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刻々と変化する国際情勢を各国の政治・経済など様々な視点から考察する。

《むらた こうじ》

1964年、神戸市生まれ。同志社大学法学部卒業、米国ジョージ・ワシントン大学留学を経て、神戸大学大学院博士課程修了。博士(政治学)。広島大学専任講師、助教授、同志社大学助教授を経て、教授。この間、法学部長・法学研究科長、学長を歴任。現職。専攻はアメリカ外交、安全保障研究。サントリー学芸賞、吉田茂賞などを受賞。『現代アメリカ外交の変容』(有斐閣)など著書多数。

2023年9月4日・18日号 週刊「世界と日本」2252・2253号 より

 

『世界秩序の転換点をどう捉えるか』

―米中ロ戦略的三角形の変容―

 

同志社大学法学部教授

村田 晃嗣 氏

 

 今や、米中ロの戦略的三角形が大きく変動している。この事態は、1970年代を想起させる。

 1971年7月に、アメリカのリチャード・ニクソン大統領は、翌年に中国を訪問すると発表した。日本政府にとっては、まさに寝耳に水であり、ニクソン・ショックと呼ばれた。これを契機にして、対米協調路線を最重視した佐藤栄作首相の長期政権は幕を閉じた。長引くベトナム戦争を終わらせるために、北ベトナムに多大な影響力を持つ中国を利用する—これがニクソン政権の思惑であった。他方で、かつては中ソ一枚岩と呼ばれた中ソ関係は悪化の一途を辿(たど)っており、中国は対ソ牽制(けんせい)のためにアメリカとの関係改善を必要とした。こうして米中関係が改善する中で、米ソ関係もデタント(緊張緩和)を何とか維持していた。従って、米中ソの戦略的三角形では、アメリカが最も有利な立場にあった。ニクソンやヘンリー・キッシンジャーによるしたたかな現実主義外交の成果であった。

 

 やがて、アメリカは大きな犠牲を払いながらベトナムから撤収し、ニクソン大統領はウォーターゲート事件で弾劾寸前に追い込まれて辞任した。その後は、ジェラルド・フォードやジミー・カーターが登場してアメリカの団結を説いたが、国内の混乱と自信喪失は治まらなかった。こうしてアメリカが弱体化、内向化したと見るや、ソ連はアフガニスタンに侵攻するなど冒険主義に打って出て、デタントは破綻した。このアフガニスタン侵攻は、ソ連にとってのベトナムになり、長期化してソ連帝国の崩壊を準備することになった。ウラジーミル・プーチンによれば、「20世紀最大の地政学的悲劇」である。

 

 今日のアメリカも、アフガニスタン、イラクでの長い戦争に倦(う)み疲(つか)れ、ドナルド・トランプ前大統領は二度も弾劾に直面し、今でも多くの訴訟を抱えている。すべてで有罪判決が下されると、トランプは最大で懲役700年以上を課されることになる。とはいえ、ジョー・バイデン大統領も高齢で、アメリカの団結を説きながら、やはり短命に終わる可能性がある。アメリカの混乱を横目に、中国はますます拡張主義的になり、ロシアは2022年2月にウクライナに侵攻した。長期化すれば、ロシアにとって第二のアフガニスタンになるかもしれない。

 

 1970年には、ソ連の経済力はアメリカの4割に及んだ。しかし今日では、ロシアの国内総生産(GDP)はアメリカの7%、中国の10%にすぎない。ロシアの人口も中国の1割である。また、ロシアのGDPは韓国より小さく、ロシアの貿易総額は台湾のそれを下回る。こうして、ロシアは中国のジュニア・パートナーに成り下がった。

 

 米中ロの戦略的三角形は、アメリカ対中ロという構図になっており、1970年代とは異なり、アメリカに不利である。しかも、中国のGDPはアメリカの7割に及び、かつてのソ連よりもはるかに手ごわい。その上、中国は核軍拡にも邁進している。日本の標榜する「核兵器のない世界」とは程遠く、われわれはむしろ「軍備管理のない世界」に生きている。米ロに比して、中国の核戦力はまだ小さいが、北京は核弾頭を現有の410発から2030年には1000発に、さらに35年には1500発に増強しようとしている。そうなれば、核戦略の世界も米ロの二極体制から米中ロの三極体制に移行する。戦略上の計算は2倍ではなく、3倍複雑になる。

 

 米中ロの戦略的参加系の変化に、アメリカはどう対応すべきか。もとより、簡単な答えなどない。

 まず、同盟諸国との公式・非公式の同意調達に努め、それをグローバル・サウスに拡大しなければならない。冷戦期の発展途上国よりも、今日のグローバル・サウスのほうが、はるかに大きな経済力を持ち、さらなる潜在力を有している。世界経済に占める途上国の割合は、1990年に20%であったものが、今日では40%である。彼らにとって、中国のほうがより安易な同伴者たり得ようが、グローバルな諸課題に向き合うには、アメリカとその同盟諸国のほうがより安定し信頼に足る同伴者であることを、説得しなければならない。中ロが語る多極構造は弱肉強食の世界であり、アメリカとその同盟諸国は力と利益と価値の共有を求めている。そう説得するためには、グローバル・サウスの多様な声に耳を傾けなければならない。そこで日本の果たす役割は大きい。

 

 また、アメリカは中国やロシアと常に一定のコミュニケーション・チャネルを維持し続けなければならない。あるいは、それは長い「陰気なデタント」になるかもしれない。1970年代のソ連脅威論が嘘のように、ソ連帝国は1991年にあっけなく崩壊した。中国の経済成長も鈍化しており、その合計特殊出生率は1・3にまで落ち込んでいる(国連は1・2に推定している)。このままでは、今世紀の末までに中国の人口は半減する。他方で、アメリカの人口は2100年には4億人に達する見込みである。われわれは「強い中国」の脅威のみならず、脆(もろ)い中国」の脅威も分析し、それに備えなければならない。また、ウクライナ戦争後に、ロシアをどのように国際社会に迎え入れるのかについても、周到な準備が必要である。

 

 さらに、こうした外交努力を内政に連動させる工夫が必要である。長い「陰気なデタント」や大国間競争の時代を走り抜くには、国内の団結と安定が不可欠である。また、それなしに国際的な信頼の回復もない。かつて、超大国アメリカは第二次世界大戦後の国際秩序の「創造に立ち合った」(ディーン・アチソン国務長官)。ウクライナの戦後復興についての国際協力は、新たな「創造への立ち合い」であり、あるいは、アメリカの民主主義にとっても「リハビリ」効果を持つかもしれない。第二次大戦後に、アメリカの支援を受けて、敗戦国ドイツや日本はみごとに復興を果たした。アメリカのよき同伴者として、ウクライナ復興に日独は然るべき役割を果たさなければならない。米中ロの戦略的三角形をアメリカに有利な形に修復する意味では、それは重要な使命であろう。

 


《みつい みな》

1967年生まれ。一橋大学卒業後、読売新聞に入社。ブリュッセル、エルサレム、パリ特派員を歴任。2016年、産経新聞に入社。17年からパリ支局長。近著は「敗北は罪なのか オランダ判事レーリンクの東京裁判日記」(産経新聞出版)

2023年8月21日号 週刊「世界と日本」第2251号 より

 

『欧州外交、 チャンス到来』

 

産経新聞パリ支局長

三井 美奈 氏

 

 欧州では、かつてないほど日本への期待が高まっている。北大西洋条約機構(NATO)は7月、日本との安全保障協力を格上げすることを決めた。欧州連合(EU)も日本を「インド太平洋で最も緊密な戦略的パートナー」と位置付ける。欧州はようやく、中国に対する警戒感を日本と共有し始めた。日本にとっては、欧州外交のチャンス到来といえる。

 

◇日本を厚遇

 今年5月、ストックホルムでEUのインド太平洋閣僚会合が開かれた。議長国スウェーデンのカール16世グスタフ国王、ビクトリア皇太子が中央に臨席し、向かって右隣に林芳正外相が座った。約60の参加国の中で、いかに日本が重んじられているかの表れだった。林外相は演説で「中国は力による現状変更の試みを強めている」と明言し、日欧連携の重要性を訴えた。先進7カ国(G7)広島サミット開幕の6日前のことだ。

 フランス人の元東京特派員からは、「日本は変わった。以前は米国の影に隠れる『チワワ』のような存在で、中国を名指しで批判するなど考えられなかった」と言われた。彼は岸田政権が計画する防衛費増額にも触れ、「インド太平洋の安定につながる」と評価した。

 私は新聞社の特派員としてブリュッセルに赴任して以降、25年間欧州政治を追う中で、「日本を見る目が変わった」と実感する。日本の防衛費増強は、一昔前なら「中韓の不安を煽る」と欧州メディアに叩かれただろう。いまの日本は「アジアと欧州の民主主義をつなぐ礎石」と見なされ、EUと欧州各国は日本との関係強化を目指している。日本が米欧と価値観を共有する、というだけではない。米中間に位置する経済大国で、これほど政治が安定している国はほかにないからだ。

 日本を頼りにするのは、米中対立のはざまで「欧州の立ち位置」が定まっていないという事情もある。

 欧州主要国はいずれも米国の同盟国だが、米国が中国との対決色を深めるのを不安な思いでみている。中国が軍備を増強し、ロシアと関係を深めるのを警戒しながら、米国のデカップリング(経済切り離し)には同調できない。日本との関係を通じて、民主主義圏の「柔らかな対中封じ込め」に加わるのが妥当な選択と映る。それは、「自由で開かれたインド太平洋」を守るために、経済や安全保障で連携することだ。

 ある日本人外交官は「『インド太平洋』という概念を生み出したのは、戦後の日本外交で最大のヒット」と言った。2007年、安倍晋三首相(当時)が「インド洋と太平洋という二つの海の交わり」を提起したことは、大きな外交資産となった。

 EUは21年、初のインド太平洋戦略を策定した。トランプ米政権時代、米欧同盟に亀裂が入り、欧州独自の中国外交が必要だと認識されるようになった。ロシアのウクライナ侵略で、インド太平洋戦略はますます重要になった。中露の連携でウクライナと台湾の危機が重なり、最近の欧州メディアでは「台湾有事に、欧州はどうすべきか」が真剣に論じられている。

 7月、リトアニアでNATO首脳会議が行われた際、フランスのマクロン大統領は「日本はウクライナの戦争が、欧米だけのものではないと示してくれた」と謝意を示した。

 

◇「中国」で温度差

 一方で、欧州の中国政策は足並みがそろっていない。英独仏の3大国の方針には大きな温度差があり、それぞれに危うさをはらむ。

 英国はEU離脱後、外交構想「グローバル・ブリテン」を発表し、インド太平洋への関与を掲げた。米国、オーストラリアとともに安全保障枠組み「AUKUS」も結成した。だが、足元の欧州では孤立は深め、発言力は低下するばかり。フランスは、ニューカレドニアなど海外領を抱える太平洋国家だが、AUKUS、クアッドといった米主導の安全保障枠組みに加わろうとしない。米国と一線を画すドゴール外交にこだわり、中国とも関係を探ろうと綱渡りをしている。

 ドイツはショルツ政権が7月に中国戦略を発表し、メルケル前政権時代の「中国重視」外交を転換すると意気込んだ。現実には、ドイツ経済を支える自動車産業は、中国の巨大市場なしにやっていけない。

 英仏独は、それぞれ不安を抱え、日本との関係に期待をかける。次期戦闘機の開発計画で、英国は仏独とは組まず、日本とイタリアを相方に選んだ。ショルツ独首相は就任から1年半で、2度も日本を訪れた。フランスは今年7月、主力戦闘機ラファールを日本に派遣し、自衛隊との協力を通じて「中国に甘い顔をしているわけではない」と示そうとした。

 

◇混沌は好機に

 欧州はリーダー不在の状況が続く。ウクライナ支援を通じて、米主導のNATOが安保の主役として復活し、欧州政治の主役だった西欧の地盤沈下は否めない。EUでは、独仏2大国の関係がぎくしゃくし始め、親米の東欧ポーランド、バルト諸国が発言力を強める。一方で、独自の核兵器を持ち、域外に緊急展開できる実力部隊を持つのは、欧州では英仏2カ国だけだという現実は変わらない。ある駐ブリュッセル外交官は「欧州政治は以前、英独仏3大国の動きで決まった。いまは意思決定の過程が見えづらくなった」と話した。

 だが、日本にとって、混沌とした欧州は悪くない。英独仏をそれぞれ、インド太平洋の安保協力に引き込むことができる。欧州全体を動かすには時間がかかるが、各国別ならスピーディに具体的な協力策を決められる。英独仏がインド太平洋への関与を深めれば、結果として、欧州全体の外交方針を動かす原動力になる。

 そのためには、まず日本がウクライナ支援で、欧州に目に見える貢献をすることが重要だろう。ウクライナ支援を通じて、欧州は大きく変わった。ドイツは「紛争地に殺傷武器を送らない」の原則を破り、ウクライナに戦車を送った。スウェーデンやフィンランドも、軍事中立の伝統を破り、支援に加わった。日本はどこまで踏み込めるか。知恵を絞ることが、今ほど問われたことはない。

 


《みのはら としひろ》

1971年生まれ。神戸大学大学院法学研究科教授。専門は、日米関係・国際政治・安全保障。カリフォルニア大学デイヴィス校を卒業後、98年に神戸大学大学院法学研究科より博士号(政治学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、神戸大学法学部助教授を経て、2007年より現職。19年よりインド太平洋問題研究所(RIIPA)理事長に就任。清水博賞、日本研究奨励賞を受賞。

2023年8月7日号 週刊「世界と日本」第2250号 より

 

ウクライナ戦争の行方と日本の取るべき行動:

「1917年モーメント」を事例に

 

神戸大学大学院法学研究科教授
インド太平洋問題研究所(RIIPA)理事長

簑原 俊洋 氏

 

 一昨年の11月15日(2209号)に本紙に寄稿した際、日本ではコロナ禍は峠を越え、国内情勢は平常化へと向かいつつあるものの、これとは逆に国際情勢はより波乱に満ちた厳しいものになっていくであろうと書いた。残念ながら、懸念は的中した。多くの内外のロシア専門家は、プーチン大統領によるウクライナ侵攻はあり得ないと断言したものの、筆者には、これら有識者は自らの価値観に基づく〈合理性〉を無意識のうちにプーチンという独裁者に重ね合わせた結果の、誤謬(ごびゆう)に基づく結論を出したとしか映らなかった。

 

 筆者は、こうした状況に対して2021年末から警鐘を鳴らし、2022年1月31日にJapan  Forward[https://japan-forward.com/situation-report-looking-at-ukraine-and-its-implications-for-japan/]でプーチンはウクライナに侵略する覚悟を決めていると主張した(こちらを簡潔にした邦語版は、1月23日付『産経新聞』のコラム「揺らぐ覇権」に掲載)。事実、その約1カ月後にロシア軍はウクライナ領土内に雪崩込み、欧州での第二次世界大戦以降、最大の戦争が勃発したのである。ウクライナ軍による勇猛な防戦により、キーウは陥落(かんらく)を免れ、電撃作戦で戦争を一気に決着させようとしたプーチンのもくろみは崩れ去った。国家の命脈を保てたウクライナ軍は、目下、西側諸国から提供された戦車や装甲車を用いて反転攻勢に出ているが、堅固な防衛陣地を築く猶予を与えられたロシア軍に対する進捗は決して芳しくない。

 戦争では奇蹟などめったに起きず、勝利の女神は勝つべきものにしか微笑えまない。つまり、最終的に勝つのは国力が勝る方である。国力の定義はいろいろあるが、一般的には経済力(GDP等)、経済効率性、そして軍事力と理解されよう。これを踏まえれば、経済力と軍事力でロシアがウクライナを凌駕(りょうが)しているのは一目瞭然である。経済力では実に10倍であり(これは太平洋戦争勃発時での日米の差と同程度)、軍事力ではロシアはNBC兵器(大量破壊兵器:核・生物・化学の各兵器)を持つ上に、総動員した場合、約170万人の兵力を投入できる。他方のウクライナは現時点ですでに国家存亡のために総力戦で臨んでおり、余力がまだ十分のロシアとは様相は大きく異なる。それゆえ、普通に考えれば、西側諸国による軍事的・経済的援助によってウクライナの継戦能力はある程度維持できたとしても、ロシアに勝利するシナリオはなかなか見えてこない。

 ならば、ウクライナは敗北を宿命として受け止め、ただただ絶望するしかないのか。否、対ロシア勝利が射程に入る二つのシナリオが考えられる。筆者は、その事例を「1917年モーメント」と呼ぶ。欧州はまさしく未曽有の大戦の最中にあった。この年、二つの重大な出来事が起きた。まずは、3月にロシア革命が起こり、翌年ロシアは第一次世界大戦から離脱した。次いで、4月に米政府が対独宣戦布告を行い、第一次世界大戦への介入を決めた。

 これらを現在のウクライナ戦争に当てはめると、最初のシナリオは、プーチンに対する武装蜂起ないしクーデターによってロシアが内部崩壊を来すことを意味する。これによってウクライナに勝利が転がり込む。もう一つのシナリオは、米国の参戦を意味し、これによってウクライナは力づくで勝利を手にすることが可能になる。バルト諸国や東欧の専門家の圧倒的多数は、前者によって戦争は決着すると予想する。事実、先日ワグネルを率いるプリゴジンによる反乱はあったが、最終的に頓挫した。これによってプーチンの権力基盤が弱くなったという見方もあるものの、プリゴジン派を粛清するなど反乱分子を一掃すれば却って彼の権力基盤は強化され、かつ彼らを抹殺すれば、独裁者としての威厳をさらに誇示できよう。そもそも、ロシア革命は日露戦争での敗北を端緒とするが、近年のロシアは2000年のチェチェン、2008年のジョージア、そして2014年のクリミアなど、勝利体験しか有していない。これを踏まえ、筆者はもう一つの「1917年モーメント」によってしかウクライナは最終的に勝利できないと考える。すなわち、米国による直接的な介入だ。

 結局、必要なのは第一次世界大戦中のルシタニア号やツィンメルマン電報のように米国の世論を劇的に変える引き金となる事件の勃発だが、今のところその兆候は全く見えない。ならば、現状のままではロシアが勝利すると考えるのが合理的であろう。

 だが、法による支配が有名無実化し、武力によって現状変更が可能となる戦後世界—これぞパクス・アメリカーナの終焉—を迎えることを、日本は〈是〉とするのか。普通に考えれば、これが日本の国益を棄損させるのはいうまでもない。なぜならば、こうした時代が到来すれば、中国はより果敢に動き、台湾への侵攻のみならず、新たな世界秩序の擁立に向けて本腰を入れて米国に挑戦していくのは必至だからである。

 つまり、サハリン2からの撤退、水産物の禁輸を含む対ロシア経済制裁の強化に限定されず、弾薬及び自衛隊ではもはや不要の多連装ロケットシステム(MLRS)や203ミリ自走榴弾砲(M110A2)などの装備品の提供を真剣に模索すべきである。悲しいことに、日本はサハリン2からの配当金の人民元での支払いに同意し、水産物に至っては、昨年は過去20年での最高額となる1552億円にも達した。日本からロシアへの中古車の輸出台数も記録を更新しており、欧米と足並みを揃えてロシアとの経済関係を本気で断とうとしない日本の姿が浮き彫りとなる。

 でも、こうした曖昧な姿勢で本当にいいのか。中ロが接近している今、欧州情勢とアジア情勢が相互にリンクするのは自明の理であり、ウクライナ戦争で安全保障の現実が一夜にして厳しくなったバルト諸国やポーランドのように、日本も近い将来、中国の台湾侵攻によって同様な状況に置かれる可能性は否定できない。明日は我が身と捉え、より大局的な観点から国益を担保できる政策を追求すべき時が来ているのではなかろうか。

 

 


《しまだ よういち》

1957年大阪府生まれ。専門は国際政治学。主に日米関係を研究。京都大学大学院法学研究科政治学専攻課程を修了。著書に『アメリカ解体』、『三年後に世界は中国を破滅させる』(共にビジネス社)など。最新刊に『腹黒い世界の常識』(飛鳥新社)。

2023年7月17日号 週刊「世界と日本」第2249号 より

 

これからの米国政治を読み解く

 

福井県立大学名誉教授

島田 洋一 氏

 

 ラーム・エマニュエル駐日米国大使が、LGBT差別禁止法案を成立させよという執拗な働き掛けを日本の政財界に続け、日本の保守層を中心に「内政干渉」だとする強い怒りの声が湧きあがった。

 岸田首相が大使及び大使と連動した公明党の圧力に屈し、LGBT理解増進法(活動家利権法の様相が濃い)の成立を自民党に指示したことで、エマニュエル氏は「日本 与(くみ)しやすし」と自信を深め、益々、米民主党のイデオロギーに即した活動を活発化させる構えである。

 岸田政権が「日本のことは日本で決める」という毅然(きぜん)たる態度を今後とも取れないようなら、保守層の反発はそれに応じて高まるだろう。日米関係の健全な発展にとって憂慮すべき事態と言わざるを得ない。

 ところでエマニュエル氏の圧力は「アメリカの圧力」ではない。あくまで米民主党の圧力である。

 本国アメリカでは、民主党が提出した包括的なLGBT差別禁止法案に共和党が一致して反対する状況が続いている。のみならず、女性の保護や、児童を行き過ぎたトランスジェンダー・イデオロギー教育から守る等の観点から、保守派による巻き返しの動きが活発化している。両派のせめぎあいは、近づく大統領選も絡んで、ヒートアップする一方である。

 党派性が明らかな活動家的大使に振り回されて、アメリカの「文化戦争」を安易に輸入し、日本国内に無用の亀裂を生じさせるのは、控えめに言っても賢明ではない。

 正しく対処するには、米国内の状況を正確に、バランスよく理解しておかねばならない。その必要が今ほど高まった時はないと言える。

 近年、毎年6月は、アメリカを中心としてLGBTコミュニティへの理解と支持を様々なイベントを通じて示す「プライド月間」とされている。

 大リーグ野球(MLB)の各チームも球場を舞台とした何らかのセレモニーを行う中、テキサス・レンジャーズのみがあえて何もしない姿勢を保っている。

 民主党系メディアからの批判的質問に対し、球団側は次のように答えている。

 「我々の基本姿勢は、レンジャーズの野球において、誰もが仲間として歓迎されていると感じてもらうことにある。そのことはわが球場の全試合において実践しており、職員の雇用においても何ら差別はない。プライド月間だからといってLGBTに焦点を当てた特別のイベントを行う必要はないと考えている」。

 保守的な共和党員が多い州だけに、ファンの多くも球団のこの姿勢を支持している。同州の有力保守系団体テキサス・ファミリー・プロジェクトの声明は次のように言う。

 「日々の生活のあらゆる側面に性的色合いを付けようとする反家族的左翼の試みが勢いを増すにつれ、反発の動きも強まっている。人々は、企業がLGBTを前面に押し出した商法を展開することにうんざりしている」

 さらにこう付け加えている。

 「人々はただ野球を見たいだけだ。大部分のファンにとって、性的指向を褒め称える傾向に立ち向かうレンジャーズの決定は一陣の清風だ。多くの家族は、他人の性の露出に子供たちが晒(さら)される事態を憂慮することなく、球場の一日を楽しむことができる。他の球団もレンジャーズの驥尾(きび)に付(ふ)すことを願う」

 ちなみにレンジャーズは6月下旬現在、大谷のエンジェルスその他を抑えて、ア・リーグ西地区首位を走っている。

 LGBT利権法の成立によって、日本企業にも「LGBTを理解し支持している姿勢」を見せるよう様々なプレッシャーが掛かってこよう。レンジャーズの対応とファンの反応は、1つの参考例となるのではないか。

 「LGBT外交」に関しても、エマニュエル大使に体現される民主党と共和党では180度違うと言ってもよい。

 トランプ政権で国務長官を務めたポンペオ氏は、今年1月に出した回顧録『一歩も譲らず』に次のように記している。

「私は国務省の人権関係部局が、インクルージョン・コミッサール(多様性受け入れを迫る人民委員)の様相をますます強めていることに危惧の念を抱いた。進歩派的観念を、それを欲しもせず、必要ともしない世界に無理やり押し付けようとしている。国務省の人権政策は、アメリカの建国理念と憲法の伝統の範囲から逸脱すべきではない。国際NGO産業複合体が次々に作り出す『権利』の隊列に与してはならない」

 正論だろう。対して民主党バイデン政権は、LGBT特使を新設し、インクルージョン・コミッサールとして国際活動に従事させている。現職のジェシカ・スターン氏は長くLGBT関係NGOの事務局長を務めていた活動家だが、2月初旬、岸田首相の秘書官が「ホモ嫌い」失言をした直後に来日し、エマニュエル大使と共にLGBT差別禁止法を早く作るよう政界各所に圧力を掛けて回った。

 日本は外圧に弱いと見れば、米民主党のみならず、中国、北朝鮮、ロシアなども恫喝のレベルを上げてこよう。気概なき自民党幹部らの責任は重大である。

 現在、共和党側で米大統領選に名乗りを上げている有力候補らは、おしなべて、LGBT問題を含む文化戦争において、バイデン民主党とほぼ真逆の態度を取る。

 特に支持率目下2位のロン・デサンティス・フロリダ州知事は、実践面でも反「ウォーク(意識高い系)」の闘士として鳴らしてきた。気候変動問題でも、民主党的な脱炭素原理主義を排し、経済発展を重視する立場である。

 筆者は、5月初めに訪米した際、政策面における事実上のトランプ選対本部と言われるアメリカ第一政策研究所を訪れ、外交分野の責任者で旧知のフレッド・フライツ(トランプ政権でNSC事務局長を務めた)と意見交換した。

 政策面では、トランプ陣営とデサンティス陣営の間にほとんど違いはないことを再確認できた。また、トランプ氏自身は、最大の党内ライバルと見なすデサンティス批判のトーンを上げているが、政策ブレーンの間では「デサンティスも仲間」という意識が強いことも発見できた。トランプ氏の日々の刺激的言動に捉われず、共和党の底流の動きを見る必要がある。

 特にエネルギー問題では、バイデン政権の脱炭素プレッシャーを「アメリカの圧力」と決して捉えてはならない。

 

 


《あらき のぶこ》 

昭和38年生まれ。横浜市立大文理学部国際関係課程卒。筑波大大学院地域研究研究科・東アジアコース修了。最新刊は『韓国の「反日歴史認識」はどのように生まれたか』、共訳書『親日派のための弁明』など多数。

2023年7月17日号 週刊「世界と日本」第2249号 より

 

「韓国の反日歴史認識を読み解く」

 

韓国研究者 

荒木 信子氏

 

 今年春以降、尹錫悦(ユン ソン ニョル)政権が戦時労働者問題への解決策を示し、日韓関係が「戦後最悪」の状態を脱したと言われる。果たしてそうなのか。

 現在の日韓関係を理解する上で韓国の「反日歴史認識」を今一度考えて見ることは重要である。以下、拙著『韓国の反日歴史認識はどのように生まれたか:終戦から朝鮮戦争までの南朝鮮・韓国紙から読みとく』(草思社)を書く中で得られた発見や結論を織り込みながら論じてみたい。

 

容易には変わらない歴史認識

 

 今回の韓国側の動きによって、戦時労働者問題が消えた訳ではない。韓国側が積極的に解決に乗り出した形となっているが、将来、日本企業がいわれなき責任を追及される危険が残っている。

 前の文在寅(ムン ジェ イン)政権の時期と比べれば「改善」と言えるかも知れない。しかしこれは韓国の現政権が北朝鮮の脅威を重視し、戦時労働者問題など歴史問題よりも優先するという韓国側の都合でもたらされたものである。

 重要な点は保守政権と言っても対日歴史認識は左派と大きく変わるわけではないことである。李明博(イ ミヨン バク)政権や朴槿恵(パク ク ネ)政権を思い出してもわかる。尹錫悦大統領の対日歴史認識は三一節の演説や歴史に関わる発言をみても韓国人一般と同じ範囲にあると考えられる。

 どのような国にも方針や政策に変遷はあるし、自国の都合で動くのは当然のことである。問題は韓国の場合、その変化のスパンが短く、ブレ幅が大きい。協定や合意事項など大きな約束事もひっくり返す。韓国の一部の人々は日韓併合条約(一九一〇年)さえ無効だと主張するほどである。

 

周辺の関係国も視野に入れて

 

 さて、韓国の反日歴史認識を考える時、忘れてならないのが利害の絡む周辺国の存在である。日韓の歴史認識問題は日本と韓国の二国間だけで考えがちであるが、周辺の国や勢力との関係を抜きに考えられない。外国勢力の影響を受けたり引き入れたり、あるいは国内の政争に結び付けたりするのである。

 日本が朝鮮を統治した時期は、戦争の時代であると同時に共産主義が勃興した時代であった。日本統治下の朝鮮に対し、交戦相手である国民党、米国、そして共産主義勢力であるソ連、中共、朝鮮内の共産主義者が朝鮮の民族感情を利用しつつ工作を繰り広げた。一方で内外に居住する朝鮮人活動家もこれらの外国勢力とそれぞれ結び付いていたのである。

 こうしたことは朝鮮総督府の治安資料に書かれているが、戦後の日本人は血と汗で得られた朝鮮での体験を「悪」として封印してしまい、自分たちの時代に活かすことをしなかった。

 戦前においても反日で立場を共有する、先述した国々や勢力が虚像の朝鮮統治像を広めた。戦後、内地の日本人が朝鮮事情をよく知らないことや日本で広がった贖罪意識と結び付いて、韓国の反日感情は日本側に非があると考える傾向が久しく続いてきた。

 見落とされがちな点としてもう一つ挙げるなら、戦後間もなく朝鮮半島南部を統治したのが米軍政だったことである。占領開始間もない一九四五年九月中頃から日本において進駐軍は日本メディア統制を徹底し日本軍の「残虐性」を報じさせた。その一例として同年一二月には新聞連載「太平洋戦争史」などを通じて、日本人に戦争犯罪国のレッテルを貼り日本国民に罪の意識を持たせようとしたことは、既に多くの研究によって指摘されている。

 こうした日本メディアへの統制、「戦犯」報道、天皇とマッカーサーの会見、人権指令やそれに伴う東久邇(ひがしくに)内閣総辞職など、いわば日本帝国を改変しようとする動きは日本国内の新聞同様に南朝鮮(韓国政府が発足する前の米軍政期)の新聞でも逐一報じられていた。こうした報道は南朝鮮内の優勢になりつつあった反日歴史認識を後押し、あるいは権威づけした可能性がある。

 

歴史的に強い中国との関係

 

 ところで先述の通り、現在の韓国は北朝鮮との対抗上、日米と連携を図ろうとしていると考えられる。この日米韓の関係は「反共」に基づき一九四〇年代後半に出来上がって紆余曲折を経ながら現在に至っているが、その当時は中国の存在感は今とは比べものにならなかった。

 伝統的に朝鮮半島の国は中国大陸を支配した政権との関係に苦慮する。二〇世紀はじめに日本が統治していた時期にさえ、地理的、歴史的、経済的近さから中国の影響は様々に及んでいた。終戦直後、南朝鮮の活動家と中国国民党は「反共の絆」と共に「抗日の絆」を強調していた。戦時中に反日活動を共同で行っていたのである。

 視点を現在に移すと、韓国は中国に対して米国とどれほど歩調を合わせるか疑問がある。例えば、半導体をめぐり米国は対中規制を厳しく行おうとするが、半導体大手サムスンは中国に生産拠点を置いており、韓国側は受け入れがたいだろう。

 一九九二年の中韓国交正常化以来、韓国は中国への経済的依存を強める一方、韓国からみて技術、経済など日本の支援を求める場面が減少したことで日本の存在は相対的に小さくなった。歴史認識問題という言葉が大きくクローズアップされたのは一九九〇年代初めと私は記憶しているが、中国の台頭と時を同じくしているのは偶然ではないだろう。

 

日本の対処とは

 

 では、こうした状況に日本はどのように対処すればよいだろうか。

 現在の日韓関係を「改善」とは考えない方が安全ではないかということである。戦時労働者問題は先方が無理筋で持ち出してきた問題であり、彼らが一時的に控えたからと言って日本が有難く思ったり、ましてや関係の進展に前のめりになる必要はない。二〇一八年一二月に発生した韓国海軍駆逐艦による会場自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件は不問に付されたままで「改善」とは言い難い。

 国際関係はロシアのウクライナ侵攻をきっかけに再編されつつあり、東アジアでも台湾問題、北朝鮮の核ミサイル問題に直面している。このような中、日本は韓国の反日歴史認識に注意すべきである。純粋な二国間の歴史問題ばかりでなく、軍事、領土、技術などあらゆる分野において、周辺国との関わりを視野に入れたい。韓国の反日歴史認識は、二国間問題に留まらないのである。

 


《ちの けいこ》 

横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在はフリーランスジャーナリスト。97年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。著書は『戦後国際秩序の終わり』(連合出版)ほか多数。近著に『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)。

2023年7月17日号 週刊「世界と日本」第2249号 より

 

日・ASEAN50年、新しいステージへ

 

ジャーナリスト 

千野 境子氏

 

 日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)は今年が友好協力50周年、ASEAN議長国のインドネシアとは国交樹立65周年、また加盟国ベトナムとも外交関係樹立50周年だ。これほど節目の周年が重なる年はそうそうない。天皇皇后両陛下の即位後初の外国親善訪問も6月、インドネシアご訪問が成功裏に行われた。日・ASEAN関係は今、次の新たなステージへ深化の時を迎えている。

 

 日・ASEAN50周年のキャッチフレーズ「輝ける友情 輝ける機会」は昨年、日本とASEAN加盟国によるコンペで620点の応募から選ばれた。フィリピン人の作品で、文言はもちろん、日本単独でなく全員参加の選出方式も一体感を醸し良かったと思う。

 かつて日本と東南アジアの関係は雁行型と表現された。先頭は日本、東南アジアは後を追う。だが今日、雁行型は経済に於いてさえ過去になりつつある。今こそ名実ともに「対等なパートナー」(1977年、福田ドクトリン)の時代の到来かもしれない。

 4月初めインドネシアを訪れると、ASEAN首脳会議(5月9日〜11日)を前にして首都ジャカルタには建物や通りに2つの標語が溢れていた。

 「ASEAN Matters(ASEANは重要)」

 「EPICENTRUM of GROWTH(成長の中心地)」

 どちらもASEANの今を上手く表現している。前者は最初、世界的に有名になった「Black Lives Matter(黒人の命も重要)」を連想したが、実はインドネシアの練達の外交官、マルティ・ナタレガワ元外相の著書のタイトルからだった。

 ただし本にはASEANは重要か?と疑問符が付く。この問いに標語はASEAN自らが「重要」と答えた形だ。激化する米中対立の狭間で舵取りを余儀なくされ、存在意義を自問自答するようで、なかなか含蓄がある。

 一方後者は対照的に迷いがない。コロナ禍の経済的打撃からも世界に先駆けいち早く抜け出し、アジア開発銀行(ADB)は東南アジアの経済成長率を2023年は4・7%、24年は5%を予測している。国内総生産(GDP)は欧州連合(EU)とはまだ大差があるにしても、人口は大きくリードし、これも「成長の中心地」を自任する所以だ。

 ジャカルタを訪れたのはラマダン(断食)中で、昼間は気だるそうな町が日没後のブカプアサ(断食明け)が近づくと、食事に繰り出す人、車、バイクが雲霞(うんか)の如(ごと)く湧き出て来て、通りやモールを埋めた。日本では絶えて久しいような活力溢れる光景だった。日・ASEAN関係の肝も、このように「成長の中心地」で「輝ける機会」を生かすことではないかと感じた。

 そこで新たな次のステージである。ここではこれまで比較的関係が希薄だった安全保障、特に海洋分野に注目したい。今、東南アジアでゆっくりではあるが、確実に起きつつある変化はまさにそこにあると考えるからだ。

 9月、ASEANは1967年の創設後初めて合同軍事演習を行う。6月初めバリ島で開いた国軍司令官会合の後、議長であるインドネシアが明らかにしたもので、演習場所は近年、中国の海警局船などが進入、ホットスポットになりつつある南シナ海南端・北ナトゥナ海のインドネシアの排他的経済水域(EEZ)だ。ただ「演習に陸海空は参加するが、海上警備や救助訓練に重点を置く」(イ軍司令官)という。

 中国の反発必至な戦闘作戦を含まないのは加盟国の対中温度差を慮(おもんばか)ったと言えるが、そうした中での初の共同演習実施は、ASEANが自ら南シナ海の安全に果たす責任と役割を表明するもので、意義は大きい。

 中でもフィリピンは、首脳会議でマルコス(息子)大統領が南シナ海における比の主権を強く主張、またASEANの長年の懸案で中国が消極的な拘束力を持つ南シナ海行動規範(COC)の早期妥結を求めるなど、親中派ドゥテルテ前政権との違いが顕著だ。6月には日米比3カ国で防衛・安保能力強化のための新たな枠組みを設置、初の日米比安保高官会合も開いている。

 こうした変化は日本側の変化とも呼応している。新たに導入された「政府安全保障能力強化支援(OSA)」もその1つで、政府開発援助(ODA)では出来ない防衛装備品の無償供与やインフラ整備などを行い、比にも早速適用されている。

 ただ対象となる「同志国の定義は特にない」(松野博一官房長官)というのはどうだろうか。誤解や禍根を生まぬよう日本は基準を明確にし、相手国との密な協議も必要だ。

 カギとなるのは日米が中心となって進める「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想とASEANによる「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」の推進である。ASEANの一部には当初、FOIPを中国包囲網と懸念する声もあったが、両者は法による支配を始めとして多くの原則を共有しており、決して対立矛盾するものではない。

 またFOIP策定を主導したインドネシアのルトノ・マルスディ外相は「平和で安定し、国際法を強調し、包括的協力を優先するインド太平洋は、ASEANが成長センターとなる鍵」と述べ、AOIP実施を議長国の最優先事項としている(外相発言は紀谷昌彦ASEAN日本政府代表部大使の講演録より引用)。

 地図を見れば一目瞭然のように、インド太平洋の真ん中に位置するのがASEAN諸国である。ASEAN抜きのインド太平洋はあり得ない。日・ASEAN関係は1973年11月、第1回合成ゴムに関する日・ASEAN会議に端を発し、他のどの国よりも早く歴史が長い。日本はASEANとの協働をさらに活発化し、FOIPの深化を進めるべきだ。ASEANも中心性や一体性保持にAOIPはますます重要になるだろう。

 もう1つの50周年である日越関係にも若干触れたい。それはベトナム和平の賜物だった。73年1月、パリで全当事者が同協定に調印、9月に外交関係樹立となった。東南アジアが「戦場から市場へ」(88年、チャチャイ・タイ首相)向かう第1歩だった。

 今年も既に折り返し点を過ぎた。しかし日本とASEANは後半にも重要会議を控えている。第1に東アジアサミット(EAS)のASEAN関連首脳会議は9月4日から11日までジャカルタで開かれ、東ティモールもオブザーバー参加する。ASEANは11カ国体制が射程に入っている。

 第2は12月16日から18日まで東京で開催する日・ASEAN特別首脳会合だ。掉尾(ちょうび)を飾ることが出来るかどうか、次の50年へ向けて日本の東南アジア外交が問われる。

 

 


《おかべ よしひこ》 

1973年兵庫県生まれ。博士(歴史学)、博士(経済学)。神戸学院大学経済学部教授、ウクライナ研究会(国際ウクライナ学会日本支部)会長。日本人初のウクライナ国立農業科学アカデミー外国人会員。ウクライナ内閣名誉章、最高会議章を受章。著書に『本当のウクライナ』(ワニブックスPLUS新書、2022年)、『日本ウクライナ交流史』(神院大出版会、2021、22年)など。

2023年7月3日号 週刊「世界と日本」第2248号 より

 

『ロシア連邦崩壊のプレリュード(序曲)』

 

神戸学院大学経済学部教授 

岡部 芳彦氏

 

 「北コーカサス山岳共和国」をご存じだろうか。ロシア帝国崩壊後に4年ほど、現在のチェチェン、ダゲスタン、オセチア、チェルケス人などの居住地域を中心にジョージア付近に存在したイスラーム系の独立国家である。同じ頃に独立を果たしたウクライナ国民共和国との2国間関係樹立を模索した時期もある。

 

  筆者は、本年5月27日、ウクライナ文化情報政策省戦略コミュニケーション・情報安全保障センター主催のキーウで開かれた「北コーカサス山岳共和国建国105周年国際会議」に基調講演者として招かれた。一見、学術会議に見えるこの会合には、コーカサス地方の反プーチン勢力、ロシア連邦からの分離独立を目指す40余りの少数民族勢力の代表者が勢ぞろいした。例えば、日本のメディアでもたびたび取り上げられる「自由ロシア軍団」の政治部門を主導しているイリヤ・ポノマリョフ元露国家院議員、チェチェン・イチケリア共和国亡命政府のアフメド・ザカエフ首相などである。彼らは現在「ロシア後の自由な民族フォーラム」を欧州議会など世界各地で開催し、本年夏以降に東京での開催を目指している。フォーラムは、すでにロシア連邦崩壊後の地図まで公表しており、それによれば、北方領土のみならず、千島列島まで日本に返還される予定である。

 今回の国際会議では、正直なところ、学術的な内容の報告は筆者だけで、会場にいた日本人記者に後に聞いたところでは、参加者の反応は非常に良かったそうである。それを示すように多くの質問が出た。日本は北コーカサス山岳共和国独立後、その動向に注視し支援しようとした事実があったことを報告したのである。外交史料館には、外務省嘱託で、後に世界連邦運動の携わる稲垣(いながき)守克(もりかつ)が書いた「北コーカサス亡命政府の報告」というレポートが残っている。稲垣は、北コーカサス山岳共和国元外相のハイダル・バマトや高官であったアイテク・ナミトクらとスイスのジュネーブなどで接触を続けていた。

 一方、のちに駐独日本大使となる大島(おおしま)浩(ひろし)は駐独武官室長の時にバマトと接触し、秘密工作を始めた。大島の活動の詳細はナチス親衛隊SSのハインリッヒ・ヒムラー長官の覚書に残されている。それによれば、バマトを通じて、10名程度の工作員を雇い、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンの暗殺を計画していたという。戦間期の日本は、旧ロシア帝国やソ連内の少数民族問題に高い関心を持ち、連携を模索するとともに、資金を与え秘密工作を仕掛けていたのである。

 最近は世界のすべてを掴んだかのように語ることで、日本では「知の巨人」とやや持(も)て囃(はや)され気味のエマニュエル・トッドだが、ソ連の崩壊を予想したのは確かである。歴史人口学者であるトッドは、ソ連の乳児死亡率の上昇や男性平均寿命の減少に気づき、専門的な観点からその結論を出した。今回のロシアによるウクライナ侵略では、ブリヤート人、ヤクート人、トゥバ人といったロシア連邦内のアジア系地域の部隊が激戦地に送り込まれ、その多くが戦死したと言われる。またそれら少数民族系の部隊が侵攻した地域では、ブチャに代表されるように虐殺事件まで発生した。

 広大なロシアの中でなかなか実態が見えにくいそれらの地方では、プーチンやロシアの中央政府への不満が高まっている。例えば、チベット仏教を信奉するロシア連邦内の人口27万人のカルムイク共和国では、昨年10月27日自称「オイラト・カルムイク人民会議」が、カルムイクの独立宣言を発表した。それによれば、ロシア・ウクライナ戦争に同会議は反対で「ウクライナでの非常識な大虐殺」のためにカルムイク人を参加させるべきではないと主張している。

 一方、人口380万人で、ロシア連邦内ながら、独自の憲法を持ち外交なども行ってきたタタールスタン共和国では、タタール人の「ロシア化」が進んでいる。2017年7月、プーチン大統領が「ロシアの一部である共和国で、子供たちに母国語の勉強を強制すべきではない」と宣言した。同年11月、学校でのタタール語の義務教育を廃止し、現在では授業時間が週20時間から2時間となった。筆者も、かつてタタールの民族衣装を着たタタール系ロシア人の知人が、今ではすっかりロシアの民族衣装を着て民族的に「ロシア人」であることを強調する姿を見たこともある。プーチン政権からの政治的圧力も強まっており、タタールスタンでは昨年まで首長が「大統領」と呼ばれた唯一の行政区だったが、昨年末に憲法改正を余儀なくされアラビア語で首長を意味する「ライス」の呼称に変更された。そんな中、独立を目指すタタール人団体は「プーチン政権との決別」を呼びかけている。我々はもしかすると、気づかぬうちに、『ロシア連邦崩壊のプレリュード(序曲)』を目の当たりにしているのかもしれない。

 コーカサス地方だけではなく、第一次世界大戦末期に、日本は極東における白系ロシア人勢力を支援した。たしかに満洲国建国には誤った方向性もあったかもしれないが、一方、この時期の日本は少数民族の支援には力を入れていた。徳王のモンゴル人勢力などの独立運動を支援し、蒙古(もうこ)聯合(れんごう)自治政府が樹立された例もある。筆者の専門である日宇交流史においては、ハルビンに住むウクライナ人の独立運動を支援しようとした時期もあった。

 現在の日本は、ロシア・ウクライナ戦争が終わるまでひとまず様子見で、ほとぼりが冷めるのを待っているだけで、戦後の対ロ関係の再開を期待しているようにも見えなくもない。また、「プーチン政権」をロシアそのものと思い込んでいる親ロシア的政治家や評論家も散見される。ただ、2022年2月24日を境に大きく変わりつつある世界を前に、何もせず、ただ待つだけでいいのか。仮にロシア連邦が崩壊した後で、「独立」を果たした少数民族の人々は、その活動を支援しなかった日本人を信用するだろうか。我々の先人たちの経験は、今の日本人にそんな疑問を投げかけている。もしかすると、我々日本人は、北方領土を取り戻す最後の機会をみすみす見逃しているのかもしれない。

 

 


《ますお ちさこ》 

九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1974年生まれ。東京大学大学院で博士号(学術)取得。専門は中国外交、東アジア国際政治。『中国の行動原理』(中公新書)ほか著書・論文多数。

2023年6月5日・19日号 週刊「世界と日本」第2246・2247号 より

 

習近平はなぜ中央アジアを重視するか

 

九州大学大学院教授 

益尾 知佐子氏

 

 5月19日から21日にかけ、広島でG7サミットが開催された。中国はあえてそこにぶつけるように、18日から19日に西安で初めての中国=中央アジア首脳会議を開催した。今後、この会議は定例化され、2年に一度、中国か中央アジアの一国でサミットが開かれる。

 

 この中国=中央アジア首脳会議のニュースに接して、日本人の多くはこう考えたのではないか。米国を含むG7のメンバー国と国際的に存在感の薄い中央アジアの国々では、国際政治上の重みが違い、比較にならない。

 だが、それは中国を軽く見過ぎだ。この二つの会議は、日本が広島サミットで西側の「同志国」との結束に動くかたわら、中国が中央アジアからアフリカまでを自国の勢力圏としてまとめ始めたことを意味する。

 では、推測される中国の意図を説明しよう。中国はこれまでも中央アジアの国々と緊密な協力を進めてきた。主な舞台となったのは、2001年に創設した上海協力機構(SCO)だ。設立時のメンバーは、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン。(2017年にパキスタンとインドが加入、現在はイランとベラルーシが加入申請中。)

 だが中国は今回、これとは別に中国=中央アジア首脳会議を新設した。それは中国が、旧ソ連圏中央アジアに強い影響力を有してきたロシアを排除し、独自の枠組みを構築し始めたことを意味する。中国は中央アジアではこれまで、ロシアにかなり気を遣っていた。だが昨年9月に習近平がコロナ後初めて外遊し、SCOのサマルカンド首脳会議に出席した際は、覇気なく遠慮がちなプーチンと対照して、盟主の気風で集合写真の真ん中に陣取る習の姿を中国メディアが配信した。中国は中央アジアでロシアに取って代わろうとしている。

 

内向き国を国際社会へ

 しかし、中国=中央アジア首脳会議の意義はそれにとどまらない。SCOと比べ、この会議の明らかなメリットが一つある。それは「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれ、かつてほとんど国際会議に出てこなかったトルクメニスタンをメンバーに加えたことだ。

 トルクメニスタンは天然ガスを産出する資源国だが、これまで隣国のウズベキスタンなどともほとんど交流せず引きこもってきた。

 だがこの数年、中国は一帯一路でトルクメニスタンに関係強化を持ちかけていた。昨年3月、同国で大統領選挙が行われ、グンバングル・ベルディムハメドフ大統領から息子のセルダル・ベルディムハメドフへの世代交代が行われると、習近平が直接、祝福の電話をかけている。

 セルダルは今年1月の中国・トルクメニスタン国交樹立記念日に合わせ訪中した。習近平はその際、彼に、両国のサプライチェーンの一体化や連結性の向上を訴え、法執行やテロ対策などを含む全方位の協力と運命共同体の構築を約束した。

 さらに新たな協力メカニズムとして「中国+中央アジア5カ国」の枠組みを立ち上げ、そのサミットを開催し、トルクメニスタンとSCOの間の協力も深めようと述べた。

 

習近平の国際戦略

 中国はなぜトルクメニスタンを重視するのか。ここで考えたいのは、同国の地理的な位置だ。1963年末に周恩来総理がアフリカ諸国への初訪問に出かけてから、中国はアフリカと友好関係を維持してきた。2010年代にはアフリカ諸国への対外援助をさらに拡大し、中国企業も次々とアフリカに進出した。国際情勢を考えるとき、中国にとってアフリカは中央アジアと並ぶ安心圏である。

 他方、サウジアラビアとイランの仲介外交に示されるように、中国は昨今、中東に積極的な外交攻勢をかけている。実はSCOは近年、西南・東南方面に拡大中だ。SCOにはフルメンバー、オブザーバー、そして対話パートナーの3レベルのステータスがある。このうち対話パートナーは拡張著しく、2022年には新たにエジプト、カタール、サウジアラビアにステータスが授与された。現在はバーレーン、クウェート、アラブ首長国連邦、モルディブ、ミャンマーの5カ国の加入が検討中だ。

 対話パートナーは地域反テロ組織などの機密性の高い協力には加わらない。だがSCOが開催するほとんどの会議に参加でき、そうした場を活用してメンバー国と自由に交流できるため、いったんそれに加われば仲間扱いされるという。

 中国は中東諸国の反米感情を利用しながらこの地域との関係強化を図っている。昨年12月にサウジアラビアを訪問した習近平は、滞在中に中国=湾岸協力会議と中国=アラブ諸国首脳会議の二つの多国間会議に参加した。

 ここで、もし中央アジア、中東、アフリカを繋ぎ合わせ、それらの政治・経済的な一体化を進めて中国の影響下に置くことができれば、中国の国際的な立ち位置は全く変わってくる。

 中国は西側諸国が中国の封じ込めに動いていると見てきた。しかし、この作戦が成功すれば、中国は西側諸国の「よからぬ企み」に地理的な楔(くさび)を打ち込み、ヨーロッパとインド太平洋地域を分断することもできるのだ。

 

重点は西南進出

 そのための最初のステップは、中央アジアと中東地域の連結性を高め、地域としてのつながりを育んでいくことである。

 だが、問題はアフガニスタンだ。同国は伝統的にずっと両地域の結節点だった。しかもSCOのオブザーバー国であり、今のタリバン政権は中国とも関係が良好だ。

 ただ、いかんせん政情不安定で、大規模なインフラ開発はまだ無理だ。ここで、隣国のトルクメニスタンにこの結節点としての機能を当面代替させられれば、中国はその一帯一路の影響力を同国経由で隣のイランに広げ、さらに中東全域に拡張していくことができる。だから、習近平の地政学戦略にとってトルクメニスタンは不可欠なピースなのだ。

 残念ながら、広島サミットの高揚感に酔いしれている余裕はわれわれにはない。中国は、西側を中心とする既存の国際秩序に不満な勢力を抱き込み、経済力や技術力を駆使しながら、中国にとって平和な、新たな国際秩序を形成しようと積極的に動いている。どうやら長期化しそうなこの転換期を、われわれは自分の知恵と努力で乗り切っていかねばならない。

 

 


《かわぐち  まーん  えみ》 

85年シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。最新刊は『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているのか』など著書多数。

2023年5月22日号 週刊「世界と日本」第2245号 より

 

「激変する世界情勢と落日のドイツ」

 —日本が探るべき独自外交への道—

 

作家 (独ライプツィヒ 在住) 

川口 マーン 惠美氏

 

 ロシアがウクライナに攻め込んだ3日後、ドイツのショルツ首相は臨時国会を開き、「時代の転換」を宣言。1000億ユーロの軍事予算の追加投入や、ロシアのエネルギーからの脱却といった方針を果敢に打ち出した。

 

 ただ、それから一年余り経つが、今も軍備はポンコツで大して変わり映えがしないし、国民の大半が平和ボケなのも日本と同じだ。

 一方、エネルギーはというと、早いうちからEUの対ロシア経済制裁の一環であるボイコットに加わったものの、石炭と石油はともかく、是非とも必要だったガスをロシアに止められてしまったことで四苦八苦。以来、自分たちが掛けた制裁の回避に右往左往が続いている。

 ロシアへの依存度が55%にも上っていたガスは、容易には代替が効かない。生ガスとしてパイプラインで輸入できるのはノルウェー産ぐらいで、これは高価な上、量が限られる。あとは米国や中東からのLNGだが、安いロシアガスで潤っていたドイツには、受け入れのための基地さえなかった(12月に1基が完成)。しかし、どうにか入手できても、価格がロシアガスの数倍になるLNGでは、ガス消費の多い産業は生き残れない。

 また、元々高かった電気の供給が不安定になっており、投資先としてのドイツの魅力は潮が引くように減退している。その結果、自動車や化学といった基幹産業が、すごい勢いで脱出し始めた。行き先は、電気が安く、労働力も豊富で、CO2もまだたっぷり排出できる“発展途上国”中国! 追いかけて行けない中小の関連企業は、早晩、続々と倒れるだろう。こうなると国内の空洞化と不況の到来は織り込み済みだから、そのうち念願の脱炭素も達成できるかもしれない。いずれにせよ、ドイツ政府の公式見解、「中国とは距離を置き、今後は民主主義の日本と協働する」は、あまり本気にしない方が無難だ。

 EUで一人勝ちと言われるほどの繁栄を謳歌(おうか)していたドイツが、なぜこんなことになったのか?

 ドイツ政府はすべてプーチン大統領のせいにしているが、それは必ずしも正しくはない。最大の原因はエネルギー政策の破綻である。元々、石炭や褐炭を駆逐(くちく)しようというのがEUの政治的方針だったが、ドイツは同時に原発も減らした。

 一方で再エネを際限なく増やし、それらの出力変動をならすため、ロシアのガスを投入した。そして、それを批判されると、ガスは再エネ100%を達成するまでの「つなぎ」だからと逃げ、CO2を大量に出しながら、他のEU国を経済で圧倒したのである。ただ、21年は風が吹かず、風力電気が枯渇。ガス需要はさらに増え、同年の夏にはすでに高騰が始まっていた。

 さて昨年、そのロシアガスが途絶えたとき、新たな設備投資もなしに、安価に、確実に発電ができる原発がかろうじて3基残っていたことを、本来ならば、ドイツ政府は慶事と見なすべきだった。

 ところが、彼らは派手なすったもんだの末に、わずか3カ月半の稼働延長をしただけで、今年の4月15日に原発を永久に止めた。しかも、その後の電気の供給は全く闇の中。産業が逃げ出すのも無理はない。

 現在のドイツ政府は社民党、緑の党、自民党の3党連立だが、中でも強大な力を有しているのが経済とエネルギー政策を担っている緑の党だ。そして、その彼らが最重要課題として掲げているのは、産業振興でも、貧困対策でも、インフレ抑制でもなく、1日も早い脱炭素社会の達成。

 ただ、政策の破綻ぶりは甚だしく、脱炭素を天命のごとく掲げながらCO2フリーの原発を葬り、その代替は石炭。CO2は格段に増える。それどころか、ドイツの原発は危険過ぎるとして停止したのに、経済・気候保護相は4月初め、「ウクライナが原発に固執するのは当然で、安全に稼働している限りはよろしい」と言ってドイツ人を唖然(あぜん)とさせた。

 戦時国ウクライナの原発がロシアの攻撃対象になることはなく安全で、ドイツの原発には明日にも旅客機が落ちるかもしれないというのは、ついていけない理屈だ。

 ちなみにウクライナの原発は多くが80年代に建てられたソ連製で、思えば86年に火を噴いたチェルノブイリ原発も、ウクライナの原発だった。常識で考えればドイツで今動いている新しい原発の方が安全性は高い。

 4月半ばには稼働延長を望む国民の声が6割を超えたが、緑の党の意思が揺らぐことはなかった。彼らにとって脱原発は絶対的ドグマであり、科学的根拠も、産業の破壊も、国民の声も、CO2もどうでも良かった。

 いずれにせよ、原発の消えた今後のドイツでは、ガソリン車もガスの暖房も、CO2を出すものがいずれすべて禁止される予定だ。

 しかも、ロシアへのエネルギー依存はその他の国に変わるだけだし、経済の中国依存はますます深みにハマり、軍事の米国依存からは絶対に抜け出せない。そうする間に、すでにドイツではインフレが進み、貧富の格差が広がり、教育は崩壊し、急増する難民が自治体を押し潰しつつある。

 日本では未だに緑の党を善良な環境党と勘違いしている人も多いようだが、彼らのミスリードはドイツ産業にとって致命的だ。その先の世界は想像を絶する。当然のことながら、EUの国々は道連れにならぬよう、必死で独自の路線を探り始めた。

 なお、今まで自分たちは豊かだと信じていたドイツ国民も、ようやく足元が危うくなってきたことに気がついたらしく、これまで極右の濡れ衣を着せられていた右派政党AfD(ドイツのための選択肢)が次第に支持者を増やしている。緑の党を最初から鋭く批判していたのはAfDだけだったから、彼らの暴走を止められるのも同党以外にはないと、皆が思い始めたのかもしれない。風見鶏の独メディアにもすでに転向の兆候が見える。

 ということは、岸田首相がサミットで舞い上がり、EUやG7の作ったお題目を得意がって復唱しても、お笑いナンバーになる可能性が高い。

 各国が速やかに自国ファーストに舵を切り替え始めた今、日本も欧米の尻馬にばかり乗ろうと思わず、独自外交を探るべきだ。

 

 


《ロバート・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所・代表)》 

1968年、米国生まれ、99年、神戸大学大学院より政治学博士号。大阪大学准教授、海兵隊顧問等を経て現職。日本戦略研究フォーラム上席研究員。『沖縄問題の起源』、『オキナワ論』、『尖閣問題の起源』、『人口減少と自衛隊』、『中国の脅威に向けた新日米同盟』など多数。

2023年4月17日号 週刊「世界と日本」第2243号 より

 

台湾を認めろ、さもなくば

 

 

政治学者・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長 

ロバート・D・エルドリッヂ氏

 

 中米のホンジュラスは去る3月25日、台湾と断交して、中華人民共和国と国交樹立すると発表した。ホンジュラスの現在の与党は、以前からその方針だったが、長年にわたる中華人民共和国の「魅力攻勢(チャーム・オフェンシブ)」やその他の悪質な政治的・経済的圧力を受けて、中国の魔の手に落ちる最新の国となった。

 

 2021年12月にニカラグアが中国側についたのがその前だ。台湾で蔡英文氏が総統になった2016年以降、この7年間で既に8カ国が承認替えを行い、中国は歴史的に影響力が及ばなかった地域でより大きな足場を築くことができるようになった。

 ホンジュラスの場合、2021年11月の大統領選の時、カストロ候補は中国を承認すると公約を挙げたが、当選後、台湾との関係を維持してきた。

 今回、ホンジュラスが台湾を捨てて、中国を承認した結果、台湾を承認しているのは、中南米・カリブ海地域のベリーズ、グアテマラ、パラグアイ、ハイチ、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、太平洋地域のマーシャル諸島、ナウル、パラオ、ツバル、アフリカのエスパニ、欧州のバチカン市国の13カ国と、国連加盟国はわずか12カ国となった。

 台湾を助けようとする国の数が減れば減るほど、台湾の孤立は大きくなる。

 同様に、中国を承認する国が増えれば、中国が台湾を侵略する際の外交的、経済的、軍事的なコストや罰則が軽減されることになる。つまり、戦いが容易になるのだ。

 前述の諸国の軍事的価値は無視できるほど小さいが、政治的な象徴性は非常に大きい。

 戦争が起こるのは、さまざまな理由がある。そのひとつは、軍事的なバランスが一方に傾いたときである。

 中国としては、できれば平和的に、必要なら武力的に台湾を奪いたいが、軍事的にそれができないでいた。意志はあっても、力がなかったのだ。

 しかし、これはもはや事実ではない。

 むしろ、以前からそうであった。少なくとも2015年頃から、中国はいつでも台湾をとれると米軍出身の専門家たちは分析していた。

 一方で、米国の能力と即応性は低下し続けている。

 特に心配なのは、中国による宇宙の軍事化であり、通信やGPSなど、現代の戦争に不可欠な米国や同盟国の人工衛星を破壊する能力である。中国は特に2007年からそのノーハウに集中してきた。米国とその同盟国は、現在、その衛星を守るための防衛システムを持っていない。

 このような防衛システムは2026年まで導入されないと予想されていたが、新型コロナウイルスのパンデミックによるサプライチェーン問題、とりわけ半導体チップ不足により、2027年まで導入が延期されたと思われる。

 2021年3月に当時のインド太平洋軍司令官であるフィリップ・S・デビッドソン提督が米上院軍事委員会で「中国は早ければ6年以内に攻撃するかもしれない」と発言した背景には、このような事情があると筆者は考えている。

 また、広く報道されているように、ウクライナに武器や物資を提供することで、米国はその在庫を減らしてしまった。兵器によって生産するには数年かかるとのことで、世界の安全保障を担うアメリカやその同盟国にとって非常に危ない状態だ。

 さらに心配なのは、紛争地域の拡大が予想され、それが中国にとって有利に働くことである。

 昨年2月上旬にロシアの侵攻によって始まったウクライナ戦争が勃発し、その直前にロシアのプーチン大統領と中国の習近平国家主席が共同声明を発表するまでは、台湾有事といえば台湾海峡に限定されていただろうが、同じ共同声明にある以下の気になる文言から、北は北海道まで軍事行動を伴う可能性が出ている。

 「双方は、自国の核心的利益、国家主権及び領土保全の保護に対する強い相互支持を再確認し、自国の内政に対する外部勢力の干渉に反対する。」

 9ページに及ぶこの声明は、現状打破の核保有国である2カ国が否定するとしても、確かに同盟のように読み取れる。

 台湾有事の際には、ロシアに加えて、核武装し、ここ数カ月間ノンストップでミサイル実験を続けている北朝鮮も心配される。

 つまり、一面的な戦いが三正面の戦争になる可能性があり、米国をはじめ、人員も資金も不足している日本の自衛隊の集中力を大きく分散してしまう。さらに、破壊工作員などによる日本国内での大混乱を除けば、戦争はもう一つの「前線」を持つことになる。

 さらに、この戦争は、まだ十分に理解され、準備されていない分野にわたる多領域にわたるものであろう。

 つまり、正面が拡大するのみならず、内容や次元も多くなる。

 このようなことを述べたのは、台湾は残念ながら、基本的に防御不可能であることを指摘するためである。

 これは、台湾を守ろうとするなということではなく、台湾を合理的に守れなくなっていることを観察しているのだ。

 したがって、より大胆な効果的な戦略が必要である。すなわち、国際社会は、中国を抑止する唯一の方法として、台湾を外交的に認めなければならない。

 もし、民主的で豊かな遵法国家であり、報道の自由、人権、政治参加など、日本を含めて西側が大切にしているあらゆる規範や価値観で非常に高いランクにある台湾を、軍事的に重要でない13の小国ではなく、その十倍の130カ国、あるいはそれ以上の国が認めれば、中国は躊躇することになる。

 中国が台湾を攻撃すれば、世界の多くの国々と戦わなければならなくなる。

 あの勇敢な国である台湾にとって、もう時間がないのだ。世界は目をそらすことはできない。

 中国の近隣諸国に対する行動、特に領土問題、そして内部では少数民族の弾圧はよく知られている。台湾人は、中国が1997年以降、特に昨今、香港を占領した後に何が起こったかを見た。そのような取り決めには一切関わりたくないと考えている。

 国際社会、特に米国と日本は、本当に戦争を回避したいのであれば、そのことを理解し、手遅れになる前に再認識する必要がある。

 台湾の有事は、正に日本の有事だ。

 台湾の国家承認は、唯一台湾を守る方法だけでなく、日本のその後の存立を守る唯一な方法だ。だから、「運命共同体」という表現がある。日本が外交的に先頭に立つのは苦手だが、歴史、文化、経済、安全保障などのそれぞれの面、台湾と深い関係のある日本こそが、いち早く国家承認すべきだ。

 日本よ、自信を持ちなさい。世界は必ず付いて行くから。

 


《むらた こうじ》 

1964年、神戸市生まれ。同志社大学法学部卒業、米国ジョージ・ワシントン大学留学を経て、神戸大学大学院博士課程修了。博士(政治学)。広島大学専任講師、助教授、同志社大学助教授を経て、教授。この間、法学部長・法学研究科長、学長を歴任。現職。専攻はアメリカ外交、安全保障研究。サントリー学芸賞、吉田茂賞などを受賞。『現代アメリカ外交の変容』(有斐閣)など著書多数。

2023年4月17日号 週刊「世界と日本」第2243号 より

 

日本の人権・価値観外交の覚悟と

したたかさを問う

 

同志社大学法学部教授 村田 晃嗣 氏

 

 2月3日夜のことである。岸田文雄首相の秘書官を務める荒井勝喜氏(経済産業省)は首相官邸で記者団のオフレコ取材に対して、同性婚カップルについて、「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」と語り、同性婚の合法化に関して「認めたら、日本を捨てる人も出てくる」などと述べたという。毎日新聞がこれを報じたことから、問題になり、翌日には岸田首相が「言語道断」とコメントして、同秘書官を更迭した。当然であろう。

 それにしても、岸田内閣が提唱する「多様性を包摂した社会」とは何であろうか。さらに言えば、安倍晋三元首相が唱道した「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)といった価値観外交の根底にある価値とはいかなるものであろうか。スタンフォード大学教授(社会学)の筒井清輝氏によれば、これまで国際人権問題で、多くの国々が「空虚な約束のパラドックス」に陥ってきたという。つまり、対外的にリベラルなメッセージを発し続けてきた結果、国内での政策にも一貫性を持たせなければならなくなるのである(筒井『人権と国家』岩波新書)。今日の日本も、このパラドックスに陥っているようである。

 中国の拡張主義や北朝鮮の挑発によって、日本を取り巻く戦略環境は日に日に厳しさを増している。そこに、ロシアのウクライナ侵攻が加わった。国際連合安全保障理事会常任理事国が、公然と国連憲章を踏みにじったのである。昨年末に公表された「国家安全保障戦略」は「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」と記している。日本は5年間で防衛費を倍増することで、これに対応しようとしている。

 しかし、中ロの新「神聖同盟」や北朝鮮がわれわれに突きつけているのは、軍事的な脅威だけではない。基本的人権や自由、民主主義など戦後の日本が依拠してきた規範、そしてアメリカ中心のリベラルな国際秩序が、根底から脅かされているのである。だからこそ、日本はFOIPのような価値観外交を掲げて対抗しようとしてきたのである。

 国際政治は力の体系であると同時に利益の体系であり、価値の体系である(高坂正堯『国際政治』中公新書)。つまり、国際政治は軍事力と経済力、価値観の複合体なのである。イギリスのウィンストン・チャーチル首相は洒脱にも、「殺すより盗むがよく、盗むより騙すがよい」と喝破している。まず優先すべきことは騙す(価値観)であり、次いで盗む(経済力)、そして最後が殺す(軍事力)だというのである。

 戦後の日本は長らく「経済大国」として、もっぱら利益の体系の中に生きてきた。だが、「経済大国」としての地位が傾くにつれて、価値観を重視した外交を展開するようになってきた。さらには、新たな安全保障戦略の下で、日本は軍事力にも相応の関心を注ぐことになった。安倍元首相はこうした外交政策のシフトを主導してきた。岸田政権も、これを継承している。

 経済外交から価値観外交へ、そして価値観外交から軍事力に支えられた現実的な戦略へ—いわば、吉田茂流の商人の外交から武家の外交への変容であろうか。こうした流れは、安倍氏を支持する国内保守層に概ね歓迎されてきたといってよい。しかし、そこには上述の「空虚な約束のパラドックス」が待ち構えていたのである。つまり、中国や北朝鮮を批判する際には大いに人権について語るが、日本国内の人権問題にはさしたる関心を払わないという矛盾、あるいは偽善である。いや、それどころか、2014年にロシアがクリミアを併合しても、北方領土問題の解決を念頭に、安倍首相はソチの冬季オリンピックに出向いたのである。

 荒井前秘書官が非難した同性婚について見てみよう。もとより、日本国憲法24条は婚姻を両性の本質的平等によると定めているから、これを改正せずに同性婚を認めることは困難である。しかし、法的に認めるか否かと、公職にある者が「見るのも嫌だ」と不快感を露わにすることは、まったく異なる。これでは「包摂」どころか、あからさまな排除である。

 アメリカ、オーストラリア、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど、日本が価値観を共有する同志国は、みな同性婚を認めている。逆に、日本の保守層が嫌う国々、中国、韓国、北朝鮮、ロシアは、日本と同様に同性婚を認めていない。日本の価値観外交は大きな「ねじれ」を孕んでいる。

 2019年には、アジアで初めて、台湾で同性婚が認められた。最高裁判所の判決を受けて、同性婚を認める特別法が定められたのである。そこには長年の人権活動の歴史があるが、同性婚を容認することで先進国との価値共有を誇示し、中国との差異を明確にするという、台湾のしたたかな戦略的計算も無視できない。

 同性婚はおろか、自由民主党はLGBTQ理解促進法案すら、まだ国会に提出できていない。日本が足踏みを続ける中で、アメリカ社会はさらに変化しつつある。「ポリアモリー」(polyamory)という言葉をご存じだろうか。同時に複数の人と交際する恋愛関係の意味である。誠実に愛し合うのであれば、婚姻が男女のみならず二人の関係である必然もない、というわけである。例えば、愛し合う3人の男女が同時に婚姻関係をもつ。もちろん、3人のゲイでも、3人のレズビアンでもよかろう。2020年のギャラップ調査によると、アメリカ人の5人に1人が、こうした「ポリアモリー」を道徳的に受け入れられると回答している。これは2006年に比して4倍増である。ミレニアル世代(1981—96年生まれの人々)では、5人に2人がもはや一夫一婦制に固執していない。ある匿名の調査によると、夫婦関係にある者の5人に1人が浮気を経験しているというから、ミレニアル世代はむしろ正直なのかもしれない(The Economist, 2023年1月14—20日号を参照)。

 何も、アメリカが「先進的」で日本が「後進的」だという二分法を描きたいわけではない。ただ、日本が文化や伝統を人権制約の特殊事情に用いることができるとすれば、中国にもそうできる。そして、日本が内向きの理由を探している間に、同志国の多くはどんどん変化していく。

 近年、中国はしばしば経済を武器にしていると指摘される。「経済の武器化」である。ある意味で、西側諸国も人権を武器化してきた。中国や北朝鮮を念頭に、日本外交も意識的に「人権の武器化」を試みるとすれば、まずは「空虚な約束のパラドックス」から脱しなければならない。安倍氏の非業の死を受けて、本来はよりリベラルな宏池会出身の岸田首相が、その代役をつとめなければならなくなっている。日本の人権外交、価値観外交にどこまでの覚悟と戦略的したたかさがあるのか—図らずも、荒井発言はここに一石を投じたのである。その波紋は大きい。

 


《おがわ かずひさ》 

1945年熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理の分野で政府の政策立案に関わり、小渕内閣ではドクター・ヘリ実現に中心的役割を果たした。著書に『日米同盟のリアリズム』(文春新書)、『フテンマ戦記 基地返還が迷走し続ける本当の理由』(文藝春秋)ほか多数。

2023年3月20日号 週刊「世界と日本」第2241号 より

 

気球から見える中国の狙い

 

 

静岡県立大学特任教授 小川 和久 氏

 

 2月2日、米国のバーンズCIA(中央情報局)長官はジョンズ・ホプキンス大学での講演で衝撃的な事実を明らかにした。

 なんと、中国の習近平国家主席が2027年までに台湾侵攻の準備を整えるよう軍部に指示したというのだ。

 2021年3月のインド太平洋軍司令官デービッドソン海軍大将(当時)の議会証言に代表されるように、それまでの米国側の中国脅威論は軍事予算増額の必要性をアピールしたり、内政に不満を抱く国民の目を外にそらし、中国に対して弱腰ではないと強調するバイデン政権の国内向けメッセージの色彩が濃かった。

 だが、そこに飛び込んできた相次ぐ中国気球の領空侵犯のニュースによって、専門家はバーンズ発言の根拠に目を向けることになった。

 気球はICBM(大陸間弾道ミサイル)関連施設が展開しているモンタナ州上空で一般市民にも目撃されたが、米政府は気球が収集できる情報も一定以上のものはないと判断、破片など落下物の地上への被害を考慮して、大西洋上に出るまで戦闘機による監視にとどめた。

 偵察気球だとする米国に対し中国は民間の気象観測用だと遺憾の意を表明した。それでも米国は引かず、ブリンケン国務長官の中国訪問を直前に中止、大西洋上に出た気球をF—22ステルス戦闘機が空対空ミサイル・サイドワインダーで撃墜した。

 気球は直径60メートル、総重量5トンほど。高高度偵察機U2による上空からの精密偵察と回収で明らかになったSIGINT(電波・電子情報収集)用の装置と動力源の太陽光パネルなどの重量は約1トン。米政府は、気球が中国人民解放軍と関係の深い企業の製品で、世界の40カ国の上空で運用されてきたと明らかにした。

 さらに10日から13日にかけて、米政府はアラスカとカナダ上空に滞留中の飛行体を、民間航空機に危険を及ぼす物体として戦闘機で破壊した。

 このように、何から何まで対中強硬姿勢を一貫させた米国だが、中台両国と接する日本としては、気球事件から見えてくる中国の軍事的動向を見逃すことはできない。

 バーンズ発言は、ホワイトハウスの思惑とは別に、一定の根拠に基づくものだった可能性がある。

 中国は20年ほど前から気球と飛行船の軍事利用に積極的に取り組み、気象観測や大容量無線通信が目的の民間用だと説明してきた。

 私はこれまで中国の台湾本島への着上陸能力の不足と軍事インフラの立ち後れを指摘してきた。

 台湾本島の軍事占領には第2次大戦でのノルマンディー上陸作戦に匹敵する100万人規模の陸軍の投入が必要で、中国にはそれを輸送する3000万トンから5000万トン規模の船腹量を捻出することができないし、輸送能力があったとしても上空と海上から上陸部隊を守るための航空優勢、海上優勢を握るには程遠い。

 3000人の部隊を上陸させるには幅2キロの障害物のない海岸が条件となる上陸適地も、台湾本島の海岸線1139キロのうち10%ほど14カ所に過ぎず、台湾軍が防衛態勢を固めている。そうした制約から上陸作戦が成立しないのは中国軍も認めているとおりだ。

 中国大陸に接する金門・馬祖両島、日本の尖閣諸島を3隻の強襲揚陸艦などを使って奪取することは不可能ではないが、それによって引き起こされる米国との軍事衝突を戦う能力はない。

 金門・馬祖両島については1958年から21年間続いた砲撃の当時も占領は可能だったが、中国は米国との衝突を回避するために行動に出ることはなかった。

 しかし、軍事インフラの問題で中国が米国との距離を縮めてくる可能性を示したのが気球事件だったことに注目している。

 中国の軍事インフラの立ち後れについては、軍事力が近代化されるほど重要性を増すデータ中継衛星について、米国が専用衛星TDRS15機に中継能力を持つ衛星を合わせて30機以上を運用しているのに対し、中国は天鏈1号が5機。差は歴然としていた。

 10年以上前から脅威とされてきたDF21D(射程1500キロ)、DF26(同4000キロ)など対艦弾道ミサイル(空母キラー)も、3つの極軌道上に各25機ほどの偵察衛星を展開しなければ移動目標の継続的追尾は困難で、中国の機数では実戦配備には程遠いとみられてきた。

 しかし、人工衛星に比べてはるかに安価な気球や飛行船は、使い方によっては抜群の能力を発揮する。

 例えば偵察機能。目標を精密偵察するには偵察衛星を高度150キロほどの低軌道まで移動する必要があり、そのための燃料消費や衛星寿命への影響は避けられず、頻繁に軌道変換する訳にはいかない。高価なため機数にも制約がある。

 それが気球や飛行船だと普通の航空機が飛べない20キロ〜30キロの成層圏で運用でき、低軌道の偵察衛星に勝るとも劣らない精密偵察が可能になる。

 また、地球を周回する衛星は1機が同一目標を1時間半に1回程度しか偵察できないが、気球や飛行船なら目標空域に必要数を滞留させ、継続的に偵察・監視、SIGINT、データ中継を行うことができる。

 継続的に移動目標を追尾・監視できる点でも、同じ空域に必要数を滞留させられる気球や飛行船には大きなメリットがある。空母キラーに必要な情報を継続的に提供できるだけでなく、極超音速弾道サイルや巡航ミサイルを監視する衛星コンステレーション(多数の衛星で隙間なく監視する方式)と同じ機能を、安価に実現できるからだ。

 台湾有事については、それでも台湾本島占領に必要な兵力を輸送する船腹量を確保できない中国に限界があることは変わらない。

 しかし、狙い通り飛行船や気球が戦力化されるようになれば、中国は台湾周辺での軍事的能力を飛躍的に高めることは間違いない。

 バーンズ発言で明かされた習国家主席の指示が口先のブラフでなくなる事態に備え、日本としては侮ることなく中国に備えることが求められる。

 


《あびる たいすけ》 

1969年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、モスクワ国立国際関係大学修士課程修了。東京財団研究員、国際協力銀行モスクワ事務所上席駐在員を経て現職。専門はユーラシア地政学、ロシア外交安全保障政策、日露関係。著書に『「今のロシア」がわかる本』、『原発とレアアース』。監訳本に『プーチンの世界』がある。

2023年2月20日号 週刊「世界と日本」第2239号 より

 

2023年ロシア・ウクライナ戦争の行方

 

 

笹川平和財団主任研究員 畔蒜 泰助 氏

 

 2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへの全面的な軍事侵攻を開始してから間もなく1年が経過しようとしている。プーチン政権は何を目指してこの戦争を開始したのか、と問われたら「単なるウクライナのNATO加盟阻止やドンバスの救済ではなく、軍事力を行使してでもあくまでウクライナをロシアの影響下に取り戻すこと」と言わざるを得ない。

 

 ロシア軍は侵攻当初、ウクライナ東部や南部のみならず、ベラルーシ国境からキエフに向かって進軍した。72時間以内にキエフを陥落させ、ウクライナ政府の体制転換(レジームチェンジ)を行う計画だったという。この辺りにもプーチンの真意が透けて見える。

 だが、この作戦が失敗に終わると、プーチン政権はキエフ方面から撤退させた部隊を東部と南部に再配置し、占領地域を拡大する方針に舵を切った。すると、米バイデン政権を筆頭とする西側陣営も4月後半、ウクライナへの本格的な武器支援を開始し、今日まで武器支援のレベルを徐々に高めている。

 米バイデン政権がウクライナへの武器支援を行うに当たっては、次の2つの目的を同時に追求している。ロシア軍の侵略に対してウクライナ軍を敗北させないこと。

 そして、このロシア・ウクライナ戦争をロシアと米国、ロシアとNATOの戦争にまではエスカレーションさせないこと。ウクライナ軍がロシア軍との戦闘を有利に展開する上で大きく寄与していると言われるのが自走多連装ロケット砲システムHIMARSだが、バイデン政権はHIMARSの砲弾の射程を約80キロに制限して、ロシア領内への攻撃が可能な300キロの長射程ものは含めないと明言している。

 なお、昨年6月から8月にかけて、ロシア有利の状況が続くのではという恐れもあった。ただ、この後、アメリカが供与を始めたミサイルや重砲などの兵器が効果を表し始め、9月に入って、ロシア側が南部のヘルソン方面を気にして、精鋭部隊をドニエプル川西岸に集めていたところ、ウクライナが東部のハリコフ方面で攻勢をかけ、イジューム、リマンなどの拠点を始め、ハリコフ州全域を取り返す事に成功した。

 この事態を受け、9月21日、プーチン大統領が国内政治的な配慮から侵攻当初は否定的だった30万人の部分動員を発表。

 続いて30日に、ドネツク州、ルガンスク州、ザポリージャ州、ヘルソン州の併合を発表し、また核の使用を示唆して西側陣営とウクライナ軍に対して「レッドライン(越えてはならない一線)」を設定しようとしたが、西側陣営とウクライナ軍はこれを無視して攻勢を続けた結果、11月にはロシア軍は南部のヘルソン方面も西岸からも撤退を余儀なくされた。

 ただし、その後、ウクライナ東部と南部での戦況は膠着状態に陥っている。この時期、プーチン政権が繰り返し停戦交渉を開始する用意があるとのシグナルを送っていたこともあり、10月にはマクロン仏大統領が、11月に入って米バイデン政権内でもミリー統合参謀本部議長がそろそろ停戦交渉を開始すべきと発言するなど、停戦の機運が生まれるかに思われた。

 しかし、バイデン政権内ではプーチン・ロシアを熟知するバーンズCIA長官を筆頭に、ロシア側が示唆する停戦というのは、あくまでも4州の併合をウクライナが認めるということを前提にした停戦であり、ウクライナ側が受け入れることはないと判断している。

 そんな中、12月初頭、マクロンがワシントンに行ってバイデンと会談し、それと同時にショルツ独首相もプーチンと電話会談を行っている。この一連のやり取りを通じて、欧州諸国の中ではロシアとの対話が必要との立場を取っていた独仏と米国との間で「今はまだロシアに圧力をかけ続ける時期だと」とのコンセンサスが醸成されていったと思われる。

 それが年末に歩兵戦闘車を米独仏が同時出すという決定に、さらには1月末に戦車を供与するという動きに繋がっていったのだろう。

 ロシアは部分動員した30万人のうち、すぐに戦場に投入した約8万人以外の人員の訓練を続けており、それが春以降、戦場に投入され、再び大攻勢をかけてくる可能性が高いと、ウクライナも米欧も見ている。逆に言えば、それまでの期間がウクライナにとってのチャンスとなる。地面が凍結して車両の移動が可能になってから、その凍結が溶け春の泥濘(ぬかるみ)が始まるまでのわずかな期間ならウクライナは優勢なうちに攻勢に出られる。そこで、どれだけ失われた領土を取り返せるのかが、1つの勝負だというのが、ウクライナや西側が見ている局面なのではないかと思う。

 しかし、今の段階で言えることは、プーチンは全くあきらめていないということだ。西側陣営は遂にウクライナへ戦車の供与に踏み切ったが、ウクライナ側が求める300両までどこまで近づけることが出来るか不明だし、しかも時期はかなり後になる。

 やはり、西側陣営からの兵器支援を受けたとしても、ウクライナ軍がロシア軍を圧倒して、ドンバス地域やクリミアを含むウクライナ全土から一掃するというのは簡単ではない。

 そこで最近、議論されているのは、アメリカの目指すゴールというのは、ウクライナの完全な勝利ではなく、ロシアを追い詰めて、交渉の場に引き出すことではないかということだ。

 昨年12月初頭、アメリカのブリンケン国務長官がWSJのフォーラムに出席した際「アメリカのフォーカスは2022年2月24日の前までに戻すことだ」と答えている。バイデン政権もクリミアからロシア軍を追い出す、つまり2014年以前の状態に戻すということは難しいと考えているのであろう。それでも、2月24日の前の状況に戻した上で、ロシアがそれに妥協するように、軍事的に更にロシアを追い込む必要があると考えているようだ。

 


《たにぐち ともひこ》 

1957年生まれ。1981年東京大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。安倍晋三第2期政権を通じ、初め内閣審議官、現任先に就いた2014年4月以降は同総理退任まで内閣官房参与。05〜08年外務省外務副報道官。それ以前は「日経ビジネス」編集委員など。主な著書に「通貨燃ゆ」(日経ビジネス人文庫)、「日本人のための現代史講義」(草思社文庫)、「誰も書かなかった安倍晋三」(飛鳥新社)、「安倍総理のスピーチ」(文春新書)など多数。

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

安倍晋三元総理が描いたクアッド構想の進化

 

 

慶應義塾大学大学院教授 前内閣官房参与 谷口 智彦 氏

 

 

 旧年末いわゆる防衛三文書の改訂を担った岸田文雄総理は、日本の安保政策についてある覚悟を示した。

 出自、派閥との兼ね合いで、一歩踏み込んだと評価できそうだ。

 広島を地盤とする岸田氏は、反核のゼッケンを背中に貼って生きてきた、来ざるを得なかった政治家である。

 派閥・宏池会を同じくし、故宮沢喜一元首相の甥にして自民党税調=財政緊縮派のドン宮沢洋一参院議員とは、従兄弟の間柄だ。

 宏池会は綱領に「平和憲法・日米同盟・自衛隊の三本柱で、平和を創る」を掲げる。

 「平和憲法」を先頭に押し立てたあたり、九条改憲への違和、抵抗が滲み出ている。

 続けて「環境・人口減少など共通課題に対応する日中韓による『東アジアプラットフォーム』の構築」をうたう。中国(と韓国)に対し、まずは握手で臨みたいらしい。

 岸田氏は、言葉と視線のどちらからも内奥を読みにくい人物である。内発的動機において強いものなど、果たして何かあるのか。

 「ある」と躍起になって言いたがる誰彼が総理の周辺にいそうな気配もなく、岸田官邸の熱量と体温は低い。

 理念と歴史認識、価値観の言語を用いて国内外に立場を鮮明にした故安倍晋三元総理の場合と違って、岸田氏を理解するには言葉が手がかりにならない。

 そこで予算や政策の打ち込み方にヒントを求めようとすると、ある覚悟を示して一歩踏み込みつつあるのではと、冒頭述べた印象に導かれる。

 第一に中国認識だ。

 日本にとって中国こそは仮想敵国であることが、このたび文書に書き込まれた。

 ただしどの国も、そんな露骨な表現は使わない。日本はそこを婉曲に、中国は「最大のチャレンジ」だとする。チャレンジとは「難題」の意である。

 こう規定して初めて、わが国安保外交政策の方向が一本にまとまる。

 宏池会流対中微笑外交も、この一本が揺るぎないものとなるときにこそ多少の実効性を帯びるだろう。

 第二に、「戦争」が本当に起きた場合を想定した予算になった。遅きに失したとはいえる。が、これは戦後初めての新境地だ。

 野晒(のざら)し状態で、ミサイル攻撃にひとたまりもない航空機をどう掩蔽(えんぺい)するか。撃てば三日かそこらで消尽するミサイルやタマの補充と保管をどうするか。

 さらにはもちろん、抑止力を備えるうえで必須の長距離打撃力をどう確保するか。

 故安倍元総理はこれらに課題を認め、大幅な予算措置を訴えていたところだった。

 岸田総理のもと、日本の防衛予算は今回初めて現実主義を獲得した。生々しい撃ち合いを想定し、それに備えるリアリズムだ。

 戦争などないと思って予算を作るなら、財政当局に首根っこを抑えられるのは当然だ。今回は安保の要請が上位にきて、予算の手当てが後に続いた。やっと、世間並になった。

 総理の動静が示すところ、宮沢党税調会長が官邸に岸田氏を訪ねた回数は、意外や、旧年中を通じ(メディアが捕捉した限り)20回に満たない。総理執務室往訪回数で突出するのは秋葉剛男国家安全保障局長だ。

 第三に、安倍政権が進めた同志国づくりが俄然内実を帯びた。

2006年に初めて政権に就いた安倍氏は、中国が経済力で日本を抜き去り、海洋軍事進出を続ける状況に危機感を強くした。

 やがて超大国の一角をなすだろう海洋民主主義国インドを引き込み、太平洋とインド洋を日米豪印四カ国で守ろうとする戦略が、安倍氏に芽生える。

 「アジア太平洋」の呼称に替え「インド太平洋」という新たな地政学的範疇(はんちゆう)がかくして生まれ、安保の担い手として同四カ国の「クアッド」ができた。

 これを進化させ、岸田政権は日豪二国、日米豪三国関係に、事実上の防衛同盟としての実質を与えた。

 豪州でミサイル発射訓練をする、航空自衛隊の戦闘機を豪州に置き日米豪共同演習をさかんにする、などが論じられているようだ。

 日本のこうした動きは、特筆すべき波及効果を生んだ。

 日本は、対日傾斜を強めつつあった英国との間で、イタリアを加え次期戦闘機を共同開発する運びとなった。

 画期的なことには、同事実を三国首脳が共同声明で公表したのと同時に日米防衛当局は別途共同発表を出し、「米国は、日米両国にとって緊密なパートナー国である英国及びイタリアと日本の次期戦闘機の開発に関する協力を含め、日本が行う、志を同じくする同盟国やパートナー国との間の安全保障・防衛協力を支持する」ことを明らかにした。

 孤立せる大国・中国に対し、民主主義勢力連携の強さと広がりを誇示したかたちだ。

 米国以外のどこかに移り気しようものならワシントンの逆鱗に触れる。そう思って、何事も自粛したのがわが国長年の習性だった。

 インド太平洋が世界秩序の帰趨(きすう)を決める主舞台となり、日本との一層緊密な協力抜きに米国は力を保てない現実が明らかな今日、日本は、誰かを主語として語られる目的格の国ではない。日本こそが主格として、秩序維持の責務を負う。

 ドナルド・トランプ大統領に、安倍氏が熱心に説いた認識だ。今次一連の動きは、これがいまや当然の事実となったことを教える。

 安保面でのこんな踏み込みがある限り、五月、G7サミットのため各国首脳をヒロシマに集めたとしても、岸田氏を反核の夢想家だとみなす向きは現れまい。そこが岸田氏と周辺の読みでもあろう。

 だとしても、現に日本を守るのは米国の核抑止力だ。

 非核三原則の第三項「持ち込ませず」を棚上げし、米海軍原潜が核を搭載する事実を認めたうえ日本に常駐させたとしても、現実の追認となるのみ。新事実の創造ではない。

 宏池会や公明党にそんな核のリアリズムを納得させられたなら、岸田氏はより強い政治力を手にできよう。

 ロシア、北朝鮮、中国が直列するわれわれの地域は、危険度において世界史に空前だ。総理の、一段の脱皮に対する期待は大きい。

 

 


《むらた こうじ》

1964年、神戸市生まれ。同志社大学法学部卒業、米国ジョージ・ワシントン大学留学を経て、神戸大学大学院博士課程修了。博士(政治学)。広島大学専任講師、助教授、同志社大学助教授、教授、法学部長・研究科長、第32代学長を経て、現職。専攻はアメリカ外交、安全保障研究。サントリー学芸賞、吉田茂賞などを受賞。『現代アメリカ外交の変容』(有斐閣)など著書多数。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

『2023年世界はこれからどうなるか』

 

 

同志社大学 法学部教授 村田  晃嗣 氏

 

 2022年は内外ともに、まさに激動の一年であった。昨年を代表する漢字は「戦」であった。2月にロシアがウクライナに侵攻し、10月の中国共産党大会で習近平総書記が三選されて権力の集中がさらに進み、11月の米中間選挙では民主党が予想外に善戦したが、下院を共和党に奪われ、「分割政府」が再現した。そして、日本では7月に安倍元首相が非業の死を遂げられた。その後、旧統一教会や安倍氏の国葬をめぐる問題で政治は混乱し、世論も割れた。

 

 2023年はどのような年になるのか。おそらく、それは重要な過渡期となろう。なぜなら、24年1月に台湾総統選挙、3月にロシア、春にウクライナの大統領選挙、11月にはアメリカの大統領選挙が控えているからである。しかも、9月には自由民主党の総裁選挙も予定されている。

 2023年中にウクライナでの戦争は終息していようか。それによって、ロシアはもとよりアメリカの大統領選挙も影響を受けるかもしれない。

 また、和平の形態や仲介者によって、その後の国際政治に大きな影響を与えよう。ウクライナは領土をどこまで回復できるのか。資源エネルギーや食糧の高騰は収まるのか。ロシアに対する経済制裁はいつ、どのように解除されるのか。ウクライナ難民問題がヨーロッパで反移民感情に転嫁しはしないか?

 米ソ冷戦では、アジアという裏の舞台で熱戦が生じた。朝鮮戦争である。米中新冷戦にとっては、ヨーロッパが裏舞台であり、ここでウクライナ戦争が起こった。朝鮮戦争と同様に、ウクライナ戦争も長期化して膠着し、長く不安定な停戦状態に陥るのかもしれない。アメリカが朝鮮戦争の早期停戦に向かうと、反共主義者で知られる韓国の李承晩大統領は、これに徹底的に抵抗した。持て余したアメリカは中央情報局(CIA)による李承晩暗殺計画さえ準備した。「オペレーション・エバーレーディー」である。もしプーチン大統領が和平に傾いても、ウクライナのゼレンスキー大統領がクリミアを含む領土の完全奪還に固執すれば、彼は「第二の李承晩」になるかもしれない。

 この戦争がロシアに有利に終われば、中国の台湾政策にも影響を及ぼそう。もちろん、それはわが国の安全にも直結する。ロシアが弱体化して中国への従属を強めれば、それはそれで難儀な事態となる。難題が山積している。

 また、大統領選挙に向けて、アメリカの国内政治も対立を深めていこう。すでに、共和党ではドナルド・トランプ前大統領が出馬表明したが、果たして予備選挙を勝ち抜けるかどうかは、明らかではない。トランプ氏の人気には陰りが見え、しかも、多くの訴訟を抱えている。そこで、現職のジョー・バイデン大統領の去就が注目される。今のところ、民主党内に他に有力な候補者は見当たらない。

 しかし、バイデン大統領はすでに80歳であり、2年後の大統領選挙では82歳に手が届く。しかも、20年の大統領選挙はコロナ禍で行動制限されていたが、次回はそうではない。再選されたとして4年間、86歳までアメリカ合衆国大統領の激務が務まるのか。

 トランプ氏が共和党の大統領候補に決まれば、民主党もバイデン氏で結束して戦うかもしれない。しかし、共和党が、例えば、フロリダ州知事のロン・デサンティス氏のように若く優秀で洗練された候補を選べば、高齢のバイデン氏で対抗するのは困難かもしれない。

 もとより、アメリカの有権者が誰を大統領に選ぼうと、日米関係を安定・強化させる知恵と努力が、日本には求められている。そのためには、内政の安定が不可欠である。国民の様々な懸念に誠実に向き合い解決すること、迅速かつ効果的なコロナ対策を実施すること、景気対策を軌道に乗せることなどが、その条件となろう。

 そして、外交である。すでに岸田文雄首相は久しぶりの日韓首脳会談、日中首脳会談をこなした。安保三文書もとりまとめ、防衛力の増強にも乗り出そうとしている。防衛費をどのように担保するのか—いつ増税か?いずれにせよ、まず、防衛力整備の中身を明確にした上で、国民に丁寧に説明し支持を求める必要があろう。

 その上、5月19〜21日に広島でG7サミットが開催される。広島は岸田首相のお膝元であるのみならず、長崎と並ぶ被爆地である。ここでサミットを開く意義は大きい。かつてバラク・オバマ大統領を迎えた広島にバイデン大統領、さらに同じく核保有国であるフランスのエマニュエル・マクロン大統領、イギリスのリシ・スナク首相をはじめ、先進主要国の首脳が一堂に会する。しかも、ロシアが戦術核兵器を使用するかもしれないという国際情勢、中国が大幅な核軍拡に乗り出している時に、広島でサミットが開かれるのである。

 当然、核軍縮や核不拡散、さらには原子力の平和利用などについて突っ込んだ議論が交わされるであろう。バイデン大統領の長崎訪問も検討されている。

 日米豪印のクアッドを通じて自由で開かれたインド太平洋を牽引し、G20では先進国と発展途上国との橋渡し役を演じ、G7で核問題をはじめとするグローバル・アジェンダにも存在感を示す。

 2023年の日本外交がそのような役割を果たせてこそ、激動の24年に向き合えよう。自由民主主義国VS専制主義国という二分法は、発展途上国の多くの反発を招く。そこで、日本の仲介力がモノを言う。

 しかし、こうした外交努力は政府レベルだけに限られたものではない。2016年5月にオバマ大統領が広島を訪問するに際しても、地元の自治体やメディア、市民団体の長年にわたる努力が、その背景をなしていた。成熟した市民社会として、自治体や市民団体を巻き込んだ重層的な外交が改めて求められる。

 また、国力の源泉は人である。2050年に日本の人口は1億人を割ろうとしている。柔軟な想像力と大胆な行動力を兼ね備えた若者を、育てなければならない。大学のランクづけして予算で誘導しようとする20世紀型の教育行政も、大きく見直されるべきである。

 


《ますお ちさこ》

九州大学大学院比較社会文化研究院准教授 専門は中国の対外政・海洋政策、ユーラシア国際関係。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。

第17回中曽根康弘賞優秀賞を受賞(2021年)。日本国際問題研究所の客員研究員なども務める。著書に『中国の行動原理』『中国外交史』『中国政治外交の転換点』など。英語や中国語でも研究活動を行っている。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

習近平政権の対米闘争が導く中国警察の国際化

 

九州大学大学院 比較社会文化研究院 教授 益尾 知佐子 氏

 

 

 2022年11月14日。G20サミットが開かれていたインドネシアのバリ島で、習近平国家主席は米国のジョー・バイデン大統領としっかり手を握りあった。新型コロナ流行後、初の米中首脳会議が開かれたのだ。

 世界を驚かせたのは、二人の満面の笑顔。オバマ政権期、両者は国家副主席と副大統領として外交上のカウンターパートだった。旧友同士のような温かい挨拶は世界の期待を良い意味で裏切り、メディアは米中関係の緩和を報じた。翌日の香港株式市場は高値をつけた。

 ただし、笑顔と握手で問題解決が図られるほど、大国間関係は簡単ではない。むしろ分析に値するのは、習氏の破格の笑顔の意味だ。今回、バリ島からバンコクでのAPEC首脳会議へと続く外交イベントの中で、習氏は日中首脳会談などの場を含め、記者のカメラににっこりと口角を上げ続けた。彼は明らかに、各国メディアが新聞のトップに採用しそうな写真では中国のソフトイメージを押し出し、対外環境の改善を試みていた。

 それはなぜか、中国をめぐる状況を考えれば、その意図は容易に理解できる。中国人はリアリストだ。新型コロナの流行後、米国から半導体の禁輸措置を受けた習近平政権は、新冷戦の到来を予測し、それを迎え撃つ覚悟を決めた。だが当時は、ロシアと肩を組んで長期的な対米闘争を乗り切るつもりだった(だから北京冬季オリンピックの開会式直前には、ウラジミール・プーチン大統領を破格の待遇でもてなした)。ところがロシアはウクライナ侵攻で判断ミスを起こし、西側諸国から厳しい制裁を受けて衰退局面に入った。習政権としては、目論見が狂ってしまったのだ。

 体勢の立て直しに迫られた習政権は、西側先進国の世界支配に不満を持つ専制国や発展途上国と関係を強化し、国力増強を支援して、反西側陣営を立て直すことに決めた。

 ただし、どうしても時間がかかる。この新たな作戦を実施するため、習氏は短期的には対米関係を緩和させて時間を稼ぎ、自国のソフトなイメージを強調して、国際的な仲間づくりに励まねばならない。10月の党大会報告を見ても、彼の米国への警戒心はまったく緩んでいない。

 そうした中で、習政権が対外協力の目玉に据えた始めたのが警察協力だ。ウイグル族弾圧のために開発した社会監視システムを、今度は国際貢献に活かすつもりだ。

 

警察による技術開発

「うちは兄弟が多いんだ。何人かは警察でエンジニアをやっている。」

 20年前の中国留学中、親しくしていた先生が他愛ない会話の中でそう言った。しかし、私の頭に浮かぶ警察は、交番のお巡りさんや、テレビドラマに出てくる刑事さんくらい。だから彼の発言の意味がすぐ呑み込めなかった。

「警察…でエンジニア? それって、何してるんですか?」

「作るんだよ、いろいろ。襟の裏に隠せる小さな盗聴器とか、ペンの軸の中に入る録音機とか。」

 戦後の平和日本で育った私は、国内治安の強化のため、警察自身が技術開発に励む国があることを理解していなかった。だが中国はそうなのだ。少数民族や外国人はよく監視対象になる。帰国して日本のある研究所に勤めていたころ、直前まで駐国連大使だった理事長と中国を訪問する機会があった。私は留学中に使っていた携帯電話の番号を、中国の相手の研究所に連絡用として伝えた。すると到着直後から通話音質が最悪。当初は理由不明だったが、さすがに1週間すると電波のせいではないと分かった。ある知人に電話していたとき、つい「ごめんね、いま盗聴されてるので音が悪いの」と口にしたら、真ん中で聞いていた人がガシャっと電話を切ってしまった。通話中電波は切れていないのに、聞こえてくる音が真っ白になった。当時は人間が作業していたから、驚かせるとそんなこともあった。

 ところが今日までに、中国の社会監視能力は高度に機械化された。スマホ、監視カメラ、電子マネー、衛星などを通して、中国では個人の行動に関するデータが当局に簡単に捕捉される。

 中国警察のエンジニアたちは、民間企業が先導したデジタルトランスフォメーションを高度な社会監視システムへと発展させた。それがなければ、習近平が長老たちの反対を抑え込んで政権運営3期目に乗り出すことも無理だったろう。

 

国境を越える社会監視システム

 懸念されるのは、中国がこの先端的社会監視システムの世界普及に着手したことだ。

 中国やロシアはかねて、米国はじめ西側諸国が、自分たちの国内にいる不満分子をそそのかして、自分たちの政治体制の転覆を試みていると考えてきた。他方、ロシアがウクライナ侵攻に失敗して弱体化局面に入ってから、中国は世界の反米陣営の立て直しが必要と認識した。そこで自分と同じような脅威に悩んでいるはずの専制国や途上国を抱き込もうとし始めた。中国は同年中、上海協力機構のメンバー国や、中東諸国、南太平洋島嶼国に「法執行」協力を持ちかけ、それぞれに数千人規模の警察官の養成を提案している(南太平洋ではソロモン以外は失敗)。12月のサウジアラビア訪問では、習近平はアラブ諸国に「スマート警察」の構築を支援すると明言した。これはビッグデータを用いた社会監視システムを提供できると言っているに等しい。

 中国としては、そうしたやり方で西側の影響力の浸透を防ぎ、各国の国内治安を向上させられれば、中国独自の国際貢献につながる、という程度の認識だろう。しかし、これは重大な問題になりうる。専制主義的な政権にとって、中国の社会監視システムは自分の統治を固定化する最強のツールになるからだ。だがそんなシステムが世界に広がることを、民主主義的な国々が容認できるだろうか。

 だから、習近平政権が国際貢献に励めば励むほど、世界的には政治体制の差に焦点が集まり、それぞれの陣営は強化され、両者の間の対立は加速する見込みなのだ。新冷戦への足取りは遠のいていない。小休止の後に、さらに大きな波がやってくるはずだ。

 


《にしの じゅんや》

1973年生まれ。96年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了、2005年、韓国・延世大学大学院政治学科博士課程修了(政治学博士)。専門分野は東アジア国際政治、現代韓国朝鮮政治、日韓関係。慶應義塾大学法学部専任講師、同准教授を経て現職。共著書に『戦後アジアの形成と日本』、『朝鮮半島と東アジア』、『アメリカ太平洋軍の研究』など。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

2023年日韓関係の展望

 

慶應義塾大学法学部教授
朝鮮半島研究センター長

西野 純也 氏

 

 2023年の日韓関係は、前年の流れを受けて関係改善の動きが続くことが予想される。しかし、この流れが本格化して関係が正常化するのかどうかは予断を許さない。最大の懸案である、いわゆる元徴用工裁判での韓国大法院判決を受けて、賠償支払いのために差し押さえられた日本企業資産の「現金化」問題は未解決のままである。18年のレーダー照射等による日韓防衛当局間の信頼の喪失や、19年の日本による対韓輸出規制強化など、関係正常化のために解くべき課題は山積している。それでも、22年5月に発足した韓国の尹錫悦政権による対日関係改善の努力と日韓を取り巻く厳しい国際情勢を受けて、過去10年間悪化したままだった日韓関係はようやく改善に向けて動き出した。

 

 今後のカギを握るのは、「現金化」問題の行方である。18年10月の韓国大法院による判決以降、日韓両政府はこの問題の解決方法をめぐって対立してきたことは周知の事実である。日本側は、1965年国交正常化時の協定により、両国間では問題は最終的かつ完全に解決済みであり、韓国政府が責任をもって判決への対応を行うべき、との立場で一貫してきた。

 それに対して文在寅政権は、「被害者中心主義」を掲げて日本側の対応を求めてきた。尹政権の発足は、こうした日韓の対立状況に変化をもたらした。一言でいえば、韓国政府がより主体的かつ積極的に問題を解決する方針へと転じたのである。

 尹政権は22年7月に「官民協議会」を発足させ、原告(元徴用工)代理人、政府、専門家による話し合いで解決方案の導出を試みてきた。4回にわたる協議会の開催を経て、尹政権は現在、原告に対する賠償支払いは日本企業ではなく韓国内の財団が肩代わりする方法で決着を図ろうとしているとされる。

 しかし原告らは、少なくとも日本企業による謝罪表明と財団への出資が必要との立場を示しており、日韓政府間ではこの点をめぐって協議が続いているものと思われる。

 22年11月にカンボジアで実現した3年ぶりの日韓首脳会談において、岸田文雄首相と尹大統領は、両首脳の指示を受けて外交当局間の交渉が加速していることを踏まえ、懸案の早期解決を図ることで一致した。日韓両国は23年の早い段階での解決を目指しているはずである。もし解決が23年後半以降となる場合には、日韓の国内政治が制約要因となって関係を改善または管理していくことが難しくなる可能性がある。

 特に、韓国では24年4月の国会議員総選挙に向けた政局に突入するため、与野党の対立がさらに激しくなるなど政治が不安定化していく時期に入る。そうなると、尹政権の日韓関係改善の意志にもかかわらず、野党の牽制や反対により対日政策はさらに大きな制約を受けざるを得ない。ちなみに、第1野党の「共に民主党」(文政権時の与党)は国会で過半数以上を占めている。したがって、いかなる解決方法をとるにしても、尹大統領は国内の説得と理解を得る努力に力を注がなければならないが、懸案解決に向けた日本側の協力姿勢が全くない場合、その努力は大きな困難に直面することになる。日韓の協議でそうした韓国内の状況も踏まえつつ、どのような解決法が導き出されるかが注目される。

 22年に顕著となった日韓関係に関するもうひとつの動きは、北朝鮮問題をめぐる日韓及び日米韓の連携、特に3カ国協力の「再活性化」である。ここで再活性化という言葉を使ったのは、22年に見られた防衛と抑止を強化する日米韓の連携は、朴槿恵政権後半の15年から16年にかけて既に実現していたからである。16年11月には日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)も締結された。しかし、17年の朴政権弾劾・罷免と文政権の誕生、そして18年の南北・米朝首脳会談などを受けて、日韓及び日米韓の安全保障協力は停滞していた。21年1月に同盟を重視するバイデン米政権が発足して日米韓の連携は復活しつつあったが、22年5月の尹政権発足はその動きに拍車をかけた。例えば、同年5月末には日米韓外相共同声明が発表されたし、続く6月には日米韓外交局長級協議、次官協議、日米韓防衛相会談、そしてNATO首脳会議の際の日米韓首脳会談がそれぞれ対面で実施された。その後も、3カ国の国家安保補佐官級や防衛制服組トップなど多様な枠組みによる協議が頻繁に開催された。

 11月には再び日米韓首脳がプノンペンで会って共同声明を発表しており、その内容は23年の方向性を示している。北朝鮮問題でのあらゆる協力が謳われており、とりわけ抑止力強化のための協働が重視されている。既に22年8月以降、日米韓共同の弾頭ミサイル探知訓練(パシフィック・ドラゴン)や対潜水艦作戦訓練が実施されており、首脳共同声明では北朝鮮のミサイル警戒データをリアルタイムで共有する意向が確認された。23年も北朝鮮による核・ミサイル開発と実戦配備の継続が見込まれる中、防衛と抑止面での日米韓協力は引き続き高い優先順位となる。

 最後に、日米韓首脳共同声明が「インド太平洋における三カ国パートナーシップに関するプノンペン声明」と題されていることから明らかなように、今後の日米韓協力は対北朝鮮だけでなく、インド太平洋における共同対応という観点から進むことになる。したがって、23年の日韓関係も、インド太平洋という地政学的空間を強く意識して展開されることになろう。22年11月の日韓首脳会談では、岸田首相が23年春までに新たな「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」プランを発表する予定を伝え、尹大統領は韓国が発表した「自由、平和、繁栄のインド太平洋戦略」について説明したという。両首脳は、双方のインド太平洋に関する構想を歓迎し、取り組みを連携させていくことで一致している。2023年に日韓両国は、二国間の懸案を解決に導き、インド太平洋における協働を進める中で新たな関係を築いていくことが期待される。

 


《きみづか なおたか》

1967年東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。93〜94年には英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジへ留学。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授を経て、2011年より関東学院大学国際文化学部教授。専攻は、イギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治、世界の王室研究。

 著書に、『立憲君主制の現在』(第40回サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』、『イギリスの歴史』など多数。17年より栄典に関する有識者(内閣府:現在に至る)、18年より国家安全保障局顧問(内閣官房:20年まで)などを務める。

 

2023年1月16日号 週刊「世界と日本」第2237号 より

 

英国王室から学ぶことができる日本の皇室

 

関東学院大学教授

君塚 直隆 氏

 

 二〇二二年九月、七〇年以上にも及んだ在位に幕を閉じ、英国のエリザベス女王が崩御した。女王の国葬には、天皇皇后両陛下をはじめ世界中から貴顕(きけん)が駆けつけるとともに、英国内からも多くの市民がロンドンを訪れ、ウエストミンスター・ホールに正装安置された女王の棺に最後の別れを告げていた。

 

 テレビのインタビューを受けた人々は「リヴァプールから来た」「ブリストルから駆けつけた」と口々に答え、なかには最大で24時間も列に並んだ人もいた。「なぜいらしたのですか?」との質問に、多くの市民が一様に応えたのが「女王は私たちのためにその一生を捧げてくれたから、是非とも最後にお礼を言いたかった」というものであった。

 筆者は女王の国葬をテレビ中継で解説するため、当時ロンドンを訪れていたが、王室御用達の高級店はもとより、失礼ながら王室とは直接的には関係がないであろうと思われる、様々な商店やオフィスまでもが亡き女王の写真を飾り、それぞれに追悼コーナーを設けていたのには驚かされた。

 なぜエリザベス女王はこれほどまでに人々から愛されたのであろうか。女王の七〇年は決して順風満帆の状況だけではなかった。特にその最大の危機ともいうべきものが、いまからちょうど四半世紀前に生じた一九九七年の「ダイアナ事件」のときだったのであろう。パリで事故死し、先般の女王の国葬が営まれたウエストミンスター寺院で葬儀が執り行われるまでの一週間、すでにチャールズ皇太子と離婚していたダイアナは「もはや王族ではない」ということで、女王はいっさいメッセージを寄せなかった。

 しかし、これは当時の国民の大半とは相容れない考え方であった。女王は急遽ロンドンに戻り、ダイアナの葬儀にも出席したものの、王室の支持率は急下降した。国民の多くは、「自分たちのために慈善活動に精を出したのはダイアナだけ」と誤解し、女王をはじめ、英国王室は何もしてくれていないと思い込んでいた。これは明らかに広報が不足している。当時においても英国王族は一五人ほどで三〇〇〇もの各種団体にパトロンとして関わり、日夜国民のため世界のために奔走していた。「国民は分かってくれている」などとあぐらをかいていてはダメだ。

 女王は失敗からすぐに学べる人物であった。ちょうど一九九七年から立ち上げていた、英国王室のホームページを充実化させるとともに、各種冊子も発行し、二一世紀に入るとツイッターやインスタグラム、ユーチューブにも参入した。女王や王族が日頃どのような活動をしているのかを、最新の写真とともにアップしていった。その成果は一五年ほどで現れた。二〇一二年、ダイヤモンド・ジュビリー(在位六〇周年記念式典)を迎えた女王は、国民からようやくその「真の姿」を理解され、国民は彼女の慶事を心から祝福した。

 さらに一〇年後の二〇二二年には、英国史上初めてのプラチナ・ジュビリー(在位七〇周年記念式典)を迎えたエリザベス女王は、国民からさらなる拍手喝采を受けたのである。それからわずか三カ月後に女王は突然この世を去った。その晩年には、孫のヘンリー王子夫妻が突如王室を離脱してアメリカに移住するという出来事が生じた。英国王室の広報体制が一九九七年以前のままで止まっていたら、今回も国民の多くは女王を非難していたかもしれない。

 しかし、ヘンリー夫妻から殿下の称号も公務も取り上げた女王の決断は、世論調査では実に九割近くの国民から圧倒的な支持を集めたのである。

 王室が国民に近づきすぎるのも問題があるかもしれない。女王や王族がごく普通の市民と同じであるならばその存在意義はどこにあるのか。とはいえ、逆に市民からあまりにもかけ離れた「雲上人」でも困る。人々は王室のことなど忘れ、さらに関心さえいだかなくなるだろう。昨今の日本の皇室はまさにこの後者の状態にあるのではなかろうか。

 戦後の日本では「開かれた皇室」が生まれたとよく言われる。確かに、上皇陛下と上皇后陛下は、その前の昭和天皇の時代に比べて格段に国民に近づき「寄り添うようになった」といっても過言ではないだろう。

 そして現在の天皇陛下は、即位の際にさらに国民に近づきたいと願っておられた。ところが現状は、即位されて後に早々に生じてしまったコロナ禍の影響もあり、皇室と国民との距離は逆に拡がってしまったかのように思える。

 ヨーロッパでは、英国王室が嚆矢(こうし)となり、北欧でもベネルクスでもすべての王室がホームページやSNSを開設し、自国民に自分たちの活動を積極的に広報するようになった。

 さらにエリザベス女王が即位当初から始めた「クリスマス・メッセージ」も、各国の王や女王、さらには共和制の国でも大統領や首相がこれを真似て、年末年始におこなうようになった。

 それは単に広報という問題だけではなく、かつてエリザベス女王が述べた(一九五三年)とおり、君主というものが「あなたと私の間を結ぶ生きた紐帯(ちゆうたい)」であることをも示す重要な場にもなっていった。

 日頃から国民へメッセージを寄せていれば、いざというときにも寄せることができる。コロナ禍が世界を席巻し始めた二〇二〇年春、エリザベス女王を始めヨーロッパの王侯や大統領らはすぐさまテレビで国民に「団結と忍耐」を訴えかけた。残念ながら、我が国ではそのような場面は見られなかった。

 SNSをはじめとする様々な広報活動に、日本の皇室も本格的に乗り出してもよいのではないだろうか。

 それがまた、天皇陛下と国民とをつなぐ温かい架け橋にもなってくれるのではないだろうか。

 


《しまだ よういち》

1957年大阪府生まれ。専門は国際政治学。主に日米関係を研究。京都大学大学院法学研究科政治学専攻課程を修了。著書に『アメリカ解体』、『三年後に世界は中国を破滅させる』など。

2023年1月2日号 週刊「世界と日本」第2236号 より

 

2023年の日本の外交戦略を考える

 

福井県立大学教授

島田 洋一 氏

 

 「自由で開かれたインド太平洋」構想は、安倍晋三元首相が打ち出したものだが、今や自由主義圏全体の基本戦略になった感がある。米上院が全会一致で採択した安倍元首相追悼決議でも、クアッド(日米豪印4カ国協力体制)の形成期における安倍氏の主導性をはっきり認め、その遺志を継承すべきと銘記している。

 

 この構想の核心は、中国共産党政権(以下中共)による非平和的で国際ルールを無視した覇権追求の阻止であり、さらには自由、民主、法の支配、人権といった価値観に基づく巻き返しである。

 かつて国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の一員としてインドを訪れ、情報機関系の研究所と意見交換を行った際、相手から印象深い発言を聞いた。「インドの病気は非同盟主義、日本の病気は憲法第9条」というのである。

 非同盟主義は、冷戦下、米ソ両陣営のいずれにも加わらず、「第三世界」を形成して米ソに圧力を掛け、平和を実現しようとの発想で、インドのネルー首相が提唱したものである。しかし実際には、アメリカと距離を置く一方、兵器システムの調達などでソ連(崩壊後はロシア)に近寄る傾向が強かった。

 プーチン政権のウクライナ侵略に対し、インドがロシアからの原油輸入を増やすなど、自由主義圏の対ロ制裁を掘り崩す行動に出ているのも、一因は、いまだに兵器本体や部品の供給をロシアに頼っている「弱み」にある。

 インドを明確に自由主義陣営に組み込むには、兵器システムの共有に関してもクアッドを準同盟機構に発展させていかねばならない。そのためには日本も「防衛装備品輸出」をめぐる自縄自縛(じじようじばく)的規制を排する必要がある。そもそも武器と言わずに「防衛装備品」と称している時点で及び腰は明らかである。

 中共と対峙する有志諸国に優れた日本製武器を輸出する行為は何ら悪ではない。「民主主義の武器庫」という言葉があるように積極的意義を有するものと捉えねばならない。輸出で当該武器の生産量が増えれば、日本の防衛産業の足腰が強化され、日本自らの国防基盤強化にも資する。「憲法9条の精神に反する」「死の商人」といった反軍平和主義勢力の非難にひるんではならない。

 インドと共にクアッドの一角を占めるオーストラリアは、2021年9月、米英と共に安全保障体制を強化するオーカス(AUKUS、3カ国の頭文字を並べた略称)を立ち上げ、その目玉として原子力潜水艦の獲得を打ち出した。原子力発電所を持たないオーストラリアが原潜保有に乗り出した事実に、同国要路における対中国防意識の高まりが如実に窺(うかが)える。

 長期間燃料を補給せずに活動できる原潜なら、台湾海峡周辺や西太平洋全域にまで活動領域を広げ、米英海軍と並んで中共の海洋進出に睨みを利かせられる。日本も非生産的な「核アレルギー」の一環たる原潜タブーを排し、オーカスに参入していくぐらいでなければならない。

 アメリカの核抑止戦略の実行を担う米戦略司令部のチャールズ・リチャード司令官は、中国が軍事力においてアメリカに追いつき凌駕する勢いを見せる中で、潜水艦分野だけは米側が優位を保っていると証言している。しかし増強に努めなければその優位すら失われるという。

 核ミサイルを搭載した戦略潜水艦、海中から敵艦船を狙う攻撃潜水艦はいずれも抑止力の中核要素と言える。米英日豪印の枠組で充実を図っていかねばならない。

 私個人は、日本もイギリス型の独自核抑止力を保有すべきだと思っている。「核兵器廃絶がライフワーク」という岸田文雄首相ですら、予見しうる将来「核抑止力は引き続き必要」と述べている。しかし中国や北朝鮮とアメリカの間に「恐怖の均衡」が成り立つに至った今、米国の「核の傘」に全面的に頼るわけにはいかない。

 イギリスは「連続航行抑止」と呼ばれる核抑止戦略を採っている。「少なくとも1隻の核兵器装備潜水艦が、最も極端な脅威に対応するため、発見されずに常時パトロールを続ける態勢」と英政府は解説する。

 具体的には、バンガード級戦略原潜(全長約150メートル、乗員135人)4隻が、それぞれ16基のトライデント㈼ミサイルを搭載し(1基当たり個別誘導の核弾頭3発を装備可能)、1隻当たり最大48カ所、4隻合わせて約200カ所の目標を攻撃できる。

 ちなみにフランスも、ほぼ同様の核抑止システムを採っている。日本の核武装はアメリカにおいても、自由民主主義の確立した信頼できる同盟国が核抑止力保持の重荷を分担してくれるなら歓迎すべきとの意見も少なからずある。

 要は日本が確固たる意思を示すかどうかである。日本が本気と見れば、アメリカは妨害して日米同盟を壊すのではなく、黙認する方向に傾くだろう。現にイスラエルやインドの核武装をアメリカは黙認した。

 2023年は日本においても本格的な核論議開始の年としたい。それだけでも一定程度、抑止力の強化に資し、日本の外交力を高めるだろう。中国や北朝鮮のような専制国家に対し、力の裏付けのない外交は無力である。強力な報復力(抑止力)を示すことが意味ある交渉の戸口を開く。

 アメリカでは中間選挙の結果、下院で共和党が多数を得、主導権を握るに至った。キーパーソン中のキーパーソンが米政界屈指の対中強硬派、マイケル・マッコール下院外交委員長である(2023年1月就任予定)。

 同議員は、バイデン政権が2022年10月に、議会の圧力を受けて打ち出した最先端半導体の対中輸出全面規制が緩みなく執行されているか、商務省に内部資料を出させ徹底検証していくと宣言している。

 その際、日欧や韓国(サムスン)が抜け穴になれば意味がない。日本を含む同盟諸国にも制裁を盾にした規制圧力が掛かってくるだろう。具体的には、違反企業は米市場から締め出す、米金融機関に口座を持たせない(ドル決済ができず、貿易不能になる)などの措置である。日米同盟強化のためにも、日本は受け身でなく、率先して対応していく必要がある。

 


《あらき かずひろ》

1956年東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。民社党本部勤務の後97年から拓殖大学海外事情研究所講師、その後助教授を経て現職。予備役ブルーリボンの会代表。2003年から18年まで予備自衛官。著書に『「希望」作戦、発動 北朝鮮拉致被害者を救出せよ』他。

2022年12月5日号 週刊「世界と日本」第2234号 より

 

小泉訪朝から20年、拉致被害者の救出
日本に何ができるか、何をすべきか

 

拓殖大学海外事情研究所教授
特定失踪者問題調査会代表

荒木 和博 氏

 

 「最優先課題」に始まり、「断腸の思い」で終わる、内閣が替わるたびにこの言葉が繰り返されてきた。「最優先課題」とは言うまでもなく拉致問題だ。もはや総理・担当大臣の意志など入っていない。単なる決まり文句でしかない。

 

 「認定の有無にかかわらずすべての被害者の1日も早い帰国の実現に向けて全力で取り組む」というが、この20年、誰も被害者が帰っていないことはご案内の通りである。

 しかし何をやっているのか、どこまで政府は拉致被害者の情報を把握しているのかと国会で問われれば「捜査、調査に(あるいは外交交渉に)支障を来す恐れがあるため答弁は差し控えさせていただく」の連発。そうやっているうちに家族はどんどん衰え、亡くなっていく。

 「親世代は横田早紀江さんと有本明弘さんの2人だけになった」と言う。嘘である。政府認定の拉致被害者ならそうかも知れない。

 しかし認定されていない拉致被害者はどれだけいるのか、誰も分からないのだ。日本政府はもちろん、拉致をした当の北朝鮮でさえ。そして彼らの帰りを待っている親は私たちが知らないところにもいる。そしてその世代は確実に減りつつある。

 平成26(2014)年5月、北朝鮮が国内にいるすべての日本人について調査を行うとして合意した、いわゆる「ストックホルム合意」の後、北朝鮮側から出てきた報告書には少なくとも2人の名前があった。政府認定拉致被害者田中実さんと特定失踪者金田龍光さんである。

 2人は神戸市灘区にある同じ養護学校で育ち、同じ東灘区のラーメン店に勤めた。その店主韓竜大は北朝鮮工作機関の秘密組織「洛東江」の一員であり、田中さんは昭和53(1978)年6月に騙されてウィーン経由で北朝鮮に拉致された。そして偽装と思われる田中さんからの手紙を読んで金田さんも翌年ウィーンに向かうため上京し、そのまま行方不明になった。

 この2人が北朝鮮にいることが当時の報告書に書かれていた。それはつまり北朝鮮が2人を返す意志があったということだ。しかし日本政府は受け取らなかった。なぜか、家族がいないからだ。

 2人の存在が北朝鮮から日本政府に伝えられたことは、前から言われてきたが、国会で質問を受けても政府は「答弁を差し控える」で逃げ続けた。否定しないのだから要は肯定なのだが、公式の発言はなかった。

 しかし、今年9月17日、小泉訪朝から20周年の日に朝日新聞デジタルで報じられた斎木昭隆・元外務事務次官のインタビューには次のくだりがある。

 

聞き手 (ストックホルム合意の後)北朝鮮からは、拉致被害者の田中実さんや知人の金田龍光さんの生存情報が提供されたと報じられています。

斎木元次官 北朝鮮からの調査報告の中に、そうした情報が入っていたというのは、その通りです。ただ、それ以外に新しい内容がなかったので報告書は受け取りませんでした。

 

 驚くべき内容だが、実はオンレコ、つまり公の発言としてはこれより1年以上前に明らかになっていたのだ。昨年8月11日付の朝日新聞、「未完の最長政権」という連載の中の古屋圭司・元拉致問題担当大臣のインタビューである。

 

聞き手 北朝鮮は非公式協議で、行方不明になった神戸市出身の田中実さんと、知人の金田龍光さんの生存を明かしたとされていますが、日本政府は報告を受け取りませんでした。なぜでしょうか。

古屋元大臣 過去の教訓から、報告書を受け取れば北朝鮮のペースになるとの懸念がありました。小泉訪朝で(拉致被害者の一部にあたる)5人を帰して(問題の)幕引きを図ろうとしたからです。今回もこの2人で、となれば同じことになると考えるのは当然です。

 

 お恥ずかしいことながら、私が斎木元次官のインタビューについて知ったのは報道から2週間近く経った9月29日のことである。それも知人から聞いて知ったのだった。古屋元大臣の発言に至っては11月14日に知ったのである。実に1年3カ月気づいていなかったわけで、ただただ恥じ入るしかない。

 それにしても斎木元次官も古屋元大臣も、田中さんと金田さんを事実上見捨てたことについて、インタビューを読む限りでは特段の悩みを持った様子はない。おそらく北朝鮮当局の人間は、2人に「こっちは返しても良いと言ったんだが日本政府はお前たちを見捨てたぞ」と言ったろう。そのとき2人がどう思ったか、想像もしたくないのだが、そんなことに思いは至らなかったのだろうか。

 また、これが例えば横田めぐみさんや有本恵子さんの名前を北朝鮮が出してきたらどうしただろう。「報告書を受け取れば北朝鮮のペースになるとの懸念」があって受け取らなかっただろうか。

 これまで救う会・家族会は方針として「全拉致被害者の即時一括帰国」を要求してきた。スローガンとして、あるいは北朝鮮に求めるのはそれで良いだろう。

 しかし現実には「全拉致被害者」が何人いるのか分かってもいないのに「全員でないから受け取らない」などと言っていたら誰も日本に戻ることはできない。あるいはマスコミ受けする有名な拉致被害者を何人か取り返してあとは棚上げしてしまうしかない。

 特定失踪者問題調査会の特定失踪者リストは約470人である。そのほとんどを含む警察の特定失踪者リストは約900人、もちろんこの中には拉致でないことが後に分かる人もいるはずだ。しかし一方でこの900人の外にも間違いなく私たちの知らない拉致被害者がいる。

 もう一度考えてみよう。拉致被害者は政府が認定していようがいまいが、家族がいようがいまいが取り返さなければならない。それが日本という共同体を維持するために必要不可欠なことなのだ。この当たり前のことを私たち一人一人が再認識するのが被害者救出への一歩なのではないだろうか。

 田中実さん・金田龍光さんを見捨てることは横田めぐみさんら政府認定拉致被害者も含めて全てを見捨てることにつながる。そしてその先には今日本にいる私たちの家族や友人も見捨て、最後には自分が見捨てられるのだということを忘れてはならない。

 


岡部芳彦氏が着ているのはウクライナの民族衣装ヴィシヴァンカです。
岡部芳彦氏が着ているのはウクライナの民族衣装ヴィシヴァンカです。

《おかべ よしひこ》

1973年兵庫県生まれ。博士(歴史学)、博士(経済学)。神戸学院大学経済学部教授、ウクライナ研究会(国際ウクライナ学会日本支部)会長。日本人初のウクライナ国立農業科学アカデミー外国人会員。ウクライナ内閣名誉章、最高会議章を受章。著書に『本当のウクライナ』(ワニブックスPLUS新書、2022年)、『日本ウクライナ交流史』(神院大出版会、2021、22年)など。

 

2022年12月5日号 週刊「世界と日本」第2234号 より

 

『日本人とウクライナ人—過去・現在・未来—』

 

神戸学院大学 経済学部教授

岡部 芳彦 氏

 

 今から10年くらい前のことである。キーウにある世界遺産のペチェルシカ大修道院にほど近い国境警備隊博物館に招かれた。ひととおり展示を見終わると、急に大きなホールに通された。そこには退役軍人を中心に100人近くが集まっており、歓迎会にしては大げさだなと感じた。

 乾杯が終わり、宴もたけなわとなると、1人の若者が壇上に進み出て「あなたはこの博物館に来る初めての日本人です。実は、私が入手し寄贈した所蔵品に日本兵の遺品の旗があります。かつての日本人とウクライナ人の友情の証として、日本にお還ししたい」と言いだした。

 急な出来事に驚き、日本の代表でもない自分が預かっていいものか戸惑ったが、その場の空気に押されてひとまず受け取った。彼らの希望を聞くと「日本には〈兵士の聖堂〉があると聞く。そこに持っていってくれないか」と言う。兵士の聖堂、なるほど靖国神社のことかと思い、帰国後、すぐに番号をネットで調べて社務所に電話した。しかし、筆者が元来早口であるのと、やや説明が複雑な内容で、うまく伝わらず、その日は電話を切ることになった。

 しばらくの間、旗を書斎の机に置いていたところ、掃除をしていた妻が、染みがあることに気が付いた。現地では、なぜ付いたかは分からないが血痕で「血染めの旭日旗」との説明を受けた。それを告げると妻に、そんな深い思いがこもったものなら、できるだけ早くウクライナの人たちの希望を叶えるべきだと言われた。

 それから方々でこの話をしていると、ある人が、そういう事なら、安倍晋三氏に相談してはどうかと、公設秘書を紹介してくれた。言われた番号に電話し一通り説明し、電話を切った。10分ほどして今度は電話がかかってきて、開口一番「安倍晋三です」。電話口で呆気にとられている筆者に対して、安倍氏は自分が間に入るので大丈夫だと告げた。その後、靖国神社ともうまく話しが繋がり、ウクライナ側の了解も得て、お焚き上げ、つまり供養のために燃やすことになった。

 そのことを安倍事務所に伝えると、安倍氏がぜひ一度その旗が見たいと言っているとのことであった。お焚き上げの日の朝、事務所を訪ねた。奥の個室で旗を手に取った瞬間、安倍氏は一言「よく遠いところを還ってきてくれた」と呟いた。感慨深げに旗を眺めるその瞳には涙が浮かんでいた。

 旧ソ連やロシアの影に隠れていたが、実は日本人とウクライナ人の交流の歴史は長く、深い。1916年にカルメリューク・カメンスキーのウクライナ人劇団が来日し、神戸、東京、横浜とツアーし、拍手喝さいを浴びた。1924年に宮沢賢治は故郷岩手の農婦を、同地への憧れの念から「ウクライナの舞手」に例えた。ウクライナの盲目の詩人ワシリー・エロシェンコは郷土料理のボルシチを日本に伝えたのも同じ頃だ。

 満洲のハルビンに住む「白系ロシア人」のうち約1万5千人はウクライナ人で、祖国の独立運動を展開する者もいた。また、1930年代後半には、独立を目指すウクライナ民族主義者組織OUNのグループが満洲に送り込まれ、日本当局やハルビン特務機関の支援を受け活動した。日本の敗戦後、多くの者はソ連当局に逮捕され、シベリアや中央アジアの収容所に送られた。

 国境警備隊博物館でのセレモニーの際、前出の若者が、その血染めの旭日旗を「かつての日本人とウクライナ人の友情の証」と言ったのかがずっと気にかかっていた。同じ日、退役軍人のリーダーが乾杯の音頭の際、「かつてウクライナ人と日本人はシベリアの収容所で共に闘った」との挨拶もあった。最近になって、それが1953年のノリリスク蜂起であることが分かった。

 1953年3月、スターリン死去後も、100万人を超える囚人がグラーグ(強制収容所)に残った。政治犯の70%以上がウクライナ人で、その多くは独立運動を行ったウクライナ蜂起軍UPA、ウクライナ民族主義者組織OUNの関係者であった。同年5月には、待遇改善などを求め、ウクライナ人政治犯を中心に北極圏にある都市ノリリスクで大蜂起が起こった。

 当時、ノリリスクには、少なくとも50人以上の日本人が長期抑留されており、その中には数名の女性も含まれた。蜂起に参加したウクライナ人収容者ヴァシリ・ニコリシンによれば、日本人抑留者はウクライナ人とともに闘った。蜂起の最中、日本人の大佐がやって来て「ヴァシャさん、私たちはあなたが公正で正直な人だと思っている。私たちもあなた達と一緒に死ぬということを言うために来た」と言ったそうである。ニコリシンは「日本人の運命がどうなったかは知りませんが、私はこのエピソードを一生忘れないでしょう」とも述べている。

 シベリアの強制収容所でウクライナ人と収容されていた元関東軍情報部所属の黒澤嘉幸という人物は、1991年12月にソ連崩壊の報に接した時の気持ちを次のように記している「囚人仲間であったウクライナの親父の顔が浮かぶ。彼は言っていた。〈独ソ戦が始まって、ドイツ軍がやって来た時、祖国ウクライナの旗を押し入れの奥深いところから、引きずり出して“祖国解放万歳”を叫んだ。が、再び、ソ連の支配下になった。ウクライナの旗は、また、しまい込まれてしまった。しかし、いつか、その独立の日に……〉。半世紀の歳月の間、ウクライナの人々は、ソ連官憲の目を恐れながらも、祖国の旗をわが家に隠し続けていることを教えられた。〈祖国を愛する〉ということは、こう言うことだ、今ごろ、しまい込んだままのその旗を掲げているだろう。高々と祖国の旗を……」。

 2022年11月11日、今回の戦争で唯一ロシアに占領された州都ヘルソンがウクライナ軍によって解放された。同軍兵士によってSNSで投稿されたさまざまな映像では、大小のウクライナ国旗を高々と掲げ歓喜する老若男女の市民たちの姿が映っていた。世界中の支援を受け、なんとか強大な軍事国家から祖国を守ることができたウクライナ。ただ、彼らが何とか耐えることが出来た理由の一つに、勝利を信じてやまないその姿勢があるのも事実である。ウクライナ人のその佇まいに我々は学ぶことが多いのではないだろうか。

 


《きみづか なおたか》

1967年東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。93〜94年には英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジへ留学。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授を経て、2011年より関東学院大学国際文化学部教授。専攻は、イギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治、世界の王室研究。

 著書に、『立憲君主制の現在』(第40回サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』、『イギリスの歴史』など多数。17年より栄典に関する有識者(内閣府:現在に至る)、18年より国家安全保障局顧問(内閣官房:20年まで)などを務める。

 

2022年11月7日号 週刊「世界と日本」第2232号 より

 

イギリス王室のゆくえ

 

関東学院大学教授

君塚 直隆 氏

 

 二〇二二年九月八日、イギリスのエリザベス二世女王が九六年の生涯に幕を閉じた。その在位期間は七〇年と二一四日。イギリス史上で最長在位にして最長寿の君主であった。女王がイギリスや世界に残した功績は数限りない。

 

 エリザベス女王が即位した一九五二年は、第二次世界大戦が終結してまだ七年ほどしか経っておらず、戦勝国であったはずのイギリスは、敗戦国さながらに経済も社会も疲弊しきっていた。

 翌五三年六月に挙行された女王の戴冠式は、それまで暗い世相に沈んでいたイギリス国民にひとときの喜びを与える一大イベントとなってくれた。

 しかしその後、世界中に拡がる植民地は次々と独立を果たし、イギリスはもはや「大英帝国」などとは呼べない状態へと落ち込み、一九六〇年代後半から七〇年代にかけては「英国病」という造語まで日本で飛び出すほど、イギリスは失墜していった。

 こうしたなかでも常に国民を励ましていたのが女王だった。一九八〇年代にサッチャー革命によって、イギリスは奇跡の経済回復を遂げていくこととなり、二十一世紀のこんにちにおいても国際社会で一定の発言力を持つ大国としての地位を占め続けている。このように紆余曲折を経てきた七〇年間のイギリスの歴史を支えてきたのもまた女王陛下だった。

 七〇年間に一三〇回もの海外訪問をおこない、のべで三五〇カ国以上を訪れた女王は、ソフトの側面から英国の政治外交を支えてきた。

 彼女が相対したアメリカ大統領は一四代にものぼり、最初に接遇されたのはトルーマンだった。さらに「アイク」ことアイゼンハワー大統領は、彼女にとっては大戦での「戦友」だった。

 こうした閲歴の重みが、近年のオバマやトランプが女王に接したときに見せた、敬意の表れにとっての源泉となっていた。

 エリザベス女王が国際政治のなかで最も気を遣ったのがコモンウェルス(旧英連邦)の紐帯としての役割についてであった。

 かつては支配=被支配の関係の下で、本国にとって搾取の対象にすぎなかった植民地は、自治領や独立国となったのちもその大半がイギリスなどとの関係を保っていく。七〇年にわたってその首長を務めた女王は、コモンウェルスの首脳たちと「兄弟」さらに近年では「母子」のような関係で結ばれていた。

 このようなソフトの外交が時としてハードに転じ、世界的な偉業を成し遂げることもあった。

 かつてコモンウェルスのメンバーだった南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離政策)反対の闘士であるマンデラを、二八年近くにもわたる虜囚生活から一九九〇年に解放したのは、女王とアフリカ諸国の指導者らの尽力にほかならなかった。この直後にアパルトヘイトそれ自体がなし崩し的に廃止されていった史実は、読者にもおなじみであろう。

 現在、五六カ国から構成されるコモンウェルスは、地域限定的な問題というよりは、このような人権侵害に代表される全人類的な問題の解決に力を注いでいる。

 人権問題と並んでコモンウェルスが解決に挑んでいる課題が地球環境問題である。

 この分野で最大級のエキスパートともいうべき存在が、現在のチャールズ三世国王なのだ。彼はケンブリッジの学生だった一九六〇年代末の時点から、すでに海洋汚染や森林破壊などの環境問題に警鐘を鳴らしていた。

 しかし当時それは「変人」扱いされるにすぎなかった。それがいまや地球環境問題は時代の最先端にある。二〇一八年に開かれたコモンウェルス首脳会議でチャールズが次代の首長に選ばれたのはこうした長年の活動が影響していた。

 エリザベス女王が担ったもうひとつの重要な役割が、「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」の当主としてのそれであった。

 二〇一六年六月にイギリスは国民投票により「ブレグジット(EUからの離脱)」を僅差ながらも決めた。ところがスコットランドでは、EU残留派(六二%)のほうが多数を占めていた。これを機にイギリスからの「独立」を果たし、EUへの加入を試みたいとする声もあがっている。特に現在のスコットランド首相(精確には第一大臣)であるスタージョン女史は筋金入りの独立派である。

 とはいえ、そのスタージョンでさえも自身を大統領とする「スコットランド共和国」の建国までは考えていない。万一「独立」が達成されたとしても、その元首にはエリザベス女王に収まっていただき、一七〇七年以前のようなイングランド王国とスコットランド王国の「同君連合」を想定していたのである。女王はスコットランドでも絶大な人気を誇り、毎夏北部のバルモラル城で過ごしてきた。

 今年九月に逝去されたのもこの城においてであった。彼女にスコットランド人の血が半分流れているのも強みである。母のエリザベス王妃(のちにクイーンマザーと親しまれた)はスコットランドの名門貴族の令嬢だったのだ。

 このエリザベス女王に比較すると、チャールズ新国王はやはり「ダイアナの影」の影響もあり、イギリス全体はもとより、スコットランドでも母王のような人望はあまりない。

 しかし彼を支えるウィリアム皇太子とキャサリン妃は違う。彼らは将来国王と王妃に即く暁には、イギリス史上初めてスコットランドの大学(セント・アンドリューズ大学)出身者となる。

 連合王国にも解体の危機がおとずれている現在、チャールズ三世はカミラ王妃やウィリアム皇太子夫妻、さらにはジョージ王子を筆頭とする孫たちの力も借りながら、国内外の難局にこれからも立ち向かっていくことになるであろう。

 


《にわ ふみお》

1979年、石川県生まれ。東海大学大学院政治学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(安全保障)。2022年から現職。拓殖大学海外事情研究所附属台湾研究センター長、大学院地方政治行政研究科教授。岐阜女子大学特別客員教授も務める。著書に『「日中問題」という「国内問題」—戦後日本外交と中国・台湾』(一藝社)等多数。

 

2022年10月17日号 週刊「世界と日本」第2231号 より

 

『日中共同声明』と台湾

—永久に一致できない立場とは—

 

拓殖大学  政経学部教授

丹羽 文生 氏

 

 今から50年前の1972年9月29日、北京の人民大会堂で「日中共同声明」の調印式が行われた。深緑のテーブルクロスに覆われた長机の上には「日の丸」と「五星紅旗」が置かれ、赤紫の椅子が4つ並べられた。

 向かって左に首相の田中角栄と外務大臣の大平正芳、右に国務院総理の周恩来(シュウオンライ)と外交部長の姫鵬飛(キホウヒ)が座った。それぞれテーブルの上の硯箱から毛筆を取り出すと、日本語と中国語で書かれた日中共同声明の正文、英語の副文に署名し、田中、周恩来が立ち上がって署名を終えた正文を交換して固く握手を交わした。これにより長年の懸案だった日中国交正常化が実現した。

 しかし、ここに至るまでの道程は決して平坦ではなかった。最大の障壁となったのが台湾問題だった。日中国交正常化は、これまで日華平和条約に基づいて20年間に亘って外交関係を維持してきた台湾の「中華民国」との断交を意味していた。侃侃諤諤(かんかんがくがく)の交渉が続くも、日中間の隔たりは大きく、途中、決裂止むなしという状況にまで陥った。

 結論から言えば、日本側は日中共同声明において「中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の正統政府」であることを承認した上で、台湾問題に関しては第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とした。そのポイントは、まず「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」であるとの中国側の主張に対し、日本は「理解し、尊重」するとの立場を取ったことである。これは「上海コミュニケ」にある「認識する」(acknowledge)との外交用語を「理解し、尊重」に置き換えたものだった。

 上海コミュニケは、その年の2月にアメリカ大統領のニクソンが訪中した際、米中間で発したステートメントで、その中に「米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している」との一文があった。アメリカ側は、「台湾は中国の一部分である」と中国側が主張している事実は認めたものの、主張そのものは認めなかったのである。

 「中華人民共和国」が台湾を統治した事実など、過去1度たりともない。そのため日本側も、中国側の主張を「承認」できるはずがなかった。それに日本側としては、サンフランシスコ講和で、かつて日本だった台湾に対する全ての権利を放棄しているため、台湾の帰属先に関し独自に言及する立場になかった。

 一方、後段にある「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とは何を意味するのか。ポツダム宣言第8項には「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラル」べしとある。カイロ宣言は1943年12月にルーズベルト、チャーチル、蒋介石(ショウカイセキ)の3人がカイロで開いた会談後に発表されたもので、そこには「台湾及澎湖島(ほうことう)ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」と書かれてあった。ここで言う「中華民国」とは、「中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の正統政府」であるとすれば、「中華人民共和国」が継承した「中国」ということになる。

 日本側はポツダム宣言に言及することで、台湾を「中国」に返還するとしたカイロ宣言を支持しているとのスタンスを示したのである。ただし、このカイロ宣言には日付もなければ3人の署名もない。行政文書としての有効性に疑義があることを承知の上で、日本側は、これを提案し、中国側の了承を得て妥結を図ったのである。

 以上は、外務省条約局条約課長として日中共同声明の文案作りに携わった元外務事務次官の栗山尚一が生前、筆者のインタビューの中で語ったものである。栗山曰く、交渉が難航することを想定し、この妥協案を記したメモを事前に背広の内ポケットに忍ばせていたという。

 日中共同声明が交わされた直後、記者会見に臨んだ大平は「日中国交正常化の結果として、日華平和条約は、存続の意義を失ない、終了したものと認められるというのが日本政府の見解であります」と、日華平和条約の無効を宣言した。これに対し、「中華民国」側は即日、「対日断交宣言」を発した。

 だが、外交関係は途絶しても、それ以外の経済・貿易・文化といった実務関係は従来通り維持していくこととなり、日本側に交流協会(日本台湾交流協会)、台湾側に亜東関係協会(台湾日本関係協会)という「窓口機関」を設置した。これには中国側も事前に了承していた。逆に交渉時、周恩来から大平に「日本側から、主導的に先に台湾に『事務所』を出した方が良いのではないか?」と促していた記録が当時の外交史料の中に残っている。周恩来は日台間の実務関係の継続にまで異論を唱えれば、全てが台無しになると察したのであろう。

 田中一行が中国から帰国した日、自民党本部で開かれた両院議員総会で、大平から日中共同声明の内容に関する説明があった。大平は日中共同声明について「第3項目は、台湾の領土権の問題で、中国側は『中華人民共和国の領土の不可分の一部』と主張したが、日本側はこれを『理解し尊重する』とし、承認する立場をとらなかった。両国が永久に一致できない立場を表わした」と述べた。さらに、それから1週間後の10月6日、時事通信社の内外情勢調査会に講師として招かれた大平は、ここでも「中国側は台湾は中国の領土の不可分の一部であると主張するわけです。日本はこれを理解し、尊重するといっているが、それを承認するとは書いていないのでございます」と断言している。

 昨今、日本の言論界は台湾有事に関する話題で持ち切りであるが、中には、まるで台湾が香港と同じ「中華人民共和国」の特別行政区のようなものと勘違いしている所謂「知識人」の姿が見受けられる。不勉強と断ぜざるを得ない。今一度、日中共同声明の内容を再確認すべきである。

(敬称略)

 


《かわぐち まーん えみ》

85年シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。最新刊は『メルケル 仮面の裏側』など著書多数。

 

2022年8月15日号 週刊「世界と日本」第2227号 より

 

ロシアからのガスを絞られて、逼迫と高騰に頭を悩ませるドイツ

「EU連帯へのストレステスト」の様相

 

作家 (独ライプツィヒ 在住)

川口 マーン 惠美 氏

 

 7月12日、ユーロとドルが1対1・01と、ほぼ同価値になってしまった。ユーロの20年ぶりの安値の原因は、ロシアとドイツをバルト海の海底で結んでいるパイプライン、ノルドストリームが、10日間の予定で定期検査に入ったからだと言われている。現在、ドイツ側は、この検査がロシアの意のままに引き伸ばされるのではないかと極度に疑心暗鬼。EUという名で、対ロシアの経済制裁に加わり、さらにウクライナに武器を送ったりしているのだから、ロシアにガスで嫌がらせをされても不思議ではない。

 ドイツは発電も産業も家庭も大きくガスに頼っている。2020年には、ガスの総輸入量の55%がロシア産だったから、いわば国家経済が丸ごとロシアに依存している状態だ。普段のドイツでは怖いニュースが大ウケするので、感染症にしろ、気候危機にしろ、メディアはやたらとハルマゲドンを煽(あお)るが、今回に限っては、メディアは控えめに書いているように感じる。それだけ事が深刻なのだろう。

 ドイツの全土には40余りのガスタンクが埋まっており、春に減ってしまった備蓄を夏の間に満たし、秋にほぼ満タンにすれば、冬が越せるという。ただ、問題は、6月中旬以来、入ってくるガスが減っていること。7月10日、予備タンクの充填率は62%で、ほぼ止まっている。ドイツのタンクの容量は、米国、ロシア、ウクライナに次いで世界で四番目に大きいが、これでは何の役にも立たない。

 ドイツではシュタットヴェルケといって、自治体が地域全体の温水、暖房など熱供給を一手に賄うシステムを採っているところが多く、ドイツの全世帯の半分はガス暖房だ。もし、備蓄タンクが満タンにならないうちに冬が到来すれば、ハーベック経済・気候保護相(緑の党)は、まず産業を犠牲にし、公共機関と家庭を優先すると言っていた。ところが早くも12日に、やはり産業を犠牲にする訳にはいかないと修正。ただ、だからどうするかはまだわからない。本当にシュタットヴェルケが機能不全に陥れば、家庭の暖房は止まり、水道管も凍結し、厳寒期なら死者が出るだろう。

 エネルギーの価格も高騰している。6月のインフレ率は前年度比で7・6%だったが、エネルギー分に限るとすでに38%の伸びだ。ドイツ政府は、最悪の場合、ガスの市場値段は今後8倍、家庭用価格は今秋すでに3倍になると言っており、いくつかの自治体では、ガス代を払えなくなった人のため、体育館などに何百台かのベッドを用意する計画が練られている。エネルギー逼迫(ひっぱく)というだけでもすでに発展途上国並みだが、さらに体育館で暖を取るとなると、まさに国民総ホームレス化と言える。

 つまり、現在、最も重要なことはガスの備蓄の確保だが、ドイツにとってロシアガスの代替を探すことは極めて難しい。船で来るLNGは、値段にこだわらなければ買い入れ先を変えることは可能だが、ドイツはLNGではなく、安い生ガスを陸上、および海底パイプラインで入れているため、代わりになる産地が限られてしまう。

 例えばノルウェーのガスはこれまでもパイプラインで入っていたが、急な増産は叶わず、パイプラインの容量も限られている。だからと言ってLNGに変えようにも、受け入れターミナルが1基もない。これまで安いロシアガスの上に胡座(あぐら)をかき、EUの一人勝ちとなっていたドイツでは、LNGターミナルに投資する企業などなかったのだ。

 それどころかCO2を毒ガス並みに扱っていた緑の党は、つい最近まで、「LNGのターミナルなど要らん!」と、環境団体と共に建設反対運動に加わっていた。その緑の党のハーベック大臣が今頃、超特急で2基作ると豪語している。

 6月19日には、ハーベック氏はさらに驚くべき解決策を発表した。貴重なガスを発電に使う訳にはいかないから、予備として置いてあった石炭と褐炭の発電所を立ち上げるという。褐炭は国産で捨てるほどあるが、質が悪いのでとりわけCO2の排出が多い。選挙運動中から、今すぐCO2を削減しなければ、地球はまもなく住めない惑星になると叫んでいた氏だが、今は「非常に辛いが止むを得ない」と泣きそうな顔でオロオロ。23年ぶりにめでたく政権に加わり、連立協定の中に2030年までの脱石炭・褐炭という文言を組み込んだ緑の党だから、泣きたくなるのも無理はない。

 なお、それ以外の対策として挙げられたのは、手は冷たい水で洗えとか、食洗機はいっぱいになってから回せとか。公営の室内プールの多くもすでに閉められている。はたしてこれらが産業大国のエネルギー戦略か?

 ドイツ政府の最大の欺瞞(ぎまん)は、あらゆるエネルギーをかき集めなければならない今になっても、今年の暮れに3基の大型原発を止めるとしていることだ。長年の夢である「栄光の脱原発」を成就させるためとはいえ、堂々414・5万キロワットの出力を手放し、でも、手は冷たい水で洗えとはおかしくないか?

 しかも、その代わりに進められるのが再エネの強化。7月7日、2030年までに再エネを現在の50%弱から80%に増やす、国土の2%に風車を立てる、風車の建設に反対する住民の訴えを容易に退けられるようにする等々の法案が国会を通った。ただ、原発1基の電気を作るためには、風力なら214㎢の面積が必要となるという。これは甲府市の面積とほぼ同じだ。国土の2%に風車を立てるという決定に、ドイツ国民は本当に納得しているのだろうか。

 なおEUでは、ドイツほどではないにしろ、他の国々もガスの逼迫と高騰には頭を悩ませている。ドイツは、ドイツ経由でガスを受けているベルギー、チェコ、デンマーク、フランス、オランダなど9カ国で深刻なガス不足が起こった場合、自国の安定供給を犠牲にしてもガスを分けなければいけないと義務付けられている。パイプラインの上流にいるドイツが独り占めしないためのフェアな取り決めだ。ただし、パイプラインからのガスがチョロチョロとしか入ってこなくなった時、それが本当に機能するかどうか。コロナの時も、感染が拡大した2020年の春、あっという間にEUで国境が復活し、各国ファーストになったという経緯がある。ガスの逼迫は、EUの連帯に対するストレステストともなるだろう。

 


《かせ ひであき》

1936年、東京生まれ。慶応、エール、コロンビアの各大学で学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任。著書は『グローバリズムを越えて自立する日本』『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』ほか多数。

 

2022年8月1日号 週刊「世界と日本」第2226号 より

 

日本外交の思い出

 

 

外交評論家 加瀬 英明 氏

 

  私は30代から日米関係を強めることに力を注いできた。このために、イスラエル、南アフリカ共和国、台湾の三つの国の情報関係者と親しむことが重要だった。

 イスラエルは敵視するイスラム諸国に包囲され、南ア共和国は白人至上主義の「アパルトヘイト政策」をとってアフリカで孤立していた。台湾は生き死を中国情報の確保にかけていた。

 米国にとってこれらの地域がきわめて重要だったから、三つの嫌われ者国家と緊密な関係を結ぶことが必要だった。私は米国と三つの国の情報関係者の仲間入りをしたが、世界がよりよく見えるようになった。

 1970年代末に、産油諸国が原油価格を急騰させ石油危機が発生した。私はユダヤ・イスラム教研究者だったので、三井物産、日商岩井(現・双日)の中東の顧問をつとめていた。物産では社長室の寺島実郎氏が私を担当し、日商岩井は荒木正雄副社長だった。

 石油ショックとともに、イランをホメイニ革命が襲った。私はペルシア(イラン古代名)では僧侶が権力を握るとかならず既存体制を壊すから、イラン・ジャパン石油化学プロジェクトを放棄せざるをえないと忠告したものの、物産は大火傷を負った。私は物産からなぜ同プロジェクトが失敗したか、日本経済新聞に2ページの署名広告を執筆するように依頼され、昭和56(1981)年5月13日に掲載された。

 日本企業は愚かなほど実直だった。パンアメリカン航空はイスラエルとアラブ双方に乗り入れ、ヒルトンホテルも営業していたのに、日本は“アラブ・ボイコット”を忠実に守っていた。私は物産に勧めて、寺島氏が最初にイスラエルに入った。

 世界に長い独自な歴史を持つために、「断絶されていない言語空間」に住んでいる民族がいる。ユダヤ人だ。他の国々はナショナリズムから、他国と「断絶された言語空間」に住むことを強いられ、発想や行動が制約される。日本語はことさら孤立しているために、断絶された言語空間に閉じ込められやすいのを警戒しなければなるまい。

 私は多くのユダヤ人と親しい関係を結んできた。なかに駐日イスラエル大使で、空手道の仲間のエリ・コーヘン大使(在職2004年〜7年)がいるが、2005年1月に対談を行った。大使は退官後、ビジネスマンとして活動されている。対談から引用しよう。

加瀬:これはコーヘン大使の何代か前のバルトゥール大使から直接聞いた話ですが、昭和天皇にバルトゥール大使が東京に着任して信任状を奉呈したときに、陛下から「日本民族はユダヤ民族に対して感謝の念を忘れていません。かつてわが国は、ヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました。われわれはこの恩を決して忘れることはありません」というお言葉をいただいた。ところが、バルトゥール大使はヤコブ・シフという人物を知らなかったので、大使館に戻って急いで調べたそうです。

 ヤコブ・シフは、日露戦争において大きな役割を果たした人です。当時の日本の国家予算はロシアの10分の1でした。外貨の準備高も同じ。開戦が避けられない状況になった時に、当時日本銀行副総裁だった高橋是清が戦費を調達するために、まずアメリカに乗り込みますが、だれも引き受けてくれない。失意しながら是清はイギリスへ向かった。

 ロンドンで晩餐会に出席した是清は、同席したアメリカ紳士から「日本兵の士気がどのぐらい高いか」とか、さまざまな質問をされ、一つひとつ丁寧に答えた。すると、翌朝その紳士が是清のもとを訪ねて、「日本の国債は私が引き受けましょう」といった。この人物がヤコブ・シフだった。彼が世界中のユダヤ人に呼びかけてくれたおかげで、日本は日露戦争のために発行した国債の半分以上をユダヤ人が引き受けてくれた。

コーヘン:そんな驚くべき出来事があったんですね。

加瀬:シフは戦後日本に招待され、明治天皇から親しく陪食を賜り、最高勲章を贈られています。

 私は親しくさせていただいていた入江相政侍従長にお話したことがありますが、入江侍従長も昭和天皇は歴代のイスラエル大使が信任状を奉呈するたびに、「われわれはユダヤ民族から受けた恩を忘れない」ということをおっしゃっていたと教えてくれました。

 私は二つの小さな夢を、いだいてきた。

 軍人への敬意を復活するために、前大戦の帝国軍人の銅像を一体建立することと、郵便記念切手を発行することだった。

 ところが思わず、その好機がやってきた。

 昨春、親しい樋口隆一明治学院大学音楽学名誉教授が私の事務所に寄って、祖父・樋口季一郎中将の石碑が生地の淡路島に建立されることになったと話した。

 樋口中将といえば昭和12(1937)年に、少将として満州哈爾浜(ハルビン)特務機関長だった時に、ヨーロッパから2万人といわれるユダヤ人難民がナチスの迫害を逃れてきたのに対して、満州国入国を許した勇断によって知られる。私は中央公論誌(昭和46年5月号)の『日本のなかのユダヤ人』で、書いていた。

 私は樋口教授に「石碑ではつまらない。少将が救ったユダヤ人にも呼びかけて、銅像にしよう」といった。そして昨年7月に産経新聞に「日本の名誉を守るため 樋口季一郎中将の銅像を建立しよう」という広告を掲載したところ、その月以内に全国から銅像一体を建立するのに必要な2千数百万円以上の寄付がたちまち集まった。

 広告の呼び掛け人として、在京ユダヤ教会のラビ・メンディ・スダケヴィッチ師、私の多年の同志であるユダヤ人戦略家のエドワード・ルトワック氏も加わった。

 銅像は10月に完成し、かつて満州里で将軍によって救われたユダヤ人の孫たちも参列して、除幕式が行われる。記念切手も発行された。

 

 


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