15日、憲法裁判所(=最高裁)のまさかの「待った」で、エネ転換と気候保護の予算から600億ユーロが削られてしまった。しかも、憔悴のハーベック経済・気候保護相がその後のインタビューで、「(補助が付けられなくなるので)電気代やガス代が高くなるかもしれないが、その時は(訴えた)CDU(ドイツキリスト教民主同盟)にお礼を言ってくれ」とヤケクソのコメントをしたのには少なからず驚いた。“正道”から外れたのはあなたでしょうが!

 案の定、このあと、これ以上落ちることはないと思っていた政府の人気はさらに落ち、12月15日のZDF(第2ドイツテレビ)のアンケートでは、与党の支持率は3党合わせてたったの33%。今では国民に向かって果敢に逆走しているドイツ政府である。

 


《むらた こうじ》

1964年、神戸市生まれ。同志社大学法学部卒業、米国ジョージ・ワシントン大学留学を経て、神戸大学大学院博士課程修了。博士(政治学)。広島大学専任講師、助教授、同志社大学助教授を経て、教授。この間、法学部長・法学研究科長、学長を歴任。現職。専攻はアメリカ外交、安全保障研究。サントリー学芸賞、吉田茂賞などを受賞。『現代アメリカ外交の変容』(有斐閣)など著書多数。

2024年1月15日号 週刊「世界と日本」2261号 より

 

国際的な重要選挙が続く — 激動の2024年の幕開け —

問われる日本外交のポテンシャル

 

同志社大学 法学部教授

 

村田 晃嗣 氏

 

 昨年11月末に、ヘンリー・キッシンジャー博士が亡くなった。100歳の大往生である。国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として、彼は米ソ間のデタント(緊張緩和)を推進し、劇的な米中接近を図り、そして、中東和平に尽力した。だが今や、米ロ関係は破綻し、米中関係も緊張して、中東でも大規模な武力紛争が発生している。半世紀前のキッシンジャーの偉業はことごとく覆った感がある。他方で、彼が仕えたリチャード・ニクソン大統領は、弾劾に直面して1974年に任期半ばで辞任した。ドナルド・トランプ前大統領は二度の弾劾を乗り超えて、再び大統領の椅子を手に入れるかもしれない。つまり、アメリカ内政の混乱だけが50年前と共通しているのかもしれない。

 

 さて、いよいよ激動の2024年が幕を開けた。まず、1月には台湾の総統選挙が控えている。この選挙結果は、中台関係のみならず東アジアの国際政治に大きな影響を与えよう。3月には、ロシアの大統領選挙がある。ウラジーミル・プーチン大統領の勝利は知れている。しかし、プーチンの勝利の度合いによっては、ポスト・プーチンのロシア政治が見えてこよう。また同じ頃には、ウクライナの大統領選挙も巡って来る。戦火の下での選挙は困難であり、おそらく延期されよう。だが、そうなれば、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の正当性を、ロシアは政治的に攻撃するにちがいない。インド、韓国という日本にとって大切な民主主義国でも、議会選挙がある。

 

 日本でも、7月には東京都知事選挙、9月には自由民主党の総裁選挙が予定されている。そして、11月5日は大本命のアメリカ合衆国大統領選挙である。

 9月の自民党総裁選挙までに、岸田文雄首相は衆議院を解散できようか。ほどなく通常国会が始まるが、3月末までは予算審議に忙殺される。昨年11月にサンフランシスコで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、アメリカのジョー・バイデン大統領は岸田首相に春先の公式訪問(国賓待遇)を求めた。つまり、アメリカは少なくとも春先までは岸田内閣の続投を予想し、期待している。7月末には通常国会は閉会しようから、それまでに自民党がスキャンダルを乗り超えて、内閣支持率がある程度回復し、岸田首相が解散権を行使できるタイミングが巡って来るか。現状ではむずかしいであろう。解散なしで総裁選を迎えれば、自民党の国会議員たちは次の選挙の顔として有利な人物を選ぶから、岸田総裁の続投は容易ではない。もしかしたら、菅義偉前首相のように、総裁選までに辞任に追い込まれているかもしれない。

 今回の自民党の政治資金規正法違反の事件は、ロッキード事件やリクルート事件に匹敵するスキャンダルになるかもしれないのである。実は、このスキャンダルの発覚前に衆議院を解散する可能性も模索されたのだが、内閣支持率が低迷して、できなかったのである。やはり1974年に、田中角栄首相が金脈問題で辞任に追い込まれたことが想起される。もし自民党が選挙の顔として、今や無派閥で菅前首相らが推す石破茂氏を次の総裁に選ぶなら、それは「令和の三木武夫」といったところであろう。

 

 さて、アメリカの大統領選挙である。民主党は現職のバイデン大統領が、そして、共和党はトランプ前大統領が候補になることは、ほぼまちがいない。となると、25年1月の大統領就任の段階で、バイデン氏は82歳、トランプ氏は78歳になる。高齢者同士のリターン・マッチである。かつて、ロナルド・レーガン大統領が73歳で再選をめざした時も、さらに昔にはドワイト・アイゼンハワー将軍が62歳で大統領をめざして際も、年齢が問題にされた。それから40年、72年を経ている。あるいは、年齢はそう大きな問題ではないのかもしれない。それでも、アメリカの多くの有権者が、両候補の年齢や健康に不安を感じていることは事実である。80歳を超えても、バイデン大統領が再選をめざす理由はただ一つである。トランプ再選を阻止することである。おそらく、民主党からバイデン大統領以外の誰が出馬しても、強烈な個性を持つトランプ氏を阻止できまい。バイデン氏だけが、トランプ氏に一度勝ったことのある男なのである。

 他方、トランプ氏は90を超える訴訟を抱えており、それらは連邦レベルと州のレベルに跨り、刑事訴訟と民事訴訟を含んでいる。すべての裁判で敗れれば、トランプ氏は最長で懲役730年の刑を科されるかもしれないのである。しかも、州レベルで有罪が確定すれば、トランプ氏が大統領になっても自らに恩赦を発することはできない。それは州知事の権限だからである。数々の訴訟にもかかわらず、共和党の多数はトランプ氏を支持しているが、肝心の無党派層はやはり裁判の<RUBY CHAR="帰趨","きすう">に大きく影響されるのではなかろうか。

 もちろん、それでもトランプ氏が勝つ可能性は、十分にある。われわれは「トランプの世界」の再現に備えなければならないのである。しかも、安倍晋三氏抜きで。来るべき自民党の総裁選びは、派閥の論理や選挙対策を超えて、「トランプの世界」に対処できるリーダーの選定でなければならない。

 

 もとより、「トランプの世界」はこの世の終わりではない。下院議長選出をめぐる共和党の混乱を見るにつけ、下院で共和党が多数を維持することは困難であろう。上院でも民主党が議席を伸ばすかもしれない。そうなれば、大統領の暴走は議会の予算権と立法権に大きく拘束されよう。それでも、日米同盟の信頼性を高め、厳しい戦略環境に対処するには、日本は2022年末の安保三文書で示した政策、すなわち、5年かけて防衛費を倍増し、反撃能力を保持することを確かに実現しなければならない。思えば、2015年に平和・安保法制を成立させ、限定的とはいえ集団的自衛権の行使容認に踏み切っていなければ、翌年のトランプ政権の成立で日米同盟は苦境に立たされたであろう。その平和・安保法制をめぐっても、22も違憲訴訟が起きたが、ことごとく裁判所に退けられている。日本政府は勇気を持って公約を進めるべきである。昨今の内外情勢に鑑み、われわれの持ち時間は、そう長くはないのだから。

 


《にしの じゅんや》

1973年生まれ。96年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了、2005年、韓国・延世大学大学院政治学科博士課程修了(政治学博士)。専門分野は東アジア国際政治、現代韓国朝鮮政治、日韓関係。慶應義塾大学法学部専任講師、同准教授を経て現職。共著書に『戦後アジアの形成と日本』、『朝鮮半島と東アジア』、『アメリカ太平洋軍の研究』など。

2024年1月15日号 週刊「世界と日本」2261号 より

 

どうなる2024年の日韓関係

 

慶應義塾大学法学部教授 朝鮮半島研究センター長

 

西野 純也 氏

 

 2024年の日韓関係も基本的には昨年からの改善の流れが続くことが予想されるが、その速度と力強さがどうなるのかは予断を許さない。振り返れば、2023年は日韓首脳会談が7回行われたことに象徴されるように、急速に政治外交関係の改善が進んだ特筆すべき年となった。

 

 3月の尹錫(ユンソン)悦(ニヨル)大統領の訪日と5月の岸田文雄首相の訪韓によってシャトル外交が復活したことに加え、途絶えていた政府当局間の各種対話、協議の枠組みも再開された。約5年ぶりに開かれた外務・防衛の局長級による日韓安全保障対話、約8年ぶりの日韓ハイレベル経済協議、そして9年ぶりの日韓次官戦略対話などがそれらである。2012年から関係の悪化が長く続いたことに鑑みれば、昨年は日韓協力の「失われた10年間」を取り戻した1年となった。今年は、回復した政府当局間の対話や協議の枠組みを本格稼働させて協力関係をしっかり構築し、それを軌道に乗せる年にする必要がある。

 

 今年の日韓関係の行方を考える上で、両国の国内政治、世論、そして両国を取り巻く国際情勢、の3つに着目すべきだろう。

 まず第1に、日韓両国の国内政治である。周知の通り、関係改善に大きな役割を果たしてきたのは尹錫悦大統領の強いリーダーシップである。日韓間の最大の懸案である「元徴用工」問題について、2018年10月の韓国大法院判決に反対する日本の立場を踏まえた「第3者弁済」解決策を提示し、3月の訪日と首脳会談を実現した。しかし、尹政権への韓国内の支持率は高くなく(韓国ギャラップ調査では30%台前半を推移)、尹政権の対日政策への世論も冷たい。国会で過半数を占める最大野党「共に民主党」は、尹政権が「対日屈辱外交」を展開していると批判し続けている。

 そんな中、24年4月に韓国では国会議員総選挙が実施される。昨年末から韓国政治は総選挙モードに突入しているが、各種世論調査からは尹政権の与党「国民の力」は人気がなく苦戦している状況が明らかである。そのため、昨年末には与党では代表が辞任をして非常対策委員会が発足した。この与党を率いることになったのが、尹大統領の側近で検察出身でありながら将来有望な政治家と目されている韓(ハン)東勲(ドンフン)・前法務部長官である。長官職を辞して政界に飛び込んだ韓氏の決断が奏功するかどうかは、韓氏個人だけでなく尹政権の命運にも大きな影響を及ぼすことになる。もし与党が総選挙で敗北すれば、任期3年を残す尹政権の国政運営はさらに厳しくなり、それは対日政策にも悪影響を及ぼすことになろう。関係改善に対する尹大統領の決意と熱意がいくら強くても、国内の逆風が強くなれば前進することは容易でなくなる。

 同時に、日本の国内政治の動向も不安材料となった。いわゆる裏金問題もあり岸田内閣の支持率は尹政権のそれより低くなった。尹大統領の決断を受け止めて共に関係改善を進めてきた岸田首相の指導力が弱まることは、日韓関係を発展させる好機を逃すことにつながりかねない。

 

 国内政治の動向とあわせて第2に留意すべきは、関係改善に対する日韓両国民の理解と支持を増やせるか、である。世論調査により明らかなのは、関係改善への支持が韓国側世論で依然低いことである。特に気になるのは、関係改善の進め方に対する日韓世論の認識差である。例えば、23年6月発表の読売新聞・韓国日報が実施した日韓共同世論調査を見ると、日韓首脳が相次いで会談して関係立て直しを進めることを「評価する」との回答が日本側で84%に達しているのに対し、韓国側では「評価する」47%、「評価しない」49%と二分された。歴史問題にとらわれずに関係改善を進めるべきとの尹大統領の姿勢についても、日本側の85%が「評価する」のに対して、韓国側は「評価する」50%、「評価しない」46%であった。総じて、韓国世論の約半数は関係改善の進め方に不満を持っていると言える。特に、「第3者弁済」解決策の提示など、尹政権は日本に譲歩しすぎであり、それに相応する日本側からの「誠意ある呼応」を引き出せていない、との声が韓国内で依然として大きい。

 それゆえ、関係改善の展望について日韓世論とも楽観的であるよりかは慎重もしくは悲観的である。今後の関係について「変わらない」との回答が日本側60%、韓国側47%であり、「良くなる」「悪くなる」との回答よりも多い。韓国側では「悪くなる」との見方も13%あった(日本側は3%)。とりわけ、尹政権が示した解決策で元徴用工問題が最終決着すると「思わない」との見方は、日本側で66%、韓国側で77%に達している。

 

 残念ながら、現実の動きも世論の雰囲気と軌を一にしている。尹政権の解決策に反対して韓国内財団から賠償金相当の支給金受け取りを拒否する元徴用工らがいる中、財団による支給金の供託手続きは裁判所で認められなかった。さらに、23年末には18年10月と同様の判決が大法院で下された。今後も同じ事態が続く可能性がある。財団が説得をして支給金を渡すべき原告の数は増え続けることになるが、説得は容易ではなく財団の基金も十分ではない。

 つまり、ある程度想定されていたことではあるが、現時点で尹政権の示した解決策は行き詰まりつつある。この他、23年11月にソウル高裁で慰安婦問題について日本政府に賠償を命じる判決が出るなど「歴史問題」の行方は依然険しい。この状況を少しでも緩和させるためにも、これまで以上に関係改善に対する世論の理解と支持を得るための日韓両政府の努力が必要になる。

 最後に、第3の厳しい国際情勢は引き続き日韓両国の協力を促す要素として作用するだろう。しかしここでも、日韓協力の求心力の一つである米国の大統領選の行方や、中国問題に対する日韓の立ち位置の違いなど留意すべき点がないわけではない。以上のような不安要素がある中でも関係改善の歩みを着実に前へ進められるかどうかが、日韓関係の未来を大きく左右することになる。

 


《にわ ふみお》

1979年、石川県生まれ。東海大学大学院政治学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(安全保障)。2022 年から現職。拓殖大学国際日本文化研究所所長、大学院地方政治行政研究科教授。岐阜女子大学特別客員教授も務める。著書に『「日中問題」という「国内問題」—戦後日本外交と中国・台湾』(一藝社)等多数。

2024年1月15日号 週刊「世界と日本」2261号 より

 

台湾有事「最前線の砦」へ

 

—死闘の痕跡が残る中国の「目と鼻の先」—

 

拓殖大学 政経学部教授

 

丹羽 文生 氏

 

 「目と鼻の先」という言葉は、この島のためにあるのではないか…。そう感じずにはいられなかった。過日、台湾本島から西に約270キロメートル、中国大陸の福建省廈門から僅か約10キロメートルしか離れていない台湾の金門島を訪れた。台北市内中心部に程近い台北松山空港から1時間20分ほどで着く。台湾が実効支配する金門島は、行政区分上は「中華民国福建省金門県」だが、中国からすれば「中華人民共和国福建省泉州市」の管轄地域となる。

 

 第2次世界大戦後の1946年6月、中国大陸において、毛沢東配下の共産党軍と蒋介石率いる国民党軍による国共内戦が勃発した。当初は約430万人の兵力を誇る国民党軍が圧倒的に優勢だった。その数は共産党軍の4倍近くに及んだ。だが、やがて農民の支持を固めた共産党軍が反転攻勢に転じる。国民党軍は敗走を重ね、徐々に居場所を失っていき、ついに1949年10月1日、毛沢東が中国大陸の北京を首都に新中国の建国を宣言、これにより、共産党軍の勝利、国民党軍の敗北が確定した。

 中国大陸は「中華民国」から「中華人民共和国」に衣替えしたわけである。国民党軍は、日本から返還されて間もない台湾への退去を余儀なくされ、「中華民国」を丸ごと台湾へ持ち込んで、そのまま居座ることとなった。

 そんな中、国共内戦のクライマックスとも言える戦いが金門島を舞台に繰り広げられた。「古寧(こねい)頭戦(とうせん)役(えき)」(金門島の戦い)である。南方に追い遣られた国民党軍にとって金門島は「最後の砦」だった。ここが共産党軍に奪われれば、台湾にまで、その手が伸びてくる。

 「中華人民共和国」の成立から約3週間後の25日深夜、共産党軍は金門島への上陸作戦を開始した。

 この時、共産党軍を撃退すべく、その殲滅(せんめつ)作戦を立案したのが日本から台湾へ密航し、国民党軍の「軍事顧問」として、これに参戦した旧日本陸軍中将の根本博であった。二昼夜に亘る激闘の末、辛うじて国民党軍が勝利し金門島を死守、共産党軍による台湾侵攻を阻止することに成功した。

 金門島訪問時、ガイドブック代わりに持参した元朝日新聞台北支局長でジャーナリストの野嶋剛氏の著書『蒋介石を救った帝国軍人—台湾軍事顧問団・白団の真相』(筑摩書房、2021年)には「国民政府軍は海岸から少し離れた高台に陣取り、共産党軍が上陸したのを待ち受けていっせいに火力を集中した。これまで連戦連勝だった共産党軍にも気のゆるみがあったのだろう。共産党軍は混乱に陥り、上陸に使ったジャンク船は焼き払われ、数万人が捕虜になるという、国民政府軍の大勝利に終わった」と描かれている。

 1958年8月23日には金門砲戦が起こり、約1カ月半の間に人民解放軍から約47万5千発もの砲弾が金門島に撃ち込まれた。戦闘行為そのものは10月5日に終了するが、人民解放軍による砲撃は米中国交正常化までの21年の長きに亘って続いた。

 1992年11月には台湾本島より5年遅れで戒厳令が解除、2001年1月より厦門(あもい)との間で「小三通」と呼ばれる通航の自由化が実現し、2018年8月からは福建省から金門島への給水も始まった。

 軍事施設が観光資源となっていることから大勢の中国人も訪れ、繁華街「模範街」には中国国旗「五星紅旗」が掲げられた。

 そんな金門島の名物は、かつて中国から撃ち込まれた砲弾の破片や不発弾を溶かして作られた包丁である。切れ味抜群、錆び難(にく)いと評判で、中国人の行き来が活発だった頃は飛ぶように売れたらしい。

 近年は、独立志向の強い蔡英文政権への圧力強化の一環として中国から台湾への渡航制限・禁止策に加え、新型コロナウイルス禍により、観光にやって来る中国人はいない。ホテルもレストランも土産物店も閑古鳥が鳴く。そのため中台間の往来再開を待ちわびる声が多くあった。

 滞在中は、古寧頭戦史館や八二三戦史館の見学、敵兵の上陸を阻止するために立てられた鉄製の杭が並ぶ海岸からは厦門のビル群を肉眼で見ることができた。

 48台ものスピーカーが埋め込まれたコンクリート製の北山放送壁では、「アジアの歌姫」ことテレサ・テンの「親愛なる大陸同胞の皆さん、こんにちは。テレサ・テンです…」で始まるメッセージと名曲「甜蜜蜜(ティエンミィミィ)」が流れていた。

 中国大陸からやって来た外省人を両親に持つ彼女は台湾雲林県生まれ。勿論、今は観光用だが、かつて、中国大陸でも人気を博していた彼女の甘い歌声を対岸に向けて流すことで敵兵の戦意を喪失させる、あるいは中国への投降を訴えるための「心理戦」に使われたという。

 台湾では、大半の人が自分は「台湾人」であると自認しているが、しかし、そもそも「台湾」ではない金門島に住む人々は、地理的感覚からなのか厦門寄りで、「中華民国人」としてのアイデンティティが強い。政治的にも民進党より、対中融和のスタンスを取る国民党の支持率が圧倒的に高く、中台統一を唱える人までいた。

 台湾有事が起こった場合、この金門島が中国による最初の標的になるとの見方がある。自民党副総裁の麻生太郎元首相も2023年11月、訪問先のオーストラリアでのスピーチで、中国が台湾に軍事侵攻する可能性は低いものの金門島を占領する可能性はあると語った。確かに、アメリカの台湾関係法においても、ここは防衛義務の適用範囲外でもあるため、中国からすれば攻撃し易い。

 ただ、これだけ親中的な住民に対して危害を加えることができるのか。それに、金門島で中台軍事衝突が発生すれば、当然、対岸の厦門にまで戦火が及び、多くの自国民が犠牲となろう。

 間もなく4年に1度の台湾総統選が行われる。金門島の将来を左右するだけに、その行く末に注目したい。

 


《ちの けいこ》 

横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在はフリーランスジャーナリスト。97年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。著書は『戦後国際秩序の終わり』(連合出版)ほか多数。近著に『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)。

2024年1月15日号 週刊「世界と日本」第2261号 より

 

世界最大の直接選挙

 

—インドネシア大統領選—その注目点は

 

ジャーナリスト 

千野 境子氏

 

 大統領選挙ラッシュの本年、来月14日にはインドネシア大統領選挙がある。人口約2億7千万人は世界第4位、有権者も2億人を超す世界最大の直接選挙だ。ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領の下、存在感を高め今やグローバルサウス(新興・途上国、GS)のリーダーとしても動向が注視されるインドネシア。日本も目が離せない。

 

 立候補者は与党グリンドラ党の党首プラボウォ・スビアント国防相(72歳)、最大与党・闘争民主党公認のガンジャル・プラノウォ前中部ジャワ州知事(54歳)、アニス・バスウェダン前ジャカルタ特別州知事(54歳)の3人。副大統領候補は順にジョコウィ大統領の長男ギブラン・ラカブミン・ラカ・ソロ市長、モハンマド・マフッド政治・法務・治安調整相、ムハイミン・イスカンダル民族覚醒党党首が夫々(それぞれ)ペアを組んでいる。

 当選には得票率50%以上と全37州の半数以上の州で有権者の20%以上の得票を得ることが必要。満たせない場合は上位2ペアが6月に決戦投票を争う。

 選挙運動は既に終盤戦だ。焦点は誰が支持率80%超のジョコウィ人気を取り込み、路線を継承するかだが、プラボウォとガンジャルは路線継承を表明している。

 3度目の挑戦で背水の陣のプラボウォは大統領の長男と「チーム・ジョコウィ」を標榜、国防相として政権入り後は、従来の強面する元軍人像から親しみやすい庶民派つまりジョコウィ流に「変身」したかのようだ。世論調査も昨年半ば頃からガンジャルを抜き1位を走っている。

 ただギブランの立候補が届け出締め切り直前の憲法裁判所の判決のお蔭であること、しかも叔父が裁判長だったためネポティズム批判は強い。吉と出るか凶か、有権者の審判が注目される。

 ジョコウィと同じ闘争民主党のガンジャルは継承という点では一番の正統派で、世論調査も一貫してトップだった。ところが昨年、バリ島でのサッカー国際試合のイスラエル選手団入国拒否を巡る支持発言が裏目に出た。国際サッカー連盟(FIFA)U—20W杯のインドネシア初開催の夢は潰え、失望はガンジャルにも向った。

 ガンジャルの発言は反イスラエルのイスラム票を意識したものとされるが、党首メガワティ元大統領のパレスチナ支持の意向にも沿うもので、(ジョコウィと違って)メガワティから自立出来ない政治家と評判を落としてしまった。その後も、支持率は完全回復とは行かないようだ。

 今回の大統領選はこの一事が示すように、自分の意のままにならないジョコウィに不満で次は掌中に収めていたいメガワティと、退任後も影響力を保持したいジョコウィの「暗闘」が囁かれている。

 3番手のアニスはインドネシア最大のイスラム団体ナフダトゥル・ウラマー(NU)が支持基盤のムハイミンの集票力に期待する。第1次ジョコウィ政権で教育・文化相と務めたが、その後、袂(たもと)を分かち、新首都ヌサンタラ移転ではひとり見直しを公約している。ただ対立は政策的よりは感情的側面が強そうだ。

 従って次期大統領の政策の継承は言わば既定路線、問題は誰が独自色を出し、今の路線も強化・発展させて行くかだろう。高い支持率を誇るジョコウィ路線の否定はそう簡単ではない。

 インドネシアはこの間ずっと4〜6%前後の経済成長を達成し、コロナ禍からの回復も早かった。今後も①インフラ開発②人材開発③投資の促進などの重点政策は進められ、外交も経済外交や海洋主権の強化、GSのリーダーとしての発言力確保などを目指すのは間違いない。経済協力開発機構(OECD)への加盟も本格的課題となる。独立100周年となる2045年の先進国入りを掲げているが、政治的安定と経済の好調がこのまま続けば前倒しだって可能だろう。

 不安要因はある。世界最大の島嶼国に民族は633、言語は747ある。国是に「多様性の中の統一」を掲げるのもそれが如何に難しいかの裏返しだし、ジャワ島とそれ以外の島々との経済・開発の発展の格差も厳然と残る。宗教は穏健なイスラムと位置づけられ、原理主義派のテロ活動は近年鳴りを潜めて居るが、将来を保証するものではない。社会の安定が崩れた場合、大国故にダメージも大きい。

 しかし今のインドネシアにはこれら不確実性を吹き飛ばすような勢いが感じられる。エネルギーの源は平均年齢29歳の若さだ。いわゆるミレニアル世代とZ世代が1億1300万人超いる。その意味で大統領選は、彼らが帰趨(きすう)を握っているとも言える。候補者もプラボウォ以外は54歳と若い。しかも今回こそ立っていないが、サンディアガ・ウノ観光・創造経済相(前回はプラボウォの副大統領候補)、ユドヨノ前大統領の長男のアグス・ハリムルティ民主党党首、リドワン・カミル前西ジャワ州知事…と将来立候補が有望な政治家に欠かない上に、皆ミレニアル世代か、さらに若い。

 昨年、日本とインドネシアは首脳会談で「包括的・戦略的パートナーシップ共同声明」を発出し、関係を格上げした。次期大統領候補も皆、日本との縁がある。プラボウォは国防相として防衛装備品供与の推進等を通して対日関係を深めて来たし、ガンジャルはスポーツマンで東京マラソンに参加したこともあるとか。知己も多いという。アニスはガジャマダ大学在学中に上智大学に留学経験があり、やはり知己は少なくない。

 12月に駐中国大使に転じた金杉憲治前駐インドネシア大使は10月5日付『じゃかるた新聞』への寄稿で、今後の両国関係を考える際に重要と思われるポイントを4つ挙げている。

 第1は経済関係のさらなる強化、第2は安全保保障協力、第3はインドネシアの若者への働きかけで、いずれももっともだが、筆者が最も共感したのは第4だ。《今のインドネシアは日本人の多くがイメージするかつてのインドネシアでは全くなく、変化を恐れない柔軟な政策運営やデジタル分野ではむしろ日本が学ぶべき相手であり、それを前提にインドネシアと向き合っていく必要がある》。

 新しい皮袋に新しい酒を入れる時代が来ている。

 (敬称略)

 


《しまだ よういち》

1957年大阪府生まれ。専門は国際政治学。主に日米関係を研究。京都大学大学院法学研究科政治学専攻課程を修了。著書に『アメリカ解体』、『三年後に世界は中国を破滅させる』(共にビジネス社)など。最新刊に『腹黒い世界の常識』(飛鳥新社)。

2024年1月1日号 週刊「世界と日本」2260号 より

 

2024年の外交課題

 

中東情勢流動化と日米関係

 

福井県立大学 名誉教授

 

島田 洋一 氏

 

 2024年の国際政治は、「新・悪の枢軸」対自由主義諸国の歴史的闘争という様相を益々強めていこう。しかしこの間アメリカでは、お世辞にも指導力があるとは言えないバイデン政権が続く。日本政府は決して、無批判に引きずられてはならない。

 

 通常「新・悪の枢軸」に数えられるのは中国、ロシア、イランの3国。加速度的に連携を深めている。互いの支配圏拡張(しばしば露骨な軍事侵攻やテロの形をとる)を側面支援すべく、米軍の勢力分散を図る動きを活発化させていこう。

 論者によっては、ウクライナ戦争以降ロシアとの関係を緊密化させ、核武装を進める北朝鮮も「新・悪の枢軸」に加える。イランの傘下にあるシリアのアサド政権、ハマス、ヒズボラ等の中東テロ勢力は、北朝鮮と、武器取引などで密接な関係を有する。中国は、台湾侵攻に際して、米軍の一部を北東アジアや中東に引き付ける陽動作戦を北やロシア、イランに期待するだろう。

 

 トランプ政権は、これら勢力の封じ込めで、かなりの成果を収めた。歴代米政権と比べて出色の出来だったと言える。

 中国に対しては、大統領権限を相当程度拡大解釈して、先進テクノロジー分野における輸出管理を強化した。司法省とFBIに「中国シフト」を敷かせ、機微な技術の流出阻止に動いた。秘密裏に中国の科学技術獲得「千人計画」に協力していた、ナノテクノロジーの世界的権威チャールズ・リーバー・ハーバード大学教授の逮捕、起訴は代表例と言える。

 ところがバイデン政権は「中国シフト」を早々に解き、トランプ時代に立件された、中国系を中心とする研究者の多くについても、次々起訴を取り下げていった。

 米議会は、共和党主導で様々な対中締め付け策を法制化してきたが、肝心の法執行においてバイデン政権が厳格だったとは言えない。

 その背後に、「気候変動こそが最大の安全保障上の脅威であり、二酸化炭素の排出量で世界一の中国は、問題解決に当たって協力を得るべき最大のパートナー」という非常にナイーブな筋の悪い基本認識がある。

 中国はこれを逆手に取って、「脱炭素で協力」の代償に、台湾政策、テクノロジー管理などあらゆる面で米側に譲歩を迫ってきた。前述の、バイデン政権における法執行の弱さは、対中宥和の一側面に過ぎない。

 脱炭素原理主義勢力への迎合を事とするバイデン政権だが、統計を自由に操作できる中国共産党政権との「画期的な脱炭素合意」が砂上の楼閣に過ぎないことは分かっている。

 バイデン政権自身が掲げるアメリカの温暖化ガス削減目標も、エネルギー自立を重視する共和党の反対で実現不可能な数字であることは承知している。現に、火力から太陽光・風力発電に全面転換するための予算案は毎年否決され、共和党が下院で多数を占める中、2024年度も成立の見込みはない。

 それでも米中脱炭素合意を目指すのは、国内環境左翼へのアピールであると同時に、日欧に圧力を掛ける芝居という意味合いが濃い。すなわち初めから外される予定の梯子であり、日本は追従姿勢を取ってはならない。

 

 2024年大統領選挙で共和党候補が勝てば、アメリカのエネルギー政策は大きく転換する。

 共和党の候補選出過程で、若手実業家のビベック・ラマスワミが相当な健闘を見せた。反炭素運動は「欧州発の気候カルト」であり、無視せねばならない、むしろ化石燃料の有効利用こそがアメリカの国力を高め自由主義圏全体を強化するという彼の主張は、共和党陣営において何ら異端ではない。

 バイデン政権や民主党応援団のマスコミ(主流メディアのほとんど)が日々発信する「脱炭素=世界の流れ」論は、アメリカではあくまで「一方の意見」に過ぎない。

 中東政策に話を移そう。トランプ政権は、「テロの中央銀行」たるイランに対する制裁レベルを格段に高めた。オバマ前政権が進めた宥和政策の完全否定であった。

 同時に、イランと対立するサウジアラビアとの軍事・経済関係を強化し、サウジのジュニア・パートナーと言うべきアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーンなど湾岸アラブ諸国とイスラエルの国交正常化を成功裏に仲介した。

 また、オバマ時代に悪化したイスラエルとの関係も、エルサレムの首都認定、同地への米大使館移転などを通じて大きく改善させた。情報機関同士の信頼関係も回復させ、多くの対テロ共同秘密作戦につなげた。

 

 イランの対外破壊活動を担う革命防衛隊「コッズ部隊」の司令官ソレイマニの除去は最たる例である(2020年1月3日)。ソレイマニは、当時のイランにおいて最高指導者アヤトラ・ハメネイに次ぐ実力者と言われた人物である。彼の「無害化」に踏み切ったことは、世界に衝撃を与え、テロ勢力全般に対する抑止力を高めた。

 この時、ソレイマニ殺害は無謀かつ国際法違反で、暗殺に米政府職員が関与することを禁じた1976年大統領令違反でもあるとして、「私ならこうした命令は出さなかった」と非難したのがバイデンであった(当時、大統領候補として選挙運動中)。

 綺麗ごとの言動は抑止力を低下させる。2021年1月のバイデン政権発足以降、アフガニスタンからの米軍潰走(かいそう)、タリバン復活、ロシアのウクライナ侵略、イラン傘下のハマスによる対イスラエル大規模テロなどが続いたのは、その証左と言えよう。

 米議会は、下院で多数を握る共和党が、イスラエルへの軍事支援に積極的な一方、ガザ地区への「人道」支援や復興支援には基本的に反対の立場を採っている。ハマスが手中に収め、テロ支援となりかねないとの懸念からである。また、パレスチナ系アラブ人の支援や難民受け入れは、反イスラエルの旗を掲げてテロを助長してきたアラブ諸国やイランが責任を持つべきとの発想もある。

 日本政府は安易な「パレスチナ支援」を続けてはならない。渡す相手によってはテロ支援となる。世界を混乱に導いてきたバイデン政権ではなく、着実に成果を上げた前トランプ政権関係者の知見に、より多く学ぶべきだろう。

 


《みつい みな》

一橋大学卒業後、読売新聞に入社。ブリュッセル、エルサレム、パリ特派員を歴任。2016年、産経新聞に入社。17年、パリ支局長。23年9月から現職。近著は「敗北は罪なのか オランダ判事レーリンクの東京裁判日記」(産経新聞出版)

2024年1月1日号 週刊「世界と日本」2260号 より

 

パリ五輪を覆う戦争とテロの影

 

 

産経新聞 外信部編集委員

 

三井 美奈 氏

 

 

〈エコ五輪めざす〉

 

 パリにとって五輪は、08年大会誘致で北京に敗れて以来の悲願だった。

 アンヌ・イダルゴ市長はかつてない「エコ五輪」を実現し、21世紀の大会モデルを先導すると宣言した。期間中の温室効果ガス排出量は、16年のリオ大会、12年のロンドン大会の半分以下にする目標を掲げた。イダルゴ市長は社会党の元大統領候補で、環境重視は看板でもある。

 温暖化対策の手始めに、「選手村にはエアコンを置かない」と発表した。欧州では、屋外に廃熱を出すエアコンは「温暖化をもたらす」として何かと評判が悪い。

 とはいえ、フランスは近年、猛暑続きで夏の気温が40度を超える日も珍しくないから、「エアコンなし」はかなりきつい。まして五輪選手となれば、体調管理は最優先課題である。

 大会組織委に対策を聞くと、「大丈夫。『緑の冷房』で乗り切れる」と自信たっぷりの回答が返ってきた。敷地に9千本の木を植え、建物の床下パイプに冷水を通すことで、「外気が38度でも室内は26度に下げられる」というのだ。

 これはあくまで机上の計算である。選手村を視察した日本オリンピック委員会(JOC)関係者は、「エアコンなしで、本当に大丈夫か」と不安を漏らした。

 エコ五輪には、ほかにも現実の壁がある。

 「使い捨てプラスチック容器の禁止」も論議を呼んだ。ペットボトルを会場から排除し、選手や関係者にはファウンテン(飲料供給機)からコップや水筒を使って飲んでもらう計画だ。

 フランスは23年1月からファストフード店の使い捨て容器使用を禁止しており、法に沿った措置ではある。だが、再利用容器となると異物混入やドーピングの懸念が当然出てくる。仏紙によると、「個別密閉は絶対必要」だとして、競技団体や選手から適用除外を求める声が相次いでいるという。

 さらに心配なのは、交通網。五輪は「観客が公共交通機関でどの会場にも行けるようにする」のが目標で、パリ郊外の在来線を市内に延伸する予定だった。イダルゴ市長は11月になって、「用意ができていない」と認めた。パリ首都圏は年間4千万人以上が訪れる世界屈指の観光地で、通勤ラッシュ時の混雑は常に深刻な問題だ。そこに五輪が加わるとどうなるか。想定外を想定できていないのは間違いない。

 

〈イスラム過激派の影〉

 

 パリ五輪で最大の難関は、治安対策だろう。

 華やかなパリは、西欧文明の象徴でもある。このため、何度もイスラム過激派テロの標的となってきた。

 2015年には、イスラム教の創始者ムハンマドを風刺した週刊紙シャルリー・エブドが過激派の兄弟に銃撃された。続いてイスラム国(IS)による同時襲撃テロが起き、130人の死者を出した。パリ五輪のメインスタジアム「スタッド・ド・フランス」はこの時、自爆攻撃の現場になった。

 フランスのイスラム人口は推計570万人で、欧州で最も多い。移民問題は年々緊張している。この夏には各地でイスラム移民2世や3世の若者たちの暴動が続いた。

 10月にパレスチナ自治区ガザで紛争が始まると、不安はいよいよ現実のものに近づいた。パレスチナを支持するデモが広がり、イスラエルの自衛権を支持するフランス政府を非難した。ユダヤ人への攻撃も相次いだ。国内に緊張が走る中、12月にはエッフェル塔近くでテロが起きた。イラン系の男が「神は偉大なり」と叫んで、ドイツ人観光客をナイフで殺害した。男は現場で「イスラム教徒が死ぬのは、もううんざり」と言い、仏政府はイスラエルの共犯だと罵(ののし)った。10月には仏北部アラスで、イスラム過激派に教員が刺殺されている。

 ルーブル美術館やベルサイユ宮殿、空港では「爆破テロ予告」が相次いだ。爆発物が見つかったことはないが、毎度訪問客が一斉に避難し、大騒ぎになる。

 イスラム教徒の暴動は、大胆になる一方だ。2世、3世はフランス人として生まれ育ったのに、なかなか白人社会に溶け込めず、社会分断の危険がかねてから指摘されていた。夏には、警察署や役所という「権威の象徴」が相次いで襲撃され、炎上した。商店略奪も横行した。主な現場となったのは、パリ郊外の移民街だった。スタッド・ド・フランスや選手村が建つ地域である。

 

〈代替案はない〉

 

 水上開会式には外国からのVIPや一般の見物客をあわせ、セーヌ川両岸に60万人が集まる。

 屋根のない会場で、どこから脅威が迫るかは分からない。政府は警察や軍、民間警備員をあわせて4万5千人を動員し、無人機で上空から会場を監視する計画だ。近隣住民の移動も制限し、厳戒態勢が敷かれる。

 それでも、「本当に大丈夫か」という声は強い。10月には、柔道男子五輪金メダリストのダビド・ドゥイエ元スポーツ相が「万一、攻撃の危険が発覚した場合に備え、開会式にはプランB(代替案)が必要」と訴えた。現下の国際情勢を見れば、競技場での開催も視野に入れるべき、という意見だ。政府は、水上式典の実施に変更はないとしている。

 不安を煽るように、外国から揺さぶり工作の兆しも見える。夏にはSNS(交流サイト)で「パリ五輪ボイコット」の呼びかけが広がった。仏情報当局は、アゼルバイジャンが関与したとみている。ナゴルノカラバフ紛争で、対立するアルメニアを支えるフランスに政治報復したらしい。仏政府はロシアに対しては、「偽情報によるサイバー攻撃を仕掛けている」と名指しで非難した。

 世界で紛争やテロ脅威が高まる中、どうやって巨大イベントを安全に開催するかは、先進国共通の課題になった。パリ五輪の行方は、日本も注視すべきだろう。

 


かわくぼ つよし

1974年生まれ。東北大学大学院博士課程単位取得。専門は日本思想史。現在、麗澤大学教授。論壇チャンネル「ことのは」代表。(公財)国策研究会幹事。著書に『福田恆存』(ミネルヴァ書房)、『日本思想史事典』(共著、丸善)、『ハンドブック日本近代政治思想史』(共著、ミネルヴァ書房)など多数。

2023年12月4日・18日号 週刊「世界と日本」2258・2259号 より

 

安倍外交と日本の世界構想

 

麗澤大学 国際問題研究センター長

 

外国語学部 教授 川久保 剛 氏

 

 安倍元首相の死去以降、日本政治は内向きになっているように見える。

 ウクライナ戦争をはじめとする国際情勢の激変に対して常に受け身の対応を強いられている印象が強い。

 「今安倍晋三という政治家がいれば、国際政治に対してどのようなメッセージを発するだろうか」と考える人は多いだろう。

 実際に、安倍氏が首相であれば、日本政治は現下の情勢に対して力強く向き合い、国際政治に対して一定の影響力を行使しているに違いない。

 安倍元首相は、日本の政治家では珍しい、世界ビジョンを持ったリーダーだったと言われている。

 安倍外交の代名詞ともいえる「自由で開かれたインド太平洋」構想は、外交史家の細谷雄一氏も言うように、「明治以来の日本の歴史でもっとも成功した外交ビジョン」であり(『Voice』令和5年8月号)、現在も、自由と民主主義を掲げるG7、EU、NATOの方針に大きな影響を与えている。そして、中国、ロシアなど権威主義国家に脅威を与え続けている。

 

 岸田政権は安倍外交の継承を方針に掲げているが、残念ながら、安倍外交のような影響力は持ち得ていない。

 岸田首相をはじめとする日本の政治家には、安倍外交の根幹にある、国際政治のビジョンを描き、世界をリードする気概を受け継いでもらいたい。

 安倍外交の世界構想が国際社会から評価されたのは、それが自由と民主主義を奉じる多数の国にとって公益と思われたからである。

 日本の国益だけではなく、多数の国の利益にもなる、公益と見なされたがゆえに、支持を集めたのである。

 外交ビジョンは、かように、国際公益を志向しなければならない。

 もっといえば、人類益を示すものでなければならない。

 近年、令和の日本が目指すべき国家像に関して論議されているが、あるべき国家の姿も、あるべき世界の姿を構想する作業から見えてくるはずだ。

 何が真の人類益であり、その実現のためにはどのような国際秩序を形成すべきかを問うことから、日本の目指すべき「令和の国家像」も鮮明になってくるだろう。

 

 最初に論議すべきは、これからの人類構想であり、世界構想なのである。

 安倍外交が、国際社会で通用したのは、そうした普遍性と公共性を備えていたからである。

 安倍外交を継承するとは、そうした普遍的な言語で国際公共性を論じるスタイルそれ自体を継承することを意味する。

 そのためには、わたしたち日本人には、世界構想を示し、国際社会をリードするだけの力があり、さらにいうとその使命もあるということに気づかなければならない。

 安倍元首相には、その力の認識と使命の自覚があった。

 日本は世界をリードする立場にあるという信念を持っていたのだ。

 実際に日本は、世界有数の長い歴史をもち、国際的にも高く評価される豊かで独自の文明を形成してきた国家なのだ。

 世界史的・文明論的な視点を持つと、日本という国家の位置と可能性が見えてくる。

 日本の政治家は、ぜひ文明論を学んで欲しい。

 文明論の領域では、西洋近代文明の終焉・没落のなかで、日本文明の中にこれからの人類文明の原理となる思想を見出しうるのではないかという論議が盛んに行われているのである。

 内外の知性が、文明としての日本の可能性に注目しているのである。

 日本がひとつの希望にもなっているのだ。

 こうした文明論を学べば、日本の政治家として世界に貢献するビジョンを描き出そうという気概も湧き上がってくるだろう。

 文明論は、日本の政治を方向づける力となる。

 文明論は、日本の政治家の必須科目といえる。

 現在、ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス戦争に加え、世界各地に紛争の火種が大きくなりつつある。

 間違いなく世界は曲がり角に来ている。

 

 日本の政治家は、今こそ日本の出番だと構え、積極的に世界に働きかけてもらいたい。

 幕末に、横井(よこい)小楠(しょうなん)という思想家がいた。

 勝海舟をして、「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷(さいごう)南洲(なんしゅう)だ」(『氷川清話』)と言わしめた志士である。

 横井小楠は、日本は開国後に世界に向けて普遍的な公共の道理を語れ、と高唱したことで知られている。

 小楠が開国論を展開している『沼山対話』には、次のような言葉が出てくる。

 「所詮宇内に乗り出すには公共の天理を以て彼等が紛乱をも解くと申丈の規模無レ之候ては相成間敷、徒に威力を張るの見に出でなば後来禍患を招くに至るべく候」。

 つまり、これから開国し、世界に乗り出すには、公共の天理をもって現在の国際紛争を解決してみせるほどの気概をもたなければならない、日本は単に自国の国益だけを考えていてはいけない、と言うのである(中央公論『日本の名著30佐久間象山・横井小楠』)。

 

 あの幕末の時期に、すでにこれだけの普遍的視野を獲得していたのである。

 小楠は、公共の道理をもって「世界の世話やきにならねばならない」(村田氏寿筆記「横井氏説話」)と述べたことでも知られているが、その根底には「地球の上はすべて同じ原理が貫徹している」(「国是十二条」、前掲『日本の名著30』)という信念が存在した。

 ここには、安倍元首相が掲げた「地球儀を俯瞰する外交」や「普遍的価値を重視する外交」、「積極的平和主義」の源流があるといえよう。

 今こそ、横井小楠や安倍晋三のような政治家が待望される。

 何度でも言おう。日本から、世界をリードする政治家が出て来て欲しい。

 そして、混迷する世界に明るい展望を拓いて欲しい。

 それこそが、安倍外交の真の継承であるといえよう。

 

 


《よしの ふみお》

1957年、福岡県に生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、大学院経済学研究科博士前期課程修了。1996年より拓殖大学に勤める。2016年より現職。

2023年12月4日・18日号 週刊「世界と日本」2258・2259号 より

 

一帯一路とASEAN統合

-チャイナマネーは東南アジアをどう変えたか-

 

拓殖大学国際学部教授

 

吉野 文雄 氏

 

 

一帯一路が変える東南アジア地図

 

 中国が2013年に一帯一路構想を発表して10年がたつ。同時に発表されたアジアインフラ投資銀行(AIIB)が2015年に設立され、名実ともに構想が動き始めた。この中国の取り組みに対して、期待が膨らんだ国もあれば不安が期待を上回った国もある。日本や米国はこの構想から一線を画し、首脳会議などにも出席していない。中国は2017年には、スリランカのハンバントタ港の運営権を向こう99年にわたって手中に収め、債務の罠として広く知られるようになった。

 東南アジアにおいても中国のプレゼンスは急速に高まった。ラオスを例に取ろう。ラオスではおよそ750万人の人々が日本の3分の2程度の国土に住んでいる。首都ビエンチャンの人口は100万人ほどで、他の東南アジアの国々と異なり、人口の都市集中がみられず、国土全体に散らばって居住している。ラオスではフランス植民地時代に短い鉄道が走っていたが、第2次世界大戦後、鉄道はなく、陸上輸送は自動車に頼っていた。

 そのラオスが中国の助けを借りて鉄道網を作ろうと決意したのは21世紀に入ってからであった。ラオスを専門にするアジア経済研究所の山田紀彦氏の論稿によると、ラオスは鉄道網建設に熱心であったが、中国は債務の罠が発生する懸念を払拭できず、むしろ消極的であった。しかし、熱意にほだされたというのであろうか、2016年12月に、首都ビエンチャンと中国雲南省の昆明を結ぶ路線の建設が始まり、2021年12月に開通した。ラオスは今後鉄道を南に走らせ、パクセーを通ってカンボジア国内に至る計画で、東のベトナムにつなぐ路線も建設予定である。

 この鉄道網がラオスと中国に何をもたらすか。もちろん旅客や貨物の陸上輸送の利便性は高まる。中国からは鉄道でシンガポールまでたどり着けることになる。ラオスで作られた野菜や果物を中国市場に届けられるし、中国からの観光客の来訪も期待できる。しかし、鉄道網構築の費用と便益を天秤にかけると、相当の長期を考えないかぎり、便益が費用を上回らないであろう。

 

一体化する中国と東南アジア

 

 一帯一路の10年は、東南アジアが中国の強い影響下に入った10年であった。ASEAN事務局がまとめた貿易統計を用いてASEAN全体の貿易額を求めると、輸入においては2007年以降最大の輸入元が中国となっている。輸出においては2011年以降今日までASEAN最大の輸出相手国は中国である。

 企業の海外進出を意味する直接投資については少し様相が異なってくる。直接投資については各国整合的な国別統計がとれないが、ASEAN事務局の推計によると、今日でもASEAN加盟国向け最大の域外からの投資国は日本である。年によってはASEAN域内投資が日本からの投資を凌駕するが、ASEAN域内投資の多くは日本や韓国などの企業の現地法人による投資である。例えば、韓国の電機・電子メーカーであるサムスン電子がベトナムに大規模な携帯電話工場を設立したが、これはサムスン電子のシンガポール法人による投資なので、域内投資に分類される。

 興味深いのはASEAN加盟国からの域外投資である。これまでASEAN加盟国は外国企業を受け入れるものと考えられてきたが、今日では例えばタイのチャロンポカパンが中国に養鶏場を作ったように、ASEAN加盟国からの企業進出も無視できない。統計が利用可能なマレーシアを見てみると、域外への投資では対中投資が最大の金額である。対日投資もないではないが、金額的にはごくわずかで、総投資額の1%にも及ばない。

 コロナ禍でクローズアップされた国際人流を見てみると、やはり東南アジア諸国では中国からの入国者が多い。コロナ禍前の2019年のASEAN加盟国のいずれかに入国した中国人は3200万人。日本からの入国者570万人をはるかに上回る。

 統計を並べてみたが、いずれのデータでもASEAN加盟国と中国との結合が強化されていることが分かる。各国の経済成長率を用いた私の研究でも、中国とASEAN加盟国は経済的に一体化の道を歩んでいる。

 経済の一体化が必ずしも好ましい影響を与えるわけではない。一帯一路のかけ声で始められた東南アジアにおける不動産事業の中には、中国の不動産不況の波をかぶって行き詰まっているものがある。マレーシア半島部最南端ジョホールバルで建設された複合施設フォレストシティは建屋がほぼ完成したにもかかわらず、入居者が少なく閑古鳥が鳴いている。インドネシアの華人財閥リッポ・グループが手掛けた大規模宅地開発メイカルタでは建設途中の建物が野ざらしになっている。

 

一帯一路は一蓮托生か

 

 中国の存在は2015年に共同体形成を高らかに宣言したASEANの統合にも影響を与えている。貿易動向に戻るが、2019年以降ASEAN諸国の域内からの輸入を中国からの輸入が上回ったのである。対中輸出はまだそれほどの大きさではないが、輸入についてはASEANが統合を進めるよりも、むしろASEAN諸国は中国と統合する方が理にかなっているのである。

 制度として、ASEANのみの自由貿易地域(AFTA)もあるし、ASEAN中国の自由貿易地域(ACFTA)もある。サービス貿易や投資をめぐってもASEANと中国とは協調している。そうなると、ASEANのみの自由貿易地域や共同体の意義が問い直されることになろう。

 例に引いたラオスなどは、ASEANの一員として統合に参加するよりも、一つの自治区として中国に編入してもらった方が経済発展を遂げるかもしれない。もちろん、統合には経済問題だけでなく、政治・文化・価値の問題も絡んでくるので、経済原理だけで国境が変わるわけではない。

 21世紀に入ってから中国経済は破竹の勢いで伸び、東南アジア経済はそれに牽引されて高成長を遂げた。この10年は一帯一路構想が両者の靱帯となってきたが、不動産不況の伝播に見られるように、中国経済が迷走すると東南アジアは行き詰まる。東南アジア諸国にとっては、中国との距離感が成長を左右することになろう。

 

 


《り そうてつ》

専門は東アジアの近代史・メディア史。中国生まれ。北京中央民族大学卒業後、新聞記者を経て1987年に来日。上智大学大学院にて新聞学博士(Ph.D.)取得。98年より現職。同年、日本国籍取得。テレビのニュース番組や討論番組に出演、情報を精力的に発信。著書に『日中韓メディアの衝突』『北朝鮮がつくった韓国大統領—文在寅政権実録』『なぜ日本は中国のカモなのか』(対談本)など多数。

2023年11月6日号 週刊「世界と日本」2256号 より

 

北朝鮮とロシアの「蜜月」から

プーチンの大戦略が透けて見える

 

龍谷大学教授

 

李 相哲 氏

 

 これまでの米韓当局の情報を総合すると、北朝鮮は、金正恩総書記がロシアに向け出発する前の9月初旬に、すでにコンテナ300個分以上の武器弾薬をロシアに提供した。その後、現在までに確認できただけで、北朝鮮はコンテナ千個分以上の武器弾薬をロシアに運んでいる。その対価としてロシアが北朝鮮に何を渡したかは明らかになっていないが、金氏がロシアから得ようとするのは軍事分野の先端技術や設備であるのは間違いない。ロシアがそれに応じればアジアの安保環境はさらに不安定な状態に陥る。このような状態は日本や韓国はもとより米国と中国も望んでいない。プーチンロシア大統領の大戦略は、北朝鮮に軍事技術を提供することにより東アジア安保環境をさらに不安定な状態に陥れ、アメリカのウクライナへの関与、しいては他の地域での行動を牽制することではないか。

 

異例づくめの金正恩の訪露

 

 去る9月の金正恩のロシア訪問はいろんな意味で異例づくめだった。日程が事前に公開され、金正恩総書記の動線をテレビ画面から確認できるようにし、金氏の肉声までニュースで流れた。ボストチーニ宇宙基地で金氏を迎えたプーチン氏は記者団に、北朝鮮に衛星発射技術を提供する用意があることを口にする一幕もテレビ画面を通して全世界に伝えられた。その後、金氏はコムソモリスク・ナ・アムーレ市にあるユリ・ガガリン工場で戦闘機生産工程やウラジオストック港に停泊するロシア太平洋艦隊所属シャポシニコープ対潜護衛艦を見学するなど欲しいものすべてを見てまわった。金氏は玩具売り場に連れていかれた子供のようにロシアが見せる最新式武器を触ってみたり、乗り込んでみたりしたが、それはロシアが世界に向けて見せたかった場面に違いない。米国がロシアの気持ちを垣間見ずウクライナを支援するなら、私たちにもやり方があると。金正恩にこのような武器を提供したらどうなるかを見せびらかすためだったのだろう。

 ロシアは北朝鮮との蜜月は演出したものの、本当に最先端の軍事技術を提供したか、これから何をするかは今のところ定かではない。ただ、今のところ金正恩が欲しがるものを提供していないのではないか。

 まず、ロシアは北朝鮮のために米国や国際社会と徹底的に対立する関係を作りたくない。北露首脳会談が終わった後の9月15日、プーチン氏は「我々は何も違反していないし、そのような意図もない」「我々は国際法の枠組みのなかで北露関係発展の機会を模索するだろう」と語った。プーチン氏の言葉は、額面通り信じるわけにはいかないが、ロシアが国際社会の反応を気にしているのは確かなようだ。事実上、両首脳は会談後記者会見もせず、共同宣言文も発表していない。クレムリン宮報道官も「我々は北朝鮮と如何なる文書も締結していない」と説明した。

 

苦々しく北露の蜜月を見てる中国

 

 次に、北朝鮮への最先端軍事技術の提供には中国も反対の立場だ。北朝鮮が核武器を完成しアジアでさらに強い立場になり、挑発的に行動すると日米韓はさらに連携を強化するだろうし、日韓が核武装へ傾くことも考えられるからだ。

 プーチン氏が金氏に満足のいくお土産を渡していないという証拠もある。金正恩のロシア訪問に同行したアレクサンドル・マツェゴラ駐平壌大使によれば「北朝鮮に食糧援助の準備ができたと伝達したが、彼らはそれを断った」、「2020年に我々は5万トンの麦を人道的な立場から北朝鮮に無償提供したが、これをもう一回やる準備ができている」。ところが、金氏は「ありがとう、状況が悪くなれば貴国に頼るかもしれませんが、いまは大丈夫だ」と答えたという。金氏が言いたかったのは、我々が欲しいのは食糧ではない、先端軍事技術だ、それをよこせ、という意味だったのだろう。

 北朝鮮とロシアの武器取引をめぐっては多くの専門家が、北朝鮮は武器弾薬を提供する代わりに食糧、エネルギーをロシアから提供してもらおうとしていると予測したが、金正恩の関心は、そもそも軍事技術と装備だけにあって住民生活改善にあったわけではないことはここからも確認できる。

 

プーチンの戦略は東アジアの混乱

 

 ロシアは当面、北朝鮮の軍事偵察衛星打上げに協力するほどの協力はするだろう。その他の先端技術に関しては国際政治の力関係や技術的に詰めなければならない問題が山積しているはずだ。所詮プーチン氏と金氏の会談は丹念に準備を経て実現したものではなかった。

 それでも北朝鮮の支援が必要なロシアは、金正恩を宥(なだ)めるため丁重に礼遇、お土産を用意した。ボストチーニ宇宙基地でプーチンは金正恩に最高級小銃と宇宙服手袋を、ロシア沿海州のロシア太平洋艦隊視察時には軍艦の模型を手土産で渡し、他に防弾チョッキや熱画像カメラにも映らない特殊服セット、防寒用帽子、そして宇宙とかロケット好きな金正恩に人類では初めて宇宙飛行に成功したユリ・ガガリンサイン入りの写真も渡した。野球好きの少年にスター選手サイン入りの写真を送るように。

 プーチンの狙いは、ロシアの宇宙技術のすごさを金正恩に見てもらい、軍艦の模型などを通じて軍事協力に期待をもたせ、金正恩をロシア側に引き寄せソ連時代のように操る構図を作ることだろう。

 金正恩がそのようなロシアの思惑を熟知の上、ロシアに乗り込んだかは知る由もないが、老獪(ろうかい)なプーチンがすんなりと金正恩の要求を全部聞いてくれなかったのは確かなようだ。つまり、プーチンが北朝鮮との「蜜月」ぶりを演出したのは、当面ウクライナ戦場で必要な武器弾薬を確保するためではあったが、それより中国、アメリカ、東アジアを混乱に陥れようとする大戦略の一環だったとみるべきだろう。そのような意味において北朝鮮とロシアの軍事協力関係の強化は日本にとって対岸の火事ではない。

 

 


《おかべ よしひこ》

1973年兵庫県生まれ。博士(歴史学)、博士(経済学)。神戸学院大学経済学部教授、ウクライナ研究会(国際ウクライナ学会日本支部)会長。

2023年10月2日号 週刊「世界と日本」2254号 より

 

古いウクライナと新しいウクライナ

ーウクライナ訪問雑感-

 

神戸学院大学 経済学部教授

 

岡部 芳彦 氏

 

 ロシア・ウクライナ戦争の戦況やロシアの情勢が多く報じられるのに比べれば、ウクライナ国内政局が報じられるのはやや少ないかもしれない。そんな中、9月上旬に、国内の政治バランスを変えかねない出来事があった。

 

 ウクライナ有数の大富豪で「オリガルヒ(寡頭(かとう)資本家)」の一人であるイーホル・コロモイシキーが詐欺やマネーロンダリングの疑いで2カ月の勾留を命じられた。

 ユダヤ系であるコロモイシキーは2014年のマイダン革命後、政権の求めに応じて、ドニプロ州知事に就任、ロシアと戦う義勇兵大隊に資金を提供した。一方、2021年にはアメリカ政府が知事時代の汚職を理由に制裁対象にしている。彼が大株主である1+1チャンネルでゼレンスキーが大統領役を演じたドラマ『国民の僕』が放映されていたため、2019年の大統領選挙では、対立候補のポロシェンコ大統領(当時)から「コロモイシキーの操り人形」と攻撃された。

 

 今回のコロモイシキーへの捜査は、今まで「ウクライナはネオナチ国家」と主張してきた陰謀論者には都合が悪い。2014年以来の「ネオナチの親玉」であるユダヤ系オリガルヒがゼレンスキーを支えているという構図が完全に崩れてしまうからである。

 そんな中、筆者は久しぶりにウクライナを訪問した。日本政府が退避勧告を出す中、訪問を決めたのは、ウクライナ版ダボス会議と言われるヤルタ・ヨーロッパ戦略会議(通称YES)への招待と、ウクライナ最高会議(国会)が6月に筆者に最高位の表彰である「名誉章」の授与を決定し、その受章式の招待を受けたからである。

 

 ウクライナも普通に飛行機で行けた頃にくらべ非常に遠くなった。詳細は書けないが、往路はポーランドの東部の駅から、YES会議に参加するアメリカの下院議員や、ポーランドの政治家とともに特別列車でキーウに着いた。YES会議の基調講演者はゼレンスキー大統領で、そのほかにもオレーナ夫人、シュミハリ首相、ブダーノフ情報総局長をはじめとする数多くの閣僚や軍人がパネリストとして参加した。

 今回の会議の主催は、ICTVなどの有力メディアのオーナーとして知られ、ウクライナを代表するオリガルヒとされるヴィクトル・ピンチュークの財団である。一方、ピンチュークは慈善活動にも熱心で、ライフワークの現代芸術家の支援に加え、奨学金財団を運営し、ウクライナ人の若者を欧米の大学院に留学させて人材育成に努めてきた。その中からは政界入りした者も多く、今回の会議の質疑でもネイティブスピーカーなみの英語で答える場面も見られた。こういった取り組みの有無が、コロモイシキーや他のオリガルヒと明暗を分けたのかもしれない。

 

 今年1月、元最高会議会議外務委員長で、市民活動家として有名なハンナ・ホプコ氏らNGOに属する5名が来日し対話する機会を得た。そのほとんどが20代後半から30代で、外交政策の立案から汚職対策に高い専門性を持っていた。かつてソ連の賄賂文化や非効率な社会経済システムを引き継ぎ政府や政治家の汚職が蔓延(はびこ)ったウクライナでは、2014年のマイダン革命を経て、若い世代を中心とする市民社会が主役となりつつあることを実感した。

 一方、ロシア・ウクライナ戦争下では、市民社会ならではの「格差」が生まれている事例も見受けられた。現在、ウクライナの前線で戦う部隊の装備は、多かれ少なかれ市民の寄付によって支えられている。国民的人気の高い「アゾフ大隊」の募金箱はちょっとしたカフェに置かれ、世界遺産ソフィア大聖堂の前には同部隊の戦死者の経歴を書いたポスターが立ち並ぶ。寄付を集めるのがうまい部隊の装備は充実するだろうが、不得手な部隊では、そうはいかない。

 

 そんなギャップを埋めるべく、立ち上がった人物もいる。人気の芸能人セルヒー・プリトゥーラだ。戦争初期には、軍に志願する一方、慈善財団を作り、自分の知名度を生かして募金を集め、前線の部隊にドローンや物資を送ってきた。自分の長い髪の毛を切って寄付した少女も現れたことも話題となった。ドローンなどを届けられた部隊からは感謝の動画の投稿が相次いでいる。今回、プリトゥーラ氏と会談し、財団の倉庫などの施設を見学する機会を得た。なるほど筆者も身構えるほどのイケメンだが、かといって気取った雰囲気はなく気さくに接する。前回の最高会議議員の候補となるなど以前から政治家への転身を考えていたプリトゥーラだが、今はボランティア活動を全面に押し出し、政界進出の空気すら見せていない。ただ、かつてゼレンスキーもそうだったように芸能界から政界入りがあり得ないわけでもない。また、彼の財団のスタッフとも話したが、有能な若者が多かった。このような動きもまたウクライナの分厚い市民社会の一例といえよう。

 

 兵庫県のウクライナ復興検討会の座長をしていることもあり、カウンターパート州である西部のイヴァノ=フランキウシク州を訪問した。同地は、一見、戦争とは全く無縁の別世界で、以前と変わらぬのどかな雰囲気である。一方、同州南部で焼き物の町として知られるコシウを訪れたときのことである。市役所の前にはキーウと同じく戦死者の写真が立ち並んでいた。訪問した日は、今回の戦争の帰還兵たちが追悼集会を行っていたが、彼らの独特の雰囲気に気が付いた。戦地で地獄を見た者同士の連帯感とでもいおうか。まだ彼らは政治集団化していないが、帰還兵たちは、戦後、政界になんらかの影響を持つのかもしれないと感じた。

 なかなか終わりの見えない戦争の行方だが、その熱気が冷めた後の、ウクライナ国民の感情はまだ見えてこない。ゼレンスキーの戦時の功績を高く評価するかもしれないし、あるいは刷新を求める新たな声が沸き起こるかもしれない。ただ、一つ言えるのは、ウクライナ社会が総じてロシアに加えて、かつての旧ソ連の悪弊や「古いウクライナ」との決別を志向していることである。そのカギを握るのは汚職にまみれた政治家やオリガルヒではなく、ウクライナの若い市民社会、「新しいウクライナ」であるのは間違いない。

 

 


《むらた こうじ》

1964年、神戸市生まれ。同志社大学法学部卒業、米国ジョージ・ワシントン大学留学を経て、神戸大学大学院博士課程修了。博士(政治学)。広島大学専任講師、助教授、同志社大学助教授を経て、教授。この間、法学部長・法学研究科長、学長を歴任。現職。専攻はアメリカ外交、安全保障研究。サントリー学芸賞、吉田茂賞などを受賞。『現代アメリカ外交の変容』(有斐閣)など著書多数。

2023年9月4日・18日号 週刊「世界と日本」2252・2253号 より

 

『世界秩序の転換点をどう捉えるか』

―米中ロ戦略的三角形の変容―

 

同志社大学法学部教授

 

村田 晃嗣 氏

 

 今や、米中ロの戦略的三角形が大きく変動している。この事態は、1970年代を想起させる。

 1971年7月に、アメリカのリチャード・ニクソン大統領は、翌年に中国を訪問すると発表した。日本政府にとっては、まさに寝耳に水であり、ニクソン・ショックと呼ばれた。これを契機にして、対米協調路線を最重視した佐藤栄作首相の長期政権は幕を閉じた。長引くベトナム戦争を終わらせるために、北ベトナムに多大な影響力を持つ中国を利用する—これがニクソン政権の思惑であった。他方で、かつては中ソ一枚岩と呼ばれた中ソ関係は悪化の一途を辿(たど)っており、中国は対ソ牽制(けんせい)のためにアメリカとの関係改善を必要とした。こうして米中関係が改善する中で、米ソ関係もデタント(緊張緩和)を何とか維持していた。従って、米中ソの戦略的三角形では、アメリカが最も有利な立場にあった。ニクソンやヘンリー・キッシンジャーによるしたたかな現実主義外交の成果であった。

 

 やがて、アメリカは大きな犠牲を払いながらベトナムから撤収し、ニクソン大統領はウォーターゲート事件で弾劾寸前に追い込まれて辞任した。その後は、ジェラルド・フォードやジミー・カーターが登場してアメリカの団結を説いたが、国内の混乱と自信喪失は治まらなかった。こうしてアメリカが弱体化、内向化したと見るや、ソ連はアフガニスタンに侵攻するなど冒険主義に打って出て、デタントは破綻した。このアフガニスタン侵攻は、ソ連にとってのベトナムになり、長期化してソ連帝国の崩壊を準備することになった。ウラジーミル・プーチンによれば、「20世紀最大の地政学的悲劇」である。

 

 今日のアメリカも、アフガニスタン、イラクでの長い戦争に倦(う)み疲(つか)れ、ドナルド・トランプ前大統領は二度も弾劾に直面し、今でも多くの訴訟を抱えている。すべてで有罪判決が下されると、トランプは最大で懲役700年以上を課されることになる。とはいえ、ジョー・バイデン大統領も高齢で、アメリカの団結を説きながら、やはり短命に終わる可能性がある。アメリカの混乱を横目に、中国はますます拡張主義的になり、ロシアは2022年2月にウクライナに侵攻した。長期化すれば、ロシアにとって第二のアフガニスタンになるかもしれない。

 

 1970年には、ソ連の経済力はアメリカの4割に及んだ。しかし今日では、ロシアの国内総生産(GDP)はアメリカの7%、中国の10%にすぎない。ロシアの人口も中国の1割である。また、ロシアのGDPは韓国より小さく、ロシアの貿易総額は台湾のそれを下回る。こうして、ロシアは中国のジュニア・パートナーに成り下がった。

 

 米中ロの戦略的三角形は、アメリカ対中ロという構図になっており、1970年代とは異なり、アメリカに不利である。しかも、中国のGDPはアメリカの7割に及び、かつてのソ連よりもはるかに手ごわい。その上、中国は核軍拡にも邁進している。日本の標榜する「核兵器のない世界」とは程遠く、われわれはむしろ「軍備管理のない世界」に生きている。米ロに比して、中国の核戦力はまだ小さいが、北京は核弾頭を現有の410発から2030年には1000発に、さらに35年には1500発に増強しようとしている。そうなれば、核戦略の世界も米ロの二極体制から米中ロの三極体制に移行する。戦略上の計算は2倍ではなく、3倍複雑になる。

 

 米中ロの戦略的参加系の変化に、アメリカはどう対応すべきか。もとより、簡単な答えなどない。

 まず、同盟諸国との公式・非公式の同意調達に努め、それをグローバル・サウスに拡大しなければならない。冷戦期の発展途上国よりも、今日のグローバル・サウスのほうが、はるかに大きな経済力を持ち、さらなる潜在力を有している。世界経済に占める途上国の割合は、1990年に20%であったものが、今日では40%である。彼らにとって、中国のほうがより安易な同伴者たり得ようが、グローバルな諸課題に向き合うには、アメリカとその同盟諸国のほうがより安定し信頼に足る同伴者であることを、説得しなければならない。中ロが語る多極構造は弱肉強食の世界であり、アメリカとその同盟諸国は力と利益と価値の共有を求めている。そう説得するためには、グローバル・サウスの多様な声に耳を傾けなければならない。そこで日本の果たす役割は大きい。

 

 また、アメリカは中国やロシアと常に一定のコミュニケーション・チャネルを維持し続けなければならない。あるいは、それは長い「陰気なデタント」になるかもしれない。1970年代のソ連脅威論が嘘のように、ソ連帝国は1991年にあっけなく崩壊した。中国の経済成長も鈍化しており、その合計特殊出生率は1・3にまで落ち込んでいる(国連は1・2に推定している)。このままでは、今世紀の末までに中国の人口は半減する。他方で、アメリカの人口は2100年には4億人に達する見込みである。われわれは「強い中国」の脅威のみならず、脆(もろ)い中国」の脅威も分析し、それに備えなければならない。また、ウクライナ戦争後に、ロシアをどのように国際社会に迎え入れるのかについても、周到な準備が必要である。

 

 さらに、こうした外交努力を内政に連動させる工夫が必要である。長い「陰気なデタント」や大国間競争の時代を走り抜くには、国内の団結と安定が不可欠である。また、それなしに国際的な信頼の回復もない。かつて、超大国アメリカは第二次世界大戦後の国際秩序の「創造に立ち合った」(ディーン・アチソン国務長官)。ウクライナの戦後復興についての国際協力は、新たな「創造への立ち合い」であり、あるいは、アメリカの民主主義にとっても「リハビリ」効果を持つかもしれない。第二次大戦後に、アメリカの支援を受けて、敗戦国ドイツや日本はみごとに復興を果たした。アメリカのよき同伴者として、ウクライナ復興に日独は然るべき役割を果たさなければならない。米中ロの戦略的三角形をアメリカに有利な形に修復する意味では、それは重要な使命であろう。

 


《みつい みな》

1967年生まれ。一橋大学卒業後、読売新聞に入社。ブリュッセル、エルサレム、パリ特派員を歴任。2016年、産経新聞に入社。17年からパリ支局長。近著は「敗北は罪なのか オランダ判事レーリンクの東京裁判日記」(産経新聞出版)

2023年8月21日号 週刊「世界と日本」第2251号 より

 

『欧州外交、 チャンス到来』

 

産経新聞パリ支局長

 

三井 美奈 氏

 

 欧州では、かつてないほど日本への期待が高まっている。北大西洋条約機構(NATO)は7月、日本との安全保障協力を格上げすることを決めた。欧州連合(EU)も日本を「インド太平洋で最も緊密な戦略的パートナー」と位置付ける。欧州はようやく、中国に対する警戒感を日本と共有し始めた。日本にとっては、欧州外交のチャンス到来といえる。

 

◇日本を厚遇

 今年5月、ストックホルムでEUのインド太平洋閣僚会合が開かれた。議長国スウェーデンのカール16世グスタフ国王、ビクトリア皇太子が中央に臨席し、向かって右隣に林芳正外相が座った。約60の参加国の中で、いかに日本が重んじられているかの表れだった。林外相は演説で「中国は力による現状変更の試みを強めている」と明言し、日欧連携の重要性を訴えた。先進7カ国(G7)広島サミット開幕の6日前のことだ。

 フランス人の元東京特派員からは、「日本は変わった。以前は米国の影に隠れる『チワワ』のような存在で、中国を名指しで批判するなど考えられなかった」と言われた。彼は岸田政権が計画する防衛費増額にも触れ、「インド太平洋の安定につながる」と評価した。

 私は新聞社の特派員としてブリュッセルに赴任して以降、25年間欧州政治を追う中で、「日本を見る目が変わった」と実感する。日本の防衛費増強は、一昔前なら「中韓の不安を煽る」と欧州メディアに叩かれただろう。いまの日本は「アジアと欧州の民主主義をつなぐ礎石」と見なされ、EUと欧州各国は日本との関係強化を目指している。日本が米欧と価値観を共有する、というだけではない。米中間に位置する経済大国で、これほど政治が安定している国はほかにないからだ。

 日本を頼りにするのは、米中対立のはざまで「欧州の立ち位置」が定まっていないという事情もある。

 欧州主要国はいずれも米国の同盟国だが、米国が中国との対決色を深めるのを不安な思いでみている。中国が軍備を増強し、ロシアと関係を深めるのを警戒しながら、米国のデカップリング(経済切り離し)には同調できない。日本との関係を通じて、民主主義圏の「柔らかな対中封じ込め」に加わるのが妥当な選択と映る。それは、「自由で開かれたインド太平洋」を守るために、経済や安全保障で連携することだ。

 ある日本人外交官は「『インド太平洋』という概念を生み出したのは、戦後の日本外交で最大のヒット」と言った。2007年、安倍晋三首相(当時)が「インド洋と太平洋という二つの海の交わり」を提起したことは、大きな外交資産となった。

 EUは21年、初のインド太平洋戦略を策定した。トランプ米政権時代、米欧同盟に亀裂が入り、欧州独自の中国外交が必要だと認識されるようになった。ロシアのウクライナ侵略で、インド太平洋戦略はますます重要になった。中露の連携でウクライナと台湾の危機が重なり、最近の欧州メディアでは「台湾有事に、欧州はどうすべきか」が真剣に論じられている。

 7月、リトアニアでNATO首脳会議が行われた際、フランスのマクロン大統領は「日本はウクライナの戦争が、欧米だけのものではないと示してくれた」と謝意を示した。

 

◇「中国」で温度差

 一方で、欧州の中国政策は足並みがそろっていない。英独仏の3大国の方針には大きな温度差があり、それぞれに危うさをはらむ。

 英国はEU離脱後、外交構想「グローバル・ブリテン」を発表し、インド太平洋への関与を掲げた。米国、オーストラリアとともに安全保障枠組み「AUKUS」も結成した。だが、足元の欧州では孤立は深め、発言力は低下するばかり。フランスは、ニューカレドニアなど海外領を抱える太平洋国家だが、AUKUS、クアッドといった米主導の安全保障枠組みに加わろうとしない。米国と一線を画すドゴール外交にこだわり、中国とも関係を探ろうと綱渡りをしている。

 ドイツはショルツ政権が7月に中国戦略を発表し、メルケル前政権時代の「中国重視」外交を転換すると意気込んだ。現実には、ドイツ経済を支える自動車産業は、中国の巨大市場なしにやっていけない。

 英仏独は、それぞれ不安を抱え、日本との関係に期待をかける。次期戦闘機の開発計画で、英国は仏独とは組まず、日本とイタリアを相方に選んだ。ショルツ独首相は就任から1年半で、2度も日本を訪れた。フランスは今年7月、主力戦闘機ラファールを日本に派遣し、自衛隊との協力を通じて「中国に甘い顔をしているわけではない」と示そうとした。

 

◇混沌は好機に

 欧州はリーダー不在の状況が続く。ウクライナ支援を通じて、米主導のNATOが安保の主役として復活し、欧州政治の主役だった西欧の地盤沈下は否めない。EUでは、独仏2大国の関係がぎくしゃくし始め、親米の東欧ポーランド、バルト諸国が発言力を強める。一方で、独自の核兵器を持ち、域外に緊急展開できる実力部隊を持つのは、欧州では英仏2カ国だけだという現実は変わらない。ある駐ブリュッセル外交官は「欧州政治は以前、英独仏3大国の動きで決まった。いまは意思決定の過程が見えづらくなった」と話した。

 だが、日本にとって、混沌とした欧州は悪くない。英独仏をそれぞれ、インド太平洋の安保協力に引き込むことができる。欧州全体を動かすには時間がかかるが、各国別ならスピーディに具体的な協力策を決められる。英独仏がインド太平洋への関与を深めれば、結果として、欧州全体の外交方針を動かす原動力になる。

 そのためには、まず日本がウクライナ支援で、欧州に目に見える貢献をすることが重要だろう。ウクライナ支援を通じて、欧州は大きく変わった。ドイツは「紛争地に殺傷武器を送らない」の原則を破り、ウクライナに戦車を送った。スウェーデンやフィンランドも、軍事中立の伝統を破り、支援に加わった。日本はどこまで踏み込めるか。知恵を絞ることが、今ほど問われたことはない。

 


《みのはら としひろ》

1971年生まれ。神戸大学大学院法学研究科教授。専門は、日米関係・国際政治・安全保障。カリフォルニア大学デイヴィス校を卒業後、98年に神戸大学大学院法学研究科より博士号(政治学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、神戸大学法学部助教授を経て、2007年より現職。19年よりインド太平洋問題研究所(RIIPA)理事長に就任。清水博賞、日本研究奨励賞を受賞。

2023年8月7日号 週刊「世界と日本」第2250号 より

 

ウクライナ戦争の行方と日本の取るべき行動:

「1917年モーメント」を事例に

 

神戸大学大学院法学研究科教授
インド太平洋問題研究所(RIIPA)理事長

簑原 俊洋 氏

 

 一昨年の11月15日(2209号)に本紙に寄稿した際、日本ではコロナ禍は峠を越え、国内情勢は平常化へと向かいつつあるものの、これとは逆に国際情勢はより波乱に満ちた厳しいものになっていくであろうと書いた。残念ながら、懸念は的中した。多くの内外のロシア専門家は、プーチン大統領によるウクライナ侵攻はあり得ないと断言したものの、筆者には、これら有識者は自らの価値観に基づく〈合理性〉を無意識のうちにプーチンという独裁者に重ね合わせた結果の、誤謬(ごびゆう)に基づく結論を出したとしか映らなかった。

 

 筆者は、こうした状況に対して2021年末から警鐘を鳴らし、2022年1月31日にJapan  Forward[https://japan-forward.com/situation-report-looking-at-ukraine-and-its-implications-for-japan/]でプーチンはウクライナに侵略する覚悟を決めていると主張した(こちらを簡潔にした邦語版は、1月23日付『産経新聞』のコラム「揺らぐ覇権」に掲載)。事実、その約1カ月後にロシア軍はウクライナ領土内に雪崩込み、欧州での第二次世界大戦以降、最大の戦争が勃発したのである。ウクライナ軍による勇猛な防戦により、キーウは陥落(かんらく)を免れ、電撃作戦で戦争を一気に決着させようとしたプーチンのもくろみは崩れ去った。国家の命脈を保てたウクライナ軍は、目下、西側諸国から提供された戦車や装甲車を用いて反転攻勢に出ているが、堅固な防衛陣地を築く猶予を与えられたロシア軍に対する進捗は決して芳しくない。

 戦争では奇蹟などめったに起きず、勝利の女神は勝つべきものにしか微笑えまない。つまり、最終的に勝つのは国力が勝る方である。国力の定義はいろいろあるが、一般的には経済力(GDP等)、経済効率性、そして軍事力と理解されよう。これを踏まえれば、経済力と軍事力でロシアがウクライナを凌駕(りょうが)しているのは一目瞭然である。経済力では実に10倍であり(これは太平洋戦争勃発時での日米の差と同程度)、軍事力ではロシアはNBC兵器(大量破壊兵器:核・生物・化学の各兵器)を持つ上に、総動員した場合、約170万人の兵力を投入できる。他方のウクライナは現時点ですでに国家存亡のために総力戦で臨んでおり、余力がまだ十分のロシアとは様相は大きく異なる。それゆえ、普通に考えれば、西側諸国による軍事的・経済的援助によってウクライナの継戦能力はある程度維持できたとしても、ロシアに勝利するシナリオはなかなか見えてこない。

 ならば、ウクライナは敗北を宿命として受け止め、ただただ絶望するしかないのか。否、対ロシア勝利が射程に入る二つのシナリオが考えられる。筆者は、その事例を「1917年モーメント」と呼ぶ。欧州はまさしく未曽有の大戦の最中にあった。この年、二つの重大な出来事が起きた。まずは、3月にロシア革命が起こり、翌年ロシアは第一次世界大戦から離脱した。次いで、4月に米政府が対独宣戦布告を行い、第一次世界大戦への介入を決めた。

 これらを現在のウクライナ戦争に当てはめると、最初のシナリオは、プーチンに対する武装蜂起ないしクーデターによってロシアが内部崩壊を来すことを意味する。これによってウクライナに勝利が転がり込む。もう一つのシナリオは、米国の参戦を意味し、これによってウクライナは力づくで勝利を手にすることが可能になる。バルト諸国や東欧の専門家の圧倒的多数は、前者によって戦争は決着すると予想する。事実、先日ワグネルを率いるプリゴジンによる反乱はあったが、最終的に頓挫した。これによってプーチンの権力基盤が弱くなったという見方もあるものの、プリゴジン派を粛清するなど反乱分子を一掃すれば却って彼の権力基盤は強化され、かつ彼らを抹殺すれば、独裁者としての威厳をさらに誇示できよう。そもそも、ロシア革命は日露戦争での敗北を端緒とするが、近年のロシアは2000年のチェチェン、2008年のジョージア、そして2014年のクリミアなど、勝利体験しか有していない。これを踏まえ、筆者はもう一つの「1917年モーメント」によってしかウクライナは最終的に勝利できないと考える。すなわち、米国による直接的な介入だ。

 結局、必要なのは第一次世界大戦中のルシタニア号やツィンメルマン電報のように米国の世論を劇的に変える引き金となる事件の勃発だが、今のところその兆候は全く見えない。ならば、現状のままではロシアが勝利すると考えるのが合理的であろう。

 だが、法による支配が有名無実化し、武力によって現状変更が可能となる戦後世界—これぞパクス・アメリカーナの終焉—を迎えることを、日本は〈是〉とするのか。普通に考えれば、これが日本の国益を棄損させるのはいうまでもない。なぜならば、こうした時代が到来すれば、中国はより果敢に動き、台湾への侵攻のみならず、新たな世界秩序の擁立に向けて本腰を入れて米国に挑戦していくのは必至だからである。

 つまり、サハリン2からの撤退、水産物の禁輸を含む対ロシア経済制裁の強化に限定されず、弾薬及び自衛隊ではもはや不要の多連装ロケットシステム(MLRS)や203ミリ自走榴弾砲(M110A2)などの装備品の提供を真剣に模索すべきである。悲しいことに、日本はサハリン2からの配当金の人民元での支払いに同意し、水産物に至っては、昨年は過去20年での最高額となる1552億円にも達した。日本からロシアへの中古車の輸出台数も記録を更新しており、欧米と足並みを揃えてロシアとの経済関係を本気で断とうとしない日本の姿が浮き彫りとなる。

 でも、こうした曖昧な姿勢で本当にいいのか。中ロが接近している今、欧州情勢とアジア情勢が相互にリンクするのは自明の理であり、ウクライナ戦争で安全保障の現実が一夜にして厳しくなったバルト諸国やポーランドのように、日本も近い将来、中国の台湾侵攻によって同様な状況に置かれる可能性は否定できない。明日は我が身と捉え、より大局的な観点から国益を担保できる政策を追求すべき時が来ているのではなかろうか。

 

 


《しまだ よういち》

1957年大阪府生まれ。専門は国際政治学。主に日米関係を研究。京都大学大学院法学研究科政治学専攻課程を修了。著書に『アメリカ解体』、『三年後に世界は中国を破滅させる』(共にビジネス社)など。最新刊に『腹黒い世界の常識』(飛鳥新社)。

2023年7月17日号 週刊「世界と日本」第2249号 より

 

これからの米国政治を読み解く

 

福井県立大学名誉教授

島田 洋一 氏

 

 ラーム・エマニュエル駐日米国大使が、LGBT差別禁止法案を成立させよという執拗な働き掛けを日本の政財界に続け、日本の保守層を中心に「内政干渉」だとする強い怒りの声が湧きあがった。

 岸田首相が大使及び大使と連動した公明党の圧力に屈し、LGBT理解増進法(活動家利権法の様相が濃い)の成立を自民党に指示したことで、エマニュエル氏は「日本 与(くみ)しやすし」と自信を深め、益々、米民主党のイデオロギーに即した活動を活発化させる構えである。

 岸田政権が「日本のことは日本で決める」という毅然(きぜん)たる態度を今後とも取れないようなら、保守層の反発はそれに応じて高まるだろう。日米関係の健全な発展にとって憂慮すべき事態と言わざるを得ない。

 ところでエマニュエル氏の圧力は「アメリカの圧力」ではない。あくまで米民主党の圧力である。

 本国アメリカでは、民主党が提出した包括的なLGBT差別禁止法案に共和党が一致して反対する状況が続いている。のみならず、女性の保護や、児童を行き過ぎたトランスジェンダー・イデオロギー教育から守る等の観点から、保守派による巻き返しの動きが活発化している。両派のせめぎあいは、近づく大統領選も絡んで、ヒートアップする一方である。

 党派性が明らかな活動家的大使に振り回されて、アメリカの「文化戦争」を安易に輸入し、日本国内に無用の亀裂を生じさせるのは、控えめに言っても賢明ではない。

 正しく対処するには、米国内の状況を正確に、バランスよく理解しておかねばならない。その必要が今ほど高まった時はないと言える。

 近年、毎年6月は、アメリカを中心としてLGBTコミュニティへの理解と支持を様々なイベントを通じて示す「プライド月間」とされている。

 大リーグ野球(MLB)の各チームも球場を舞台とした何らかのセレモニーを行う中、テキサス・レンジャーズのみがあえて何もしない姿勢を保っている。

 民主党系メディアからの批判的質問に対し、球団側は次のように答えている。

 「我々の基本姿勢は、レンジャーズの野球において、誰もが仲間として歓迎されていると感じてもらうことにある。そのことはわが球場の全試合において実践しており、職員の雇用においても何ら差別はない。プライド月間だからといってLGBTに焦点を当てた特別のイベントを行う必要はないと考えている」。

 保守的な共和党員が多い州だけに、ファンの多くも球団のこの姿勢を支持している。同州の有力保守系団体テキサス・ファミリー・プロジェクトの声明は次のように言う。

 「日々の生活のあらゆる側面に性的色合いを付けようとする反家族的左翼の試みが勢いを増すにつれ、反発の動きも強まっている。人々は、企業がLGBTを前面に押し出した商法を展開することにうんざりしている」

 さらにこう付け加えている。

 「人々はただ野球を見たいだけだ。大部分のファンにとって、性的指向を褒め称える傾向に立ち向かうレンジャーズの決定は一陣の清風だ。多くの家族は、他人の性の露出に子供たちが晒(さら)される事態を憂慮することなく、球場の一日を楽しむことができる。他の球団もレンジャーズの驥尾(きび)に付(ふ)すことを願う」

 ちなみにレンジャーズは6月下旬現在、大谷のエンジェルスその他を抑えて、ア・リーグ西地区首位を走っている。

 LGBT利権法の成立によって、日本企業にも「LGBTを理解し支持している姿勢」を見せるよう様々なプレッシャーが掛かってこよう。レンジャーズの対応とファンの反応は、1つの参考例となるのではないか。

 「LGBT外交」に関しても、エマニュエル大使に体現される民主党と共和党では180度違うと言ってもよい。

 トランプ政権で国務長官を務めたポンペオ氏は、今年1月に出した回顧録『一歩も譲らず』に次のように記している。

「私は国務省の人権関係部局が、インクルージョン・コミッサール(多様性受け入れを迫る人民委員)の様相をますます強めていることに危惧の念を抱いた。進歩派的観念を、それを欲しもせず、必要ともしない世界に無理やり押し付けようとしている。国務省の人権政策は、アメリカの建国理念と憲法の伝統の範囲から逸脱すべきではない。国際NGO産業複合体が次々に作り出す『権利』の隊列に与してはならない」

 正論だろう。対して民主党バイデン政権は、LGBT特使を新設し、インクルージョン・コミッサールとして国際活動に従事させている。現職のジェシカ・スターン氏は長くLGBT関係NGOの事務局長を務めていた活動家だが、2月初旬、岸田首相の秘書官が「ホモ嫌い」失言をした直後に来日し、エマニュエル大使と共にLGBT差別禁止法を早く作るよう政界各所に圧力を掛けて回った。

 日本は外圧に弱いと見れば、米民主党のみならず、中国、北朝鮮、ロシアなども恫喝のレベルを上げてこよう。気概なき自民党幹部らの責任は重大である。

 現在、共和党側で米大統領選に名乗りを上げている有力候補らは、おしなべて、LGBT問題を含む文化戦争において、バイデン民主党とほぼ真逆の態度を取る。

 特に支持率目下2位のロン・デサンティス・フロリダ州知事は、実践面でも反「ウォーク(意識高い系)」の闘士として鳴らしてきた。気候変動問題でも、民主党的な脱炭素原理主義を排し、経済発展を重視する立場である。

 筆者は、5月初めに訪米した際、政策面における事実上のトランプ選対本部と言われるアメリカ第一政策研究所を訪れ、外交分野の責任者で旧知のフレッド・フライツ(トランプ政権でNSC事務局長を務めた)と意見交換した。

 政策面では、トランプ陣営とデサンティス陣営の間にほとんど違いはないことを再確認できた。また、トランプ氏自身は、最大の党内ライバルと見なすデサンティス批判のトーンを上げているが、政策ブレーンの間では「デサンティスも仲間」という意識が強いことも発見できた。トランプ氏の日々の刺激的言動に捉われず、共和党の底流の動きを見る必要がある。

 特にエネルギー問題では、バイデン政権の脱炭素プレッシャーを「アメリカの圧力」と決して捉えてはならない。

 

 


《あらき のぶこ》 

昭和38年生まれ。横浜市立大文理学部国際関係課程卒。筑波大大学院地域研究研究科・東アジアコース修了。最新刊は『韓国の「反日歴史認識」はどのように生まれたか』、共訳書『親日派のための弁明』など多数。

2023年7月17日号 週刊「世界と日本」第2249号 より

 

「韓国の反日歴史認識を読み解く」

 

韓国研究者 

荒木 信子氏

 

 今年春以降、尹錫悦(ユン ソン ニョル)政権が戦時労働者問題への解決策を示し、日韓関係が「戦後最悪」の状態を脱したと言われる。果たしてそうなのか。

 現在の日韓関係を理解する上で韓国の「反日歴史認識」を今一度考えて見ることは重要である。以下、拙著『韓国の反日歴史認識はどのように生まれたか:終戦から朝鮮戦争までの南朝鮮・韓国紙から読みとく』(草思社)を書く中で得られた発見や結論を織り込みながら論じてみたい。

 

容易には変わらない歴史認識

 

 今回の韓国側の動きによって、戦時労働者問題が消えた訳ではない。韓国側が積極的に解決に乗り出した形となっているが、将来、日本企業がいわれなき責任を追及される危険が残っている。

 前の文在寅(ムン ジェ イン)政権の時期と比べれば「改善」と言えるかも知れない。しかしこれは韓国の現政権が北朝鮮の脅威を重視し、戦時労働者問題など歴史問題よりも優先するという韓国側の都合でもたらされたものである。

 重要な点は保守政権と言っても対日歴史認識は左派と大きく変わるわけではないことである。李明博(イ ミヨン バク)政権や朴槿恵(パク ク ネ)政権を思い出してもわかる。尹錫悦大統領の対日歴史認識は三一節の演説や歴史に関わる発言をみても韓国人一般と同じ範囲にあると考えられる。

 どのような国にも方針や政策に変遷はあるし、自国の都合で動くのは当然のことである。問題は韓国の場合、その変化のスパンが短く、ブレ幅が大きい。協定や合意事項など大きな約束事もひっくり返す。韓国の一部の人々は日韓併合条約(一九一〇年)さえ無効だと主張するほどである。

 

周辺の関係国も視野に入れて

 

 さて、韓国の反日歴史認識を考える時、忘れてならないのが利害の絡む周辺国の存在である。日韓の歴史認識問題は日本と韓国の二国間だけで考えがちであるが、周辺の国や勢力との関係を抜きに考えられない。外国勢力の影響を受けたり引き入れたり、あるいは国内の政争に結び付けたりするのである。

 日本が朝鮮を統治した時期は、戦争の時代であると同時に共産主義が勃興した時代であった。日本統治下の朝鮮に対し、交戦相手である国民党、米国、そして共産主義勢力であるソ連、中共、朝鮮内の共産主義者が朝鮮の民族感情を利用しつつ工作を繰り広げた。一方で内外に居住する朝鮮人活動家もこれらの外国勢力とそれぞれ結び付いていたのである。

 こうしたことは朝鮮総督府の治安資料に書かれているが、戦後の日本人は血と汗で得られた朝鮮での体験を「悪」として封印してしまい、自分たちの時代に活かすことをしなかった。

 戦前においても反日で立場を共有する、先述した国々や勢力が虚像の朝鮮統治像を広めた。戦後、内地の日本人が朝鮮事情をよく知らないことや日本で広がった贖罪意識と結び付いて、韓国の反日感情は日本側に非があると考える傾向が久しく続いてきた。

 見落とされがちな点としてもう一つ挙げるなら、戦後間もなく朝鮮半島南部を統治したのが米軍政だったことである。占領開始間もない一九四五年九月中頃から日本において進駐軍は日本メディア統制を徹底し日本軍の「残虐性」を報じさせた。その一例として同年一二月には新聞連載「太平洋戦争史」などを通じて、日本人に戦争犯罪国のレッテルを貼り日本国民に罪の意識を持たせようとしたことは、既に多くの研究によって指摘されている。

 こうした日本メディアへの統制、「戦犯」報道、天皇とマッカーサーの会見、人権指令やそれに伴う東久邇(ひがしくに)内閣総辞職など、いわば日本帝国を改変しようとする動きは日本国内の新聞同様に南朝鮮(韓国政府が発足する前の米軍政期)の新聞でも逐一報じられていた。こうした報道は南朝鮮内の優勢になりつつあった反日歴史認識を後押し、あるいは権威づけした可能性がある。

 

歴史的に強い中国との関係

 

 ところで先述の通り、現在の韓国は北朝鮮との対抗上、日米と連携を図ろうとしていると考えられる。この日米韓の関係は「反共」に基づき一九四〇年代後半に出来上がって紆余曲折を経ながら現在に至っているが、その当時は中国の存在感は今とは比べものにならなかった。

 伝統的に朝鮮半島の国は中国大陸を支配した政権との関係に苦慮する。二〇世紀はじめに日本が統治していた時期にさえ、地理的、歴史的、経済的近さから中国の影響は様々に及んでいた。終戦直後、南朝鮮の活動家と中国国民党は「反共の絆」と共に「抗日の絆」を強調していた。戦時中に反日活動を共同で行っていたのである。

 視点を現在に移すと、韓国は中国に対して米国とどれほど歩調を合わせるか疑問がある。例えば、半導体をめぐり米国は対中規制を厳しく行おうとするが、半導体大手サムスンは中国に生産拠点を置いており、韓国側は受け入れがたいだろう。

 一九九二年の中韓国交正常化以来、韓国は中国への経済的依存を強める一方、韓国からみて技術、経済など日本の支援を求める場面が減少したことで日本の存在は相対的に小さくなった。歴史認識問題という言葉が大きくクローズアップされたのは一九九〇年代初めと私は記憶しているが、中国の台頭と時を同じくしているのは偶然ではないだろう。

 

日本の対処とは

 

 では、こうした状況に日本はどのように対処すればよいだろうか。

 現在の日韓関係を「改善」とは考えない方が安全ではないかということである。戦時労働者問題は先方が無理筋で持ち出してきた問題であり、彼らが一時的に控えたからと言って日本が有難く思ったり、ましてや関係の進展に前のめりになる必要はない。二〇一八年一二月に発生した韓国海軍駆逐艦による会場自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件は不問に付されたままで「改善」とは言い難い。

 国際関係はロシアのウクライナ侵攻をきっかけに再編されつつあり、東アジアでも台湾問題、北朝鮮の核ミサイル問題に直面している。このような中、日本は韓国の反日歴史認識に注意すべきである。純粋な二国間の歴史問題ばかりでなく、軍事、領土、技術などあらゆる分野において、周辺国との関わりを視野に入れたい。韓国の反日歴史認識は、二国間問題に留まらないのである。

 


《ちの けいこ》 

横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在はフリーランスジャーナリスト。97年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。著書は『戦後国際秩序の終わり』(連合出版)ほか多数。近著に『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)。

2023年7月17日号 週刊「世界と日本」第2249号 より

 

日・ASEAN50年、新しいステージへ

 

ジャーナリスト 

千野 境子氏

 

 日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)は今年が友好協力50周年、ASEAN議長国のインドネシアとは国交樹立65周年、また加盟国ベトナムとも外交関係樹立50周年だ。これほど節目の周年が重なる年はそうそうない。天皇皇后両陛下の即位後初の外国親善訪問も6月、インドネシアご訪問が成功裏に行われた。日・ASEAN関係は今、次の新たなステージへ深化の時を迎えている。

 

 日・ASEAN50周年のキャッチフレーズ「輝ける友情 輝ける機会」は昨年、日本とASEAN加盟国によるコンペで620点の応募から選ばれた。フィリピン人の作品で、文言はもちろん、日本単独でなく全員参加の選出方式も一体感を醸し良かったと思う。

 かつて日本と東南アジアの関係は雁行型と表現された。先頭は日本、東南アジアは後を追う。だが今日、雁行型は経済に於いてさえ過去になりつつある。今こそ名実ともに「対等なパートナー」(1977年、福田ドクトリン)の時代の到来かもしれない。

 4月初めインドネシアを訪れると、ASEAN首脳会議(5月9日〜11日)を前にして首都ジャカルタには建物や通りに2つの標語が溢れていた。

 「ASEAN Matters(ASEANは重要)」

 「EPICENTRUM of GROWTH(成長の中心地)」

 どちらもASEANの今を上手く表現している。前者は最初、世界的に有名になった「Black Lives Matter(黒人の命も重要)」を連想したが、実はインドネシアの練達の外交官、マルティ・ナタレガワ元外相の著書のタイトルからだった。

 ただし本にはASEANは重要か?と疑問符が付く。この問いに標語はASEAN自らが「重要」と答えた形だ。激化する米中対立の狭間で舵取りを余儀なくされ、存在意義を自問自答するようで、なかなか含蓄がある。

 一方後者は対照的に迷いがない。コロナ禍の経済的打撃からも世界に先駆けいち早く抜け出し、アジア開発銀行(ADB)は東南アジアの経済成長率を2023年は4・7%、24年は5%を予測している。国内総生産(GDP)は欧州連合(EU)とはまだ大差があるにしても、人口は大きくリードし、これも「成長の中心地」を自任する所以だ。

 ジャカルタを訪れたのはラマダン(断食)中で、昼間は気だるそうな町が日没後のブカプアサ(断食明け)が近づくと、食事に繰り出す人、車、バイクが雲霞(うんか)の如(ごと)く湧き出て来て、通りやモールを埋めた。日本では絶えて久しいような活力溢れる光景だった。日・ASEAN関係の肝も、このように「成長の中心地」で「輝ける機会」を生かすことではないかと感じた。

 そこで新たな次のステージである。ここではこれまで比較的関係が希薄だった安全保障、特に海洋分野に注目したい。今、東南アジアでゆっくりではあるが、確実に起きつつある変化はまさにそこにあると考えるからだ。

 9月、ASEANは1967年の創設後初めて合同軍事演習を行う。6月初めバリ島で開いた国軍司令官会合の後、議長であるインドネシアが明らかにしたもので、演習場所は近年、中国の海警局船などが進入、ホットスポットになりつつある南シナ海南端・北ナトゥナ海のインドネシアの排他的経済水域(EEZ)だ。ただ「演習に陸海空は参加するが、海上警備や救助訓練に重点を置く」(イ軍司令官)という。

 中国の反発必至な戦闘作戦を含まないのは加盟国の対中温度差を慮(おもんばか)ったと言えるが、そうした中での初の共同演習実施は、ASEANが自ら南シナ海の安全に果たす責任と役割を表明するもので、意義は大きい。

 中でもフィリピンは、首脳会議でマルコス(息子)大統領が南シナ海における比の主権を強く主張、またASEANの長年の懸案で中国が消極的な拘束力を持つ南シナ海行動規範(COC)の早期妥結を求めるなど、親中派ドゥテルテ前政権との違いが顕著だ。6月には日米比3カ国で防衛・安保能力強化のための新たな枠組みを設置、初の日米比安保高官会合も開いている。

 こうした変化は日本側の変化とも呼応している。新たに導入された「政府安全保障能力強化支援(OSA)」もその1つで、政府開発援助(ODA)では出来ない防衛装備品の無償供与やインフラ整備などを行い、比にも早速適用されている。

 ただ対象となる「同志国の定義は特にない」(松野博一官房長官)というのはどうだろうか。誤解や禍根を生まぬよう日本は基準を明確にし、相手国との密な協議も必要だ。

 カギとなるのは日米が中心となって進める「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想とASEANによる「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」の推進である。ASEANの一部には当初、FOIPを中国包囲網と懸念する声もあったが、両者は法による支配を始めとして多くの原則を共有しており、決して対立矛盾するものではない。

 またFOIP策定を主導したインドネシアのルトノ・マルスディ外相は「平和で安定し、国際法を強調し、包括的協力を優先するインド太平洋は、ASEANが成長センターとなる鍵」と述べ、AOIP実施を議長国の最優先事項としている(外相発言は紀谷昌彦ASEAN日本政府代表部大使の講演録より引用)。

 地図を見れば一目瞭然のように、インド太平洋の真ん中に位置するのがASEAN諸国である。ASEAN抜きのインド太平洋はあり得ない。日・ASEAN関係は1973年11月、第1回合成ゴムに関する日・ASEAN会議に端を発し、他のどの国よりも早く歴史が長い。日本はASEANとの協働をさらに活発化し、FOIPの深化を進めるべきだ。ASEANも中心性や一体性保持にAOIPはますます重要になるだろう。

 もう1つの50周年である日越関係にも若干触れたい。それはベトナム和平の賜物だった。73年1月、パリで全当事者が同協定に調印、9月に外交関係樹立となった。東南アジアが「戦場から市場へ」(88年、チャチャイ・タイ首相)向かう第1歩だった。

 今年も既に折り返し点を過ぎた。しかし日本とASEANは後半にも重要会議を控えている。第1に東アジアサミット(EAS)のASEAN関連首脳会議は9月4日から11日までジャカルタで開かれ、東ティモールもオブザーバー参加する。ASEANは11カ国体制が射程に入っている。

 第2は12月16日から18日まで東京で開催する日・ASEAN特別首脳会合だ。掉尾(ちょうび)を飾ることが出来るかどうか、次の50年へ向けて日本の東南アジア外交が問われる。

 

 


《おかべ よしひこ》 

1973年兵庫県生まれ。博士(歴史学)、博士(経済学)。神戸学院大学経済学部教授、ウクライナ研究会(国際ウクライナ学会日本支部)会長。日本人初のウクライナ国立農業科学アカデミー外国人会員。ウクライナ内閣名誉章、最高会議章を受章。著書に『本当のウクライナ』(ワニブックスPLUS新書、2022年)、『日本ウクライナ交流史』(神院大出版会、2021、22年)など。

2023年7月3日号 週刊「世界と日本」第2248号 より

 

『ロシア連邦崩壊のプレリュード(序曲)』

 

神戸学院大学経済学部教授 

岡部 芳彦氏

 

 「北コーカサス山岳共和国」をご存じだろうか。ロシア帝国崩壊後に4年ほど、現在のチェチェン、ダゲスタン、オセチア、チェルケス人などの居住地域を中心にジョージア付近に存在したイスラーム系の独立国家である。同じ頃に独立を果たしたウクライナ国民共和国との2国間関係樹立を模索した時期もある。

 

  筆者は、本年5月27日、ウクライナ文化情報政策省戦略コミュニケーション・情報安全保障センター主催のキーウで開かれた「北コーカサス山岳共和国建国105周年国際会議」に基調講演者として招かれた。一見、学術会議に見えるこの会合には、コーカサス地方の反プーチン勢力、ロシア連邦からの分離独立を目指す40余りの少数民族勢力の代表者が勢ぞろいした。例えば、日本のメディアでもたびたび取り上げられる「自由ロシア軍団」の政治部門を主導しているイリヤ・ポノマリョフ元露国家院議員、チェチェン・イチケリア共和国亡命政府のアフメド・ザカエフ首相などである。彼らは現在「ロシア後の自由な民族フォーラム」を欧州議会など世界各地で開催し、本年夏以降に東京での開催を目指している。フォーラムは、すでにロシア連邦崩壊後の地図まで公表しており、それによれば、北方領土のみならず、千島列島まで日本に返還される予定である。

 今回の国際会議では、正直なところ、学術的な内容の報告は筆者だけで、会場にいた日本人記者に後に聞いたところでは、参加者の反応は非常に良かったそうである。それを示すように多くの質問が出た。日本は北コーカサス山岳共和国独立後、その動向に注視し支援しようとした事実があったことを報告したのである。外交史料館には、外務省嘱託で、後に世界連邦運動の携わる稲垣(いながき)守克(もりかつ)が書いた「北コーカサス亡命政府の報告」というレポートが残っている。稲垣は、北コーカサス山岳共和国元外相のハイダル・バマトや高官であったアイテク・ナミトクらとスイスのジュネーブなどで接触を続けていた。

 一方、のちに駐独日本大使となる大島(おおしま)浩(ひろし)は駐独武官室長の時にバマトと接触し、秘密工作を始めた。大島の活動の詳細はナチス親衛隊SSのハインリッヒ・ヒムラー長官の覚書に残されている。それによれば、バマトを通じて、10名程度の工作員を雇い、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンの暗殺を計画していたという。戦間期の日本は、旧ロシア帝国やソ連内の少数民族問題に高い関心を持ち、連携を模索するとともに、資金を与え秘密工作を仕掛けていたのである。

 最近は世界のすべてを掴んだかのように語ることで、日本では「知の巨人」とやや持(も)て囃(はや)され気味のエマニュエル・トッドだが、ソ連の崩壊を予想したのは確かである。歴史人口学者であるトッドは、ソ連の乳児死亡率の上昇や男性平均寿命の減少に気づき、専門的な観点からその結論を出した。今回のロシアによるウクライナ侵略では、ブリヤート人、ヤクート人、トゥバ人といったロシア連邦内のアジア系地域の部隊が激戦地に送り込まれ、その多くが戦死したと言われる。またそれら少数民族系の部隊が侵攻した地域では、ブチャに代表されるように虐殺事件まで発生した。

 広大なロシアの中でなかなか実態が見えにくいそれらの地方では、プーチンやロシアの中央政府への不満が高まっている。例えば、チベット仏教を信奉するロシア連邦内の人口27万人のカルムイク共和国では、昨年10月27日自称「オイラト・カルムイク人民会議」が、カルムイクの独立宣言を発表した。それによれば、ロシア・ウクライナ戦争に同会議は反対で「ウクライナでの非常識な大虐殺」のためにカルムイク人を参加させるべきではないと主張している。

 一方、人口380万人で、ロシア連邦内ながら、独自の憲法を持ち外交なども行ってきたタタールスタン共和国では、タタール人の「ロシア化」が進んでいる。2017年7月、プーチン大統領が「ロシアの一部である共和国で、子供たちに母国語の勉強を強制すべきではない」と宣言した。同年11月、学校でのタタール語の義務教育を廃止し、現在では授業時間が週20時間から2時間となった。筆者も、かつてタタールの民族衣装を着たタタール系ロシア人の知人が、今ではすっかりロシアの民族衣装を着て民族的に「ロシア人」であることを強調する姿を見たこともある。プーチン政権からの政治的圧力も強まっており、タタールスタンでは昨年まで首長が「大統領」と呼ばれた唯一の行政区だったが、昨年末に憲法改正を余儀なくされアラビア語で首長を意味する「ライス」の呼称に変更された。そんな中、独立を目指すタタール人団体は「プーチン政権との決別」を呼びかけている。我々はもしかすると、気づかぬうちに、『ロシア連邦崩壊のプレリュード(序曲)』を目の当たりにしているのかもしれない。

 コーカサス地方だけではなく、第一次世界大戦末期に、日本は極東における白系ロシア人勢力を支援した。たしかに満洲国建国には誤った方向性もあったかもしれないが、一方、この時期の日本は少数民族の支援には力を入れていた。徳王のモンゴル人勢力などの独立運動を支援し、蒙古(もうこ)聯合(れんごう)自治政府が樹立された例もある。筆者の専門である日宇交流史においては、ハルビンに住むウクライナ人の独立運動を支援しようとした時期もあった。

 現在の日本は、ロシア・ウクライナ戦争が終わるまでひとまず様子見で、ほとぼりが冷めるのを待っているだけで、戦後の対ロ関係の再開を期待しているようにも見えなくもない。また、「プーチン政権」をロシアそのものと思い込んでいる親ロシア的政治家や評論家も散見される。ただ、2022年2月24日を境に大きく変わりつつある世界を前に、何もせず、ただ待つだけでいいのか。仮にロシア連邦が崩壊した後で、「独立」を果たした少数民族の人々は、その活動を支援しなかった日本人を信用するだろうか。我々の先人たちの経験は、今の日本人にそんな疑問を投げかけている。もしかすると、我々日本人は、北方領土を取り戻す最後の機会をみすみす見逃しているのかもしれない。

 

 


《ますお ちさこ》 

九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1974年生まれ。東京大学大学院で博士号(学術)取得。専門は中国外交、東アジア国際政治。『中国の行動原理』(中公新書)ほか著書・論文多数。

2023年6月5日・19日号 週刊「世界と日本」第2246・2247号 より

 

習近平はなぜ中央アジアを重視するか

 

九州大学大学院教授 

益尾 知佐子氏

 

 5月19日から21日にかけ、広島でG7サミットが開催された。中国はあえてそこにぶつけるように、18日から19日に西安で初めての中国=中央アジア首脳会議を開催した。今後、この会議は定例化され、2年に一度、中国か中央アジアの一国でサミットが開かれる。

 

 この中国=中央アジア首脳会議のニュースに接して、日本人の多くはこう考えたのではないか。米国を含むG7のメンバー国と国際的に存在感の薄い中央アジアの国々では、国際政治上の重みが違い、比較にならない。

 だが、それは中国を軽く見過ぎだ。この二つの会議は、日本が広島サミットで西側の「同志国」との結束に動くかたわら、中国が中央アジアからアフリカまでを自国の勢力圏としてまとめ始めたことを意味する。

 では、推測される中国の意図を説明しよう。中国はこれまでも中央アジアの国々と緊密な協力を進めてきた。主な舞台となったのは、2001年に創設した上海協力機構(SCO)だ。設立時のメンバーは、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン。(2017年にパキスタンとインドが加入、現在はイランとベラルーシが加入申請中。)

 だが中国は今回、これとは別に中国=中央アジア首脳会議を新設した。それは中国が、旧ソ連圏中央アジアに強い影響力を有してきたロシアを排除し、独自の枠組みを構築し始めたことを意味する。中国は中央アジアではこれまで、ロシアにかなり気を遣っていた。だが昨年9月に習近平がコロナ後初めて外遊し、SCOのサマルカンド首脳会議に出席した際は、覇気なく遠慮がちなプーチンと対照して、盟主の気風で集合写真の真ん中に陣取る習の姿を中国メディアが配信した。中国は中央アジアでロシアに取って代わろうとしている。

 

内向き国を国際社会へ

 しかし、中国=中央アジア首脳会議の意義はそれにとどまらない。SCOと比べ、この会議の明らかなメリットが一つある。それは「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれ、かつてほとんど国際会議に出てこなかったトルクメニスタンをメンバーに加えたことだ。

 トルクメニスタンは天然ガスを産出する資源国だが、これまで隣国のウズベキスタンなどともほとんど交流せず引きこもってきた。

 だがこの数年、中国は一帯一路でトルクメニスタンに関係強化を持ちかけていた。昨年3月、同国で大統領選挙が行われ、グンバングル・ベルディムハメドフ大統領から息子のセルダル・ベルディムハメドフへの世代交代が行われると、習近平が直接、祝福の電話をかけている。

 セルダルは今年1月の中国・トルクメニスタン国交樹立記念日に合わせ訪中した。習近平はその際、彼に、両国のサプライチェーンの一体化や連結性の向上を訴え、法執行やテロ対策などを含む全方位の協力と運命共同体の構築を約束した。

 さらに新たな協力メカニズムとして「中国+中央アジア5カ国」の枠組みを立ち上げ、そのサミットを開催し、トルクメニスタンとSCOの間の協力も深めようと述べた。

 

習近平の国際戦略

 中国はなぜトルクメニスタンを重視するのか。ここで考えたいのは、同国の地理的な位置だ。1963年末に周恩来総理がアフリカ諸国への初訪問に出かけてから、中国はアフリカと友好関係を維持してきた。2010年代にはアフリカ諸国への対外援助をさらに拡大し、中国企業も次々とアフリカに進出した。国際情勢を考えるとき、中国にとってアフリカは中央アジアと並ぶ安心圏である。

 他方、サウジアラビアとイランの仲介外交に示されるように、中国は昨今、中東に積極的な外交攻勢をかけている。実はSCOは近年、西南・東南方面に拡大中だ。SCOにはフルメンバー、オブザーバー、そして対話パートナーの3レベルのステータスがある。このうち対話パートナーは拡張著しく、2022年には新たにエジプト、カタール、サウジアラビアにステータスが授与された。現在はバーレーン、クウェート、アラブ首長国連邦、モルディブ、ミャンマーの5カ国の加入が検討中だ。

 対話パートナーは地域反テロ組織などの機密性の高い協力には加わらない。だがSCOが開催するほとんどの会議に参加でき、そうした場を活用してメンバー国と自由に交流できるため、いったんそれに加われば仲間扱いされるという。

 中国は中東諸国の反米感情を利用しながらこの地域との関係強化を図っている。昨年12月にサウジアラビアを訪問した習近平は、滞在中に中国=湾岸協力会議と中国=アラブ諸国首脳会議の二つの多国間会議に参加した。

 ここで、もし中央アジア、中東、アフリカを繋ぎ合わせ、それらの政治・経済的な一体化を進めて中国の影響下に置くことができれば、中国の国際的な立ち位置は全く変わってくる。

 中国は西側諸国が中国の封じ込めに動いていると見てきた。しかし、この作戦が成功すれば、中国は西側諸国の「よからぬ企み」に地理的な楔(くさび)を打ち込み、ヨーロッパとインド太平洋地域を分断することもできるのだ。

 

重点は西南進出

 そのための最初のステップは、中央アジアと中東地域の連結性を高め、地域としてのつながりを育んでいくことである。

 だが、問題はアフガニスタンだ。同国は伝統的にずっと両地域の結節点だった。しかもSCOのオブザーバー国であり、今のタリバン政権は中国とも関係が良好だ。

 ただ、いかんせん政情不安定で、大規模なインフラ開発はまだ無理だ。ここで、隣国のトルクメニスタンにこの結節点としての機能を当面代替させられれば、中国はその一帯一路の影響力を同国経由で隣のイランに広げ、さらに中東全域に拡張していくことができる。だから、習近平の地政学戦略にとってトルクメニスタンは不可欠なピースなのだ。

 残念ながら、広島サミットの高揚感に酔いしれている余裕はわれわれにはない。中国は、西側を中心とする既存の国際秩序に不満な勢力を抱き込み、経済力や技術力を駆使しながら、中国にとって平和な、新たな国際秩序を形成しようと積極的に動いている。どうやら長期化しそうなこの転換期を、われわれは自分の知恵と努力で乗り切っていかねばならない。

 

 


《かわぐち  まーん  えみ》 

85年シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。最新刊は『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているのか』など著書多数。

2023年5月22日号 週刊「世界と日本」第2245号 より

 

「激変する世界情勢と落日のドイツ」

 —日本が探るべき独自外交への道—

 

作家 (独ライプツィヒ 在住) 

川口 マーン 惠美氏

 

 ロシアがウクライナに攻め込んだ3日後、ドイツのショルツ首相は臨時国会を開き、「時代の転換」を宣言。1000億ユーロの軍事予算の追加投入や、ロシアのエネルギーからの脱却といった方針を果敢に打ち出した。

 

 ただ、それから一年余り経つが、今も軍備はポンコツで大して変わり映えがしないし、国民の大半が平和ボケなのも日本と同じだ。

 一方、エネルギーはというと、早いうちからEUの対ロシア経済制裁の一環であるボイコットに加わったものの、石炭と石油はともかく、是非とも必要だったガスをロシアに止められてしまったことで四苦八苦。以来、自分たちが掛けた制裁の回避に右往左往が続いている。

 ロシアへの依存度が55%にも上っていたガスは、容易には代替が効かない。生ガスとしてパイプラインで輸入できるのはノルウェー産ぐらいで、これは高価な上、量が限られる。あとは米国や中東からのLNGだが、安いロシアガスで潤っていたドイツには、受け入れのための基地さえなかった(12月に1基が完成)。しかし、どうにか入手できても、価格がロシアガスの数倍になるLNGでは、ガス消費の多い産業は生き残れない。

 また、元々高かった電気の供給が不安定になっており、投資先としてのドイツの魅力は潮が引くように減退している。その結果、自動車や化学といった基幹産業が、すごい勢いで脱出し始めた。行き先は、電気が安く、労働力も豊富で、CO2もまだたっぷり排出できる“発展途上国”中国! 追いかけて行けない中小の関連企業は、早晩、続々と倒れるだろう。こうなると国内の空洞化と不況の到来は織り込み済みだから、そのうち念願の脱炭素も達成できるかもしれない。いずれにせよ、ドイツ政府の公式見解、「中国とは距離を置き、今後は民主主義の日本と協働する」は、あまり本気にしない方が無難だ。

 EUで一人勝ちと言われるほどの繁栄を謳歌(おうか)していたドイツが、なぜこんなことになったのか?

 ドイツ政府はすべてプーチン大統領のせいにしているが、それは必ずしも正しくはない。最大の原因はエネルギー政策の破綻である。元々、石炭や褐炭を駆逐(くちく)しようというのがEUの政治的方針だったが、ドイツは同時に原発も減らした。

 一方で再エネを際限なく増やし、それらの出力変動をならすため、ロシアのガスを投入した。そして、それを批判されると、ガスは再エネ100%を達成するまでの「つなぎ」だからと逃げ、CO2を大量に出しながら、他のEU国を経済で圧倒したのである。ただ、21年は風が吹かず、風力電気が枯渇。ガス需要はさらに増え、同年の夏にはすでに高騰が始まっていた。

 さて昨年、そのロシアガスが途絶えたとき、新たな設備投資もなしに、安価に、確実に発電ができる原発がかろうじて3基残っていたことを、本来ならば、ドイツ政府は慶事と見なすべきだった。

 ところが、彼らは派手なすったもんだの末に、わずか3カ月半の稼働延長をしただけで、今年の4月15日に原発を永久に止めた。しかも、その後の電気の供給は全く闇の中。産業が逃げ出すのも無理はない。

 現在のドイツ政府は社民党、緑の党、自民党の3党連立だが、中でも強大な力を有しているのが経済とエネルギー政策を担っている緑の党だ。そして、その彼らが最重要課題として掲げているのは、産業振興でも、貧困対策でも、インフレ抑制でもなく、1日も早い脱炭素社会の達成。

 ただ、政策の破綻ぶりは甚だしく、脱炭素を天命のごとく掲げながらCO2フリーの原発を葬り、その代替は石炭。CO2は格段に増える。それどころか、ドイツの原発は危険過ぎるとして停止したのに、経済・気候保護相は4月初め、「ウクライナが原発に固執するのは当然で、安全に稼働している限りはよろしい」と言ってドイツ人を唖然(あぜん)とさせた。

 戦時国ウクライナの原発がロシアの攻撃対象になることはなく安全で、ドイツの原発には明日にも旅客機が落ちるかもしれないというのは、ついていけない理屈だ。

 ちなみにウクライナの原発は多くが80年代に建てられたソ連製で、思えば86年に火を噴いたチェルノブイリ原発も、ウクライナの原発だった。常識で考えればドイツで今動いている新しい原発の方が安全性は高い。

 4月半ばには稼働延長を望む国民の声が6割を超えたが、緑の党の意思が揺らぐことはなかった。彼らにとって脱原発は絶対的ドグマであり、科学的根拠も、産業の破壊も、国民の声も、CO2もどうでも良かった。

 いずれにせよ、原発の消えた今後のドイツでは、ガソリン車もガスの暖房も、CO2を出すものがいずれすべて禁止される予定だ。

 しかも、ロシアへのエネルギー依存はその他の国に変わるだけだし、経済の中国依存はますます深みにハマり、軍事の米国依存からは絶対に抜け出せない。そうする間に、すでにドイツではインフレが進み、貧富の格差が広がり、教育は崩壊し、急増する難民が自治体を押し潰しつつある。

 日本では未だに緑の党を善良な環境党と勘違いしている人も多いようだが、彼らのミスリードはドイツ産業にとって致命的だ。その先の世界は想像を絶する。当然のことながら、EUの国々は道連れにならぬよう、必死で独自の路線を探り始めた。

 なお、今まで自分たちは豊かだと信じていたドイツ国民も、ようやく足元が危うくなってきたことに気がついたらしく、これまで極右の濡れ衣を着せられていた右派政党AfD(ドイツのための選択肢)が次第に支持者を増やしている。緑の党を最初から鋭く批判していたのはAfDだけだったから、彼らの暴走を止められるのも同党以外にはないと、皆が思い始めたのかもしれない。風見鶏の独メディアにもすでに転向の兆候が見える。

 ということは、岸田首相がサミットで舞い上がり、EUやG7の作ったお題目を得意がって復唱しても、お笑いナンバーになる可能性が高い。

 各国が速やかに自国ファーストに舵を切り替え始めた今、日本も欧米の尻馬にばかり乗ろうと思わず、独自外交を探るべきだ。

 

 


《ロバート・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所・代表)》 

1968年、米国生まれ、99年、神戸大学大学院より政治学博士号。大阪大学准教授、海兵隊顧問等を経て現職。日本戦略研究フォーラム上席研究員。『沖縄問題の起源』、『オキナワ論』、『尖閣問題の起源』、『人口減少と自衛隊』、『中国の脅威に向けた新日米同盟』など多数。

2023年4月17日号 週刊「世界と日本」第2243号 より

 

台湾を認めろ、さもなくば

 

 

政治学者・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長 

ロバート・D・エルドリッヂ氏

 

 中米のホンジュラスは去る3月25日、台湾と断交して、中華人民共和国と国交樹立すると発表した。ホンジュラスの現在の与党は、以前からその方針だったが、長年にわたる中華人民共和国の「魅力攻勢(チャーム・オフェンシブ)」やその他の悪質な政治的・経済的圧力を受けて、中国の魔の手に落ちる最新の国となった。

 

 2021年12月にニカラグアが中国側についたのがその前だ。台湾で蔡英文氏が総統になった2016年以降、この7年間で既に8カ国が承認替えを行い、中国は歴史的に影響力が及ばなかった地域でより大きな足場を築くことができるようになった。

 ホンジュラスの場合、2021年11月の大統領選の時、カストロ候補は中国を承認すると公約を挙げたが、当選後、台湾との関係を維持してきた。

 今回、ホンジュラスが台湾を捨てて、中国を承認した結果、台湾を承認しているのは、中南米・カリブ海地域のベリーズ、グアテマラ、パラグアイ、ハイチ、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、太平洋地域のマーシャル諸島、ナウル、パラオ、ツバル、アフリカのエスパニ、欧州のバチカン市国の13カ国と、国連加盟国はわずか12カ国となった。

 台湾を助けようとする国の数が減れば減るほど、台湾の孤立は大きくなる。

 同様に、中国を承認する国が増えれば、中国が台湾を侵略する際の外交的、経済的、軍事的なコストや罰則が軽減されることになる。つまり、戦いが容易になるのだ。

 前述の諸国の軍事的価値は無視できるほど小さいが、政治的な象徴性は非常に大きい。

 戦争が起こるのは、さまざまな理由がある。そのひとつは、軍事的なバランスが一方に傾いたときである。

 中国としては、できれば平和的に、必要なら武力的に台湾を奪いたいが、軍事的にそれができないでいた。意志はあっても、力がなかったのだ。

 しかし、これはもはや事実ではない。

 むしろ、以前からそうであった。少なくとも2015年頃から、中国はいつでも台湾をとれると米軍出身の専門家たちは分析していた。

 一方で、米国の能力と即応性は低下し続けている。

 特に心配なのは、中国による宇宙の軍事化であり、通信やGPSなど、現代の戦争に不可欠な米国や同盟国の人工衛星を破壊する能力である。中国は特に2007年からそのノーハウに集中してきた。米国とその同盟国は、現在、その衛星を守るための防衛システムを持っていない。

 このような防衛システムは2026年まで導入されないと予想されていたが、新型コロナウイルスのパンデミックによるサプライチェーン問題、とりわけ半導体チップ不足により、2027年まで導入が延期されたと思われる。

 2021年3月に当時のインド太平洋軍司令官であるフィリップ・S・デビッドソン提督が米上院軍事委員会で「中国は早ければ6年以内に攻撃するかもしれない」と発言した背景には、このような事情があると筆者は考えている。

 また、広く報道されているように、ウクライナに武器や物資を提供することで、米国はその在庫を減らしてしまった。兵器によって生産するには数年かかるとのことで、世界の安全保障を担うアメリカやその同盟国にとって非常に危ない状態だ。

 さらに心配なのは、紛争地域の拡大が予想され、それが中国にとって有利に働くことである。

 昨年2月上旬にロシアの侵攻によって始まったウクライナ戦争が勃発し、その直前にロシアのプーチン大統領と中国の習近平国家主席が共同声明を発表するまでは、台湾有事といえば台湾海峡に限定されていただろうが、同じ共同声明にある以下の気になる文言から、北は北海道まで軍事行動を伴う可能性が出ている。

 「双方は、自国の核心的利益、国家主権及び領土保全の保護に対する強い相互支持を再確認し、自国の内政に対する外部勢力の干渉に反対する。」

 9ページに及ぶこの声明は、現状打破の核保有国である2カ国が否定するとしても、確かに同盟のように読み取れる。

 台湾有事の際には、ロシアに加えて、核武装し、ここ数カ月間ノンストップでミサイル実験を続けている北朝鮮も心配される。

 つまり、一面的な戦いが三正面の戦争になる可能性があり、米国をはじめ、人員も資金も不足している日本の自衛隊の集中力を大きく分散してしまう。さらに、破壊工作員などによる日本国内での大混乱を除けば、戦争はもう一つの「前線」を持つことになる。

 さらに、この戦争は、まだ十分に理解され、準備されていない分野にわたる多領域にわたるものであろう。

 つまり、正面が拡大するのみならず、内容や次元も多くなる。

 このようなことを述べたのは、台湾は残念ながら、基本的に防御不可能であることを指摘するためである。

 これは、台湾を守ろうとするなということではなく、台湾を合理的に守れなくなっていることを観察しているのだ。

 したがって、より大胆な効果的な戦略が必要である。すなわち、国際社会は、中国を抑止する唯一の方法として、台湾を外交的に認めなければならない。

 もし、民主的で豊かな遵法国家であり、報道の自由、人権、政治参加など、日本を含めて西側が大切にしているあらゆる規範や価値観で非常に高いランクにある台湾を、軍事的に重要でない13の小国ではなく、その十倍の130カ国、あるいはそれ以上の国が認めれば、中国は躊躇することになる。

 中国が台湾を攻撃すれば、世界の多くの国々と戦わなければならなくなる。

 あの勇敢な国である台湾にとって、もう時間がないのだ。世界は目をそらすことはできない。

 中国の近隣諸国に対する行動、特に領土問題、そして内部では少数民族の弾圧はよく知られている。台湾人は、中国が1997年以降、特に昨今、香港を占領した後に何が起こったかを見た。そのような取り決めには一切関わりたくないと考えている。

 国際社会、特に米国と日本は、本当に戦争を回避したいのであれば、そのことを理解し、手遅れになる前に再認識する必要がある。

 台湾の有事は、正に日本の有事だ。

 台湾の国家承認は、唯一台湾を守る方法だけでなく、日本のその後の存立を守る唯一な方法だ。だから、「運命共同体」という表現がある。日本が外交的に先頭に立つのは苦手だが、歴史、文化、経済、安全保障などのそれぞれの面、台湾と深い関係のある日本こそが、いち早く国家承認すべきだ。

 日本よ、自信を持ちなさい。世界は必ず付いて行くから。

 


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