防衛・安全保障チャンネル
防衛・安全保障チャンネルは、1976年に始まった『国防論』の延長線上にある企画です。『なぜ今必要なのか?集団的自衛権の(限定的)行使』の刊行等、これらの難解な問題を皆様に十分理解していただける内容となっております。
《ひらい こうじ》
1958年、神奈川県生まれ。電機メーカー、M&A助言、事業再生支援会社などを経て、2016年から経済安全保障のコンサル業務を行う株式会社アシスト代表。(一社)日本戦略研究フォーラム政策提言委員。日本李登輝友の会理事。月刊誌WiLL他に寄稿多数。早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了。
TSMC本稼働と日本の地経学的戦略
経済安全保障 アナリスト
平井 宏治 氏
2024年11月4日号 週刊「世界と日本」第2280号 より
先鋭化する米中対立
中国共産党の目指す最終形は、「中国主導の世界秩序」である。中国が中華思想に基づき野蛮国と蔑んだ中国の近隣諸国を含む全世界を中国共産党常務会が支配することだ。中国の習近平国家主席が言う“中国の夢〟とは、国家間の対等な関係を意味せず、中国共産党の価値観を、他国に強制することである。
習近平執行部の意図を見抜いて動いたのは、米国のトランプ前政権だ。トランプ前政権は、中国とのデカップリングを念頭に、2019年度国防権限法と共に「外国投資リスク審査近代化法」や「輸出管理改革法」を成立させ、対中規制を打ち出した。2020年に、共和党から民主党へ政権交代したが、バイデン政権はわが国や欧州と足並みをそろえデリスキングを打ち出し、輸出規制など対中規制の拡大や半導体生産拡充に向けた産業政策を進めている。
中国が豊かになれば、民主化すると考える関与政策が誤りだったと認める声明を出し、対中戦略を「Protect and Promote」に転換した。輸出規制を駆使して米国の機微技術(軍事利用される可能性の高い技術)の窃取、不法な技術移転などを防ぎ、中国の軍事的ならびに経済的台頭、力で国際秩序の現状変更を行おうとする試みにストップをかける「Protect(守り)」と、産業政策を通じてアメリカの防衛産業の競争優位を強める「Promote(攻め)」の二本柱が現在のアメリカの対中戦略である。
2022年、習近平国家主席は慣例を破り、異例の3期目に突入した。終身国家主席を狙う習近平氏が掲げるのが、中華民国(台湾)侵略である。半導体で後れを取る中国は、台湾を侵略し、先端半導体の製造拠点を奪い、劣勢の挽回を図ることも侵略の理由の一つとして考えうる。
半導体規制とサプライチェーンの見直し
半導体は、「産業の米」と呼ばれ、情報端末やパソコンなどの民用製品からミサイルやイージス艦などの兵器にまで幅広く使われている。戦争の形態が人工知能に対応した兵器を使う戦争(智能化戦争)への過渡期にあり、人工知能開発が智能化戦争の勝敗を決する。人工知能開発には、膨大な計算を迅速に処理するためのスーパーコンピューターが必要であり、これを支えるのが、先端半導体である。
米国は日本とオランダに、高い市場占有率を持ち先端半導体製造に必要となるDUV液浸露光装置、デポジション、エッチングなどの製造装置の輸出規制に協力するように要請し、日本とオランダは同調している。
日米蘭は、中国など懸念国が半導体企業を買収し、技術などを移転し軍事転用できないよう規制を強化するほか、西側企業が中国へ半導体事業を投資しないよう、対外投資規制の導入も進めている。米国は、2023年8月発布の大統領令で半導体、人工知能、量子計算の分野で米国人(外資企業の米国法人、米国企業の海外法人、米国企業支配下の海外企業を含む)が中国などに対外投資を行うことを制限した。米議会も大統領令に同調し、法案の策定が進んでいる。日欧も米国と足並みをそろえ、同様な規制が設けられる見込みだ。
半導体製造には、半導体材料、半導体製造装置、半導体製造技術の三つが必要になる。日本企業は、パッケージ用のビルドアップ材や後工程材料で世界トップシェアを持つ。製造装置では、米国、欧州、日本が合わせて9割以上のシェアを占める。半導体製造では、10ナノメートル以下のロジック半導体の9割以上が台湾で製造されている。台湾にある台湾積体電路製造股份有限公司(TSMC)は、世界最大の半導体受託製造企業であり、半導体の受託生産で世界シェアを6割以上占める。同社は世界最先端の先端半導体製造技術を有しているため、アップルやNVIDIAなど世界の主要企業は、TSMCに依存せざるを得ない状況にある。
TSMC本稼働と日本の地経学的戦略
1980年代、日本はデータ保存に使われるメモリーで世界一の市場占有率を誇り、米国のメモリー会社8社の内の6社を事業撤退に追い込んだ。米国は危機感を抱き、第一次・第二次日米半導体協定で、半導体の事業展開を制限し日本企業は微細化競争で後れをとり、現在は、台湾や韓国に先を越されている。
TSMCが生産する3nm(ナノメートル)線幅の半導体は、中央演算処理装置(CPU)、GPU(Graphics Processing Unit)向けが主だ。第5世代戦闘機やミサイルなどに使われる半導体の線幅は5nmや7nmといわれる。日本のルネサスエレクトロニクスが量産する半導体の線幅は、22nm~40nmと報じられている。2022年、最先端のロジック半導体の開発製造を行うRapidus(ラピダス)株式会社が設立。日本の半導体微細化技術の現状を考えると、Rapidusが2025年にTSMCに追いつくことは極めて難しいだろう。
経済安全保障の観点から、台湾有事に伴い、台湾からの半導体供給が寸断した時の影響分析や、米国による対中半導体規制の強化、中国製半導体から国産半導体への切り替えという調達リスクを検討することが求められている。先端半導体のサプライチェーン多角化を進めるTSMCは、米国、日本、ドイツを生産拠点として選んだ。TSMCの熊本第一工場は、今年末に量産段階を迎える。熊本第二工場は、2027年末の稼働が見込まれる。TSMCの2つの工場で生産される半導体の線幅は、12~16nmと22~28nmだ。総投資額は約3兆円に上り、日本政府は最大1兆2000億円の補助金を出す。半導体の微細化で後れを取る日本は、日台の連携をより強化し、半導体の微細化技術で最先端を走るTSMCから学ぶことは多い。また、米国は、CHIPSプラス法を成立させ、半導体製造や研究開発支援に総額520億米ドルを投じ、半導体のサプライチェーンが脱中国へ大きく変わろうとしている。米国の同盟国である日本の半導体材料会社や半導体製造装置企業には、新たな巨大市場ができるのだ。経済的威圧を駆使し、中国製造2025で製造強国になると宣言する中国へ依存する事業モデルでは、中国に技術やノウハウを盗み取られるだけに終わるだろう。実際、中国政府から電気自動車に使われる半導体を中国製半導体に切り替えるように中国の電気自動車会社に指示が出たという報道もあった。目先の利益にだけ目が行く経営は、国家安全保障に深刻な悪影響を及ぼす。半導体のデカップリングに向け、日米蘭で検討する時期に入っている。
《はまぐち かずひさ》
1968年熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。名古屋大学大学院環境学研究科博士課程単位取得満期退学。陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て現職。一般財団法人防災教育推進協会理事長、日本危機管理学会理事、日本CBRNE学会理事なども務める。著書に『リスク大国 日本 国防・感染症・災害』(グッドブックス)ほか。
気候変動・激甚化する災害への対応強化
拓殖大学地方政治行政研究所特任教授
防災教育研究センター長 濱口 和久 氏
2024年9月2・16日号 週刊「世界と日本」第2276・2277号 より
近年、気候変動が原因とされる甚大な気象災害が地球上のいたるところで起きている。日本でも気候変動が原因と考えられる気象災害には注意が必要だ。特に今年の夏は異常な猛暑が続き、熱中症になる人が例年以上に多い。加えて、数年に一度程度しか起きないような短時間の大雨(1時間に100ミリ前後の雨)が降るときに発表される「記録的短時間大雨情報」の回数が増えた。突然のゲリラ豪雨は、道路の冠水や鉄道などの公共交通機関の運行にも影響を与え、社会生活に支障をきたす事態となっている。台風の巨大化や線状降水帯による大雨被害も後を絶たない。
防災タイムライン
日本人は歴史上、数多くの気象災害を経験してきたが、今までの常識が通用しない時代に突入しているということを認識する必要がある。正しい防災知識の習得や安全な避難行動が気象災害から生命を守るうえでまずます重要になっている。
突然のゲリラ豪雨は準備の暇もなく襲ってくるが、その他の気象災害は数時間もしくは数日間の猶予がある。そこで、気象災害への取り組みとして、地方自治体が中心となり進めているのが防災タイムラインの導入だ。
防災タイムラインには、災害が起きる前の段階から事前に「誰が」「いつ」「何をするのか」を一覧表にして時系列で示されている。防災タイムラインは2005年にハリケーン・カトリーナによって甚大な被害が出た米国で考えられた防災行動計画である。
防災タイムラインでは、災害対応を行ういくつかの関係機関を一覧表に並べることで、どの機関がどの災害対応をいつ行えばいいのかを表示している。時系列を視覚的に分かりやすく示すことで、同時に多くの人が流れを共有することができる。
災害が起きてからの対応だと、どうしても場当たり的に目の前の課題を解決するのに精一杯になり、なかなか先を見越した行動をとることが難しくなる。しかし、今から何時間後、何日後にどのような問題が起きるかを想定しておけば、先を見越した災害対応を行うことが可能となる。
また、国、地方自治体、企業、各種団体、住民等が連携して防災タイムラインを策定することで、他の関係機関がどんな活動をしているのかを「見える化」することが可能になり、横串の態勢を構築することができる。
避難行動のタイミング
令和3(2021)年5月の災害対策基本法の一部改正により、円滑かつ迅速な避難の確保のため、「避難勧告」と「避難指示」が「避難指示」に一本化された。「避難指示」は気象庁が発表する土砂災害警戒情報などに基づいて、基礎自治体である市区町村の判断で出すことになっている。
仮に「避難指示」が出されなくても、想定を超えるような気象災害が起こるリスクが高まれば、気象情報などから判断して安全な場所に自主避難する行動を起こすべきだ。特に崖や川の近くなど、危険な場所にいる場合(土砂災害警戒区域や浸水想定区域など、災害が想定される区域)は、市町村の避難情報を確認し、発令されている避難情報に従い、直ちに安全な避難行動をとる必要がある。周りの状況を確認し、避難場所への避難が逆に危険な場合は、少しでも崖や沢から離れた施設や、少しでも浸水しにくい高い場所に移動するなどして身体の安全を確保する。市町村から避難情報が発令されていなくても、今後、急激に状況が悪化する恐れがある場合は、自らキキクル(危険度分布)や水位情報などを確認する。
日頃から自分事として気象災害への感度を高め、防災意識の定着を図るしか、自分や家族の生命を守ることができないとうことを肝に銘じておくべきだ。
災害ボランティアの育成
気象災害に限らず、甚大な自然災害が起きると、自衛隊、警察、消防の公助を担う実働機関が被災地に派遣され、支援活動を展開する。特に自衛隊は炊き出しや入浴支援をする能力を持っており、最近は派遣期間が長期化するケースが増えている。気象災害による災害派遣ではないが、元日に起きた能登半島地震でも自衛隊の入浴支援を行う需品科部隊が8月末まで活動を続けた。
自衛隊の入浴支援を行う需品科部隊は陸上自衛隊のすべての駐屯地に存在するわけではない。そのため、長期間にわたって被災地での活動が続くと、本来の自衛隊の訓練にも支障をきたすことになる。
日本では実働機関に加えて、被災地での支援活動を担うのが災害ボランティアだ。
日本と同じく自然災害の多いイタリアの災害ボランティアは、日本のボランティアとは違い、事前に災害対応についての研修や訓練を受け、ボランティア団体に災害派遣希望登録を済ませている。被災地で活動する場合には有給休暇・災害保険・交通費などが保障される。1990年代に入ると、災害ボランティア団体の認証が政府から行われ、個人で活動するのではなく、認証された団体に属し、グループとして活動する形態が確立された。その結果、災害ボランティア団体は警察、消防、軍隊などの実働機関と同等の扱いを受ける組織となっている。
阪神・淡路大震災を契機として、日本でも災害ボランティア団体が続々と誕生したが、イタリアの災害ボランティア団体のレベルには程遠い。個人で被災地に入って支援活動をする人も増えたが、殆どが何の訓練も研修も受けていない素人に等しい人ばかりだ。
災害ボランティアの能力を高めることは、間違いなく日本全体の防災力の底上げに繋がる。そのときにいつまでも「災害ボランティア=無償の活動」ではなく、イタリアのような有償で活動できる仕組みを同時に作るべきだろう。地方自治体も災害ボランティアを無償で使うことのできる道具としか見ていない意識を改めるべきだ。
今後ますます気候変動による災害の激甚化に見舞われるリスクが高まることが想定される。被災地で活動するうえで専門性と高いスキルを兼ね備えた災害ボランティアの育成に日本も国を挙げて取り組むべきである。
《こたに けん》
1973年京都府生まれ。専門は国際政治学、インテリジェンス研究。ロンドン大学キングス・カレッジ修士課程修了、京都大学大学院博士課程修了。防衛省防衛研究所主任研究官、英国王立統合軍防衛安保問題研究所(RUSI)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)客員研究員等を歴任。著書に『日本インテリジェンス史』など多数。
「スパイ天国」から「普通の国」へ
日本企業のチャンスが広がる
—セキュリティ・クリアランス(SC)制度法制化で—
日本大学 危機管理学部教授 小谷 賢 氏
2024年8月19日号 週刊「世界と日本」第2275号 より
本年5月10日、「重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律」が成立した。同法の制定によって、民間企業を対象としたセキュリティ・クリアランス(SC)制度が本格的に始動することになる。既に欧米諸国では同制度が整備されており、これまで日本だけが法の未整備によって被る不利益もあったため、今回の法整備には民間事業者からの期待が高まる。同時に民間の側でも秘密保全を始めとする様々な義務も生じるため、その点について概説していきたい。
既に国のレベルでは2013年に導入された特定秘密保護法があり、国家公務員は身辺調査を経て、SCを与えられる制度がある。特定秘密保護法は、それが漏洩した場合に「その漏洩が我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」と定義されており、具体的には自衛隊の軍事情報や、国の政策決定に関わる情報、国の機関が収集した情報、外国政府から提供された情報、といったあたりになる。これらの情報は諸外国では「Top Secret」や「Secret」に分類される機密である。この制度は基本的には国家公務員を対象とするものであり、一部防衛産業に関わる業者には適用されているものの、大部分の民間企業には関係のない制度である。
諸外国においては、政府の安全保障・インテリジェンスに関わる仕事を請け負ったり、軍民どちらにも利用される可能性のある最先端技術、もしくは高度なサイバー・セキュリティを取り扱う企業も多く、それらの従業員はSCを取得し、情報の保全や国との情報共有に取り組んできた。しかし日本では長らくそのような制度が不備となっていた。
民間企業からの情報流出を防ぐ手立てがなければ、技術情報は悪意のある外国政府勢力に吸い上げられることになる。もちろん官民の組織において情報流出への配慮はなされてはいるが、外国政府機関が積極的に情報を取りに来た場合、それを防ぐのは難しい。そのためSC制度の導入によって、最先端技術を扱う人物に外国政府との接点はないか、付け込まれる弱みはないか、といった点をチェックし、安全と認められた人物のみに機微な情報を扱わせる必要がある。
さらに国と民間の情報共有のためにも制度は必要だ。両者の間では、防衛装備品関連の情報以外にも、様々な機微情報が共有されているが、中でも重要なのはサイバー攻撃に関する脅威情報であろう。例えば国の機関や民間のインフラ関連企業にサイバー攻撃が実施された場合、速やかに官民の間で脅威情報を共有し、想定される攻撃に備える必要がある。もちろん現状でも情報の共有は実施されているものの、それはリアルタイムではなく、また民間企業はサイバー攻撃を受けたことについて報告することに消極的だ。ここで官民が同じSCを有していれば、互いの情報を速やかに共有することができる。
そこで今回、国は「重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律」を成立させ、民間企業を対象としたSC制度の導入を図ったことになる。今回の法律で規定される重要経済保安情報は、国民の生活に深くかかわる重要インフラや重要物資のサプライチェーンを保護するための情報がこれにあたる。さらに企業が開発、保持する革新技術に関する情報や、外国から提供される情報で公になっておらず、漏洩すれば我が国の安全保障に「支障」を与える恐れのあるものも同情報に当てはまる。
特定秘密が漏洩すれば「著しい支障」を与える情報なのに対し、重要経済安全保障情報は「支障」に留まるもので、これは諸外国では「confidential」に相当する。今回の法整備によって我が国の秘密は、国の特定秘密と重要経済安保情報の二本立てとなる。SCを持った国家公務員は双方の情報にアクセス権を持つが、民間のSCは重要経済安保情報のみへのアクセス権を持つことになる。例えば外国から日本へのサイバー攻撃が行われた場合、これまで日本政府としては民間に対する注意喚起しかできなかったが、サイバー攻撃のより具体的な脅威情報や政府の対処手段について民間企業と共有できるようになる。また外国政府との情報共有については、一旦、日本政府が間に入り、必要があれば日本政府から日本の民間企業に情報提供を行うことで、外国政府の情報を共有することも可能となった。
民間企業がこの制度を受け入れる上で、国の機関に準じるような秘密保全制度の確立も必要となってくる。例えばSC所有者のみの立ち入り区画の設定や、可搬記憶媒体使用の禁止、コンピューターへのアクセス制限等が求められるようになる。さらに企業の従業員がSCを取得するには、事業者が従業員の個人情報を取りまとめて国に提出する必要もある。これは国の特別秘密のSC制度に準じたもので、家族構成、犯罪歴、借金の有無、飲酒、精神疾患、過去の情報取り扱いの過失、外国政府との関係等について、包み隠さず報告し、必要があれば行政機関による身辺調査も行われることになる。しかし審査をパスすれば、その人物は国が保証する「安全な人物」として、国内外を問わず信頼を得られる立場となるだろう。ただもしSCの審査に通らなかった場合、その従業員が所属する部署において不利益を被らないような特別の配慮も必要になってくるだろう。
漏洩については、知りえた情報を故意に漏らした場合は、5年以下の拘禁刑若しくは500万円以下の罰金とされ、これは特定秘密よりも秘匿度が低いとされるためである。さらにその従業員が所属する事業者に対しても罰則が課されるようなので、事業者としてはSC取得者に対する管理責任が問われることにもなるだろう。
ただ何よりも大事なのは、民間企業のマインドの転換である。これまで企業は経済活動のみに専念すれば良かったが、これからは常に自分たちの活動が安全保障やサイバー、インテリジェンス領域に関わっている可能性があり、油断すれば外国政府勢力のターゲットになるかもしれないということである。今後、個々の企業における教育や意識付けが必要になってくるのは言うまでもない。
《かわの かつとし》
1954年、北海道生まれ。防衛大学校を1977年に卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦隊司令官、統合幕僚副長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任。2014年に第5代統合幕僚長に就任。2019年4月、退官。2020年9月に『統合幕僚長 我がリーダーの心得』(ワック)を出版。
新しい時代に適応した自衛隊像を描く
—発足から70年を迎えて—
元統合幕僚長 河野 克俊 氏
2024年7月1日号 週刊「世界と日本」第2272号 より
1 統合の深化
2006年に統合幕僚監部が新設され、それまでの統合幕僚会議議長に代わって統合幕僚長のポストが新設された。オペレーションは第一義的に統合幕僚監部が担うことになり、年々統合化が進んできたことは喜ばしい限りである。それまでは陸海空自衛隊がそれぞれのミッションを遂行するという形態であり、統合部隊が創設される場合のみ統合幕僚会議議長の下でオペレーションするという態勢であった。それが1991年の掃海部隊のペルシャ湾派遣を嚆矢として、自衛隊は「創る自衛隊」から「動く自衛隊」に変化し、まさに「オペレーションの時代」に入ったといえる。そのような環境変化が統合化を促進したとも言えよう。ただ、統合という観点から、対米軍との関係において課題があったことも事実である。
今般、関連法案が成立し、今年度末に自衛隊に「統合作戦司令部」が創設され、その指揮官である「統合作戦司令官」のポストが新設されることになった。「統合作戦司令部」の創設は、2006年に統合幕僚監部が新設された時からのある意味で宿題だった。しかしながら人員、施設等の制約の問題があり、議論すれどもなかなか結論がでない状態が続いていた。
そこで私が統合幕僚長を退官する前に中期防衛力整備計画(中期防)に、中期防期間中に結論を出すことを明記して退官した。その意味で、「統合作戦司令部」と「統合作戦司令官」の創設が決まったことは感慨に堪えない。
統合幕僚長の役割は大きく言えば、一つは自衛隊の最高指揮官である総理大臣、そして防衛大臣への軍事的側面からの補佐である。もう一つは、総理大臣、防衛大臣すなわち政治サイドからの命令を自衛隊部隊に執行させる役割である。すなわち政治からの命令を自衛隊部隊にやらせるということだ。
この統合幕僚長の2つの役割を一人の人間がこなせるかということが、この問題の根底にあった。平時であれば、スタッフの補佐もあり十分こなせると思うし、現に私はこれらの役割を果たしてきた。しかし、問題は有事の際に一人二役ができるか?または、それは適切かということだ。現に有事ともいうべき東日本大震災の際には、当時の統合幕僚長は総理大臣、防衛大臣への補佐がメインミッションとなり、自衛隊部隊への命令執行までなかなか目が向けられなかったという見方もあった。
米軍との関係で言えば、一人二役であることから、統合幕僚長の戦略レベルのカウンターパートは、ワシントンの統合参謀本部議長である。一方で、作戦レベルのカウンターパートはハワイのインド太平洋軍司令官である。
私が統合幕僚長の時の太平洋軍司令官(現インド太平洋軍司令官)は、ロックリアー海軍大将、ハリス海軍大将そしてデビットソン海軍大将だったが、ハリス司令官から「あなたの米軍のカウンターパートはワシントンの統合参謀本部議長であって、私の真の意味での自衛隊におけるカウンターパートはいない」と言われたことがある。米軍もそのように見ていたのかとある意味衝撃を受けたことを記憶している。
今後は、統合幕僚長のカウンターパートは統合参謀本部議長であり、「統合作戦司令官」のカウンターパートは、インド太平洋軍司令官となろう。
このようになればより関係がよりスッキリし、日米同盟の信頼性向上に寄与するものと思う。
2 自衛隊と日米同盟
自衛隊は、憲法9条によりその行動が制約されていることは衆知の事実だ。憲法解釈上、自衛隊は未だに戦力ではなく「自衛のための必要最小限の実力組織」ということになっている。このような自衛隊が発足以来70年間抱えてきた矛盾は解消されずに現在に至っている。これは自衛隊というよりも政治の問題だが、このことが今後日米同盟にもネガティブな影響を与えるのではないかと危惧している。
海洋国家日本の安全保障の基本は、価値観を共有し、同じ海洋国家である米国との同盟以外にないということは日本国民の大方のコンセンサスを得ている。しかし、混迷の時代を迎えた世界において、今までのように日本の防衛を米国に頼り切っていていいのかという問題に直面する。
米国は、本来モンロー主義すなわち孤立主義の国であり、第一次世界大戦時も最後まで世論は米国の参戦に消極的だったが、1915年に英客船「ルシタニア」号がUボートに撃沈され、多くのアメリカ国民が犠牲になったのが米国参戦のきっかけとなった。1939年に勃発した第二次世界大戦でも世論は参戦に消極的だったが、1941年の真珠湾攻撃で参戦に踏み切ったのである。
このような米国の動向を冷静に見れば、第二次世界大戦後の米ソ冷戦時代に西側のリーダーとならざるを得なかった米国が特殊だっただけで、今の米国政治、社会を見ていると本来の米国に戻りつつあると見ることもできる。特殊だった米国の時代に締結されたのがNATOであり日米安全保障条約なのだ。
米国が本来の孤立主義の米国に変貌しつつあるのであれば、憲法9条により片務的な同盟関係を求める日本から米国が離れていく可能性がある。同盟の基本は相互防衛であり、片務性など本来あり得ない。今まで片務性が許されてきたのは、日米安全保障条約が戦勝国と敗戦国の条約であり、特殊な時期の米国だったからだ。したがって、今後日米同盟を維持するためには、日本の役割を拡大し、日米同盟を双務性のレベルにまで極力引き上げる必要がある。安倍総理の下で平和安全法制が成立したが、そこで認められたのは「限定的な集団的自衛権」である。これはほぼ個別的自衛権の範疇に近い概念だ。安倍元総理は現行憲法の解釈の範囲内で最善のことをされた。
しかし、もはや次のステップを見据える時期が迫っているのではないか?すなわち「限定的な集団的自衛権」を超えるためには憲法改正しかない以上、日本の安全保障のためにも憲法改正が必要となっている。
4月に岸田総理は米議会で演説され、「米国は独りではない。日本は米国とともにある」「日米が国際秩序を先頭に立ってリードする」と述べられた。米国は日本を必要としているのである。そのためにも極力対等の同盟関係にステップアップする必要があるのだ。
《さとう へいご》
1966年、岡山県生まれ。一橋大学(博士)1999年。拓殖大学海外事情研究所所長・国際学部教授。防衛庁防衛研究所主任研究官を経て、2006年より拓殖大学教授。専門は、国際関係論、安全保障論、軍備管理軍縮等。
日米同盟強化の鍵になる防衛装備品の輸出決定
拓殖大学教授 佐藤 丙午 氏
週刊「世界と日本」2024年4月15日 第2267号より
防衛装備移転に関する政策転換
2023年12月と2024年3月の2回にわたり、日本の防衛装備移転に関する政策が大きく変化した。本来であれば単一の政策転換であるべきであったが、国内政治の諸事情により2回に分けられた。
より本質的な転換は、12月の防衛装備移転の運用指針の改正であった。日米同盟の観点からこの改正で注目されるのは、以下の3点であろう。まず、国際共同開発・生産の面で、パートナー国が完成品を移転した第三国へ、日本から部品や技術の直接移転が可能になった。さらに、ライセンス生産品の提供である。これにより、米国由来以外も含むライセンス生産品(完成品を含む)をライセンス元国へ提供可能になった。2014年の防衛装備移転三原則により、「米国からのライセンス生産品に係る部品や役務の提供」は許可されていたが、2023年の改正はそのスコープを拡大するものであった。
もう1点注目されるのは、修理等の役務である。2014年の三原則のもとでは米国に限定されていたが、2023年の改正により、米軍以外の安全保障協力関係のある国に対しても、修理等の役務提供が可能になった。
政策転換を行う趣旨は、三原則の前文に示されている。そこでは、「自由で開かれたインド太平洋というビジョンの下、同盟国・同志国等と連携し、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を実現し、地域の平和と安定を確保していくことは、我が国の安全保障にとって死活的に重要である」とした上で、「我が国の安全及びインド太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、一方的な現状変更を容易に行い得る状況の出現を防ぎ、安定的で予見可能性が高く、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を強化する」としている。
これはつまり、防衛装備移転を秩序強化の手段として活用することを意味する。
日米同盟への影響
日本の政策転換は、日米関係のみならず、米国の安全保障政策にも重要な影響をもたらす。それは、米国の防衛産業政策を見ることで明らかになる。
米国は2022年の国家防衛戦略(NDS)において、国内外のパートナーと共に強力な防衛エコシステムを構築するとしており、それに基づき2024年1月に米国史上初となる国家防衛産業戦略(NDIS)を発表している。
NDISは「防衛エコシステムの近代化」を目的として規定し、四つの優先分野を設定する。それらは、「強靭なサプライチェーン」、「労働力の準備態勢」、「柔軟な取得」、そして「経済的抑止」としている。同盟国などのパートナー国との関係では、まず「強靭なサプライチェーン」の構築の部分に言及がある。この優先分野では、現在及び将来における防衛生産の安定性の確保を目的としており、同盟国との協力による世界的な防衛生産基盤の拡大とサプライチェーンへの参加を政策の一つとしている。
これは、米国内の防衛生産能力の弱体化に対応するものである。2010年代の終盤より、米国の防衛生産基盤は二つの問題を抱えていた。一つは、生産能力を超える需要の高まりであり、もう一つは利益率の低い防衛生産からの企業の撤退である。この二つの問題に対応する上で、同盟国やパートナー国の協力は重要な手段とみなされてきた。
NDISに規定される同盟国やパートナー国との関係は、「経済的抑止」の分野に規定されている。この分野では、同盟国やパートナー国との間で強靭な防衛エコシステムを構築することを目標としている。具体的には、これら諸国間で国際的な相互運用性を確立し(及びその標準を規定し)、科学技術やイノベーションに対する移転の防御措置を講じることで、他からのアクセスを管理することを目標にしている。潜在的な競争相手は、次世代の防衛装備などへのアクセスが制限されることで、排除される不安を感じることになる。
このNDISに規定される同盟国の一つとしての日本の存在は重要である。NDISの実質的な内容は、戦略発表以前から米国を中心とした安全保障コミュニティで認識されていた内容であり、24年1月の発表で、その方針が体系化されることになった。日本の防衛装備移転三原則及び運用指針の改正の方向は、米国の戦略の目指す報告と同一のものとなる。つまり、日本は米国を中心とした防衛エコシステムの一部を担うようになる、ということになる。
政策面での可能性について
ただしこれは、日米の防衛産業基盤の一体化を意味するものではない。日本の外交安全保障政策上の選択は個別に行うべきものであり、たとえば米軍以外に修理等の役務を提供するのは、日本独自の判断となる。
もっとも、米軍以外が日本国内で艦艇等の修理を行う機会は、それら諸国がインド太平洋で訓練や演習、作戦運用を行なっていることが前提となる。米国は太平洋抑止イニシアチブ(PDI)の下で、二国間及び多国間の共同演習や訓練などの機会の増加を重要視しており、それが抑止力の向上に貢献するとしている。PDIは2021年1月に成立した21年度国防授権法に規定された戦略であり、その後欧州諸国を含め太平洋諸国と米軍との共同演習等は増加し、日本もこれに積極的に参加している。共同演習等はPDI発表以前から増加していたものであるが、その際にも艦艇等の修理や補給等で日本のインフラの活用が求められていた。
作戦運用の観点から考えると、米海兵隊や陸軍の戦略の変化にもあるように、米軍の抑止力向上と、その関与の信頼性を担保するためには、米軍が前方での活動を増加させることがこれに大きく貢献する。しかし、戦闘が想定される地域や作戦内容を考えると、米軍単独で作戦を行うのは効果的ではない面があり、同盟国の協力及びその防衛資源を活用するのは合理的な選択になる。
つまり、産業政策と作戦計画両方の面で、日本の関与の増大は、米軍の作戦を可能にする条件の一つであった。その意味で、日本の防衛装備移転三原則と運用指針の改正は、その一部として重要な意味を持ち、これが日本の安定にも大きく貢献するものとなるのである。
《ひらい こうじ》
1958年、神奈川県生まれ。電機メーカー、M&A助言、事業再生支援会社などを経て、2016年から経済安全保障のコンサル業務を行う株式会社アシスト代表。(一社)日本戦略研究フォーラム政策提言委員。日本李登輝友の会理事。月刊誌WiLL他に寄稿多数。早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了。
身近に起きている見えざる侵略から日本を護れ
いま求められる経済安全保障
経済安全保障 アナリスト 平井 宏治 氏
週刊「世界と日本」2024年4月1日 第2266号より
1.見えざる侵略の基本戦略—「超限戦」
見えざる侵略を理解するためには「超限戦」を理解することが必要である。『超限戦』の「超限」とは、「中国は、自衛のために、すべての境界と規制を超える戦争を行う準備をすべきだ」という基本コンセプトに基づく。
『超限戦』は、まず「現在の戦争についてのルールや国際法、国際協定は西側諸国がつくったものであり、米国が新時代の軍事技術と兵器の競争をリードしている。このままの状態で米国に対抗して兵器開発に巨額の費用を投入することは中国経済の崩壊を招きかねない」という現状分析を行い「では中国はどうすべきか」という課題に対して、「あらゆるものを戦争の手段とし、あらゆる場所を戦場とすべきだ」と主張する。
* 一見、戦争とは何の関係もない行動が、最後には非軍事の戦争行動となる。貿易、金融、ハイテク、環境の分野などは、従来なら軍事範囲とは考えられなかった。しかし、これらは利用次第で多大な経済的・社会的損失を国家や地域に与えることができる(喬良・王湘穂著、坂井臣之助監修、劉訳『超限戦』角川新書、2020年)。
『超限戦』は4半世紀ほど前に書かれた戦争理論だが、中国は現在、この理論をそのままに、「経済」という武器を使い「自由で開かれた諸国との闘争」を続けている。日本では、2020年に『超限戦21世紀の「新しい戦争」』として角川新書から復刊している。
2.超限戦に気づいた米国—米中対立
中国は2010年頃から、国防動員法を皮切りに、独裁者に奉仕する法律を次々と施行し、改革開放路線から規制と統制路線へ転換を始めた。2015年には、中国製造2025、2049、中国標準2035を発表し、2049年には世界最強の製造強国実現を目指すと公言した。2016年、中国は南沙諸島に誕生させた七つの人工島の軍事拠点化を急ピッチで進めた。経済のグローバル化を推進した米・オバマ政権は、中国の軍事的拡張政策に対して強硬策をとらなかった。中国は、2017年頃から、軍民融合政策を唱えるようになり、一般消費者が使う商品に使われる技術が、民生技術と軍事技術の境が低くなり、独裁国家で軍事転用され兵器の近代化に利用され始めた。
2016年に発足したトランプ政権は、2018年、2019会計年度の国防権限法を成立させ、対中姿勢を大転換した。米国の対中政策は、トランプ政権のタカ派主導によるものとの見方は、全くの間違いだ。逆に議会が超党派で、トランプ大統領のディール的姿勢を強く牽制し主導したものである。
2020年に発足したバイデン政権は、「トランプ政権の対中政策は、方法は別として、基本的には正しかった」(ブリンケン国務長官)との認識の下に、対中諸規制をそのまま継承した。米議会は、政権交代後も一貫して対中強硬姿勢を維持しており、対中強硬政策の維持・強化に向けた法律を次々と成立させている。一例が、中国を念頭に置いた先端半導体規制だ。米大統領選挙の結果次第では、対立がより先鋭化する。
3.戦略を変更した中国—「双循環戦略」
米中対立が先鋭化し、中国政府は、世界経済を中国のために機能させることに焦点を置く新しい戦略にシフトした。中国製造2025や中国製造2049、中国基準2035といった産業政策を明文化し、国内市場の育成ならびに高付加価値産業の育成、外国企業および市場との選択的協力を組み合わせた新しい経済モデルを打ち出した。これが、中国政府の「双循環戦略」である。双循環戦略は2020年に初めて登場した。習近平国家主席が呼びかけた「新たな発展パターン」の創設がその始まりだ。中国市場が「主力」となること、そして、中国経済の循環促進によって国内外の市場が確実に相互支援できるようになるとされる。
双循環戦略とは、簡単に言えば、「中国政府が中国企業や学術界に補助金を入れ、中国企業の技術力を伸ばす。中国がまだものにできていない技術は、中国市場からの締め出しをちらつかせて脅し、外資系企業に技術を強制開示させる。この上で、中国は諸外国に輸出攻勢をかけ、海外における中国企業の市場シェアを拡大する。この結果、外国生活するうえで必要な製品や商品の入手を中国に頼る立場にする。中国には、諸外国から中国製品を輸入した代金が支払われて中国国民は豊かになり、中国企業は全世界で事業を拡大する。中国の主張に従わない国には、政策変更を迫るため、輸出を止めるなどの影響力行使を行う」ものだ。
2023年3月に開かれた全国人民代表大会で、習近平が中国共産党総書記ならびに国家最高指導者として異例の3選を果たしたが、中国共産党の前には、中国経済の減速、少子高齢化の加速、そして米中対立による国際環境の変化といった課題が山積しており、双循環戦略も先行きが不透明となっている。経済成長を国内消費に基づく個人消費に変えるために、富の分配を抜本的に変える必要があるだろう。中国政府は、双循環戦略が一朝一夕に達成できないことを理解している。そこで、習主席は「高水準の開放」を訴えるようになった。中国は市場アクセスを緩和し、外国投資に関連するリスクを軽減する意向であると宣伝している。しかし、中国政府が公表した2023年の国際収支統計によると、対中直接投資は、前年比82%減の330億ドルとなり、1990年代の水準になった。海外企業が脱中国を進めていることが、数字で裏付けられた。
4.日本企業は中国と距離を置け
中国と西側諸国との対立や双循環戦略の登場により、中国で事業を行う日本企業はますます難しい立場に置かれることになる。にもかかわらず、2024年1月、約180名の経済界合同訪中ミッション(日中経済協会、経団連、日本商工会議所)が訪中した。中国側の狙いは、対中直接投資が激減しているので、日本企業に対中投資の約束をさせ、減少の穴埋めをさせることにあるだろう。ところが、日本経済団体連合会は、帰国後のプレスリリースで「両国首脳は『戦略的互恵関係』を再確認し、建設的で安定的な日中関係を構築しようとしている。4年ぶりの訪中団はそうした動きを後押しする意味でも時宜を得たものであり、意義深い」と主張するが、双循環戦略を考えると、果たして、そうと言えるか。中国の要請に応じる日本企業は、双循環戦略に加担する企業である。売上全体に占める中国依存度が高い日本企業にとり、中国側に立つことを旗幟(きしょく)鮮明にすることは、中国と西側諸国との間で深刻な政治危機が発生した場合に、一時的に、中国政府により保護される可能性があるが、西側諸国との関係は断絶されることになるだろう。中国製造2049が実現すれば、日本企業は用済みになり、あっさりと捨てられるだろう。
超限戦では、自由貿易も兵器として使われる。中国は西側諸国とは「競争」ではなく、「闘争」をしていることを忘れてはならない。
《むらい ともひで》
1949年奈良県生まれ。東京大学大学院国際関係論修了。米国ワシントン大学国際問題研究所研究員、防衛大学校国際関係学科教授、東京国際大学国際戦略研究所教授を経て現職。平和安全保障研究所監事、日本防衛学会名誉会長。著書は『日中危機の本質』(2021年)など多数。
台湾は独立するのか
東京国際大学特命教授 防衛大学校名誉教授 村井 友秀 氏
週刊「世界と日本」2024年2月19日 第2263号より
2024年1月13日の台湾総統選挙で、かつて「台湾独立の仕事人」と自称していた頼(らい)清徳(せいとく)氏が新総統に選ばれた。頼清徳氏は選挙後の会見では、台湾独立に関して慎重な言い回しをしているが、選挙直前のインタビューでは明確に中国共産党が主張する「一つの中国」を否定していた。頼清徳新総統が率いる台湾は独立の方向に動くのか。
そもそも台湾に独立国になる資格はあるのか。台湾を国家承認する国は12カ国であるが、138カ国が承認し、国連にオブザーバーとしての資格を持つパレスチナ自治区は、面積で台湾の6分の1、人口で台湾の5分の1である。
国際法によれば、独立国家の成立要件は、①国民、②領土、③統治能力を持つ政府の存在、と定義されている(モンテビデオ条約)。諸外国による承認は必要条件ではないとするのが多数意見である。また、スターリンは独立国家の条件として、①100万人以上の人口、②外国と国境を接している、③国名を冠する民族が過半数を占める、の三条件を主張していた。
台湾政府の統治下にある2300万人の人口は世界57位(60位はシリア)、台湾政府が排他的に統治する領土の面積は世界134位(133位のオランダとほぼ同じ)、外国に支配されていない政府が存在する。また、国内総生産は世界21位(22位はポーランド)である。台湾は独立国たる条件を備えている。しかし、台湾は独立を宣言しない。独立宣言すれば、中国が攻撃すると言っているからである。台湾は中国の武力行使を恐れて独立を宣言しない。
他方、台湾が中国の一部ならば、台湾の独立運動は中央政府に対する地方の反乱ということになり、中央政府が国家の統一を維持し主権を守るために地方の反乱を武力鎮圧することは国際法上問題がない(国連総会決議1970年)。外国が地方の反乱に介入することは内政不干渉原則に反する国際法違反である。ただ、対立の中で大規模な人権侵害が発生すれば、周辺地域の平和と安全を脅かす恐れがあり、国際的関心事項として外国の介入が正当化される可能性がある(保護する責任)。
ただし、台湾が独立国家ならば、中国の台湾に対する攻撃は、国際法が禁止する独立国に対する侵略戦争になる。ロシアのウクライナ侵略と同じである。その場合は、国際法によれば世界中の国が集団的自衛権によって、外国に侵略された台湾を軍事的に支援することが出来る。台湾が密接な関係にある国かどうかは関係ない。
台湾人は中国人か
国際法は民族が国家を持つ民族自決(一民族一国家)の権利を認めている(国際人権規約1966年)。それでは台湾人は民族か。人間を外見(遺伝子)で分類した人種とは異なり、民族は人間を、血縁、地縁、言語、宗教などの共通性により歴史的に形成された運命共同体意識によって分類する。人種は科学であり、民族の本質は感情である。「民族はその構成員が激情的に、満場一致的にそうであると信ずるがゆえに民族である」と言われている。中国共産党が主張するように、台湾人と中国人は人種が同じである。しかし、世論調査によると(政治大学、2020年)、台湾に住む人の67%が自分を中国人ではなく台湾人だと認識し、自分が台湾人ではなく中国人だと思っている人は2%に過ぎない。民族の本質が感情ならば、自分は台湾人であると感情的に思っている台湾人は民族である。したがって、台湾人は「一民族一国家」をもつ権利がある。民族自決とは、民族が自らの意志に基づいて、その帰属や政治的運命を決定し、他民族・国家の干渉を認めない基本的人権である(国連総会決議1950年)。
また、全ての国連加盟国は国連憲章を守らなければならない。「国連加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を如何なる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国連の目的と両立しない他の如何なる方法によるものも、慎まなければならない」(国連憲章2条4項)。
台湾のレジスタンス
台湾人は独立する権利があり、中国が利己的利益を求めて独立国を支配しようとする戦争は正義ではない。しかし、中台統一に台湾人が自ら同意する可能性が低い状況では戦争によらない平和的統一は困難である。台湾住民を対象とした世論調査を見ると(台湾民主基金会、2022年)、中国が台湾統一のために武力侵攻した場合は72%の台湾住民が「台湾を守るために戦う」と回答した。なお、2021年の世論調査によれば、外国軍の侵略に対して戦うと答えた国民は、ベトナムが96%、中国が88%、英国が65%、米国が60%、ドイツが45%、日本は13%であった(World Values Survey 2021)。
戦争は勝つか負けるか泥沼になるかである。小国が大国と戦うと戦争の結果は、負けるか泥沼になるかである。小国が大国に負けない唯一の戦略は、戦争を泥沼化して大国が戦争に倦み疲れるのを待つことである。米国のベトナム戦争を止めたのは、戦死者の増大と増税による反戦運動だった。ただし、戦争が泥沼化すれば戦争による犠牲は巨大になる。ベトナム戦争の米軍戦死者は5万人、北ベトナム軍の戦死者は90万人であった。大きな犠牲に耐えられなければ、小国は大国に負ける。
住民がいない台湾海峡と台湾の海岸線で敵を殲滅(せんめつ)する現在の台湾の戦略は、住民の抵抗による大きな犠牲を前提にした戦争の泥沼化(非対称戦争)ではない。最新兵器を駆使する短期決戦は中国軍が有利だろう。
中国共産党は同盟を信じない(中国の同盟国は北朝鮮である)。いくら米国政府や日本政府が台湾防衛に言及しても、中国共産党は台湾防衛に米国や日本が血を流すとは考えない。中国共産党は戦争のコストが利益を上回れば戦争しない合理的な政権である。
中国の台湾侵略を抑止する最大の鍵は、大きな犠牲に耐える台湾人の覚悟である。台湾人が「中国の一部になるくらいなら死んだほうがましだ」と考えるなら中国は戦争を躊躇(ちゅうちょ)するだろう。台湾人が「死ぬくらいなら中国の一部になる」と考えるなら中国は台湾を攻撃するだろう。
《かわの かつとし》
1954年、北海道生まれ。防衛大学校を1977年に卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦隊司令官、統合幕僚副長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任。2014年に第5代統合幕僚長に就任。2019年4月、退官。2020年9月に『統合幕僚長 我がリーダーの心得』(ワック)を出版。
新たな段階を迎える日米同盟の課題
元統合幕僚長 河野 克俊 氏
週刊「世界と日本」2024年2月5日 第2262号より
1 我が国を巡る安全保障環境—台湾問題を中心に
台湾問題を論ずるに当たっては、中華人民共和国(以後、中国という)の歴史的バックボーンからのアプローチが必要であり、台湾問題を単発で捉えると本質を見誤ることになる。そこで、先ず簡単に中国が大陸国家からいかに海洋国家に変貌してきたかを見ていきたい。
日本軍が中国大陸から撤退したのち、国共合作により共同戦線を張っていた中国共産党と国民党は再び内戦状態に陥り、最終的には中国共産党が勝利し、蒋介石率いる国民党は台湾に逃れた。その結果、毛沢東は1949年に天安門で建国を宣言した。この時に毛沢東が勢いに乗って台湾に攻め込んでいれば、その時点で台湾問題は解決していたはずである。しかし、毛沢東はしなかった。というよりできなかった。なぜなら当時の人民解放軍は陸軍主体であり、海軍は極めて脆弱なため台湾海峡を渡ることができなかったわけである。毛沢東そして実質的にその後を引き継いだ鄧小平の時代の中国は純粋な大陸国家であり、海洋に眼を向けていない時代だった。
大躍進運動、文化大革命等の混乱を経て1976年に毛沢東は亡くなった。実質的に後を継いだ鄧小平は1980年代に入り「改革開放」を提唱し、政治体制は社会主義を維持するが、経済は資本主義の考え方を導入し、2001年にはWTO(世界貿易機関)にも加盟する。そして、今では中国はGDP世界第二位の経済大国にまで発展した。また鄧小平は「改革開放」と併せて海軍力の増強を命じている。その結果、現在、数量的には米海軍を凌駕した。質的には米海軍の方が上との見方もあるが、米海軍は全世界に展開しており、少なくとも台湾海峡周辺海域に限れば明らかに米中の軍事バランスが中国優勢に傾いている。
経済発展した国家は必ず海洋に眼が向く。豊富な資源を有する海洋、貿易路も海上交通が主流だ。中国も例外ではない。中国の海洋進出は経済発展の結果だと言える。今や中国は大陸国家から海洋国家へ変貌しようとしている。しかし、その海洋進出が国際法を無視し、マナーをわきまえず、特に東シナ海、南シナ海に見られるように力による現状変更方式であるため、日米豪等の伝統的な海洋国家とぶつかることになる。加えて経済大国第二位になったがゆえに経済大国第一位の米国の視野に入り、米中は衝突コースに入ることになった。
米中対立ということになれば、舞台は海洋である。その中国が海洋で米国と対峙することになれば、東シナ海から南シナ海を囲むいわゆる第一列島線内を固めることが不可欠である。その場合、中国にとって解決しなければならない問題が三つある。それは香港、台湾そして尖閣諸島である。ご承知のとおり香港は一国二制度50年の約束を反故にされ、国家安全維持法等により完全に抑え込まれた。中国にとって残された課題は台湾と尖閣諸島ということになる。したがって、尖閣を含む台湾問題は中長期的な米中対立の入口であり、最終決着点ではないのだ。
2 今後の日米同盟の課題
このような中国の脅威を踏まえた上で日本は今後の安全保障戦略を考えていかなければならない。
そこで分かりやすくするために日米同盟に関する我が国の極論を二つ並べてみたい。
一つは、日米同盟は破棄し日本は自主防衛でいくべきであるとの議論だ。その場合、核武装も当然視野に入ってくる。
もう一つは、昭和30年代、40年代にあった議論だが、日米同盟は破棄し、非武装中立でいくべきだという議論である。
おそらくいずれの議論も今の日本では賛同を得られないであろう。
したがって、日本の安全保障政策の基本は価値観を共有し、同じ海洋国家である米国との同盟以外にはないという結論になる。しかし、今までのように日本は米国に頼り切っていていいのかという問題に直面する。
そこで米国の変貌についても冷静に見なければならない。
先ず、バイデン大統領である。米国は2023年8月アフガニスタンから撤退した、その際にバイデン大統領は「アフガン兵が自国のために戦わないのに米兵が血を流す必要はない」と述べた。当然である。しかし一方でウクライナでは、ウクライナの人々は自国防衛のために懸命に戦っている。しかし、バイデン大統領は、米国が軍事介入すればロシアとの間で核戦争にエスカレーションする可能性があるとして軍事介入をしなかった。
一方、再選の可能性が指摘されているトランプ前大統領はどうか。トランプ前大統領の基本ポリシーは「アメリカ・ファースト」である。1期目のトランプ大統領は、外交防衛については経験がなかったため安倍総理に助言を求めた。しかし2期目のトランプ大統領は自信を深め、「アメリカ・ファースト」にさらに磨きをかけるはずである。NATOからの脱退にも言及しており、ウクライナ戦争は一日で解決すると述べているが、その意味するところは即刻支援を止めて、ウクライナ戦争はヨーロッパが解決しろということである。台湾有事の際もトランプ大統領であれば軍事介入するかどうかは疑わしい。在韓米軍、在日米軍の存在に疑義を呈する可能性さえ考えられる。
このような米国の動向を冷静に見れば、第二次大戦後、西側諸国のリーダーとならざるを得なかった米国が特殊だっただけで、今や本来の米国に戻りつつあると見ることもできる。
すなわち、日本はもはや日米同盟に甘えてはならないということである。同盟の基本は相互防衛であり、片務性など本来あり得ない。今まで片務性が許されてきたのは、日米安全保障条約が戦勝国と敗戦国の条約であり、特殊な時期の米国だったからだ。以前は、日米安全保障条約に反対する人達は、米国の戦争に巻き込まれるという「巻き込まれ論」を主張していたが、今や日本の安全保障に米国を巻き込まなければならない時代になったのである。
今後日米同盟を維持するためには、日本の役割を拡大し、日米同盟を双務性のレベルまで引き上げる必要がある。安倍総理の下で平和安全法制が成立したが、そこで認められたのは「限定的な集団的自衛権」である。
フルスケールの集団的自衛権は憲法上できないというのが内閣法制局の不動の見解である。その意味で、憲法改正は日米同盟を維持・発展させるためにも避けて通れないのである。
《たにぐち ともひこ》
1957年香川県生まれ。81年東京大学法学部卒業。現在、富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問、筑波大学特命教授。安倍晋三第2期政権を通じ、内閣審議官、内閣官房参与として総理の外交政策スピーチを担当した。その間の経緯を『安倍総理のスピーチ』(文春新書)に著した。2005年〜08年外務省外務副報道官。それ以前「日経ビジネス」誌記者など。著書には他に『日本人のための現代史講義』(草思社文庫)などがある。
『一等国』であるための総理外交
筑波大学 特命教授 谷口 智彦 氏
週刊「世界と日本」2024年1月15日 第2261号より
時代の思潮をなす新基軸を言語化して打ち出すこと。ついで言葉を裏打ちする政策を、資金が必要なら予算の手当てを得たうえで実現に移すこと。
これを倦(う)まず弛(たゆ)まず続けてこそ、わが国は国際社会において相応の地位を保全することができる。実行の主体は他の誰でもあり得ない、総理大臣自身だ。
右に述べたところをまさに実行したのが故安倍晋三総理だった。
中国の一帯一路計画が世界の注目を集め、西欧諸国が自ら進んで北京の影響下に飛び込もうとしていた頃、安倍総理は「自由で開かれたインド太平洋」構想を打ち出した。
北京の向こうを張ろうにも深刻なアイデア枯渇状態にあった自由陣営に、干天(かんてん)の慈雨(じう)となった。海という開放系をまたぐ形で「質の高いインフラストラクチャー」を作ろうではないかと安倍氏は呼びかけ、資金面で日本の関与を打ち出した。
呼びかけた相手は、日本が経済連携協定を結んだばかりだったEU(欧州連合)。安倍氏はEUとの間で、互いを結ぶ精神規定というべき「戦略連携協定(SPA)」なる文書の署名にこぎつけた。
日本が東から、EU諸国が西から、おのおの民主主義の柱となって橋を渡す、すなわち連結性の強化に努めると安倍氏が欧州側指導者と謳いあげた二〇一九年は、日本外交が達した一極北として、記憶されるに値する。
明治の先人は、日本が二等国、否、三等国として、何かと不利な条件に甘んじざるを得ないことに切歯(せつし)扼腕(やくわん)した。秩序を押しつけられる客体物であるよりは、能動的にルールを作る側に回り、主体的な秩序形成当事者たらんとした。百年越しの夢は、安倍氏の外交をもって遂に実現した。
職業外交官によってでなく、内外の政治経済、軍事と外交を総攬し最終責任を負う首相の外政家としての力をもって、初めて可能となる類の外交がある。岸田文雄氏含め今後のわが国首相には、安倍氏の到達点を越え、先に進む責務がある。
なし得るには、およそ総理たるもの、長く政権の座にいなくてはならない。選挙に勝ち続け、党と官界に威令を及ぼすくらいでなくてはならない。
政権の長期化はそれ自体が目的ではない。短命政権の手に負える課題など内外どこにもないからこそ政権は長命でなくてはならず、またそうなってこそ海外指導者たちも日本の総理に一目置くようになる。この機制も、安倍氏において実現し、充実したものだった。
どんな総理でも、予算を作って執行し、成果の有無強弱を確かめるには両三年かかる。
それより短い期間で政権を去ってしまうわが国の場合に少なくない総理は、国内で、また外国でも、自らの刻印を帯びた政策をなんら実施できぬまま舞台を降りざるを得ない。
各省トップの事務次官は、2年か3年で交替する。目下審議官ないし有力局長の座にある人物は、自分が次官になったあかつきのことを常に考える。
そのとき総理はきっと別人であろうと合理的に推定できる場合、現政権のため汗をかくのはほどほどにしようと思うだろう。官僚の忠誠心を束ねて強固にするにも、政権は短命であってはならない。
政策遂行を担うのは行政機構であるから、長い政権は短命政権に比べ、行政課題の実行力が上がる道理だ。つまり国益に資す。
短命政権に外交面での成果を求めるなど、そもそも無理である。
岸田総理が今まさしくそうであるように、内政基盤が弱いとあまり外遊に出ることができず、外交力は遅々として備わらない。
東京を空けるとしたら、その多くはいわゆるマルチラテラル・多国間外交の会議に顔を出すためだけの出張となる。日本の総理の来訪を常々待望しているパラグアイ、ブラジルなど南米諸国は往復するだけで時間がかかるから、力の弱い総理には敷居が高い。
令和6(2024)年は選挙の年となる。
1月台湾総統選挙に始まり、2月インドネシア大統領選ならびに総選挙、4月韓国総選挙、年前半にインド下院総選挙、プーチンの政治力を評定する機会となるロシア大統領選挙(3月)があって、極めつけは米大統領選挙(11月)だ。
岸田氏が衆院解散総選挙に打って出られないとする。その場合わが国では令和7年に衆参両議院の選挙が重なる。党を率いる選挙の顔として岸田氏が適任かどうか問う声は、早晩自民党から噴出しよう。危機であろうけれど、敢闘精神を高めて乗り切れば岸田氏を強くする可能性もある。
例えば韓国。現政権の与党は議会において少数である。総選挙が野党勝利に終わった場合、一期五年しか政権にいられない韓国大統領制において、現政権を一気に弱くする。
いわゆる「徴用工」、「慰安婦」など、一度蓋をした筈の問題がまたもやぶり返し、日韓関係は壮大なデジャヴとならぬとは限らない。総理の沈着、冷静な判断は必須となる。間違っても天皇皇后両陛下に選挙前の韓国へご訪問いただくなどといった先走った行為に出るべきでない。
新年は、選挙で民主主義各国が一斉に内向きとなる。陣営最大の国、米国は政治社会の分極化を深めよう。
であるがゆえに好機であると見るに違いないのが、中国の習近平氏である。台湾で、何か仕掛けやしないか。
昨(令和5)年の11月、麻生太郎自民党副総裁は豪州へ講演に赴き、「いきなり台湾を取ることはなくても、台湾が実効支配する金門(きんもん)馬祖(ばそ)は中国からあまりにも近い。ここを北京が取りにかかるということはありそうだ」と、極めて具体的な言及に及んだ。
現実にそうなったとき、「日米豪はワンボイスで中国を非難できるだろうか」と問いかけたとき、聴衆には緊張が走ったという。
麻生氏が示した類のシナリオこそは、他の誰でもない、総理大臣その人の常々からの準備と覚悟、経綸(けいりん)の深みを鋭く問うものだ。
岸田氏にはおのれを一皮むき外政家として飛躍する年であると本年、甲辰の年の意義を理解したうえ、覚悟を国民に語ってほしい。
《いとう としゆき》
1958年、名古屋市生まれ。防衛大学校機械工学科、筑波大学大学院地域研究科修了。潜水艦はやしお艦長、在米国防衛駐在官、第2潜水隊司令、海幕広報室長、海幕情報課長、情報本部情報官、海幕指揮通信情報部長、第2術科学校長、統合幕僚学校長、呉地方総監を経て2016年退官後、現職。㈱Ubicomホールディングス社外取締役。
海上自衛隊が実践するリーダーシップ論
金沢工業大学 虎ノ門大学院教授 伊藤 俊幸 氏
週刊「世界と日本」2024年1月1日 第2260号より
「号令」「命令」「訓令」の違い
皆さんは「号令」と「命令」と「訓令」の違いをご存じですか? 自衛隊では、部下に指示する方法として、この3つを明確に使い分けています。
まず1つ目の「号令」は、小学校などで行なわれている「行動指示」のことです。「起立! 気を付け! 礼! 着席!」「全隊、止まれ!」など、行うべき行動だけをシンプルに伝えるものです。たとえば、「明後日の朝8時の名古屋行きの新幹線の切符を買ってきて」という指示は、「号令」といえます。ただし切符がなかった場合、部下は「ありませんでした」と戻ってくる、子どもの使いのようになってしまいます。
2つ目の「命令」は、「意図」と「行動」の両方を伝える方法です。たとえば、「明後日の13時から名古屋の○○社に商談にいくので、朝8時の名古屋行きの新幹線の切符を買ってきて」 という指示になります。指示された部下は、新幹線の切符を買う上司の意図がわかっていますから、8時の切符がなくても、13時に間に合う切符を買ってくることになります。「命令」は「号令」よりも上司の「意図」つまり「行動の目的」があわせて伝えられますから、部下に「自分で考える余地」が生まれ、上司にとっても満足のいく結果が得られることになります。
3つ目の「訓令」とは、「意図」だけ伝えて「やり方は任せる」という指示のことを言います。先の例であれば、「明後日13時から名古屋の〇〇社に商談にいくので、出張の手配を頼むよ」というのが訓令です。ここで優秀な部下なら、次のような対応ができるでしょう。「そういえば課長、名古屋の△△社の社長と長らくお会いしていないですよね。せっかくですから前日夜に名古屋で会食されたらどうですか? そのまま一泊して翌朝〇〇社にいけば楽じゃないですか。必要ならお店と宿の手配もしておきますよ」
この「訓令」で指揮する方法を「ミッションコマンド」といいます。中央集権型のロシア軍に対してウクライナ軍が健闘しているのは、2014年以降米軍から軍事指導を受け、この「ミッションコマンド」により現場レベルで適切な指揮ができているからなのです。
正しいフォロワーシップを発揮した人こそ良きリーダーになる
筆者は海上自衛隊呉地方総監を拝命していましたが、その任務の一つは南海トラフ地震への対応でした。この地震による被害想定は、東日本大震災の全被害者数が、和歌山県・高知県・宮崎県の3カ所でそれぞれ生起するというのです。その際、海自全部隊を指揮して海上からの救助に当たる任務が呉地方総監には付与されていますが、災害派遣における総理や防衛大臣からの指示は、「必要な措置をとれ」だけなのです。つまり具体的行動の指示がない「訓令」で示されますから、具体的方策を作るために総監部には幹部自衛官を中心とした幕僚組織が編成されています。いわゆる旧軍でいう参謀組織です。幕僚は、「情報」「作戦」「後方」「通信」などの分野で具体策を提示することで指揮官を直接補佐するのです。
このように幹部自衛官は、指揮官(リーダー)と幕僚(スタッフ)との両方の職務を交互に経験しながら階級が上がっていきます。つまり、20歳代から指揮官と同じ頭で考えるスタッフとしての経験を積みながら、少人数組織のリーダーを経験し、またスタッフ勤務をする。そして最後は大部隊のリーダーに配置されるのです。そこには、「正しくスタッフ勤務をした者こそ良きリーダーになる」という考え方があるからです。この「正しいスタッフ勤務」のことを「フォロワーシップ」といいます。
これは日本の自衛隊だけではなく世界中の民主主義の軍隊は同じです。「フォロワーシップ」とは「積極的に上司を補佐」することをいいます。その具体的行動は「上司の意図を具体化」し、「批判も含めた提言・提案(リコメンド)」をし、「組織に貢献」することです。そして「リコメンド」は自ら進んで「当事者」として行うことが求められるのです。
当事者意識の高い部下を育てるのが上司の仕事
もし皆さんの会社で、このように「リコメンド」してくれる部下がいたら頼もしく思うでしょう。先の例でいえば、上司の「意図」から、「△△社との関係性」なども一緒に考えてくれるのですから。
私が自衛隊をリタイアして民間企業と直接かかわるようになって一番驚いたのは、具体的な行動まで「号令」されないと動けない「指示待ち人間」の人が多いことです。またそのように育った課長や部長は、印鑑を押すだけで具体的指示が出せない。社長の指示を理解していないのに直接確認するのをためらう部長を見て愕然としました。「部下としての仕事は、言われたことをする」ことだけ。私の社会人学生も「フォロワーシップ」という言葉を初めて聞いたから受講しました、といいます。
「売り上げの8割は2割の社員に依存する」という「パレートの法則」をご存じだと思いますが、いまの日本の会社組織に、当事者として自ら考え行動できる社員が2割いるのか、ということです。海自幹部自衛官の割合はちょうど2割ですが、必ずしも優秀な人間ばかりではありません。長い年月をかけて何とか育てるのです。
海自潜水艦では、艦長は「号令」や「命令」で指示をしません。基本的には部下からのリコメンドを待つのです。また出す場合も「訓令」で指示をします。たとえば艦内でなにか課題が見つかったら、艦長は担当幹部を呼び出し「こういう課題が見つかった。解決策を考えてもらいたい。」という「訓令」の形で指示を出すのです。
もちろん緊急事態の場合、艦長が直接「命令」「号令」をかけることもありますが、通常は、たとえ解決策が頭にあったとしても、部下を育てるために考えるチャンスを与え、あえて我慢して言わないのです。まず部下からのリコメンドを聞く、そして艦長が言うことは「了解」か「待て」というのが指揮の理想形なのです。
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(防衛省ホームページより)